あらすじ
銭形平次は、ガラツ八が商売で儲けたという大金に疑いを抱きます。ガラツ八は、錆び付いた脇差を十両で売ったと主張しますが、平次はその裏に隠された真実を探ろうとします。やがて、脇差を買った男・吉三郎が毒殺されたことが発覚し、事件の真相が明らかになっていきます。平次は、吉三郎の妻・お由から聞き出した情報をもとに、犯人を追いつめるのですが、その過程で自身の家まで燃やされてしまうのです。果たして、平次は犯人を捕まえ、事件の真相を明らかにできるのでしょうか?
「親分、近頃金の要るやうなことはありませんか」
 押詰つたある日、錢形平次のところへノツソリとやつて來たガラツ八の八五郎が、いきなり長い顎(あご)を撫(な)でながら、こんなことを言ふのです。
「何だと? 八」
 平次は自分の耳を疑ふやうな調子で、長火鉢(ながひばち)に埋めた顏をあげました。
「へツ/\、へツ/\、さう改まつて訊かれると極りが惡いが、實はね、親分。思ひも寄らぬ大金が轉がり込んだんで」
「大きな事を言やがる。お上の御用を承(うけたま)はる者が、手弄(てなぐさみ)などしちやならねえと、あれほどやかましく言つて居るぢやないか」
「博奕(ばくち)なんかで儲けた金ぢやありませんよ、飛んでもない」
 ガラツ八は唇(くち)を尖(とが)らせて、大きく手を振りました。
「それぢや、富籤(とみくじ)か、無盡か、――まさか拾つたんぢやあるまいな」
「そんな氣のきかない金ぢやありませんよ、全く商法で儲(まう)けたんで」
「何? 商法? 手前(てめえ)がかい」
「馬鹿にしちやいけません、かう見えても算盤(そろばん)の方は大したもので。ね、親分、安い地所でもありませんか、少し買つて置いてもいゝが――」
「馬鹿野郎、二朱や一分で江戸の地所が買へると思つてゐるのか」
「二朱や一分なら、わざ/\親分の耳には入れませんよ。大晦日(おほみそか)が近いから、少しは親分も喜ばしてやりてえ――と」
「何だと?」
「怒つちやいけませんよ、ね、親分。錢形の親分は交(まじ)りつけのねえ江戸つ子だ。不斷は滅法威勢がいゝが、宵越(よひごし)の錢を待ちつけねえ氣前(きめえ)だから、暮が近くなると、カラだらしがねえ。さぞ今頃は青息吐息(あをいきといき)で――」
「止さねえか、八。言ひ當てられて向つ腹を立てるわけぢやねえが、人の面(つら)をマジマジと見乍ら、何てエ言ひ草だ」
 平次も呆氣(あつけ)に取られて、腹を立てる張合ひもありません。それほど、ガラツ八の調子は、ヌケヌケとして居りました。
「箱根ぢや穴のあいたのを用立てたが、今日のはピカリと來ますぜ。親分、此通り」
 さう言ひ乍らガラツ八は、内懷から拔いた野暮(やぼ)な財布(さいふ)を逆(ぎやく)にしごくと、中からゾロリと出たのは、小判が七八枚に、小粒、青錢取交ぜて一(ひ)と掴(つか)みほど。
「野郎、何處からこれを持つて來やがつた」
 平次は矢庭に中腰になると、長火鉢越しに、ガラツ八の胸倉(むなぐら)をギユーツと押へたのです。
「あ、親分、苦しい。手荒なことをしちやいけねえ」
「何をツ、此野郎ツ。何處で盜んで來やがつた、眞つ直ぐ白状しやがれツ」
 平次の拳(こぶし)には、半分冗談にしても、グイグイと力が入ります。
「盜んだは情けねえ、親分、こいつは間違ひもなく商法で儲けた金ですよ」
 ガラツ八は大袈裟(おほげさ)に後手を突いて、斯う辯解を續けました。
「岡つ引に商法があつてたまるものか。盜んだんでなきや、何處から持つて來た。さア言へツ」
「言ふよ、言ひますよ、――言はなくて何(ど)うするものですか、――おう痛てえ、喉佛(のどぼとけ)がピリピリするぢやありませんか」
「喉佛の二つや三つローズにしたつて構ふことはねえ。さア言へ」
「驚いたなア、持ちつけねえ金を持つと、喉佛(のどぼとけ)に祟(たゝ)るとは知らなかつたよ」
「無駄はもう澤山だ。金を何處から出した、それを早くブチまけてしまへ」
 平次が躍起(やくき)となるのも無理のないことでした。正直と馬鹿力を取得のガラツ八が、萬々一、その頃の岡つ引の習慣(しふくわん)に引摺り込まれて、うつかり役得でも稼(かせ)ぐ氣になつたら、貧乏と片意地を賣物にして來た、平次の顏は一ぺんに潰(つぶ)れることでせう。
「親分、心配するのも無理はねえが、これは筋の惡い金ぢやありません。實は親分も知つて居なさるあつしの赤鰯(あかいわし)を、望み手があつて賣つたんで」
「何? 手前(てめえ)の脇差を賣つた?」
「へエ――去年の暮、柳原の古道具屋を冷かし損(そこ)ねて買つた、あの脇差が、十兩になるとは思はなかつたでせう」
 ガラツ八の鼻は蠢(うご)めせます。
「手前が二分で買つて、ひどく腐(くさ)つて居たあの脇差が、十兩になつたといふのか」
「その通りですよ、親分。あの脇差を見た人があつて、恐ろしく錆(さ)びて居る上に無銘(むめい)だが、彦四郎貞宗(さだむね)に間違ひはない、若し間違ひだつたら、俺の損(そん)といふことにして、現金十兩で買ふがどうだ、といふ話でさ」
「フーム」
「本當に貞宗だつた日にや、十兩で賣つちや大變に損(そん)だから、一日待つて貰つて、知り合ひの刀屋を二三軒當つて見ると、――飛んでもない、そいつは備前物(びぜんもの)で、彦四郎でも藤四郎でもある筈はねえ。その上日本一の大なまくらだから、鍋(なべ)の尻を引つ掻くより外に役に立たない代物(しろもの)だ。望み手があるなら、拵(こしら)へごと一兩で賣つても大儲(おほまう)けだ――と言ふんで、思ひ切つて手離しましたよ、親分」
「呆(あき)れ返つた野郎だ。手前はその刀屋の鑑定(めきゝ)を、相手に言はなかつたのか」
「言ひましたよ。念入りに輪をかけて言つてやつたが、相手は少しも驚かねえ――彦四郎貞宗でなきや、師匠の五郎入道正宗だらう。折角見込んだ品だから十兩が二十兩でも買つて置きてえと斯(か)うだ」
「――」
「ね、親分。こんな正直な商法はないでせう」
「――」
「生れて初めて入つた十兩の金だ。一人で費(つか)つちや冥利(みやうり)が惡いから、取あへず親分に見て貰ふつもりで持つて來ましたよ。ね、何んか斯(か)う役に立てるやうな口はありませんか、親分、差當り拂ふ當がなかつたら、地所を買ふとか、家を建てるとか――」
 ガラツ八は悉(こと/″\)くいゝ心持でした。七八枚の小判を疊の上へ並べたり、重ねたり、チヤリンと叩いて見たりするのです。
「止してくれ、俺はその音を聞くと蟲が起きるよ」
「へツ、負惜(まけをし)みが強いね、親分」
「馬鹿な野郎だ。八兩や十兩で、江戸の眞ん中に家が建つ氣で居やがる」
「家なんか建たなくたつて構やしませんよ。これ丈けありや大福餅(だいふくもち)を買つても、隨分出がありますぜ」
「呆れて物が言へねえ、――だがな、八。見す/\大ナマクラと知つて、手前の脇差を十兩で買ふのは少し變ぢやないか」
「變ぢやありませんよ。氣に入りや、跛馬(びつこうま)だつて買ひますよ」
「待つてくれ、――こいつは少し臭いぞ」
 錢形平次はもう一度長火鉢に顏を埋めました。暮のやり繰(くり)と違つて、こいつは何うやら思案の仕甲斐がありさうです。それを眞似するともなく、八五郎も高々と腕を拱(こまぬ)きました。
 疊の上に並べた七八枚の小判も、何となく引込みのつかない姿です。

「八、近頃何か變なことがありやしなかつたか」
 平次は改めてかう訊きました。
「變な事?」
「例(たと)へば、手前が嗅ぎ出した犯人(ほし)とか、腑(ふ)に落ちないと思つた事とか――」
「ありませんよ」
「何かの證據を握るとか――」
「なんにも握りやしませんよ」
 ガラツ八はあまりにも屈託(くつたく)のない顏です。
「そんな筈はないが、――待てよ、その、手前から脇差を買つたのは誰だい」
「濱町の吉三郎、――遊び人で」
「吉三郎なら知つてゐる。賭事(かけごと)もしない樣子だが、妙に金廻りのいゝ野郎だ、――その吉三郎と何處で知合になつた」
「髮結床(かみゆひどこ)で、――あつしと丁度互先(たがひせん)といふ碁(ご)ですよ」
「手前、濱町まで顏を剃(あた)りに行くのかい」
「いえ、吉三郎の野郎が町内の錨床(いかりどこ)まで來るんで、――あすこの親方の剃刀(かみそり)がたまらねえつて」
「錨床の親方は、髷(まげ)はうまいが、剃刀は下手(へた)ぢやないか」
「あつしもさう思ふんですがね」
「ところで、吉三郎は、何か手前に頼みはしなかつたか」
「いゝえ」
「少し變だな、八。脇差(わきざし)を賣つた時、何か言つた筈だと思ふが――」
 平次の問ひは次第に核心(かくしん)に觸れて行きます。
「言ひましたよ、あつしの煙草入れの根附(ねつけ)を見て、そいつは氣に入つたから、脇差と一緒に讓(ゆづ)つてくれ――一つて」
「あの牙彫(けぼり)の――」
「どうせ濱町河岸で拾つた品だから、脇差へおまけにつけましたよ」
「濱町で拾つた?」
「へエ――」
 ガラツ八の話は少し變つて居ります。――『一と月ばかり前、夜釣(よづり)に行つた歸り、白々明けの濱町河岸に船を着けたことがありました。その時自分の船より一と足先に岸へ漕(こ)ぎ寄せた傳馬が、炭俵と米俵を二十五六俵(べう)陸(をか)へ揚げて、サツサと大川を漕ぎ戻つたのを見てゐると、足元の石垣の上に、牙彫(けぼり)の圓いものが一つ、危ふく水に落ちさうに引つ掛つて居た』――といふのです。
 拾つて見ると、丁度手頃な根附で、眞中に穴まであいて居りますが、彫刻(てうこく)は怪奇を極めて、唐草模樣(からくさもやう)と鬼のやうな縮(ちゞれ)つ毛(け)の人間の首と、それから得體の知れない髯文字(ひげもじ)がベタ一面に彫(ほ)つてあつたのを、暢氣(のんき)なガラツ八は、自分の煙草入れに附けて、そのまゝ腰に挾(はさ)んで歩いて居たのでした。
「何だ、拾つたものをそのまゝ腰へブラ下げて居たのかい」
 平次も少し呆(あき)れましたが、今に始めぬガラツ八の暢氣(のんき)さが、腹を立てるにしても、少し馬鹿馬鹿しかつたのです。
「どうせ馬の骨か牛の骨に細工をしたものですよ。吉三郎は三拜九拜して持つて行つたが、あんなものが何かになりますか、親分」
「呆れた野郎だ」
 平次は誰へともなく斯(か)う言ひました。
「こんな事が商法になるなら、江戸中の古道具屋を漁(あさ)つて、安物の脇差をうんと買ひ集めようかと思ふが、どんなもので」
「いゝ加減にしないか、八。吉三郎の狙つたのは、赤鰯(あかいわし)ぢやなくて牙彫(けぼり)の根附だつたかも知れないな――兎に角、十兩の金を持つて行つて、脇差と根附けを買ひ戻して來るがいゝ」
「三日も前のことですよ、親分」
「三日前だつて、三年前だつていゝぢやないか」
「十兩の金が、三日もあつしの手に無事で居るわけはないぢやありませんか」
「仕樣のねえ野郎だ、いくら費(つか)つたんだ」
「店賃(たなちん)と米屋酒屋の拂ひと、煙草を一つと大福餅を十六文買つて、一兩二分と六十八文」
「いやに刻(きざ)みやがつたな、――お靜、一兩二分と六十八文、お前のところにないか」
 平次はお勝手の方へ聲を掛けます。
「お前さん、――そんな事を言つたつて」
 お靜の聲は口の中に消えました。差迫(さしせま)る大晦日(おほみそか)を控(ひか)へて此處も大世話場の眞最中だつたのです。
「氣のきかねえ事を言ふな、何のために質屋(しちや)が暖簾(のれん)を掛けて置くんだ。俺の着替(きがへ)をそつくり持つて行きや――」
「でも、あと三日で年始廻(ねんしまは)りぢやありませんか」
「この正月は風邪(かぜ)を引くことにするよ」
「――」
 お靜は默つて出て行つた樣子でした。
「濟まねえ、親分」
 ガラツ八は萎(しを)れ返つて、平手で額を叩いて居ります。
「こいつは罠(わな)だつたのさ、八。これからも氣をつけることだ、――なアに、お靜のことなんか心配することがあるものか、こちとらの女房は、貧乏や十手には馴れつこだよ」
 平次はさう言つてカラカラと笑ふのでした。

「た、大變だ、親分」
「又大變の大安賣が來やがつた、――何だい、八」
 十兩に纒(まと)めた金を握つて、濱町の吉三郎のところへ驅けて行つた筈の八五郎が、半刻(はんとき)も經たないうちに、面喰つた旋風(つむじかぜ)のやうに舞ひ戻つて來たのでした。
「こいつは驚くぜ、親分。吉三郎が昨夜(ゆうべ)死んだんで」
「何?」
 平次もさすがに立ち上がりました。
「下手人は鐵砲汁(てつぱうじる)さ」
「河豚(ふぐ)の毒にやられたのか」
 大きな失望が、平次の顏をサツと翳(かげ)らせます。
「友達が三人で河豚鍋を突つき乍(なが)ら、一杯やらかしてゐるまではよかつたが、その晩吉三郎が毒に中つて、七轉八倒の苦しみ、夜明け前に息を引取つたといふことですよ」
「あとの二人は何うした」
「無事だつたさうで」
「誰と誰だ」
「そいつは聞かなかつた」
「行つてみよう、八。どうも俺には腑(ふ)に落ちない事だらけだ」
 平時は帶を締め直して、草履(ざうり)を突つかけました。
「河豚で死んだと解つても――ですかい、親分」
「河豚だつていろ/\あるよ。後學のためだ、一緒に來るがいゝ」
 二人はそのまゝ、濱町の吉三郎の家へ飛んだことは言ふ迄もありません。
 吉三郎の派手な生活(くらし)に似ず、家は至つて地味で、贅澤ではあるが、何となく粹好(いきごの)みでした。附合ひがあまりなかつたものか、集まつて居るのは、ほんの近所の人達が二三人。それも平次とガラツ八の姿を見ると、妙に掛り合ひを惧(おそ)れるやうに、コソコソと姿を隱してしまひます。
「飛んだことだつたな、お神さん」
「ま、錢形の親分さん。飛んだことになつてしまひました」
 女房のお由。二十五六の良い年増が、顏を擧げることさへ出來ない樣子で、逆(さか)さ屏風(びやうぶ)の中に泣き崩(くづ)れて居るのでした。
「昨夜の客は誰と誰だい」
 平次は形ばかりの線香をあげてから、かう靜かに訊きました。
「それが、よく、わかりません」
「はて?」
「ちよい/\見かけるお顏ですが――」
「年の頃は」
「二十七八と五十二三」
「河豚(ふぐ)は何處から買つたんだ」
「年を取つた方のお客が持つて來ました。竹の皮包みにして、――今日漁(と)つたばかりのを、知合からわけて貰つて來たが、よく洗つてあるから大丈夫だ――と言つて」
「確かに三人で食つたのだね」
「それはもう間違ひもありません、大層おいしいから、私にも是非とすゝめましたが、私は河豚(ふぐ)と雲丹(うに)は我慢にもいけません」
「二人の客が歸つてから、毒が利(き)き始めたのか」
「え」
「河豚の殘りがあるだらう、生(なま)でも煮(に)たのでも構はねえ、チヨイと見せて貰はうか」
 平次は妙に執拗(しつあう)に突つ込みます。
「それが、その殘つたのを、皆んな竹の皮に包んで持つて行つてしまひました」
「吉三郎は河豚をちよい/\やるのかい」
「いえ、生れて初めてださうで、ひどく嫌がつて居りましたが、二人に笑はれて我慢に食べたやうです。でも、一と箸(はし)二た箸食ひ始めると、――こりや飛んだうまいや、鮟鱇(あんかう)そつくりだ――そんな事を言つてました」
「鮟鱇そつくりと言つたのかい」
「それから酒の味がどうも變だ、舌のせゐかしらとも言つてゐました」
 女房のお由は進まない樣子乍ら、問はるゝまゝに説明しました。
「三人で一つ鍋(なべ)を突ついたのだらうな」
「え、それなのに、中(あた)つたのが一人は情けないぢやありませんか」
「二人が無事とどうしてわかつた」
「何處で噂を聞いたか、今朝お二人はあわてて飛んで來ました。御近所の衆も御存じですが、何か宿が預かつたものがあるとか言つて、佛樣の懷までかき廻して行きましたが。――」
「それが見付かつたのかい」
「そこまでは解りません」
 話が次第にこんがらかつて、そして微妙になつて行きます。
「おや? この脇差ですよ、親分」
 ガラツ八は死骸の枕元に置いてあつた、魔除(まよ)けの脇差を取上げました。言ふまでもなく三日前にガラツ八が吉三郎に賣つた、十兩の赤鰯丸(あかいわしまる)です。
「そいつには大した用事がなかつたんだよ。ところでお神さん、毒は何刻(どき)ほど經つて利き始めたんだ」
「鍋が空になると、二人のお客はすぐ歸りました。それを送つて出ると、上り框(かまち)で引ツくり返つた切り――」
「矢張り身體が痺(しび)れたんだね」
 お由の聲が涙に途切れるのを、平次は慰め顏に言ふのでした。
「いえ、痺れもどうもしません。急に腹の中へ火が付いたやうだと言つて、目も當てられない苦しみをしましたが、到頭黒血を吐(は)いて夜明け前に息を引取りました」
「醫者は?」
「町内の玄道(げんだう)さんに診(み)てもらひましたが、何の役にも立ちません」
 お由はこれだけ言ふのが精一杯でした。平次の問ひが途切れると、吉三郎の死骸に獅噛(しが)みつくやうに、時々は聲を立てて泣いて居ります。

「親分、河豚汁(ふぐじる)ぢや十手捕繩にも及ばないぢやありませんか」
 吉三郎の家を出ると、ガラツ八はもう天下泰平(たいへい)の顏になつてゐるのでした。
「手前はさう思ふのか」
「だつて親分」
「だから幾年經つても、大物は擧(あ)がらねえのさ」
 錢形平次は八五郎の鈍骨(どんこつ)を愍(あはれ)むともなく、かう言ふのでした。
「へエ――、すると、何か變なことでもあるんで?」
「其邊に居る町内の人達に、今朝吉三郎の家へ來た、二人連れの人相を訊くがいゝ。その邊が手繰(たぐ)りどころだ」
「へエ――」
 ガラツ八は吉三郎の家の裏口へ廻りましたが、やがて、狐につまゝれたやうな顏をして戻つて來ました。
「どうした、八?」
「變ですぜ、親分。今朝此處へやつて來て、佛樣の懷までかき廻して行つたのは、三十前後の凄(すご)い年増と、四十恰好の浪人者らしい男ださうですよ」
「それ見るがいゝ」
「吉三郎夫妻とは餘つ程眤懇(ぢつこん)の樣子で、時々此家へ來るさうですよ」
「所、名前は?」
「そいつは解らねえ、――お由を締め上げてみませうか」
「無駄だよ、止すがいゝ。それに亭主の死骸の側で手荒なことをしちや、いかに御用でも寢醒(ねざ)めがよくねえ」
「親分は相變らず弱氣だ」
「それでいゝのさ、氣が強くて考へが淺かつた日にや、岡つ引は罪ばかり作るよ」
 平次はそんな事を言ひ乍(なが)ら、町内の本道、町野玄道を訪(たづ)ねました。
 吉三郎毒死の顛末(てんまつ)を細々(こま/″\)と訊くと、
「親分、あれはどうも腑(ふ)に落ちないよ、河豚(ふぐ)の毒ばかりではなかつたやうだ」
「すると、何か外の毒でも盛られた樣子で?」
「いや、さう言ふわけぢやない。第一あんな激しい毒藥は、江戸中の生藥屋(きぐすりや)を搜したつてない――南蠻物(なんばんもの)なら知らないが――」
「南蠻物?」
「矢張り河豚にして置く外はあるまい。三人で食つて一人しか中(あた)らないといふのは、河豚の外にはないことだ。鍋(なべ)の中に外の毒が入つてゐたなら、三人が三人ともやられる筈だ」
 玄道は大きな坊主頭を振るばかりです。
 平次とガラツ八はもう一度吉三郎の家へ戻りました。が、お由はもう白い眼を見せるだけで、二人の問ひにもろくに答へてはくれず、親類縁者も、友達もない樣子で、話を手ぐり出す工夫もありません。
「お神さん、もう一つ二つ訊きたいが、お前さんところの宗旨(しうし)は何だえ」
 平次はつかぬ事をきくのでした。
「門徒(もんと)ですよ、今お寺樣が來ますから、お宗旨の事ならそつちへ訊いて下さい」
 少し劍もほろゝです。
「江戸には親類もないんだね」
「あつたつて遠い身寄は音信不通で、附合つちやくれません。尤も長崎には亭主(やど)の弟が居ますが、お葬式(とむらひ)に間に合ふわけはなし」
「そいつは氣の毒だ」
 そんな事を言ひ乍ら、家の中を念入りに見ましたが、ひどく裕福(ゆうふく)らしいといふ外には、何の變つたところもなかつたのです。
「吉三郎は遊び人で通つてゐたが、勝負事は好きぢやなかつたさうだ。立入つたことを訊くが、世過ぎは何でやつて居たんだ」
 平次の問ひはかなり突つ込みます。が、
「私にも解りませんよ。金の成る木でも持つて居たんでせう」
 お由は空嘯(そらうそぶ)いて相手にしさうもありません。
「もう一つ、三日前に八五郎が、この脇差と牙彫(けぼり)の根附(ねつけ)を一つ、十兩で吉三郎に賣つたさうだ。少しわけがあつて、それを返して貰ひたいんだが」
 平次は十兩の金をお由の前に押しやつて、相手の出やうを待ちました。
「勝手にその脇差を持つて行つて下さい。尤(もつと)も牙彫の根附なんかは知りませんよ」
「確かに持つてゐた筈だが――」
「親分も、佛樣の懷が見たいんでせう。勝手にするがいゝ、馬鹿々々しい」
 お由は氣が立つて居るらしく、かう言つてプイと座を立ちました。
「見ませうか、親分」
 立ちかゝる八五郎。
「無駄だらう、今朝拔かれてしまつたよ、――赤鰯丸(あかいわしまる)なんか持つて行つても仕樣があるまい、――十兩の金さへ返しや氣が濟む。さア歸らうか、八」
 平次はもう何の未練氣(みれんげ)もなく立ち上がるのでした。

 その日半日、平次は何處ともなく飛んで行つてしまひました。ガラツ八は吉三郎の家を宵まで見張りましたが、町内の百萬遍(まんべん)の講中が來たのと、お通夜(つや)の小坊主が、お義理だけの經(きやう)をあげた外には、何の變りもありません。
 フラリと平次の家へ來たのは亥刻(よる)少し過ぎ、食はず飮まずで見張つてゐてひどく疲(つか)れて居ります。
「親分は?」
「まだ戻りませんよ。入つて待つてゐて下さいな、八さん」
 お靜の蟠(わだかま)りない調子に、八五郎はいつものやうにヌツと入つて長火鉢の前に頬杖(ほゝづゑ)を突きました。
「何處へ廻つたらうなア」
「お支度は、八さん」
 お靜はそれに構はず、腹の減つてゐるらしい八五郎の顏を、少し遠くから鑑定(かんてい)して居ります。
「親分が歸つてから御馳走になりませう」
 ガラツ八にも矢張り遠慮はあつたのです。
「それぢや、せめて一本燗(つ)けませう」
「へエ、――變なことがあつたもので――」
「まア、八さん、たまにはお酒位はありますよ。――ツイ先刻、八丁堀の旦那から、心祝ひがあるからと、わざ/\一升屆けて下さいましたよ」
「そいつは豪儀だ、――さすがに笹野の旦那は氣が付くぜ、へツ、へツ」
 八五郎はすつかり相好を崩(くづ)してしまひます。
 お靜はその間に、銅壺(どうこ)に突つ込んだ徳利を拭いて、八五郎の前に据(す)ゑた膳の上へ、そつと載(の)せてやりました。元は水茶屋に奉公してゐたお靜ですが、さすがに夫の留守に、子分の酒の酌(しやく)までしてやるのを憚(はゞ)かつたのでせう。
「濟みません」
「なアに、此方が勝手なんで、有難てえな。ト、ト、ト、散ります散りますと來やがる。へツ、へツ、良い色をしてゐるぜ」
 グツと喉(のど)を鳴らし乍ら、猪口(ちよく)の手を胸のあたりまで持つて行つた八五郎。
「待ちな、八」
 ガラリと格子が開きました。錢形平次が歸つて來たのです。盃(さかづき)を膳へ置くかと思つた八五郎の手は、意地汚くそのまゝ唇(くち)へ――
「あツ」
 八五郎の手をハタと打つたものがあります。盃は後ろに飛んで、パツと胸から膝へ飛散る酒。平次の煙草入(たばこいれ)が飛んで來たのでした。
「親分」
 八五郎の聲にも怒(いかり)があります。
「馬鹿ツ、そいつを呑(の)むと命がねえぞ」
「えツ」
「今路地の外まで歸(けえ)つて來ると、變な野郎がウワウロして居るから、樣子を見てゐるうちに、お靜の話を聞いてしまつたよ、――八丁堀の旦那が、心祝ひに酒を下すつたなんて、そいつは大嘘(おほうそ)だ。俺はつい先刻まで、八丁堀に居たんだから、お酒を下さるなら、そんなお話の出ないわけはねえ。心祝ひどころか、笹野の旦那は明日は先代樣の法要(ほふえう)で、牛込のお寺まで行かなきやならないと言つて居なすつたよ」
 さう言ひ乍(なが)ら平次は、埃(ほこり)も叩かずに入り込んで、默つたまゝお靜の差出す樽(たる)を受取つて眺めました。
「親分、そ、そいつは本當ですかえ」
「嘘だつた日にや、俺は八に申譯がねえことになる。これを見るがいゝ、樽は町内の酒屋のだ。八丁堀から屆いたのではない證據は、この※(ます記号、1-2-23)定(ますさだ)の印(しるし)で判るだらう」
「――」
 八五郎もさう言はれると、口もきけません。
「危いところだ、八。そいつを一(ひ)と猪口(ちよく)呑んだだけで、手前(てめえ)は俺の身代りに、血へどを吐(は)いて死ぬところよ」
「――」
「だが、癪(しやく)にさはる野郎ぢやないか。この平次を鰌(どぜう)と間違へやがつて」
「誰がこんな事をしたんで、親分」
 八五郎は漸(やうや)く人心地がつきました。
「吉三郎を殺した奴だよ」
「ぢや河豚(ふぐ)?」
「馬鹿、河豚が酒を買つて、屆けるかよ」
「さア解らねえ」
「俺も解らねえが、こいつは大變な曲者だ。退治しなきや御府内の難儀、お上の御威光(ごゐくわう)にも拘(かゝ)はる。來い、八。今晩のうちに埒(らち)をあけてやる」
「へエ――」
 八五郎は平次の劍幕に釣られて、モソモソ立上がりました。
「お靜、その酒は匂ひを嗅(か)いでもならねえよ。封印(ふういん)をして大事にしまつて置(お)け」
「ハイ」
 言ひ捨てた平次。其足で驅け付けたのは、町内の酒屋升定(ますさだ)でした。番頭に訊くと、
「いゝ年増でしたよ。一番良いのを一升量(はか)らせて、小僧に持たせてやりませうと言ふと、イヤ、それには及ばない、私が持つて行かなきや、親切が屆かないつて」
「その女は三十前後の――」
「大店(おほだな)の御新造といつた風でした。頭巾を冠(かぶ)つて居るので、髮形はわかりませんが」
「有難う、飛んだ手數だつた」
 平次は外へ出ると、眞つ暗な師走(しはす)の空を仰いで、大きく息をしました。見えざる敵のしたゝかさを改めて犇々(ひし/\)と感じた樣子です。

「お神さん、そいつは間違ひだぜ。吉三郎は河豚(ふぐ)で死んだんぢやねえ、立派に毒害(どくがい)されたんだ」
 通夜の人數を追つ拂つて、八五郎に見張らせた平次は、吉三郎の死骸を中に、お由と膝詰め談判を始めたのでした。
「まさか、親分」
 お由は容易(ようい)に信じさうもありません。
「證據はいくらでもある。第一、昨夜三人で食つたのは、河豚(ふぐ)ぢやない鮟鱇鍋(あんかうなべ)だ、吉三郎が河豚を食つたことがないと言ふから、鮟鱇を持つて來て、河豚といふことにして食はせたんだ。鮟鱇鍋で死ぬ氣遣ひはないが、河豚なら隨分三人のうち一人死ぬといふことがないではない――、彼奴等は其處を狙つたんだ」
「――」
「殘つた魚を竹の皮包にして持つて歸つたのは、後で鮟鱇(あんかう)と判つては面白くないからだ。それから、河豚の毒なら身體が痺(しび)れる筈だが、そんな事がなくて、腹の中が燒け爛(たゞ)れるやうで、血を吐いたのは南蠻渡(なんばんわた)りの毒藥に違ひない。玄道さんもさう言つて居る」
「――」
「毒は、吉三郎の盃の中に入つて居たんだ。多分、ちよいと立つた時か何か、投げ込まれたんだらう。――その證據は、昨夜は三人共、盃のやり取りはしなかつた筈だ」
「えツ、そ、その通りですよ。親分。いつも差したり差されたりするのが、昨夜は最初から御家人喜六の言ひ出しで、盃のやり取りなし、うんと食つて飮まうといふことにしたやうでした」
「それ見るがいゝ。お前の配偶(つれあひ)は、その御家人喜六と、もう一人の年増に殺されたんだ。今夜は俺のところへまで毒酒を持込みやがつたよ。放(はふ)つて置くと何をやり出すか解らない」
「えツ」
「解つたか、お神さん。夫の敵を討つ氣はないのか」
「畜生ツ、さうとは知らずに、――私は亭主(やど)に口止めされたのを守つて、今まであの二人を庇(かば)つてばかり居ました、――敵を討つて下さい。親分さん」
 お由にも、漸(やうや)く事件の全貌(ぜんばう)が解つた樣子です。
「それにしても相手の素姓(すじやう)が解らなくちや、敵の討ちやうがない。あの女は何だい」
「唐人(たうじん)お勇といふ大變な女ですよ」
「三人で何かやつて居た筈だが――」
「何か大仕事をしてゐるやうでしたが、私には言つてくれません」
 お由は全く何にも知らない樣子でした。
「仲間はたつた三人切りか」
「子分は二三十人ある筈です」
「ね、お神さん。佛樣のことを惡く言ふわけぢやないが、吉三郎はその御家人喜六と唐人お勇に荷擔(かたん)して大層なことをやつて居たんだ」
「――」
「俺の見當では、多分拔荷を扱(あつか)つて居たのだと思ふ、――拔荷といふと何でもないやうだが、こいつは大變な御法度で、露顯(ろけん)すると獄門にも磔刑(はりつけ)にもなる」
「――」
「自分の榮華のために、紅毛人(こうまうじん)に御國の寶(たから)をやつて、厄體もない贅澤な品物を買入れ、それを三倍五倍の利潤(まうけ)で、金持や物好きな人間に賣り付けるのだから、拔荷扱ひは商人の風上にも置けねえ、屑(くづ)のやうな人間だ」
「――」
「お國の寶の大判小判(おほばんこばん)、あれを紅毛人は命がけで欲しがるさうだ。だから、命知らずの紅毛人は、羅紗(らしや)だの、ビードロだの、いろ/\の小間物だの、あまり生活の足しにならぬ物を持込んで、この國の大判小判と換(か)へて行くのだ。長崎ではお役人の目がやかましいから、九州の沖で日本の船に積換(つみか)へ、米や炭の荷に交ぜて、公方樣お膝元へ持つて來るに違ひない。江戸へは諸國の荷が集まるから却(かへ)つてわからない道理だ、――現にお前の夫の吉三郎を殺したのも、その拔荷(ぬけに)で入つた南蠻祕法(なんばんひはふ)の毒藥だ」
 平次の舌は焔(はのほ)のやうに燃えます。
「親分さん」
「私慾のために掟(おきて)を破り、その上、人まで殺すやうな惡者は放つては置けない。お前の知つてることがあつたら皆な言つてくれ、許して置けない奴等だ」
「親分さん、皆んな申上げます」
「それは良い心掛だ。夫の罪亡ぼしにもなるだらう」
「私は何んにも知りません、――でも、船の入る時の合圖(あひづ)だけは知つてゐます。――時々見張りをさせられましたから」
「有難い、それが解りや」
「――」
 お由は聲を潜(ひそ)めました。

 その晩神田の平次の家は燒けたのです。
 そればかりは、錢形平次も氣が付かなかつたのでせう。毒酒の計略(けいりやく)は見事に見破りましたが、それだけで油斷をしてゐると、その夜の丑刻(やつ)半頃、三方からあがつた火の手は、瞬(またゝ)く間に平次の長屋を燒き落し、近所の二三軒を半燒にして、漸(やうや)く納まつたのでした。
 風がないのと、暮の街で注意が行屆いたので、これ丈けで濟んだのは不幸中の幸ひでしたが、困つたことは、肝腎(かんじん)の錢形平次が、それつ切り行方不知になつてしまつたことです。
 ――錢形の親分が燒け死んだとよ――
 ――表裏の戸口は外から閉めてあつたさうだ、お靜さんが命から/\逃げ出したといふぜ――
 そんな噂が八方から飛びました。全く、燒跡(やけあと)にシヨンボリと立つてゐる、氣の拔けたやうなガラツ八の姿や、顏から腕へかけて、晒木綿(さらしもめん)で卷かれた、痛々しいお靜の樣子を見ると、錢形平次が死んだといふのも、滿更の噂(うはさ)ばかりではない樣子です。
 晝頃には八丁堀の與力笹野新三郎も來ました。江戸中の顏の良い御用聞も、五人十人と集まつて來て、夕方には、それが二三十人になり、打ち濕(しめ)つた樣子で、ポツポと烟(けむ)る灰を掻かせて居ります。
 日が暮れると、平次の遺骸を板圍(いたがこ)ひの中から運び出し戸板に載(の)せて、回向院(ゑかうゐん)に移しました。江戸中の名ある御用聞手先が二三十人、笹野新三郎と一緒に、それに從(したが)つたことは言ふ迄もありません。

 その晩の戌刻(いつゝ)半頃、この一行は回向院の寺内に入り、其處でお通夜が營まれたのです。
 同じ夜、子刻(こゝのつ)過ぎ、永代のあたりから漕ぎ上がつた傳馬が一艘(さう)、濱町河岸に來ると、船頭が舳(とも)の灯を外して、十文字に二度、三度と振りました。
 師走二十九日、漆(うるし)のやうな闇の中に、その光が水を渡つて走ると、何處からともなく河岸に集まつた人數がざつと二十人ばかり。
「變な時船が入つたものだね、お首領(かしら)」
「宵のうちに、永代から合圖があつてびつくりしたよ、――今頃入る船はない筈だが、春になつてから來るといふのが、何かの都合で早く入つたんだらう」
 さう言つた囁きが、彼方、此方に交(かは)されます。
「それよ、板を渡してくれ」
「おい」
「酒の荷が先か米の荷が先か」
「明日は大晦日(おほみそか)だ、酒の荷を先にしてくれ。三河屋も、長崎屋も來て居るぞ」
 何時の間にやら、屋號を入れた提灯が二つ三つ用意されました。屈強(くつきやう)な若者達が、船から運び出す荷を、陸(をか)に待つて居る人足が、言葉少なに受取つて、何處ともなく姿を消します。
 船の中の荷物はザツと二十七八。その全部を運び終ると、後に殘つたのは、頭巾(づきん)を目深に冠(かぶ)つた男と女の二人でした。
「これでよし、歸らうか」
「歸りませう」
 歩みを移(うつ)す二人の前へ――、
「御用ツ」
 ヌツと突つ立つたのは八五郎のガラツ八です。
「何?」
「御家人喜六、唐人お勇、神妙にせい」
 パツと組付いて行くガラツ八、お勇は身をかはして、トンと肩のあたりを突きました。
「ワツ」
 二三歩泳いで立直るガラツ八。その後ろから、
「えいツ」
 後家人喜六の一刀が闇を劈(つんざ)くのを、
「俺が相手だ、來いツ」
 横合から飛込んだ十手が、ガツキと受止めました。
「邪魔だツ」
「拔荷(ぬけに)の惡事、吉三郎殺しの下手人(げしゆにん)まで露顯(ろけん)をしたぞ。觀念せいツ」
「何をツ」
 御家人喜六は、お勇を後に庇(かば)つて、一刀を闇に構へます。
「御用ツ、御用ツ」
 八方から、ヒタヒタと詰めよる捕方の人數。
「えツ、寄るな/\、一人殘らず切つて捨てるぞツ」
 御家人喜六の腕は拔群(ばつぐん)でした。
「傳馬は此方で仕立てた僞物(にせもの)だ、仲間は一人殘らず生捕られたぞ。神妙にお繩を頂戴せい」
 先刻、船から揚げた荷物を、一つ/\擔(かつ)いで行つた子分は、回向院に通夜(つや)をすると見せかけた、江戸中の手先に、一人殘らず後を跟(つ)けられ、落着く先で縛られたとは、御家人喜六もまだ知らなかつたでせう。
「えツ、其方共に縛(しば)られる喜六ではない、退け/\」
 サツと身を飜(かへ)すと、眼にも止まらぬ早業で、早くも二三人の捕方は淺傷(あさで)を負はされた樣子。
「油斷するなツ」
 後ろから激勵の聲を掛けたのは笹野新三郎です。
「灯(あかり)だツ」
 誰やらの聲に應じて、何處に隱してあつたか、十幾つの御用の提灯が、一度にパツと二人の曲者を照します。
「あつしが行きませう。この野郎には家を燒かれた怨(うらみ)があります」
 パツと飛出した美丈夫。
「平次だ、平次だ」
 捕物陣は二つに割れて、その道を開きました。
「生きてゐたのか平次、命冥加(いのちみやうが)な奴だ」
 苦(にんが)りする御家人喜六、右手の刄(やいば)は、油斷なく灯にギラリとうねります。
「手前のすることは一々卑怯(ひけふ)だ、我慢のならねえ野郎だ」
 さう言ふ口を塞(ふさ)ぐやうに、喜六の刄はサツと伸びます。
「おつと危ねえ、――これでも食やがれ」
 平次の右手が擧(あ)がると、夜風を剪(き)つて錢が一枚、御家人喜六の唇(くち)へ――。
「己れツ」
 僅かに刄の平で受けましたが、二枚目は強(したゝ)かに頬骨へ、三枚目は額へ、――眼へ――。
「野郎ツ」
 ひるむ後ろから、無手(むず)とガラツ八が組付いて居たのです。
「危ねえ、八」
 錢形平次は驚いて飛込みました。喜六の後に居る唐人お勇は、匕首(あひくち)を拔いて、ガラツ八の脇腹へサツと突いて出たのです。
 平次は危ふくそれを突飛ばすと、お勇の匕首は飛龍(ひりう)の如く平次の胸へ飛んで來たのでした。それをかはして、
「女、いゝ加減にしろツ」
 飛付く平次。その手を拂つてお勇の身體は、大川の寒水へ、水音高く飛込んでしまひました。
        ×      ×      ×
「變な捕物だつたね、親分」
 その歸り路、柳原土手でガラツ八は斯(か)う誘(さそ)ひかけました。
「脇差を十兩に賣つたのが始まりさ。手前(てめえ)が感のいゝ人間で、吉三郎の心持を讀むと、こいつは危ないことだつたよ」
 平次は面白さうです。
「へエ――」
「まだ判らねえのか、――手前に拔荷(ぬけに)を揚げる現場を見られたから、大なまくらを十兩で買つてな、手前(てめえ)の御機嫌を取つたのさ、――見て見ぬ振りをしてくれといふ謎さ」
「なアーる」
「今頃感心する奴があるものか、十兩の元手を唯取られたやうなものだ」
「へエ――」
「あの牙彫(けぼり)の根附(ねつけ)は、多令拔荷を受取る手形のやうなものだらう。吉三郎は仲間では三下(さんした)だが、あの牙彫の手形を手前のところから見付けて持つて行くと、急に頭領(かしら)の株を狙つて、拔荷の大儲(おほまう)けを一人占めにしようといふ大望を起したのさ」
「――」
「それと氣の付いた御家人喜六と唐人お勇が、吉三郎如きに大事の手形を取られちや叶(かな)はないから、鮟鱇(あんかう)を河豚(ふぐ)と言つて食はせ、實は毒酒で殺して死骸から牙彫(けばり)の手形を拔いたのだよ」
「さう繪解きをして貰ふと、さうでなかつたら嘘見たいで、へエ――」
 ガラツ八はまだ長い顎(あご)を撫でて居ります。
「だが、自分達の利潤(まうけ)のために、お上の御法を破る奴は憎いね。その上仲間を殺したり、――俺の家まで燒いたり」
「さう言へば、親分は何處へ行きなさるつもりで――」
「お靜は當分里のお袋に預けたよ。――俺はな、八。當分、八五郎の家に居候(ゐさふらふ)ときめたよ」
「そいつは有難てえ。親分を居候に置いたとあれば、あつしも肩身が廣い」
「ハツハツハツ、ハツハツ」
 柳原土手の夜は白みかけて居りました。大晦日(おほみそか)の江戸の街は、一瞬轉毎(しゆんてんごと)に、幾百人かづつ最後の足掻きの坩堝(るつぼ)の中に、眼を覺(さま)さして行くのでせう。
了

底本:「錢形平次捕物全集第十三卷 焔の舞」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年9月5日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1938(昭和13)年12月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2014年5月25日作成
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