當來の命よ、眠れるわれを覺さむとして來るは汝か。
嗚呼、命、新らしき命……わが内臟はとどろきぬ、
岸破と跳りぬ。そはなれが呻吟の聲か接吻か。
なれこそは未知なれ。あるは恐る、悲に絶望に捧げむと、
わが血もてなれを養ひ、わが心もてなが心を形造るを。
しかすがに此の手を延べて、靜かなる慰撫の手振優しく、
命に醉ひしわれは笑ふ、力の夢、美の夢おもひ。
我汝を愛す、我汝を招ぐ、嗚呼、わが兒、善惡の名によりて。
そは永久の聖なる自然、汝を此世に呼びたればなり。
是時われ思ふ、大衆の女人を、恐ろしき刻の近づくままに、
誰もひとしき嚴の念、胎を溢れて心に滿つるを……
女人大衆は其眼に神祕の喜悦あり、戰慄あり。
この神祕ありて、其胎は肉と心との新らしき生を迎ふ。
愛の花瓶よ、諸の男子の上に、諸の冷たき學術の上に、
無心の勢力萬物の種は、祭壇に捧ぐる如く、汝を奉ぜむ。
種は聖なり。これ凡なり、力なり、光なり、愛なり。
胎こそは讚むべきかな、惱みてこれを養ふ。
*
あはれ、眼は大空の閑かなる影を映して、
襁褓を縫ひ、面を縫ふ白妙の手によりて、
あはれ、其日待つ當來の命の呼吸、眼に見えぬ深き處に
ひよめき、うごめく胎兒の蠢動によりて、
鮮血は泉と迸り、母の全身色失する
一期の悲鳴によりて、最後の苦惱によりて、
薔薇色の裸形の兒――哀いかな――或は惱の床に
又或は死の床に生れ落つる幼兒の名によりて告ぐ。
地上の男子よく聞き給へ――何事ぞ互に劍磨ぎ給ふは――
よく聞き給へ、聞き給へ、人は皆同胞なり。
眞にわれ汝等に告ぐ――嗚滸なりや、忘れやしつる――
われら皆裸にて生れ、母の胎を裂きて生る。
眞にわれ汝等に告ぐ、哀願の腕かくの如く延べたり。
汝等を生まむとして開きたる母の胎を辱しむる勿れ。
相和ぎて樂みて、自他の別無き畝に種子撒け、
強き女子等は搖籃の傍に歌ひて微笑まむ。
照日の畠の收穫に、歡喜の野の麥苅に、
母なる自然の前に額き、平和の感謝捧げなむ。
底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店
1962(昭和37)年12月16日第1刷発行
2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行
初出:「スバル 創刊号」
1909(明治42)年1月
入力:川山隆
校正:成宮佐知子
2012年11月3日作成
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