ロマン・ロラン(Romain Rolland)にとってはその少年時代以来、ベートーヴェンは最大の魂の師であった。「生の虚無感を通過した危機に、私の内部に無限の生の火を点してくれたのはベートーヴェンの音楽であった」とロランは『幼き日の思い出』の中に書いている。二十三歳のときパリの母校高等師範学校エコール・ノルマールの留学生としてローマに行き、当時七十歳をこえていたドイツの老婦人マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークと精神的な深い交誼をむすんだときに、ベートーヴェンの音楽への理解はロランにとっていっそう深まるとともにいっそう意味のあるものとなって来た。マルヴィーダはヴァーグナーとニーチェとリストとの親友であった。彼女は若いフランス人ロランのためにゲーテやシルラーのドイツ文学に通じる精神の扉をひらいてやった。当時すでに立派なピアノ演奏の技術を身につけていたロランのために彼女は一台のピアノを借りた。昼間ヴァティカンの書庫の中で史学の文献書類を調べる仕事に疲れたロランはほとんど毎夕マルヴィーダの家――その数年前まで存命していたフランツ・リストが、そこに来て魔力あるアルペジオを掻き鳴らすこともしばしばであったその家を訪れて、バッハやヘンデルやベートーヴェンを弾いた。ロランの演奏を聴いてマルヴィーダは書いている――
「ベートーヴェンの世界霊ヴェルトゼーレを私は享受した。そこでは、この世に生まれた者の最も深い悲しみが、神に近い精霊らの最もけだかい慰めと浄福とに融け合って表現せられる。」(一八九〇年四月十二日および二十四日)
「心の最良の瞬間に心眼の前にうかび漂い、普通の現実の上高く心を高めるところの或る完璧な現実の予感と、欠陥の多い現実世界とを真に和解させるものは音楽である。人類のあらゆる偉大な教師らは音楽を必要とした……宇宙のリズムについてのピタゴラスの考えは、実際何と美しくけだかいものであったか!」(『一生涯の夕暮』より)
 その頃、マルヴィーダとロランとが最も深く傾倒したベートーヴェンの作品の一つは作品第百六番のピアノの奏鳴曲であった。(ロランはこの作品のアダジオを『マルヴィーダのアダジオ』と呼んでいる。)そしてこの第百六番についてのロランの研究が初めて発表されたのは今年(一九三八年)の春である。すなわちローマでの体験から五十年以上の歳月にわたってベートーヴェンの音楽は、ロランの魂の伴侶であるとともに、そしてその故にまた彼の知性の研究対象であった。
 ここに訳出した『ベートーヴェンの生涯』(“Vie de Beethoven”)は、ロランがベートーヴェンについて発表した最初の作品である。これはシャルル・ペギーが編集していた定期叢書カイエ・ド・ラ・カンゼーヌの第一巻として一九〇三年に初めて世に出た。この論文の中には、その後さらに複雑に展開したロランの二つの要素の萌芽が一つに結合している。一つの要素は歴史家として記録と事実とを学的良心をもって考証する態度の根底にあるところのそれであって、ロランの作品中『ヘンデル』や『ミケランジェロ』(まだ邦訳されたことのないプロン版の論文)や『過去の国への音楽の旅』や、またその後の大きいベートーヴェン研究の中に多分に感じられる要素である。他は、この『ベートーヴェンの生涯』を直接『ジャン・クリストフ』へ結びつけているところの芸術家的・創造的要素である。ロランはかつて画家ユージェーヌ・ドラクロワについていったことがある――「この真に浪漫的な天才の知性はしかし非常に古典主義的だ」と。われわれはこれに似たことをロマン・ロランについてもいえるであろう。音楽史家としてのロランの特徴についてはかつて彼の弟子であり現在 La Revue musicale の主筆であるプリュニエールがいったとおりに――「音楽技術についての十全な知識へ、普遍的精神の宏大な博識と探求心とを結合させた」ところにあるのであろう。この点に関してのロランの権威を認めている人々の中で私は、ケクラン、オーリック、ストラヴィンスキー、アーノルド・ベネットらの名を挙げておこう。そして偉大なアンドレ・シュアレス(『偉大なシュアレス』といったのはモーリス・マーテルリンクであるが)は、彼がドビュッシーの熱愛者であるにもかかわらず近頃こう書いた――「福音書を書くような態度でベートーヴェンについて書く権利を私はロマン・ロランにだけ認容する。なぜなら、彼は実際その精神で生きているのだから。」

      *

 その後のロランの『ベートーヴェン研究』の構造は次の五つの部分から成っている。
一 自己形成の時期(一八〇〇年以前)
二 英雄的精神の時期(『エロイカ』から『熱情奏鳴曲アパッショナータ』まで。一八〇一年―一八〇六年)
三 クラシック芸術の充実(『第四交響曲』から『第八交響曲』まで。一八〇六年―一八一五年)
四 大きな危機(死と再生の時期一八一六年―一八二三年)
五 遺言(『第九』および最後の幾つかの弦楽四重奏曲。一八二三年―一八二七年)
 一九三八年の現在までに第四の部分までが完成されたので後に残っているのは『遺言』だけである。第四の部分は『復活の歌』という題が付いているが、そこでは『荘厳な弥撒曲』と『はるかな恋人に』贈る一連のリーダー Liederkreis と作品第百六番の奏鳴曲とが徹底的に取り扱われている。(目下の日本の作曲界に対しても、このベートーヴェンの歌謡作曲についての分析の章が、いかにも多くの本質的教示を含んでいることを感じないではいられない。)
「……一八一六年から一八二七年までのベートーヴェンの危機に書かれた作品は私(ロラン)にとっておそらく最も親近な作品である。それらは最も緊密に私の日々へ編み込まれている。第百六番および『荘厳な弥撒曲』に親しんで以来五十年以上の歳月が経った。一八八九年から一八九一年までローマで学生生活をしたとき以来、私はこれらの作品を通じて友マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークと親しんだ。――彼女はニーチェとヴァーグナーの親友であった。これらの作品は私の生涯のあらゆる過程に随伴した。私はこれらの作品に向かって問いかけることをやめなかった。これらの作品は私に答えつづけることをやめなかった。だから、これらの作品が私にうち明けたこころを、他の人々へ伝達しなければならない特別な義務を私は持っている……」
 この大著の中で著者が綿密に――分析と綜合との稀有な共働によって――展開したところのベートーヴェンの音楽の意味を、簡単な要約によってここに紹介することは可能なことではないが、ただ一つ、その中心核をなす主題の一つに触れるとすれば、それはベートーヴェンの音楽の Urlinie 根元線の問題である。
 人がベートーヴェンの音楽を、浪漫主義とも古典主義とも片づけきれないのは、この音楽の『根元線』(本質的素描性)がまったく無比の性質を示しているためである。形式的構造の合理主義のみから観て行けばとうてい突破のできぬ超合理の雲霧にいつのまにか取り巻かれるであろう。また単に感情のみを頼りにしてゆけば、感情に密着している巨人的構造性の秘密はつかめないであろう。
「一面には感覚と情感と追憶と憧憬――日常生活を養っているこれらの要素。それらを超えて魂の基底。――それはベートーヴェンに関する最良の文献学者(私は、ベートーヴェン音楽に関する『言語発達史』の教師と彼を呼びたいのだが)ハインリッヒ・シェンカーが、『根元線』または『魂の核心の写真像』と呼んだところのものである。」
 意識が二つの階梯をつくっている。一つは日常生活の花。他は深みのそれ。この二階梯の結合の仕方に注目することが大切である。表面のうごきだけに注目していれば、そのうごきは、そういううごきを作る出来事や感動と、またそれらの出来事や感動に対するそのうごきの反作用とで独立したもののようにも見える。しかしベートーヴェンの音楽には、「内的実在のリズムを記録している幅広くゆるやかな振子の鼓動」がある。
 ベートーヴェンにおいて芸術形式はこの内的実在のリズムと離れていない。その形式は形式自体で自足している形式ではない。
「もしも人がベートーヴェンを心理的に把握しなかったら人はけっしてベートーヴェンを理解しないだろう」とロマン・ロランはいっている。もしも人が音楽形式の合理主義の中だけに閉じこもるなら、どこまでもベートーヴェンの音楽の外にいるという結果にならざるを得まい。たとえば、音楽史的に「ベートーヴェンの形式の範型はソナータである」といってみたところでこれは何事をもいい現わしてはいない。なぜなら、「ベートーヴェンにおいては何故ソナータが範型であるか?」が真の問題として残るからであり、そしてこの何故だけに答えるためにも視力は著しく拡がらなければならない。「絵画、彫刻、建築または文字の作品、それが何であれ、精神を照らし、精神を『世紀』の鞘から脱出させて高めるような精神の深い響きをめざまさなければ無価値である。換言すれば、『オセロ』や『オイディプス王』のような、われわれが悲哀や恐れに圧倒されそうな作品を見ているときに我らの心に溢れてくるあの歓喜をどう説明すればいいのか? ベートーヴェンの交響曲やソナータを規定している対象と主体(――主体とは魂だ、と私はいおう)とが何であるにもせよ、それらの作は、それらが放射する不思議な輝きの度合だけ、天才精神ジェニーに参与しているのである。――この輝きは精神の、明澄でしかも痛切な瑜珈ヨーガのようなものである。」
 ドイツ音楽の巨匠たちに相通じる最も大きい特徴は、内部の動きが音楽のかたちで現わされる点にある。精神内容が形式を決定する。そして「音楽という芸術の奇蹟は形式が感情と同意義であることである。」音楽の建築がいかに宏大であるにもせよ、もしもその建築の輪廓や量の下を、最もふかい最も自由な内生命の潮がくぐり流れることができないとしたら――音楽の建築が、生きた一つの魂を(そしてその魂の諸問題が、また別に、それとして宏大な一つの活動であるような一つの魂を)十分おのれに適合させつつ包んでいるような、そういう素材でないとしたら――構造の問題の解決は、技巧家と溺美家との遊戯に過ぎないことになり終えるだろう。このことを眼中に置かない音楽的分析は、音楽作品からその内容を空っぽにしてしまう。形式と内容とがベートーヴェンにおいてはまったく一体である。
 彼の大きい作品の中には最初からつねに精神の悲劇的な対話的な格闘がある。そして、彼の物質的、精神的な境遇への研究が彼のばあい重要である理由は、境遇が、作品の生まれ出る雰囲気を形成しているからである。とはいえわれわれの注目の焦点は、ベートーヴェンの精神の中心に行なわれるところのあの対話的格闘でなければならない。ベートーヴェンの音楽表現と、彼の『手記』および手紙とは、この焦点を並行して指示しているのである。
 けれども実は、ベートーヴェンの心理的内容も、それだけを抽出して考えるならば、彼の作品の意義にとってはまだ入口に過ぎない。彼の心理的内容は、悲哀とか歓喜とか、悲哀を通じての歓喜とか、誇りとか愛情とか憂鬱とかユーモアとか、かなり単純に類型的に表現することができる。この内容は彼の時代の多くの人々に通じる範疇とたいして相違のあるものではない。それならば彼の音楽をして彼の時代を超えて永く生きながらえしめる力はどこから来るのであろうか? それは彼の人間的形式からである。一芸術作品の尊厳が、芸術表現形式の力と美とによることは疑いを容れない事実である。
「形式の完全と形式の独創性とが芸術を永遠ならしめる。――(もっともこの場合、永遠という表現を、芸術の自然的諸法則と、人間的感受およびその表現法とのあいだにある本質的諸関係の、硬化していない流動的な恒常性という意味に用いなければならないが。)けれども、芸術家自身が無かったら、形式の完全もその独創性もありはしない。」しかも、一度生きた芸術家が時に消されて消え去せても、作品の中に人間の形式が遺る。「人間が常に生きている。諸君がみずから意識しないときですら諸君は古代の諸彫刻作品の石の心臓に眠っている息を吸い込んでいるではないか。フィディアスの感覚と理性と生命の火との調和を吸い込んでいるではないか。」音楽はなおさらに「内部の夢の素材で」織られた芸術であって、「その夢の主人であるとともに奉仕者である」音楽家自身の外部では把握せられない。音楽の中に人が飲むさまざまの諧和、笑いや悲しみや、リズムや勇躍やは正にこの地上に真に生きていた一個の人間のそれである。ミケランジェロがその詩の中に書き、フーゴー・ヴォルフが晩年にその詩句を沈痛なリートの傑作としたあの言葉、――

かつてはわれらもまた人間であった。
おんみらと同じく、悦び悲しむ人間であった。
今はただ土くれだ、ごらんのとおり。

の示しているような一人の人間のそれである。
 そのような人間的形式の偉大さが、ベートーヴェンの『荘厳な弥撒曲』をミケランジェロの壁画『最後の審判』に最も近い芸術としているのである。
  一九三八年夏 北軽井沢にて

片山敏彦

底本:「ベートーヴェンの生涯」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年11月15日第1刷発行
   1965(昭和40)年4月16日第17刷改版発行
   2010(平成22)年4月21日第77刷改版発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。