人物
旅人
子供三人
A 無邪気な晴れ晴れしい抑揚のある声の児
B 実用的な平坦な動かない調子で話す児
C 考え深い様な静かな声と身振りの児
    場所
小高い丘の上、四辺のからっと見はらせる所(講堂の段の上を丘に仮定)
    
夏の夕暮に近い午後

B、Cが丘の中程の木の切りかぶに並んで腰をかけて、編物をして居る。
B子は赤い毛糸。
C子は青い毛糸。
編棒を動かしながら二人は気が落ついて居るらしい口調で話して居る。

B ねえCちゃん、今日は私一度もAちゃんに会わないのよ。
 どうしたんでしょう。
C ほんとにねえ。
 若しかひょっとしたら病気なんじゃあないの?
B そうねえ。
Bは何か思い出すらしく考えて居る。
やがて思いついたらしく、膝を叩いて嬉しそうに笑いながら、
B Cちゃん、私共はまあ、馬鹿な心配をしちゃったわ。
 ほら、貴方おぼえてない?
 こないだこのつぎのお祭りの日に町の叔母さんのところへおよばれだって云ってたじゃないの。
 今日はそれで行ったのよ、ね?
 そうじゃあなくって。
C そう云えばそうねえ、ほんとに。
 私もうすっかり忘れて居たわ。
 じゃあ、もうじき此処を通るでしょうね。
 少しお家へ帰るのをおそくして一緒に行きたいわ。
 貴方、そうしなくって?
B ええ、ええ、ほんとにそれがいいわ。
 もう少し待ってて見ましょうね。
 きっとお土産を沢山どっさり抱えて来るに違いないわ。
C 私町のお話をききたいわ。
 可愛い児が沢山居るんだってねえ。
 大きなお家がならんでるんだってねえ。
 まあほんとに私が行って見たらどんなだろう。
Cは手を止めて向うの方をながめる。
沢山の家並やかすかなどよめきに想像をたくましくして居るらしい様子。
B 私これを明日迄にしあげなけりゃ。
Bはうつむいて、せっせっと編みつづける。
Aが旅人と一緒に丘のだらだら坂をあがって来る。(手に花の入ったかごを持つ)
(檀に上る段々をだらだら坂のつもり)Cが見つける。
C ああ、Bちゃん、Bちゃん、
 Aちゃんが来た事よ。
(のびあがる)
B まあほんとにねえ。
 あれ、誰だかよその人をつれて来てる事よ。
旅人が二人に近づく。
二人は少しはにかんだ様にかたまる。
A(気軽に旅人からかけぬけて二人のそばにより)この「おじさん」とね、あの樺のとこから一緒に来たのよ。
 今夜私の御家へとめて頂戴って。
 そいでね、御馳走してあげるから私達にお話して頂戴ってお約束したのよ。
 ねえ、おじさん。
B まあそう。
 そりゃあ、ほんとに面白いわ。
 さあ聞かせてちょうだいな。
A、Bは旅人の傍にすり寄る。
C子は旅人を観察する様な顔をして少しはなれて立って居る。
たちあがった拍子に落ちた青い毛糸の玉がころがって居る。
旅 なかなか抜目のないお子達だ。
 おじぎだけでは許されそうもないからお話をしてあげずばなるまいかな。
 やれやれと。
旅人はさっきまでB、Cが掛けて居た木の切り株に腰を下す。
A、Bはあとについて、旅人をはさんで向い合った様にしゃがみ、
Cは糸玉の落ちたのを気づきそれを片手にひろいあげて旅人の後の方に近く立つ。
旅 私はね、あの彼方に遠く遠く見えて居る青い山のかげで生れたんですよ。
 お天気のいい朝こうの鳥が小さい私をオパール色の宮殿から母さんの膝につれて来たんです。
 それからあったかい日光と、よい空気と、甘いお乳で、やきたてのお菓子の様に育って、手足がたくましく真直になった時、私は跳る様にして、今日まで続いて居る長い旅をはじめたんです。けれど……
A あなたたった一人で?
 お母様といっしょじゃあなく?
旅 ええたった一人で。
 勿論始めは友達もあったんですけれどね。
 あんまり長い間の事でしょう、
 それに行く方も違って居るんで今では私の影坊師が私のおともなんですよ。
B 淋しかないの?
 たった一人で旅なんかするときっと困る事だらけなんだろうのに……
C 私はたった一人だとは思わないわ。
 お母様のおっしゃった事、
 お父様のおっしゃった事、
 神様のおっしゃる事はいつでも一緒に歩いてるんですもの。
旅 ほんとにね。
 自分一人は又世界中の人でなけりゃあいけません。
 それから私は毎日毎日一生懸命に歩いてるんですよ。
 お月様のいい時には、貴方方のねていらっしゃる夜でも森をこして行きました。
B 提灯もなくって?
 案内者もつれずに?
旅 そんなもののないのがあたり前なのです。ついて居る道さえ見失わなければいつかは人里に行けます。
 或時は、花が一杯咲いて気の遠くなる様なよい匂いのする原っぱを歩きよろこんで居るうちに、道がいつの間にか嶮しい山路になって私は牡鹿の様なすばやさで谷から谷へ渡らなければなりませんでした。
 急な川の流れを越そうとして足をさらわれたり、ひどい荊で手を痛くした事も沢山ありました。
「まあ」子供の中から起る歓声。
「可哀そうねえ。
「そんなにひどい事なの。
「それでそんなに色が黒くなってしまったの。
此等の断片的な言葉が、低く三人の中からゴチャゴチャに出る。
旅 ええ、ええ。
 そいからもっと貴方がたがびっくりなさる事がある。
 それは斯う云う事なんです。
 あなた方がお母様に寝部屋につれて行っていただいて冬は暖い、夏は涼しいお床にお入んなさる時に私共は、外の夜露の下りる木の下にねる事がある事です。
 びっくりなさるでしょう?
B まあ、外でねるの。
 そりゃあいけないわ、
 夜は風を引き易いって云うのに。
 もうするのおやめなさいね、
 叱られるわ。
A 私何だか気味が悪いわそんな事、
 何にも出なくって。
 若し出たらどうなさるの、お母様はいらっしゃらないし。
C 立派な手足があるわねえ、おじさん。
旅 そうそう、私はこれから段々みがきのかかった手足でまだどの位の日数を歩いたら行きつくか分らない、行かなければならないところへまで毎日毎日歩かなければならないんですよ。
 今日までのうちに私はどっさりいろいろのものを見ました。
 森の木の枝に自慢の角を引っかけて玉にうたれた鹿だの、孔雀の羽根で恥をかいた可哀そうな鳥だの、片目をたのみすぎた罪のない驢馬だのねえ。
B まあそんなに?
 私にはそんな事考えられないわ。
A そんな旅はいつまでつづくの。
 来年まで?
 さ来年まで?
旅 神様が御召しになる日までつづくんですよ。
 もう少したつと貴方方も旅に御出かけにならなけりゃあならないんです。
 野宿もしなければならず、川も渡らなければならない事をいつまでも覚えていらっしゃいね。
 さあ、大変長いお話をしてしまった。
 御覧なさい、
 あんなに向うが暗くなって来ましたよ。
 さあ、帰りましょう。
Cはじいっと何か考えて居る様に口を利かずに遠くを見て居る。
A あら、Cちゃん、どうしたの。もう行くのよ、お話がすんだのよ。
C ええ、知って居るのよ。
 何だか大変、私には重いお話の様に思えるわ。
 行きましょう。
B ほんとに面白かった。行きましょう、さ。
A 有難うおじさん。
 私きっと美味しいパンとチイズをあげるわ。
旅人を中にはさんで三人の子供は歩き出す。
そして順番にやわらかく、民謡の様な左の文句を口ずさむ。
雪の降る日に小兎は、
あかい木の実のたべたさに
親の寝た間に山を出で
城の門まで来は来たが(ここまでA)
赤い木の実は見えもせず
路は分らず日は暮れる
長い廊下のまどの下
何やら赤いものがある、(Bここまで)
そっとしのむで来て見れば
こは姫君のかんざしか
珊瑚の玉か恥かしや
たべてよいやら悪いやら
兎は悲しくなりました。(Cここまで)

底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
   1986(昭和61)年3月20日第5刷
初出:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2009年1月29日作成
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