現代の日本に於ては教育家というものは数え切れない程存在している。少くとも教育という問題に関心を持っている者は、他の関心の所有者に較べて圧倒的に多数だ。教育雑誌の数は雑誌の内で一等多いことは広く知られている。単行本の数も一位から三位とは下らない。
 処が一見教育に関係の深そうな啓蒙活動となると、第一にその観念が世間では一般にハッキリしていないばかりでなく、それが社会に於て占めるべき掛けがえのない位置に就いても少しも、徹底した観念が世間では行われていない。断るまでもなく、啓蒙は教育と同じ観念ではあり得ない。啓蒙というカテゴリーに這入らぬ教育や、教育のカテゴリーに這入らぬ啓蒙が大事な点であるのだ。処がそれが現代の実際社会に於ては簡単に教育というような種類の観念にブチ込まれて了ってさえもいるようだ。だが又実はそこに、この二つのものの根本的な区別の一端も亦、最もよく現われている。教育と云えば日本では多少とも国家機構の上で一定の位置を与えられた公認の社会的機能のことと考えられているのであるが、啓蒙は事実今日の日本では、決してそういう確固とした公認の社会的機能などとは考えられていない。この際啓蒙活動は精々知識の普及とか通俗化とか大衆化とかというような形で、教育家の臨時の片手間仕事位いにしか値いしないことになっているようだ。
 とにかく啓蒙の観念は全く無力だ。啓蒙は他方宣伝とも直接関係があるが、反動的支配者による悪宣伝(デマゴギー)がこれ程日常行われているにも拘らず、日本ではまだ確固たる国家機構による宣伝機関(悪宣伝機関)さえ出来ていないことは、意味があるのだ。実際は大いに行っているが、そのやり方がまだ国家機構上に目的意識化してはいない。ナチスの宣伝省に類するものはまだ存在していないのが事実だ。処でデマゴギーとは悪宣伝即ち又虚偽宣伝のことで、つまり本当の宣伝の社会的内容の入れ替ったものの意味だが、そういうものは取りも直さず、啓蒙の正反対物にも相当するわけだろう。で、啓蒙の反対物たるデマゴギーの方が、国家機構の上で目的意識化された機関を有たない時に、啓蒙や其の宣伝の方の社会的機能も亦、社会的にそういうものとして公認されないのは無理ではあるまい。日本には多数の教育者がいる。それに準じてその悪種であるポプュラライザーやお説教屋も多い。彼等はどれも国家機構の壁に這う処のつたのようなものだ。之に反して、啓蒙家というものは極めて現代日本では数が乏しいのである。彼は国家機構の壁の上で勝手に這い廻ることは許されない事情があるからだ。(私は現代の啓蒙家の代表者として河上肇博士の如きを挙げることが出来ると思う。)
 啓蒙家は教育家でないと云った。社会教育(対社会教育)や成人教育・庶民教育もそれだけでは決して啓蒙ではない。同様に又彼は学者のことでも思想家のことでもないのである――。処が他方に於て啓蒙家は又充分な意味では宣伝家乃至アジテーターとも異っていることを注意すべきだ。宣伝乃至アジテーションになれば、レーニンの有名な著書にもよく出ている通り、いつも一つの重大な政治活動プロパーの内に這入っているわけで、レヴォルション時代に於ては反国家的な機能であるが、それだけに正に政治的な活動であり、政権成就後に於ては正に一つの国家活動の要点となる処のものだ。処が啓蒙はそこまで充分には政治的ではないことがその特色だろう。
 私は以上のような点から、現代日本に於て意味を有っている啓蒙について、さし当り二つの特色を描き出すことが出来ると思う。その第一は、啓蒙というものが、国家機構に基いて社会的機能を与えられ、従って又社会的に公認された地位を占めているような、一切の意味での「教育」の類からは別なものであり、別であるだけでなく、後に見る理由を待たなくても、之と対立するものだろうと推定出来る、という特色である。いや問題は教育でないとかあるとかいう点ではない。啓蒙が政治的変革の方向を有つという[#「有つという」は底本では「有っという」]意味に於て、極めて政治的な意義を持っていなくてはならぬということが、その眼目である。之が一つ。
 夫と同時に第二の特色は、この政治的意義にも拘らず、啓蒙はその本来の性質からして(その性質の由来は後に説明しよう)、組織的宣伝などとは異って、或る限度の非政治的な機能を[#「機能を」は底本では「横能を」]指すのであって仮に之を純文化的機能と呼ぶなら、この純文化的機能が啓蒙を他の文化的及び政治的機能から区別する処の特徴だ、と云うことが出来よう。勿論啓蒙は一つの社会的機能だし且つ本当は政治的機能だ。だがその社会的・政治的・機能自身が純文化的だというのである。――さて啓蒙が、反動的文化社会による反動教育や又悪宣伝(デマゴギー)に対立するのは、今云ったこの第一の方の特色に帰着するのであるし、更に啓蒙が一般が一般に宣伝(デマゴギーさえ含めてもよいが)から区別されるのは、この第二の方の特色によってである。
 こうしてさし当りの規定を指摘して見ると、現代の日本に於て如何に啓蒙活動が本質的に欠けているか、又それに就いての観念が如何に分散的であるか、そしてそれにも拘らず今日、啓蒙活動がどれ程欠くべからざる或る必要に迫られているか、ということは、自然と気のつく処だろう。

 この二つの規定を多少展開して見る前に、啓蒙(ドイツ語の Aufkl※(ダイエレシス付きA小文字)rung に相当する言葉)という概念を少し検討して見る必要があるようである。啓蒙という日本語には特別に哲学的規定は含まれていなかったらしく、単に文明開化啓蒙と云った調子に、明治の初期に使い慣れたものであろうと推定されると思うが、(深間内基『啓蒙修身録』、藤井三郎『啓蒙雑記』、条野伝平『啓蒙地理略』、の如き)併し明治初年のこの時期が世界史的に見ても広義の啓蒙期に入れることも出来るだろうし、又その思想史の系統から云って之が所謂啓蒙期の啓蒙思想に他ならぬことは、云うまでもない。だから日本語の「啓蒙」が当時実際意味したものが何であるにせよ、之はアウフクレールングの訳に当ると云っても誤っていなかろう。
 尤も啓蒙思想は決してドイツだけのものでもなければドイツから発生したものでもない。夫は経験論乃至唯物論と並んでイギリスの地盤から発生した。ドイツはフランスを経て之を輸入したに過ぎない。処が夫にも拘らず啓蒙という言葉を云い表わすアウフクレールングというドイツ語は、他の国語では云い表わせない「啓蒙」に固有な或るものを意味している。でつまり啓蒙という事実はイギリスから発生し而もフランスに於て大きな政治的な影響を有ったが(啓蒙期はヨーロッパ諸国の文化が斉しく経験した大事な時期だが)、併しその観念は(文明とか開化とか進歩とか文化とは区別されねばならぬ)ドイツの産だ、ということになる。
 事実啓蒙という概念が何であるかに最も注意を払わねばならなかったのはドイツの哲学者である。クリスチャン・ヴォルフやメンデルスゾーンやカントがその尤なるものだ。つまり資本主義文化の啓蒙活動に於て著しく後れていた当時のドイツは、啓蒙なるものをまず新しい憧憬すべき観念として受け取らねばならなかったのであるがそれだけに啓蒙に就いての理論的分析に念を入れることも出来たし、啓蒙思想の体系的発展をも試みる理由を有ったわけだ。啓蒙期の文化である啓蒙哲学の特色の一つは、一般に就いて云えばヨーロッパ各国とも夫が非体系的で纏ったシステムを持っていなかったという点にあるが、ドイツは啓蒙哲学がシステムとして成り立った唯一の国なのである。
 私はすべて啓蒙期に於ける啓蒙哲学と啓蒙の観念との特色を説いたことがあるから、話を簡単に片づけよう(拙著「日本イデオロギー論」の内・「啓蒙論」参考)。啓蒙哲学の本質はその悟性主義につきる。と云うのは、一方に於てヘーゲルの意味での理性・弁証法的或いは有機体説的理性、の代りに、機械的な世界観と論理による物の考え方が、啓蒙哲学の歴史上の本質なのである。こういう悟性への信頼が人間の進歩を齎すというのがその信条だった。処で他方その反面として、こうした合理主義は歴史の発展を一つの必然性と見る代りに、之を単なる缺陷誤謬偶然等々と見做し合理的な見地から云って払拭清算されるべき過去と見ることとなる。歴史的必然の無視がこの合理的進歩主義の一つの著しい結論だ。要するに当時は新興ブルジョアジーがまだそれ程に自信を有ったのである。
 之は啓蒙期という一つの歴史上の時代に於て、歴史的に実際に現われた形態としての、啓蒙哲学の特色である。無論之を以て、形式的に一般化して考え得るだろう啓蒙的思想全般へ及ぼすことは、意味があるまい。まして現代の又特に日本にとって必要な啓蒙活動の根柢にも亦、この特色がひそんでいると推断することは、一種の歴史主義的な色眼鏡か迷信だろう。啓蒙哲学の有っていた歴史上の実際の意義は、人間悟性(之に就いてはホッブズ・ロック・バークレー・ヒューム・それからカント達が一様に論じ立てた)の人間社会発達に於ける役割を、本当に発見したことにあるのであって、当時としてはまだ、之をわざわざ理性から区別しようとか、歴史的観点を無視しようとかいう、動機があったわけではない。そういう規定は後になって歴史家が発見したのであって、当時の本当に歴史的な動機ではなかった。でもしこの歴史的動機に[#「動機に」は底本では「動横に」]従って、善良に(?)啓蒙哲学の精神を理解するなら、啓蒙というものに就いての今日でも生きていなければならぬ生命を、そのまま殺さずに取り出すことが、或る程度まで出来るだろうと思われる。
 人間悟性への信頼なのだが、之はつまり人間性に対する新しい形の信頼だったわけだ。今日ヒューマニズムが提唱されるとすれば、そして夫がルネサンス期のヒューマニズムとはおのずから異ったヒューマニズムだというなら、そして又ルネサンスの方もルネサンス期には限らず今日でも来るものだと云うなら、この啓蒙思想という人間悟性の信頼は、今日でも生きていなくてはならぬ筈だ。ただ人間悟性をどういう角度から信頼するかということが、今日必要な啓蒙思想と、歴史上の啓蒙期の夫とを区別するだけだ。だが、そういう意味で今日最も啓蒙的な実力を有ったものが、マルクス主義哲学であることを思うなら、この区別が何であるかは、今ここに特別な説明を必要とはしないだろう。
 併し之は啓蒙思想に就いてであって、まだ必ずしも啓蒙自身の概念に就いてではない。と云うのは、この概念はドイツ哲学によって哲学的に解明されたのだと云ったが、このドイツ哲学的な啓蒙概念は、吾々が哲学思想から惹き出し得る規定とは必ずしも一つではないからである。そこには更にもう一つの限定が加わるのである。之を最もよく云い表わしたものはカントの「啓蒙とは何か」という懸賞応募論文なのだが、夫による啓蒙活動の特色は、要するに政治的活動でないばかりでなく政治的活動であってはならぬのであり、夫は専ら言論文章だけによる活動以外のものであってはならぬ、というのである。政治的革命の如きは彼によるとだから正に啓蒙活動の反対物であり、啓蒙活動を阻害するものであり、結局文化の単なる破壊者に過ぎぬというのであって、文筆言論だけによる処の啓蒙活動のみが、文化を発展させることが出来る、という結論になる。――ここで見られるのは、啓蒙活動の対象は専ら文化人(プブリクム)だけであるべきであって、啓蒙の対大衆的活動はあまり意味のないものとさえなって了いそうだということである。之では啓蒙とは要するに国家による教育という類のものと大して変ったものではなくなり、政治的変革の一つの動力としての意義は完全に見失われる。事実カントなどは、啓蒙活動に於いては、全く封建プロシャ的にも、「啓蒙君主」の恩恵に最後の望みをかけているのだ。そこには民衆による「政治」の観念がない。
 なる程、フランスのアンシクペディスト達は大部分政治的活動分子ではなかった。当時はまだその時期でなかったからだ。だが彼等の企てた処は、啓蒙君主の恩恵などをあてにしたカント的啓蒙活動でなかったことだけは確実である。彼等の啓蒙は市民の政治的進出の兵器工廠の一つに他ならなかったのだ。これが啓蒙なるものの当時の生きた本質であり、そして今日でも生きているべきである本質だが、処がドイツ哲学によると、啓蒙の概念はそういう本質とは何の関係もないものとなって了っている。で之は啓蒙という歴史的事実を忠実に云い表わす妥当な概念ではなかったと云わざるを得まい。
 啓蒙の観念から政治変革的な本質を抜き去ったことは、如何にも十七八世紀ドイツ観念哲学に相応わしい所作であり、プロシャ的観点からすれば必然な所作であり、それ故に世界の進歩史から見れば必然的に誤謬だったわけだ。併し、この誤謬も火のない処に立った烟のような意味に於ける嘘や作りごとではないことを、注意しなければならぬ。実際、啓蒙が宣伝其他と異る処は、それの或る限度に於ける非政治的特色であった。今それはこうだ。――啓蒙活動の実際的な形態を取って見れば、夫は専ら文筆言論活動なのであるが、啓蒙は之によって出来るだけ多数の大衆を動かすことが必要であることは当りまえだ。そう考える限り、啓蒙を政治的言論活動から区別するものは一寸ないようにも見える。だが、今特に政治的機能を特色とする大衆的言論の諸形態を並べて見ると、オルガニザチヨンの次に、アジテーション、それからプロパガンダという系列となるだろう。レーニンによれば、プロパガンダは数百人を目安として物を考えることであり、アジテーションは数万人を、之に対してオルガニザトールや、レヴォルチヨンスフューラーは数百万大衆を、目安として物を考えねばならぬという。その際プロパガンダはアジテーションに較べて遙かに原則的であり、後者の戦術的スローガンを前者は戦略的分析にまで結びつけるものと云われている。で、プロパガンダはアジテーションより、そしてアジテーションはオルガニザチヨンより、より原則的であり、即ち又時局の時々刻々のアクチュアリティーからそれだけ離れていることになる。処で啓蒙はプロパガンダにも増して、この意味に於て、より原則的であり、従って又それだけ非時局的なので、アジテーションが戦術的スローガンを、プロパガンダが戦略的分析を、内容とするなら、啓蒙は云わば戦備的教養を内容とするとも云うことが出来よう。従って之はそれだけ一応、戦場的な意味での政治的特色を減じることになる。啓蒙はオルガニザチヨンやアジテーションにも増して、多数大衆を対象とする筈だが、それにも拘らずその内容は、プロパガンダ以上に原則的であり非時局的なのだ。啓蒙がプロパガンダ・アジテーション・オルガニザチヨン等々の系列に横わる政治的言論活動と異って、所謂純文化的活動なる所以が之だ。
 この本質は見逃すことは出来ないわけであるが、併し啓蒙のこの本質をハッキリと認定してかかるということと、一切の言論・文化・更に政治活動までが凡てこの啓蒙の本質によって蔽われねばならぬと推理することとは全く別だ。啓蒙の本質を把握し之を活用することと、啓蒙主義に陷ることとは別だ。政治活動は啓蒙活動にのみ俟たねばならぬとか、啓蒙は政治的活動からは独立であるべく、その意味に於て純然たる文化活動以外のものであってはならぬ、とかいう啓蒙主義は、自由を主張することが自由主義になったり、ヒューマニティーの強調が人間学(主義)になったり、議会政治の尊重が議会主義になったり、経済活動の充実が組合主義になったりするような、極めて危険な論理的な虚偽なのである。――カントの如きは啓蒙の概念を定着するに際して、之をプロシャ化さねばならなかったために、啓蒙の一応非政治的であるという実は極めて活動的な規定をば人の油断している間に、却って極めて制限的な規定にすりかえて了ったのだ。かくてカントは、啓蒙が一切の意味に於て非政治的であるということを、即ち政治的変革のファクターではなくてただの文化的向上の槓杆だということを、啓蒙的にシステマタイズして了ったわけだ。
 つまりカント風の解明によると、啓蒙の一応の非政治的特色(之は実はそれが一つの政治的活動であるが故にこそ必要な特色だ――丁度文学が本当に政治的な活動力を有つためには[#「有つためには」は底本では「有っためには」]下手に政治的になることは許されないように)を逆用して、之を本当に非政治的な特色へ引き直して了う。啓蒙の本来の政治的本質はどこかへ行って了う。丁度日本の「政治」が政治の名の下に却ってその政治的本質を隠して了っているので、もはや之を政治とは云い得ないように(代議士達のやっていることは政治であるか※(感嘆符二つ、1-8-75))、啓蒙も亦、わずかに「政治家式」の所謂「政治」のような意味に於てしか政治的ではなくなる。それが何か教育とかポプュラリゼーションとか其他其他というものに帰しそうになる所以なのだ。

 いつの場合でもそうあるべきだったのだが、特に今日、啓蒙と呼ばれるべきものは、ただの知識の普及ということであってはならない。政治的見識の大衆的普及ということでなくてはならぬのである。単にアカデミックな知識を一般の素人にも分譲するということなら、夫は何等啓蒙活動ではない。啓蒙とは知識なり見解なりをある一定の政治的な意図の下に、大衆に普及することであり、その際その知識なり見識なりは一定の政治的機能を[#「機能を」は底本では「横能を」]果すことによっておのずから広義の政治的見識へ編入されるのである。だからアカデミックな知識のポプュラリゼーションは殆んど啓蒙活動の態をなさぬが之が正当な意味に於けるジャーナリズム(但し現在のブルジョア・ジャーナリズムの要素の大部分は正当にジャーナリスティックな機能を果していないが)の一ファクターとなる時、それはやや啓蒙活動の性質を帯びて来る。この時啓蒙活動の相手となるものは、もはや一般素人というものではなくて、民衆であり人民であり大衆である。この後のものはジャーナリスティックな(新聞と政治的見解との連絡に注目)又政治的なカテゴリーなのである。前者は之に反して、単にアカデミシャンの有ちそうなカテゴリーにすぎぬ。
 今日日本に於てなぜ啓蒙活動が必要かと云えば、一切の社会的デマゴギー(民衆の愚昧化を条件として、根本的に虚偽である処の、而も卑俗に尤もらしい処の、固定観念と流行語とを人民に教え込むことだ)と対抗するためである。夫は民衆の真の利益を自覚に齎すための一つの不可欠の手段のことなのである。そして今日一切の社会的デマゴギーは結局に於てファッショ的言論へと統一されて行きつつある。ヒトラーは先日ニュルンベルグのナチ大会で、ボリシェヴィズムはユダヤ人のものであるが故に之を打倒せねばならぬと「獅子吼」したそうだが、こうしたものが一九三六年度の世界的デマゴギーの特徴をなすだろう。
 ではこうしたファッシスト・デマゴギー(その背後にはファッシスト的社会・政治・活動の一連が控えている――例えば国家は資本家ではない、国立の工場では労資の区別はない、そこでは対資本家的労働組合は不合理だ、等々)に対抗する唯一のものが、最上のものが日本では啓蒙活動なのか。日本では民衆の利害のためのプロパガンダは許されないか、人民の利害についてのアジテーションは許されないか、人民のオルガニザチヨンは許されないか。――私は今ここで、こうした政治上の見解に触れることは出来ぬ。だが少くとも、わが国の現下の事情に於て、オルガニザチヨンやアギタチヨンやプロパガンダ等の特に政治的な言論活動形態と平行して、特に必要で又特に現実味のあるものが、活動活動だろうということは、常識的にも承認出来ることではないかと考える。ファッシズム反対の広汎な民衆のフロントが問題になる時、この一応非政治的で純文化的な政治的文化活動こそ、その処を得て最も有効に活躍し得る時であり又、しなければならぬ時でもあると考えられる。フロンポピュレールの活動に於て、例えばフランスのように(又わが国の場合では往々批難さえされている処だが)、文化運動の意義の重大さが特に認められていることは、理由があるのである。
 処が今日までわが国に於ける啓蒙活動は、決して目的意識的ではなかった。事実の問題としては相当の啓蒙的実績は挙げているのであり、例えばプロレタリア文学などが果した啓蒙的効果は絶大なものであったが、それすらが実は啓蒙活動という自覚の下に行われたのではなくて、啓蒙的効果は云わば思わぬ収穫として残ったというまでだ。その理由はさし当り、啓蒙という観念の有っているその政治的な特色とそれの一応の非政治的純文化的特色とのからみ合いがリアリスティックに的確に把握されていなかったことにより、又幸か不幸か、今日までそういうリアリスティックな把握を強制されるような情勢に立つ[#「立つ」は底本では「立っ」]ことがなかったということにあるのである。――今日は啓蒙という特殊の文化活動の様式が、プロパガンダ(宣伝)やアジテーション其他と併んで、独自の社会的意義を公認され得る条件を具えており、従って又この社会的意義を活用し得又活用しなければならぬ時期でもあるようだ。
 各種のジャーナリズム機構、独りプロレタリヤ・ジャーナリズム(に限らずブルジョア・ジャーナリズムさえ)の意識的活用其他が、啓蒙活動に固有な様式となる。今日所謂「合法的出版物」(その意味は現在極めて曖昧であるが)なるものの意味の重大性はここにあるだろう。比較的に原則的な又或る限度までしか時事的でない啓蒙活動の、素材乃至内容は、この様式の下にあっても相当運用の効果を挙げることが出来るだろうと考える。
(一九三六・九)

底本:「戸坂潤全集 別巻」勁草書房
   1979(昭和54)年11月20日第1刷発行
初出:「饗宴」
   1931(昭和6)年9月号
入力:矢野正人
校正:Juki
2012年7月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。