あらすじ
種田山頭火は、出家得度後、肥後の片田舎の観音堂守となり、山林独住の静かな生活を送っていました。しかし、やがて「解くすべもない惑い」を抱え、行乞流転の旅に出ます。山陽道、山陰道、四国、九州とあてもなくさまよい、時には山奥で繭負いをする人に出会い、時には笠にトンボを乗せて歩き、時には彼岸花が咲き続ける道を歩き続けました。行く先々で様々な人々との出会いがあり、自然の風景やそこに生きる人々の生活に触れながら、山頭火は自身の内面と向き合っていくのです。
若うして死をいそぎたまへる
母上の霊前に
本書を供へまつる


   鉢の子


大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。

松はみな枝垂れて南無観世音

松風に明け暮れの鐘撞いて

ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる

大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。

分け入つても分け入つても青い山

しとどに濡れてこれは道しるべの石

炎天をいただいて乞ひ歩く

     放哉居士の作に和して

鴉啼いてわたしも一人

生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)

生死の中の雪ふりしきる

木の葉散る歩きつめる

昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。

踏みわける萩よすすきよ

この旅、果もない旅のつくつくぼうし

へうへうとして水を味ふ

落ちかかる月を観てゐるに一人

ひとりで蚊にくはれてゐる

投げだしてまだ陽のある脚

山の奥から繭負うて来た

笠にとんぼをとまらせてあるく

歩きつづける彼岸花咲きつづける

まつすぐな道でさみしい

だまつて今日の草鞋穿く

ほろほろ酔うて木の葉ふる

しぐるるや死なないでゐる

張りかへた障子のなかの一人

水に影ある旅人である

雪がふるふる雪見てをれば

しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

食べるだけはいただいた雨となり

木の芽草の芽あるきつづける

生き残つたからだ掻いてゐる

昭和四年も五年もまた歩きつづけるより外なかつた。あなたこなたと九州地方を流浪したことである。

わかれきてつくつくぼうし

また見ることもない山が遠ざかる

こほろぎに鳴かれてばかり

れいろうとして水鳥はつるむ

百舌鳥啼いて身の捨てどころなし

どうしようもないわたしが歩いてゐる

涸れきつた川を渡る

ぶらさがつてゐる烏瓜は二つ

     大観峰

すすきのひかりさえぎるものなし

分け入れば水音

すべつてころんで山がひつそり

     昧々居

雨の山茶花の散るでもなく

しきりに落ちる大きい葉かな

けさもよい日の星一つ

すつかり枯れて豆となつてゐる

つかれた脚へとんぼとまつた

枯山飲むほどの水はありて

捨てきれない荷物のおもさまへうしろ

法衣こんなにやぶれて草の実

旅のかきおき書きかへておく

岩かげまさしく水が湧いてゐる

あの雲がおとした雨にぬれてゐる

ここに白髪を剃り落して去る

秋となつた雑草にすわる

こんなにうまい水があふれてゐる

年とれば故郷こひしいつくつくぼうし

岩が岩に薊咲かせてゐる

それでよろしい落葉を掃く

水音といつしよに里へ下りて来た

しみじみ食べる飯ばかりの飯である

まつたく雲がない笠をぬぎ

墓がならんでそこまで波がおしよせて

酔うてこほろぎと寝てゐたよ

     昧々居

また逢へた山茶花も咲いてゐる

雨だれの音も年とつた

見すぼらしい影とおもふに木の葉ふる

     緑平居 二句

逢ひたい、捨炭ボタ山が見えだした

枝をさしのべてゐる冬木

物乞ふ家もなくなり山には雲

あるひは乞ふことをやめ山を観てゐる

     述懐

笠も漏りだしたか

霜夜の寝床がどこかにあらう

     熊本にて

安か安か寒か寒か雪雪

昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかつた。またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである。

     自嘲

うしろすがたのしぐれてゆくか

鉄鉢の中へも霰

いつまで旅することの爪をきる

     呼子港

朝凪の島を二つおく

     大浦天主堂

冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ

ほろりとぬけた歯ではある

寒い雲がいそぐ

ふるさとは遠くして木の芽

よい湯からよい月へ出た

はや芽吹く樹で啼いてゐる

笠へぽつとり椿だつた

しづかな道となりどくだみの芽

蕨がもう売られてゐる

朝からの騒音へ長い橋かかる

ここにおちつき草萌ゆる

いただいて足りて一人の箸をおく

しぐるる土をふみしめてゆく

秋風の石を拾ふ

今日の道のたんぽぽ咲いた


   其中一人


雨ふるふるさとははだしであるく

くりやまで月かげの一人で

かるかやへかるかやのゆれてゐる

うつりきてお彼岸花の花ざかり

朝焼雨ふる大根まかう

草の実の露の、おちつかうとする

ゆふ空から柚子の一つをもらふ

茶の花のちるばかりちらしておく

いつしか明けてゐる茶の花

冬が来てゐる木ぎれ竹ぎれ

月が昇つて何を待つでもなく

ひとりの火の燃えさかりゆくを

お正月の鴉かあかあ

落葉の、水仙の芽かよ

あれこれ食べるものはあつて風の一日

水音しんじつおちつきました

茶の木も庵らしくひらいてはちり

誰か来さうな空が曇つてゐる枇杷の花

落葉ふる奥ふかく御仏を観る

雪空の最後の一つをもぐ

其中雪ふる一人として火を焚く

ぬくい日の、まだ食べるものはある

月かげのまんなかをもどる

雪へ雪ふるしづけさにをる

雪ふる一人一人ゆく

落葉あたたかうして藪柑子

茶の木にかこまれそこはかとないくらし

     或る友に

月夜、手土産は米だつたか

あるけば蕗のとう

椿ひらいて墓がある

ひつそりかんとしてぺんぺん草の花ざかり

いちりん※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)の椿いちりん

音は朝から木の実をたべに来た鳥か

ぬいてもぬいても草の執着をぬく

もう暮れる火の燃え立つなり

人が来たよな枇杷の葉のおちるだけ

けふは蕗をつみ蕗をたべ

何とかしたい草の葉のそよげども

すずめをどるやたんぽぽちるや

もう明けさうな窓あけて青葉

ながい毛がしらが

こころすなほに御飯がふいた

てふてふうらからおもてへひらひら

やつぱり一人がよろしい雑草

けふもいちにち誰も来なかつたほうたる

すツぱだかへとんぼとまらうとするか

かさりこそり音させて鳴かぬ虫が来た


   行乞途上


松風すずしく人も食べ馬も食べ

けふもいちにち風をあるいてきた

何が何やらみんな咲いてゐる

あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ

あざみあざやかなあさのあめあがり

うつむいて石ころばかり

若葉のしづくで笠のしづくで

ほうたるこいこいふるさとにきた

お寺の竹の子竹になつた

松かぜ松かげ寝ころんで

明けてくる鎌をとぐ

ひとりきいてゐてきつつき

かたむいた月のふくろうとして

     川棚温泉

花いばら、ここの土とならうよ

待つてゐるさくらんぼ熟れてゐる

山ふところのはだかとなり

山路はや萩を咲かせてゐる

ここにふたたび花いばら散つてゐる

朝の土から拾ふ

石をまつり水のわくところ

いそいでもどるかなかなかなかな

山のいちにち蟻もあるいてゐる

雲がいそいでよい月にする

朝は涼しい茗荷の子

いつも一人で赤とんぼ

旅の法衣がかわくまで雑草の風

     川棚を去る

けふはおわかれの糸瓜がぶらり

ぬれるだけぬれてきたきんぽうげ

うごいてみのむしだつたよ

いちじくの葉かげあるおべんたうを持つてゐる

水をへだててをなごやの灯がまたたきだした

かすんでかさなつて山がふるさと

春風の鉢の子一つ

わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく

     帰庵

ひさびさもどれば筍によきによき

びつしより濡れて代掻く馬は叱られてばかり

はれたりふつたり青田になつた

草しげるそこは死人を焼くところ

朝露しつとり行きたい方へ行く

ほととぎすあすはあの山こえて行かう

笠をぬぎしみじみとぬれ


  家を持たない秋がふかうなるばかり
 行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに孤ならず、欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。
 昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。
  曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

 私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。今日は酒が好きな程度に於て水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかも知れない。
「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かつた。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチヤンポンになつてゐる。これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水――それが私の境涯でなければならないから。
(昭和八年十月十五日、其中庵にて 山頭火)
   山行水行


山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆふべもよろし


炎天かくすところなく水のながれくる

日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ

待つでも待たぬでもない雑草の月あかり

風の枯木をひろうてはあるく

向日葵や日ざかりの機械休ませてある

蚊帳へまともな月かげも誰か来さうな

糸瓜ぶらりと地べたへとどいた

夕立が洗つていつた茄子をもぐ

こほろぎよあすの米だけはある

まことお彼岸入の彼岸花

手がとどくいちじくのうれざま

おもひでは汐みちてくるふるさとのわたし場

しようしようとふる水をくむ

一つもいで御飯にしよう

ふと子のことを百舌鳥が啼く

山のあなたへお日さま見おくり御飯にする

昼もしづかな蠅が蠅たたきを知つてゐる

酔へなくなつたみじめさはこほろぎがなく

はだかではだかの子にたたかれてゐる

ほんによかつた夕立の水音がそこここ

やつと郵便が来てそれから熟柿のおちるだけ

散るは柿の葉咲くは茶の花ざかり

うれてはおちる実をひろふ

人を見送りひとりでかへるぬかるみ

月夜、あるだけの米をとぐ

空のふかさは落葉しづんでゐる水

石があれば草があれば枯れてゐる

お月さまが地蔵さまにお寒くなりました

水音のたえずしていばらの実

うしろから月のかげする水をわたる

しぐるる土に播いてゆく

     或る若い友

落葉を踏んで来て恋人に逢つたなどといふ

ぽきりと折れて竹が竹のなか

月がうらへまはれば藪かげ

とぼしいくらしの屋根の雪とけてしたたる

ほいないわかれの暮れやすい月が十日ごろ

街は師走の八百屋の玉葱芽をふいた

ことしもこんやぎりのみぞれとなつた

なんといふ空がなごやかな柚子の二つ三つ

ここにかうしてわたしをおいてゐる冬夜

焚くだけの枯木はひろへた山が晴れてゐる

病めば鶲がそこらまで

よびかけられてふりかへつたが落葉林

雪へ足跡もがつちりとゆく

酒をたべてゐる山は枯れてゐる

しんみり雪ふる小鳥の愛情

遠山の雪も別れてしまつた人も

雪のあかるさが家いつぱいのしづけさ

藪柑子もさびしがりやの実がぽつちり

枯れてしまうて萩もすすきも濡れてゐる

椿のおちる水のながれる

寝ざめ雪ふる、さびしがるではないが

誰か来さうな雪がちらほら

ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない

汽車のひびきも夜明けらしい楢の葉の鳴る

月がうらへまはつても木かげ

枯れたすすきに日の照れば誰か来さうな

何もかも雑炊としてあたたかく

蓑虫もしづくする春が来たぞな

     病みほほけて信濃より帰庵

草や木や生きて戻つて茂つてゐる

病みて一人の朝がゆふべとなりゆく青葉

柿の若葉のかがやく空を死なずにゐる

蜂がてふちよが草がなんぼでも咲いて

けさは水音も、よいたよりでもありさうな

いつもつながれてほえるほかない犬です

ほんにしづかな草の生えては咲く

生えて伸びて咲いてゐる幸福

閉めて一人の障子を虫が来てたたく

影もはつきりと若葉

ひよいと穴からとかげかよ

誰も来てくれない蕗の佃煮を煮る

     千人風呂

ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯

うれしいこともかなしいことも草しげる

ひとりひつそり竹の子竹になる

山から山がのぞいて梅雨晴れ

朝からはだかでとんぼがとまる

食べる物はあつて酔ふ物もあつて雑草の雨

炎天のはてもなく蟻の行列

蜘蛛は網張る私は私を肯定する

いつでも死ねる草が咲いたり実つたり

日ざかり落ちる葉のいちまい

霽れててふてふ二つとなり三つとなり

青空したしくしんかんとして

ここにわたしがつくつくぼうしがいちにち

百合咲けばお地蔵さまにも百合の花

草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ

風がすずしく吹きぬけるので蜂もとんぼも

ふるさとの水をのみ水をあび

ここを死に場所とし草のしげりにしげり

誰にあげよう糸瓜の水をとります

お彼岸のお彼岸花をみほとけに

彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり

秋風の、腹立ててゐるかまきりで

おちついて柿もうれてくる

重荷を負うてめくらである

つくつくぼうしあまりにちかくつくつくぼうし

柿の木のむかうから月が柿の木のうへ

寝床へ日がさす柿の葉や萱の穂や

何か足らないものがある落葉する

     郵便屋さん

たより持つてきて熟柿たべて行く

百舌鳥のさけぶやその葉のちるや

     樹明君に

うらから来てくれて草の実だらけ

ともかくも生かされてはゐる雑草の中


   旅から旅へ


わかれてきた道がまつすぐ

月も水底に旅空がある

柳があつて柳屋といふ涼しい風

みんなたつしやでかぼちやの花も

夕立晴れるより山蟹の出てきてあそぶ

そこから青田のよい湯かげん

昼寝さめてどちらを見ても山

旅はいつしか秋めく山に霧のかかるさへ

よい宿でどちらも山で前は酒屋で

すわれば風がある秋の雑草

ここで寝るとする草の実のこぼれる

萩がすすきがけふのみち

     白船居

うらに木が四五本あればつくつくぼうし

道がなくなり落葉しようとしてゐる

木の葉ふるふる鉢の子へも

柳ちるそこから乞ひはじめる

よい道がよい建物へ、焼場です

     長門峡

いま写します紅葉が散ります

あるけば草の実すわれば草の実

春が来た水音の行けるところまで

梅もどき赤くて機嫌のよい目白頬白

春寒のをなごやのをなごが一銭持つて出てくれた

さて、どちらへ行かう風がふく

この道しかない春の雪ふる

けふはここまでの草鞋をぬぐ

     石鴨荘

草山のしたしさは鶯も啼く

いつとなくさくらが咲いて逢うてはわかれる

     橋畔亭

先生のあのころのことも楓の芽

樹が倒れてゐる腰をかける

     津島同人に

おわかれの水鳥がういたりしづんだり

燕とびかふ旅から旅へ草鞋を穿く

     名古屋同人に

もう逢へますまい木の芽のくもり

乞ひあるく水音のどこまでも

     木曾路 三句

飲みたい水が音たててゐた

山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる

山しづかなれば笠をぬぐ

     飯田にて病む 二句

まこと山国の、山ばかりなる月の

あすはかへらうさくらちるちつてくる


 山行水行はサンコウスイコウとも或はまたサンギヨウスイギヨウとも読まれてかまはない。私にあつては、行くことが修することであり、歩くことが行ずることに外ならないからである。

 昨年の八月から今年の十月までの間に吐き捨てた句数は二千に近いであらう。その中から拾ひあげたのが三百句あまり、それをさらに選り分けて纏めたのが以上の百四十一句である。うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである。この意味に於て、私は恥ぢることなしにそのよろこびをよろこびたいと思ふ。

  あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
  あるけば草の実すわれば草の実
 この二句は同型同曲である。どちらも行乞途上に於ける私の真実をうたつた作であるが、現在の私としては前句を捨てて後句を残すことにする。

 私はやうやく『存在の世界』にかへつて来て帰家穏坐とでもいひたいここちがする。私は長い間さまようてゐた。からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。在るべきものに苦しみ、在らずにはゐないものに悩まされてゐた。そしてやうやくにして、在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。
 在るべきものも在らずにはゐないものもすべてが在るものの中に蔵されてゐる。在るものを知るときすべてを知るのである。私は在るべきものを捨てようとするのではない、在らずにはゐないものから逃れようとするのではない。
『存在の世界』を再認識して再出発したい私の心がまへである。
 うたふものの第一義はうたふことそのことでなければならない。私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがひである。
(昭和九年の秋、其中庵にて 山頭火)
   雑草風景


柿が赤くて住めば住まれる家の木として

みごもつてよろめいてこほろぎかよ

日かげいつか月かげとなり木のかげ

残された二つ三つが熟柿となる雲のゆきき

みんなではたらく刈田ひろびろ

誰も来ないとうがらし赤うなる

病めば梅ぼしのあかさ

なんぼう考へてもおんなじことの落葉ふみあるく

落葉ふかく水汲めば水の澄みやう

     病中 二句

寝たり起きたり落葉する

ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる

月のあかるい水汲んでおく

     白船老に

あなたを待つてゐる火のよう燃える

ちよいと茶店があつて空瓶に活けた菊

     多賀治第二世の出生を祝して

お日様のぞくとすやすや寝顔

悔いるこころに日が照り小鳥来て啼くか

落葉ふんで豆腐やさんが来たので豆腐を

枯れゆく草のうつくしさにすわる

冬がまた来てまた歯がぬけることも

噛みしめる味も抜けさうな歯で

竹のよろしさは朝風のしづくしつつ

霽れて元日の水がたたへていつぱい

舫ひてここに正月の舳をならべ

枯木に鴉が、お正月もすみました

どこからともなく散つてくる木の葉の感傷

しぐれつつうつくしい草が身のまはり

ひつそり暮らせばみそさざい

ぶらりとさがつて雪ふる蓑虫

雪もよひ雪にならない工場地帯のけむり

あたたかなれば木かげ人かげ

住みなれて藪椿いつまでも咲き

あるがまま雑草として芽をふく

ぬくうてあるけば椿ぽたぽた

風がほどよく春めいた藪と藪

ほろにがさもふるさとの蕗のとう

ゆらいで梢もふくらんできたやうな

山から白い花を机に

ある日は人のこひしさも木の芽草の芽

人声のちかづいてくる木の芽あかるく

伸びるより咲いてゐる

草のそよげば何となく人を待つ

ひとりたがやせばうたふなり

花ぐもりの窓から煙突一本

ひつそり咲いて散ります

枇杷が枯れて枇杷が生えてひとりぐらし

照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき

空へ若竹のなやみなし

身のまはりは草だらけみんな咲いてる

ころり寝ころべば青空

何を求める風の中ゆく

草を咲かせてそしててふちよをあそばせて

青葉の奥へなほ径があつて墓

それもよからう草が咲いてゐる

月がいつしかあかるくなればきりぎりす

木かげは風がある旅人どうし

日の光ちよろちよろとかげとかげ

月のあかるさがうらもおもてもきりぎりす

     樹明君に

あんたが来てくれさうなころの風鈴

炎天の稗をぬく

てふてふもつれつつかげひなた

もう枯れる草の葉の雨となり

くづれる家のひそかにくづれるひぐらし

     病中 五句

死んでしまへば雑草雨ふる

死をまへに涼しい風

風鈴の鳴るさへ死のしのびよる

おもひおくことはないゆふべの芋の葉ひらひら

傷が癒えゆく秋めいた風となつて吹く

秋風の水音の石をみがく

萩が径へまでたまたま人の来る

月へ萱の穂の伸びやう

旅はゆふかげの電信棒のつくつくぼうし

つきあたれば秋めく海でたたへてゐる


 題して『雑草風景』といふ、それは其中庵風景であり、そしてまた山頭火風景である。
 風景は風光とならなければならない。音が声となり、かたちがすがたとなり、にほひがかをりとなり、色が光となるやうに。

 私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる。雑草は雑草として、生え伸び咲き実り、そして枯れてしまへばそれでよろしいのである。

 或る時は澄み或る時は濁る。――澄んだり濁つたりする私であるが、澄んでも濁つても、私にあつては一句一句の身心脱落であることに間違ひはない。

 此の一年間に於て私は十年老いたことを感じる(十年間に一年しか老いなかつたこともあつたやうに)。そして老来ますます惑ひの多いことを感じないではゐられない。かへりみて心の脆弱、句の貧困を恥ぢ入るばかりである。
(昭和十年十二月二十日、遠い旅路をたどりつつ 山頭火)
   柿の葉


昭和十年十二月六日、庵中独坐に堪へかねて旅立つ

水に雲かげもおちつかせないものがある

     生野島無坪居

あたたかく草の枯れてゐるなり

旅は笹山の笹のそよぐのも

     門司埠頭

春潮のテープちぎれてなほも手をふり

     ばいかる丸にて

ふるさとはあの山なみの雪のかがやく

     宝塚へ

春の雪ふる女はまことうつくしい

あてもない旅の袂草こんなにたまり

たたずめば風わたる空のとほくとほく

     宇治平等院 三句

雲のゆききも栄華のあとの水ひかる

春風の扉ひらけば南無阿弥陀仏

うららかな鐘を撞かうよ

     伊勢神宮

たふとさはましろなる鶏

     魚眠洞君と共に

けふはここに来て枯葦いちめん

麦の穂のおもひでがないでもない

     浜名湖

春の海のどこからともなく漕いでくる

鎌倉はよい松の木の月が出た

伊豆はあたたかく野宿によろしい波音も

また一枚ぬぎすてる旅から旅

ほつと月がある東京に来てゐる

花が葉になる東京よさようなら

     甲信国境

行き暮れてなんとここらの水のうまさは

のんびり尿する草の芽だらけ

     信濃路

あるけばかつこういそげばかつこう

からまつ落葉まどろめばふるさとの夢

     江畔老に

浅間をまともにおべんたうは草の上にて

     碓氷山中にて路を失ふ

山のふかさはみな芽吹く

     国上山

青葉わけゆく良寛さまも行かしたろ

     日本海岸

こころむなしくあらなみのよせてはかへし

砂丘にうづくまりけふも佐渡は見えない

荒海へ脚投げだして旅のあとさき

水底の雲もみちのくの空のさみだれ

あうたりわかれたりさみだるる

水音とほくちかくおのれをあゆます

     毛越寺

草のしげるや礎石ところどころのたまり水

     平泉

ここまでを来し水飲んで去る

     永平寺 三句

水音のたえずして御仏とあり

てふてふひらひらいらかをこえた

法堂ハツタウあけはなつ明けはなれてゐる

     大阪道頓堀

みんなかへる家はあるゆふべのゆきき

更けると涼しい月がビルの間から

今日の足音のいちはやく橋をわたりくる

     七月二十二日帰庵

ふたたびここに草もしげるまま

わたしひとりの音させてゐる

     自責

酔ざめの風のかなしく吹きぬける

鴉啼いたとて誰も来てはくれない

山羊はかなしげに草は青く

つくつくぼうし鳴いてつくつくぼうし

降れば水音がある草の茂りやう

     庵中独坐

こころおちつけば水の音

ひらひら蝶はうたへない

ぬれててふてふどこへゆく

大いに晴れわたり大根二葉

何おもふともなく柿の葉のおちることしきり

柚子の香のほのぼの遠い山なみ

にぎやかに柿をもいでゐる

     千人風呂

はだかで話がはづみます

からむものがない蔓草の枯れてゐる

米とぐところみぞそばのいつとなく咲いて

墓場あたたかうしててふてふ

山ふところの、ことしもここにりんだうの花

けさは涼しいお粥をいただく

     結婚したといふ子に

をとこべしをみなへしと咲きそろふべし

わかれて遠い人を、佃煮を、煮る

鎌をとぐ夕焼おだやかな

いつまで生きる曼珠沙華咲きだした

藪にいちにちの風がをさまると三日月

わたしと生れたことが秋ふかうなるわたし

歩くほかない草の実つけてもどるほかない

あたたかい白い飯が在る

ふつと影がかすめていつた風

風の明暗をたどる

立ちどまると水音のする方へ道

ほんのり咲いて水にうつり

草の咲けるを露のこぼるるを

吹きぬける秋風の吹きぬけるままに

やつと咲いて白い花だつた

落葉の濡れてかがやくを柿の落葉

悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる

ふるさとの土の底から鉦たたき

月からひらり柿の葉

何を待つ日に日に落葉ふかうなる

涸れてくる水の澄みやう

草の枯るるにみそつちよ来たか

澄太おもへば柿の葉のおちるおちる

風は何よりさみしいとおもふすすきの穂

産んだまま死んでゐるかよかまきりよ

けふは凩のはがき一枚

草のうつくしさはしぐれつつしめやかな

洗へば大根いよいよ白し

しぐるる土をうちおこしては播く

     自嘲

影もぼそぼそ夜ふけのわたしがたべてゐる

冬木の月あかり寝るとする

ひよいと芋が落ちてゐたので芋粥にする

しぐれしたしうお墓を洗つていつた

秋ふかい水をもらうてもどる

ひとりの火をつくる

生きてしづかな寒鮒もろた

草はうつくしい枯れざま

藁塚藁塚とあたたかし

     樹明君に

落葉ふみくるその足音は知つてゐる

やつぱり一人はさみしい枯草

落葉してさらにしたしくおとなりの灯の

風の中からかあかあ鴉

葉の落ちて落ちる葉はない太陽

何事もない枯木雪ふる

ことしも暮れる火吹竹ふく

お正月が来るバケツは買へて水がいつぱい

     昭和十二年元旦

今日から新らしいカレンダーの日の丸

     自画像

ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で

あつまつてお正月の焚火してゐる

雪ふる食べるものはあつて雪ふる

みぞるる朝のよう燃える木に木をかさね

しみじみ生かされてゐることがほころび縫ふとき

いつも出てくる蕗のとう出てきてゐる

     緑平老に

かうして生きてはゐる木の芽や草の芽や

雪ふれば酒買へば酒もあがつた

ひらくよりしづくする椿まつかな

てふてふうらうら天へ昇るか

     自戒

一つあれば事足る鍋の米をとぐ


 柿の葉はうつくしい、若葉も青葉も――ことに落葉はうつくしい。濡れてかがやく柿の落葉に見入るとき、私は造化の妙にうたれるのである。

  あるけば草の実すわれば草の実
  あるけばかつこういそげばかつこう
 そのどちらかを捨つべきであらうが、私としてはいづれにも捨てがたいものがある。昨年東北地方を旅して、郭公が多いのに驚きつつ心ゆくまでその声を聴いた。信濃路では、生れて始めてその姿さへ観たのであつた。

  やつぱり一人がよろしい雑草
  やつぱり一人はさみしい枯草
 自己陶酔の感傷味を私自身もあきたらなく感じるけれど、個人句集では許されないでもあるまいと考へて敢て採録した。かうした私の心境は解つてもらへると信じてゐる。
(昭和丁丑の夏、其中庵にて 山頭火)
   銃後


天われを殺さずして詩を作らしむ
われ生きて詩を作らむ
われみづからのまことなる詩を

     街頭所見

日ざかりの千人針の一針づつ

月のあかるさはどこを爆撃してゐることか

秋もいよいよふかうなる日の丸へんぽん

ふたたびは踏むまい土を踏みしめて征く

しぐれて雲のちぎれゆく支那をおもふ

     戦死者の家

ひつそりとして八ツ手花咲く

     遺骨を迎ふ

しぐれつつしづかにも六百五十柱

もくもくとしてしぐるる白い函をまへに

山裾あたたかなここにうづめます

凩の日の丸二つ二人も出してゐる

冬ぼたんほつと勇ましいたよりがあつた

雪へ雪ふる戦ひはこれからだといふ

勝たねばならない大地いつせいに芽吹かうとする

     遺骨を迎へて

いさましくもかなしくも白い函

街はおまつりお骨となつて帰られたか

     遺骨を抱いて帰郷する父親

ぽろぽろしたたる汗がましろな函に

お骨声なく水のうへをゆく

その一片はふるさとの土となる秋

みんな出て征く山の青さのいよいよ青く

馬も召されておぢいさんおばあさん

     ほまれの家

音は並んで日の丸はたたく

     歓送

これが最後の日本の御飯を食べてゐる、汗

ぢつと瞳が瞳に喰ひ入る瞳

案山子もがつちり日の丸ふつてゐる

     戦傷兵士

足は手は支那に残してふたたび日本に


   孤寒


だまつてあそぶ鳥の一羽が花のなか

春風の蓑虫ひよいとのぞいた

ひよいとのぞいて蓑虫は鳴かない

もらうてもどるあたたかな水のこぼるるを

とんからとんから何織るうららか

ひなたはたのしく啼く鳥も蹄かぬ鳥も

身のまはりはほしいままなる草の咲く

草の青さよはだしでもどる

草は咲くがままのてふてふ

藪から鍋へ筍いつぽん

ならんで竹の子竹になりつつ

窓にしたしく竹の子竹になる明け暮れ

風の中おのれを責めつつ歩く

われをしみじみ風が出て来て考へさせる

雷をまぢかに覚めてかしこまる

がちやがちやがちやがちや鳴くよりほかない

誰を待つとてゆふべは萩のしきりにこぼれ

声はまさしく月夜はたらく人人だ

雨ふればふるほどに石蕗の花

播きをへるとよい雨になる山のいろ

そこはかとなくそこら木の葉のちるやうに

ゆふべなごやかな親蜘蛛子蜘蛛

しんじつおちつけない草のかれがれ

しぐるるやあるだけの御飯よう炊けた

焼場水たまり雲をうつして寒く

     死線 四句

死はひややかな空とほく雲のゆく

死をひしと唐辛まつかな

死のしづけさは晴れて葉のない木

そこに月を死のまへにおく

いつとなく机に塵が冬めく

草の実が袖にも裾にもあたたかな

枯すすき枯れつくしたる雪のふりつもる

水に放つや寒鮒みんな泳いでゐる

一つあると蕗のとう二つ三つ

蕗のとうことしもここに蕗のとう

わかれてからのまいにち雪ふる

     母の四十七回忌

うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする

其中一人いつも一人の草萌ゆる

枯枝ぽきぽきおもふことなく

つるりとむげて葱の白さよ

鶲また一羽となればしきり啼く

なんとなくあるいて墓と墓との間

おのれにこもる藪椿咲いては落ち

春が来たいちはやく虫がやつて来た

啼いて二三羽春の鴉で

咳がやまない背中をたたく手がない

窓あけて窓いつぱいの春

しづけさ、竹の子みんな竹になつた

ひとり住めばあをあをとして草

朝焼夕焼食べるものがない

     自嘲

初孫がうまれたさうな風鈴の鳴る

雨を受けて桶いつぱいの美しい水

飛んでいつぴき赤蛙

げんのしようこのおのれひそかな花と咲く

また一日がをはるとしてすこし夕焼けて

     更に改作(昭和十五年二月)

草にすわり飯ばかりの飯をしみじみ

     行乞途上(改作追加)

草にすわり飯ばかりの飯


   旅心


葦の穂風の行きたい方へ行く

身にちかく水のながれくる

どこからともなく雲が出て来て秋の雲

飯のうまさが青い青い空

ごろりと草に、ふんどしかわいた

をなごやは夜がまだ明けない葉柳並木

秋風、行きたい方へ行けるところまで

ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ

朝の雨の石をしめすほど

     行旅病死者

霜しろくころりと死んでゐる

     老ルンペンと共に

草をしいておべんたう分けて食べて右左

朝のひかりへ蒔いておいて旅立つ

ちよいと渡してもらふ早春のさざなみ

なんとうまさうなものばかりがシヨウヰンドウ

     宇平居

石に水を、春の夜にする

     福沢先生旧邸

その土蔵はそのままに青木の実

ひつそり蕗のとうここで休まう

人に逢はなくなりてより山のてふてふ

ふつとふるさとのことが山椒の芽

どこでも死ねるからだで春風

たたへて春の水としあふれる

水をへだててをとことをなごと話が尽きない

旅人わたしもしばしいつしよに貝掘らう

うらうら蝶は死んでゐる

さくらまんかいにして刑務所

     病院に多々桜君を見舞ふ

投げ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しは白桃の蕾とくとくひらけ

     多々桜君の霊前にて

桃が実となり君すでに亡し

うららかにボタ山がボタ山に

     湯田名所

大橋小橋ほうたるほたる

このみちをたどるほかない草のふかくも

     妹の家

たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて

泊ることにしてふるさとの葱坊主

ふるさとはちしやもみがうまいふるさとにゐる

うまれた家はあとかたもないほうたる

     温柔郷裏の井子居

きぬぎぬの金魚が死んで浮いてゐる

     華山山麓の友に

やうやくたづねあててかなかな


 孤寒といふ語は私としても好ましいとは思はないが、私はその語が表現する限界を彷徨してゐる。私は早くさういふ句境から抜け出したい。この関頭を透過しなければ、私の句作は無礙自在であり得ない。
孤高といふやうな言葉は多くの場合に於て夜郎自大のシノニムに過ぎない。)

 私の祖母はずゐぶん長生したが、長生したがためにかへつて没落転々の憂目を見た。祖母はいつも『ごふやれ業やれ』と呟いてゐた。私もこのごろになつて、句作するとき(恥かしいことには酒を飲むときも同様に)『ごふだな業だな』と考へるやうになつた。祖母の業やれは悲しいあきらめであつたが、私の業だなは寂しい自覚である。私はその業を甘受してゐる。むしろその業を悦楽してゐる。

  凩の日の丸二つ二人も出してゐる
  音は並んで日の丸はたたく
 二句とも同一の事変現象をうたつた作であるが(季は違つてゐたが)、前句は眼から心への、後句は耳から心への印象表現として、どちらも残しておきたい。

  しみじみ食べる飯ばかりの飯である
  草にすわり飯ばかりの飯
 やうやくにして改作することが出来た。両句は十年あまりの歳月を隔ててゐる。その間の生活過程を顧みると、私には感慨深いものがある。
(昭和十三年十月、其中庵にて 山頭火)
   鴉


水のうまさを蛙鳴く

寝床まで月を入れ寝るとする

生えて墓揚の、咲いてうつくしや

むしあつく生きものが生きものの中に

山からしたたる水である

まひまひしづか湧いてあふるる水なれば

かたすみの三ツ葉の花なり

     半搗米を常食として

米の黒さもたのもしく洗ふ

へそが汗ためてゐる

降りさうなおとなりも大根蒔いてゐる

むすめと母と蓮の花さげてくる

雷とどろくやふくいくとして花のましろく

風のなか米もらひに行く

日が山に、山から月が、柿の実たわわ

萩が咲いてなるほどそこにかまきりがをる

鳴いてきりぎりす生きてはゐる

ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる

身のまはりは日に日に好きな草が咲く

     貧農生活 二句

働らいても働らいてもすすきツ穂

刈るより掘るより播いてゐる

つゆけくも露草の花の

空襲警報るゐるゐとして柿赤し

防空管制下よい子うまれて男の子

     身辺整理

焼いてしまへばこれだけの灰を風吹く

     老遍路

死ねない手がふる鈴をふる

とほくちかくどこかのおくで鳴いてゐる

     わが其中庵も

壁がくづれてそこから蔓草

それは死の前のてふてふの舞

月は見えない月あかりの水まんまん

     十一月、湯田の風来居に移る

一羽来て啼かない鳥である

秋もをはりの蠅となりはひあるく

水のゆふべのすこし波立つ

燃えに燃ゆる火なりうつくしく

     再会

握りしめる手に手のあかぎれ

囚人の墓としひそかに草萌えて

     となりの夫婦

やつと世帯が持てて新らしいバケツ

     日支事変

木の芽や草の芽やこれからである

赤字つづきのどうやらかうやら蕗のとう

机上一りんおもむろにひらく

     三月、東へ旅立つ

旅もいつしかおたまじやくしが泳いでゐる

春の山からころころ石ころ

啼いて鴉の、飛んで鴉の、おちつくところがない

風は海から吹きぬける葱坊主

     伊良湖岬

はるばるたづね来て岩鼻一人

     渥美半島

まがると風が海ちかい豌豆畑

     鳳来寺拝登

お山しんしんしづくする真実不虚

     青蓋句屋

花ぐもりピアノのおけいこがはじまりました

     浜名街道

水のまんなかの道がまつすぐ

     秋葉山中

石に腰を、墓であつたか

水たたへたればおよぐ蟇

     天龍川をさかのぼる

水音けふもひとり旅ゆく

山のしづけさは白い花

若水君と共に高遠城阯へ、緑平老に一句

なるほど信濃の月が出てゐる

     月蝕

旅の月夜のだんだん虧げゆくを

     伊那町にて

この水あの水の天龍となる水音

     権兵衛峠へ

ながれがここでおちあふ音の山ざくら

     鳥居峠

このみちいくねんの大栃芽吹く

     木曾の宿

おちつけないふとんおもたく寝る

     帰居

しみじみしづかな机の塵

朝の土をもくもくもたげてもぐらもち

     大旱

涸れて涸れきつて石ころごろごろ

     雨乞

燃ゆる火の、雨ふらしめと燃えさかる

どこにも水がない枯田汗してはたらく

まいにちはだかでてふちよやとんぼや

炎天のレールまつすぐ

もらうてもどる水がこぼれるすずしくも

鉦たたきよ鉦をたたいてどこにゐる

月のあかるさ旅のめをとのさざめごと

鳥とほくとほく雲に入るゆくへ見おくる

けふの暑さはたばこやにたばこがない

月は澄みわたり刑務所のまうへ

     九月、四国巡礼の旅へ

鴉とんでゆく水をわたらう


 三年ぶりに句稿(昭和十三年七月―十四年九月)を整理して七十二句ほど拾ひあげた。

 所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守らう。
(昭和十五年二月、御幸山麓一草庵にて 山頭火)
(昭和十五年四月刊)

底本:「現代日本文學大系 95 現代句集」筑摩書房
   1973(昭和48)年9月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:浜野 智
1998年4月10日公開
2009年2月1日修正
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