あらすじ
岡山市郊外の質屋を営んでいた老人、刈谷音吉が自宅で毒殺された。発見者は隣に住む医師の島本守で、彼は事件当日、老人と庭でぼたんの花の鉢について話していたという。しかし、老人が飼っていたランチュウは、医師が訪れた前日の夜にはまだ生きており、ひらひらと泳いでいた。事件後、金魚鉢の下に隠されていた金塊が発見され、医師が犯人と判明する。しかし、医師は事件当日に老人が飼っていた金魚を「ひらひら泳いでいた」と証言したのだが、実際には金魚は既に死んでいた。一体なぜ医師は嘘をついたのか? 読者は、金魚鉢に隠された謎と、医師の奇妙な行動に翻弄されることになるだろう。
「おやおや、惜(お)しいことしちまつたな」
 思(おも)わず口(くち)から出(で)たひとりごとだつたが、それを聞(き)きとがめた井口警部(いぐちけいぶ)が、ふりむいて、
「なんだい。何(なに)が惜(お)しいことしたんだね」
 というと平松刑事(ひらまつけいじ)が、さすがに顔(かお)を赤(あか)らめひどく困(こま)つた眼(め)つきになつて、
「いえ……その……金魚(きんぎょ)ですよ。こいつは三匹(びき)ともかなり上等(じょうとう)のランチュウです。死(し)んでしまつているから、どうも惜(お)しいことしたと思(おも)いまして」
 と答(こた)えたから、捜査(そうさ)の連中(れんちゅう)も鑑識(かんしき)の連中(れんちゅう)もあぶなくぷッと吹(ふ)きだすところだつた。
 眼(め)の前(まえ)に、人間(にんげん)の死体(したい)があつた。
 庭先(にわさ)きの土(つち)の中(なか)に、大(おお)ぶりな瀬戸物(せともの)の金魚鉢(きんぎょばち)が、ふちのところまでいけこんであつて、その鉢(はち)のそばで、セルの和服(わふく)を着(き)、片足(かたあし)にだけ庭下駄(にわげた)をつつかけた人間(にんげん)の死体(したい)が、地(ぢ)べたに這(は)いつくばつている。
 のちにわかつたが、死(し)の原因(げんいん)は青酸加里(せいさんかり)による毒殺(どくさつ)だつた。死体(したい)の両手(りょうて)がつきのばされて、鉢(はち)のふちに掴(つか)みかかろうという恰好(かっこう)をしている。多分(たぶん)被害者(ひがいしゃ)は、苦(くる)しみもがき、金魚鉢(きんぎょばち)のところまで這(は)いよつてきて、口(くち)をゆすぐか、または、鉢(はち)の中(なか)の水(みず)を飲(の)もうとしたのだろう。その時(とき)、まだ口(くち)に残(のこ)つていた毒(どく)が水中(すいちゅう)へしたたりおちたために、金魚(きんぎょ)も死(し)んだのだと思(おも)われる。しかし、問題(もんだい)はこの毒殺死体(どくさつしたい)だつた。断(だん)じてまきぞえをくつた金魚(きんぎょ)ではない。だのに、人間(にんげん)の死体(したい)のことではなくて、死(し)んだ金魚(きんぎょ)のことを先(さ)きにいつたから、いかにもそれは滑稽(こっけい)な感(かん)じがしたのであつた。
 事件(じけん)は五月(がつ)六日(か)の朝(あさ)、発見(はっけん)された。
 場所(ばしょ)は、岡山市(おかやまし)の郊外(こうがい)に近(ちか)いM町(まち)で、被害者(ひがいしゃ)は、四年(ねん)ほど前(まえ)まで質屋(しちや)をやつていて、かたわら高利貸(こうりか)しでもあつたそうだが、目下(もっか)は表向(おもてむ)き無職(むしょく)であつて、それもたつた一人(ひとり)きりで暮(くら)していた刈谷音吉(かりやおときち)という老人(ろうじん)である。
 発見者(はっけんしゃ)は、老人(ろうじん)の家(うち)のすぐとなりに住(す)んでいて、去年(きょねん)あたり開業(かいぎょう)した島本守(しまもとまもる)という医学士(いがくし)だつたが、島本医師(しまもといし)は、警察(けいさつ)へ事件(じけん)を通報(つうほう)すると同時(どうじ)に、大要(たいよう)次(つぎ)のごとく、その前後(ぜんご)の事情(じじょう)を述(の)べた。
「私(わたし)は今朝(けさ)急患(きゅうかん)があつて往診(おうしん)に出(で)かけました。ところが往(い)きにも帰(かえ)りにも、老人(ろうじん)の家(うち)の門(もん)が五寸(すん)ほど開(ひら)きかかつていたから、へんなことだと思(おも)つたのです。近所(きんじょ)でもよく知(し)つていることですが、老人(ろうじん)はかなりへんくつな人物(じんぶつ)です。ひどく用心(ようじん)ぶかくて、昼日中(ひるひなか)でも、門(もん)の内側(うちがわ)に締(しま)りがしてあり、門柱(もんちゅう)の呼鈴(よびりん)を押(お)さないと、門(もん)をあけてくれません。私(わたし)は気(き)になりました。となり同士(どうし)だから、時々(ときどき)口(くち)をきき合(あ)う仲(なか)で、ことに一昨日(おととい)は、私(わたし)が丹精(たんせい)したぼたんの花(はな)が咲(さ)いたものですから、それを一鉢(ひとはち)わけて持(も)つて行(い)つてやり、庭(にわ)でちよつとのうち、立話(たちばなし)をしたくらいです。私(わたし)は老人(ろうじん)には、その時(とき)に会(あ)つたきりですけど、どうも気(き)になつてなりません。それで、帰宅後(きたくご)三十分(ぷん)ほどしてから、老人(ろうじん)の家(うち)へ行(い)つて見(み)たのですが、……」
 そこは医師(いし)だから、すぐにもう毒死(どくし)らしいと気(き)がついたのだという。
 その時(とき)、すでに体温(たいおん)がなかつた。
 島本医師(しまもといし)の意見(いけん)でも、またあとできた市警(しけい)の医師(いし)の意見(いけん)でも死(し)んだのは前日(ぜんじつ)の夕方(ゆうがた)からかけて九時頃(じごろ)までの間(あいだ)らしい。大輪(たいりん)の花(はな)をつけたぼたんの鉢(はち)が、金魚鉢(きんぎょばち)にほど近(ちか)い庭石(にわいし)の上(うえ)にのせてあつた。その花(はな)は、のめずり倒(たお)れた老人(ろうじん)の死体(したい)を、笑(わら)つて見(み)おろしているという形(かたち)で、いささか人(ひと)をぞつとさせるような妖気(ようき)を漂(ただよ)わしている。
 家(うち)の中(なか)は、昼間(ひるま)なのに、電灯(でんとう)がついていたが、これはむろん、事件発生当時(じけんはっせいとうじ)からつけつぱなしになつていたのだろう。庭(にわ)へ向(む)いた縁(えん)ばな――金魚鉢(きんぎょばち)から六尺(しゃく)ほどのへだたりがあつたが、その縁(えん)ばなにウィスキイの角(かく)びんと、九谷(たに)らしい盃(さかずき)が二つおいてあつた。一つの盃(さかずき)からは、ハッキリした被害者(ひがいしゃ)の指紋(しもん)が検出(けんしゅつ)されたが、他(ほか)の一つには、何(なに)かでふいたものと見(み)えて、全然(ぜんぜん)指紋(しもん)がついていない。しかしこれで大体(だいたい)の推測(すいそく)はついた。
 すなわち老人(ろうじん)は、多分(たぶん)縁(えん)ばなに、庭下駄(にわげた)をはいて腰(こし)をかけ誰(だれ)かとウィスキイを飲(の)んでいたものであろう。
 しらべると、びんに半分(はんぶん)ほど残(のこ)つたウィスキイに青酸加里(せいさんかり)が混入(こんにゅう)してあつた。だから老人(ろうじん)は、それを一口(ひとくち)か、せいぜい二口(ふたくち)飲(の)むと苦(くる)しくなり、金魚鉢(きんぎょばち)のそばまで這(は)つて行(い)つて死(し)んだのにちがいない。犯人(はんにん)はウィスキイの相手(あいて)をしていたが、むろん、自分(じぶん)は飲(の)まずに老人(ろうじん)にだけ飲(の)ませた。そして、老人(ろうじん)の死(し)んだのを見(み)とどけてから、自分(じぶん)の盃(さかずき)のウィスキイをびんに戻(もど)し、かつ指紋(しもん)をぬぐいとつておいて、悠々(ゆうゆう)と……もしくはいそいで、この場(ば)を立去(たちさ)つたのである。
 係官(かかりかん)たちは、捜査(そうさ)に専念(せんねん)しだした。
 屋内(おくない)はべつに取乱(とりみだ)されず、犯人(はんにん)が何(なに)かを物色(ぶっしょく)したという形跡(けいせき)もないから、盗賊(とうぞく)の所為(しょい)ではないらしく、従(したが)つて殺人(さつじん)の動機(どうき)は、怨恨(えんこん)痴情(ちじょう)などだろうという推定(すいてい)がついたが、さて現場(げんば)では、とくに目星(めぼ)しい発見(はっけん)は何(なに)もない。
 この時(とき)、またおかしかつたのは例(れい)の平松刑事(ひらまつけいじ)が、相変(あいかわ)らず金魚(きんぎょ)のことを気(き)にしていたことである。よほどの金魚好(きんぎょず)きにちがいない。彼(かれ)は、死(し)んだ金魚(きんぎょ)が三匹(びき)で一万円(まんえん)はしたろうということや、自分(じぶん)は月給(げっきゅう)が少(すく)なく、とてもあんなのは買(か)えないということを、くりかえし同僚(どうりょう)に話(はな)したし、また事件発見者(じけんはっけんしゃ)島本医学士(しまもといがくし)にまで、同(おな)じことをいつた。
「私(わたし)は、女(おんな)より金魚(きんぎょ)の方(ほう)が美(うつく)しいと思(おも)うんですよ。あなたは庭(にわ)で老人(ろうじん)と立話(たちばな)しをしたつていいましたね。その時(とき)金魚(きんぎょ)は、どんな恰好(かっこう)してました?」
「さア、とくに注意(ちゅうい)して見(み)たわけじやありませんからね。しかし美(うつく)しい金魚(きんぎょ)だとは思(おも)いましたよ。ひらひら游(およ)いでいましてね」
「そうでしような。私(わたし)もそれは見(み)たかつたですよ」
 刑事(けいじ)は、真実(しんじつ)残念(ざんねん)そうに、ため息(いき)をしているのであつた。

 被害者(ひがいしゃ)刈谷音吉老人(かりやおときちろうじん)は、もと高利貸(こうりか)しでへんくつで、昼日中(ひるひなか)でも門(もん)に締(しま)りをしていて、呼(よび)りんを押(お)さないと、人(ひと)を門内(もんない)へ通(とお)さなかつたというほどに用心(ようじん)ぶかく、それに妻子(さいし)はなく女中(じょちゅう)もおかず、たつた一人(ひとり)きりで暮(くら)していたというのだからそういう特徴(とくちょう)から判断(はんだん)してみて、捜査(そうさ)の手懸(てがか)りは、かえつてつけやすいほどのものであつた。
 当局(とうきょく)は、日(ひ)ならずして、三人(にん)の容疑者(ようぎしゃ)を見(み)つけだすことができた。
 三人(にん)ともに、老人(ろうじん)の家(うち)へ時々(ときどき)出入(でい)りしているという事実(じじつ)がある。そこから着目(ちゃくもく)してある程度(ていど)の内偵(ないてい)を進(すす)めて、その容疑者(ようぎしゃ)を、べつべつに任意出頭(にんいしゅっとう)の形(かたち)で警察(けいさつ)へ呼(よ)び出(だ)し、井口警部(いぐちけいぶ)が直接(ちょくせつ)に訊問(じんもん)してみた。
 第(だい)一の容疑者(ようぎしゃ)は、青流亭(せいりゅうてい)というかなり大(おお)きな料亭(りょうてい)の女将(おかみ)であつて、進藤富子(しんどうとみこ)という女(おんな)だつた。ほんとうの年(とし)はもう五十に近(ちか)く、しかし、磨(みが)き上(あ)げた美(うつく)しさで、三十を少(すこ)し越(こ)したぐらいにしか見(み)えない。その訊問(じんもん)の模様(もよう)は、大略(たいりゃく)次(つぎ)の如(ごと)きものであつた。
「あなたは五月(がつ)五日(か)の夜(よる)夕方(ゆうがた)から十二時頃(じごろ)まで、どこにいましたか」
「べつにどこへも行(い)きませんわ。ちやんと自分(じぶん)のうち、青流亭(せいりゅうてい)のお帳場(ちょうば)にいましたよ」
「ちがうでしよう。女中(じょちゅう)から板前(いたまえ)まで調(しら)べてある。夕方(ゆうがた)出(で)かけて、十二時(じ)ごろ、タクシーで帰(かえ)つたことがわかつている」
「おやおや、たいそうくわしいんですこと。――じや、申(もう)しますわ。あたしは女手(おんなで)一(ひと)つで、青流亭(せいりゅうてい)を切廻(きりまわ)していますからね、人(ひと)には言(い)えぬ苦労(くろう)もあるんですよ。ハッキリいうと、パトロンがあります。その、パトロンのところへ行(い)つていたんですわ」
「パトロンというのが、殺(ころ)された刈谷音吉(かりやおときち)じやないですか。こちらはあなたがあの老人(ろうじん)のところへ、月(つき)に一回(かい)か二回(かい)、夜(よる)になつてから行(い)くということをちやんと確(たし)かめてあるのですが」
「いやらしいこと、おつしやらないで下(くだ)さい。刈谷(かりや)さんは知(し)つています。昔(むかし)からの知合(しりあい)です。でも、あんなケチンボでへんくつな男(おとこ)に、どうして世話(せわ)になんかなるものですか」
「すると刈谷老人(かりやろうじん)のところへ月(つき)に一回(かい)か二回(かい)行(い)く、その用件(ようけん)は何(なん)ですか」
「用件(ようけん)は……それは申(もう)せませんわ。ぜつたいにあたし、申(もう)しませんから」
 申立(もうしたて)を拒否(きょひ)したとなつたら、それを強(し)いて言(い)わせる権限(けんげん)は警察(けいさつ)にもない。訊問(じんもん)はこれ以上(いじょう)にはあまり進(すす)まなかつた。
 第(だい)二の容疑者(ようぎしゃ)は、金属(きんぞく)メッキ工場(こうじょう)の技師(ぎし)兼(けん)重役(じゅうやく)であり、中内忠(なかうちただし)という工学士(こうがくし)だつたが、この人物(じんぶつ)は、刈谷老人(かりやろうじん)に高利(こうり)の金(かね)を借(か)りていて、かなり苦(くる)しめられていたはずである。訊問(じんもん)すると、案外(あんがい)にも老人(ろうじん)のことを、借金(しゃっきん)の取立(とりた)てがきびしくへんくつだが、面白(おもしろ)いところのある人物(じんぶつ)だといつたし、また借金(しゃっきん)のことで、べつに怨恨(えんこん)など抱(いだ)いてはいないのだと答(こた)えたが事実(じじつ)としては青流亭(せいりゅうてい)の女将(おかみ)と同(おな)じく、いつも夜(よる)になつてから老人(ろうじん)を訪(たず)ねるのが常(つね)で、ある時(とき)、ひどくはげしい口調(くちょう)で、二人(ふたり)が門(もん)の前(まえ)で口争(くちあらそ)いをしていたのをみたという、近所(きんじょ)の人(ひと)からの聞込(ききこ)みもないではない。彼(かれ)は、人柄(ひとがら)としては、まことに温和(おんわ)な風貌(ふうぼう)の分別盛(ふんべつざか)りの紳士(しんし)である。趣味(しゅみ)がゴルフと読書(どくしょ)だという。そして、井口警部(いぐちけいぶ)との間(あいだ)に、次(つぎ)のような会話(かいわ)があつた。
「工場(こうじょう)でやるメッキは、どんな種類(しゅるい)のものですか」
「なんでもやります。小(ちい)さなものでも大(おお)きなものでも」
「技術(ぎじゅつ)はとくに優秀(ゆうしゅう)だそうですね。むろん、電気(でんき)メッキもやるのでしような」
「やりますよ」
「メッキの薬品(やくひん)は、どんなものを使(つか)いますか」
「いろいろですね。金銀(きんぎん)、ニッケルやコバルトなどの化合物(かごうぶつ)、そして酸(さん)やアルカリです」
「真鍮(しんちゅう)もやるのでしよう」
「ええ、もちろん……」
「その真鍮(しんちゅう)と銀(ぎん)のメッキではとくにどんな薬品(やくひん)を使(つか)いますか」
 その時(とき)、中内工学士(なかうちこうがくし)の顔色(かおいろ)がかすかに動搖(どうよう)したのを、警部(けいぶ)はすばやく気(き)がついていた。それらの電気(でんき)メッキでは、青酸加里(せいさんかり)の溶液(ようえき)が使用(しよう)される。その予備知識(よびちしき)があつて、ことさらに尋(たず)ねてみたのだから、自然(しぜん)にこちらも、注意(ちゅうい)ぶかくこの重役(じゅうやく)の態度(たいど)を観察(かんさつ)していたわけである。
 工学士(こうがくし)は、ゴクンと唾(つば)をのんだ。
 そしてたばこに火(ひ)をつけ、ゆつくりと、
「いけませんよ。老人(ろうじん)の毒殺(どくさつ)に用(もち)いられた青酸加里(せいさんかり)が、うちの工場(こうじょう)にもあるつてことを、私(わたし)の口(くち)から言(い)わせようとしているんでしよう。ハッハッハ、たしかにあります。しよつちゆう使(つか)つていますよ。しかし、門外不出(もんがいふしゅつ)、取扱(とりあつか)いには、十分(ぶん)注意(ちゅうい)していましてね。私(わたし)にしても、そうみだりに持出(もちだ)すことはできない仕組(しくみ)になつているんですから」
 と、平静(へいせい)な顔色(かおいろ)に戻(もど)つて答(こた)えた。
 五月(がつ)五日(か)夜(よる)のアリバイについて尋(たず)ねてみる。
 すると当夜(とうや)は、映画(えいが)を観(み)に行(い)つたのだと答(こた)えたが、映画(えいが)の題名(だいめい)をきくと、すぐに答(こた)えられない。単(たん)に西部劇(せいぶげき)だといつたが、テクニカラーかどうか、の質問(しつもん)ではすらすらと、
「テクニカラーでした。すばらしく美(うつく)しいものでした。筋(すじ)はありきたりの平凡(へいぼん)なものでしたが……」
 と答(こた)えている。
 警察(けいさつ)から、市内(しない)の全部(ぜんぶ)の映画館(えいがかん)へ電話(でんわ)で問合(といあわ)せをした。
 その返事(へんじ)だと、五月(がつ)五日(か)の夜(よる)、着色(ちゃくしょく)にしろ無色(むしょく)にしろ、西部劇(せいぶげき)を上映(じょうえい)していた館(かん)は一(ひと)つもない。
「あの技師(ぎし)さんに張込(はりこ)みをつけておけ!」
 井口警部(いぐちけいぶ)は、鋭(するど)く部下(ぶか)に命令(めいれい)した。

 青流亭(せいりゅうてい)の女将(おかみ)進藤富子(しんどうとみこ)も、工学士(こうがくし)中内忠(なかうちただし)も、刈谷音吉(かりやおときち)毒殺犯人(どくさつはんにん)としての容疑(ようぎ)は、かなり濃厚(のうこう)だと見(み)てよいのだろう。
 但(ただ)し、当局側(とうきょくがわ)の見解(けんかい)では、まだ十分(ぶん)なきめ手(て)がない。監視(かんし)つきでひとまず帰宅(きたく)を許(ゆる)したのであつた。
 やがて井口警部(いぐちけいぶ)は、第(だい)三の容疑者(ようぎしゃ)を呼(よ)び出(だ)したが、それは皮肉(ひにく)なことに、あの死(し)んでいたランチュウを、刈谷老人(かりやろうじん)の家(うち)へ持(も)つてきたという金魚屋(きんぎょや)である。
 四十五歳(さい)、名前(なまえ)が笹山大作(ささやまだいさく)だつた。
 その容疑(ようぎ)のもとは、中内工学士(なかうちこうがくし)の場合(ばあい)と似(に)ていて、金魚屋(きんぎょや)と老人(ろうじん)との間(あいだ)に貸借関係(たいしゃくかんけい)があり、裁判沙汰(さいばんざた)まで起(おこ)したという事実(じじつ)からである。金魚屋(きんぎょや)は、その住宅(じゅうたく)と土地(とち)とを抵当(ていとう)にして老人(ろうじん)に取(と)られて、再(さい)三再(さい)四立退(たちの)きを迫(せま)られている。怨恨(えんこん)があるはずだと、当局(とうきょく)は睨(にら)んだのであつた。
 金魚屋(きんぎょや)は、見(み)たところまことに好人物(こうじんぶつ)らしい男(おとこ)で、次(つぎ)のような申立(もうしたて)を行(おこな)つた。
「刈谷老人(かりやろうじん)が殺(ころ)されたことは知(し)つているね」
「知(し)つてますよ。いい気味(きみ)でさ」
「おどろいたな。よつぽど憎(にく)んでいたと見(み)えるね」
「そりや私(わたし)は、ひどい目(め)にあつているんですから――あのおやじくらい、ごうつくばりでケチンボで、人情(にんじょう)なしの野郎(やろう)はないですよ。あいつは税金(ぜいきん)がかかるから、表向(おもてむ)きの金貸(かねか)しをやめたが、相変(あいかわ)らずもぐりの金貸(かねか)しでした。多分(たぶん)、一億(おく)や二億(おく)の金(かね)はためていたと思(おも)うですが、これをまた、銀行(ぎんこう)にも預(あず)けず、株券(かぶけん)にもせず、どこかにかくして持(も)つていやがつたにちがいないです。殺(ころ)されたあとで、家(うち)の中(なか)から、札束(さつたば)の山(やま)が出(で)たんでしようね」
「ちがうよ。何(なに)も出(で)ない。その点(てん)はこつちでも不思議(ふしぎ)に思(おも)つているくらいだ。何(なに)か知(し)つていることはないのかい」
「さア、財産(ざいさん)をどう処分(しょぶん)していやがつたか、そいつは私(わたし)にやわかりませんや。が、ともかくたいへんなおやじでした。こないだ、ひよつくりきましてね。私(わたし)の利息(りそく)がたまつている。利息(りそく)の一部(ぶ)としてなるつたけ上等(じょうとう)の金魚(きんぎょ)をもつてこいつて、いやがるんです。私(わたし)は、癪(しゃく)だから、三匹(びき)でせいぜい五千円(せんえん)というランチュウを、三万円(まんえん)だとふつかけて持(も)つて行(い)つたんですが……」
「老人(ろうじん)は金魚(きんぎょ)が好(す)きだつたのかね」
「どうですかね。あんまり好(す)きでもなかつたでしよう。しかし、行(い)つてみると、尺(しゃく)五寸(すん)ほどの瀬戸(せと)の鉢(はち)が、庭(にわ)の土(つち)にいけてあつて、その鉢(はち)は、からつぽだけれど、水(みず)だけはつてあるし、ぐるりに、白(しろ)い砂(すな)をきれいにまいてあつて、かなり大切(たいせつ)にして金魚(きんぎょ)を飼(か)うつもりだつてことはわかりました。なんでも、生(い)き物(もの)というものは、一度(ど)もまだ飼(か)つたことがない、この金魚(きんぎょ)がはじめて飼(か)う生(い)き物(もの)だなんていいましてね。私(わたし)は、これじやいけない。雨水(あまみず)がはいらないようにしたり、日(ひ)よけも作(つく)り、猫(ねこ)の用心(ようじん)で、金網(かなあみ)もあつた方(ほう)がいいつてこと、注意(ちゅうい)しておいてやつたんですが、どうしました、あの金魚(きんぎょ)は、まだ元気(げんき)ですか」
「元気(げんき)じやないよ。老人(ろうじん)といつしよに死(し)んでしまつた。老人(ろうじん)が口(くち)から吐(は)きだした青酸加里(せいさんかり)で死(し)んだのさ」
「あんれま、もつてえねえことしましたね。それじや、あの金魚(きんぎょ)は私(わたし)が持(も)つて行(い)つてから、まる一日(にち)とたたねえうちに、死(し)んでしまつたことになりますね」
「まる一日(にち)……というと、金魚(きんぎょ)をもつて行(い)つたのはいつのことだね」
「五月(がつ)五日(か)の朝(あさ)のうちですよ。金魚(きんぎょ)をよこせといつてきたのが、その前(まえ)の日(ひ)の夕方(ゆうがた)でしてね。どうしてだか、ひどくいそいでもつてこいつていうんでした。あいにくと、私(わたし)のところには、利息代(りそくがわ)りになるほど金魚(きんぎょ)がいねえ。同業(どうぎょう)のところへ行(い)つて、そこから持(も)つていかなくちやならねえから、二日(か)ばかり待(ま)つてくれといつたんですが、どうでも、いそいでもつてこいつていうんです。五月(がつ)五日(か)は、お節句(せっく)で子供(こども)の日(ひ)でしよう。ちよつとしたあてこみの日(ひ)で、私(わたし)は公園(こうえん)の方(ほう)へ商売(しょうばい)に行(い)くつもりだつたんですが、しかたがない、方角(ほうがく)ちがいのおやじのところへ、あのランチュウを持(も)つて行(い)つたというわけでさ」
 老人(ろうじん)が殺(ころ)されたのは、その五日(か)の夜(よる)だつたから、朝(あさ)と夜(よる)との違(ちが)いはあつても、同(おな)じ日(ひ)に金魚屋(きんぎょや)が行(い)つて老人(ろうじん)に会(あ)つたという点(てん)が、なんとなく意味(いみ)あり気(げ)に感(かん)じられる。
 アリバイについて尋(たず)ねてみた。
 すると金魚屋(きんぎょや)は、その頃(ころ)の時刻(じこく)だつたら、パチンコ屋(や)にいたと答(こた)えたから、井口警部(いぐちけいぶ)はその実否(じっぴ)を、平松刑事(ひらまつけいじ)に命(めい)じて確(たし)かめさせることにした。あの金魚好(きんぎょず)きな男(おとこ)に、金魚屋(きんぎょや)のことを調(しら)べさせるのも、ちよつと面白(おもしろ)い、と思(おも)つただけのことである。
 平松刑事(ひらまつけいじ)は、ほかの方面(ほうめん)での聞込(ききこ)みを漁(あさ)りに出(で)かけていたから、署(しょ)へ帰(かえ)つてすぐに、井口警部(いぐちけいぶ)の前(まえ)へ呼(よ)ばれた。
「どうだつた? 何(なに)か掴(つか)んだかね」
「はァ、ちよつとした筋(すじ)でして……」
「ふーん、どんなこと?」
「刈谷音吉(かりやおときち)は、最近(さいきん)のことだが、だいぶたくさんに金塊(きんかい)を買(か)いこんでいたそうですよ。古(ふる)い小判(こばん)などもあるそうで、これは地金屋(ぢがねや)からの聞込(ききこ)みですが」
「そうかい。そいつは初耳(はつみみ)だな。よしきた。その件(けん)もなお念入(ねんい)りに洗(あら)つてみろ。それから君(きみ)には、金魚屋(きんぎょや)とパチンコ屋(や)のことを調(しら)べてきてもらいたいんだがね」
 警部(けいぶ)が話(はな)したのは、金魚屋(きんぎょや)笹山大作(ささやまだいさく)の申立(もうした)てについてである。途中(とちゅう)まで平松刑事(ひらまつけいじ)はだまつて聞(き)いた。そして、ランチュウが老人(ろうじん)の家(うち)へ届(とど)けられたのは、お節句(せっく)の日(ひ)の朝(あさ)だとわかつたとたんに、
「えッ! なんですつて、ランチュウは……」
 叫(さけ)ぶようにいつて眼(め)を輝(かがや)かした。

「オイ、どうしたんだ。ランチュウがどうかしたのかい。死(し)んでいたランチュウだよ」
 警部(けいぶ)の方(ほう)もびつくりした顔(かお)になつて聞(き)きかえしたが、平松刑事(ひらまつけいじ)は、
「え、そうですよ。死(し)んでました。しかし、死(し)ぬ前(まえ)には、生(い)きていたんです」
 そういつて何(なに)かの考(かんが)えを、頭(あたま)の中(なか)でまとめようとする眼(め)つきになつている。
「ばかだな。死(し)ぬ前(まえ)に、生(い)きていたのはあたりまえだろう」
「ええ……そうですね。それはたしかに、あたりまえですが……その生(い)きていた時(とき)には、元気(げんき)にひらひら游(およ)いでいたといいましたから……」
「ちよッ! なにいつてるんだ。ものが金魚(きんぎょ)だろう。生(い)きていたら、ひらひら游(およ)ぐのだつてあたりまえだぞ。それともランチュウつてやつは、游(およ)がずに、しやつちよこ立(だ)ちでもしているのかな」
「あッ、そうか、それも……そうでした。ランチュウは頭(あたま)が重(おも)いせいか、游(およ)ぎながらでも、しやつちよこ立(だ)ちになることが多(おお)いんですよ。――ええと、しかし、へんですねえ」
「どうも困(こま)つた男(おとこ)だな。いつたい何(なに)がどうしたというんだね」
「そうでした。すみません。わけをハッキリと話(はな)さなくちやいけなかつたんです。実(じつ)は、この事件(じけん)の発見者(はっけんしゃ)は、島本守(しまもとまもる)という若(わか)いお医者(いしゃ)さんでしたね」
「そうだよ。そのとおりだよ」
「ところが、その島本(しまもと)が、私(わたし)に、金魚(きんぎょ)はひらひらしていて美(うつく)しかつたといつたんですよ。――いや、そんなふうにいつたのじや、わかりませんね。事件現場(じけんげんば)での話(はなし)です。私(わたし)は、金魚(きんぎょ)のことばかり気(き)にしていました。それから島本(しまもと)に、生(い)きていた時(とき)の金魚(きんぎょ)はどんなだかつて聞(き)いたんです。島本(しまもと)は、ぼたんの鉢(はち)を老人(ろうじん)のところへ持(も)つてきて、庭(にわ)で老人(ろうじん)と立話(たちばなし)をしたというのですから、その時(とき)に、金魚(きんぎょ)を見(み)たはずだと思(おも)つたからです。果(はた)して島本(しまもと)は、とくに注意(ちゅうい)はしなかつたけれど、金魚(きんぎょ)を見(み)たつていいました。そして、ひらひらしていて美(うつく)しかつた、といつたんです」
「わかつたよ。わかつたが、それがどうしたんだね」
「島本(しまもと)の話(はなし)では、ぼたんの鉢(はち)を持(も)つてきたのが、事件発見(じけんはっけん)のあの日、つまり五月(がつ)六日(か)からいうと、一昨日(おととい)だといつたんじやないでしようか。その時(とき)以来(いらい)、老人(ろうじん)には会(あ)わなかつたということもいつたはずです。ところが金魚(きんぎょ)があの土(つち)にいけた鉢(はち)の中(なか)へ入(い)れられたのは五月(がつ)五日(か)、お節句(せっく)の朝(あさ)だということがわかつたんでしよう。六日(か)からいつて一昨日(おととい)は、つまり、五月(がつ)四日(か)にあたりますね。その時(とき)には、鉢(はち)の中(なか)に、金魚(きんぎょ)がいなかつたのじやないでしようか。
 いない金魚(きんぎょ)を、島本(しまもと)は、なぜ見(み)たんですか。いや、たしかに、見(み)たはずはないんです。それを、私(わたし)に、ひらひらしていたなんていつて……」
 まわりくどい話(はな)しぶりだつたが、はじめて井口警部(いぐちけいぶ)にも、このことの重大(じゅうだい)な意味(いみ)がわかつてきた。
 島本医師(しまもといし)は、嘘(うそ)をいつている。
 金魚(きんぎょ)が死(し)んでいたのを見(み)て、多分(たぶん)その金魚(きんぎょ)は、前(まえ)から飼(か)つてあつたものだと考(かんが)えたのであろう。まだ鉢(はち)に入(い)れられていない金魚(きんぎょ)を、見(み)たといつて話(はな)したのである。
「なあるほどね。こりや、おかしくなつた」
 と警部(けいぶ)も首(くび)をかしげた。
「でしよう? かんちがい、ということもあります。しかし全然(ぜんぜん)いなかつたものを見(み)たというのは……」
「大至急(だいしきゅう)あのお医者(いしゃ)さんを洗(あら)おうじやないか。何(なに)か出(で)るよ。すぐとなりに住(す)んでいるのだ。しかも医者(いしゃ)だ。毒物(どくぶつ)の知識(ちしき)もあるはずだし、青酸加里(せいさんかり)だつて入手(にゅうしゅ)できるのだろう。……よし! やれ! パチンコ屋(や)なんか、あとまわしでいい!」
 そうして二人(ふたり)は、いつしよに椅子(いす)を立上(たちあが)つてしまつた。
 配下(はいか)のほとんど全員(ぜんいん)に手配(てはい)を命(めい)じておいて、はじめはしかし、島本守(しまもとまもる)には見張(みは)りだけをつけ、事件現場(じけんげんば)の金魚鉢(きんぎょばち)を調(しら)べた。
 気(き)がついたとなると、あとからあとからと新(あたら)しい着眼点(ちゃくがんてん)がひらけてくる。
 小鳥(ことり)一羽(わ)飼(か)つたこともないという、ごうつくばりの因業(いんごう)おやじが、なぜ金魚(きんぎょ)を飼(か)う気(き)になつたか、その点(てん)にも問題(もんだい)がないことはない。
 調(しら)べると、果(はた)してあつた。
 金魚鉢(きんぎょばち)は、ぐるりに、白(しろ)い砂(すな)をしきつめてある。砂(すな)をはらいのけると、埋(う)めたと見(み)せた鉢(はち)が、すぽりと土(つち)から抜(ぬ)きとれるようになつているのがわかつた。そして、鉢(はち)の下(した)は、みかん箱(ばこ)の大(おお)きさの空洞(くうどう)で、つまり、鉢(はち)の下(した)に何(なに)かをかくしておく場所(ばしょ)ができているのであつた。
 残念(ざんねん)ながら、その空洞(くうどう)は、文字通(もじどお)りの空洞(くうどう)で何(なに)もない。が金魚屋(きんぎょや)の申立(もうした)て中(ちゅう)にあつた老人(ろうじん)の財産(ざいさん)についての話(はなし)と、平松刑事(ひらまつけいじ)が地金屋(ぢがねや)から得(え)て来(き)た聞込(ききこ)みとを照(て)らし合(あわ)せてみて、誰(だれ)の胸(むね)にもピーンと響(ひび)くものがあつた。買(か)いこんだ金塊(きんかい)や古小判(ふるこばん)である。それが前(まえ)にはかくされていて、今(いま)はないというだけのことである。
 金魚鉢(きんぎょばち)の位置(いち)から、庭(にわ)の楓(かえで)の葉(は)がくれではあるが、島本医院(しまもといいん)の白壁(しらかべ)が見(み)えていて、もしその壁(かべ)に穴(あな)があると、こつちを見(み)おろすこともできるはずである。多分(たぶん)老人(ろうじん)は、しばしば金魚鉢(きんぎょばち)の下(した)を覗(のぞ)きにきたことにちがいない。鉢(はち)に水(みず)があつただけでは、万(まん)一の場合(ばあい)人(ひと)に怪(あや)しまれると気(き)がついて、急(きゅう)に金魚(きんぎょ)を入(い)れることにしたが、島本医院(しまもといいん)からは、前(まえ)からして不思議(ふしぎ)に思(おも)い、老人(ろうじん)の挙動(きょどう)を眺(なが)めていたものと考(かんが)えられる。これでもう謎(なぞ)は、大体(だいたい)解(と)けてしまつたのと同(おな)じになる。
「だいじようぶだ。やつつけろ!」
 と井口警部(いぐちけいぶ)は、張(は)りきつて叫(さけ)んだ。

 医師(いし)島本守(しまもとまもる)は、はじめは頑強(がんきょう)に犯行(はんこう)を否認(ひにん)した。
 が、家宅捜索(かたくそうさく)をすると、時価(じか)概算(がいさん)一億円(おくえん)に相当(そうとう)する金塊(きんかい)、白金(はくきん)、その他(た)の地金(ぢがね)が居室(きょしつ)の床下(ゆかした)から発見(はっけん)されたため、ついに包(つつ)みきれずして、刈谷音吉(かりやおときち)毒殺(どくさつ)のてんまつを自供(じきょう)するに到(いた)つた。
 自供(じきょう)の内容(ないよう)は、ほとんどあらかじめ当局側(とうきょくがわ)が想像(そうぞう)していたのと同(おな)じである。
 が、その中(なか)で、とくに興味深(きょうみぶか)く思(おも)われたのは、金魚鉢(きんぎょばち)に関(かん)しての彼(かれ)の述懐(じゅっかい)であつた。
「私(わたし)は、医師(いし)として、老人(ろうじん)の神経痛(しんけいつう)をみてやつたことがありそれが口(くち)をききあつたはじめです。庭(にわ)の金魚鉢(きんぎょばち)に、何(なに)かかくしていると気(き)がついてからは、近所(きんじょ)からも爪(つま)はじきされている老人(ろうじん)に対(たい)し、ことさら親切(しんせつ)にしてやつて、そのかくしているものが何(なに)かということを知(し)るのに努(つと)めたのでした。ある時(とき)老人(ろうじん)が口(くち)をすべらし、金(きん)の売買(ばいばい)が自由(じゆう)になつた話(はなし)をしたものだから、ハッキリとそれは金塊(きんかい)だろうということがわかつたわけです。――ウィスキーは、時々(ときどき)老人(ろうじん)が、縁側(えんがわ)へ出(で)て一人(ひとり)きりで、楽(たの)しそうにチビチビとやつているのを見(み)ていましたから、ぼたんの鉢(はち)を持(も)つて行(い)つた時(とき)、わざと半分(はんぶん)飲(の)みかけのやつを、とくべつに味(あじ)がいいのだからといつて、いつしよに持(も)つて行(い)つておいてきました。庭(にわ)で立話(たちばな)しをしたというのはほんとうで、その時(とき)に、金魚鉢(きんぎょばち)をよく見(み)ておいたら、まだ金魚(きんぎょ)がはいつていなくて、水(みず)がはつてあるだけだとわかつたのでしようけれど、実(じつ)は私(わたし)は金魚鉢(きんぎょばち)には、いつもわざと眼(め)を向(む)けぬように心(こころ)がけていました。というのは、そんな挙動(きょどう)を見(み)せて老人(ろうじん)が私(わたし)を警戒(けいかい)したら、という心配(しんぱい)があつたからです。むろん、金魚鉢(きんぎょばち)だから、金魚(きんぎょ)がいるのだとばかり、はじめから思(おも)いこんでいたのでして、だから、死(し)んだ金魚(きんぎょ)も、ぼたんの鉢(はち)を持(も)つて行(い)つた時(とき)、ひらひら游(およ)いでいたはずだと考(かんが)え、話(はな)しかけてきた刑事(けいじ)さんに、ばつを合(あわ)せるような返事(へんじ)をしたわけです。あとで考(かんが)えてみた時(とき)、事件発見者(じけんはっけんしゃ)としての私(わたし)は、何一(なにひと)つやりそこないをしなかつたという自信(じしん)がありました。容疑(ようぎ)はぜつたいにかからないものときめていたのですが、そんな小(ちい)さな不注意(ふちゅうい)がもとで、とうとう疑(うたが)いがかかつたというのは、正直(しょうじき)なところ、まことに残念(ざんねん)でもあり、また悪(わる)いことは、やはりできないものだということを、しみじみ考(かんが)えさせられた次第(しだい)です……」
 これで事件(じけん)は完全(かんぜん)に解決(かいけつ)されたといつてよいのであろう。
 ほかに、三人(にん)の容疑者(ようぎしゃ)があることはあつたが、むろんこうなれば、問題(もんだい)とするところは何(なに)もない。
 それらの人(ひと)について調査(ちょうさ)の結果(けっか)は、ついに発表(はっぴょう)されなかつたが、事件解決後(じけんかいけつご)、青流亭女将(せいりゅうていおかみ)進藤富子(しんどうとみこ)は、醉(よ)つて腹(はら)を立(た)てた口調(くちょう)になつて、やはり、ある料亭(りょうてい)の女将(おかみ)である女友達(おんなともだち)に向(むか)い、
「ばかにしてるのさ、あたしはね。ほんとうはあの高利貸(こうりか)しに、むかしお金(かね)を借(か)りて、ひどい目(め)にあつたことがあるの。しかえしをしてやろうと思(おも)つていたわ。しかえしに、色仕掛(いろじか)けで、たらしこんでしこたま金(かね)を出(だ)させてやろうと考(かんが)えたつてわけ。ところが、ほんとうに因業(いんごう)おやじでどうにもならない。おまけに、嫌疑(けんぎ)までかけられてさ。警察(けいさつ)で、いろいろ尋(たず)ねられた時(とき)色仕掛(いろじか)けの話(はなし)なんかできやしないし、つくづく、いやになつちやつた……」
 と語(かた)つたし、メッキ工場(こうじょう)の中内技師(なかうちぎし)は、自宅(じたく)でその妻(つま)に対(たい)し、
「いや、もう、ぜつたいにやらんよ。後楽園(こうらくえん)の鯉(こい)を釣(つ)りに行(い)つてたなんてこと、気(き)まりが悪(わる)くて人(ひと)に話(はな)せやしない。だから、映画(えいが)見(み)ていたなんていつちまつたのだが、ともかく、コリゴリだ[#「コリゴリだ」は底本では「コリコリだ」]。平生(へいぜい)から君(きみ)がよせといつたのをきけばよかつた。これは私(わたし)の失敗(しっぱい)。甚(はなは)だすみませんでした。謝(あやま)ります」
 いささかおどけた顔(かお)になつて、畳(たたみ)に手(て)をついて謝(あやま)つたが、一方(ぽう)、犯人逮捕(はんにんたいほ)で第(だい)一の殊勲者(しゅくんしゃ)平松刑事(ひらまつけいじ)は、ある日(ひ)のこと、金魚屋(きんぎょや)さん笹山大作(ささやまだいさく)の、思(おも)いがけぬ訪問(ほうもん)をうけた。
「あとでよくわかつたんだが、私(わたし)もおどろきましたね」
「ふーん、何(なに)をだね」
「この私(わたし)にまで嫌疑(けんぎ)をかけていたんじやねえですかい。とんでもねえことですよ。私(わたし)はあのおやじを憎(にく)んでいたにや憎(にく)んでいた。しかし、殺(ころ)すのだつたら、青酸加里(せいさんかり)なんてやさしい殺(ころ)し方(かた)はしませんよ。てんびん棒(ぼう)かなんかで、殴(なぐ)り殺(ころ)しにでもしなきや、腹(はら)の虫(むし)がいえねえんですからね――。が、まア、殺(ころ)されやがつて、天罰(てんばつ)というところでしよう。ありがてえと思(おも)います。旦那(だんな)にも、お礼(れい)を言(い)いてえと思(おも)いましてね」
「冗談(じょうだん)じやないぜ。それじやまるで、ぼくが刈谷(かりや)を、殺(ころ)してやつたというふうに聞(きこ)えるじやないか」
「ああ、そうか。こいつは私(わたし)の言(い)いそこないだ。が、ともかく、お礼(れい)のつもりで、いいものを持(も)つてきましたよ。旦那(だんな)は金魚(きんぎょ)が好(す)きだそうですね。ランチュウの子(こ)がありまして、こいつは、うまく育(そだ)てりや、大(たい)したものになるでしよう。いえ値段(ねだん)はいいです。さしあげるんですよ。餌(えさ)は、当分(とうぶん)のうち、卵(たまご)の黄身(きみ)にしてください。青酸加里(せいさんかり)だけは、禁物(きんもつ)ということにしましてね」
 藻(も)まで添(そ)えて、数匹(すうひき)の仔魚(しぎょ)を、親切(しんせつ)にも持(も)つてきてくれたのである。
 人間(にんげん)の死体(したい)よりさきに、金魚(きんぎょ)の死(し)んだことを気(き)にした平松刑事(ひらまつけいじ)は、有頂天(うちょうてん)になつて喜(よろこ)んで、その日(ひ)は署(しょ)を早帰(はやがえ)りしてしまつた。
 自宅(じたく)には、金塊(きんかい)こそないけれど、でめきん、りゆうきん、しゆぶんきん、各種各様(かくしゅかくよう)の金魚(きんぎょ)が飼(か)つてある。ランチュウを木製(もくせい)の鉢(はち)にいれて長(なが)いこと眺(なが)めて、嬉(うれ)しそうに口笛(くちぶえ)をふきだした。
(終)
了

底本:「宝石九月号」岩谷書店
   1954(昭和29)年9月1日発行
初出:「宝石九月号」岩谷書店
   1954(昭和29)年9月1日発行
※底本は新字新仮名づかいです。なお平仮名の拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。
入力:sogo
校正:大野裕
2017年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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