噫今は越方となりし辛き長き途よわれたゞ孤なりしその日よ。
都大路の流離よ、御堂へ下る長町よ。
宛も若き競技者が方人、調練者の群に急れてか楕圓砂場をさして行く時、
一人は耳に囁きつ、またの一人は腕に自由を許しつゝ布もて腱を卷き縛る如きめをみて、
わが神々の忙しき足の中をわれは進みぬ。
聖約翰祭夏至の頃森陰の音なひよりも、
あるは、ダマスコの里水さやぐ山川の音に、
荒野の吐息雜り、夕されば風戰ぐ高木の搖ぎも加はるその聲よりも繁きは、
欲望さはなる若き心の言葉なり。
嗚呼神よ、若き人は女の生みたる子は、御供の牡牛よりも御心に適ふべし、
かくてわれ、相撲の身を屈する如く、御前にあり、
自らを敢て弱しと思ふにあらず、他の更に我より強きが爲ぞ。
君はわれを呼び召して、
夙にわが名を知り給ふ如く、同じ齡の者の中より特にわれを擇び給ふ。
嗚呼、神よ、若き人の心はいかに愛に滿ち、いかに汚辱と虚榮とを忌むかを知り給ふならむ。
是に於てか、君、急かにわが前に現はれ給ふ。
主は昔御力を示して孟西を驚かし給ひぬ、されど、わが心には、罪なき一の實有とこそ見えたれ。
さすがはわれも女の生みたる子なるか、そは此時、理性も師説も、すべての妄誕も、
わが心の雄誥に對ひて、この幼兒のさし伸べたる手に對ひて、全く無力なればなり。
噫、涙、噫、情深き心、噫、涙はふり落つるこの顏容かな。
諸の信者たち、來れ、この今生れたる幼兒を尊び敬はむ、
われを君が仇と思し給ふ勿れ、われは君のいづこに在すかを辨へず、また見ず、また知らず、唯この涙に暮るゝ面を君の方に向けたり。
われらを愛する者、人誰か愛せざらむ、わが心、救世主を見て、躍り喜ぶ。諸の信者たち來れ、われらが爲に生れ出で給ふこの幼兒を尊び敬はむ。
――さてもわれは今童兒にあらず、生の央に在りて、事理分別を辨へ、
歩を停めて、力量と堪忍とを楯に直立して、各方面を眺めたり。
かくて君、われに置き給ひし心と音とを元に、
われはくさぐさの言葉を作り、説を工み、わが胸の内に、異る聲々を集めたるが、
今や長論議もはたと止みて、
われ唯孤となりぬ。君の御前に出でては、更に新らしきわが身の思して、
復音の一聲、たとへば、弓をもて、二つの絲を彈き鳴らしたるオロンの如く歌ひ出づ。
われ、世に在りて何か爲さむ、一帶の砂上に立ちて、眼常に、あのうち重なれる晶光七天を眺むるのみ。
君、今ここにわが前に在ます。われは、カルメル山に孤雲を望む牧人の心となりて、君が御爲にやをら美しき一條の歌を捧げむ、
時これ十二月寒の土用に際して、萬物の結目は縮まり竦み、夜天に星斗闌干たれど、
歡喜の心、逸散にわが身を撞きて、
今は昔、カヤパス、アンナ大司祭たり、ヘロデは、
ガリレヤに、弟ピリポ、イツリヤとトラコニチスとに、リサニヤスはアビレナに分封の王たりし世、荒野のヨハネに御言葉の降りし時の如し。
われらの奏問し奉る言葉と同じ言葉もてわれらにも、宣らせ給ふわが神よ。
君は今もわが聲を輕しめ給はず、君が幼兒のいづれもの聲、または、君が婢女マリヤの聲、
マリヤはその心の溢れ湧きて、その謹みを受け入れ給ひし嬉しさに叫びし其聲と同じやうに嘉し給ふ。
嗚呼、わが神の御母、女のうちにての女よ、
この長旅のはてに、君がわが胸に達し給ひしか。わが身の内にある代々の人々よりこの我に至る迄、一齊に呼ばはりて、君を祝福されたる者と仰ぎ奉る。
そも君が室に入るや、エリザベエタは耳を傾け、
石婦と呼ばれし者も身重になりてはや六月となりぬ。
わが心、頌歌を負ひて重く、御前にむかふも苦しげなり。
宛も乳香と炭火とに充ちたる金の香爐の重たげに、
鎖の長さに振上げられて、
次に降り來るその跡は、
濛々たる香煙を日光に漲らす如し。
主よ、口訥る萬物の中に立ちて、わが心、願はくは其言ふ所を知る者の如くあらなむ。
造化の主に對するこの大歡喜、千萬の天軍が嚴守するこの祕密は空にあらず。
嗚呼、わが言の力を、その無言の力と同じからしめ給へ。
又、萬有のすぐれてめでたき事も空にはあらず又かの虚ろ蘆莖の戰ぎも空ならず、裏海の濱アラルの麓なる古塚の上に坐して、
東方聖人は此聲を聞きながら星を考へ、大なる代の近づくを察したらずや。
されどわれは唯、ふさはしき言葉を見出で、これを見出でたるのち、唯、わが心の言葉を吐出で、
これを言出でたるのち、命を終り、又これを言出でたるあとは、頭を胸に俛れて、宛も老僧が聖祭を行ひつゝ絶命する如くならむ。
主は祝すべきかな、諸の偶像よりわれを救ひ給へり、
君を他にして、我に敬ひ尊ぶもの無からしめ、イシスにもオシリスにも、
又は「正義」「進歩」「眞理」或は「神性」「人道」「自然法則」また「藝術」にも「美」にも額づかしめず、
元來世に在らざる物又は君在さぬ爲に生じたる空虚に存在を容したまはず。
見よ、空舟を刳りて、殘る船板をアポロオンに彫り刻みし未開人の如く、
かの唯、辯を辯ずる者どもは、形状言の剩餘をもて、實體もなき多くの怪物を造りつつ、
童男童女を食とするモロックよりも虚誕にして又、殘忍なり醜惡なり、
音ありて聲無し、名あれど體無し、
荒野またすべて空なる物に住まふ不淨の氣ここに漂ふ。
主よ、君はすべての書籍、思想、偶像、祭官等よりわれを救ひ給ふ、
以色列が、「柔弱家」の軛に屈するを許し給はず、
君が死者の神にあらず、生きたる人の神なるをわれは知れり。
われは幻影と傀儡とを敬せず、ディヤナも「義務」も「自由」も牛の姿のアピスも、
又はかの「天才」かの「英雄」或は大人、超人、すべて忌はしき異形のものを敬せむや。
死の中にありてわれ自由なる能はざればなり。
われは眞に有る物の間に有りてこれをわが身に缺く可からざる物とするに努む。
われは何物をも凌駕せむとはせず、唯眞の人たるを欲す。
主が諸の實在中にありて、完く、且つ眞に、且つ生き給ふ如く眞ならむを欲す。
世上の假説何ものぞ、われは唯窓に出でゝ、夜を開き、眼にはかの一齊に列びたる數字となりて、
わが必然の一といふ係數の後に幾多の零がつづく如き無數無限の星影を映さむのみ。
げに君は晝の後に偉大なる闇を與へ、夜天の實在を示し給へど、
われ今ここに在る如く、まさしく晝もまた幾千萬の星となりて現はれ、
六千有餘の昴宿となりては寫眞紙の上に署名すること、
調書の紙に罪人が指紋を押付くる如し。
天象の觀測者は星辰の樞軸を求めて、ヘルクレス、ハルキュオオネを見出し又諸の星宿が、
司祭の肩なる鉤鈕の如く、色燦爛たる寶玉を鏤めたる莊嚴に似たるを知る。
又ここにかしこに、世界の果には創造の業終る所、星雲あり、
宛も大海の波濤荒び卷き上がりて、
後やうやく治まる時、見よ、未だ靜まらぬ潮騷の亂るる如く、
基督の信徒は信仰の天に生きたる同胞の萬聖節が行はるるを見る。
主よ、今君の奉仕者と記入されたるわれらは鉛にあらず、石にあらず、朽木のはしにあらず、
「我は仕へず」といふ姿して、自らの心を堅め得るものあらむや。
ここに死が生に克つにあらず、生が死を破するものにして、死は到底生にはむかふ力なし。
嗚呼、主は諸の偶像を破棄し給へり。
君は諸の力を其座より退け給ひ、火の中の焔さへも從へ給ふ。
港灣に掃除の行はるる時、人夫等の黒き集團は埠頭を蔽ひて、船舶の傍に立騷ぐ如く、
わが眼には星辰雲集し又無限夜天は生動す。
われは總額中の一數字の如く、この身脱する能はず、
われに課せられたる業は唯、永遠の間に行ふ可し。
われはわが務を知る、神われに信を置き給ふ如く、われまた主を信ず。
君が御言葉をこそわれは頼め、豈證書の用あらむや。
さればこそ、われら、夢の覇絆を破りて、諸の偶像を足蹴にし、十字架をもちて、十字架を抱かむかな。
それ、死の像はやがて死を來たし、生の姿は
生を産みて、神を仰ぎ見る時は、永生を生ずればなり。