あらすじ
カリフォルニア大学に寄宿する日本人の内村君は、ケンカっ早いアメリカ人学生ポール(通称ブル)のせいで、周りの学生たちが怯え、ラサハ倶楽部の「友だちの愛」が失われつつあることに頭を悩ませていました。そんな中、内村君はブルとの意外な勝負に挑むことになります。果たして、内村君はブルを相手にどんな戦いを繰り広げるのでしょうか?
「きみ! ブルはなまいきじゃないか?」と、一人(ひとり)が小声で、ささやくと、
「そうだよ、ブルはなまいきだとも! あんなにいばる男は、世界じゅうにないぜ」と、別の一人が答える。しかし、これも小声だ。
 みんなが「ブルはなまいきだ」という。けれど、大きな声でいうものは一人(ひとり)もない。ブルにきこえたら、それこそ、どんな目にあわされるかしれないからだ。なにしろブルは強い。すごく強いんだ。拳闘(けんとう)の第一選手だし、おまけに、非常ならんぼうものだ。だれ一人、ブルにかなうものはない。
「来たよ来たよ、だまって!」
 ブルがくると、だれもだまってしまう。うっかりして、相手になると、すぐにらんぼうされるからだ。それほど、みんながブルを、こわがってる。ガンと一つ顔でもなぐられたら、頬(ほお)が五日(か)もいたんで、一きれのパンも、かめなくなる。スープばかり吸(す)っていなければならない、という評判(ひょうばん)なのだ。
 そんな評判が、ほんとうだろうか? しかし、ブルの顔とからだつきを見ると、だれでも「なるほど」と思わずにいられない。――犬に「ブルドッグ」というのがいる。からだの幅(はば)がひろくて、骨組(ほねぐ)みが太い。肉という肉がはりきってる。頭が大きくてまるい。鼻は低くて上を向いてる。下のあごが上のあごよりつき出ていて、口がひらべったく大きい。かみついたとなったら、死んでもはなさない。すごい猛犬(もうけん)だ。この猛犬の「ブルドッグ」と、いまみんなが「なまいき」だというブルとは、顔も、からだつきも、かみついたら、死んでもはなさないというすごい性質まで、そっくり似てるんだ。いや、似てるから「ブル」とあだ名をつけたのだ。ほんとうの名前は「ポール」だ。けれど、だれも、「ポール」なんて、やさしい呼(よ)び方(かた)をするものは、一人(ひとり)もいない。かげで「ブル」「ブル」という。そのブルと顔を見合わせたときは、ソッとだまってしまう。
 すると、ブルは、みんながだまって、相手にしなくなったから、二、三日前から一人でおこってる。おこっても、相手がないから、けんかができない。そこで、洗濯代(せんたくだい)をはらわずにいるのだ。すると、洗濯屋のジョージが、さいそくにきた。このジョージも強い。牧場で牛があばれだしたとき、走っていってとりおさえたのは、ジョージの力だ。
「ポールさん、洗濯代をはらってください」と、ジョージがきていうと、
「なに?」ブルが下あごをつき出して、ニヤリとわらった。
 さあブルのらんぼうがはじまるぞ! と、みんなが青くなった。ちょうど食堂にいたときだ。中には焼き肉を半分、食いかけたままで、コソコソと逃(に)げだしたものもいる。ぼくは、このとき、すみの方で、ジャガイモを食いかけていた。
「なにって、前の月の洗濯代(せんたくだい)が、まだいただかずにあるんです。ぼくが主人にさいそくされて、こまってるんですから、どうかおはらいください、ポールさん」と、ジョージがブルに、ていねいにいってる。
「ハッハッハッ」と、ブルが、わらったかと思うと、いきなりどなりだした。
「ヤイ、ジョージ! きさまはおれに、恥(はじ)をかかせたな、みんなの前で、さいそくなんかしやがって、こい! もすこし前へこい!」
「いや、恥をかかせるなんて、そんなことが、あるもんですか。みんなの前でとおっしゃっても、ここの倶楽部(くらぶ)の方ばかりで、みなさんは仲(なか)のいい兄弟のような方じゃありませんか」と、ジョージが、やさしくいうと、
「だまれッ! なにが兄弟だ。きさままでおれに反対するかッ」
 と、いきなりブルが立ち上がった、と思うと、ジョージにとびかかっていった。ジョージもおこった。ものもいわずにブルへ打ってかかる。打たれてブルはすごく顔色をかえた。と見るまに組みついた。大げんか、大格闘(だいかくとう)になった。みんながバラバラと逃(に)げだした。けんかをとめたりしたら、あとで、「ヤイ、なぜとめた。おれの勝つけんかを、なぜとめた」と、ブルがくってかかる。しかし、だまって見てたら、
「きさま、なぜ見てた。なぜ加勢しなかった」と、やはりおこってくる。もしも加勢したら、「オイ、おれが弱いと思ったのか。さあこい、きさまが相手だ」と、どうしてもつっかかってくる。それを知ってるから、みんなが逃げだしてしまって、ぼくばかりのこった。ジャガイモを食いながら、目の前の大格闘を見てると、
「エイッ!」すごい気合いとともに、ブルが、ジョージのからだを、つり上げた、と思うと、
「ウッ」ジョージが、ブルに、しがみついた。
「な、なにをッ!」
 と、すごい力をからだ中にこめたブル、いきなり、ジョージを肩(かた)の上までグッとさしあげると、そのまま下へ力いっぱい投げつけた。
「ウーン」と、いったきり、さすがのジョージも、床(ゆか)の上にひらたくなったまま、肩で息をしてる。起きられないのだ。
 ブルは、息もつかずに、ぼくの方を、ジロリと見て、
「どうだ? おれに手向かいするやつは、ヘッ、こんなものだぞ!」
 と、いうと、廊下(ろうか)の方へ、ノソリノソリと出ていった。どうしたのか、ぼくにくってかからない。――ハハア、ブルのやつ、ぼくが日本人だから、すこしはこわがってるんかな? と、そう思いながら、ぼくはジョージの倒(たお)れてるところへいって、だきおこしてやった。

 ブルは、牛より強いジョージに勝ってから、いよいよらんぼうになった。洗濯代(せんたくだい)ばかりでなく、倶楽部(くらぶ)の代金まで、まるではらわなくなった。この倶楽部(くらぶ)というのは、学生の寄宿舎なのだ。名前を「ラサハ倶楽部(くらぶ)」という。「ラサハ」というのは、ギリシャのことばで、「友だちの愛」という意味だ。ところが、ブル一人(ひとり)のらんぼうで、みんながビクビクしてる。「友だちの愛」が、ブルのために、やぶれてるのだ。このみんなは、カリフォルニヤ大学の学生で、その大学は、米国(べいこく)の大都会サンフランシスコにある。ぼくは、和歌山中学(わかやまちゅうがく)を卒業してから、このカリフォルニヤ大学へはいって、そして、ラサハ倶楽部(くらぶ)に、寄宿してたのだ。日本人はぼくばかり、ほかはみんな、米国人だ。ブルを合わせて四十八人、そのほかに、フランクという倶楽部長(くらぶちょう)がいた。このフランクが、ぼくの部屋(へや)へきて、ほんとうにこまってる顔をしながら、
「内村(うちむら)君、ブルが下宿代をはらわないんだ。しかし、追い出すといったりしたら、それこそたいへんだしね。どうしたものだろう?」と、相談しだした。
「さあ、拳闘(けんとう)の第一選手だというんだから、いばらしておくさ」と、ぼくは、ブルなんかなんとも思ってない。すると、
「ただいばるだけならいいが、ブルがいるので、倶楽部(くらぶ)を出ていくものもあるしね、なんとかならないものだろうか?」と、倶楽部長(くらぶちょう)フランクが小声でいう。
「なんとかならないものかって、どうするんだ?」と、きいてみると、
「きみはこの前、ブルが洗濯屋(せんたくや)のジョージを、たたきつけたときに、一人(ひとり)でジャガイモを食ってたそうだね、ほんとうかい?」と、また、たずねる。
「ウン、食ってたよ、うまかった」
「フウム、すると、ほんとうだね。それがみんなの評判(ひょうばん)になってるんだが、きみは、いったい、ブルがこわかないのかい」
「べつにこわかないね」
「ホウ、すると、どうだろう? きみとブルと試合したら、どっちが勝つと思うね? 内村君(うちむらくん)」
「それあ、やってみないとわからないさ。しかし、まず負けることはあるまいね」
「エッ、きみ、すると、勝てるつもりかい、ほんとうに?」
「そうさ、日本人は勝つといったら勝つよ」
「フウム、やはり、拳闘(けんとう)でやるかい? 試合となったら」
「なあに、拳闘なんか、いらないだろう。ブルが相手なら。そうだね、まず、小指一本さ」
「エエッ? 小、小指、一本? きみ、それあ、まったくかい? 小指一本?」
 と、うっかり「小指一本」とぼくがいったのを、倶楽部長(くらぶちょう)のフランクは、びっくりしてしまって、自分の小指を出して見せながら、
「こ、これで、きみ、ブルに勝つというのかい?」と、目をみはって、真剣(しんけん)にたずねる。
 さあぼくは弱った。フランクの真剣な顔を見ると、「いまいったのはちがうよ、うそだよ、冗談(じょうだん)だよ」ともいえなくなってしまった。しかたがないから思いきって、
「ウン、まず小指一本、……で、いいだろう」と、いうと、
「ありがたいッ! 実にありがたい!」と、フランクが、いきなり立ち上がった。と思うと、
「きみはラサハ倶楽部(くらぶ)の救い主だ!」と、大声でさけびだしながら、部屋(へや)を出ていってしまった。

 これからがたいへんだ。フランクが倶楽部(くらぶ)じゅうのものに、「内村(うちむら)は小指一本でポールに勝つといってる」と話したらしい。すぐにポールのブルがききつけて、カンカンにおこったのだ。いきなり、拳闘試合(けんとうじあい)をぼくに申し込んできた。どうもしかたがない。「よろしい。やろう!」とぼくもすぐに返事した。すると、この試合の評判(ひょうばん)が、大学じゅうにひろがってしまった。大学でもポールの別の名はブルだ。そこで、
「ブルを小指一本で、日本人の内村(うちむら)が、投げとばすそうだ」という大評判なのだ。小指のことを、英語で「赤ん坊の指(ベービイフィンガア)」という。大きな牛のようなブルを、赤(あか)ん坊(ぼ)の指一本でなげとばすというんだから、この大評判が、とうとう、新聞にまで出てしまった。いよいよ、大さわぎになって、ミス・ネールという金持ちのお嬢(じょう)さんは、この試合に二十万円の懸賞(けんしょう)を出すと、これまた新聞に書かせてしまった。なにしろブルは、拳闘(けんとう)の第一選手だ。いままでにも名前が知れてる。そのブルと赤(あか)ん坊(ぼ)の指一本の試合だ。そこへ二十万円の懸賞! さあもう、たいへんな人気だ。
 ところが、ぼくは一時に有名になってしまって、なお弱った。和歌山中学(わかやまちゅうがく)で関口流(せきぐちりゅう)の柔道(じゅうどう)を、初段(しょだん)くらいまでおそわったのだ。だから、ブルをこわがりもしないし、試合したって、三回が三回とも負けるとは思わない。が、しかし、なにしろ「小指一本」には、どうしたらいいか、自分でもわからないんだ。倶楽部長(くらぶちょう)のフランクに、ふと冗談(じょうだん)にいったのを、とても後悔(こうかい)したが、もういまのような大評判になっては、追いつかない。食堂へいくたびに、ブルはブルで、ぼくの小指ばかり、にらんでる。みんなはまた、ブルのいないところで、
「内村(うちむら)君、きみの赤ん坊の指(ベービイフィンガア)を大事にしたまえよ!」と、本気になっていう。
 新聞記者がまいにち、写真機を持ってきて、
「内村君の赤ん坊の指(ベービイフィンガア)をうつさしてくれ」と、たのみにくる。日本の柔道(じゅうどう)には、小指一本で勝つ術があるのだと、みんなが信じてるのだ。
 写真はもちろん、うつさせなかった。が、ぼくは気が気でない。しかし、弱った顔は見せられない。心の中(うち)で大弱りに弱ってると、いよいよ試合の日になった。倶楽部(くらぶ)のテニスコートが、この日の試合場だ。審判官(しんぱんかん)は一人(ひとり)ときめてフランクがなる。ところが、朝、夜の明けないうちから見物人がくるわくるわ、巡査(じゅんさ)が交通のとりしまりに十六人もかけつけてきたというさわぎだ。どうもしかたがない。

 ――ブルとぼくの小指一本の試合だ!
 ブルは牛みたいなからだに、拳闘(けんとう)のしたくをかためて、堂々とあらわれた。ぼくは背広服(せびろふく)の上着(うわぎ)をぬいだきりだ。柔道(じゅうどう)の稽古着(けいこぎ)も持ってないし、わざと平気な顔をして出ていくと、
「ワーッ」と、四方の見物席はたいへんなさわぎだ。そこでブルとぼくが両方にはなれて立った。
 審判官(しんぱんかん)のフランクが、時計(とけい)を見ながら、
「はじめ!」と、ふるえ声でいった。第一回の勝負は三分できめるんだ。
 見ると、ブル、今日(きょう)はまた一だんとすごい顔をしかめて、両手を前につき出しながら、ジリジリ、ジリジリとよってくる。――きたナ! と、ぼくも身がまえながら、ヒョイと顔の前に左の小指を出してふった。すると、
「ワアーッ! ワア――」と、何千人という見物人が声をあげて、パチパチと手をたたくひびきが雷(らい)のようだ。
試合の挿絵
 ブルがまっかになった。ぼくの小指を、にらみながら、目が血ばしってる。ぼくはヒクヒクとまた小指をふって見せた。ブルがまっさおになってきた。小指一本が、どんな術があるのかと、気味がわるいらしい。一メートルほど前から近よってこない。両腕(りょううで)を上下につき出して、顔を低くして、一生けんめいに、ぼくの小指を、にらんでる。そのまま身うごきもしない。こうなると、ぼくは急に愉快になってきた。ふいに、
「こい(カムオン)!」と、小指をヒクヒクふると、
「…………」ブルが顔をしかめて、ビクッとする。
「ワアーッ」と、見物人はますます声をあげる。
「こい(カムオン)!」
「…………」ブル、まっさおだ。汗(あせ)をながしてる。
「ワアーッ」バチバチバチバチ。「ワアーッ」
「こい(カムオン)!」ヒクヒク。
「…………」ブル、まったく汗だらけだ。
「あと二十秒!」フランクがいう。
「…………」ブル、また赤くなってきた。
「こい(カムオン)!」ヒクヒクヒク。
「…………」ブル、目がすわってきた。
「あと十秒! ……五秒! ……」
 フランクのことばとともに、そのとき、サッとブルが小指へとびかかってきた、眼(め)にもとまらぬ電光石火、ハッと身をしずめたぼく、頭の上にブルの腕(うで)と胸(むね)がのびてるやつを、そのままの背負(せお)いなげ! 敵の力で敵をなげる柔道(じゅうどう)の、これこそ術だ、みごとにきまって、
「エエイッ!」
 ブルのでかいからだがかるくて紙一枚のようだ、とびかかってきた自分の力でさかおとしに、ドスーンとむこうへ宙返(ちゅうがえ)りを打った、と、ぼくはヒラリと左の小指を上げた。
 見物人が総立ちになった、さあたいへんだ! ツンボになるような「ワアーッ、ワワワワワ――」という声が、ぼくの小指一本にあつまってる。フランクもボンヤリしてる。ところが、見ると、ブルが倒(たお)れたままだ。テニスコートのかたいコンクリートの上へ、背負いなげでたたきつけられて、長くなってる。いってみると、目をまわしてるんだ。そこでぼくがうつむいて、手をのばすと、見物人がシーンとしずまった。――よし! と、ぼくは考えて、ブルの腹(はら)の上へ、うつむいた。柔道には「腹活(ふっかつ)」という手がある。腹へ活を入れて、目をまわしてる相手の息をふきかえさせる、これまた術だ。ぼくは、ブルの腹へ、右手で、
「エイッ!」と、活を入れて、左の小指をスッと上げた、そしてヒクヒク動かしてるうちに、
「ウウーン」ブルが、うなると、ムクムク起きあがった、が、ぼくの顔と小指を見ると、おそろしそうに顔色をかえた。
「どうだ? ポール!」と、いうと、
「…………」ブルのポールが、ふるえながら、ぼくの右手をにぎりしめて頭を下げた。
 見物人がみんな四方からワアーッとおりて走ってきた。
 あとはいわなくてもいいだろう。ポールはおとなしくなって、ラサハ倶楽部(くらぶ)は「友だちの愛」でさかんになるし、倶楽部長フランクは大よろこびさ。なに? 懸賞(けんしょう)の二十万円なんか、だれがもらうものか、ミス・ネールにソックリ返してやったよ。
(昭和六年一月号)
了

底本:「少年倶楽部名作選3 少年詩・童謡ほか」講談社
   1966(昭和41)年12月17日発行
底本の親本:「少年倶楽部」講談社
   1931(昭和6)年1月号
初出:「少年倶楽部」講談社
   1931(昭和6)年1月号
※嶺田弘(1900(明治33)年2月1日〜1965(昭和40)年9月28日)の挿絵を同梱しました。
入力:sogo
校正:雪森
2017年1月1日作成
2017年1月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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