奥様同士が子供を連れての立話に、
「まア! お久しうございます。皆様おかわりもなくていらっしゃいますか、一番お末の方、もう、こんなにおなりでございますの?」
「ええもう八ツになりまして、一年生でございますのよ」
「あらまア、そうですか、ほんとに早いもので、宅のがもうあなた尋常四年生でございますものね」
 以前の私が、道の行きずりにこんな話を聞いたならば、子供が八ツになって小学校へ行くのはあたりまえの事で、女同士の話題の狭さにぷりぷり腹をたてていたかも知れない。だが、このごろは途上でそんな立話を小耳にしても腹が立つどころか、日向ひなたでぬくぬくとしているような心温かなものを感じるし、女らしくていいものだと考えるようになって来た。一年々々と生活のあかみついて来たのだろう。その垢のついたことをめでたく思い、さきのような会話にも「なごやかさ」「たのしさ」を感じるとすれば、私は市井しせいの平凡なものに民衆の大根おおねを感じているのだろう。
 ある知識婦人が二、三人寄っての座談の記事をこのごろ読んだことがある。全く虫酢むしずのはしるような会話ばかりであった。その女のなかのある一人は、朝夕の飯の支度したくわずらわしさに、弁当屋から弁当を入れさせてみたが、カロリーが足りないのでめたとか、またある一人は、小説を書く為に良人おっとと別居生活をしているとか、足袋たびのつくろいや洗濯仕事は、一生苦学しているようでつまらないとか、まるで井戸端会議式なことが論じられていたが、これが知識婦人であるだけに寒々としたものを感じる。
 そのようなひとたちの良人になるひとこそさいなんだと考える。人参にんじんや大根を刻むことが道楽だといって片づけられているが、こんな荒っぽい女性に私たちはどんなキタイをかけたらいいのだろう。
 十人十色といろかもしれないが、私は家族の飯ごしらえもして、洗濯から掃除もたいてい自分でやっている。少しもわずらわしいとは思わない。といって別に愉しいとも道楽とも考えないが、何も台所や洗濯を忘れることが女の栄誉とも考えていない。外出する時は後にのこっている家族たちのたべものまで云って出て行く、安心して外出が出来る。足袋のつくろいも日向ぼっこしながら、一足ずつやっておく、別に愉しい仕事とは思わないが机の前につくねんとしているよりはいい。健康的で空想はほしいままだ。非常にむつかしい言葉で色々と女の生活が論議されていたが、早いこといえば、自分の仕事のために女の生活が煩わしいというのである。どの世界にでも、いっそ口髭くちひげをつけて歩いておればよいようなむつかし気な女性が一人二人はあるものだ。
 私は、市井ありふれたおかみさんが子供を四、五人も抱えてあくせくしているのを、昔は気の毒だと思ったこともあったが、そのお神さんたちは案外幸福気なのだろうと考える。朝夕、子供が着物を汚して来ることに不服をいいながら、三百六十五日洗濯ばかりしている。それでいいと思う。そのひとたちから洗濯や子供を取りあげたらどんなものが残るのだろう。子供を託児所へやるために子供の社交性を訓練しなければという名流婦人もあったが、子供の社交性とは何ぞやである。――話は違うけれども、私は子供の本や雑誌や教科書を手にして何時いつも寒々としたものを感じるのだが、おまけのついたべたべたした子供の雑誌は何とかならないものだろうか。十銭ぐらいで子供の岩波文庫みたいなものが出来るといいと始終考えている。小学校の教科書にしても、私はあの表紙をカンゴク色だと云っている。おかみのお役人がおぎりでつくったような本である。明るい色、明るい活字、すがすがしい紙、健康な絵を、あの教科書はみんな忘れてしまっている。沢山のお母さんたちが、もっと子供の本についてアリチブになってほしいと思う。
 私も、そろそろ子供のほしい年ごろになり、二、三人はほしいものだと思っている。子供を背にくくりつけて働いているお母さんを見ると、日本の女はえらいと思う。いろいろの婦人運動も、まず子供が生れてからだとも考える折がある。子供のある人は温かで、りりしくて、聡明だ。自分の生活や人の生活を暗澹あんたんとしたものにはしない。良人と別居することや、弁当屋から飯を取ることや、肌衣はだぎを洗濯屋へ出すことで、女の仕事がどんどん運ぶのだったら、私も真似をしたい。
 現在の知識婦人の中に、市井の平凡なお神さんや娘さんの心にも達せぬ浅はかなひとが多いのはどうしたことだろう。「美しさ優しさ」を軽蔑誤解して、口に猛々たけだけしいことをいうのは笑止なことだ。

遠き旅路にゆく人は
いとしきものをともなえよ
よろこびわらうよそびとの
などかかえりみん旅人を

 私はアイヘンドルフのこの詩が好きだ。女のひとたちがこんなに優しかったら愉しいだろう。優しいというのは男に甘えることではない、空虚で何もないくせに、ひとかど生活は煩わしがっている知識婦人を私はきらうのです。

底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成5)年2月14日第1刷発行
   2003(平成5)年3月5日第2刷発行
底本の親本:「林芙美子全集」文泉堂出版
   1977(昭和52)年
   「林芙美子選集」改造社
   1937(昭和12)年
※底本には、二種類の親本が記載されています。本作品はどちらに拠ったのか、もしくは校合したのか確認できなかったので、二つを並記する形をとりました。
入力:岡本美咲
校正:門田裕志
2013年5月15日作成
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