一

 おしょうの一家が東京へ移住したとき、お庄はやっと十一か二であった。
 まさかの時の用意に、山畑は少しばかり残して、後は家屋敷も田もすっかり売り払った。すすけた塗り箪笥だんす長火鉢ながひばち膳椀ぜんわんのようなものまで金に替えて、それをそっくり父親が縫立ての胴巻きにしまい込んだ。
「どうせこんな田舎柄いなかがらは東京にゃ流行はやらないで、こんらも古着屋へ売っちまおう。東京でうまく取り着きさえすれアみんなにいいものを買って着せるで心配はない。」
 とかく愚痴っぽい母親が、奥の納戸なんどでゴツゴツした手織縞ておりじまの着物を引っ張ったり畳んだりしていると、前後あとさきの考えのない父親がこう言って主張した。これまでにもさんざん道楽をし尽して、どうかこうか五人の子供を育てあげるにさしつかえぬくらいの身代を飲みつぶしてしまった父親は、妻子を引き連れてどこか面白いところを見物に行くような心持でいた。
 それまでに夫婦は長いあいだ、身上しんしょうをしまうしまわぬで幾度となく捫着もんちゃくした。母親はそのたびにいろいろの場合のことを言い出して、一つ一つなくなった物を数えたてた。
「あんらも今あれアたとい東京へ行くにしたってはずかしい思いはしないに」と、ろくに手を通さない紋附や小紋のようなものを、縫い直しにやると言って、一ト背負い町へ持ち出して行かれたことなどを、くどくどとこぼした。自分で苦労して、養蚕で取った金を夕方裏の川へ出ているちょっとの間に、ちょろりとせしめて出て行ったきり、色町へ入りびたって、七日も十日も帰らなかったことなども、今さらのように言い立てられた。すると父親は煙管きせるを筒にしまって腰へさすと、ぷいと炉端ろばたを立って向うの本家へはずしてしまう。
 お庄は母親が、売るものと持って行くものとを、丹念にり分けて、しまったり出したりしているそばに座り込んで、これまでに見たこともない小片こぎれや袋物、古い押し絵、珊瑚球さんごじゅのような物を、不思議そうに選り出してはいじっていた。中には顎下腺炎がっかせんえんとかで死んだ祖母ばあさんの手のあとだというかびくさい巾着きんちゃくなどもあった。お庄は自分の産れぬ前のことや、ちいさいおりのことを考えて、暗いなつかしいような心持がしていた。
 家がすっかり片着いて、つ二日ばかり前に一同本家へ引き揚げた時分には、思いりのわるい母親の心もいくらか紛らされていた。明るい方へ出て行くような気もしていた。
 父親は本家の若いあるじと朝から晩まで酒ばかり飲んでいた。村で目ぼしい家は、どこかで縁がつながっていたので、それらの人々も、餞別せんべつを持って来ては、入れ替り立ち替り酒に浸っていた。山国の五月はやっと桜が咲く時分で裏山の松や落葉松からまつの間に、微白ほのじろいその花が見え、桑畑はまだ灰色に、田は雪が消えたままに柔かくくろずんでいた。
 道中はかなりに手間どった。汽車のあるところまで出るには、五日もかかった。馬車の通っているところは馬車に乗り、人力車くるまのあるところは人力車に乗ったが、子供をおぶったり、手を引っ張ったりして上るようなけわしい峠もあった。父親は早目にその日の旅籠はたごへつくと、伊勢いせ参宮でもした時のように悠長ゆうちょうに構え込んで酒や下物さかなを取って、ほしいままに飲んだり食ったりした。
「田舎の地酒もここがおしまいだで、お前もまあ坐って一つやれや。」と、父親はきちんと坐って、しゃがれたような声で言って、妻に酒をいだ。
 母親は泣き立てる乳呑ちのを抱えて、お庄の明朝あしたの髪をったり、下の井戸端いどばた襁褓むつきを洗ったりした。雨の降る日は部屋でそれをさなければならなかった。
鼻汁はなをたらしていると、東京へ行って笑われるで、綺麗きれいに行儀をよくしているだぞ。」と、父親はお庄の涕汁はななぞをんでやった。気の荒い父親も旅へ出てからの妻や子に対する心持は優しかった。
 ある町場に近い温泉場ゆばへつれて行った時、父親はそこで三日も四日も逗留とうりゅうして、しまいに芸者をあげて騒ぎだした。

     二

 一行が広い上野のプラットホームを、押し流されるように出て行ったのは、ある蒸し暑い日の夕方であった。
 父親はかばんに二本からげたかさを通して、それを垂下ぶらさげ、ぞろぞろ附いて来る子供を引っ張ってベンチのところへ連れて行くと、母親も泣き立てる背中の子をゆすり揺り襁褓しめしの入った包みを持って、めまぐるしい群集のなかを目の色を変えて急いで行った。停車場ステーションでは蒼白あおじろ瓦斯燈ガスとうの下に、夏帽やネルを着た人の姿がちらほら見受けられた。
 そこで一休みしてから、「わしはまア後で行くで、お前たちは人力車くるま一足先ひとあしさきへ行っとれ。」と言って、よく東京を知っている父親は物馴ものなれたような調子で、構外へ出て人力車くるまを三台あつらえた。行く先は母親のかわの縁続きであった。父親は妻や子供をぞろぞろ引っ張って、そこへ入って行くのを好まなかった。
「それじゃ私は先へ行っておりますで、明朝あしたはどうでも来て下さるだろうね。」母親は行李こうりを一つまたの下へはさんで、車夫が梶棒かじぼうを持ち上げたときに、咽喉のどふさがりそうな声を出して言うと、父親はうなずいて傘に包みを一つ下げながら、帽子をかしげて停車場前の広場へ出て行った。
 お庄はしりから二番目の妹と、一つの車に乗せられた。汽車に乗る前に、父親に町で買ってもらった花簪はなかんざしなどを大事そうに頭髪あたまにさしていた。
 車は湯島の辺をあっちこっちまごついた。坂の上へあがると、煙突やの影の多い広い東京市中が、海のような濛靄もやの中に果てもなく拡がって見えたり、狭いごちゃごちゃした街が、幾個いくつも幾個も続いたりした。そのうちに日がすっかり暮れた。
 門構えや板塀囲いたべいがこいの家の多い町へ来たとき、がた人力車くるまの音が耳につくくらいそこらが暗くシンとしていた。そこは明神みょうじんの深い森の影を受けているようなところで、地面が低く空気がしッとりしていた。碧桐あおぎりの蔭にほこりかぶった瓦斯の見えるある下宿屋の前へ来かかったとき、母親と車夫との話し声を聞きつけて、薄暗い窓のすだれのうちから、「鴨川かもがわの姉さまかね。」と言って、母親の実家さとの古い屋号を声をかけるものがあった。見るとそこに髯深ひげぶかい丸い顔が、近眼鏡を光らしてニコニコしている。
 その顔はじきに入口の格子戸こうしどの方へ現われた。
「おや、みんなやって来たやって来た。」と言う、ここの女主おんなあるじの声も耳に入った。
 しばらくすると帳場の次の狭苦しい部屋で物の莫迦叮寧ばかていねいな母親と、ここの人たちとの間に長い挨拶あいさつが始まった。
 気象のはげしい女主は、くどいお辞儀を続けている母親を見下すようにして、「東京は田舎とちがって、何もしずに、ぶらぶら遊んでいるような者は一人もいないで、ためさあのようなずくのない人には、やって行かれるかどうだかわしア知らねえけれど、まず一ト通りや二タ通りのことでは駄目だぞえ。」と、ずけずけ言った。
「そうでござんすらいに……。」と、母親はさびしい笑顔えがおを作って、ずらりと傍に並んで坐った子供を見やった。
 子息むすこ菊太郎きくたろうは、ニコニコしながら茶をいれてみんなすすめた。
「大きくなったな。お庄さんは幾歳いくつになるえね。」と、お庄の丸い顔をのぞき込んだ。
 部屋には薄暗いランプがともされて、女主の後から三男の繁三しげぞうが黒い顔に目ばかりグリグリさせて、田舎から来た子供の方をながめていた。
 やがて繁三につれられて、お庄は弟と一緒に近所の洗湯せんとうへやられた。

     三

 その晩お庄は迷子まいごになった。
「お庄ちゃんは女だから、そっちへお入り。」と、お庄はパッと明るい女湯の中へ送り込まれて、一人できょろきょろしていた。そこには見たこともない大きい姿見がつるつるしていた。お庄は日焼けのした丸い顔や、田舎田舎した紅入べにい友染ゆうぜんの帯を胸高むなだかに締めた自分の姿を見て、ぼッとしていた。
 湯から上ってみると、男湯の方にはもう繁三も弟も見えなかった。お庄は一人で暗い外へ出ると、温かい湯のにおいのする溝際どぶぎわについて、ぐんぐん歩いて行ったが、どこへ行っても同じような家と町ばかりであった。お庄はさっき車夫が上ったような暗い坂を上ったり下りたり、同じ下宿屋の前を二度も三度も往来ゆききしたりした。するうちに町がだんだんけて来て、今まで明るかった二階の板戸が、もう締まる家もあった。
 菊太郎と繁三とが捜しに来たころには、お庄はもう歩き疲れて、軒燈の薄暗い、とある店屋の縁台の蔭にしゃがんで、目に涙をにじませながらぼんやりしていた。
「お前まあ今までどこにいただえ。」女主は帳場の奥から、帰って来たお庄に声かけた。
「東京には人浚ひとさらいというこわいものがおるで、気をつけないといけないぞえ。」
 お庄はメソメソしながら、母親のそばへ寄って行った。
 ごちゃごちゃした部屋のすみで、子供同士頭顱あたまを並べて寝てからも、女主と母親と菊太郎とは、長火鉢の傍でいつまでも話し込んでいた。
ためさあは、何をして六人の子供を育てて行くつもりだかしらねえけれど、取り着くまでには、まあよっぽど骨だぞえ。」と女主は東京へ出てからの自分の骨折りなどを語って聞かせた。
「私らも、田舎でこそ押しも押されもしねえ家だけれど、東京へ出ちゃ女一人使うにも遠慮をしないじゃならないで……。」
 田舎では問屋本陣とんやほんじんの家柄であった女主は、良人おっとくなってから、自分の経営していた製糸業に失敗して、それから東京へ出て来た。そして下宿業を営みながら、三人の男の子を医師に仕立てようとしていた。それまでに商売は幾度となく変った。
 翌日父親が来たとき、母親と子供は、狭い部屋にうようよしていた。
「とにかくどんなところでもいいで、家を一つ捜さないじゃ……話はそれからのことですって。」と父親は落ち着き払ってたばこふかしていた。
 午後に菊太郎と父親とは、近所へ家を見に出た。家はじきに決まった。すぐ横町の路次のなかに、このごろ新しく建てられた、安普請やすぶしんの平屋がそれで、二人はまだ泥壁どろかべ鋸屑かんなくず[#「鋸」はママ]の散っている狭い勝手口から上って行くと、台所や押入れの工合を見てあるいた。
「田舎の家から見れア手狭いもんだでね。」と菊太郎は砂でざらざらする青畳の上を、浮き足で歩きながら笑った。
「まあ仮だでどうでもいい。新しいで結構住まえる。東京じゃ、これで坪二十円もしますら。」
 晩方には、もうそこへ移るような手続きが出来てしまった。
 下宿からは、さしあたり必要な古火鉢や茶呑ちゃの茶碗ぢゃわん、雑巾のような物が運ばれ、父親は通りからランプや油壺あぶらつぼ、七輪のような物を、一つ一つ買ってはげ込んで来た。母親は木の香の新しい台所へ出て、ゴシゴシ働いていた。
 その間お庄は、乳呑み児をせなかに縛りつけられて、下宿と引っ越し先との間を、幾度となくかよっていた。

     四

 点燈ひともしごろにそこらがようよう一片着き片着いた。
 広い田舎家の奥に閉じこもって、あまり外へ出たことのない母親は、近所の女房連の集まっている井戸端へ出て行くのが、何よりいやであった。子供たちも行き詰った家のなかを、そっちこっちうろつきながら、何にもない台所へ出て来ては水口のところにぴったりくっついて、暮れて行く路次を眺めていた。お庄は出たり入ったりして、そこらの門口にいる娘たちの頭髪あたま身装みなりを遠くからじろじろ見ていた。
 父親は買立てのバケツを提げて、水をみに行ったり、大きなからだで七輪の前にしゃがんで、煮物の加減を見たりした。
「こんな流しはわしア初めて見た。東京には田舎のような上流うわながしはありましねえかね。」
「ないこともないが田舎は何でも仕掛けがえらいで。まア東京に少し住んで見ろ。田舎へなぞ帰ってとてもいられるものではないぞ。」
「何だか知らねえが、私は家のような気がしましねえ。」母親はすすいでいた徳利とくりをそこに置いたまま、何もかも都合のよく出来ている、田舎のがっしりした古家をなつかしく思った。
 父親が、明るいランプの下でちびちび酒を始めた時分に、子供たちはそこにずらりと並んで、もくもく蕎麦そばを喰いはじめた。母親は額に汗をにじませながら、荒い鼻息の音をさせて、すかすかと乳をむさぼっている碧児みずごの顔を見入っていた。
「今やっと晩御飯かえ。」と、下宿の主婦あるじは裏口から声かけて上って来た。
「皆な今まで何していただえ。」
「お疲れなさんし。」母親は重い調子でお辞儀をして、「何だか馴れねえもんだでね。」と、いいわけらしく言った。
「それでもお蔭で、どうかこうか寝るところだけは出来ましたえ。まア一つ。」と父親は猪口ちょくをあけて差した。
 主婦あるじは落ち着いて酒も飲んでいなかった。そしてじろじろ子供たちの顔を見ながら、「為さあはこれから何をするつもりだか知らねえが、こう大勢の口を控えていちゃなかなかやりきれたものじゃない、一日でも遊んでいれアそれだけ金が減って行くで。」
 父親は平手ひらてで額をであげながら、黙っていた。父親の気は、まだそこまで決まっていなかった。って見たいような商売を始めるには、資本もとが不足だし、からだを落して働くには年を取り過ぎていた。どうにかして取り着いて行けそうな商売を、それかこれかと考えてみたが、これならばと思うようなものもなかった。
わしも考えていることもありますで、まア少しこっちの様子を見たうえで。」と、父親はあまりいい顔をしなかった。
「相場でもやろうちゅうのかえ。」主婦あるじはニヤニヤ笑った。
「そんなことして、ってしまったらどうする気だえ。わしはまア何でもいいから、資本もとのかからない、取着きの速いものを始めたらよかろうかと思うだがね。」
 父親は聴きつけもしないような顔をしていた。
「それに一昨日おととい神田の方で、少し頼んでおいた口もありますで。」
「そうですかえ。けど、そんな人頼みをするより、いっそ誰にでも出来る氷屋でも出せアいいに。氷屋で仕上げた人は随分あるぞえ。綺麗事きれいごとじゃ金はもうからない。」
「氷屋なぞは夏場だけのもんですッて。第一あんなものはせわしいばっかりで一向儲けが細い。」
 母親も心細いような気がしだした。氷屋をするくらいならば……とも思った。

     五

「田舎ッぺ、宝ッぺ、明神さまの宝ッぺ。」と、よく近所の子供連にはやされていたお庄の田舎訛いなかなまりが大分れかかるころになっても、父親の職業はまだ決まらなかった。
 父親は思案にあぐねて来ると、道楽をしていた時分こしらえた、印伝いんでんの煙草入れを角帯の腰にさして、のそのそと路次を出て行った。行く先は大抵決まっていた。下宿屋の主婦あるじにがみがみ言われるのが厭なので、このごろはその前を多くは素通りにすることにしていた。そして蠣殻町かきがらちょうの方へ入り込んでいる。村で同姓の知合いを、神田の鍛冶町かじちょうたずねるか、石川島の会社の方へ出ている妻の弟を築地つきじの家に訪ねるかした。時とすると横浜で商館の方へ勤めている自分の弟を訪ねることもあった。浜からはよく強い洋酒などをもらって来て、黄金色したその酒を小さいコップぎながら、日にすかして見てはうまそうになめていた。
「浜の弟も、酒で鼻が真紅まっかになってら。こんらの酒じゃ、もうかねえというこんだ。金にしてよっぽど飲むらあ。」
「あの衆らの飲むのは、器量はたらきがあって飲むだでいい。身上しんしょうもよっぽど出来たろうに。」
「何が出来るもんだ。それでも娘は二人とも大きくなった。男の子が一人欲しいようなことを言ってるけれど、やらずかやるまいか、まアもっと先へ寄ってからのことだ。」
 そのころから、父親はよく夢中で新聞の相場附けを見たり、夜深よなかに外へ飛び出して、空とにらめッくらをしたりしていた。朝から出て行って、一日帰らないようなこともあった。するうちに金がだんだん減って行った。四月たらずの居喰いぐいで、目に見えぬ出銭でぜにも少くなかった。
「手を汚さないで、うまいことをしようたって駄目の皮だぞえ。為さあらまだ苦労が足りない。」下宿屋の主婦あるじは留守にやって来ると、妻に蔭口をいた。そして、「お安さあもお安さあだ。これまで裸にがれてこの上何をぬぐ気だえ。黙って見てばかりいずと、ちっと言ってやらっし。」と言ってたしなめた。母親は、切ないような気がして、黙っていた。
 母親は、押入れの葛籠つづらのなかから、子供の冬物を引っ張り出して見ていた。田舎からけて持って来てた、丹念に始末をしておいた手織物が、東京でまた役に立つ時節が近づいて来た。そのあいの匂いをかぐと、母親の胸には田舎の生活がしみじみ想い出された。
 父親は一日出歩いて晩方帰って来ると、こそこそと家へ上って、火鉢の傍に坐り込んだ。傍にお庄兄弟が、消し炭の火を吹きながら玉蜀黍とうもろこしあぶっていた。六つになる弟と四つになる妹とが、附け焼きにした玉蜀黍をうまそうにかじっている。父親はお庄の真赤になって炙っている玉蜀黍を一つ取り上げると、はじ切れそうな実を三粒四粒指で※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしって、前歯でぼつりぼつりみ始めた。四方あたりはもう暗かった。薄寒いような風が、障子を開けた縁から吹いて来た。母親はそこにいろいろな物を引っ散らかしていた。
「日の暮れるまで何をしてるだか……。」と、父親は舌鼓したうちをして、煙管きせるを筒から抜いた。
「何かやり出せア、それに凝って、子供に飯食わすことも点火ひともすことも忘れてしまっている。」
 母親は急に出ていたものを引っくるめるようにして、「忘れているというでもないけれど、着せる先へ立って、揚げが短いなんて言うと困ると思って。」

     六

 丑年うしどしの母親は、しまいそうにしていた葛籠つづらの傍をまだもぞくさしていた。父親が二タ言三言小言こごとを言うと、母親も口のなかでぶつくさ言い出した。きちんと坐り込んで莨をっていた父親が、いきなり起ち上ると、子供の着物や母親の襦袢じゅばんのような物を、両手でさらって、ジメジメした庭へつくねてほうり出した。庭には虫の鳴くのが聞えていた。
 お庄が下駄を持って来て、それを縁側へ拾い揚げるころには、父親はほうきを持ち出して、さッさと部屋を掃きはじめた。母親がしょうことなしに座をつと、子供も火鉢の側を離れてうろうろしていた。お庄は泣き出す小さい子をおぶい出すと、手に玉蜀黍を持って狭い庭をぶらぶらしながら家の様子を見ていた。父と母とは台所で別々のことを働きながら言い合っていた。
 お庄は薄暗い縁側に腰かけて、母親のことを気の毒に思った。放埓ほうらつな気の荒い父親が、これまでに田舎で働いて来たことや、一家のまごつき始めた径路などが、おぼろげながら頭脳あたまに考えられた。お庄が覚えてから父親が家に落ち着いているような日はほとんどなかった。上州から流れ込んで来た村の達磨屋だるまや年増としまのところへ入り浸っている父親を、お庄はよく迎えに行った。その女は腕に文身ほりものなどしていた。繻子しゅす半衿はんえりのかかった軟かものの半纏はんてんなどを引っけて、すすけた障子の外へ出て来ると、お庄の手に小遣いをつかませたり、菓子を懐ろへ入れてくれたりした。長く家へ留めておいた上方かみがたものの母子おやこ義太夫語ぎだゆうかたりのために、座敷に床をこしらえて、人を集めて語らせなどした時の父親の挙動ふるまいは、今思うとまるで狂気きちがいのようであった。母親も着飾って、よく女連と一緒に坐って聴いていた。父親や村の若い人たちは終いに浮かれ出して、愛らしい娘を取りいて、明るい燭台しょくだいの陰で、綺麗なその目やほおに吸いつくようにしてふざけていた。お庄はきまりはずかしいおもいをして、その義太夫語りに何やら少しずつ教わった。
あたいにこのお子を四、五年預けておくれやす、きッと物にしてお目にかけます。」と太夫は言っていたが、父親はこんな無器用なものには、芸事はとてもダメだと言って真面目に失望した。
 秋風が吹いて、収穫とりいれが済むころには、よく夫婦の祭文語さいもんかたりが入り込んで来た。薄汚うすぎたない祭文語りは炉端ろばたへ呼び入れられて、鈴木主水もんど刈萱かるかや道心のようなものを語った。母親は時々こくりこくりと居睡いねむりをしながら、鼻をつまらせて、下卑げびたその文句にれていた。田のなかに村芝居の立つ時には、父親は頭取りのような役目をして、高いところへ坐り込んで威張っていた。
 養蚕時のせわしい時期を、父親は村境の峠を越えて、四里先の町の色里へしけ込むと、きッと迎えの出るまで帰って来なかった。迎えに行った男は二階へ上ると、持って行った金を捲き揚げられて、一緒に飲み潰れた。そしてまた幾日も二人で流連いつづけしていた。
 夜の目も合わさずみんなが立ち働いているところへ心も体も酒にただれたような父親が、嶮しい目を赤くして夕方帰って来ると、自分で下物さかなを拵えながら、炉端で二人がまた迎え酒を飲みはじめる。棄てくさったような鼻唄はなうたや笑い声が聞えて、誰も傍へ寄りつくものがなかった。
 お庄は剛情に坐り込んで、薪片まきぎれで打たれたり、足蹴あしげにされたりしている母親の様子を幾度も見せられた。火のいているランプを取って投げつけられ、頬からだらだら流れる黒血をおさえて、跣足はだしで暗い背戸へ飛び出す母親のたもとにくっついてけ出した時には、心から父親をおそろしいもののように思った。

     七

 そんなことを想い出している間に、父親は鉄灸てっきゅう塩肴しおざかなの切身をあぶったり、ひたしのようなものを拵えたりした。
「お庄や、お前通りまで行って酢を少し買って来てくれ。」父親は戸棚からびんを出すと、明るい方へ透して見ながら言った。
「酢が切れようが砂糖がなくなろうが、一向平気なもんだ。そらお鳥目あし……。」と、父親は懐の財布から小銭を一つ取り出して、そこへほうり出した。
「あれ、まだあると思ったに……。」と、ランプに火をともしていた母親は振りかえって言おうとしたが、ごうが沸くようで口へ出なかった。母親の胸には、これまで亭主にされたことが、一つ一つ新しく想い出された。
 お庄は気爽きさくに、「ハイ。」と言って、水口の後の竿さおにかかっていた、塩気のみ込んだような小風呂敷をはずして瓶を包みかけたが、父親の用事をするのが、何だか小癪こしゃくのようにも考えられた。常磐津ときわずの師匠のところへ通っている向うの子でも、仲よしの通りの古着屋の子でも、一度も自分のようなしみったれた使いに出されたことがなかった。ちょっとしたことで、弟をかすと、すぐに飛びかかって来て引っつかんで、呼吸いきのつまりそうな厚い大きな田舎の夜具にぐるぐる捲きにされて、暗い納戸の隅にうっちゃっておかれたり、みぞれがびしょびしょ降って寒いきつねの啼き声の聞える晩に、背戸へ締出しを喰わしておいて、自分は暖かい炬燵こたつ高鼾たかいびきで寝込んでいたような父親に、子供は子供なりの反抗心も持って来た。
 お庄はどの家でも、明るい餉台ちゃぶだいの上にこてこてと食べ物が並べられ、長火鉢の側で晩飯のはしを動かしている、にぎやかな夕暮の路次口を出て行くと、内儀かみさん連の寄っているような明るい店家の前を避けるようにして、溝際みぞぎわを伝って歩いていた。いつも立ち停って聞くことにしている通りの師匠の家では、このごろ聞き覚えて、口癖のようになっているお駒才三こまさいざを誰やらがつけてもらっていた。お庄は瓶を抱えたまま、暗い片陰にしばらくたたずんでいた。
 お庄は振りのような手容てつきをして、ふいとそこを飛び出すと、きまり悪そうに四下あたりを見廻して、酒屋の店へ入って行った。
 急いで家へ帰って来ると、父親はランプの下で、苦い顔をして酒のかんをしていた。子供たちは餉台のまわりに居並んで、てんでんに食べ物をあさっていた。
 母親は手元の薄暗い流し元にしゃがみ込んで、ゴシゴシ米をいでいた。水をしたむ間、ぶすぶす愚痴をこぼしている声が奥の方へも聞えた。お庄はまた母親のお株が始まったのだと思った。父親はそのたんびにいらいらするような顔に青筋を立てた。
 母親がたすきをはずして、火鉢の傍へ寄って来る時分には、父親はもうさんざん酔ってそこに横たわっていた。お庄は、気味のわるいもののように、鼻の高い、びんの毛の薄い、その大きな顔や、脛毛すねげまばらな、色の白い長いそのあしなどを眺めながら、母親の方へ片寄って、飯を食いはじめた。
 母親の口には、まだぶすぶす言う声が絶えなかった。臆病おくびょうなような白い眼が、おりおりじろりと父親の方へ注がれた。張ったその胸を突き出して、硬い首をえ、東京へ来てからまだ一度も鉄漿かねをつけたことのないような、歯の汚い口に、音をさせて飯を食っている母親の様子を、よく憎さげに真似してみせた父親の顔に思い合わせて、お庄は厭なような気がした。達磨屋だるまやの年増や、義太夫語りの顔などをお庄は目に浮べて、母親は様子が悪いとつくづくそう思った。

     八

 次の年の夏が来るまでには、お庄の一家にもいろいろの変遷があった。暮には残しておいた山畑を売りに父親が田舎へ出向いて行って、その金を持って帰って来ると、ようやく諸払いを済まして、お庄兄弟のためにも新しい春着が裁ち縫いされ、下駄やかんざしも買えた。お庄らは田舎から持って来た干栗ほしぐりや、氷餅こおりもちの類をさも珍しいもののように思ってよろこんだ。正月にはお庄も近所の子供並みに着飾って、羽子はねなど突いていたが、そのころから父親は時々家をあけた。
 下宿の主婦あるじは、「為さあは、金が少し出来たと思って、どこを毎日そうぶらぶら歩いてばかりいるだい。」と、来ては厭味を言っていた。
 父親はニヤリともしないで、「わしもそういつまでぶらぶらしてはいられないで、今度という今度は商売をやろうと思って、そのことでいろいろ用事もあるで……。」と言うていたが、父親の目論見もくろみでは、田舎の町で知っている女が浅草の方で化粧品屋を出している、その女に品物の仕入れ方を教わって、同じ店を小体こていに出して見ようという考えであった。
 お庄は一月の末に、父親に連れられて一度その女の家へ行った。母親も薄々この女のことは知っていた。田舎からの父親のなじみで、ずっと以前に、商売をめて、その抱え主と一緒に東京へ来ていた。抱え主は十八、九になる子息むすこと年上の醜い内儀さんとを置去りにして、二人で相当なあきないに取り着けるほどの金をさらって、女をつれて逃げて来た。そのころにはそのうちも大分左前になっていた。
 その亭主は大してわずらいもしないで、去年の秋のころに死んでから、男手の欲しいような時に、父親が何かの相談相手に、ちょいちょい顔を出し出ししていた。母親は、喧嘩けんかの時は、そのことも言い出したが、不断は忘れたようになっていた。父親はくしなど薄い紙にくるんで来て、そっと鏡台の上に置いてくれなどした。
「こんらも高いものについているら。」と言って、母親は櫛を手に取って吐き出すように言ったが、抽斗ひきだしの奥へしまい込んで、ろくにしもしなかった。てるのも惜しかった。
 お庄は手鈍てのろい母親に、二時間もかかって、顔やえりを洗ってもらったり、髪を結ってもらったりして、もうねこになったような白粉おしろいまでつけて出て行った。お庄は母親の髪のいじり方や結い方が無器用だと言って、鏡に向っていながら、頭髪あたまをわざと振りたくったり、手を上げたりした。父親も側で莨を喫いながら口小言を言った。
「人に髪を結ってもらって、今からそんな雲上うんじょうを言うものじゃないよ。」と、母親も癇癪かんしゃくを起して、口をとんがらかしてぶつぶつ言いながら、髪を引っ張っていた。
「庄ちゃんの髪の癖が悪いからだよ。」
阿母おっかさんに似たんだわ。」お庄もべろりと舌を出した。
 その女の家は、雷門かみなりもんの少し手前の横町であった。店にはお庄の見とれるような物ばかり並んでいたが、そこに坐っている女の様子は、お庄の目にも、あまりいいとは思えなかった。薄い毛を銀杏返いちょうがえしに結って、半衿はんえりのかかった双子ふたこの上に軟かい羽織を引っかけて、体の骨張った、血のの薄い三十七、八の大女であった。
「おや、お庄ちゃん来たの。」というような調子で、細い寝呆ねぼたような目尻に小皺こじわを寄せた。
 父親はじきに奥の方へ上って行った。奥は暗い茶の間で、畳も汚く天井も低く窮屈であったが、火鉢や茶箪笥などはつるつるしていた。そのまた奥の方に、箪笥など据えた部屋が一つ見えた。
 お庄はひざへ乗っかって来る猫を気味悪がって、尻をもぞもぞさせていると、女は長火鉢の向うからじろじろ見て笑っていた。

     九

 父親とその女との話は、お庄には解らないようなことが多かった。女はお庄のまだ知らないお庄の家のことすら知っていた。田舎の縁類の人のうわさも出た。お庄はどこか父親にているとか、ここが母親に肖ているとか言って、顔をじろじろ見られるのが、むずかゆいようであった。
「庄ちゃん小母おばさんとこの子になっておくれな、小母さんが大事にしてそこら面白いところを見せてあげたりなんかするからね。」と言ったが、お庄には、黙っている父親にも、その心持があるように思えた。
 女はそこらを捜して銀貨を二つばかりくれると、「お庄ちゃん、公園知っていて。観音さまへ行ったことがあるの。にぎやかだよ。」と言っていた。
「知ってるとも、すぐそこだ。」父親は長いあごを突き出した。
ひとりじゃどうだかね。」
「何、行けるとも。それはえらいもんだ。」
 お庄は銀貨を帯の間へはさんで、家だけは威勢よくけ出したが、あまり気が進まなかった。一、二度来たことのある釣堀つりぼりや射的の前を通って、それからのろのろと池のはたの方へ出て見たが、人込みや楽隊の響きにおじけて、どこへ行って何を見ようという気もしなかった。
 お庄は活人形いきにんぎょうの並んだ見世物小屋の前にたたずんで、その目やまゆの動くさまを、不思議そうに見ていたが、うるさく客を呼んでいる木戸番の男の悪ごすいような目や、別の人間かと思われるような奇妙な声が気になって、長く見ていられなかった。幕の外に出ている玉乗りの女の異様な扮装ふんそうや、大きい女のかつらかぶったさるの顔にも、釣り込まれるようなことはなかった。
 今の家と同じような小間物店や、人形屋の前へ来たとき、お庄は帯の間の銀貨を気にしながら、自分にも買えるようなものを、そっちこっち見て歩き歩きしたが、するうちに店が尽きて、寒い木立ち際の道へ出て来た。
 公園を出たころには、そこらに灯の影がちらちら見えて、見せ物小屋の旗や幕のようなものが、はげしい風にハタハタと吹かれていた。お庄はいつごろ帰っていいか解らないような気がしていた。
 帰って行くと、父親は火鉢のそばで、手酌てじゃくで酒を飲んでいた。女も時々来ては差し向いに坐って、海苔のりつまんだり、酌をしたりしていたが、するうちお庄もそばすしなど食べさせられた。
「お前今夜ここで泊って行くだぞ。」父親は酒がまわると言い出した。
「この小母さんが、店の方がちと忙しいで、お前がいてしばらく手伝いするだ。」
「私帰って家の阿母おっかさんに聴いて見て……。」お庄は紅味あかみのない丸い顔に、泣き出しそうなみを浮べた。
「阿母さんも承知の上だでいい。」
 お庄は黙ってうつむいた。
「お庄ちゃん厭……初めての家はやっぱり厭なような気がするんでしょうよ。」と、女はわきの方を向きながら、拭巾ふきんで火鉢のふちを拭いていた。
「お前はもう十三にもなったもんだで、そのくらいのことは何でもない。」
「少しなじんでからの方がいいでしょうよ。」と、女も気乗りのしない顔をしていた。
 お庄はその晩、かんざしなどもらって帰った。
 花見ごろには、お庄も学校のひまにここの店番をしながら、袋をゆわえる観世綯かんぜよりなど綯らされた。

     十

 品物の出し入れや飾りつけ、値段などを少しずつ覚えることはお庄にとって、さまで苦労な仕事ではなかったが、この女を阿母さんと呼ぶことだけは空々そらぞらしいようで、どうしても調子が出なかった。それに女は長いあいだの商売で体を悪くしていた。時々頭の調子の変になるようなことがあって、どうかするとおそろしい意地悪なところを見せられた。お庄はこの女の顔色を見ることに慣れて来たが、たまに用足しに外に出されると、家へ帰って行くのが厭でならなかった。
 お庄は空腹すきはらを抱えながら、公園裏の通りをぶらぶら歩いたり、静かな細い路次のようなところにたたずんで、にじみ出る汗をたもとで拭きながら、いつまでもぼんやりしていることがたびたびあった。
 だるい体を木蔭のベンチに腰かけて、袂から甘納豆あまなっとうつまんではそっと食べていると、池の向うの柳の蔭に人影が夢のように動いて、気疎けうとい楽隊やはやしの音、騒々しい銅鑼どらのようなものの響きが、重い濁った空気を伝わって来た。するうちに、よどんだようなあおい水のまわりに映るの影が見え出して、木立ちのなかには夕暮れの色が漂った。
 女は、帰って来たお庄の顔を見ると、
「この人はどうしたって家になじまないんだよ。」と言って笑った。店にはこのごろ出来た、女の新しい亭主も坐って新聞を見ていた。亭主は女よりは七、八つも年が下で、どこか薄ンのろのような様子をしていた。この男は、いつどこから来たともなく、ここの店頭みせさきに坐って、亭主ともつかずやとい人ともつかず、商いの手伝いなどすることになった。お庄は長いその顔がいつもたるんだようで、口の利き方にも締りのないこの男が傍にいると、肉がむず痒くなるほど厭であった。男はお庄ちゃんお庄ちゃんと言って、なめつくような優しい声でれしく呼びかけた。
 男は晩方になると近所の洗湯へ入って額や鼻頭はなさきを光らせて帰って来たが、夜は寄席よせ入りをしたり、公園の矢場へ入って、楊弓ようきゅうを引いたりした。夜遊びにふけった朝はいつまでも寝ていて、内儀かみさんにぶつぶつ小言を言われたが、夫婦で寝坊をしていることもめずらしくなかった。
 お庄は寝かされている狭い二階から起きて出て来ると、時々独りで台所の戸を開け、水をんで来て、かまの下に火をきつけた。親たちが横浜の叔父の方へ引き寄せられて、そこで襯衣シャツ手巾ハンケチショールのような物を商うことになってから、東京にはお庄の帰って行くところもなくなった。お庄はたすきをかけたままそこの板敷きに腰かけて、眠いような、うッとりした目を外へ注いでいたが、胸にはいろいろのことがとりとめもなく想い出された。水弄みずいじりをしていると、もう手先の冷え冷えする秋のころで、着物のまくれた白脛しろはぎ脇明わきあきのところから、寝熱ねぼてりのするようなはだに当る風が、何となく厭なような気持がした。
 お庄は雑巾を絞ってそこらを拭きはじめたが、薄暗い二人の寝間では、まだ寝息がスウスウ聞えていた。
 お庄はすそおろして、寝床の下の方から二階へ上って行くと、押入れのなかから何やら巾着きんちゃくのような物を取り出して、赤い帯の間へ挟んだが、またぬすむようにして下へ降りて行ったころに、亭主がようやく起き出して、そでや裾のしわくちゃになった単衣ひとえ寝衣ねまきのまま、あくびをしながら台所から外を見ながらしゃがんでいた。
 お庄は体が縮むような気がして、そのままバケツを提げて水道口へ出て行った。あわを立ててち満ちて来る水を番しながら考え込んでいたお庄は、やがてあてもなしにそこを逃げ出した。

     十一

 お庄はごちゃごちゃした裏通りの小路こみちを、そっちへゆきこっちへ脱けしているうちに、観音堂前の広場へ出て来た。紙片かみきれ、莨の吸殻などの落ち散った汚い地面はまだしっとりして、木立ちや建物に淡い濛靄もやがかかり、はとき声が湿気のある空気にポッポッと聞えた。忙しそうに境内を突っ切って行く人影も、大分見えていた。お庄はここまで来ると、急に心が鈍ったようになって、渋くる足をのろのろと運んでいたが、するうちに、堂の方を拝むようにして、やがて仁王門におうもんくぐった。
 仲店なかみせはまだ縁台を上げたままの家も多かった。お庄は暗いような心持で、石畳のうえを歩いて行ったが、通りの方へ出ると間もなく、柳の蔭の路側みちわき腕車くるまを決めて乗った。
「湯島までやって頂戴な。」と、お庄は四辺あたりを見ないようにして低い声で言うと、ぼくりと後の方へ体を落して腰かけた。
 上野の広小路まで来たころに、空の雲が少しずつがれて、秋の淡日うすびが差して来た。ぼっとかすんだようなお庄の目には、そこらのさまがなつかしく映った。
 お庄は下宿の少し手前で腕車を降りて、それから急いで勝手口の方へ寄って行った。
 屋内やうちはまだ静かであった。お庄はすだれのかかった暗い水口の外にたたずんで、しばらく考えていた。
「どうしてこんなに早く来ただい。」
 主婦あるじは上って行くお庄の顔を見ると、言い出した。蒼白あおざめたような頬に、薄いびんの髪がひっついたようになって、主婦あるじは今起きたばかりのだるい体をして、莨をっていた。
 お庄はただ笑っていた。
「小言でも言われただかい。」
「いいえ。」
「何か失敗しくじりでもしたろ。」主婦あるじはニヤニヤした。
「いいえ。」
「それじゃあすこが厭で逃げて来ただかい。逃げて来たって、お前の家はもう東京にゃないぞえ。」
 お庄は袂でくくれたような丸いあごのところを拭いていた。
「それにあすこはお父さんが、ちゃんと話をつけて預けて来たものだで、出るなら出るで、またその話をせにゃならん。お前は黙って出て来ただかい。」
「…………。」
「そんなことしちゃよくないわの。向うも心配しているだろうに。」と、主婦あるじ煙管きせるを下におくと、台所の方へ立って行った。そして、楊枝を使いながら、「家へ帰ったっていいこともないに、どうして浅草で辛抱しないだえ。銀行へ預けた金もちっとはあるというではないかい。」
 お庄はしばらく見なかったこの部屋の様子を、じろじろ見廻していた。
 奥から二男のただすも、繁三も起き出して来た。今茲ことし十九になる糺はむずかしい顔をして、白地の寝衣ねまきの腕をまくりあげながら、二十二、三の青年のように大人おとなぶった様子で、火鉢の傍に坐ると、ぽかぽか莨を喫い出した。
「糺や、お庄が浅草の家を逃げて来たとえ。」と主婦あるじは大声で言った。
 糺は目元に笑って、黙っていた。
「またびを入れて帰って行くにしろ、このまま出てしまうにしろ、断わりなしに出て来るというのはよくないで、お前は葉書を一枚書いて出しておかっし。」
 糺はうるさそうに口をゆがめていた。
 朝飯のとき、お庄もみんなと一緒に餉台ちゃぶだいまわりに寄って行った。
「浅草へ行ってから、お庄もすっかり様子がよくなった。」糺は飯を盛るお庄の横顔を眺めながら笑った。

     十二

 ここの下宿は私立学校の医学生と法学生とで持ちきっていた。長いあいだ居着いているような人たちばかりで、菊太郎や糺とも親しかった。中には免状を取りはぐして、頭脳あたまも生活もすさんでしまった三十近い男などが、天井の低い狭い部屋にごろごろして、毎日花を引いたり、碁を打ったりして暮した。夜はぞろぞろ寄席へ押しかけたり、近所の牛肉屋や蕎麦屋そばやで、火を落すまで酒を飲んだりした。北廓なかの事情に詳しい人や、寄席仕込みの芸人などもあった。
「××さんもいつ免状をお取りなさるだか。お国のお父さんも、すっかり田地を売っておしまいなすったというに、そうして毎日毎日茶屋酒ばかり飲んでいちゃ済まないじゃないかえ。」
 主婦あるじは楊枝をくわえて帳場の方へ上り込んで来る書生の懦弱だじゃくな様子を見ると、苦い顔をして言った。
「私らンとこの菊太郎も実地はもうたくさんだで、今茲ことしは病院の方をさして、この秋から田舎に開業することになっておりますでね、私もこれで一ト安心ですよ。病院ももう建て前が出来た様子で、昔のことをおもや地面も三分の一ほかないけれど、もとの家の跡へ親戚しんせきで建ってくれたと言うもんだでね。」
 主婦あるじは同じようなことを、一人に幾度も言って聞かせた。
 その書生は鼻であしらって、主婦が汲んで出す茶を飲みながら、昨夜ゆうべの女の話などをしはじめた。
「あれ、厭な人だよ、手放しで惚気のろけなんぞを言って。」
と、主婦はじれじれするような顔をした。
 するうちに、奥の暗い部屋でしで弄花はなが始まった。主婦は小肥りに肥った体に、繻子しゅすの半衿のかかった軟かいあわせを着て、年にしては派手な風通ふうつう前垂まえだれなどをかけていた。黒繻子の帯のあいだに財布を挟んで、一勝負するごとに、ちゃらちゃら音をさせて勘定をした。
 学校からみんなが帰って来ると、弄花はなの仲間も殖えて来た。二男の糺も連中に加わって、出の勝つ母親のだらしのない引き方を尻目にかけながら、こわらしい顔をしていた。
 夕方になると、主婦あるじは乗りのわるい肌の顔に白粉などを塗って、薄い鬢を大きく取り、油をてらてらつけて、金の前歯を光らせながら、帳場に坐り込んでいた。
「お神さんがまた白粉を塗っているのよ。」と、女中は蔭でくすくす笑った。
「××さんがこのごろほかに女が出来たもんだから、焼けてしようがないのよ。」
 女中は廊下の手摺てすりにもたれながらお庄に言って聞かせた。
 この書生は、外へ出ない時はよく帳場の方へ入り込んでいた。主婦と一緒に寄席へ行くこともあった。帰りにはそこらの小料理屋で一緒に酒を飲んで、出て行った時と同じに、別々に帰って来た。その書生は二十八、九の、色の白い、目の細い、口のき方の優しい男であった。
 主婦がその部屋へ入り込んでいるのを、お庄は幾度も見た。
「ちょいとちょいと、面白いものを見せてあげよう。」剽軽ひょうきんな女中はバタバタと段梯子だんばしごから駈け降りて来ると、奥の明るみへ出て仕事をしているお庄を手招ぎした。
 女中は二階へあがって行くと、足を浮かして尽頭はずれの部屋の前まで行って、立ち停ると、袂で顔を抑えてくすくす笑っていた。
 十時ごろの下宿は、どの部屋もどの部屋もシンとしていた。置時計の音などがうらからかちかち聞えて、たまに人のいるような部屋には、書物のページをまくる音が洩れ聞えた。
 お庄は逃げるように階下したへ降りて行くと、重苦しく呼吸いきつまるようであった。
 お庄は冬の淋しい障子際に坐って、また縫物を取りあげた。冷たいあかい畳に、はえの羽が弱々しく冬の薄日に光っていた。

     十三

 横浜の店をしまって、一家の人たちがまた東京へ舞い戻って来るまでには、お庄も二、三度その家へ行ってみた。
 家は山手の場末に近い方で、色のせたような店には、品物がいくらも並んでいなかった。低い軒に青い暖簾のれんがかかって、淋しい日影にさらされた硝子ガラスのなかに、莫大小メリヤスのシャツや靴足袋くつたび、エップルのような類が、手薄く並べられてあった。
 飴屋あめやの太鼓のまわりに寄っている近所の鍛冶屋かじやや古着屋の子供のなかに哀れなような弟たちの姿をお庄は見出した。弟たちは、もうここらの色になじんで、目の色まで鈍いように思えた。
まさちゃん正ちゃん。」と、お庄が手招ぎすると、一番大きい方の正雄は、姉の顔をじっと見返ったきり、やはりそこに突っ立っていた。
 上って行くと、さびれたような家の空気が、お庄の胸にもしみじみ感ぜられた。母親は、この界隈かいわい内儀かみさんたちの着ているような袖無しなどを着込んで、裏で子供の着物を洗っていた。目の色がうるんで、顔も手もかさかさしているのが、目立って見えた。
 母親は傍へ寄って行くお庄の顔をしげしげと見た。頬や手足の丸々して来たのが、好ましいようであった。
「湯島じゃ皆な変りはないかえ。」
 お庄は台所の柱のところにもたれて、頭髪あたまを撫でたり、帯を気にしたりしながら、母親の働く手元を眺めていたが、やがて奥へ引っ込んで、店口へ出て見たり、茶の間のなかを歩いて見たりした。部屋には、東京で世帯を持った時、父親が小マメに買い集めた道具などがきちんと片着いて、父親が蒲団ふとんの端から大きい足を踏み出しながら、安火あんかに寝ていた。父親は何もすることなしに、毎日毎日こうしてだらけたような生活に浸っていた。皮膚に斑点しみの出た大きい顔が、むくんでいるようにも思えた。
 お庄は家が淋しくなると、賑やかな大通りの方へ出て行った。羽衣町はごろもちょうに薬屋を出している叔父の家へも遊びに行った。
 叔母はその父親が、長いあいだある仏蘭西人フランスじんのコックをして貯えた財産で有福に暮していた。その外人のことを、お庄はよく叔母から聞かされたが、屋敷へ連れられて行ったこともあった。叔母は主人のいない時に、綺麗なその部屋部屋へ入れて見せた。食堂の棚から、銀のさじや、金の食塩壺、見事なコーヒ茶碗なども出して見せた。錠をおろしてある寝室へ入って、深々した軟かい、二人寝の寝台の上へもかされた。よく薬種屋の方へ遊びに来ている、お島さんという神奈川在うまれの丸い顔の女が、この外人の洋妾らしゃめんであった。
「ここへ、あの人たちが寝るのさ。」と、色気のない叔母は、寝台にっかかっていながら笑った。
 お庄は目のさめるような色の鮮やかな蒲団や、四周あたりの装飾に見惚みとれながら、長くそこに横たわっていられなかった。湯島の下宿の二階で、女中に見せられた、暗い部屋のなかの赤い毛布の色が浮んだ。
 淡紅うすあかい顔をしたその西洋人が帰って来ると、お島さんもどこからか現われて来て、自堕落じだらくだるい風をしながら、コーヒを運びなどしていた。
 この叔母が飲んだくれの叔父に、財産を減らされて行きながら、やはり思いることの出来ない様子や、そのまた叔父に、父親が次ぎ次ぎに金を出し出ししてもらってる事情が、お庄にも見え透いていた。

     十四

 父親は時々、この叔母の所有にかかる貸家の世話や家賃の取立て、叔母の代のや、父親から持越しの貸金の催促――そんなようなことに口を利いたり、相談相手になったりした。田舎にいたおり、村の出入りを扱うことのうまかった父親は、自家うちの始末より、大きな家の世話役として役に立つ方であった。
 叔母は手箪笥てだんすや手文庫の底から見つけた古い証文や新しい書附けのようなものを父親の前に並べて、「何だか、これもちょっと見て下さいな。」と、むっちり肉づいた手にしわした。
「うっかりあの人に見せられないような物ばかりでね。」と、叔母は道楽ものの亭主を恐れていたが、義兄あにの懐へ吸い込まれて行く高も少くなかった。
 店の品物が、だんだん棚曝たなざらしになったころには、父親と叔母との間も、初めのようにはなかった。叔母が世話をしてくれたある生糸商店の方の口も、自分の職業となると、長くは続かなかった。
「堅くさえしていてくれれば、なかなか役に立つ人なんだけれど、どうもあの人も堅気の商人向きでないようでね。」と、叔母はしまいかけてある店頭みせさきへ来て、不幸なそのあによめに話した。
 父親は、その姿を見ると、煙草入れを腰にさして、ふいと表へ出て行った。店には品物といっては、もう何ほどもなかった。雑作の買い手もついてしまったあとで、母親は奥でいろいろのものを始末していた。横浜へ来てから、さんざん着きってしまった子供の衣類や、古片ふるぎれ我楽多がらくたのような物がまたこおりも二タ梱も殖えた。初めて東京へ来るとき、東京で流行はやらないような手縞の着物を残らず売り払って来てから、不断ふだん着せるものに不自由したことが、ひどく頭脳あたまみ込んでいた。
「東京の方が思わしくなかったら、また出てお出でなさいよ。」
 叔母は襤褸片ぼろぎれや、風呂敷包みの取り散らかった部屋のなかに坐って、黒繻子の帯の間から、餞別に何やら紙に包んだものを取り出して、子供に渡したり、水引きをかけた有片ありきれを、火鉢の傍に置いたりした。
「さんざお世話になって、またそんな物をお貰い申しちゃ済みましねえ。」
 母親はそれをみつめていながら、押し返すようにした。
「お庄ちゃんか正ちゃんか、どっちか一人おいて行けばいいのにね。」と、叔母は子供たちの顔を眺めた。
「田舎において来たつもりで、お庄ちゃんを私に預けておおきなさい。ろくなお世話も出来やしないけれど、どこかいいところへ異人館へ小間使いにやっておけば、運がよければ主人に気に入って、西洋むこうへでも連れて行かないものとも限らない。そして真面目に働きさえすれア、お金もうんと出来るし、見られないところを方々見てあるいて、おまけに学問まで仕込んでくれるんだからありがたいじゃないかね。」
 叔母はそんな人の例を一つ二つげた。帰朝してから横浜で女学校の教師に出世した女や、めて来た金を持って田舎へ引っ込んで、いい養子を貰った女などがそれであった。母親はそういう気にもなれなかった。叔母が亭主と一緒に洋食を食ったり、洋酒を飲んだりするのすら、見ていて不思議のようであった。
「まア、もう少し大きくでもなりますれアまた……。」と、重い口をいた。
義兄にいさんも思いきって、正ちゃんをくれるといいんだがね。」叔母は色白の、体つきのすンなりした正雄に目を注いだ。
 母親はこの子は手放したくなかった。
「何なら定吉の方を貰っておもらい申したいっていうこンだで……。」と、母親は、あからんだような顔をしながら、たばこを吸い着けて義妹いもうとに渡した。
 お庄は傍に坐って、二人のはなしに注意ぶかい耳を傾けていた。

     十五

 お庄は母親と、また湯島の下宿に寄食かかっていた。正雄は、横浜から来るとじきに築地の方にいる母方の叔父の家に引き取られるし、妹は田舎で開業した菊太郎の方へ連れられて行った。次の弟は横浜の薬種屋の方に残して来た。
「男の子一人だけは、どうにかものにしなくちゃア。」と、叔父は、姉婿がくずれた家を支えかねて、金を拵えにと言って、田舎へ逃げ出してから、下宿の方へ来てその姉に話した。
 その叔父ははやくから村を出て、田舎の町や東京で、長いあいだ書生生活を続けて来た。勤めていた石川島の方の会社で、いくらか信用ができて株などに手を出していたが、くび白羽二重しろはぶたえを捲きつけて、折り鞄を提げ、爪皮つまかわのかかった日和下駄ひよりげたをはいて、たまには下宿へもやって来るのを、お庄もちょいちょい見かけた。肩つきのほっそりしたこの叔父と、くびの短い母親とが、お庄には同胞きょうだいのようにも思えなかった。
「小崎の迹取あととりはお前だに、皆を引き取ればよい。この節は大分株でもうけるというじゃないか。」下宿の主婦あるじは叔父を揶揄からかうように言ったが、叔父は取り澄ました風をして莨をふかしながら、ただ笑っていた。
 それから二、三日ってから、ある晩方母親は正雄をつれて行ったが、一人で外へ出たことのないお庄も一緒に家を出た。
 そのころ引っ越した築地の家の様子は、お庄の目にも綺麗であった。三味線や月琴げっきんが茶の間の火鉢のところの壁にかかっている、そこから見える座敷の方には、暮に取りかえたばかりの畳が青々していた。その飾りつけも町屋風まちやふうで、新しい箪笥の上に、箱に入った人形や羽子板や鏡台が飾ってあり、その前に裁物板たちものいたや、敷紙などが置いてあった。
 田舎の町で、叔父が教師をしていた若い時分に、そこの商家から迎えたという妻は、堅気な風をして大柄の無愛想な女であった。
「私のところも、入る割りには交際は多いもんでね、せっかく正ちゃんをお引き受け申しても、お世話が出来ることやら出来ぬことやら、……。」と、叔母は茶箪笥のなかから、皮の干からびたような最中もなかに、気取った箸をつけて出してくれた。
「それに女のおだと、また始末がようござんすがね、お庄ちゃんも浅草の方へお出でなさるんだとかでね……。」
「どうでござんすか。あすこも出て来たきり、これが厭がるもんだで、一向音沙汰おとさたなしで……。」と、母親は四つになった末の弟とお庄との間に坐って、口不調法に挨拶していた。
 母親は病身な正雄の小さい時分のことや、食事の細いこと、気の弱いことなどを、弟嫁に話しかけていたが、子供を持ったことのない叔母には、その気持の受け取れようがなかった。お庄は骨張ったようなその大きな顔を、時々じろじろと眺めていた。
 母親は四つになる末の子をおぶいかけては、取りつきかかる正雄の顔を見ていた。
 やがてお庄は足の遅い母親をき立てるようにして、道を歩いていた。
 母親は下宿にいても、何も手に着かないことが多かった。父親が妻子をここへあずけて田舎へ立ってから、もう一ト月の余にもなった。
「それでも為さあは田舎で何をしているだか、また方々酒でも飲んであるいて、こっちのことは忘れているずら。書けねえ手じゃなし、お安さあもぼんやりしていないで、手紙を一本本家の方へ出して見たらどうだえ。」
 主婦あるじはランプの蔭で、ほどきものをしながら齲歯むしばを気にしている母親を小突いた。お庄は火鉢の傍で、よいの口から主婦の肩をたたいていた。お庄は時々疲れた手を休めて、台所の方で悪戯わるさをしながら、こっちへ手招ぎしている繁三の方を見ていた。
 繁三は河童かっぱのような目をぎろぎろさせながら、戸棚へい上って、砂糖壺のなかへ手を突っ込んでいた。
「あらア、おばさん繁ちゃんが……。」お庄は蓮葉はすはな大声を出した。
 繁三はどたんと戸棚から飛び下りると、目をき出してにらめた。

     十六

 田舎から上って来た身内の人の口から父親の消息がこの家へも伝わって来た。
 その人は母方の身続きで、下宿の主婦あるじとは従兄弟いとこ同志であった。村では村長をしていて、赤十字の大会などがあると花見がてらにきっと上って来た。田舎で春から開業している菊太郎の評判などを、小父おじが長い胡麻塩ごましお顎鬚あごひげ仕扱しごきながら従姉いとこに話して聞かせた。
「為さあも、油屋の帳場に脂下やにさがっているそうだで、まア当分東京へも出て来まい。」小父は笑いながら話した。
 お庄は母親の蔭の方に坐っていて、柱も天井もくろずんだ、その油屋という暗い大きな宿屋の荒れたさまを目に浮べた。そこは繭買まゆかいなどの来て泊るところで、養蚕期になるとその家でも蚕を飼っていた。あるじ寡婦やもめで、父親は田舎にいる時分からちょいちょいそこへ入り込んでいた。お庄の家とはいくらか血も続いていた。
 母親は齲歯むしば痛痒いたがゆく腐ったような肉を吸いながら、人事ひとごとのように聞いていた。
「それ、そんなこンだろうと思ったい。」と、主婦あるじは吐き出すような調子で言った。
「あすこも近年は料理屋みたいな風になってしまって、ベンベコ三味線も鳴れア、白粉を塗った女もあるせえ。」
「いっそもう、そこへ居坐って出て来なけアいい。」母親も鼻で笑った。
「出て来なけアどうするえ。ちいさいものがいちゃ働くことも出来まいが……。」
 小父は主婦とお庄とをつれて、晩方から寄席よせへ行って、帰りに近所の天麩羅屋てんぷらやで酒を飲んだ。
「小崎の姉さまも一ト晩どうだね。」と、田舎の小父は大きな帽子のついた、帯のあるとんびを着ながら、書類の入った折り鞄を箪笥の上にしまい込んで、出がけに母親に勧めた。
「私はヘイ。」と、母親は二十日はつかたらずも結ばない髪を気にしながら言った。
「お安さあは寄席どころではないぞえ。」と、主婦は古い小紋の羽織などを着込んで、莨入れを帯の間へ押し込みながら、出て行った。
 母親は東京へ来てから、まだろくろく寄席一つのぞいたことがなかった。田舎にいた時の方が、まだしも面白い目を見る機会があった。大勢の出て行ったあと、火鉢の傍で、母親は主婦あるじが手きびしくやり込めるように言った一ト言を、いつまでも考えていた。気楽に寄席へでも行ける体にいつなれるかと思った。
「私は東京へ来て、商業これに取り着くまでには、田町で大道に立って、庖丁ほうちょうを売ったこともあるぞえ。」と、主婦の苦労ばなしが、また想い出された。
 自分には足手纏あしでまといの子供のあることや、長いあいだ亭主にしいたげられて来たことが、つくづく考えられた。
「あの人も、えらい出ずきだね。」
 やがて女中と二人で、主婦の蔭口が始まった。
 皆の跫音あしおとが聞えた時、火鉢にりかかって、時々こくりこくりと居睡いねむりをしていた母親は、あわてて目をこすって仕事を取りあげた。
 主婦は眠そうな母親の顔に、すぐに目をつけた。
「この油の高いに、今までかんかん火をつけて、そこに何をしていただえ。」
 主婦は褄楊枝つまようじくわえながら大声にたしなめた。
「私が石油くらいは買うで……。」と、母親は言い返した。
 主婦の声はだんだん荒くなった。母親も寝所へ入るまで理窟りくつを言った。
 暗いところで小父の脱棄ぬぎすてを畳んでいながら、二人の言合いをおそろしくも浅ましくも思ったお庄は、しまいに突っ伏して笑い出した。

     十七

 お庄はごちゃごちゃした日暮れのまちで、末の弟を見ていた。弟はもう大分口が利けるようになっていた。うっちゃらかされつけているので、家のなかでも、朝から晩までころころひとりで遊んでいた。
「どうせもうそんなにたくさんはいらないで、この子を早く手放しておしまいやれと言うに――。」と、主婦あるじは気を苛立いらだたせたが、母親は思いって余所よそへくれる気にもなれなかった。
 弟は大勢の子供の群れている方へ、ちょこちょこと走って行った。しまっておいたすだれが、また井戸端で洗われるような時節で、すそをまくっておいても、お尻の寒いようなことはなかった。お庄は薄暗くなった溝際みぞぎわにしゃがんで、海酸漿うみほおずきを鳴らしていた。
 そこへ田舎から上野へ着いたばかりの父親が、日和下駄をはいて、蝙蝠傘こうもりがさに包みを持ってやって来た。
「庄そこにいたか。」
 父親はしゃがれたような声をかけて行った。お庄は猫背の大きい父親の後姿を、ぼんやり見送っていた。
 お庄が弟をつれて家へ入って行くと、父親はぽつねんと火鉢のところに坐って、莨をふかしていた。母親も傍に黙っていた。お庄は父親と顔を合わすのを避けるようにして、台所の方へ出て行った。
「女房子を人の家へっつけておいて、田舎で今まで何をしていなさっただえ。」と、主婦あるじは傍へ寄って行くと、ニヤニヤ笑いながら言った。
 父親はどこかきょときょとしたような調子で、低い声でいいわけをしていた。
「それならそれで、手紙の一本もよこせアいいに……。」と、主婦は父親に厭味を言うと、「ちっとあっちへ行って、台所の方でも見たらどうだえ。」と母親をい立てた。
 母親は始終不興気な顔をして、父親が台所へ出て声をかけても、ろくろく返事もしなかった。
「酒を一本つけてくれ。わしが買うから。」と、しばらく東京の酒にかつえていた父親は、暗いところで財布のなかから金を出して、戸棚の端の方においた。
「そんな金があるなら、子供にかんざしの一本も買ってやればいい。」母親は見向きもしないで、二階から下って来た膳の上のものの始末をしていた。
「それアまたそれさ。来る早々からぶすぶすいわないもんだ。」
 お庄が弟をおぶって、裏口から酒を買って来たころには、二人の言合いも大分つのっていた。お庄は水口のかまちに後向きに腰かけたまま、眠りかけた弟を膝の上へ載せて、目から涙をにじませていた。
 父親が自分でつけた酒をちびちびやりながら、荒い声が少し静まりかけると、主婦あるじがまた母親を煽動けしかけるようにして、傍から口を添えた。
 やがて父親は酒のしずくを切ると、財布のなかから金を取り出して、そこへ置いた。
「私はこれから、浜の方へ少し用事があるで……持って来た金はみんなここへ置きますで……。」
 主婦は鼻で笑った。
「行けアまたいつ来るか解らないで、子供を持って行ってもらったらよからずに。」
「子供をどうか連れて行っておもらい申したいもんで……。」と、母親もきついような調子で言った。
 父親の出て行くあとから、お庄は弟をおぶせられて、ひたひたといて行った。

     十八

 父親は時々みちに立ち停っては後を振りかえった。聖堂前の古い医学校の黒門の脇にある長屋の出窓、坂の上に出張った床屋の店頭みせさき、そんなところをのろのろ歩いている父親の姿が、狭い通りをせわしく往来ゆききしている人や車のすきから見られた。浜へ行くといっていさぎよく飛び出した父親の頭脳あたまには何の成算もなかった。
 父親が立ち停ると、お庄もまた立ち停るようにしては尾いて行った。するうちに、父親の影が見えなくなった。道の真中へ出てみても、端の方へ寄ってみても見えなかった。
「お前気が弱くて駄目だで、どうでもお父さんに押っ着けて来るだぞえ。」
 お庄は、主婦あるじが帽子や袖無しも持って来て、いいつけたことを憶い出しながら、坂を降りて、暗い方へ曲って行った。おろおろしていた母親の顔も目に浮んだ。
 お庄は広々した静かな眼鏡橋めがねばしの袂へ出て来た。水の黝んだ川岸や向うの広い通りには淡い濛靄もやがかかって、蒼白い街燈の蔭に、車夫くるまやの暗い看板が幾個いくつも並んでいた。お庄は橋を渡って、広場を見渡したが、父親の影はどこにも見えなかった。お庄は柳の蔭に馬車の動いている方へ出て行くと、しばらくそこに立って見ていた。とまった馬車からは、のろくさしたような人が降りたり乗ったりして、幾台となく来ては大通りの方へ出て行った。
 暗い明神坂を登る時分には、せなかで眠った弟の重みで、手がしびれるようであった。
「それじゃまたどこかそこいらを彷徨ぶらついているら。」と、主婦は独りでつぶやいていたが、お庄は母親に弟をおろしてもらうと、帯をゆわえ直して、顔の汗を拭き拭き、台所の方へ行って餉台ちゃぶだいの前に坐った。
 お庄がある朝、新しいネルの単衣ひとえに、紅入りメリンスの帯を締め、買立ての下駄に白の木綿足袋もめんたびをはいて、細く折った手拭や鼻紙などを懐に挿み、兜町かぶとちょうへ出ている父親の友達の内儀かみさんに連れられて、日本橋の方へやられたころには、このちいさい弟も父親に連れられて、田舎へ旅立って行った。父親はそれまでに、横浜と東京の間を幾度となくったり来たりした。弟の家の方をうかがったり、浅草の女の方に引っかかっていたりした。終いにまた子供を突き着けられた。
 お庄はまた弟をつれて、上野まで送らせられた。弟はみんなの前にお辞儀をして、ひものついた草履ぞうりをはきながら、ちょこちょこと下宿の石段を降りて行った。
 お庄は構内の隅の方の腰掛けの上に子供をおろして、持って来たビスケットなどを出して食べさせた。子供はそれをつかんだまま、賑やかな四下あたりをきょろきょろ眺めていた。
 父親の顔は、長いあいだの放浪で、目も落ちくぼみ骨も立っていた。昨日浅草の方から、母親に捜し出されて来たばかりで、懐のなかも淋しかった。母親は、主婦あるじみつくように言われて、切なげに子供を負って馬車から降りると、二度も三度も店頭みせさきを往来して、そのあげくにやっと入って行った。
 父親はその時二階に寝ていた。女の若い情人おとこは、そのころ勧工場のなかへ店を出していた。
 父親は山の入った博多はかたの帯から、煙草入れを抜き出して、マッチをって傍で莨を喫った。お庄はひげの生えたその顎の骨の動くさまや、せた手容てつきなどを横目に眺めていた。
 汽車の窓から、弟は姉の方へ手を拡げては泣面べそをかいた。
 お庄は父親に、巾着きんちゃくのなかから、少しばかりの銀貨までさらわれて、とぼとぼとステーションを出た。

     十九

 お庄は日本橋の方で、ほとんどその一ト夏を過した。
 その家は奥深い塗屋造ぬりやづくりで、広い座敷の方は始終薄暗いような間取りであったが、天井に厚硝子のはまった明り取りのある茶の間や、台所、湯殿の方は雨の降る日も明るかった。お庄はその茶の間の隅にわった、かまの傍に番している時が多かった。
 朝起きると、お庄は赤いたすきをかけ、節のところの落ち窪むほどに肉づいた白い手を二の腕まで見せて塗り壁を拭いたり、床の間の見事な卓や、袋棚ふくろだな蒔絵まきえ硯箱すずりばこなどに絹拭巾きぬぶきんをかけたりした。あるじの寝る水浅黄色の縮緬ちりめんの夜着や、郡内縞くんないじま蒲団ふとんを畳みなどした。
 主人は六十近い老人で、禿げた頭顱あたまの皮膚に汚い斑点まだらが出来ており、裸になると、曲った背骨や、とがった腰骨のあたりの肉も薄いようであったが、ここに寝泊りする夜はまれであった。
「ただ今お帰りですよ。」
 お庄は時々、こんな電話を向島むこうじまの方の妾宅しょうたくから受け取って、それを奥へ取り次ぐことがあった。
 内儀かみさんは背の低い、品のない、五十四、五の女で、良人おっとに羽織を着せる時、たけ一杯爪立つまだてする様子を、お庄は後で思い出し笑いをしては、年増としまの仲働きににらまれた。
 客の多い家で、老主人が家にいると、お庄は朝から茶を出したり、菓子を運ぶのに忙しかった。店の方を切り廻している三十前後の若主人や、その内儀かみさんも、折々来ては老人の機嫌を取っていた。縁づいている娘も二人ばかりあった。
 年取った内儀さんは、よく独りで、市中や東京居周いまわりの仏寺をあさってあるいた。嫁や娘たちが、海辺や湯治場で、暑い夏を過すあいだ、内儀さんは質素な扮装みなりをして、川崎の大師や、羽田の稲荷いなりへ出かけて行った。この春に京都から越前えちぜんまで廻って秋はまた信濃しなのの方へ出向くなどの計画もあった。そのたんびに寺へ寄附する金のたかも少くなかった。お庄は時々、そんな内幕のことを、年増の女中から聴かされた。
 内儀さんは、家にいても夫婦一つの部屋で細々こまごま話をするようなことは、めったになかった。悧発りはつそうなその優しい目には、始終涙がにじんでいるようで、狭い額際ひたいぎわも曇っていた。階上の物置や、暗い倉のなかに閉じこもって、数ある寝道具や衣類、こまこました調度の類を、あっちへかえしこっちへ返し、整理をしたり置き場を換えて見たりしていた。着物のなかには、もう着られなくなった、色気や模様の派手なものがたくさんあった。
「私が死ねば、これをお前さんたちみんなに片身分かたみわけにあげるんですよ。」
 内儀さんはその中に坐りながら言った。
 老人は、頭脳あたまかっとなって来ると、この内儀さんの顔へ、物を取って投げ着けなどした。得がたい瀬戸物が、柱に当って砕けたり、大事な持物が、庭の隅へほうり出されたりした。
 お庄らは、この老人の給仕をしているあいだに、袖で顔をおおうて、勝手の方へ逃げ出して来ることがしばしばあった。内儀さんに就いていいのか、老人に就いていいのか、解らないようなこともたびたびであった。
 夜は若いものが店の方から二、三人来て泊った。酒好きな車夫も来て、台所の方によくごろ寝をしていた。若い人たちは時間が来ると入り込んで来て、湯に入ってから、茶の間の次で雑誌を見たり、小説を読んだりした。湯に入っていると牡丹色ぼたんいろ仕扱しごきを、手の届かぬところへ隠されなどして、お庄は帯取り裸のまま電燈の下に縮まっていた。

     二十

 こっちの仲働きが向島のと入れ替った。そのころからお庄の心もいくらか自由になった。向島の方のお鳥という女が、何か落ち度があって暇を出されるところを、慈悲のある内儀かみさんが、入れ替らせて本宅で使うことにした。
「お前がしばらく行って、あすこを取り締っておくんなさいよ。お絹には若いものはとても使いきれないから。」
 こっちの仲働きは内儀さんからこう言い渡されたとき、奥から下って来ると厭な顔をして、黙って火鉢の傍で莨ばかりふかしていた。顔に蕎麦滓そばかすの多い女で、一度は亭主を持ったこともあるという話であった。腹には苦労もありそうで、絶えず奥へ気を配り、うっかりしているようなことはなかった。
 お庄は目見えの時、内儀さんからこの女の手に渡されて、二、三日いろいろのことを教わった。お茶の運び工合から蒲団の直しよう、煙草盆の火のけ方、取次ぎのしかた、光沢拭巾つやぶきんのかけ方などを、少しシャがれたような声で舌速したばやに言って聴かせた。お庄が笑い出すと、女はマジマジその顔をみつめて、「いやだよ、お前さんは、真面目に聞かないから。」と、煙管きせるをポンとたたいた。お庄はこの「お前さん」などと言われるのが初めのうちきつく耳にさわって、どうしても素直に返辞をする気になれなかった。そんな時にお庄は、低い鼻のあたりにしわを寄せてとめどなく笑った。一緒に膳に向う時、この女の汚らしい口容くちつきをみるのが厭な気持で、白い腰巻きをひらひらさせてそこらを飛び歩いたり、食べ物を塩梅あんばいしたりする様子も、どうかすると気にかかってならなかった。お庄はそういう時にも、顔に袂を当てがって笑う癖があった。
 一緒に湯に入ると、女はお庄の肉着きのいい体を眺めて、「わたしは一度もお庄ちゃんのようにふとったことがなくて済んだんだよ。」と、うらやましがった。
 お庄はまた、骨組みの繊細きゃしゃなこの女の姿だけはいいと思って眺めた。髪の癖のないのも取り柄のように思えた。
「まアこちらのお宅に辛抱してごらんなさい。こちらもあまりパッパとする方じゃないけれど、内儀おかみさんが目をかけて使って下さるからね。どこへ行ったって、そういい家というものはないものですよ。」と、女はお庄がややなじんだ時分に、寝所でしみじみ言って聴かせた。
 お庄はそうして奉公気じみたことを考えるのが、厭なようであった。
 女が包みと行李とを蹴込けこみに積んで、ある晩方向島の方へ送られて行くと、間もなくお鳥がやって来た。
 お鳥はからだの小さい、顔の割りに年を喰った女であったが、一ト目見た時から、どこか気がおけなそうに思えた。
 お鳥は来た晩から、洗いざらい身の上ばなしを始めた。向島の妾宅のこと、これまでにわたりあるいた家のことなども、明けッ放しに話した。
 お庄は時々この女に、用事をいいつけるようになった。女は「そう」「そう」と言って、小捷こばしこく働いたが、そそくさと一ト働きすると、じきにだるそうな風をしてぺッたり坐って、まるい目をパチパチさせながら、いつまでも話し込んだ。この女が平気でしゃべることが、しまいにはおそろしくなるようなことがあった。
 お鳥はひやっこい台所の板敷きに、ふくはぎのだぶだぶした脚を投げ出して、また浅草で関係していた情人おとこのことを言いだした。
「堅気の家なんか真実ほんとうにつまらない。奉公するならお茶屋よ。」
 お鳥は溜息をついて、深い目色をした。
 お庄も足にべとつく着物をまくしあげて、戸棚にもたれて、うっとりしていた。奥も台所の方も、ひっそりしていた。

     二十一

 水天宮の晩に、お鳥は奥の方へは下谷したやの叔母の家に行くと言って、お庄に下駄と小遣いとを借りて、裏口の方から出て行った。この女は来た時から何も持っていなかった。押入れのなかにころがした風呂敷のなかに、寝衣ねまきと着換えが二、三枚に、白粉のびんがあったきりで、昼間外へ出る時は傘までお庄のをさして行くくらいであったが、金が一銭もなくても買食いだけはせずにいられなかった。お鳥と一緒にいると、お庄は自分の心までがただれて行くように思えた。
 台所ばかりを働いている田舎丸出しの越後えちご女は、よくお鳥に拭巾と雑巾とを混合ごっちゃにされたり、奥からの洗濯物のなかに汚い物のついた腰巻きをつくねておかれたりするので、ぶつぶつ小言を言った。
「お前が来てから、何だかそこいらが汚くなったようだよ。」と、内儀かみさんは時々出て来てはそこいらに目を配った。
「私口を捜しに行くんですから、奥へは黙っていて下さいね。どこかいいところがあったら、あなたも行かないこと。」お鳥は出て行く時お庄にも勧めた。
 お庄はただ笑っていたが、この女の口を聞いていると、そうした方が、何だか安易なような気もしていた。貰いのたくさんあるようなところなら、自分の手一つで、母親一人くらいは養って行けそうにも思えた。
 お庄は落ち着かないような心持で、勝手口のわきの鉄の棒のはまった出窓にもたれて路次のうちを眺めていた。するうちに外はだんだん暗くなって来た。一日曇っていた空もとうとう雨になりそうで、冷たい風は向うの家のほこりふかい廂間ひさしあいから動いて来た。
 お庄はじれったいような体を、窓から引っ込めて行くと、自分たちの荷物や、この家の我楽多がらくたの物置になっている薄暗い部屋へ入って、隅の方に出してある鏡立ての前にしゃがんだ。ふと呼鈴よびりんがけたたましく耳に響いた。茶の間へ出て行くと、今店の方から来たばかりの小僧が一人、奥へ返辞もしないで、明るい電燈の下で、寝転んで新聞を読んでいた。おさんは台所で、夕飯の後始末をしていた。
「お前さんちょっと行ってくれたってもいいじゃないの。」
 お庄は小僧に言いかけて、手でしりのあたりをでながら、奥の方へ行った。奥は四、五日甲高かんだかな老人の声も聞えなかった。内儀かみさんは、時々二階へあがって、そこで一人かけ離れて冬物を縫っているお針の傍へ行ったり、物置の方へ物を捜しに行ったりして、日を暮した。お鳥に聞かされるいろいろの話に引き寄せられていたお庄は、しばらくこの主人ともうとくなったような気がしていた。
 内儀さんは樟脳しょうのうの匂いのみ込んだような軟かいほどきものを一枚出して、お庄に渡した。
「お前、旦那だんながお留守で、あんまりひまなようなら、ちっとこんなものでもほどいておくれ。」
 お庄はそれを持って引き退さがって来たが、今急に手を着ける気もしなかった。
 水天宮へ出かけて行った店の若い人たちが、雨に降られてどかどかと帰って来た時分には、お庄もお鳥の帰りが待ち遠しいような気がして来た。そして明りの下でほどきものをしながら、心にいろいろのことを描いていた。
 お鳥の帰ったのは、その翌朝であった。
「どうも済みません。」
 お鳥は疲れたような顔をして、紅梅焼きを一ト袋、袂の中から出すと、それを棚の上において、不安らしくお庄の顔を見た。お庄はまだ目蓋まぶたれぼったいような顔をして、寝道具をしまったあとを掃いていた。お鳥は急いでたすきをかけて、次の間へハタキをかけ始めた。

     二十二

 お庄は久しぶりで湯島の方へ帰って行った。もといた近所を通って行くのはあまりいい気持でもなかったし、母親の顔を見るのも厭なような気がして、お庄は日蔭もののように道の片側を歩いて行った。昨夜ゆうべお鳥のところへこの間の話の人にいい口があると言って、浅草の方から葉書で知らせて来た。先方は食物屋たべものやで、家は小さいけれど、客種のいいということは前からもお鳥に聞かされていた。それにせわしいには忙しいが芸者なども上って、収入みいりも多いということであった。体が大きいから、年などはどうにもごまかせると言って、お鳥は女文字のその葉書を見せた。お庄は何だかかつがれでもするようで、こわかったが、行って見たいような心がしきりに動いた。お庄はもう半分、ここにいる気がしなかった。
 下宿へ入って行くと、下の方には誰もいなかったが、見馴れぬ女中が、台所の方から顔を出して胡散うさんそうにお庄を眺めた。そこらはもう薄暗くなっていた。
 母親は二階の空間で、物干しから取り込んだ蒲団の始末をしていた。窓際に差し出ている碧桐あおぎりの葉が黄色くむしばんで、庭続きのがけの方の木立ちにかなかないていた。そこらが古くさく汚く見えた。お庄は自分の古巣へ落ち着いたような心持で、低い窓に腰かけていた。
阿母おっかさん、私お茶屋などへ行っちゃいけなくて。」お庄はいた。
 母親は畳んでいた重い四布よのとんをそこへ積みあげると、こッちを振りかえって、以前より一層肉のついたお庄の顔を眺めた。
「お茶屋ってどんなとこだか知らないが、堅気のものはまアあんまり行くところじゃあるまい。」
「ちゃんとした家なら、行ったっていいじゃないの。」
「さア、どんなものだかね、わしらには一向解りもしないけれど……どこかそんなところでもあるだか。」母親は立っていながら言った。
 お庄はこの母親に言って聞かせても解らないような気がしてもどかしかった。
「お前そうして、そこへ行くと言うだかい。」母親はマジマジ娘の顔を見た。
「どうだか解りゃしない。行って見ないかと言う人があるの。」お庄は外の方を見ていながら、気疎けうといような返辞をした。
「誰からそんなことを言われたか知らないけれど、まアあんまり人の話にゃ乗らない方がいい。もしか間違いでもあって、後で親類に話の出来ないようなことでもあっちゃ済まないで。」と、母親は暗いような顔にニヤニヤ笑って、
「その人はやっぱりあすこへ出入りする人でもあるだか。」
「一緒に働いている人さ。その人も近いうちにあすこを出るでしょうと思うの。」
「じゃ、その人はお前より年とった人ずら。自分が出るでお前も一緒に引っ張って行かずかという気でもあるら。」
 母親は蒲団の前に坐り込んでごみひねりながら、深く思い入っているようであった。
 夕暮の色が、横向きに腰かけているお庄の顔にもかかって来た。
「よくせき困ってくれば、時と場合で女郎さえする人もあるもんだで、身を落す日になれア、何でもできるけれど、家じゃ田舎にちゃんとした親類もあるこんだもんだで、あの人たちに東京で何していると聞かれて、返辞の出来ないようなむやみなことも出来ないといったようなもんせえ。あすこへ世話してくれた人にだって、そんなことを言い出せた義理じゃないしするもんだで……。」
 お庄は、重苦しい母親の調子が、息ぜわしいようであった。
 やがて下から声かけられて、母親が板戸を締めはじめると、お庄もむっかびくさい部屋から脱けて、足元の暗い段梯子を降りて行った。

     二十三

「おや厭だぞえ、誰かと思ったらお庄かい。」
 段梯子の下に突っ立っていながら、目の悪い主婦かみさんは、降りて来るお庄の姿を見あげて言った。お庄は牡丹の模様のある中形ちゅうがたを着て、紅入べにい友禅ゆうぜんの帯などを締め、香水の匂いをさせていた。揉揚もみあげの延びた顔にも濃く白粉を塗っていた。
「お前今ごろ何しに来たえ。塩梅あんばいでも悪いだか。」
 主婦かみさんは帳場のところへ来てお辞儀をするお庄のめっきり大人びたような様子を見ながら訊いた。
 お庄はそこにあった団扇うちわで、ほてった顔をあおぎながら、畳に片手を突いて膝をくずしていた。
「これがお茶屋に行かずかと言いますがどんなもんでござんすら。」と母親が大分経ってから、おずおず言い出したとき、主婦かみさんはお庄の顔を見てニヤリと笑った。
「そろそろいい着物でも着たくなって来たら、そして先アどこだえ。」
「何だか浅草に口があるそうで……。」
 主婦は詳しくも聞かなかった。そこへ客が入り込んで来たりなどして、話がそれぎりになった。
 お庄は台所の隅の方で、また母親とこそこそ立ち話をしていた。
 九時ごろにお庄は、通りの角まで母親に送られて帰って行った。
「それじゃ世話する人にも済まないようだったら、今いる家へ知れないように目見えだけでもして見るだか。」
 母親は別れる時こうも言った。お庄は断わるのに造作はなかったが、それぎりにするのも飽き足らなかった。
 帰って行くと、奥はもうひっそりしていた。茶の間と若い人たちの寝る次の部屋との間の重い戸も締められて、心張り棒がさされてあった。お鳥は寝衣ねまきのまま起きて出て、そっと戸を開けてくれた。
「私あのことどうしようかしら。」
 お庄はお鳥の寝所ねどこの傍にべッたり坐って、額を抑えながら深い溜息をいた。
 お鳥はだらしのない風をして、細い煙管きせるに煙草を詰めると、マッチの火をりつけて、すぱすぱみはじめた。
「どうでもあんたの好きなようにすればいいじゃありませんか。あんまりお勧めしても悪いわ。」お鳥はお庄の顔をマジマジ見ていた。
「そこは真実ほんとうに堅い家なの。」
「それア堅い家でさね。だけど、どうせ客商売をしてるんですから、堅いと言ったって、ここいらの堅いとはまた違ってますのさ。」お鳥は鼻にかかった声で言って澄ましていた。
 お鳥は寝所ねどこへ入ってからも、自分の知っているそういう家の風をいろいろ話して聞かした。
 二、三日経ってから、お鳥が浅草の叔母の方へ帰って行ったころには、店の方からよく働く女が一人ここへ廻されていた。方々ですれて来たお鳥の使いにくいことが、その前から奥へもよく解っていた。店の荷造りをする男と、一緒に仕舞湯へ入ってべちゃくちゃしながら、肌の綺麗な男の背を流しなどしているところを、台所働きに見られて、言いつけられた。内儀かみさんはお鳥を呼びつけて、しねしね叱言こごとを言った。
「もう厭になっちゃった。どうせこんなところは腰かけなんだから、どうだってかまやしない。」
 お鳥は奥から出て来ると、ふてくさったような口を利いて、茶の間にごろごろしていた。
 お鳥は出て行くとき、荷部屋へ入って、お庄としばらく話し込んでいた。それから借りた金なども綺麗に返して、包みを一つ抱えて裏から脱けて行った。
 後で多勢でこの女の噂が始まった。若い男たちは、お庄らの気着かぬことまで見ていた。お庄も一緒になって、時々切なげな笑い方をした。

     二十四

 お庄の行った家は、お鳥の言うほど洒落しゃれてもいなかった。
 お庄は家からかかった体裁に、お鳥から電話をかけてもらって、ある晩方日本橋の家を脱けて出た。その日は一日気色きしょくの悪い日で、店から来た束髪の女ともあまり口を利かなかった。お庄には若い夫婦の傍にいつけて、理窟っぽくなっているこの女の幅をかすほど、煮物や汁加減つゆかげんが巧いとは思えなかった。学校出の御新造を笠にて、お上品ぶるのも厭であった。
 その晩は、白地が目に立つほど涼しかった。お庄は母親に頼んであるネルの縫直しがまだ出来ていなかったし、袷羽織あわせばおりの用意もなかったので、洗濯してあった、裄丈ゆきたけの短いかすりの方を着て出かけて行った。
 馬車の中は、水のような風がすいすい吹き通った。お庄は軽く胸をそそられるようであった。
 お庄は賑やかないけはたから公園のすその方へ出ると、やがて家並みのごちゃごちゃした狭い通りへ入った。氷屋のすだれ、床屋の姿見、食物屋たべものやの窓の色硝子、幾個いくつとなく並んだ神燈の蔭からは、なまめかしい女の姿などが見えて、湿った暗い砂利の道を、人やくるまが忙しく往来した。ここはお庄の目にもなじみのないところでもなかった。
 お鳥のいる家はじきに知れた。大きい木戸から作り庭の燈籠とうろうの灯影や、橋がかりになった離室はなれ見透みすかされるような家は二軒とはなかった。お庄は店頭みせさきの軒下に据えつけられた高い用水桶ようすいおけの片蔭から中をのぞいて、その前をったり来たりしていたが、するうち下足番の若い衆に頼んで、お鳥に外まで出てもらった。やがてお鳥は下駄を突っかけて料理場のわきの方から出て来た。
 その家は仲見世なかみせ寄りの静かな町にあった。お鳥は花屋敷前の暗い木立ちのなかを脱けて、露店ほしみせの出ている通りを突っ切ると、やがて浅黄色の旗の出ている、板塀囲いの小体こていな家の前まで来てお庄を振りかえった。お庄は片側の方へ寄って、遠くから入口の方をすかしていた。
 裏から入って行くと、勝手口は電気が薄暗かった。内もひっそりしていて、菰被こもかぶりの据わった帳場の方の次の狭い部屋には、だるそうに坐っている痩せた女の櫛巻くしまき姿が見えた。上に熊手くまでのかかった帳場に、でッぷりした肌脱ぎの老爺おやじが、立てた膝を両手で抱えて、眠そうにりかかっていた。
 お鳥は女中を一人片蔭へ呼び出すと、暗いところで立ち話をしはじめた。そうしてから外に立っているお庄を呼び込んだ。
「じゃこの人よ。どうぞよろしくお願い申します。」お鳥は口軽にお鳥を紹介ひきあわすと、やがて帰って行った。
 女中はお庄を櫛巻きの女の方へつれて行った。女は落ち窪んだヒステレー性の力のない目でお庄をじろじろ眺めたが、言うことはお庄はよく聴き取れなかった。
 帳場前の廊下へ出ると、そこから薄暗い硝子燈籠のともれた、だだッ広い庭が、お庄の目にも安ッぽく見られた。ちぐはぐのような小間こまのたくさんある家建やだちも、普請が粗雑がさつであった。お庄はビールやサイダーの広告のかかった、取っ着きの広い座敷へ連れられて行くと、そこに商人風の客が一ト組、じわじわ煮立つ鶏鍋とりなべを真中に置いて、酒を飲んでいるのが目についた。お庄は入口の方に坐って、しばらくぼんやりしていた。
「あんたも来て手伝って頂戴。」
 女は骨盤の押し開いたような腰つきをして、片隅に散らかったものを忙しそうに取りまとめていた。
 お庄は気爽きさくに返事をして、急いで傍へ寄って行った。
 その晩から、お庄はみんななじんだ。

     二十五

 正雄がある朝十時ごろに、いちを訪ねて行くと、お庄は半襟はんえりのかかった双子ふたこの薄綿入れなどを着込んで、縁側へ幾個いくつ真鍮しんちゅうの火鉢を持ち出して灰をふるっていた。お庄が身元引受人に湯島の主婦あるじを頼みに行ったとき、主婦はニヤニヤ笑って、
「お前そんなことをしてもいいだかい。自分の娘のことじゃないから、私はまア何とも言わないが、長くいるようじゃダメだぞえ。」と、念を押しながら判をしてくれた。
 お庄は二日ばかりの目見えで、毎日の仕事もあらまし解って来た。家の様子や客の風も大抵み込めた。どこのどんな家のものだか知れないような女連の中に交じって立ち働くのも厭なようで、自分にもそれほど気が進んでもいなかったが、日本橋の方へ帰って、気むずかしい老人夫婦ばかりの、陰気な奥の方を勤めるのも張合いがなかった。
「今いる家は、体が楽でも気がつまっていけないそうで……。」と、母親も傍から口を添えた。
 お庄はここへ書附けを入れてから、もう二タ月にもなった。
 お庄は裏口の戸の外に待っている正雄の姿を見ると、顔をあかくして傍へ寄って行ったが、目に涙がにじんだ。明けると十四になる正雄の様子は、しばらくのまにめっきり下町風になっていた。頭髪かみを短く刈り込んだ顔も明るく、しまの綿入れに角帯をしめた体つきものんびりしていた。
「何か用があったの。」とお庄は何か語りそうな弟の顔を見た。
「いいえ。」正雄はかぶりった。
「どうしてここにいることが解ったの。阿母おっかさんに聞いて来たの。」
 それぎりで、二人は話すことも、想い出せないような風で立っていた。
 しばらくたつと、お庄は顔や髪などを直して、出直して来た。大きい素足に後歯あとばの下駄をはいて、意気がったような長い縞の前垂を蹴るようにして蓮葉に歩き出すと、やがて芝居や見世物のある通りへ弟を連れ出して来た。
 見世物場はまだそれほど雑踏していなかった。帽子もかぶらないで、ピンヘットを耳のところに挟んだような、目容めつきのこわらしい男や、黒足袋をはいて襷がけしたような女の往来ゆききしている中に、子供の手を引いた夫婦連れや、白いきれくびに巻いた女と一緒に歩いている、金縁眼鏡きんぶちめがねの男の姿などが、ちらほら目についた。二人はその間をぶらぶらと歩いていたが、弟はどこを見せても厭なような顔ばかりしていて、張合いがなかった。お庄は見世物小屋の木戸口へ行って、帯のなかから巾着きんちゃくを取り出しながら、弟を呼び込もうとしたが、弟はやはり寄って来なかった。
「何か食べる方がいいの。」お庄は橋の手摺りにりかかって、あっちを向いている弟の傍へ寄り添いながら訊いたが、弟はやはり厭がった。
「じゃ、何か欲しいものがあるならそうお言いなさい。姉さんお鳥目あしがあるのよ。」
「ううん、お鳥目あしなんか使っちゃいけない。」弟はニヤニヤ笑った。
 二人は橋を渡って木立ちの見える方へ入って行った。弟は姉と一緒に歩くのが厭なような風をして、先へずんずん歩いた。
 別れる時、お庄は片蔭へ寄って、巾着から銀貨をあらまし取り出して渡した。
「姉さんも早くあの家を出るようにしておくれ。」と、弟の言ったのを時々思い出しながら、お庄は裏通りをすごすごと帰って行った。

     二十六

 帰って行くと、内儀かみさんが帳場の方に頑張がんばっていた。
 内儀さんは上州辺の女で、田舎で芸妓げいしゃをしていた折に、東京から出張っていた土木の請負師に連れ出されて、こっちへ来てから深川の方に囲われていた。ここの老爺おやじと一緒になったのは、その男にうっちゃられてから、浅草辺をまごついていた折であった。前の内儀さんをい出すまでには、この女もいくらかの金をかけて引っ張って来た老爺の手から、幾度となく逃げて行った。今茲ことし十三になる前妻の女の子は、お庄がここに来ることになってから、間もなく鳥越とりごえにいる叔母の方へ預けられた。この継子ままこを、内儀さんがその父親の前でったり毒突いたりしても、爺さんは見て見ない振りをしていた。
「それアひどいことをするのよ。」と、女中たちは蔭で顔をしかめ合った。
「あんなにいびるくらいなら、余所よそへくれた方がいいわ。」
「あの年をしていて、わが子よりは内儀かみさんの方が可愛いなんて、おじいさんも随分だわね。」
 あおい顔をして、女中と一緒に、隅の方で飯を食っている、その女の子の様子を見ると、お庄も厭な気がした。「それでもお前たち子供が可愛そうだと思ったもんで……。」と、いつか母親の言ったことばを思い出された。
「外聞が悪いから、いい加減にしときなよ。」と、爺さんは内儀かみさんのいびり方がはげしくなると、眠いような細い目容めつきをして、重い体をのそのそと表へ出て行った。そうでもしなければ、彼女の病気がどこまで募るか解らなかった。内儀さんは、請負師のめかけをしているころから、劇しいヒステレーに陥っていたらしく思われた。
「おいおい、家はせわしいんだよ、朝ッぱらからどこを遊んであるくんだ。」
 すきのない目で、上って来るお庄の顔を見て、内儀さんは怒鳴った。その顔にはいつものように酒のもするようであった。どこかやんばらなようなところのある内儀さんは、継子ままこがいなくなってからは、時々劇しくお爺さんに喰ってかかった。喧嘩けんかをすると、じきに菰冠こもかぶりの呑み口を抜いて、コップで冷酒ひやざけをもあおった。
「どうも済みません。」
 お庄は笑いながら言って、奥の方へ入って行った。
 座敷の方では、赤いメリンスの腰捲きを出して、まだ雑巾がけをしている女もあった。並べた火鉢の側に寄って、昨夜ゆうべ仲店で買って来たくしかんざしの値の当てッこをしている連中もあった。
「あれお前さんの弟……。」一人はお庄にこう言って訊きかけた。
「え、そう」お庄はうなずいた。
「道理で似ていると思った。」
同胞きょうだいだって似るものと決まってやしないわ。」
当然あたりまえさ。親子だって似ないものもあるじゃないか。」
 てんでんに下らなく笑って、顔の話などをしはじめた。お庄は形の悪い鼻を気にしながら、指頭ゆびさきが時々その方へ行った。奥の小間こまでは、お庄が出る前から飲みはじめて、後を引いている組もあった。都々逸どどいつの声などがそっちから聞えて、うるさく手が鳴った。誰かが、「ちょッ」と舌うちして、鼻唄はなうたうたいながら起って行った。お庄も寒い外の風に吹かれながら鼻頭はながしらを赤くして上って来た客に声かけて、垢染あかじみた蒲団などを持ち出して行った。
 夜お庄は、弟から端書はがきを受け取った。端書には、読めないような生意気なことが、まずい筆で書いてあったが、茶屋奉公などしている姉を怒っている弟の心持は、お庄の胸に深く感ぜられた。

     二十七

 正月の十五日過ぎに、お庄は肩にショールをかけ、銀杏返いちょうがえしに白い鬢掻びんかきなどをさして奥山でった手札形の自分の写真と、主婦あるじや母親、女中に半襟や櫛のようなものを買って、湯島の方へ訪ねて来た。そのころ湯島ではもう大根畠だいこんばたけの方の下宿屋を引き払っていた。田舎でつぶれた家を興して、医師の玄関を張っている菊太郎から、倹約すれば弟二人を学校へ出して行けるだけの金が、月々送られることになってから、主婦あるじは下宿を売り払って、その金の幾分で路次裏にちょっとした二階屋を買って、そこへ引っ越していた。二階にはごく気のおけない人を一人二人置いてあった。
 主婦のお元は、お庄の風を見てあまりよろこばなかった。
 お庄が半襟などを取り出して、「阿母おっかさんがいろいろお世話になりまして……。」と、ひねた挨拶あいさつぶりをすると、婆さんは紙に包んだその品を見もしないで、苦い顔をしていた。
「お前は、そしてその家で何をしているだい。やっぱり出てお客のおしゃくでもするだかえ。」
「え、時々……。」お庄はニヤニヤしながら、「やっぱりね、それをしないと怒る人があるものですから。」
「そんなことをしてはいけないぞえ。ろくなお客も上るまいに。金でもちっと溜ったと言うだか。」お庄は笑っていた。
「お安さあのところへ時々送るという話だったじゃないかえ。」
「それはそうなんですけれど、ああしておれば何だ彼だと言ってお小遣いもいりますから……。」
「それじゃお前、初めの話と違うぞえ、そのくらいなら日本橋にいた方がまだしもましだ。続いて今までおればよかったに。」
 お庄もそんなような気がしていないこともなかった。おとりさま前後から春へかけて、お庄は随分働かされた。一日立詰めで、夜も一時二時を過ぎなければ、火を落さないようなこともあった。脚も手もくたびれきった体を、硬い蒲団に横たえると、すぐにぐッすり寝込んだ。朝起きるとまた同じように、重い体を動かさなければならなかった。お庄は婆さんの前に坐っていると、膝やお尻の、血肉ちにくが醜く肥ったことが情ないようであった。
「それにあすこいらはおそろしい風儀がよくないと言うじゃないかい。お前もそんなことをしていれア、一生頭があがらないぞえ。」
 お庄の耳には、根強いような婆さんの声が、びしびし響いた。お庄は聞いて聞かないような振りをして、やっぱり笑っていた。そして時々涙のにじみ出る目角めかどを、指頭ゆびさきぬぐっていたが、しまいにそこを立って暗い段梯子の方へ行った。お庄は婆さんに何か言われるたんびに、下宿の二階で見たことなどがじきに頭に浮んだ。鬢の薄い、唇の黒赭くろあかいようなその顔が、見ていられなくなった。
「兄さんはお二階……。」お庄は落ち着かないような調子で訊いた。
 二階では、取っ着きの明るい部屋で、ただす褞袍どてらを着込んで、机に向って本を見ていた。
「御免なさい。」と言って、お庄はそこへ上り込んで行った。
「誰か来ているのかと思ったらお庄か。」従兄いとこはこっちを向いて、長い煙管きせるを取り上げた。
 お庄は挨拶をすますと、窓のところへ寄って来て、障子を開けて外をのぞいた。そこはすぐ女学校の教室になっていた。曇ったガラス窓からは、でこでこした束髪頭が幾個いくつも見えた。お庄は珍しそうに覗き込んでいた。
「どうしたい。」従兄はお庄の風に目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはっている。
「今下で、お婆さんにさんざん油を絞られましたよ。」
「お前のいるところはどこだえ。」
 お庄はそこへ坐って、煙管を取りあげた。
「何だ、お庄ちゃんか。」と言って、繁三も次のから顔を出した。

     二十八

 日の暮れ方まで、お庄はここに遊んでいた。二階の連中と出しっこをして、菓子も水ものを買って、それを食べながら、花を引いたり、はしゃいだ調子で話をしたりするうちに、夜寄席よせへ行く約束などが出来た。
「そんなことをしていてもいいかえ。築地の小崎もお前のことを心配していたで、今夜にも行って見た方がよくはないかえ。お前の風を見て、小崎が何と言うだか。」
 婆さんは、飯も食わずにそわそわしているお庄に小言を言った。もうランプがともれていた。お庄は隅の方へ鏡を取り出して大人ぶった様子をして髪の形などを直していた。
「今日でなくとも、明日という日もありますから……。」と、お庄は安火あんかに入って、こっちを見ている糺の苦い顔を見ながら言った。
余所よそへ出て働くというのは辛いものだろう。」と、糺は傍から口を利いた。
「どうせそれは楽じゃないわ。」と、お庄も鏡に映る自分の髪の形に見入りながら、気なしに言った。
「今初めてそんなことが解っただか。お前が独りで口を拵えて行ったじゃないかえ。」
 お庄も糺も黙っていた。
「さあ、若いものは遅くなると危いで、化粧つくりなどはいい加減にして、早くおいでと言うに。」と、婆さんはやるせなくき立てた。
 築地の方へは、この家が下宿を引き払った時分から、母親が引き取られていた。弟も相変らずいた。そこへ行くには、叔母にもちゃんとした挨拶をしなければならず、自分の身の上の相談を持ち込むのも厭であった。
「それじゃ行ったらいいだろう。そして小崎の叔父に話をして、浅草なぞは早く足を洗った方がよさそうだぜ。」糺も興のない顔をして言った。
「え、それじゃ行きます。」お庄は急に髪の道具をしまいかけた。
「どうせお前たちを見るのは、一番縁の近い小崎のほかにアないもんだで、行ったらよく話して見るがいい。あすこには子供がないで、そのくらいのことをするが当然あたりまえだ。」
 するうち古茶箪笥の上の方にかかっている時計が五時を打った。お庄は何だか気が進まなかった。寄席へも行きそびれたような気がして、心がいらいらした。糺に話したいことも胸につかえているようであった。お庄思いの糺には、家もなくて方々まごついているお庄の心持が、一番解っているように思えた。
 お庄は帯を締め直すと、二階に忘れて来た※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ハンケチを捜しに上った。二階には寒い夕方の風が立てつけの悪い障子をがたがた鳴らして、そこらの壁や机の上にまだ薄明りがさしていた。お庄はその薄暗いなかに坐って、しばらく考え込んでいた。するうちにそっと起ちあがって、段梯子を降りた。
 お庄はやがて、堅くてついた溝板どぶいたに、駒下駄こまげたの歯を鳴らしながら、元気よく路次を出て行った。外は北風が劇しく吹きつけていた。十五日過ぎの通りには人の往来ゆききも少く、両側の店も淋しかった。砂埃に吹きさらされている、薄暗い寄席の看板などが目についた。
 お庄はまだ思いって、独りで築地へ行く気がしなかった。それよりは、浅草の方へ帰って行った方が、まだしも気楽なように思えた。そして時々立ち停って思案していた。
 浅草へ帰ったのは、八時ごろであった。お庄は馬車を降りると、何とはなし仲居の方へ入って行ったが、しばらくそこらを彷徨ぶらついているうちに、四下あたりがだんだんけて来た。
 お庄はその晩大道で、身の上判断などしてもらって、それからとぼとぼと家の方へ帰って行った。身の上判断は思っているほど悪い方でもなかった。

     二十九

 築地へ行くと言って出かけたきり行かなかったことが後で知れてから、お庄は糺に電話できびしく小言を喰った。電話のかかって来た時、客が立て込んでいて、お庄は落ち着いて先の話を聴くことも出来なかったが、みんなおもいのほか心配していることと、叔父や湯島のお婆さんの怒っていることだけは受け取れた。お庄は何だか軽佻かるはずみなことをしたように思って、一日そのことが気にかかった。
「それじゃ二、三日の中にきっと行くね。たびたびそんなことをすると、しまいに誰もかまってくれなくなってしまうからね。」と、糺が念を押したことばも、お庄の頭脳あたまをいらいらさせた。お庄は客のいない部屋の壁のところにりかかって、腹立たしいような心持で、じっと考え込んでいた。築地へはこれきり行かないことにしようかとも思った。一生誰の目にもかからないようなところへ行ってしまいたようにも思った。暮に田舎へ流れて行ったお鳥のことなどが想い出された。
「もし工合がいいようだったら知らしてあげるから、ことによったらお前さんも来るといいわ。少しは前借ぜんしゃくも出来ようというんだからいいじゃないか。」
 立つ少し前に、奥山で逢った時、お鳥はこう言って、その土地のことを話して聞かせた。それは茨城いばらきの方で、以前関係のあった男が、そこで鰻屋うなぎやの板前をしていることも打ち明けた。
「お前さんなんざまだうぶだから、行けばきっと流行はやりますよ。」お鳥はこうも言った。
 お庄はおそろしいような心持で聴き流していたが、時々そうした暗い方へ向いて行くような気もしていた。
「お清さんお清さん。」と、廊下で自分を呼んでいる朋輩ほうばいだるい声がした。(お庄はこの家ではお清と呼ばれている。)お庄は聞いて聞えない風をして黙っていた。するうちに※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ハンケチで目を拭いて客の方へ出て行った。
 それから二、三日して、お庄は菓子折などを持って、築地の方を尋ねた。奥の方では叔母の爪弾つまびきの音などが聞えて、静かな茶の間のランプの蔭に、母親が誰かの不断着を縫っていた。お庄がそっとその側へ寄って行くと、母親は締りのない口元にみを見せて、娘の姿にじろじろ目をつけた。
「お前がここへ来ると言って、それきり来ないもんだで、どうしたろうかと言って、叔父さんもえらい心配していなすったに。」と言って、今夜は同役のところへ碁を打ちに行っていることを話した。正雄も二、三日前田舎から出て来た叔母の弟をつれて銀座の方を見に行って、いなかった。
 お庄は、そこで二、三服ふかしてから奥の方へ叔母に挨拶に行った。寒がりの叔母は、炬燵こたつのある四畳半に入り込んで、三味線をいじりながら、低い声で端唄はうた口吟くちずさんでいたが、お庄の姿を見るとじきにめた。
「おやお庄ちゃんかい、しばらくでしたね。」と言って振りかえった。叔母はその晩気が面白そうに見えた。そして、堅苦しくしきいのところにお辞儀をしているお庄に気軽に話をしかけながら、茶の間へ出て来た。
 しばらくすると、叔母の弟が正雄と一緒に帰って来た。色の白い目鼻立ちの優しいその弟は、いきなりそこにべたりと坐って溜息を吐いた。
「ああ、たまげてしまった。実に剛気なもんですね。」
「この人は銀座を見て驚いているんだよ。」弟は笑い出した。
 部屋が急に陽気になった。お庄も晴れ晴れした顔をして、みんなの話に調子を合わした。

     三十

「叔父さんはことによると今夜も帰って来ないかしら。」叔母は柱時計を見あげながら気にしだした。時計はもう十二時近くであった。
「あの人の碁も、このごろは一向当てにならないでね。」
 茶箪笥から出した煎餅せんべいも、弟たちが食い尽し、茶もがらになってしまった。母親ははたの話を聞きながら時々針を持ったまま前へ突っ伏さるようになっては、また重い目蓋まぶたを開いて、機械的に手を動かした。お庄はその様子を見て腹から笑い出した。
「阿母さんは何ていうんでしょうね。そんなに眠かったら御免こうむってやすんだらいいでしょう。」
「お寝みなさい。どうせ今夜は帰らないでしょうから。」叔母はその方を見ないようにして言った。
「いいえ、眠ってやしません。」
 おそろしいよいりな母親は、居睡りをしながら、一時二時まで手から仕事を放さない癖があった。頭脳あたまが悪いので、夜も深い睡りに陥ちてしまうなんということがなかった。
「僕はどうしても兄貴の世話にゃ何ぞならないで、きっと独りでり通してみせる。」と、昨日きのうから方々東京を見てあるいて、頭脳あたまが興奮しているので、口からあわを飛ばして自分のことばかりしゃべっていた叔母の弟も、叔父の机のところから持って来た、古い実業雑誌を見ていながら、だんだん気が重くなって来た。この少年の家は、田舎の町で大きな雑貨店を出していた。お庄は時々その狂気きちがいじみた調子に釣り込まれながら、妙な男が来たものだと思って綺麗きれいなその顔を眺めていた。
「さあ、鶴二つるじも正ちゃんもお寝みなさいよ。」と、広い座敷の方へ寝道具を取り出して、そこへ二人を寝かせてしまうと、叔母は心配そうな顔をして、火鉢の傍へ寄って来た。近所はもう寝静まって、外は人通りも絶えてしまった。霊岸島れいがんじまの方で、太い汽笛の声などが聞えた。
 叔母はその晩、しみじみした調子で、家の生活向くらしむきのことなどを、お庄母子おやこに話して聞かせた。今の会社でいくらか信用が出来るまで、二度も三度もまごついたことや、堅くやっておりさえすれば、どうにかこうにか取り着いて行けそうな会社の方も、少し尻が暖まると、もうほかのことに手を出して、事務がお留守になりそうだということなどを気にしていた。叔父はそのころから株に手を出したり、礦山こうざんの売買に口を利いて、方々飛び歩いたりした。そしてもうけた金で茶屋小屋入りをした。
良人うちもあすこは、今年がちょうど三年目だでね、どうか巧い工合に失敗しくじらないでやってくれればいいと思ってね……三年目にはきっと失敗しくじるのが、これまでのあの人の癖だもんですからね。」
 母親は性のないような指頭ゆびさきに、やっぱり針を放さなかった。
「もう年が年だから、弟もちっとは考えていますらい。」と、弟贔屓びいきの母親は眠そうな顔をあげた。
「それに私も、この年になるまで子がないもんですからね。」
「まだないという年でもござんすまいがね。弟だって、四十には三年も間のあることだもんだから……。」
 お庄はやがてこの叔母の傍へ寝かされた。叔母は床についてからも、折々寝返りをうって、表を通る俥や人の足音に耳を引き立てているようであった。するうちお庄はふかふかした蒲団に暖められて快い眠りに沈んだ。

     三十一

 翌朝目がさめて見ると、叔父はまだかえっていなかった。明け方近くに、ようやく寝入ったらしい叔母は、口と鼻の大きい、蒼白いその顔に、どこか苦悩の色を浮べて、優しい寝息をしながら、すやすやとねていた。頬骨ほおぼねが際立って高く見えた。お庄は何だか淋しい顔だと思って眺めていた。
 お庄は仮りて着て寝た叔母の単衣物ひとえものをきちんと畳んで蒲団の傍におくと、そッとふすまを開けて、暗い座敷から茶の間の方へ出た。台所では、母親がもう働いていた。七輪に火もおこりかけていたし、鉄瓶にも湯を沸かす仕掛けがしてあった。お庄も襷がけになって、長火鉢の掃除をしたり茶箪笥に雑巾をかけたりした。
 そこらが一ト片着き片着いてしまうと、みんなは火鉢の傍へ寄って、母親がんで出す朝茶に咽喉のどうるおした。鶴二も正雄も、もう朝飯の支度の出来た餉台ちゃぶだいの側に新聞を拡げて、叔母の起きて出るのを待っていた。
 するうちに座敷の方へ日がさして、朝の気分がようやくだらけて来た。東京地図を畳んだり拡げたりして、今日見て歩くところを目算立もくさんだてしていた鶴二は、気がいらいらしてきたように懐中時計を見ては、しきりに待ち遠しがっていた。母親も茶碗を手にしながらあくびをしだした。お庄は二人に飯を食べさしてから、正雄に小遣いを少し持たして鶴二と一緒に出してやった。正雄は暮から学校の方もしていた。
頭脳あたまの悪いものは、いて学問などさして苦しますより、いっそ商売を覚えさすか職人にでもした方が早道だそうでね。」と母親は叔父の言ったことをお庄に話した。
「どっちにしても、叔父さんが今に資本もとおろして、店を出さしてやるというこんだから、何が正雄の得手だか、それが決まると口を見つけて、すぐそっちへ行くことになっているだけれどね……。」
「正ちゃんは何がいいていうんです。」
「それが自分にも解らないそうで……。」母親は茶の湯気で逆上目のぼせめを冷やしていた。
 叔母が起きて来て、三人で飯を済ましてもまだ叔父は帰って来なかった。叔母は出勤の時間を気にしながら、始終表の方へ耳を引き立てていた。顔にうすく白粉などを塗って、髪も綺麗にでつけ、神棚にさかきをあげたり、座敷の薄端うすばた花活はないけに花を活けかえなどした。お庄はそんな手伝いをしながら、昼ごろまでずるずるにいた。
 叔父は三時ごろにやっと帰って来た。叔母は待ちくたびれて安火に入って好きな講釈本を読んでいたし、お庄は帰ろう帰ろうと思いながら、もう外へ出るのが億劫おっくうになって、暖かい日のあたる縁側で、雲脂ふけの多い母親の髪をいていてやっていた。
 叔父はどこか酒の気もあるようであった。細い首に襟捲きを捲いて、角帯の下から重い金時計を垂下ぶらさげ、何事もなさそうな顔をして入って来た。
「叔父さんの碁は大変長いって、今もそう言っていたところだに。」と母親は笑いながらその方を振りかえった。
 叔父は黙って火鉢の傍に坐ると、赤く充血したような目をして、そこにあった新聞を長い膝の上で拡げて見ていたが、奥で叔母に床を延べさせて大欠をしながら寝てしまった。
「お庄ちゃんも昨宵ゆうべから来て待っていますのに……。」と、叔母は言いかけたが、叔父は深く気にも留めなかった。
 お庄は座敷で叔父の脱棄ぬぎすてを畳みながら今日も夜まで引っかかっているのかと思った。叔母は箪笥の上に置いた紙入れのなかをしらべなどしていた。
 夜になっても、叔父の目は覚めそうにもなかった。

     三十二

 晩飯の時、叔母は叔父の好きな取っておきの干物ひものなどをあぶり、酒もいいほど銚子ちょうしに移して銅壺どうこけて、自身寝室ねまへ行って、二度も枕頭まくらもとで声をかけて見たが、叔父は起きても来なかった。ランプに火をけてお庄が呼び起しに行くと、叔父はあごの骨をガクガク動かして、細長い筋張った手を蒲団の外へ延ばして、ぐったり寝込んでいた。お庄は「厭な叔父さんね。」とげらげら笑いながら出て来た。
「あんなに疲れるまで遊んであるいて、体にさわらにゃいいが……。」
 叔母は拍子ぬけがして、自分で猪口ちょくに二、三杯酒を注いで飲んだ。叔母と叔父とは、年がそんなに違っていなかった。
 お庄は叔父の寝相ねぞうを真似をしながら、「どうすればあんなに正体なくなるんでしょう。」といってまだ笑っていた。
 飯を済ましたところへ、小原という会社の男が遊びに来た。三十少し出たくらいの、色の蒼白い、敏捷はしっこそうな目をした小柄の男で、給仕から仕上げたのだということを、お庄は後で聞いた。
「小崎さん今日は見えませんでしたね。」と小原は叔母が火を入れて出す手炙てあぶりの側へ、お庄が奥から持って来た座蒲団を敷いて、小綺麗な指頭ゆびさきで両切りの短く切ったのを、象牙ぞうげのパイプにめてみはじめた。お庄はふるこびれたようなその顔を横から見ながら、時々わきを向いて何やら思い出し笑いをしていた。するうちに叔母ににらまれて奥の方へ逃げ込んで行った。
 小原は袱紗ふくさに包んだ紙入れのなかから、女持ちの金時計を一つ鎖ごと取り出して、ランプの心を掻き立て、鎖の目方を引いたり型の説明をしたりして叔母に勧めていた。お庄も傍へ行って見た。その時計は同じ会社の上役の某という人の細君の持物であった。その女が花に負けて、一時の融通に質屋へ預けてあったのを、今度厭気がさして、質ので売るのだということを、小原は繰り返して、出所でどころの正しいことを証明した。
 叔母はさんざんいじくりまわした果てに、気乗りのしない顔をして男の手へ品物を返した。
「また余所よそへお売りになればったって、決して御損の行く品物じゃありません。」小原は傍に手を突いて覗いているお庄と叔母との顔を七分三分に見比べながら言い立てた。お庄はまた顔に袖を当てて笑い出した。
「いや真実ほんとうに。」と、その男も笑い出した。そして一順人々の手を経廻へめぐって来た時計を、そっと懐へしまいこんだ。
 やがてランプのり手を掛けかえて、この男と叔母と母親とで、花が始まった。
「あなたもお入りなさいな。」と、お庄も仲間に引き入れられた。お庄は身幅の狭い着物の膝を掻き合わせながら、目にちらちらする花札を手にした。鶴二は後の方で今日の日記を小さい手帳に書きつけていた。
 叔父が奥から、のそりと起き出して来たころには、花も大分進んでいた。
 叔父はお庄の背後うしろの方に坐り込むと、時計を見あげてだるい欠をしていた。時計はもう九時を過ぎていた。
「そんな手で出るというのがあるものか、お庄は花を知らないかい。」叔父はお庄の肩越しに覗き込んで、煙管をくわえながら一ト勝負後見した。
 やがて叔父が褞袍どてらを羽織って、連中の間へ割り込むと、お庄は席をはずれて、酒のかんをしたり、弟と二人で寒い通りへみんなの食べる物をあつらえに走ったりした。
 花札の音が夜遅くまで、こもった部屋に響いた。

     三十三

 去年薬くさい日本橋で過した初夏はつなつを、お庄は今年築地の家で迎えた。浅草から荷物を引き揚げて来たころから見ると、叔父の体は一層忙しくなっていたし、家も景気づいていたのだ。お庄も叔父が見立ててくれた新しい浴衣ゆかたなどを着せられて、夕化粧をして、叔母と一緒に鉄砲洲てっぽうず稲荷いなりの縁日などへ出かけた。
 叔母はどこへ行っても、気の浮き立つというようなことはなかった。好きな芝居を見に行っても、始終家のことを気にかけていた。お庄は倹約家しまりやの叔母が、好きな狂言があるとわざわざ横浜まで出向いてまで見に行くのを不思議に思った。たび重なると叔母は袋へ食べ物などを仕入れて行ってお庄と二人で大入り場で済まして来ることもあった。
 家にいると、仕立てものをするか、三味線をくかして、やっと日を暮したが、そうしていてもやはり心が淋しそうであった。
「私は子がないので真実ほんとうにつまらない。」お庄と二人で裁物板たちものいたに坐っている時、叔母は気がふさいで来るとしみじみ言い出した。
「お庄ちゃんを貰って養子でもしようかね。」叔母は時々そんなことも考えた。そして親身しんみになって着物の裁ち方や縫い方を教えた。少しは糸道が明いているのだからといって、三味線も教えてくれた。お庄は体の大きい叔母と膝を突き合わして、湯島の稽古屋けいこやかじったことのある夕立の雨や春景色などを時々一緒にうたった。叔母の知っている端唄はうたなども教わったが、声がそんなものには太過ぎたし、手もしなやかに動く方ではなかったので、自分でも気がはずまなかった。
「わたし叔母さん駄目よ。」と、お庄は叔母が三味線を取り出すと、次のへ逃げて行った。叔母は田舎風の節廻しで、独りで謳っていた。
 叔母はお庄の欲しがるような大きな人形を買って来て、それに好みの衣裳いしょうを縫って着せなどした。向うの子供を呼び込んで、玩具おもちゃを買ってなつかしたり芝居の真似をさしておかしがったりしていたが、厭味なほどませたその子供は、お庄に馴染なじんで、夜も一緒に抱かれて寝た。お庄は子供をおぶって日に幾度となく自分の家と向うの家とを往復した。
 金毘羅こんぴらで講元をしていた大きな無尽の掛け金を持って、お庄は取りすがるこの子供をおぶいながら、夕方から出かけて行った。ここから金毘羅まではかなりの道程みちのりであった。お庄は鉄道馬車で行けるところまで乗って、それからえッちらおッちら歩いて行った。その晩は銀座の地蔵の縁日であった。お庄は帰りにそっちへ廻って、人込みのなかを子供を負ったり歩かせたりして彷徨ぶらついていた。土のにおいと油煙と人瘟気ひといきれとで、呼吸いきのつまりそうな通りをおりおり涼しい風が流れた。お庄はせなかもものあたりにびっしょり汗を掻きながら、時々蓄音機の前や、風鈴屋の前で足を休めて、せなかで眠りかける子供を揺り起した。汚い三尺に草履ぞうりを突っかけた職人などが、幾度となくお庄の顔を覗いて行った。「こんなに若くて子持ちかい。」などと大声に言って、後から押して来る連中もあった。
 帰って子供をおろしてから、お庄はたもとのなかに悪戯いたずらされたことにやっと気がついた。
 翌日お庄は、涼しい朝のうちに、水口の外へたらいを持ち出して、外の浴衣と一緒に昨夜ゆうべの汚れものの洗濯をしていた。手拭を姉さんかぶりにして着物を膝までまくって、水を取り替え取り替えすすいでいた。そこへ腹掛けに半纏はんてんを着込んだ十三、四の子供が、封書のようなものを持って来た。そして、「……公が、ちょっとこれを見て下さいッて。」と言ってお庄に手渡した。
「変な小僧さんが、こんなものをくれましたよ。」とお庄は前垂で手を拭き拭き上へあがって、叔父の前へ差し出した。そしてその小僧の様子をしながら、笑い出した。封書のなかには、汚い墨で妙なことが書いてあった。叔父はにっこりともしないで、袋ごと丸めてそこへ棄てた。
 お庄はあかい顔をして、また水口へ降りて行った。胸がしばらくどきどきしていた。

     三十四

 はしゃぎきったひさしにぱちぱちと音がして、二時ごろ雨が降って来た。その音にお庄は目をさまして、急いで高い物干竿ものほしざおにかかっていた洗濯物を取り入れた。中にはまだ湿々じめじめしているのもあった。お庄はそれを縁側の方へ取り入れてから、障子にだるい体をもたせて、外の方を眺めていた。水沫しぶきと一緒に冷たい風が、ほてった顔や手足に心持よく当って、土の臭いが強く鼻に通った。お庄は遅い昼飯がすむと間もなく、四畳半の方で針を持ちながら居睡りをしていた。
 座敷の方では、暑さに弱い叔母があか広東枕かんとんまくらをしながら、新聞と団扇うちわとを持ったまま午睡ひるねをしていた。叔母は夏に入ってから、手足にいくらか水気をもった気味で、肥った体が一層だるかった。飯も茶をかけて、やっと流し込んでいるくらいで、そっちへ行ってはばッたり、こっちへ来てはばッたりたおれていた。それにしもの方の病気などがあって、日本橋の婦人科の病院に通いはじめてから、もう二週間の余にもなっていた。神経も過敏になって、ちょっとした新聞の三面記事にもひどく気を悩ました。人殺し、夫婦別れ、亭主の妾狂めかけぐるいというようなものを読むと、「厭なことだね。」と言ってつくづく顔をしかめていた。
 三、四日叔父がまたどこかに引っかかっていた。晩に家で酒を飲んでいると、向島の社長の家から電話がかかって来たと言って、酒屋の小僧が取り次いでくれた。お庄がその酒屋へ行って聞き取ってみると、社長の夫人が例の賭場とばを開いているのだということが、じきに解った。こんな連中は用心深い屋敷の奥のへ立て籠って、おそろしい大きな花を引くということをお庄も叔母から聞いて知っていた。その見張りには巡査がやとわれるということもあながちうそではないらしかった。
 叔父は着物を着換えるとくるまに乗って急いで出かけて行ったが、それきり家へ帰って来なかった。向島へ聞き合わしても、社へ問い合わしても、叔父のその後の居所が解らなかった。
「あの晩の電話だって、どこからかかって来たのだか解りゃしない、お庄ちゃんこの間の紙入れを貰って、それで叔父さんと共謀ぐるになっていやしませんか。」猜疑深うたぐりぶかい叔母は淋しい顔にヒステリー性のみをらした。
 お庄はあきれた顔をしていた。そうしてから笑い出した。
「そうでしょう。」叔母は火鉢の縁を拭きながら言った。
「私そんなことしやしませんよ。あの時はもう確かに社長さんのお宅だったんですもの。」お庄は真顔になった。
「それじゃそうかも知れない。」叔母は苦笑した。
 それからお庄は、また方々電話で聞き合わした。近いところは歩いて尋ねて見た。終いには洲崎すさきの引手茶屋へ問い合わしてみると、そこでは返事が少し曖昧であった。お庄はそれから叔母に相談して、俥でそこまで出かけて行った。その晩会社の方では叔父がいなければ解らないような用事が出来ていた。
 お庄を載せた俥は、だんだん明るい通りを離れて暗いしっとりした町へ入って行った。舟や材木のぎっしり詰った黒い堀割りの水にかかった小橋を幾個いくつとなく渡ると、そこにまた賑やかな一区画があった。川縁の柳の蔭には、俥屋の看板が幾個いくつとなく見えて、片側には食物屋たべものやがぎっしり並んでいた。
 広々した廓内くるわうちはシンとしていた。じめじめした汐風しおかぜに、尺八のふるえが夢のように通って来て、両側の柳や桜の下の暗い蔭から、行燈あんどんの出た低い軒のなかに人の動いているさまが見透みすかされた。

     三十五

 お庄は芝居の書割りのなかにおびき入れられたような心持で、走る俥の上にじッと坐っていられなくなった。ふわふわするような胸の血が軽くおどっていた。
 叔父が行きつけの福本という茶屋は、軒並びでは比較的大きくて綺麗な方であった。お庄はその少し手前のところで俥を降りて、そこから薄明るい店へ入って行った。端の方に肥った二十三、四の色の浅黒い女が、酸漿ほおずきを鳴らしながら、膝を崩して坐っていたので、お庄はそっとその傍へ行って聞いてみた。
「今ちょッと電話で伺ったんですがね、こちらに小崎という人が来ておりませんですか。」
 女は軽く頷いてみせて、「石川島の小崎さんでしょう、それならば、もう少し前にお連れの方と御一緒にお帰りになりましてすよ。」
「そうですか。」と、お庄は考えていた。
「まアお上んなさいまし。」長火鉢の方に坐っていた四十四、五の、これも色の黒い女が奥から声かけた。
「小崎さんは、かれこれもうお宅へお着きの時分でございますよ。」
 お庄は何だか嘘のような気がした。
「急に用事が出来たものですからね、今夜もし帰らないようだと家で大変困るんです。」
 内儀かみさんはそれぎりほかの方へ気をとられていた。若い女も酸漿を鳴らしはじめた。お庄は叔母から、叔父の上るうちまで行って突き留めなければ駄目だと言われたことをおもい出して、しばらく押し問答していた。
「それじゃ念晴しに行ってごらんなさいまし。御案内しますから。」と女は笑いながら言い出した。
「それがいいでしょうよ。花魁おいらんの部屋もちっと見ておおきなさいまし。」内儀さんも言った。
 お庄は店頭みせさきへ出してくれた出花でばなも飲まずにまた俥に乗った。
 家へ帰ると、叔父はもう着いていた。奥の四畳半で、一ト捫着もんちゃくした後で、叔父の羽織がくしゃくしゃになって隅の方につくねてあった。叔母は赤い目縁まぶちをして、お庄が上って行っても、口も利かなかった。その晩叔父は按摩あんまなどを取って、宵のうちから寝床へ入った。お庄らも、早く戸締りをして寝かされた。
 その翌日の今朝、叔父は早めに社の方へ出て行った。朝飯の時、お庄が洲崎へ迎えに行った話が初めて出て、みんなは大笑いした。
 叔父が出て行くと、叔母はまたせッせと体を動かしていたが、長く続かなかった。涼しいところへ枕を移しては、寝臥ねそべっていた。
 お庄は目につかぬほどの石炭のおりのついた、白い洗濯物に霧を吐きかけては、しわしはじめた。雨はじきにあがって、また暑い日がすだれに差して来た。
「お庄ちゃん、私氷が飲みたいがね。」と、叔母は傍からうなった。
 お庄は洗濯ものに押しをしておいて、それから近所の氷屋へ走った。
 氷が来た時分に、表から風の吹き通す茶の間の入口の、簾屏風すだれびょうぶの蔭にていた正雄も、やっと目を覚ましかけて来た。正雄はそのころ、叔父の知っている八重洲河岸やえすがしの洋服屋へ行っていた。東京で一番古いその洋服屋は、外国へ行って来た最初の職人であった。お庄は外から帰りがけに、正体なく寝込んでいる弟の二の腕に彫りかけた入れ墨のあるのに目を着けた。
「正ちゃんは大変なことをしていますよ。」お庄が叔母に言いつけると、叔母もびっくりして出て来て見た。弟の腕には、牡丹ぼたんのような花が、碧黒あおぐろすみを入れられてあった。
「誰にそんなことをされたんです。こんなもの早く取っておしまいなさい。正ちゃんは自分の体を何と思っているの。」と、お庄は叔母と一緒になって小言を言った。
 夕方に弟はすごすご帰って行った。お庄はまたかまの下へ火をきつけて、行水の湯を沸かしにかかった。

     三十六

 少し涼気すずけが立ってから、叔母が上州の温泉へ行った留守に、しばらく田舎へ行っていた母親がまた戻って来て、お庄と一緒に留守をすることになった。夏の中ごろに年取った伯母の老病を見舞いに行った母親は、そのころまでも伯母の傍に附いていた。伯母の病気は長い間の腎臓やリュウマチでこの幾年というもの床に就きづめであった。周囲の人たちも介抱にんで病人は自分のごうをはかなんだ。いつ死ぬか解らないその病人の臭い寝所の側に、母親も際限なく附いていられなかった。それに久しく東京で母子おやこともまごついている母親は、村の表通りを晴れて通ることすら出来なかった。身装みなりが見すぼらしいので久しぶりで墓参をするにも、そっと裏山のすそを伝って行かなければならなかった。母親はどんなことをしても、広々した東京の方がやはり住みよいと思った。
 母親が帰って来ると、父親の近ごろの様子もほぼ解った。父親は本家の方の家の世話をしたり、町で長く公立の病院長をしていて、金をこしらえて村へ引っ込んでから、間もなく腐骨症の脚を切って死んだ親類の、妾と、独り取り残されたその祖母との家を見たりして日を暮していた。田舎で見聞きして来た厭な出来事を、母親から話を聞かされると、お庄は十一の年に出たばかりの自分の家や周囲の暗い記憶が、また胸に浮んだ。
「あのお祖母ばあさんも、若い時分にどこのものか知れない庭男と私通くっついて院長のお父さん……つまりお祖母さんの添合つれあいに髪を切られた騒ぎもあったでね。その庭男が癩病筋らいびょうすじだったというこんで院長の脚の病気も何だか知れやしないて風評うわさをする人もあるそうで……。」と、母親は帰った晩に弟夫婦やお庄の前で話した。
「そんな莫迦ばかなことがあるもんで。」と、叔父は笑った。
「そうすれば、院長の祖母さんところへ入り浸っている義兄あにさんなぞも危いわけじゃないか。」
「それだで私も気味が悪くて、帰っているうちに一度もあの人と行き逢わずしまったに。」と母親は親のようなその婆さんのところへつかっている良人のことを悪く言い立てた。
 お庄は父親が、いつのまにあのお婆さんとそんな関係になったものかと、恥じもしあきれもして聞いていた。
「お庄も、野口屋で貰いたいなどという話もあったけれども、あすこへくれるくらいなら、まだやるところもあろうと思ってね。」と、母親はお庄の顔をまじまじ見ながら言い出した。その家は、村で呉服物などを商う家だということを、お庄も思い出した。お庄は自分の帯など買う時に、その店から板に捲いたなりの長い友禅片ゆうぜんぎれなどを、そこの亭主が担ぎ込んで来て、納戸なんどで母親があれこれと柄を見立てていたことなどを想い出すと、ばかばかしいような気がした。
「あすこも近ごろは身上しんしょうを作ったそうで、良人おやじからお庄をくれてやろうかなんて言ってよこしましたけれど、私は返事もしましねえ。」母親が父親のことを怒っている風がお庄にもおかしく思われた。
「お庄はまた会社の方で、くれろと言うものもあるで、少し裁縫でも上手になったら、わしが東京で片づける。」と、叔父は自分の目算を話した。
 お庄の縁談は、そのころもないことではなかった。小原という男なども、その胆煎きもいりの一人であった。お庄を見に、小原と一緒に花など引きに来る男も一人二人あった。
 叔母が湯治に行く時、叔父も湯治場まで送って行って二、三日逗留とうりゅうした。
 叔母がいなくなると、その日その日の経営を、お庄は叔父からまかされることになった。
 お庄は長火鉢のところに坐って、世帯女のような気取りで、時々小遣い帳を拡げてまずい字でいろいろの出銭を書きつけた。

     三十七

 叔母はさびれた秋口の湯治場に、長く独りで留まっていられなかった。宿はめっきりひまになって、広くて見晴しのよい部屋が幾個いくつも空いていた。経費も何ほどもかからなかったので、叔父はその一つに病気のある妻を入れておいて帰ったのであったが、叔母はそこが寂しいと言って、端書でこぼして来た。そのたんびに家のことを気にかけてあった。戸締りや火の元の用心、毎日の小遣いのことなどがきっと書いてあった。
「こんなくらいなら、湯治に行ったって効験ききめがありゃしない。」と言って、叔父は笑っていたが、するうちに叔母は二十日はつかもいないで帰って来た。
 叔父は留守の間もよく家を明けた。時とすると五、六日も家へ寄り着かないことがあった。洲崎の女を落籍ひかすとか、落籍して囲ってあるとかいう風評うわさが、お庄らの耳へも伝わった。どっちにしても叔父が女に夢中になっていることだけは確かであった。母親がそっと小原に様子を訊いてみると、小賢こざかしい小原はえへら笑いばかりしていて容易に話さなかった。
「どんな女でござんすかね。」母親は女のことをしきりに聞きたがった。
「なに、女はそれほどよかありませんよ。けどなかなか如才のない女です。まア手取りでしょう。小崎さんも大分お使いになったようです。」
 叔母に隠して、叔父が無理算段をしては入れ揚げていることが、この男の話でも解った。叔父の持ち株で、近ごろ小原の手で、他へ譲り渡された口の幾個いくつもあることも、その口から洩れた。そのなかで女の身に着くものも少くなかった。お庄は話を聞いただけでも惜しいと思った。ここへ来てからお庄はまだこれと言って、まとまって叔父に拵えてもらったようなものもなかった。
「おこのさんもあんまり家をめるもんだで、かえって大きい金が外へ出るらね。」と母親は後で弟嫁のことをくさしはじめた。母親はお庄が叔母から譲り受けた小袖の薄らいだようなところに、丹精して色紙しきしを当てながら、ちょくちょく着の羽織に縫い直す見積りをしていた。お庄はその柄を、田舎くさいと思って眺めていた。
「お前たちのお父さんが、親譲りの身上を飲み潰したことを考えれア、叔父さんのは自分で取って使うのだで、まアまアいいとしておかにゃならん。」母親はこうも言った。
 また母親の長たらしい愚痴が始まった。二人は色紙ものをいじながらいつまでも目がえていた。腹がすいて口が水っぽくなって来ると、お庄は昼間しまっておいた、蒸した新芋しんいもの冷たいのを盆ごと茶箪笥から取り出して来て、また茶をいれかえなどした。もうお終いものの枝豆なども持って来た。
 叔父はその晩も帰って来なかった。お庄は汚れた茶道具や、食べ残しの芋を流しへ出しておいて、それから寝しなに、戸棚のなかからを茶碗に汲んで、暗いところで顔をしかめながら飲んだ。
 刳盆くりぼんや糸捲きのような土産物みやげものを、こてこて持ち込んで、湯治から帰って来た叔母は、行った時から見ると、血色が多少よくなっていた。体の肉にも締りが出来て帰った当座は食も進み夜も心持よく眠れた。
 叔父がまた旅へ出ることになった。線路レールの枕木を切り出す山林やまを見に、栗山くりやまの方へ、仲間と一緒に出向いて行った。大分つかい込みの出来た叔父は一層もうけ口を見脱みのがすまいとしてあせっていた。
「これが当れば、お前にだって水仕はさしちゃおかん。」と、叔父はお庄にも悦ばせた。
 叔父は行ったきり、いつまでも今市いまいちの方に引っかかっていた。一行はそこから馬に乗って、栗山の方へ深く入って行かなければならなかった。日光で遊んでいるような噂も伝わった。
 霖雨ながあめで、大谷川だいやがわの激流に水が出たということが、新聞で解った時、叔母は蒼くなって心配した。そしてお庄と一緒に良人の安否を八方へ聴き合わした。
 十月の末に、家から電報で取り寄せた旅費で、からがら帰って来た叔父はひどい睾丸炎こうがんえんで身動きもならなかった。

     三十八

 お浜という茶屋の女中をつれ出して、近所の料理屋へ行った叔父を送り出してから、叔母は屈托くったくそうな顔をして、今紙入れを出してやった手箪笥のかぎいじりながら、そこに落胆がっかりして坐った。
「私がせッせと骨を折って、家を始末したって、これじゃ何にもなりゃしないわね。」と、叔母は散らかったそこらを取り片着けているお庄にこぼすともなく溜息をついた。
 お庄はぜんに茶屋の店頭みせさきでちょっと口を利いたことのあるその女が、手土産に持って来てくれた半衿はんえりを、しみじみ見ることすら出来ずにいた。半衿は十六のお庄には渋過ぎるくらいであったので、お浜は、最中もなかの折と一緒に取次ぎをしてくれたお庄の前に差し出してから、年を聞いてあきれていた。
「それじゃいけませんでしたわね。」と、お浜は幾度もいいわけをしていた。
 日光の方でさんざんの失敗を演じてから、叔父は借りの溜っている洲崎の方へは寄り着きもしなかった。女にも厭気がさしていたので、河岸かしをかえてちょくちょく烏森からすもりの方へ足を運びはじめていた。
「お立替えの分なぞはどうでもよござんすから、ちっと入らして下さいよ。このごろまたいい花魁おいらんが出ましたから。」と女は如才なく店のひまなことをこぼした。
 叔父は自分の病気のことや、暮で会社の忙しいことなどを大げさに言い立てていた。お浜はお庄にも、いろいろの話をしかけて、今度遊びに来るなら、大八幡おおやはたを案内して見せるなどと、愛想を言いながら出て行った。叔父は奥へ引っ込んで、叔母に紙入れを出さすと、余所行よそゆきの羽織を引っかけて、ぶらりと女をつれ出した。
 暮の決算報告などに忙しい時期であったが、叔父は会社の方もあまり顔出ししなかった。出にくい事情のあるらしいことだけは叔母にも解っていたが、それをこうとしても、無口な叔父はにやにや笑っていて、何事をも語らなかった。戦捷後せんしょうご持ちあがったいろいろの事業熱が、そろそろ下火になって、一時浮き立った人の心がまた沈んでいた。叔父もそんなような波動に漂わされた端くれの一人であることが、お庄の胸にもおぼろげに感ぜられた。
 会社の提灯ちょうちんを持った爺さんが、叔父の居所を捜しに来た。お庄はへどもどして奥へ駈け込んだ。
「困るね。」と、叔母は厭な顔をして、玄関口へ現われた。
「何、小崎さんがお預かりになっている鍵さえあれば解ることなのです。別に御心配なことじゃありませんでしょう。けど、いよいよ鍵がないとなると、今夜中に金庫をこわさんけれアならんそうですからな。」
 実体じっていそうなその爺さんは、あがかまちのところに腰をかけ込んで、のない目で奥口をのぞき込んだ。
 側に聞いている母親もお庄も、胸がどきどきしていた。
「まさか弟が費消つかいこみをするようなことはありゃしまいと思うがね。」母親は目をこすりながら、傍からつぶやいた。
「いずれ小崎さん一人の責任というんでもござんすまい。」爺さんは、小倉の洋服の衣兜かくしからたばこを出して吸いながら、いつまでもそこを動かなかった。
 お庄はまたくるまで、夜遅く叔父を迎いに出かけた。叔父の居所はじきに解った。そこは烏森のある小さい待合で、叔父はその奥まった小室こまに閉じ籠って女ぬきで、酒を飲みながら花にふけっていた。一座はお庄の知らない顔ばかりであった。顎鬚あごひげの延びた叔父の顔は、蒼白い電燈の光にやつれて見えた。

     三十九

 叔母の健康が、またりが戻ったように悪い方へ引き戻されて来た。暮から春へかけての叔父の一身の動揺が、一家の人々にも差し響きを起さずにはいなかった。
 責めを引いて会社をめてから、叔父は閉じ籠って毎日碁ばかり打っていた。叔父のかなりに使えることを知っている人たちは、他へ周旋しようと言って勧めてくれたが、叔父は当分遊ぶつもりだと言って応じなかった。
「何を計画もくろんでいるだか知らないが、月給はちっと下っても、やっぱり出た方がいいかと思うがね。」と、母親は弟嫁と一緒になって、叔父の心を動かそうとしたが、叔父は姉や妻にも、へこたれたような顔を見せるのが、忌々いまいましかった。
 株屋仲間といったような連中が、時々遊びに来た。一緒に会社を退いた人たちも、その当座寄るとさわると儲け口をぎつけようとして、花を引いていても目の色が変っていたが、そんな人たちも長くこの家を賑わしてはいなかった。会社で引き立ててやったような人たちや、一緒に遊んであるいた仲間も姿を見せなくなった。
「あれほど繁々しげしげ来た小原さんも、近ごろはかんぎらともしないね。」と、叔母は、お庄や母親を奥へ呼んで、内輪だけで花札を調べながら、時々そのころの賑やかだったことを想い出していた。そうして花を引いても気のはずむということがなかった。やがて母親の巾着から捲き揚げた小銭をそこへほうり出して、叔母は張りが抜けたように、札を引き散らかした。
 始終眠っているような母親は、自分の番が来たのも知らずにいては、お庄に笑われた。
「阿母さんは誰にお辞儀しているんでしょう。」と、お庄は下から覗き込んでは、げらげら笑い出した。
 母親は、そうしていながら、いつまでも札を手から棄てなかった。
「もう済んだのよ。堪忍してあげますよ。」
「姉さまも花はどのくらい好きだか……。」と、叔母も業腹ごうはらのような笑い方をした。
「好きというでもないけれど……。」と、母親はやっと性がついたような顔をあげた。
 お庄はせッせと札をはこへしまい込んで、蒲団ふとんの上に置いた。まだ寝るには早かった。三人は別の部屋へ散って行った。
 母親は、茶の間の方で、また針箱を拡げはじめた。するうちに、叔父が講釈の寄席よせから帰って来た。
 淋しくなると、叔父はよくお庄を引っ張り出して、銀座の通りへ散歩に出かけた。芝居や寄席のような、人の集まりのなかへも入って行ったが、を負ったようなその心は、何に触れても、深く物を考えさせられるようであった。お庄は高座の方へ引き牽けられている叔父の様子を眺めると、いたましいような気がしてならなかった。叔父の横顔には、四十前とは思えぬくらい、肉の衰えが目に立った。
「私も、もう一度は盛り返してみせるで、その時は、お前にだって立派な支度をしてくれる。」と、叔父は通りの陳列などを見て行きながらいいわけらしくお庄に言って聴かせた。
 築地で掛りつけの医師に、局部を洗ってもらっていた叔母の妊娠だということが、間もなくその医師にも感づけて来た。叔母はまた日本橋の婦人科の医師にてもらった。
「こんなものをむやみと洗っちゃたまらない。確かに妊娠です。もう四ヵ月になっています。」その医師は断言した。
 去年の夏のような水気が、また叔母の手足に張って来た。陽気が暖かくなるにつれて、体がだんだん重くなって来た。産をするまでは、荒い療治もしかねる局部のただれが、拡がって来るばかりであった。叔母は聞いていても切なそうな呻吟声うなりごえを挙げて、夜も寝られない大きな体を床の上に転がっていた。

     四十

 箪笥たんす抽斗ひきだしのなかに、赤子に着せる白や赤や黄のような着物が、一枚一枚数が殖えて来る時分に、叔母の体もだんだん重くなって来た。叔母はほとんど十年目で三度目の出産に逢うのであった。始末のよい叔母は、田舎住居いなかずまいのそのころから持ち越して来た、茜木綿あかねもめんや麻の葉の型のついた着物をまた古葛籠ふるつづらの底から引っ張り出して来て眺めた。産れて百日生きていた子供のために拵えたという、節の多い田舎織りの黒斜子くろななこの紋附などもあった。こんな子供の顔は、今想い出そうとしても何の印象も残っていなかった。お庄はその着物を見ながら、げらげら笑い出した。三十にもなって、まだ初産ういざんのような騒ぎをしている叔母の様子がおかしかった。
「四十になって初産する人だって、世間には随分ありますよ。お庄ちゃんだってなにかと言ってるうちに、もうじき三十ですよ。」
「三十ですって……。」お庄はあまり嵩高かさだかなような気がして、そんな年数としかずの考えが、どうしても頭脳あたまへ入らなかった。
「私三十なんて厭ですね。」
「厭だってしかたがない、もう目擦めこすだから。それにお嫁にでも行って自分で世帯を持ってごらん、それこそすることは多くなって来るし、苦労は殖えるばかりだし、年を拾うのがおかしいくらい早いものですよ。」
 産婆が、手提鞄てさげをさげてやって来ると、叔母は四畳半の方へ自分で蒲団を延べて、診てもらった。
「男か女か、まだ解りませんかね。」叔母は腹をさすっている産婆に気遣きづかわしげにいた。
 お庄は手洗い水を持って行って、ふすまの蔭で聞いていた。
「そうね、解らないこともありませんよ、まア男と思っていらっして下さいませ。何しろ大きゅうございますからね。おおこの動くこと。」と、九州訛きゅうしゅうなまりのあるその産婆は、これが手、これが肩などと言って、一々妊婦の手に触らせていた。
六月むつきやそこいらで、そう育っているのでは、お産がさぞ重いでしょうね。」叔母はまた自分の年取っていることを気にした。
「そんなことがあるもんですか。少しぐらい体が弱っていたって、私が大丈夫うまく産ませておあげ申しますから……それにあなたは初産ういざんじゃないのですからね。年取ってからの初産は少しつろうございますよ。」
 産婆は象牙ぞうげあかあぶらの染み込んだ聴診器を鞄にしまい込むと、いろいろのお産の場合などを話して聴かせた。畸形かたわ双児ふたごを無事に産ませた話や、自分で子宮出血を止めたという手柄話などが出た。
 叔父は苦い顔をして、座敷の縁の方に新聞を見ていた。叔母が妊娠と解ってから、夫婦はまだ見ない子のことを、いろいろに考えていた。が、叔父は時々自分の年とその子の年とを繰って見たりなどした。
「もうおそい、私が五十七になってやっと二十はたちだで。」
 叔母はまた死んだ子の年など数えはじめた。
 去年の夏よりも一層、叔母は冷たい物を欲しがった。氷や水菓子を、叔父に秘密ないしょでちょくちょくお庄に取りに走らせた。暑い日は、半病人のような体を、風通しのよい台所口へい出して来て、はぎむくんだ重い足を、冷たい板敷きの上へ投げ出さずにはいなかった。しもの方も始終苦しそうであった。婦人科の若い医者が時々廻って来ては、その方の手当てをしていた。腹に子があるので、思いきった療治もできなかった。
 痛痒いたがゆくなって来ると、叔母は苦しがって泣いていた。それが堪えられなくなると、近所から呼んで来た按摩あんま蚊帳かやのなかへ呼び込んでは、小豆あずきの入った袋で、患部をたたかせた。
 お庄が朝目をさますと、薄野呂うすのろのようなその按摩は、じっと坐ったきりまだ機械的に疲れた手を動かしていた。明け方から眠ったらしい叔母の蒼白い顔に、蚊帳の影が涼しくそよいでいた。

     四十一

 やがて胎児の死んでいることが、出産前から医師いしゃや産婆に解って来た。しばらく床に就きッきりであった叔母が産気づいて来たのは、それから間もないある日の夕方であった。奥で腹痛を訴える産婦の声を聞きながらお庄はその時食べかけていた晩飯を急いで済ました。
 産婆はじきに駈けつけて来た。
「ちッと早く出るかも知れませんよ。」と、産婆はすぐに白い手術着をて産婦の側へ寄って行った。産婦は蒼脹あおぶくれたような顔をしかめて、平日いつもよりは一層せつなげなうなり声を洩らしていた。そのうちに、電話で報知しらせを受けた医師いしゃが、助手を連れてやって来た。
 叔父は客と一緒に、座敷で碁を打っていた。
「どうせ死んだかたまりを引っ張り出すだけのもんだからね、素人しろうとが騒いだって何にもなりゃしない。」と言って、平気でぱちりぱちりやっていた。
 二、三度腹が痛んだかと思うと、死んだ胎児はじきに押し出された。死児はふやけたような頭顱あたまが、ところどころ海綿のように赭く糜爛びらんして、唇にも紅い血の色がなかった。
「男の子ですかね、女の子ですかね。」産婦は後産のちざんの始末をしてもらうと、ぐったり疲れてそのまましぼんで行きそうな鈍い目で医師や産婆の顔を眺めて不安そうに尋ねだした。そして落ち入りそうな細いあえぐような呼吸遣いきづかいをしていた。
「赤さんは大きな男のおですよ。」と、産婆は死児をそっと次のへ持ち出した。そこには母親が、畳の上に桐油とうゆを敷き詰めて、たらい初湯うぶゆ湯灌ゆかんかの加減を見ていた。どの部屋も、人が動くばかりで、誰も声を立てるものはなかった。
 死んだ赤子は、やがて真白い産着うぶぎを着せられて、二枚折りの屏風びょうぶの蔭にかされた。医師や産婆の帰る時分には長い悩みのあと産婦も安静な眠りに沈んでいた。
「あまり気をまして、後で力を落さしても悪いですから、少し落ち着いたら子供の死んでいることをお話しなすった方がいいでしょう。」医師は叔父に注意して引き揚げて行った。
 産婆の指図で、その夜のうちに、子供はつぼのなかへ入れられた。何か事があると来てもらうことに決まっている植木屋の幸さんという男が、通りから火消し壺を買って来て、自分で小さいその死骸しがいを中へ収めた。その上へ白いきれけられた。
「そんなことだろうと思った。どうせわしは子に縁がないのだでね。」
 叔父と母親とが、赤子の死んで出たことを話して聞かすと、叔母は片頬かたほに淋しいみを見せて、目に冷たい涙を浮べた。
 その一夜は、何となく家が寂しかった。母親と幸さんとは、壺の前に時々線香を立てたり、しきみ湿うるおいをくれたりしていたが、お庄はただれた頭顱あたまを見てから、気味が悪いようで、傍へ寄って行く気になれなかった。
「おこのさんは、あまり氷や水菓子が過ぎたもんで、それで腹が冷えて、赤子があんなになったろうえね。」と母親は、夜更けてから、茶の間でみんなすしつまんで茶を飲んでいる時言い出した。
 叔父はそこへそべりながら、黙っていた。長いあいだ叔母の体が根底から壊されていることや、血の汚れていることが、深く頭脳あたまに考えられた。
 叔父はやがて、すごすごと座敷へ入って寝てしまった。
 蒸し暑いような、薬くさいような産室の蚊帳のなかから、また産婦の呻吟声うめきごえが洩れた。お庄と一緒に、そこいらの後片着けをしていた母親は、急いでその部屋へ入って行った。

     四十二

 叔父にお庄と植木屋と、この三人が翌日に死んだ赤子を谷中やなかの寺へ送って、午過ひるすぎに帰って来ると、母親は産婦に熱が出たと言って、心配そうに一同を待っていた。
「……それに昨夜ゆうべから見ると、また今朝水気が出たようでね。重い病が体にあれば、かえってお産が軽いと言うくらいのものだから、まだまだ安心は出来まいよ。」
 母親は叔父の着換えなどを、そっと奥から取り出して来て、そこへ脱ぎ棄てられた白足袋の赭土あかつちを、早速刷毛はけで落しなどした。
 産婦は疲れた顔をこっちへ向けて、縁側へ出て羽織の埃を払ったり、汗ばんだ襦袢じゅばんを軒に干したりしている人々の姿を、じろじろと眺めていた。
「皆さん御苦労でしたね。」と、その口から呻吟うめくような声も洩れた。
「それでお庄ちゃんどうでした、坊さんはよくお経を読んでくれましたか。」産婦はお庄ののぞく顔に、淋しく微笑ほほえんで見せたが、目に涙が浮んでいた。
「ええ、もう長いあいだ……。」と、お庄は浴衣ゆかたに着換えながら、ぽきぽきした顔をして、紅入りメリンスの帯を締めていた。

「お墓はどんなとこだかね……なおったらお庄ちゃんに連れてってもらって、おまいりをしてやりましょうよ。そして小さい石塔を建ってやりましょう。やみから闇って言うのは、ほんとうにあのことだわね。」産婦は泣くような声で言っていた。
 壺は植木屋の幸さんが、ひもで首から下げて持って行った。その後へ叔父とお庄の俥が続いた。三人は帰りにはすの咲いている池のはた彷徨ぶらつきながら、広小路で手軽に昼飯などを食ったのであった。お庄は久しぶりで、こんな晴々せいせいしたところを見ることが出来た。
 二時ごろに、昨夜ゆうべ医師いしゃが来て診て行った。医師は首をかしげながら、叮寧ていねいな診察のしかたをしていたが、別に深い話もしなかった。少し血脚気ちがっけの気味もあるようだし、産褥熱さんじょくねつの出たのも気にくわぬが、これでどうかこうか余病さえき起さなければ、大して心配することもなさそうだと言って局部へ手当てを施し、新しい処方などを書きつけて置いて行った。
 この医師いしゃから、病人が見放されたのは、それから八日目であった。叔母の体は、手をかければ崩れでもしそうに、顔も手足も黄色くぶくついて来た。時々差し引きのある熱も退かなかった。しもの方からは厭な臭気においが立って、つめや唇に血の色がなかった。腹膜、心臓、そんなような余病も加わって来た。
「こう何も彼も一時になって来ては、とても手のつけようがありませんな。何なら大学へでも入れて御覧になりますか。」医師は絶望的に言いった。
 その日の暮れ方に、湯島のただすの方へ大学の病室の都合を訊いてもらいに駈けつけたお庄は、九時ごろに糺と一緒に戻って来た。大学の方は明きがなかった。糺は方々駈けずりまわった果てに、前に下宿していたことのある友達が助手をしている、駿河台するがだいの病院の方へようやく掛け合ってくれた。
「どっちにしたって死ぬ病人だもんだで、病院に望みはない。」叔父はこう言ってすぐ入院の準備に取りかかった。
 体の重い病人は、床のなかで着替えをさせられると、母親や叔父や、多勢の手で上り口へ掻き据えられたり台の上にやっと運び込まれた。そんなにまでして病院へかつぎ込まれるのを、病人はあまり好まなかった。
「どうか早く癒って帰るようになっておくれよ。」母親は目に涙をためながら、門まで出て、担ぎ出される吊り台の中を覗き込んだ。
「留守を何分お願い申します。」と叔母は喘ぐような声で言った。
 叔父と糺とは、提灯ちょうちんをさげた植木屋と一緒に、黙って吊り台の傍へ附き添ったが、その灯影にちらちら見える人々の姿の見えなくなるまで、母親とお庄は門に立って見送っていた。静かな夜であった。

     四十三

 この病人には、おもにお庄と、田舎から出て来た病人の母親とが、附き添うことになった。
 田舎の母親の出て来たのは、入院した翌日あくるひの晩方であった。お庄はその日、朝はやく手廻りのものを少し取りまとめて、それを持って病院へ行った。病室には、糺が知合いの医員に話して、自由をかせて、特別に取り入れた寝台のうえに、叔父が一人、毛布を着てごろりと転がっていた。ゆかの上には、ござを敷いて幸さんも寝ていた。看護婦と雑仕婦とが、体温を取ったり、氷の世話をしたりしている。朝の病院は、どの部屋もまだ静かであった。
 叔父と幸さんとは、食堂の方で、まかないから取った朝飯を済ましたり、お庄が持ち込んで行ったお茶や菓子を食べたりしてから、やがて十時ごろに帰って行った。
「それじゃ私はまた来るから……。」と、叔父は深いパナマの帽子をかぶって、うとうとしている病人の枕頭まくらもとへ寄ると、低声こごえに声をかけた。
 体を動かすことの出来ない病人は昨夜ゆうべ初めて特に院長の診察を受ける時、手を通しやすいように、ひろくほどかれた白地の寝衣ねまきの広袖から、力ない手を良人の方へ延ばした。「私もこんな体になって、いつどんなことがあるか知れないで、夜分だけはどこへもお出なされないようにね。」と、水ッぽいような目で叔父の顔を眺めながら言った。
 叔父はうなずいて見せた。
「そのうちには阿母さんもきっと出て来るで。電報は遅くも昨夜ゆうべのうちに着いているはずだからね。」
 お庄は母親の来るまで、病人の側に一人でいた。そして雑仕婦に手伝って、時々氷を取り換えたり、しもの方の始末をしたりした。氷は頭と言わず、胸といわず幾個いくつも当てられてあった。もう長いあいだの床摺とこずれも出来ていた。
「重い患者さんね。」と、雑仕婦はしりへ油紙をてがうときお庄に話しかけながら笑った。
昨夜ゆうべ寝台へお載せ申すのが、大変でしたよ。」
 患者もきまりわるそうに力ない笑い方をした。
 家に箪笥にしまってある着物の話が出た。まだ仕立てたばかりで、仕着しつけも取らない夏帯のことなどを、病人は寝ていて気にしはじめた。白牡丹はくぼたんで買ったばかりの古渡こわたりの珊瑚さんごの根掛けや、堆朱ついしゅ中挿なかざしを、いつかけるような体になられることやらと、そんなことまで心細そうに言い出した。
 お庄はこの叔母が、長いあいだ自分の物ばかりに金をかけて来たことをおもい出していた。母親の物を、叔父も父親と一緒に田舎の町で遊びにふけっていた時分、取り出して行った。叔父の学資を、父親は少しはけたこともあった。昔から油を絞って暮して来た母親の実家さとは、その時分村の大火に逢って、家も帑蔵どぞうも灰になってから、叔父は残っていた少しばかりの田地を売って、やっと学校へ通っているのであった。その代りにお庄の支度を叔父が引き受けることになっていた。叔父は時々それを言い立てては、お庄の身につく物を買おうとした。そのたびに叔母はいい顔をしなかった。
 話に疲れると病人は、長い溜息を吐いて、水蒸気の立つ氷枕に、しびれたような重い頭顱あたまを動かした。
「私も永いあいだ、世帯の苦労ばかりして来て、今死んで行っては真実ほんとうにつまらない。」叔母は唸るように独りごとを言った。
 お庄は心から憎いと思って、その顔を眺めた。
 部屋に電気がついてから間もなく、叔母の母親が幸さんに連れられてやって来た。母親は五十五、六の背の高い女であった。田舎にしては洒落しゃれた風をしているのが、まずお庄の目に着いた。
「私もこんな体になってしまってね。」と叔母は母親の顔を見ると、めそめそと泣き出した。
 母親の優しい小さい目にも、一時に涙がき立った。そして何にも言わずに、手巾ハンケチで面をおさえた。お庄も傍で目をうるませながら、くすぐッたいような気がした。

     四十四

「私は、それじゃお庄さんに後をお願い申して、ちょっと髪を結いに帰って来ますわね。」と、洒落ものの母親は、来た晩から気にしていた小さい丸髷まるまげでながら言い出した。二、三日側についていると、母子の間にもう大分話の種がなくなってしまった。来ると早々窮屈な病室の寝台などにかされて、まだろくろく帯をいて汽車の疲労つかれを休めることすら出来なかった。
 牛乳とスープだけで活きている叔母が時々、「ああ、おいしいおこうこでお茶漬が食べたいね。」と唸ると、老婦としよりは傍からもどかしがって、看護婦に尋ねてみたが、看護婦やお庄は笑っていて取り合わなかった。
「院長さんに伺ってみましょう。」看護婦はその場のがれに言って出て行った。
「それでも、ちっとは何か食べさすものの工夫がつきそうなものだね。」と、母親は隅の方で、お庄が運び込んで来ておいた、細かいかき餅のかんを見つけて振って見たり、かごのなかの林檎りんごを取り出して眺めたりした。そして口淋しくなると、自分でポリポリつまんで食べては、お庄に田舎の嫁の話などをして聞かせた。その嫁の荷のたくさんあることが母親の自慢であった。夜になると、母親はまた腹をすかして、お庄に近所ですしあつらえさせ、そっと茶盆を持ち込ませなどして、少しの間も食ったり飲んだり、お饒舌しゃべりをしていなければ気が済まなかった。
「私の病気がよくなったら、阿母さんもゆっくり東京見物でもして下さいよ。」病人は寝台のうえから話しかけた。
「私もこんなことでもなければ、めったに出て来るようなこともないでね。」母親は、銀の延べ煙管ぎせるたばこをつめて、マッチで内輪に煙草を吸っていた。
 このごろ田舎で見た、東京役者の芝居の話などが始まった。東京で聞えた役者のことをこの母親もなにかとなく知っていて、独りで調子に乗ってしゃべった。
 母親が出て行くと、病室はにわかに淋しくなった。暑い日中、熱に浮かされたような患者は、時々ゆかの敷物のうえに疲れて居睡いねむりをしているお庄を、幾度となく呼んだ。お庄があわてて枕頭まくらもとへ顔を持って行くと、叔母は鈍いうっとりした目を開いて、一両日姿を見せない叔父のことを気にかけて訊いた。
「叔父さんに急いで来てもらうように、電話でそう言ってね……。」と、患者は囈言うわごとのようにつぶやいた。
 患者も附添いもんだように黙って、離れていた。埃深い窓帷まどかけには、二時ごろの暑い日がさして来た。そこへ院長が、助手を二人つれて入って来た。
 院長が先の見えすいている患者の体に綿密な診察をしている間、叔母は傍に立っている、ひげのちょんびりした、愛嬌あいきょうのある若い助手の顔を、下からまじまじ眺めていた。
「この助手さんは別品だねえ――。」と言って、狂気きちがいじみた笑い方をした。
 お庄も看護婦も、後の方でくすくす笑い出した。
 厳粛な院長は、にっこりともしないで、じっと聴診器に耳を当てていた。はだけた患者の大きい下腹が、呼吸いきをするたびにひこひこして、疲れた内臓の喘ぐ音が、静かな病室の空気に聞えるのであった。
 院長は、物慣れた独逸語ドイツごで、低声こごえで助手に何やら話しかけると、やがて静かに出て行った。
 お庄は後でしばらく笑いが止らなかった。
 夕方になると、叔母はまた叔父の来ないのに、気を焦立いらだたせた。お庄は幾度となく家へ電話をかけた。

     四十五

 六尺ばかり隔てをおいて、寝台のうえにていながら、叔母と叔父とは嫉妬喧嘩やきもちげんかをした。昨夜ゆうべあのくらい電話をかけて来てもくれなかったとか、気塞きづまりな病院よりも他に面白いところがあるから来なかったのだとか、愚にもつかぬことを言い出して、叔母は終いに泣いた。
「どこも行くところなぞありゃしない。わしア丸山さんのとこでつかまって花を引いていたんだ。」と、叔父は小川町の通りで買って来たばかりのウイスキーの口を開けて、メートルグラスにいで飲んでいた。
「それは何でござんすね。」と、叔母はうす橙色オレンジいろのそのコップを遠くからすかして見た。
「自分ばかり飲まないで、私にも少し飲まして下さいよ。」叔母は水張った蒼白い手を延ばした。
「こんなもの飲めば死んじまう。」叔父は渋い顔をして、瓶に口をさすと、それを寝台の端の方へ隠した。そして、ごろりと背後向うしろむきになってだるい目をつぶろうとした。
「いやな人だね、後向きなぞになって……病気をするものはどのくらい割りがわるいか。」叔母はじろじろ叔父の寝姿を見ながら溜息を吐いた。昼眠れば夜は眠れないのが自分には苦しかった。
 昼からお庄は、汚れた病人の寝衣ねまきや下の帯のようなものを一包み蹴込みに入れて家に帰って行った。
 叔母はまた家のことをいろいろ頼んだ。
「田舎の阿母おっかさんも、疲れがなおったらまた少しお出でなすって下さいってね。そしてあの帯が重いようなら、私の不断帯でもおしめなすってね、着物もじみなのがいくらもありますから……。」病人は自分の母のことばかり心配した。
 お庄はその顔を眺めて立っていた。
「お庄ちゃんも、行ったり来たりするんだから、私の雪駄せったでも出してはいたらどうだね。」病人はくっつけたようにお愛想を言った。「私は癒ればまた買いますわね。」
 お庄は隅の方で帯を締め直したり、顔を直したりして、それから出て行った。
 田舎の母親が、もう片身分かたみわけの見立てでもするように、座敷でいろいろなものを拡げて見ていた。大抵は叔母がこの三、四年に丹精して拵えたものばかりで、ついこの春に裾廻しを取り替えてから、まだ手を通したことのない、淡色の模様の三枚襲さんまいがさねなどもあった。お庄は嫁に行くとき、この古い方の紋附を叔母から譲ってもらうことになっていたことを思い出した。
 樟脳しょうのうの匂いの芬々ぷんぷんするなかで、母親を相手に、老婦としよりはまたお饒舌しゃべりを始めていた。
 やがて母親は済まぬ顔をして、茶のの方へ出て来た。
「あの人は妙なことを言う人だえ。」母親は白い目をしてお庄に呟いた。
「何でも彼でも、自分の家で拵えてやったようなことばかり言うでね。それもいいけれど、あの紋附を、もうおこのさんには派手だで、帰るとき田舎へ持って行ってお花さんに着せるそうだよ。」
「いいわねそんなこと……私は叔父さんにまた拵えてもらうから。」お庄は日焼けのしたような顔を手巾ハンケチで拭いた。
「どこから捜して来たか、あのあおい石の入った大きい指環ゆびわまで出して来て、指環というものはまだめたことがないで、少しお借り申したいなんてね。」と、母親は歯茎はぐきに泡を溜めながら言い立てた。
 昨日きのうから家中引っ掻き廻している、老婦としよりの仕打ちが、母親にはくやしくもあった。
「どれさ。」と、お庄は邪慳じゃけんそうに訊いた。
「ほれ、あの……いつか丸山さんとおついに、叔父さんが拵えたのがあるじゃないかえ。」母親はき込んで、同じようなことを幾度も繰り返した。
 四時ごろに、老婦としよりは娘の意気なくしなどを挿し込んで、箪笥にきちんと錠をおろして、また病院の方へ出かけて行った。

     四十六

 三週間も経った。そのころには、病人の体もただ薬の灌腸かんちょうや注射でたしてあるくらいであった。頭脳あたまがぼんやりして、言うことも辻褄つじつまが合わなかった。体が冷えて、爪に血の色がせて来ると、医師いしゃがやって来て注射を施した。患者はしばらくのまに渾身みうちが暖まって来た。
「ことによると、今夜もたないかも知れませんよ。御親類へおしらせになった方がよろしいでしょう。」
 老婦としよりやお庄が、昏睡こんすい状態にある患者の傍で、医師からこう言い渡されるのも、もう二、三度になった。
 息をき返して来ると、患者は暗い穴の底から、ふちに立っている人を見あげるように、人々の顔を捜した。
「私だよ。」母親はその手を握って、娘の頬のところへ自分の顔を摺り寄せて行った。
 患者は心から疲れたような、長い厭な唸り声を立てた。
「おお可哀そうだな。」と、母親は鼻をつまらせた。
 病人の顔は少しずつはっきりして来た。
「そこの茶箪笥に、私の湯呑があったかね。」患者はにちゃにちゃする口をもがもがさせた。
 看護婦が、かわきを止めるような薬を、くだで少しずつ口へ注いでやった。
「病気が癒ったら、床あげに弁松べんまつからおいしいものをたくさん取って、食べましょうね。」患者は思い出したように言い出して、みんなを笑わせた。
「ああ、それどころじゃない。どんなお金のかかることでもして上げるで、もう一度癒っておくれよ。」母親は泣くような声を出した。
 集まって来た人たちは、また寝台を離れて、ゆかのうえに坐った。
「この塩梅あんばいじゃ、また二、三日もちますかね。」
「お庄ちゃん、叔父さんは……。」患者はうとうとしたかと思うと、また訊きだした。
「叔母さん、いまじきですよ。」
 お庄は叔父を見に行く風をしてれるような病室を出て行った。そして廊下の突当りにある医員の控え室に入った。
 控え室は十畳ばかり敷ける日本室にほんまであった。糺の知合いの医員を、お庄も湯島時代から知っていた。そして一緒に茶を呑んだり、菓子を摘んだりした。この部屋へよく遊びに来る、軽い脚気患者の、向うの写真屋のハイカラ娘とも、ちょくちょく口を利くようになった。お庄は叔父のいいつけで、この連中へ時々すしや蕎麦そばのようなものを贈った。叔母が別品だと言った助手が、西洋料理などを取り寄せて食べているのを見て、お庄は時々口に※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ハンケチを当てて思い出し笑いをした。
「ああ、何て暑い晩でしょう。」お庄はその入口に膝を崩して、ベッタリ坐った。
「暑けアこの上の物干しへでもお上んなさい。」そこにワイシャツ一つになってそべっていた知合いの医員は、はたから揶揄からかうように言った。
 糺の兄弟の噂が二人の間に始まった。糺に近ごろ女が出来たということも男がお庄に話して聞かした。
「そうですかね、私ちっとも知りません。」お庄は顔をあからめて、子猫のような低い鼻頭を気にして時々指で触った。
 お庄は暗い物干しで、しばらく涼んでいた。中形の浴衣ゆかたに、夜露がしっとりして、肩のあたりが冷たくなって来た。
 暑い病室へ入って行くと、患者の呻吟声うめきごえがまた耳についた。お庄は老婦としよりに替って、患者の傍の椅子に腰かけた。
 夜明け方から、叔母の様子があやしくなって来た。寝台にりかかって、疲れてうとうとしていたお庄が目をさますと、看護婦が出たり入ったりしていた。助手も注射器を持って入って来た。
 お庄は外のしらむのを待って、俥を築地へ走らせた。

     四十七

 家の戸がまだ締っていた。格子戸も板戸も開かなかった。お庄は俥屋を表に待たしておいて、裏口へ廻って、母親を呼んだ。母親は「おいおい。」と返辞をしながら出て来た。
「どうしたえ。お此さんの容体がまた悪いだか。」母親は台所のかまちに腰掛けて訊いた。
 お庄もだるい体を水口の柱にもたせかけながら、叔母の容態を話した。
「それじゃとうとう駄目だかな。」と、母親はがっかりしたように言って、天窓を引いたり、窓を開けたりした。
「それでもまあった方さ。あのくらいにして駄目なのなら、よくよく寿命がないのだ……。」
 叔父がまた家を開けていた。
「丸山さんへ行って、花でも引いているら。」と母親は昨夜ゆうべも二時ごろまで待たされたことを話しながら、床をあげたり、板戸を開けたりした。
 お庄は人気のない家のなかを、落ち着かぬ風であっちゆきこっち行きしていた。葬式とむらいこつあげに着て行く自分の着物のことなどが気にかかった。田舎から来る、叔母の身内の人たちの前も、あまり見すぼらしい身装みなりはしたくないとおもった。
 母親とお庄は、奥座敷の箪笥の前に立っていながら、そのことについていろいろと相談した。
「なあに間に合うて。今日の午前ひるまえに目を落したって、葬式とむらい明後日あさってだもんだで……それも紋を染めていたじゃ間に合いもすまいけれど、婚礼というじゃなし石無地こくむじでも用は十分足りるでね。それでなけれアお此さんのの方のを直すだけれどな。」
 母親は落ち着きはらって、いろいろの見積りを立てていた。
 とにかくお庄は、叔父を捜しに出かけることにした。入舟町の方から渡って行く中ノ橋あたりは、まだ朝濛靄あさもやが深く、人通りも少かった。その家では、女中と娘の子とが起きているぎりで、遊びに疲れた主人夫婦も叔父も、今ようやく寝たばかりのところであった。叔父のたおれている座敷には、帯や時計や紙入れや飲食いした死骸からなどがだらしなく散らばっていた。
「まアいい、大丈夫今に行くで……。」正体なく眠っている叔父は、顎をがくがくさせながら、お庄の顔をじろりと見たきりで、長い体をぐらりと横へ引っくら返った。
 お庄はそこへ俥をおいて、ついでに近所の髪結のところへちょっと声をかけてから家へ帰った。
 死んだという電報が、八時ごろにお庄の髪を結っているところへ舞い込んだ。
「それじゃやっぱりそうだったんだ。」と、母子は幾度も電報を読み返した。
 母親は気忙しそうに起ち上ったが、さしあたって何をするという考えも思い浮ばなかった。お庄は急いで合せ鏡をしながら、紙でえりなどを拭いて、また叔父のところへ駈けつけた。
 その家では、みんながぞろぞろ起きて、れぼッたいような顔をして茶のへ集まった。
 叔父は内儀かみさんのんでくれた茶を飲みながら、電報の時間附けなどを見ていたが、するうちにお庄と一緒に家を出た。あるじ夫婦も、着換えをして後から続いた。
 みんなが病院へ駈けつけた時分には、死骸はもう死亡室の方へ移されてあった。げっそりかさの減ったような叔母の死骸には、白いきれけられて、薄い寝台の敷物のうえに、脚を押っ立てながら、安らかにかされてあった。母親は皆の顔を見ると、また泣き出した。そして側へ寄って死者の冷たい顔から、白いきれを取り除けた。みんなは寄ってその顔を覗き込んだ。

     四十八

真実ほんとうにあっけないもんでござんした。」と、母親は目をこすりながら言い立てた。
「すっと息を引き取って行くところを、お医者さまたちは、傍に多勢立って黙って見ておいでなさるだけのものでございましたよ。それでいよいよ目を落してしまったところを見届けると、また黙って、各々めいめいすいと出ておいでなすってね。それに平常いつもはあんなに多勢入り交り立ち替り附いていて下すったのに、あいにく今朝はほんの私一人きりでね。」と、母親は後の方に立っているお庄の結立ての頭髪あたまや、お化粧をして来た顔に目をつけた。
「何のために使いをして下すっただか、こっちじゃ今目を落すという騒ぎだのに、行けばたきりで、気長にお洒落しゃれなぞなすっておいでなさるでね。」母親はお庄に繰り返し繰り返し厭味を言った。
 お庄も少し逆上のぼせたようになっていた。そして自分は自分だけの理窟を言った。人中にいるのに、そう姿振なりふりにかまわないわけにも行かないと思った。自分の身じんまくもする代りに、病人の看護も、長い間まだしもよくして来た方だとも思った。
 お庄は理も非もわからないような老婦としよりの愚痴にしまいに笑い出した。
 吊り台で、死骸が担ぎ出されるまでには、大分時間がかかった。そのころにはまだあたたの通っている死人の腹部も、だんだん冷えて来た。家を出るとき、声をかけて来た手伝いの人たちもそれぞれ集まって来た。中には叔父も資本の幾分を卸して、車を五、六十台ばかり持って、挽子ひきこに貸し車をしている安という物馴れた男もいて真先に働いた。
「小崎さん、患者さんの代りに、あなたの紀念の写真を一枚って下さいな。」中ごろから替って来た気のやさしい上方産かみがたうまれの看護婦が、病室を取り片着けているお庄の傍へ寄って来て言いかけた。お庄は夜も昼も聞かされた病人の唸り声が、まだ耳についているようであった。
 お庄は気忙しいなかで、叔父に断わって看護婦と一緒に向うの写真屋へ行った。看護婦の望みで、母親にも勧めたが、母親の心はそれどころではなかった。
 やがてお庄は積めるだけの物を、蹴込みに積んで、母親と一緒に一と足先に病院を引き揚げた。
 格子戸や上り口の障子を外して、吊り台を家のなかまで持ち込んだのは、午後の三時過ぎであった。叔父はこれまでに丸山のあるじや糺に手伝ってもらって、死亡の報知しらせを大方出してしまった。病院の帰りに、電話や電報を出した口も少しはあった。その中に、墨西哥メキシコ公使館の通弁をしているという仏の従弟いとこに当る男などもいた。
「すみませんが、六尺を一本ずつ切って戴きたいもんで。」安公は座敷にござを敷いて、仏に湯灌を使わそうとするとき、女連おんなれんの方へ声かけた。吊り台から移された死骸は屏風の蔭に白い蒲団の上にかされてあった。
 晒木綿さらしもめんを買いに、幸さんが表へ飛び出して行った。
 女連は、別の部屋の方で、経帷子きょうかたびら頭陀袋ずたぶくろのようなものを縫うのに急がしかった。母親はその傍でまた臨終の時のたよりなかったことをこぼしはじめた。

     四十九
「田舎の人は真実ほんとうに物が解らない。」と、お庄はまだ叔母の母親に言われたことが、頭脳あたまにあった。
 お庄は手伝いに来ている安公のところの、お留という十四、五の娘にいいつけて買わした、乾物や野菜ものをそこへ拡げながら、お通夜つやの人に出す食べ物の支度に取りかかろうとしていた。母親のお安も仕事の手を休めて、そこへ来て見ていた。お庄ははすの白煮をこしらえるつもりで皮をきはじめた。傍にはささばかり残った食べ荒しのすしの皿やからになったどんぶりのようなものがほうり出されてあった。
 奥ではもう湯灌もすんで、仏の前にはいろいろの物が形のごとく飾られ、香の匂いが台所までも通って来た。座敷の話し声がしずまったと思うと、時々りんの音などが聞えて来た。
「お婆さんたちは何にもしないで、病人の傍にめそめそ泣いてればいいと思って。それは病人だって、大切にしなけれアならないけれど、そのために看護婦がつけてあるんじゃないか。病院だって、叔母さんだけが患者じゃないんだわ、お婆さんは真実ほんとうに勝手が強いんだよ。」
「なにかと言ったって、お此さんは幸福しあわせせえ。田舎じゃどうして、あんな手当ては出来るもんじゃない。」母親も言った。
「どういうものでしょうかね、明日あした葬式とむらいに小崎さんはおいでなさるでしょうね。」
 丸山のあるじが、何やら長い帳面と筆とを持って、白足袋を気にしながら、散らかった台所口へ来てしゃがんだ。
「そうでござんすね。」と、母親は椎茸しいたけを丼で湯にけていながら、思案ぶかい目色めいろをした。
あとを貰うものとすれば、やっぱりお寺まで行くべきものでしょうかね、弟もまだ四十にゃ二、三年のある体だもんですからね、これぎり貰わないっていうわけにも行きませんか知らんて。」
「それアそれどころじゃない。」
「それとも、田舎からしゅうとめも来ているものですから、お葬式とむらいの時だけは遠慮すべきもんでしょうか。」
「あらかじめ再婚を発表するようでもあまり感服しないでね。」丸山はこういって、母親とお庄の顔を見比べた。
「それでお庄ちゃんは香炉持こうろもち、正ちゃんがお位牌いはい、それアようござんすね。」
「まアそういった順ですかね。」
 葬儀社が来たとか言って、丸山は奥へ呼び込まれて行った。
 叔父はぼんやりしたような顔をして、時々そこいらへ姿を現わした。
「電報はもう届いていますらね。」と叔母の母親も、田舎のせがれ夫婦の出て来るか来ぬかを気にしては、訊いていた。
 この晩、お庄は経を読んでいる法師ぼうずの傍へ来て坐るひまもなかった。座敷の方が散らかって来ると、丸山の内儀かみさんと一緒に、時々そこらを取り片着けて歩いた。そしてまた新しく酒や食べ物を持ち運んだ。
 夜がけてから、母親は昼間しかけておいた、お庄の襦袢じゅばんなどを、茶の間の隅の方で、また縫いにかかった。
「私はそれじゃ、御免こうむって少し横にならしておもらい申しますわね。」
 叔母の母親は、ひとしきり仏の前へ行って来ると、ただれたような目縁まぶちを赤くして、茶のの方へ入って来た。そして母親と一緒に茶を飲んだり、煮物をつまんだりしていた。
「さあさあ明日もあるもんだて、一ト休みお休みなすって……。」と、母親も眠い目をしながら、四畳半の方から掻捲かいまきや蒲団を持ち出して来てやった。
 静かになった座敷の方からは碁石の音などが響いて来た。

     五十

「さあ皆さんっ着けてしまいますよ。」葬儀屋の若いものと世話役の安公とが、大声に触れ立てると、みんなはぞろぞろと棺の側へ寄って行った。
 細長い棺の中には、きれの茶袋が一杯詰められてあった。かぶものや、草鞋わらじのような物がその端の方から見えた。生前にいろいろの着物を縫って着せるのが楽しみであった人形を入れてやろうかやるまいかということについて、女の連中がまた捫着もんちゃくしていた。
「入れないそうです。」と、誰やらが大分経ってから声かけた。
みんなが笑い出した。
「残しておいても何だか気味がわるいようですから入れて下さい。」とお庄は言ったが、母親は惜しがった。
わしあれの片身に田舎へ連れて帰らしておもらい申しますわね。」と、姑も言い出した。安公がでこぼこの棺のなかをならしながら、ぐいぐいしつけると、「おい来たよう。」とふたがやがてぴたりとおろされた。白襟しろえりに淡色の紋附を着た姑は、その側に立って泣いていた。母親も涙を拭きながら、口のなかにお題目を唱えていた。
 田舎から来た人たちも、皆な着替えをすまして、そこらに彷徨うろついていた。
 お庄は今朝から、今日の着物のことで気が浮わついていた。昨日の昼過ぎにやっと注文した紋附が、一時出棺の間にあいそうにもなかった。
「やっぱりお此さんのをお前のに直した方が早手廻しだったかな。」今朝の九時ごろまでかかって、やっと家で縫えるようなものを縫いあげた母親は、そんな物を積み重ねた、茶のの隅の方で、お庄とひそひそ話し合っていた。田舎から出て来た叔母の弟嫁が良人と一緒に入って来た。そうして鞄からそこに出しておいた着物の包みをほどきながら、良人の羽織やはかまを取りけて、着替えをさせに取りかかった。顔の綺麗なその良人は、ごりごりした帯や袴の紐に金鎖をからませながら、ぬッとした顔をして出て行った。嫁はそれから隅の方で、背後向うしろむきになって自分の支度に取りかかろうとした。
「どうも済んません、遅くなって……。」お冬という叔母やお庄の結いつけの髪結が、ごたくさのなかへ、おずおず入って来た。
「さあ、あなたからお結いなすって……後はお婆さんにお庄に私くらいなものですで……。」
「そうですか。じゃお先へ御免蒙って……東京でもやっぱり島田崩しに結いますかね。」と、嫁はそこへこてこて取り出した着替えをそっくり片寄せておいて、明るい方へ出て来て坐った。姑も側へやって来て、嫁の着物の衿糸えりいとを締めなどした。お庄はそこへ鏡台やくし道具を持ち運んで来た。
「東京じゃもう、大抵毛捲きなんですがね。どうしましょうか。」髪結は油でごちごちした田舎の人の髪を、気味わるそうにほどいてきはじめた。
 お庄も母親も、取り外したその髪の道具に側から目をつけていた。
 葬式とむらいにたつ人や、人夫に食べさすものを拵えている台所の方を、母親はその隙にまた見に行った。
「皆さんも、今のうち何か食べておおきなすって……。」母親はそこらを片寄せて、餉台ちゃぶだいの上へ食べ物を持ち運んだ。
 お庄は食べる気もしなかった。
「あの人たちは、あれでなかなか金目かねめのものを挿していますよ。」
「何しろある身上しんしょうだでね。」
 お庄は隙になった茶ので、今やっと裏口から届けて来た、着物の包みをほどきながら、母親と額をあつめて話し合った。包みのなかには、正雄に着せる紋附や袴も入っていた。二人は気忙しそうに、仕着しつけ糸を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしりはじめた。母親はその中で、紋を一つ一つすかしては見ていた。
 長く田舎に蟄居ひっこんでいる父親に物をくされた愚痴が、また言い出された。

     五十一

「……後をお貰いなさればと言っても、私はまたちょくちょく寄せておもらい申しますわね。」と、しゅうとめが皆に暇乞いとまごいして帰ってしまってからは、叔父の家も急に寂しくなった。弟夫婦は、葬式とむらいがすむと、じきに立って行った。
 それまでに、姑は片見分けに自分の持って帰るようなものを、母親と一緒に、すっかり箪笥のなかからり分けた。中には叔母が田舎にいた時分から離さなかった頭髪あたまのものなどもあった。姑は自分がそれを拵えてやたころのことを言い出して、三十やそこいらで死んでしまった娘の不幸をまたこぼしはじめた。
 そんな物を択り分けるに、二人は毎日毎日暇をつぶした。出して見てはしまったり、やって見てはまた惜しくなったりした。
「欲しいと言うものは何でも持って行かした方がいい。姉さまやお庄には、どうせまた拵えるで……。」と、叔父は蔭で母親をたしなめた。
 姑はお庄に案内してもらって、久しぶりで浅草や増上寺を見てあるいた。芝居や寄席へも入った。姑はそのたんびに、何かしら死んだ娘の持ちものを一つや二つは体に着けて出ることにしていたが、お庄も叔母の帯などを締めて、いつもめかしこんで出て行った。四畳半にはまだ白い位牌いはいが飾ってあった。姑は外から帰って来ると、その側へ寄って、線香を立てたり鈴を鳴らしたりした。
新仏あらぼとけさまにまた線香が絶えておりましたに。」と言って、姑は余所行よそゆきのままで、茶のへ来て坐った。

「へ、そうでござんしたかね。」と、母親は此間こないだ中の疲れが出て、肩や腰が痛いと言って、座敷の隅の方に蒲団を延べて按摩あんまに療治をさせながら、いい心持に寝入っていた。
 叔父は明後日あさって初七日しょなぬかのことで、宵から丸山へ相談に行っていた。
「ああ、お蔭さまで、私もいい気保養をさしてもらいました。」と、姑は誰もいない部屋や、火の消えている火鉢のなかを寂しそうに眺めた。
 二、三日めっきり涼気すずけが立って来たので、姑は単衣ひとえの上に娘の紋附の羽織などを着込んでいた。お庄も中形のうえにしまの羽織を着て、白粉を塗った顔をでながら傍へ来て坐った。そして母親に小言をいいながら火を興しはじめた。
「たまにわしが按摩でも取れば、じきに口小言だでね。」と、母親は座敷の方から寝ぼけたような声で言った。
「自分は遊んであるいて、そう親ばかりいじめるもんじゃないよ。」
「またあんな解らないことを言うんだよ。いくら遊んであるいたって、帰ってお茶一つ飲まずにいられますかね。そのための留守じゃありませんか。」お庄もやり返した。
「まあいいわね。」と、姑は優しい調子でなだめた。「姉さまもお疲れなさんしたろうに、私でも帰ったら、またゆっくらと骨休めをなすって……。」
「そんなことを言や、病院で長いあいだ、夜の目も合わさずに看護したものはどうするでしょう。」お庄はまた母親をきめつけた。勝手の強い姑のともばかりして、毎日行かせられるのを、お庄も飽き飽きしていた。口で言うほどでもない姑は、外へ出れば出たでなまぐさいものにも箸を着けていた。「気晴しに、御酒を一つ。」と言って食物屋たべものやで飯を食うとき銚子ちょうしあつらえてお庄にも注いでくれた。
「自分が出不精のくせに、人が出ると機嫌がわるいのだよ。真実ほんとうに妙な人。」お庄はしまいに笑った。
 湯が沸く時分に姑は着替えをすましてまたそこへ坐った。母親も側へ来て、お愛想をした。そうしてからまた、明後日あさってのお寺詣てらまいりに着て行く、自分の襦袢の襟をつけにかかった。

     五十二

 姑が帰ってから二、三日の間、お庄母子おやこは家の片着けにかかっていた。箪笥の抽斗ひきだしが残らずき出され、錠のおろされた用心籠や風を入れたことのないような行李が、押入れの奥から引っ張り出された。そんな物のなかから、むしばんだ古い錦絵にしきえが出たり、妙な読本よみほんが現われたりした。母親は叔母が嫁入り当時の結納の目録のような汚点しみだらけの紙などを拡げて眺めていた。
「お此さんも、こんなにして嫁入りしたこともあったにな。十年と一緒にいなかった。」
 お庄は袋のなかから、こまこました叔母の細工物を取り出して見ていた。縮緬ちりめん小片こぎれで叔母が好奇ものずきに拵えた、蕃椒とうがらしほどの大きさの比翼の枕などがあった。それを見ても叔母の手頭てさきの器用なことが解った。体の頑固な割りに、こうした女らしい優しい心をもっていたことが、荒く育ったお庄にもうらやましかった。叔母の側にくっついていて、もう少し何かの手業てわざを教わっておくのだったとも考えた。
「叔母さんのすることは、少し厭味よ。」お庄はねくっていた枕をまた袋の底へ押し込んだ。よく四畳半で端唄はうたうたっていた叔母のつやっぽいような声が想い出された。
阿母おっかさんもそんなものを持って来て。」
 お庄も目録を取り上げて畳の上に拡げた。
「阿母さんだって、木曽へ行った時分はねえ。」と、母親は木曽きその大百姓の家へ馬に乗って嫁に行ったことを想い出していた。
「あの家に辛抱しておりさえすれば、今になってまごつくようなことはなかったに。」
「どうして辛抱しなかったの。」
「どうしてって、家の遠いのも厭だったし、姑という人が、物がたくさんあり余る癖にけちくさくて、三年いても前垂一つ私の物と言って拵えてくれたことせえなかった。田地もあったが、種馬を何十匹となく飼っておいて、それから仔馬こうまを取って、馬市へも出せば伯楽ばくろうが買いにも来る――。」と、母親は重い口で、大構えなその暗い家の様子を話した。お庄は、そんなところにもいたのかと思って、口に泡をためている母親の顔をみつめた。
「その家じゃはたもどんどん織るし、飯田いいだあたりから反物を売りに来れば、小姑たちにそれを買って着せもしたが、わしには一枚だって拵えてくれやしない。万事がそれだで私も欲しくはなかったけれど、いい気持はしなかった。それで初産ういざんの時、駕籠かごで家へ帰ったきり行かずにしまったというわけせえ。」
「その人はどんな人さ。」
「どんなって、馬飼うような人だで、それはどうせあらいものせえ。それでも気は優しい人だった。今じゃ何でもよっぽどの身上しんしょうを作ったろうえ。私はその時分は、身上のことなぞ考えてもいなかったで、お産のあと子供が死んでから、どう言われても帰る気になれなかった。それでも、その子が育ってでもいれば、また帰る気になったかも知れないけれど。」
「そうすれば、私たちだっていなかったかも知れないわ。」
「そうせえ。」と、母親はゆるんだような口元にみを浮べながら、娘の顔を眺めた。
 田舎の思い出ばなしがいろいろ出た。お庄はべったり体を崩して、いつまでも聴きふけっていた。するうちに疲れたような頭脳あたまだるくなって来た。
「叔父さんはまた内儀かみさんを貰うでしょうか。」お庄は訊き出した。
「さあ、どうするだかね。先がまだ長いでね。」
 お庄はみ疲れたような心持で、壁にもたかかって、そこに取り散らかったものを、うっとりと眺めていた。

     五十三

 四十九日の蒸物むしものを、幸さんや安公に配ってもらってから、その翌日あくるひ母親とお庄とは、谷中やなかへ墓詣りに行った。その日はおもに女連であった。公使館の通訳の細君に、丸山の内儀かみさんたちが家へ集まって、それから一緒に出かけた。子供がよく遊びに来るので、近しくしていた向うのある大店おおだなの通い番頭の内儀かみさんも、その子供をつれてやって来た。この内儀さんは、叔母が存命中ちょくちょく芝居を見に行った。入院中も時々来て見舞ってくれた。その子供は見て来た芝居の真似をしてみんなを笑わせるほど、ませて来た。お庄は子を膝に抱いてくるまに乗った。
 寺で法師ぼうずがお経を読んでいる間も、一回はにやけた風をさせたその子供の仕草で始終笑わされ通しであった。お庄も母親もどこかに叔母ののこして行った物を体につけていた。お庄は小紋の紋附に、帯を締めて、指環で目立つ大きい手を気にしながら、塔婆とうばを持ってみんなと一緒に墓場の方へ行った。
「そんなになすくってどうするつもりだ。まるで粉桶から飛び出したようだ。」と、出がけに叔父はお庄の顔を見て笑ったが、お庄は欲にかかってやっぱり塗り立てて出た。
 帰りにみんなは上野をぶらぶらした。池には蓮がすっかり枯れて、舟で泥深どろぶかい根を掘り返している男などがあった。森もやや黄ばみかけて、日射ひかげ目眩まぶしいくらいであった。学生風の通訳の細君が、そこから一ト足先に別れて行ってから、一同は広小路の方へ出て、それから梅月ばいげつで昼飯を食べた。大阪生れの丸山の内儀さんは、お庄にそう言って酒を一銚子誂えて、天麩羅てんぷらに箸をつけながら、猪口ちょくのやり取りをした。
 斑点しみの多い母親の目縁まぶちが、少し黝赭くろあかくなって来た時分に、お庄の顔もほんのりと染まって来た。色の浅黒い、せぎすな向うの内儀さんは、膝に拡げた手拭の上で、飯を食べはじめた。
 そこを出たのは、もう日の暮れ方であった。
 叔父がまた新たに成り立とうとしている会社のことで、家で仲間と相談会を開いていた。叔父は真面目な他の会社などへ勤めて、間弛まだるっこい事務など執っていられなかった。子供に続いて、妻が長患ながわずらいのあげくに死んでから、家というものを、あまり考えなくなった。それだけ心が安易にもなっていたし、ゆるんでもいた。
 しばらく絶えていた烏森の方へ、叔父はまたちょくちょく足を運び始めた。家にいる時は、寝ても起きても新しく企てられた会社のことを考えていた。
「どんな向きの会社だか知らないけれど、そんなことをやりはねて、また失敗しくじるようなことがあっては困るでね。それよりかやっぱり口を捜して、月給を取っていた方が気楽のように思うがね。」母親は時々弟に頼むように意見をした。これという資本もない考案中の会社が、どうせいかさまなものだということが、母親の頭脳あたまにも不安に思われた。
「まあ黙って見ておいでなさい。私も今となって、不味まずい弁当飯も食っていられないで。」
 石川島へ出ている時分セメントの取引きをして親しくなった男や、金貸しや地所売買の周旋屋をしている丸山などと一緒に叔父はその会社を盛り立てようとしていた。中には古い友達の中学の先生もあった。
 金六町の方に設けられたその事務所へ、やがて一家が引き移ることになった。そこは灰問屋と舟宿との間に建った河岸かしに近いところであった。
 田舎から出た当時から、方々持ち廻ったお庄親子の古行李が、叔父の荷物に紛れて、またそこの二階へ積み込まれることになった。

     五十四

 この家の格子先へ、叔父の能筆で書いた看板がけられたり、事務員募集の札が張られたりした。毎日寄って来る人たちは、店にならべた椅子卓子テーブルによって、趣意書や規則書のような刷り物の原稿を書いたり、基金や会員募集の方法を講じたりした。基金はまだ刷り物に書き入れてある額に達していなかった。会社のする仕事は、無尽のような性質を帯びた手軽な一種の相互保険であった。
 二、三人の募集員が、汚い折り鞄を抱えて、時々格子戸を出入ではいりした。昼になると、お庄はよく河岸かし鰻屋うなぎやへ、丼をあつらえにやられた。
 ここに寝泊りしている、若い事務員がただ独り、新しい帳簿のならんだデスクの前に坐って、退屈そうに、外を眺めたり、新聞を見たりしていた。そして時々想い出したように、会員名簿のようなものを繰ったり、照会といあわせの端書に返辞を書いたり、会費の集まり高を算盤そろばんはじいたりしていた。
 事務員が、日当りの悪い三畳のに、薄い蒲団にくるまって、まだ寝ているうちに、叔父は朝飯の箸も取らずに、蒼い顔をして出かけて行った。
 長いあいだ少し積んで来た貯金をげて仲間に加わって来た中学の教師が、二階で昨夜ゆうべ遅くまで、叔父と何やら争論めいた口を利き合っていたことが、お庄母子おやこも下で聞いていて気にかかった。後では一緒に碁など打って、平常いつものような調子で別れたが、叔父の顔色はよくなかった。二人は事務員に帳簿を持ってこさして、長いあいだ細かしいことを話し合っていた。
「あの人は、もう手を退きたいとでも言うだか。」
 ランプの下で、白足袋しろたびつづくっていた母親は、手の届かぬせなかかゆいところをゆすりながら訊いた。
 叔父はお庄の退いた火鉢の前の蒲団に坐って、たばこふかした。
「なあにそうでもない。あの男にとっては、大切な金だでやっぱり気をむだ。」
「金を返せという話にでも来たろう。」
「それほど大した金でもない。」叔父はあくびをしながら言っていた。
 お庄は剛愎ごうふくなような叔父の顔を、傍からまじまじ見ていた。この会社の崩れかかっていることは、あれほど毎日集まって来た人が、にわかに足踏みをしなくなったことだけでも解ると思った。頚筋くびすじや肩のあたりが、叔母のいたころから比べると、著しい痩せが目立って、影が薄いように思えた。
 叔父が出て行くと、やがて母子は差し向いに朝飯の膳に向った。
昨夜ゆうべの人に返す金の工面にでも行ったろうえ。」
 二人は、また叔父の噂をしはじめた。叔父が遊んでいる女につかう金だけでも、このごろの収入では追っ着きそうなこともなかった。応募者が、予期した十分の一もなかったことが、女連にもだんだんみ込めて来た。
 事務員が、寝飽きたようなれぼッたい顔をして、暗い三畳の開き戸を開けて出て来た。そして目眩まぶしそうな目をこすった。ほころびた袖口からは綿がみ出し、シャツの襟もあかあぶらで黒く染まっていた。お庄はくすくす笑い出した。この男がここへ来てから、もう三月みつきにもなった。
「もう何時です。」事務員は目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはって時計を眺めた。
 それから水口の方へ出て顔を洗うと、間もなく膳の側へ寄って来た。紫色にただれたような面皰にきびが汚らしかった。
 飯がすむと、お庄は二階へあがって叔父の寝所ねどこを片着けにかかった。冬の薄日が部屋中にわたっていた。お庄は蒲団や寝衣ねまきを持ち出して手擦てすりにかけながら、水に影の浸った灰問屋のくらが並んだ向う河岸がしをぼんやり眺めていた。

     五十五

 向う河岸は静かであった。倉庫で働いている男や、黙って荷積みをしている人夫の姿が、時々お庄の目にわびしく映った。碧黒あおぐろくおどんだ水には白い建物の影が浸って、荷船が幾個いくつ桟橋際さんばしぎわつながれてあった。お庄はもう暮が近いと思った。
 部屋を掃除してから、雑巾バケツに水を張っていると店頭みせさきで事務員と押し問答している、聞きなれぬ声が耳についた。会員から、会費の払い戻し請求を受けているのだということがすぐに解った。台所を働いている母親も、茶のへ出て、気遣きづかわしそうに店の方へ耳を引き立てていた。勤め人とも商人ともつかぬようなその男は、社主に逢いたいと言って、物慣れぬ事務員を談じつけているらしかった。
「いやだいやだ、叔父さんは……。」と、お庄はこの前のことを思い出した。
「だって叔父さんが一人で引きかぶるわけのものでもあるまいがね。」と、母親も台所の隅に突っ立って溜息をいていた。
 お庄は、この家をいつ引き払うことになるか解らないと思った。拭き掃除をする気にもなれなかった。そしてバケツをそこへほうり出したまま、うんざりしていた。
 叔父は出て行ったきり、二、三日家へ寄りつきもしなかった。
 その間に中学の先生だという例の男が、二度も来て店へ坐り込んでいた。お庄は色のせたインバネスに、硬い中折を冠ったその姿を見ると、またかと思って奥へ引っ込んで行った。火の気の少い店頭みせさきで、事務員はこの男と日が暮れるまで向い合っていた。男は近所の蕎麦屋そばやへ行って、いた腹を満たして来ると、赤い顔をしてまたやって来た。
「まだお帰りになりませんか。どこか心当りはありますまいかね。」男は楊枝ようじで口をせせりながら、奥をのぞき込んで、晩飯を食べている三人の方へ声をかけた。
「ああして来て待っているのに、あんまりうっちゃり放しておいてもね。」と、お庄は晩飯をすますと、顔を直したり、着物を着替えたりして、仕立て直しの叔母の黒いコートを着込んで、叔父を捜しに出かけた。
 しばらく出なかった間に、町はそろそろ暮の景気がついていた。早手廻しに笹の立った通りなどもあった。賃餅の張り札や、カンテラの油煙を立てて乾鮭からざけを商っている大道店などが目についた。
 やがて湯島の伯母の家の路次口に入って行ったのが、九時近くであった。
「私のとこへは、小崎はまだ葬式とむらいの挨拶にも廻って来やしないぜ。」と、伯母は二階から降りて来て、火鉢の前に坐ると、めかし込んだお庄の様子をじろじろ眺めた。
「何だか会社を始めるとか、始めたとかいうことを聞いたが、そんな投機やまをやってまた失敗しくじらなけアいいが。」伯母は苦い顔をしてこうも言った。
 二階で糺の友達が多勢寄って花を引いていた。お庄はしばらく、そんな音を聞いたことがなかった。
「お前いくらか懐にあるだかい。」花には目のない伯母がにやにや笑いながら、段梯子を上って行くお庄に言いかけた。
 その晩おそくまで、お庄はそこで花を引いていた。取られ分を取りかえそうと焦心あせっているうちに、夜が更けて来た。連中には古くからなじみの男もあり、もう髭を生やして細君を持っているらしい顔もあった。お庄はそんな中に交ってはしゃいだ調子でしゃべったり笑ったりした。
 明日あした昼ごろに、お庄は金六町の家へ帰って来ると、昨夜ゆうべ帰った叔父が二階にまだ寝ていた。三和土たたきに脱いである見なれぬ女の下駄がお庄の目をいた。
「……芸者だか何だか……。」と、母親は笑っていた。

     五十六

 お庄らが母子おやこの仕事として、ひっそりした下宿を出そうと思いついたのは、この事務所を畳んでから、一家が丸山の隣の小さい借家へ逼塞ひっそくしてからであった。それまでに会社の方はパタパタになっていた。欠損を補うべき金や、下宿の資本もとを拵えると言って、叔父は暮に田舎へ逃げ出したきり、いつまでも帰って来なかった。
 河岸かしの家で、叔父が一、二度二階へ連れ込んで来た女が、丸山の田舎のあによめめいであることが、お庄母子にじきに解った。その女はお照と言って年はお庄からやっと一つ上の十九であったが、もう処女ではなかった。東京へ出るまでには思いったこともして来た。
 丸山の隣へ引っ越して行ってから、この女とお庄はじきに近しいなかになった。女は痩せぎすな※(「兀+王」、第3水準1-47-62)ひよわいような体つきで、始終黙ってはずかしげにしていたが、表に見えるほど柔順すなおではなかった。お庄にはどこか調子はずれのところがあるようにも思えた。叔父は丸山へ行って碁を打っているうちに、この女と親しくなった。女は碁もかなりに打てたが、字なぞもうまかった。
 一ト晩中、女は安火あんかに当って、お庄母子に自分のして来たことを話して聞かした。田舎で親々が長いあいだ取り決めてあった許婚いいなずけの人をきらって北国の学校へ入っている男を慕って行った時のことなどが詳しく話された。女は暑中休暇に帰省している親類先のその男の家へ、養蚕の手助けに行っているうちに、男と相識あいしるようになった。
 男が学校へ帰って行ってから間もなく、女は目ぼしい衣類や持物を詰め込んだ幾個いくつかの行李をそっと停車場まで持ち出して、独りで長い旅に上った。
「その時のことは、今からおもうとまったく小説のようよ。」と、女は汽車のない越後から暗い森やおそろしい河ばかりの越中路を通るとき、男に跡をけられたことや脅迫されたことなどを話した。
 制裁のきびしい寄宿に寝泊りしていた男は、一、二度女の足を止めている宿屋へ来て、自分の事情を話して帰ったきり、幾度訪ねても逢わなかった。手紙を出しても来なかった。
 三月ほど経って、兄が女を連れ戻しに行ったころには、女は金も持物もなくして、みぞれの降る北国の寒空に、着るものもなくて、下宿屋に下女働きをしていた。田舎へ引き戻されてからも、町に落ち着いていることも出来なかった。許婚先へ対しても、家にいるのがきまり悪かった。
「どうせ私は田舎などへ帰りゃしませんよ。嫁にだって行きゃしません。家で怒ってかまわなくなったって何でもありゃしない。金沢で下宿のはばかりの掃除までしたことを思や、自分一人ぐらい何をしたって食べて行かれますよ。」女は太腐ふてくされのような口を利いた。
「一人でやって行くなら、碁会所でも出したらどうだ。」叔父はこの女に時々そんな心持も洩らした。
彼奴あいつも変だが、小崎さんも少しひどいや。」と丸山は、叔父の田舎へ行っている留守に、折々茶を呑みに来ては、お照の噂をして母親に厭味を言った。
 女はお庄の家へ来て、机に坐って叔父へ長い手紙を書いた。手紙にはお庄に解らないようなむずかしいことが書いてあった。女は小説でも読むような気取りで、母子にその文句を読んで聞かせた。お庄は狂気きちがいじみたその顔をみつめながら笑い出した。
 叔父から返事が来た。女は手紙の字が巧いと言って、独りで感心していた。
「あなたの叔父さんは真実ほんとうに深切よ。」
「深切だか何だか知らないけれど、家の叔父さんはもうお爺さんよ。」
「お爺さんだっていいじゃないの。一生一つにいやしまいし……。」

     五十七

 繁三をつれて、三月の東京座を見に行った叔父が、がちがちふるえて帰って来た。顔が真青まっさおになって、唇に血のがなかった。
 叔父は田舎から帰ってからも、家に閉じこもって考えてばかりいたが、気がつまって来ると、時々想い出したように、誰かを引っ張り出して芝居や寄席へ行った。その日はちらちらと雪が降っていた。芝居のなかも暗く時雨しぐらんだようで、底冷えが強く、蒲団をけていても、膝頭ひざがしらが寒かった。叔父は背筋へ水をかけられるようで、永く見ていられなかった。
 日の暮れ方に、俥で金助町の新しい家へ帰って来ると、褞袍どてらを引っかけて、火鉢の傍に縮まっていた。
「どうしたというんだろう。」と、母親は会社の紛擾ごたごたから引き続いて、心配事ばかり多い弟の体を気遣った。
「なあに感冒かぜだ。ヘブリンの一服も飲めばなおるで。」叔父はそう言いながら、繁三を相手に酒を飲んで芝居の話などしていた。
 お照がしばらくここの家に隠れていた。あっちの家を引き払うころから、お照のことで、叔父と丸山とは互いに気持を悪くしていたが、ここへ引っ越してからも、あまり往来ゆききをしなかった。丸山が女を捜しに来ると、女は二階へあがって客の部屋に隠れていた。丸山はしまいに女をかまいつけなくなった。
 病院以来懇意になった糺の友達の医師いしゃが、その晩もぶらりと遊びに来て、叔父と碁を打ちはじめた。叔父は一勝負やっと済ますと、碁盤を押しやって顔をしかめた。石持っている間も時々ふるえていた。
「おかしいな。」と、医師いしゃは繁三に糺の聴診器を取り寄せさして、叔父の体を見た。
 医師は骨立った叔父の胸をそっちこっち当って見ているうちに、急に首をひねって肺のところをとんとんと強くたたきはじめた。
「どうも少しおかしい。」医師は側を離れると、溜息を吐いて、急いで縁側へ手を洗いに行った。
「肺病にでもなっているのじゃないらか。」母親は傍から心配そうに言った。お照もお庄も、黙って叔父の顔を眺めていた。
「私の肺は、人にすぐれて丈夫だと言われたもんだが……。」
と、叔父は肩を入れながらつぶやいた。
 医師も繁三も、じきに帰った。
「とにかく院長に一度ておもらいなさい。うっちゃっておいちゃいけない。」医師いしゃは繰り返しそう言って出て行った。
 酔いのさめた叔父は、また酒でも飲まずにはいられなかった。
「そんなに酒を飲んでもいいらか。あの医師いしゃがああ言うくらいだで、どこかよい医師に診てもらうまで、むやみなことをしない方がいい。」
「あの竹の子医師に何が解るもんで……。」
 叔父はお照にしゃくをしいしい自分にも飲んだ。
 湯島の伯母に引っ張り出されて、叔父はその翌日あくるひ駿河台の病院へ診てもらいに行った。
「結核も結核、ひどい結核だと言うでないかい。」と、伯母はお庄と母親が朝飯を食べているところへ飛び込んで来て顔を顰めた。
 二人はびっくりして、箸を休めた。
昨夜ゆうべの××さんの話じゃ、片肺まるでないというこんだぞえ。」
 叔父はまだ奥座敷に寝ていた。昨夜ゆうべ二人でおそくまで起きていたらしいお照も、まだ目が覚めなかった。
 叔父は院長からはっきりした診断を下されるのを怖れて、行くのを渋くった。
「やっぱり肺だということだぞえ。」と、昼ごろに叔父をつれて帰って来た伯母は、蔭で母親に告げた。
 治療に望みのないことが、診察をおわった叔父が帯を締めている背後うしろから、大きい手と首を振って見せた院長の様子でも知れていた。

     五十八

「叔父さんが帰って来たら、僕からよく話をする。」二階の部屋を借りて、ここから一ツ橋の商業学校へ通っている磯野いそのという群馬県産れの書生が、薬師の縁日に手を引き合って通りを歩いているときお庄に話しかけた。磯野は糺の友人の知合いで、糺とも知っていた。そんな関係からここの二階を借りることになった。家は肥料問屋で磯野はその時分からいろいろの遊び友達を持っていた。酒も飲んだり唄もうたった。叔父とも碁を打ったり、花を引いたりした。深川へ荷がつくと、母親があずけてよこした着物や、麦粉菓子むぎこがしのようなものが届いて、着物のなかから可愛い末の子に心づけてくれた小遣い銭などが出て来たが、家をやっている兄の方にはあまり信用がなかった。磯野は一、二の官立学校の試験を、いつも失敗して、今通っている学校は、学課の程度が低く、卒業生の成績や気受けもかんばしい方ではなかった。磯野はそこへ学籍を置きながら、月々の学費を取り寄せていた。
 叔父は四月の末ごろから海辺へ行っていた。前の会社の用事でもと行きつけた浦賀から、三浦三崎の方へ廻って、そこで病を養っていた。田舎から取って来た金も、会社の跡始末に消えてしまって、この家へ引き移って来た時も、かけてあった取り残しの無尽を安くって落したくらいであったので、病気になってからも思うような保養も出来なかった。母親の内職に出さした素人下宿も間数まかずが少く、まだ整ってもいなかった。
生身なまみの体はいつどんなことがあるか知れないで、それでわしが言わないことじゃなかった。いい加減に締っておくだったい。」と、母親は弟にうらみを言った。
 叔父は立つ間際まで、お照を傍から離さなかった。寝衣ねまきに重ねた白地の単衣ひとえがじっとり偸汗ねあせに黄ばんで蒲団をまくると熱くさい息がむれているくらいであったが、痩せ我慢の強いお照は平気で叔父のところへ寄って行った。一緒に食べ物に箸を突っ込んだり、一つ湯呑ゆのみで茶を呑んだりした。
「厭ねお照さんは。あんな中へ入って行くと、伝染しますよ。」と、お庄は蔭でまゆひそめた。
「大丈夫よ。私の体には病気が移りゃしませんよ。」と、お照は黄色い、かさかさした顔に寝白粉を塗って、色のせた紡績織りの寝衣に、派手な仕扱しごきなどを締めながら、火鉢の傍に立て膝をして寝しなに莨をっていた。
「移るものなら、もうとっくに移っていますよ。今から用心したって追っつきゃしない。」お庄はとんがったようなその顔を、まじまじ眺めていた。
「めったに移る案じはないけれどね。」と、母親も、傍で茶を呑みながら言った。
「それに叔父さんのはせきたんも出ないもんだで、まだそれほど悪いのじゃないとも思うがな。」
「それがなお悪いのですよ。」お庄は打ち消した。
「どうしてあんな病気が出たものかな。家にゃ肺病の筋はなかったがな。」
「いいえお女郎から伝染うつるといいますよ。お女郎にゃ随分あるんですって。」
 酒や女にふけっていた弟のだらしのない生活が、母親の胸におもかえされた。
「あれでつきでもしたらどうするだか。」
「いいですよ。叔父さんだって可哀そうじゃありませんか。私きっと叔父さんを見達みとどけてあげますよ。」お照は痩せこけた手で、豆ランプに火をけると、やがてずるずるした風をして、段梯子を上って行った。
「田舎へ帰れアあれでもちゃんとした家の娘でいられるに。」母親は後で呟いた。
 自棄やけになったようなこの女の心持が、母親には呑み込めなかった。

     五十九

 島田髷しまだまげ平打ひらうちをさして、こてこて白粉や紅を塗って、瘟気いきれのする人込みのなかを歩いているお庄のみだらなような顔が、明るいところへ出ると、はじらわしげにあからんだ。薬師裏を脱けた広場には、もう夏菊の株などが拡げられてあった。
 帰りに暗い路次のなかの家へ入って、衝立ついたての蔭で一緒に麦とろなどを喰べた。酒も取って飲んだ。そこを出たとき、お庄は紅い顔をしていた。
阿母おっかさんも行くなら行っておいでなさいよ。たまにゃ外へも出て見るといいのよ。」お庄は家へ帰って行くと、今やっと行水から上ったばかりの母親を促した。母親はにやにやした顔で二人を見迎えたが、女中と一緒に買物がてらお庄から金を渡されて出て行くまでには、大分暇がかかった。
 中江という医学生のところへよく遊びに来る、お増という女が二階から降りて来ると、二人のなかへ割り込んで、辻占入つじうらいりの細かい塩煎餅しおせんべいつまみながら、間借りをしている自分の宿やここへ出入りする男の品評などを始めた。この女はもう二十六、七であった。縁づいていた田舎医師の家で不都合なことがあって、子供のあるなかを暇を出されてから、東京へ来て長い間まごついていたことを、お庄も中江などから聞いて知っていた。「お前のような女には手切れの金より着物の方が身について安全だろう。」と言って、その良人から拵えてもらった支度がくなった時分には、もういろいろの男を亭主に持って来たことを、女の口からもたびたび聞かされた。女はしみじみした調子で亭主運の悪いことをよくこぼした。行き詰って、田舎の医師の家へまたを入れに行ったとき、しゅうとめ頑張がんばっていて、近所に取っていた宿から幾度逢いに行っても逢うことが出来なかった。女は夜更けてから梯子をさして、そっと二階のあるじの部屋の戸をたたいたが、やはり入ることが出来ずに、外から悪体をいて帰って来た。
「私あんなくやしかったことはありゃしませんよ。」と、女は目に涙をにじませて、自分と自分の興味にふけりながら話していた。
「まあ聞いて下さいよお庄ちゃん――。」と、女は今度の試験を、長く一緒にいる男がまた取り外してしまったことを零しはじめた。
「あんなに私が一生懸命になって、図書館に通わしてやっても、駄目なものはやはり駄目なんでしょうかね。これからまた一年、毎日毎日お弁当を拵えてやらなけアならないのかと思うと、私うんざりしちまいますよ。」お増は磯野に莨を吸いつけてやりながら、哀れな声で言った。
「今度私磯野さんに芝居をおごって頂きましょう。ねえお庄ちゃんいいでしょう。」お増は帰りがけに、甘い調子で磯野に強請ねだった。
「あの人は芝居がどのくらい好きだか――。」と、お庄は後で磯野に話した。
「芳村さんには煮豆ばかり食べさしておいて、暇さえあると自分は芝居へ行ってるの。」
「ふとすると家の中江に乗り換えようとしているんかも知れないね。若い人から絞るという話もあるぜ。」と、磯野は笑った。
「そうでもしなくちゃ、芝居道楽が出来ないでしょう。」
 磯野がお庄の詰めてくれた弁当を持って、朝おそく、学校へ出て行った。
 お庄は磯野の出たあとの部屋を自身綺麗に取り片着けながら、磯野の蒲団のうえに坐って、時計のオルゴルを鳴らして見たりした。
 お庄は机の抽斗ひきだしを開けて見た。抽斗からは、コスメチックや香水のような物が出た。写真や手紙なども出た。手紙のなかには磯野がよく行ったことのある小塚から来たらしいのもあった。お庄はそれを読みながら、はげしい耳鳴りを感じた。舌も乾くようであった。
 昼過ぎに、軽い夏の雨が降って来た。お庄は着物を着替えて、蝙蝠傘こうもりがさを持って学校まで出かけて行った。そして路傍みちわきの柳蔭にたたずんで、磯野の出て来るのを待っていた。

     六十

 盆時分に問屋の決算をしに出て来て小網町の方に宿を取っていた兄が帰る時、磯野も一緒に田舎へ行くことになった。磯野が兄の取引き先から二十円三十円と時借りをした金の額の少くないことが、その時すっかり解った。お庄のところへ来たてに磯野はそんな金で、軟かい着物を拵えたり、持物を買ったりして景気づいていたが、湯島界隈かいわいの料理屋にもちょいちょい昵近ちかづきの女があった。お庄と一緒に歩いている時、磯野はみちで知った女に逢うと、こっちから声をかけて、お庄をそっち退けに、片蔭でひそひそ話をすることがたびたびあった。
「あれには僕が少し義理の悪い借金もある。いつか芸者の祝儀を立て替えさしてそれッ放しさ。」と、磯野は何か思い出したような顔をして、またお庄と一緒に歩いた。
 磯野がいろいろの女を知っていることが、お庄にも解って来た。
 部屋で机のなかから写真を出して見ていると、磯野は手切れまで取られて別れた一年前の女をまた憶い出した。そしてお庄の見ている傍で急に思い着いて手紙を書きはじめた。
「厭な人ね。」と、お庄は机の端に両肱りょうひじをついて目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはっていたが、いきなり手を伸ばして巻紙を引ったくった。
「何大丈夫だよ。どうしているかちょっと訊いて見るだけだ。」磯野はお庄をなだめておいてまた手紙を書きはじめる。
 半分ほど書くと、お庄はまたべったり墨を塗った。
 女は手紙で呼び出されて、それから三度ばかり遊びに来た。二度目には自家うちで拵えた紙入れなどをお庄へ土産みやげに持って来てくれて、二階で二、三時間ばかり遊んで帰って行った。女の父親は袋物の職人で、家は新右衛門町の裏店うらだなにあった。磯野の郷里の町へ旅芸者に出ていた時分からの馴染なじみで、土地でしばらく一緒に暮したこともある。女は亡くなった磯野の父親の気に入りで、町でも評判のよい素人くさい芸者であった。
 磯野はその女を一、二度引っ張りまわすと、またふっつりと忘れてしまった。
 亡くなった叔母の弟が田舎へ帰省するときお庄はその男と約束しておいて、自分で路費を少しばかり拵えて、叔父にも母親にもかくして、磯野の田舎へ遊びに行った。叔父は海辺から帰って、また家にぶらぶらしていた。病気が快くなったとも思えなかったが、いくらか肉づきもよくなっていたし、色沢いろつやも出て元気づいていた。叔父は自分では肺尖加答児はいせんカタルだと称していた。
 狭い田舎の町では、お庄は姿なりが人の目に立って、長くもいられなかった。磯野とも一度鰻屋うなぎやで二人一緒に飯を食ったきりで、三日目の午後には、もう利根川とねがわの危い舟橋を渡って、独りで熊谷くまがやから汽車に乗った。
 停車場で買った五加棒ごかぼうなどを土産に持って、お庄はその夕方に家へ帰った。
 帰って来たことが知れると、湯島の伯母がすぐにやって来た。
「お前まあ何てことをするだえ。」と、伯母は前から感づいていたお庄の不乱次ふしだらを言い立てた。
「田舎へでも知れて見ない。それこそ親類のいい顔汚かおよごしだぞえ。」
 叔父は傍に黙っていた。
「お安さあも、年中傍についていて、何をしているだい。」伯母は母親にも当り散らした。
 叔父と伯母とのあいだに、お庄を片着けるような家の詮索せんさくが始まった。伯母はその男との関係があまりもつれて来ないうちに早くお庄の体を始末をしなければならぬことを主張した。
「やっぱり田舎がいいらと思うが――。」

     六十一

 お庄を田舎へ片着けるという話が、本家の従兄いとこの出て来た時伯母の口からまた言い出された。
 叔父の知合いで、本家と同じ村から出た男に勧められて、石川島のすたれ株をうんと背負い込んだ従兄は、そのころ悩まされていた神経痛の療治かたがた株の配当を受け取りに出て来ていたが、そんな株に何の値打ちもないことが知れて来ると、急に落胆がっかりして毎日の病院通いも張合いが脱け、せなかや腕にぴったり板を結び着けられた自由の利かぬ体を、二階の空間に蒲団をかぶって寝てばかりいた。
 株をすすめられた時、のぼせがちの従兄が親類の誰某たれそれ仲違なかたがいまでして、二度も三度も田地を抵当に入れて、銀行から金を借りた事情を、母親も伝え聞いて知っていた。これまでに村の大火の火元をしたり、多勢の妹を片着けたりして、ようやく左前になりかけていた身上しんしょうを、従兄は盛り返そうとして気をあせった。お庄母子兄弟のことも始終気にかけていた。
 峠を一つ越して十里ばかりかけ離れた親類の家に、ちょうどお庄の片着くような家が一軒あった。従兄はその家のことを話して母子の心持を確かめようとした。
 そこには家着きの娘に養子が貰ってあったが、この春その娘が死んだということや、病気は肺病だという評判もあったが、実際はそんな悪い病気でもなかったらしいということや、昔からの親類関係、人柄財産の高なども、従兄は詳しく話して聞かした。
「どうだお庄さん、行く気はないかい。」
 従兄はお庄親子と三人顔を突き合わしている時笑いながら言った。
「叔父さんの病気も、あの様子じゃどうも面白くないようだし、こうしていちゃだんだんつまって来るばかりだで、少しでも物のあるうち片着いた方がよかないかい。」
 お庄はただ笑っていた。東京から離れるということを考えるだけでも厭な気がした。肺病で死んだ娘の後へ坐るのも薄気味が悪かった。磯野の産れ故郷で見せつけられて来たような百姓家で一生を送る人のみじめさが、想いやられた。その町では、宿へ呼んでもらうような髪結一人なかった。
「どういうものだかね。」と、母親もお庄を手放したくはなかった。
「東京に育ったものには、百姓家にとても辛抱が出来まいらと思うが――。」
「百姓家だって、野良のら仕事をするようなこともないで。」
「それでも、やれ田の草取りだことの、やれ植えつけだことの、養蚕だことのと言って、ずぶ働かないでいるわけにも行かないでね。」
「そんなことくらい何でもないじゃないか。気に苦労がないだけでもいい。またあのくらいよく出来た養子もないものせえ。働くことも働くし姑も大事にする。」
 母親もお庄も、を張って断わることも出来ないと思った。
 お庄は日が暮れると、天神下にある磯野の叔父の家へ、時々訪ねて行った。以前はかなりの船持ちであったという磯野の叔父はもと妾であった女と一緒に、そのころそこに逼塞ひっそくしていた。下谷でっていた待合もつぶれて、人手に渡ってから、することもなく暮していた。
 お庄は夏の末に、また出て行くと言った磯野のことばを想い出しては、この叔父から、田舎の消息を聞き出そうとした。

     六十二

 お庄と母親とが障子張りをやっていると、そこへお増も来て手伝った。
 免状を取ると一緒になるはずの芳村が、学資の継続問題で、秋の末に郷里へ帰ってから、お増は始終ここへ入り浸っていた。四つも五つも年上のこの女に附きまとわれるのをうるさがって、二階にいた中江という書生も、そのころはどこへか引っ越して行方ゆくえが知れなかった。
 お増はお庄と一緒に、茶の間で障子を張りながら、自分の身の上のたよりないことを話した。お増は自分の親を知らなかった。浜町のある遊び人の家で育ったことだけは解っているが、そのほかのことは何にも知れていなかった。ようやく小学校を出た時分から男とと関係して、田舎の医師いしゃのところへ縁づく前には、ある薪炭商しんたんしょうの隠居の世話になっていた。
真実ほんとうに私ほど苦労したものはありませんよ。」と、お増は粗雑ぞんざいな障子の張り方をしながら、自分のことばかり語った。
「これで芳村がまた駄目となれア、私だって考えまさね。」
 お庄も母親も人のこととばかり聞き流してもいられなかった。
 奥では磯野が叔父と碁を打っていた。磯野がまた東京へ出て来たのは十一月の初旬で、お庄は叔父や母親に隠れて、時々叔父の家で逢っていた。問屋の方をすっかり封ぜられた磯野は、前のように外を遊びるいていてばかりもいられなかった。碁敵ごがたきや話し相手にかつえている叔父も、磯野の寄りついて来るのを、結句よろこんでいた。医師いしゃの糾や繁三が来ると、すぐに石を消毒して、済んだあとでもまた自分の手を注意深く消毒するのが気にくわなかったが、それすら今はあまり相手をしてくれなくなった。
 障子張りが一ト片着き片着いてから、みんなは一緒に晩飯を食べた。お増は芳村のいない宿の部屋へ帰って、昨日から持越しの冷たい飯を独りで食べる気がしなかった。
「話を聞いてみれば、あの人だって可哀そうですよ、寄りつくところがないんですからね。」と、お庄は後でお増のことを噂した。
「一生懸命芳村さんにかじりついていたって、その芳村さんがどうなるか知れやしない。」
 お庄はそう言いながら、奥の箪笥のうえに置かれた鏡の前に立って、髪を直していた。磯野とお増と三人で、晩に寄席に行く相談が、飯の時取り決められてあった。磯野はお増に寄席を強請ねだられると、そのつもりで、飯が済んでからお増と一緒に、一旦帰って行った。
 お庄は顔も化粧つくり、着物も着替えて待っていたが、時計が七時を打っても八時を打っても誰も来なかった。お庄はじっとして落ち着いていられなかった。
 軒の外へ出て見ると、雨がしぶりしぶりと降り出している。お庄は出たり入ったりしていたが、待ちきれなくなって、かさを持ち出して、つい近所のお増の宿の前まで様子を見に行った。
 お増の宿は、その番地の差配をしている家の奥の方の離房はなれで、黒板塀くろいたべいの切り戸を押すと、狭い庭からその縁側へ上るようになっている。お庄はその切り戸の節穴から、そっと裏をのぞいてみると、離房はなれの方の板戸は、ぴったり締っていて、中に人気ひとけもしなかった。お庄は急いで天神の通りの方へ出て行った。
 磯野の叔父の家では、やっと飯を済ましたところであった。叔父は茶のの火鉢のところに胡坐あぐらを組んで、眼鏡をかけて新聞を見ていた。
 お庄はあががまちのところに膝を突いて、奥の方を覗き込んだが、磯野は三時ごろにぶらりと出て行ったきり、まだ帰っていなかった。
「私アまた庄ちゃんのとこだと思ったら、そいつアおかしいね。」叔父はそう言いながら、また新聞に目を移した。
 寄席へ入って行くと、目をきょろきょろさせながら、四下あたりを見廻しているお庄のすぐ目の前に、磯野とお増がれしげに肩を並べて坐っていた。

     六十三

 お庄はそのなかへ割り込んで行くことも出来なかったが、そのままそこを出る気にもなれなかった。幾度も声をかけようとしたが、咽喉のどかわきついているようで、声も出なかった。高座からは調子はずれの三味線の音ばかり耳について、二人並んだ芸人の顔なぞは、目にも入らなかった。二人は時々顔を見合って話をしていた。お庄はそのたびに胸がいらいらした。いつか番傘を借りて行ってから顔を覚えられてしまった、近所の折を拵える家の子息むすこだというあごの長い中売りの男が、姿を見つけて茶を持って来ながら、
「お連れさんがそこへ来ていらっしゃいやすよ。」と言ってその顎をしゃくった。その時にお増が後を振りかえった。磯野も振り顧った。
 お庄は明けてくれた磯野の右側の方へ座を移した。
「人を出し抜いたり何かして随分ね。私を誘うという約束だったじゃありませんか。」と、少しきついような調子で言った。
 この前にも夜天神を散歩している時、お増は浮いた調子で磯野に歌をうたって聞かせたり、暗いところをしなれかかるようにして歩いていた。その時は男にびることに慣れている厭味なこの女のそうした癖だと思って見て見ぬ振りをしていたが、そうとばかりに澄ましていられなくなった。
「そういうわけじゃないのよお庄ちゃん。」とお増は小さい可愛い手頭てさきに摘んだ巻莨などをふかして、「誘おうと思ったけれど、もう時間も遅かったしきっとお庄ちゃんが先へ来ているだろうと思ったのよ。決して出し抜いたわけじゃないんですから、どうぞ悪しからずね。」
 御簾みすがおりてからも、二人はしばらくそんなことを言い合った。
「まあいいじゃないか。おれが悪かったんだから。」と、磯野は制した。
 お庄は世間摺れのした年上の女に、そう突っかかって行くことも出来なかった。二人だけのおり、後で磯野に話をすれば筋道の解ることだとも思った。
 三人はもう落ち着いて高座へ耳を澄ましてもいられなかった。お庄は始終磯野に話しかけるお増の様子に気を配ることを怠らなかった。お庄を傍につけておいて、時々なぞのようなことを言い合っている二人の素振りには、ずうずうしいようなところがあった。
 中入り前に寄席を出ると、その足で蕎麦屋そばやへ入って、それから寒い通りをもつれ合って歩いていた。蕎麦屋を出る時には、お庄の心も多少落ち着いていた。
「私のようなものでも、どうぞ姉と思って交際つきあって頂戴ね。磯野さんにも、芳村の弟のつもりで、これから力になっていただくことに私お願いしたんですからね。」と、お増は猪口ちょくを差しながらお庄に話しかけた。なにかにつけて源之助の仮声こわいろぶりをるその調子が、お庄の耳にはめつかれるようであった。
 帰りに磯野もお庄もお増の宿へ寄ることになった。六畳ばかりのその部屋はきちんと片着いていた。先刻さっき出て行ったままに、鏡立てなどが更紗さらさきれけた芳村の小机の側に置かれて、女の脱棄てが、外から帰るとすぐ暖まれるように余熱ほとぼりのする土の安火あんかにかけてあった。
「私冷え性なものですから、安火がなくちゃどうしても寝つかれないの。」と、お増は中へ手をし入れて、火をほじくった。そしてそこから小さい火種を持ち出して、火鉢に火をおこしはじめた。長いあいだ慣らされて来たこの夫婦の切り詰めた世帯が、炭のぎ方にも思いやられた。田舎からの細い仕送りで、やっと図書館通いをしている芳村が、三度の食事を切り詰めても、傍に女がいなくては、一日も本を読んでいられないということを、お庄はお増から聞いて知っていた。
 口をつぼめて火を吹いている、ぎわの詰ったお増のけた顔を横から眺めながら、お庄は毎日弁当を持って図書館へ通っていた芳村の低い音声や、物優しい蒼い顔を想い出していた。脚気かっけで悩んでいる時も、お増は男を低い自分の肩に寄りかからせながら、それでも図書館通いを続けさせていた。

     六十四

 三人で安火に当っているうちに、磯野は腹が痛むと言い出して、そこへ突っ伏した。お増は押入れから自分の着物を出して来て、せなかけたり、火鉢の抽斗ひきだしから売薬を捜して飲ませたりしたが、磯野の腹痛は止まなかった。
「いけないわね。」と、お増は独りで気をみながら、枕など持ち出して来て、
「気味が悪いでしょうけれども、少しそこにおっていらっしゃいよ。」
「あまりおそくならないうちに、お庄ちゃんは一足先へお帰り。叔父さんが心配するといけませんよ。」と、大分経ってから、安火に逆上のぼせたようなあかい顔をあげながら磯野はいいつけるように言った。
「僕も少し治まったら、すぐ後から行って、叔父さんにお庄ちゃんを引っ張り出したおびをするからね。」
 お庄は二人の様子を見て見ぬ振りをして黙っていた。
「心配しなくたっていいのよお庄ちゃん。」と、お増も言い出した。
「磯野さんは私がきっとお預かりしてよ。家で病気が出たのですから、このまま帰しちゃ私も心持が悪いわ。」
「……大変ですね。」と、お庄は少し笑いつけるような調子で、「私そんなに心配なぞしやしませんよ。」
 お庄は途中まで出て行ったが、やっぱりその部屋のことが気にかかった。家へ帰ると、母親が一人火鉢のところに坐っていた。お庄はその側に寄って行くと、叔父のと決まっている座蒲団を側へ退けて坐りながら、不興気に火を掻き廻していた。自分独りでは口上手のお増と喧嘩けんかをすることも出来なかった。磯野の気心も解らなかった。
「また喧嘩でもして来たろうえ。」と、母親は何を言いかけても、お庄がつんけんしているので、腹のなかでそうも思った。これまでにも、お庄は磯野とよく言合いをした。天神下の叔父の家で、友達と一所に酒を飲んで、それから一同みんな遊びに出かけようとしているところへ行き合わせた時も、外へ出てから雨のなかで喧嘩を始めて、傘で腕をたれたりした。女を引っ張り込んでいるところへ踏み込んで行ったこともあった。
 お庄は押入れから夜具を卸していながら、ぴしゃんとてつけた戸と柱の間へ挟んだ指をなめながら、「おた。」と大げさな声を立てて突っ立っていた。母親が戸締りをしてからそこへ寄って来た。
「外で気に喰わないことがあって、家でそうぷりぷりするものじゃないよ。手がどうかなたかえ。舐めてやろうかい。」と笑った。
「阿母さんに舐めてもらったってしようがないわ。」と、お庄はつぶやきながら、やっぱり突っ立っていた。胸がむしゃむしゃして、そのまま床に就く気もしなかった。
 てからも、お庄は始終外を通る人の跫音あしおとに気をいらいらさせた。
 翌朝床を離れて手洗ちょうずをすますと、お庄は急いで、お増の宿まで行って見たが、切り戸はまだ締っていた。隙間から覗くと、靴脱くつぬぎの上にあった下駄も取り込んだらしく、板戸もぴったり締って、日当りの悪い庭の、立枯れの鉢植えの菊などが目についた。差配の方の格子戸もまだ開かなかった。お庄はしばらくそこを彷徨ぶらぶらしていた。
 昼少し前に、お庄が台所で飯の支度をしているところへ、磯野はぶらりとやって来た。そして奥で叔父や母親に調子を合わせて、何やら話し込んでいた。お庄はその顔を一目見たきりで口を利くことも出来なかった。
 飯の支度の出来た時分に、磯野は母親の止めるのも聞かずに、そわそわした風で帰って行った。
 お庄は目に涙をにじませながら、台所の方から出て来ると、「昨夜ゆうべのことどうしたんです。」と出口で外套がいとうを着かけている磯野に声かけた。
「どうもしやしないよ。」と、磯野はにやにや笑いながら、「後で遊びにおいで」と言って出て行った。

     六十五

 田舎にいる芳村のもとへ、友達がそっと電報を打ってやった時分には、磯野は公然おおぴらにお増の部屋に入り込んでいた。
 糺や芳村の友達仲間に後援あとおしをされて、ある晩お庄が磯野を連れ出しに行った時、お増はちょうど餅を切っていた。磯野も褞袍どてらなどを着込んで、火鉢の前に構え込んでいた。その前にも、お庄は天神の年の市に二人一緒に歩いているところを人中で見つけて、一度お増に突っかかって行った。
「あなたも何か悪いことがあるから、家へ寄っ着かないんでしょう。私ちゃんと知っていますよ。随分ひどい人ね。」とお庄は暗いところで、磯野に厭味を言ってからお増をなじった。
「お庄ちゃん、あなたにはすまないが、お察しの通りよ。」とお増は磯野を庇護かばうようにして落ち着きはらっていた。
「こうなれば、意地にも磯野さんは私が一緒になって見せますよ。お気の毒ですけれど、まあそう思ってもらいましょうよ。」お増は仮声こわいろのような調子で言った。
「しかたがないから磯野さんも、お庄ちゃんにきっぱりした挨拶をして下さい。」
「そんなことを言うもんじゃないよ。ここで逢ったんだから、とにかく一緒に歩こう。」と、磯野は二人を明るい方へ連れ出して行った。
 それからも逢って、話をするような折もなかった。
 お庄は夜になると、よく一人で家を脱け出して、お増の部屋の切り戸の外に立ち尽していた。
「お前が騒ぐからなおいけない。」と、母親はたしなめたが、お庄はそっとしておけなかった。
 糺や芳村の友達が集まって、そんな相談をしている時も、叔父は棄ておく方がいいと言って、傍で笑っていたが、一同はお庄を連れて押しかけて行った。
「誰の許しであなたは人の家へなんか入って来ました。家宅侵入罪ですよ。」と、お増はこわい目をして、磯野を外へ連れ出すつもりで、独りで入り込んで行ったお庄をめつけながら呶鳴どなった。
「いいじゃありませんか。私は磯野さんに用事があって来たんですから。あなたこそ誰に断わって磯野さんなどをこんなところへ引っ張り込んでいるんです。」
「引っ張り込もうとどうしようと私の勝手ですよ。そのために、あなたにもお断わりしたんじゃありませんか。」
「いいえ、私はまだ磯野の口から、一言も断わりを言われたことはありません。あなただって、芳村さんという人があるじゃありませんか、あんまりずうずうしいことをなさると私がいいつけてやるからいい。」
「ええいいんですとも。芳村が帰って来たって、私逃げも隠れもするじゃありません。よけいな心配などして頂かなくとも、私が綺麗に話をつけて別れますよ。はばかりながら、そんな意気地のないお増じゃありませんよ。」
 二女ふたりは長い間、すごい勢いで言い合った。傍で制する磯野のことばも耳に入らなかった。
「あなたになぞ係り合っていませんよ。」と、お庄はしまいに磯野の方へ向いて、
「磯野さん、ちょっとそこまで私と一緒に来て頂戴。」
「お気の毒ですが行きゃしませんよ。磯野は私の良人おっとです。」
 お庄は糺や友達に呼び出されて、そのまま引き取った。田舎から出て来た芳村は、上野へ着くとすぐその足でお庄の家へやって来た。友達からの報知しらせを受け取った時、芳村は何のこととも想像がつかなかったが、すぐ宿へ乗り込むのは不得策だということだけは、電文にも書き入れてあった。
 一同みんなから事情を聞いてから、芳村は自分の宿へ帰って行った。

     六十六

 その晩芳村は行ききりであったが、お増と綺麗に手を切ったことは、翌朝芳村が友達のところへやって来てから、やっと解った。そのことを話しに二人はお庄のところへもやって来た。
 芳村は旅の疲労つかれやら、昨夜ゆうべの騒ぎやらでめっきり顔にやつれが見えた。今朝友達の宿で飲んだ酒の気もまだ残っていた。
「それにしても可哀そうな女です。あれ自身も思い設けない結果になってしまって――。」と、芳村はまだ女の心持をあわれんでいた。
「それにしても随分ずうずうしいやね。」と、友達は芳村から聞いた昨夜ゆうべの事情を、お庄や母親の前で話した。磯野とお増とが、芳村の顔を見ると、いきなり二人がそうなった動機を話して、芳村にも同情してくれろと言ったことや、お増が部屋にあったいろいろの世帯道具や夜の物、行李こうりのなかの芳村の持物までを強請ねだって、おおかたさらって行ったことなどが、憎さげに話し出された。
「それで磯野と一緒に出て行ったんですか。」と、お庄はあの部屋を出て行った二人の様子を心に描いた。
「それでも出て行くとなれば、あまりいい心持はしなかったろうがね。」と母親も傍から口を利いた。
「今度こそは、意地にも添い通して見せるなんて言って出ては行きましたがね、長持ちがするかどうかは疑問ですよ。」と言って、淋しく笑っている芳村の顔では、女がまた自分の懐にかえって来る時が、きっとあるものと信じているらしかった。
「どうせ一人を守っちゃいられない女なんだからね。」友達が言った。
「そうなんでしょうね。あの人は私の聞いているだけでも、随分いろいろの人を知っていましたからね。」と、お庄も芳村の心をもどかしく思った。
 二階に寝ていた叔父が起きて来てから、芳村は昨夜ゆうべあずけておいた鞄を提げ出して、やがて友達と一緒に帰って行った。叔父は淋しい朝飯の膳に向いながら、母子おやこがしている磯野らの噂に耳をかしげていた。
「お庄も、築地にいる時分にどこかへ片着けておくだったい。」と、母親はお庄の厭がる弟の給仕をしながら、以前のことを思い出していた。運の向きかけて来てから、まだまだ前途があるように言っていた弟が、こんなにばたばたと息ついて来ようとは思わなかった。
 お庄はすることが手に着かなかった。縫直しに取りかかろうとしていた春着の襦袢じゅばんなども、染物屋から色揚げが届いたばかりで、この四、五日のどさくさ紛れに、まだ押入れへ突っ込んだままであった。ひとしきり自分の体に着くものと決まっていた数ある衣類も、叔父に言われて、世帯の足しに大方余所よそへ持ち出してしまった。磯野が時に工面くめんに行き詰ったおりおり、母親に秘密で、二人でそっと持ち出して行った品も少くなかった。今度磯野に逢ったら、せめてそれだけでも取り返す工夫をしなければならぬとも考えた。
 天神下の叔父の家の二階に潜伏しゃがんでいる磯野とお増のことが、時々思い出された。お庄は明りがつく時分になると、天神の境内から男坂の方へ降りて行った。どの町を歩いても、軒ごとに門松や輪飾りが綺麗に出来あがって、新しい春がもう来たようであった。羽子板を突いているわかい娘たちの顔にも待ち遠しい色があった。
 お庄は淋しい男坂を、また一人で登って来た。
「お庄も、ああしてうっちゃっておいちゃ悪いがな。」と、湯島の伯母が、蔭で気を揉んだ。

     六十七

 お庄が下谷したやの方のある眼鏡屋の子息むすこと見合いをさせられることになったのは、一月の末であった。その眼鏡屋を、湯島の伯母の家主が懇意にしていた。家主が以前下谷で瀬戸物屋をしていた時分からの知合いで、今茲ことし二十四になった子息むすこのこともよく解っていた。
 お庄は伯母の家で、時々この家主の家の娘と顔を合わして双方が知っていた。娘はもう三十歳さんじゅう余りで、出戻りであったが、瀬戸物屋をしまってから、湯島の方へ引っ越して来た。母子二人きりで質素に暮し、田舎へ小金を廻しなどしていた。五、六軒ある借家の家賃の額も少くなかった。娘は名の聞えた呑んだくれの洋画家に縁づいていたが、父親が死ぬ前に、病気の見舞いに来ていて、父の遺言でそれきり帰らずじまいになっていた。
 伯母とこの家とは、大屋と店子たなことの関係以上の親しみがあった。瀬戸物屋などしている時分から界隈かいわいに美人の評判が高かったその娘は、糺を弟のように可愛がっていた。
「東京で開業なさるなら、資本ぐらいは家でどうにかしますよ。」と、その娘は伯母の前にも公然おおぴらに言っていた。
 糺が田舎の身内続きのある医者の家を継がなければならぬことになってからも、この交際は続いていた。そのころには、画家から籍を取りかえされて、娘に養子が迎えられた。
 この女が、母子おやこと一所にあり余る財産を持っていながら、いつも着物らしい着物を引っ張っていたこともなく、顔には白粉一つ塗らずに、克明な姿なりをして、家賃を取り立てて歩いているのがお庄には不思議なようであった。なまけものの美術家に縁づいて、若い盛りをいやな借金取りのいいわけに過して来た話を、お庄は時々この女の口から聞かされた。
 この家へ、糺や繁三と一緒に、正月カルタを取りに行った時、女はしみじみした調子でお庄に縁談を勧めた。 
「どこか堅いところへ速くお片着きなさい。やっぱり商売屋がいいんですよ。商いは何といってもつよござんすからね。」
 女は父親の死ぬ間際に、質に入っている着物が出せなくて、見舞いに来ることも出来ずにいた時の切なかったことなどを、また新しく語りだした。昼間うるさく借金取りに襲われる画家は、夜戸締りをしてから、やっと落ち着いて画板に向うことが出来た。幾晩もかかってその絵が出来揚ってから、久しぶりでようやく父親を見舞ったころには、病勢がもうよほど進んでいた。女の体は、それきり実家に押えられてしまった。
 眼鏡屋の話は、その晩も母子の口から言い出された。そこはかなりに古い店で、財産と言うほどのものもないけれど、子息むすこは小さい時から大事にして育ててあったから、世間摺れのしているようなこともないし、母親は少しは芸事なども出来て、気爽きさくな女だから、そんなに窮屈な家ではなかろうということであった。
 磯野との関係を深くも知らないこの母子の前で、お庄は応答うけこたえのしようもなかった。まとまって何一つしつけられたことのない体で、そんな母子のなかへ入って、日が暮せそうにも思えなかった。
 その子息むすこが、遊びに来ている時、お庄は迎えを受けて、湯島の伯母に連れられてしょうことなしに出て行った。
「あらたまった姿なりをして行くには及ばんで、羽織でも一枚上へ引っけて……。」と、母親と二人、支度でごたごたしている奥の方へ伯母が声をかけた。
 子息むすこは茶のの火鉢のところに坐って、老母としよりと茶を呑んでいた。で肩の男の後姿が、上り口の障子の腰硝子から覗くお庄の目についた。同時に振り顧った男ののっぺりした色白の細面ほそおもても、ちらと目に入った。
 裏口の方へ廻されたが、お庄はそこからも入り得ずにやがて逃げて帰った。

     六十八

 春の末に郊外のある町へ片づいて行くまで、お庄は家にぶらぶらしていた。
 その町は飯田町いいだまちから汽車で行って、一時間ばかりの道程みちのりであった。家は古い料理屋で、東京から西新井にしあらいの薬師やお祖師様へ参詣さんけいする人たちの立ち寄って飲食する場所であったが、土地の客も少くなかった。中野の方の電信隊へ勤める将校連も、時々来ては騒いだ。
 四ツ谷に縁づいている父方の従姉あねの家へ出入りしている男が、その家をよく知っていたところから、大蔵省へ出ている従姉あねの良人と叔父との間にそんな話が纏まることになった。
 それまでに、お庄は二度も三度も四ツ谷の従姉あねの家へ遊びにやらされた。従姉あねの家とは長いあいだ打ち絶えていた。互に居所も知らずにいたのが、この三月ごろ田舎から出て来た人の口から、ふとその消息を聴くことが出来た。古いころの早稲田を出たというその良人の浅山は、ある会社の外国支店長をしている自分の姉の添合つれあいの家宅やしきの門内にある小さい家に住まっていた。家には、幼い時に二度逢ったきりで、顔も覚えていない従姉あねの母親も一緒にいた。
 媒介人なこうどはそこでお庄を見てから、思いついて双方へ口を利くことになった。
 先方の家の母親だという、四十四、五の女が、媒介人なこうどと一緒にお庄を見に来たとき、お庄は浅山の晩酌の世話をしていた。しもの病気で始終悩まされていた従姉あねは、頭が痛むと言って奥でせっていた。
 むかし品川で芸者をしていたとかいうその母親は、体の小肥ぶとりに肥った、目容めつき愛嬌あいきょうのある鼻の低い婆さんであった。半衿のかかった軟かい着物のうえに、小紋の羽織などを抜き衣紋えもんにして、浅山が差してくれる猪口を両手に受けなどして、お庄にもお愛想を言っていた。
 お庄も酒の酌をしながら、この婆さんの気質を知ろうとして、時々顔色を見ていた。
「家は別にむずかしいことはございません。お爺さんはもうごく気のいい人ですし、私もこれっきりの人間なのですから、ただ子息むすこのお守りをしてもらいさえすればそれでいいのです。」と、母親は帰りがけに、ずっと打ちけたような調子で、猪口を浅山にさしながら言った。
 少年のような顔をした浅山は、ぐずりぐずりした調子で、媒介人なこうどとこの婆さんとを相手に、ちびちびいつまでも後を引いていた。そして時々お庄の失笑ふきだすような笑談口じょうだんぐちを利いた。お庄は奥の方へ逃げ込んで行った。
 母親の話では、嫁がうまく落ち着いてくれて、銭遣いの荒い子息むすこがそれで締ってくれさえすれば、自分ら夫婦は早晩商売を若夫婦に譲り渡して、この春建てた裏の離房はなれへ別居してしまいたいということであった。自分が来て世話を焼くようになってから、メキメキ商売が繁昌はんじょうするようになったという自慢話も出ていた。
 婆さんが媒介人なこうどと一緒に、いい機嫌で帰って行ってから、従姉あね鬱陶うっとうしい顔をして、茶のへ出て来た。浅山は手酌で、まだそこに飲んでいた。
「どうだお庄さん行って見るかね。おれのような安官員のところなぞへ行って、年中ぴいぴいしてるよりか、どのくらい気が利いているか知れないよ。」浅山は景気づいて言い出した。浅山がなにかにつけて、始終実姉あねの家の厄介やっかいになっていることは、お庄も従姉あね愚痴談ぐちばなしで知っていた。
「腰弁当こそ駄目よ。」と、従姉あねもそうけ立った頭髪あたまを押えながら呟いた。
「お庄の前祝いに、私も一つ頂きましょうかね。」と、酒ずきな伯母が傍から浅山に猪口を催促した。
 お庄は伯母にも愛想よく酌をしてやったが、まだそこまで気が進んでいなかった。

     六十九

 婚礼の日にも、お庄は母親と一緒に、昼間から従姉あねの家に行っていて、そこから媒介人なこうど夫婦と浅山夫婦とが附いて行くことになった。
 四ツ谷から汽車に乗ったのは、その日の夕暮れであった。線路沿いの濠端ほりばたには葉桜ばかりが残っていて、暗い客車の窓には若葉の影が流れた。お庄はもうそんな時節かと思って、初めてそこらを見廻した。先が急いでいたのに叔父の手もとが苦しく、持っている物も、その日の間に合わすことも出来なかった。じみな色合いの紋附の上に、衿の型の少し古くなったコートを着て、手に指環一つないのが心淋しかった。
 お庄は二、三日前に受け取った磯野の手紙のことなどを想い出していた。その手紙には磯野から折れてこの間のことを詫びた文句などが書いてあった。磯野が後悔していることは、その手紙でも解ったが、そんなことは他の女に対しても、これまでないことではなかった。お庄は体がせわしかったので、その返辞を書くひますらなかった。これぎり手紙のやり取りをする時がありそうにも思えなかった。
 停車場へ着くと、提灯ちょうちんを持った男が十人余り出迎えていた。法被はつぴを着た男や、しまの羽織に尻端折しりはしょりをして、靴をはいた男などがいた。中には羽織袴はおりはかまの人もあった。
「どうも御苦労さまで……。」という挨拶が、双方から取り交された。
 その家は停車場から五、六町も隔たった通りにあった。暗い町中にはところどころに人立ちがしていた。広い空地につどうている子守の哀れな声でうたうたの節が、胸に染みるようであった。お庄らの入って行ったところは、近ごろの普請と思われるとびらのある新しい門口で、そこをくぐると、木立ちを切りひらいて作ったような、まだ落着きのない山ばかりの庭を通って、橋廊下でつながれた一棟の建物の座敷の縁側へ出るように、飛び石が置いてあった。池の縁には松の葉蔭に燈籠とうろうの灯が見えなどした。
 お庄らの上って行った部屋は、六畳ばかりの小間こまであった。浅山も媒介人なこうども、インバネスを脱ぎ棄て、縁側から上って行くと、やがていろいろの人がそこへ顔を出した。老人としより夫婦もちょっと来て挨拶をして行った。
 店の方で、何やらごたごたしている様子が、こっちへも解った。お庄が女中に頼んで、そこへ鏡台を持って来てもらって、顔を直したり、衣紋を繕ったりしている間に、媒介人なこうどは二度も三度も、店の方へ呼ばれて行った。
「困ったな。」と、媒介人なこうどは部屋へかえってくると、入口でそっと浅山に耳打ちをした。一行が乗り込んで来る二、三時間前に、ぶらりと店頭みせさきから出て行ったきり、子息むすこの姿が見えないと言うのであった。
「どうしたというんだ。肝腎のお婿さんの行方が知れないなぞは少しおかしいね。」とチョッキの間ぬけて衿のひろいフロックを着けて坐り込んでいた浅山は、興のさめたような顔をして、薄い口髭くちひげひねっていた。
 頭の地の透き透きになった、色の黒い大柄の媒介人なこうどは、落着きのない顔をしかめてまた母屋もやの方へ渡って行った。
 二十二になる新婿にいむこが、床前とこまえに伏目がちに坐っている嫁の側へ押し据えられたのは大分経ってからであった。お庄はその顔を見ることすら出来なかったが、べろべろに酔っていることだけは、媒介人なこうどに引っ張られて入って来た時の様子でも解った。並みはずれに身長たけの詰ったじくじくした体や色の蒼白い細面なども、坐る時薄々目に入った。
 親戚たちの挨拶が長く続いた。
 燭台しょくだいの火が目にちらつくようで、見まいとしている婿の姿が、横からまた目に映った。
 さかずきの時、骨細い婿の手が、ぶるぶるふるえていた。

     七十

 翌朝お庄が目を覚ました時分は、屋内やうちがまだひっそりしていたが、立て廻した屏風びょうぶの外の日影はけていた。昨夜ゆうべ寝室ねま退けてからも、みんなはいつまでも騒いでいた。しまいにはお袋の三味線などが持ち出された。汽車の間に合わなくなって、東京へ帰れなかった連中もあった。意地の汚い浅山も酔い潰れて、次のみんなと一緒にごろ寝をすることになった。そんな人たちの疲れた寝息やいびきが、こっちまでも聞えた。
 子息むすこ芳太郎よしたろうは、蒲団の外へすべり出したまま、まだ深い眠りに沈んでいた。角刈りにした頭の地も綺麗で、顔立ちも優しい方であったが、手足の筋肉がこちこちと硬かった。時々板前をやると見えて、どこかなまぐさにおいのするのも胸につかえるようであった。お庄は明け方までおちおち眠ることが出来なかった。
 芳太郎の口から聞かされる家の様子の、お袋の話と違ったところのあることが、じきにお庄にも感づけた。盃をする間際まぎわに、近所の飲み屋で酒をあおっていたのも、みんな揶揄からかっていたように、きまりの悪いせいばかりとも思えなかった。芳太郎の父親が死んでから、父親の生きているうちに外妾めかけから後妻に直ったお袋が、引っ張り込んで来た今の親父を、始終不快に思っている芳太郎の心持も呑み込めた。親父には、牛込にいる女房も子もあった。実の父親がい出した芳太郎の母親は、長いあいだ田舎の方を流れ歩いて、今は消息も絶えていた。
「お前も、あの親父にいびられることくらいは覚悟していなくちゃ駄目だよ。」少し口がほぐれてきた時分に、芳太郎はそう言ってれしげに、酒くさい息をきかけた。
 お庄はそんなことを憶い出しながら急いで床を離れると、屏風の外で着物を着換えて部屋を出た。
 橋廊下から母屋もやの方の台所へ出て行くと、年増としまのとわかいのと、女中が二人で昨夜ゆうべの膳椀や皿小鉢の始末をしていた。筒袖つつそでに三尺を締めて、土間をいている男衆の姿も目に着いた。
 従姉あねが起きて来た時分には、母屋の方の座敷も綺麗に掃除が出来て、うららかな日影が畳のうえまで漂ういていた。床の間には、赤々した大きい花瓶に八重桜やえざくらが活けられて、庭のはずれのがけからはうぐいすの声などが聞えた。
 二人で縁端えんばたに坐っていると、女中が蒲団を持って来たり、朝茶や梅干うめぼしを運んだりした。
「花の時分は随分忙がしござんしたよ。小金井ももう駄目でしょうよ。」と、女中は茶をみながら、お庄の顔をじろじろ見た。
ねえさんはどこ……。」などと、従姉あねは珍しそうに女中の相手になって、離房はなれの普請を賞めなどした。
「私もこれからちょいちょい寄せてもらいましょう。こんなところで一日も遊ばしてもらえると、どんなに気が晴れ晴れするか知れやしない。」
「ええ、東京から皆さん随分いらッしゃいますよ。」
 媒介人なこうどや浅山の起き出した時分に、また迎え酒が始まった。昨夜ゆうべ店の方に構え込んでいて、あまり座敷へ顔出しをしなかった親父も、そこへ来て一緒に飲んだ。お庄は従姉あねと一緒に、離房はなれの方の二階座敷へ上って見たり、庭を逍遥ぶらついたりした。
 芳太郎のことが、従姉あねの口からいろいろたずねられた。
「この家でみんなに思わるれば、お庄さんも幸福しあわせだよ。婿さんは若くてうぶだし、物はあるしさ。」と、従姉あね手擦てすりにもたれていながらうらやましそうに言った。
 お庄は男の無作法さが腹立たしかった。「あまりそうでなさそうなの。家も随分ごたごたしているようですよ。」お庄はあからんだ顔に淋しく笑った。

     七十一

 躑躅つつじの時分に一度ここへ寄って、半日ばかり遊んで行った外神田の洋服屋だとかいう男が、どこかの帰りに友達を一人連れて来て、新建ちの方の座敷で、女中を相手に無駄口を利きながら酒を飲んでいた。そこへお庄も酌に出された。
 来た当座丸髷まるまげに結って、赤い手絡てがらなどをかけているのが、始終帳場に頑張っている親父の気に入らないことが、素振りでも解って来た。そんなことを口へ出して言うこともあった。
「こんな客商売をする家へ来たら、お前もちっと気を利かさなくちゃいけないよ。」
 お庄はお袋の指図で、浅草にいたころ挿したような黄楊つげくしなどを、前髪を広く取った島田髷の頭髪あたまに挿さされた。そして手の足りない時は、座敷へ出て客の相手をもしなければならなかった。
「あんたはここの家の何です。」と言って客にかれると、お庄はいつも曖昧あいまいな返事をして笑っているのが切なかった。お袋に教わった通りに、ここの養女だということが、慣れて来るまでは口へ出なかった。
 親父もお袋も、血を引いていない子息むすこの芳太郎のことをあまり気にかけてもいなかった。芳太郎の生みの母親が、いつかどこからか帰って来はしないかということも、始終気遣きづかわれた。この家を芳太郎に譲れば、自分たちはやがてここから逐い出されて行かなければならぬようなことがないとも限らぬと不安のある様子も、お庄の心に感じられて来た。
 お袋は土間へ降りてビールや正宗の空罎あきびんを、物置へしまい込んでいるお庄の側へ来て、
「こんな物は皆なお前にあげるよ。三月も溜めておいちゃ空罎屋へ売るんですがね、どうして大きいものですよ。お前はそのお鳥目あしを自分のものにしてけておおきよ。これまでは芳のもうけにしておいたけれど、あれにやったって皆な飲んでしまうから何にもなりゃしない。」と言って、薄暗い物置の中をのぞいていた。
 お袋は、これまでに骨折って、ちいさい芳太郎を育てて来ても、芳太郎の頭脳あたまにはまだ田舎にいる母親のことが、時々憶い出されているということや、今の親父と折合いの悪いことなどを言い出してこぼした。お袋の口ではこの界隈で顔利きの親父が、帳場にでも坐っていてくれなければ、一日もこんな商売がして行かれないということであった。
「それでお前さえ柔順おとなしく辛抱してくれれば、私は何でもして上げるよ。芳太郎が厭なら厭でもいいのさ。あれに身上をけて別家さして、お前に他から養子をしたっていいんですからね。」
 お庄は空罎の積みの前に立って、「え、え。」と言って聴いていたが、ぽつぽつ痘痕あばたのような穴のあるお袋の顔が、薄気味わるく眺められた。四、五日前に、親父がどこからか、延べの指環を一つ持って来てくれた時も、同じようなことを聴かされた。相談ずくで、自分を店の売り物にしようとしているような二人の心持が、ようやく見えて来たようにも思えた。
 洋服屋が前に来て騒いだ時も、お庄は着物など着替えさせられて、座敷へ出された。その男は酒に酔うと浮かれてうたなどうたい出した。そして帰りがけに、衣兜かくしから名刺を取り出して、お庄にくれた。名刺には高等洋服店何某なんのなにがしと記してあった。
 洋服屋は、今日もお袋にちやほやされて、養女のお庄を相手に騒いでいた。お庄は銚子ちょうしを持って母屋もやの方へ来たきり、しばらく顔出しをしずにいると、また呼び立てられて、離房はなれの方へ出て行った。
「お客さまの前へはあまり出さないことにしておりますものですから……。」と、お袋はお愛想を言いながら、入れ替りに部屋を出た。

     七十二

 暮れてから客が引き揚げて行くと、家が急に淋しくなった。お庄も強いられた酒の酔いがさめかかって来た。取り散らかった座敷を片着けている女中を手伝いがてら、二階へ上って手擦りにりかかっていると、裏の田圃たんぼき立てているかえるの声が耳について、頭脳あたまが掻き乱されるようであった。いつもそのころになると、お庄は東京を憶い出していた。
 ここへ来る少し前に、茨城の方から叔父のところへ長い手紙をよこしたお照のことなどが、思い浮べられた。叔父が悪い病気にかかってからも、一日も傍を離れなかったお照は、田舎から持って来た着物までなくして、しまいにやりきれなくなって、姿を隠してしまった。それが茨城まで流れて行ったことは、叔父も知らなかった。手紙には相変らず狂気きちがいじみた文句ばかり並べてあったが、何をして暮しているかということを考えると、人事のようにも思えなかった。 
 女たちは、そこに置き忘れて行った敷島を吸いながら、客の品評しなさだめなどをし合っていた。この女たちも方々をわたり歩いて、いろいろの男を知っていた。いつもよく来る中野の隊の方の、若い将校連の風評うわさなども出た。
 こんな連中にも評判のいい洋服屋の様子は、お庄にも悪くはなかった。男はお庄に東京へ出たら、是非店へ遊びに来いと言って、そこをくわしく教えてくれた。お庄のこともいろいろ聞きたがった。お庄は女たちにそのことをいろいろ言われた。
「私はあんなのッぺりしたような人嫌いですよ。」と、お庄は顔を背向そむけながら言った。
「それでも家の芳ちゃんよりかもいいでしょう。」と、年増の方の女は、そこにべッたり坐っていた。
「芳ちゃんも可哀そうね。」と、若い方の女は、餉台ちゃぶだいの上を拭きながら呟いた。
 八時ごろに、お庄はお袋に断わって、ちょっと四ツ谷まで出かけた。何だか今夜は家にじッとしてもいられなかった。
 停車場まで来ると、前の床屋で将棋仲間に加わっていた芳太郎が、すぐにお庄の姿を見つけた。お庄が客の前へ出るのを、芳太郎は快く思わなかった。そんな時にはきっと料理場で菰冠こもかぶりの飲口を抜いてコップで酒をあおったり、お袋に突っかかったりした。そうしたあげくに、金をつかみだして、ぷいと家を飛び出して行った。手近に金のない時は、板片いたぎれの端にもちをつけて、銭函ぜにばこの中から銀貨を釣り出した。
「家のものは皆なおれのものだ。己の物を己が持ち出すに不思議はない。」
 芳太郎はこう言って、銭函の前に、どかりと胡坐あぐらをかきながら、銀貨の勘定をしていた。
「それが厭なら、身上を速く己に渡すがいいんだ。」と、駄々をねた。
 親父は苦い顔をして、帳場の方で見ぬ振りをしていた。
「誰がこの身上を作ったとお思いだい。莫迦ばかお言いでないよ。」と、お袋はたしなめたが、強いて止めることも出来なかった。お庄が来る少し前に、親子のなかめてしばらく家を出ていた親父を、また引っ張り込もうとして大喧嘩をした時、外からくらい酔って帰って来た芳太郎に、刃物を振り廻されたことが、お袋にも気味が悪かった。
 芳太郎は金を持ち出して行くと、宿しゅくの方へ入り浸って、二日も三日も帰らなかった。お庄が来てからも、新婦にいよめの仕打ちに癇癪かんしゃくを起して、夜中に家を飛び出すこともめずらしくなかった。
 お庄はぷりぷりして出て行く芳太郎を送り出すと、そっと戸締りをして、また寝所ねどこかえった。そして楽々と手足を伸ばして甘い眠りに沈むのであった。
「おいおい。」
 床屋の店から、芳太郎が声をかけた。お庄は黙って行き過ぎようとした。

     七十三

「おい、お前どこへ行く。」と、芳太郎は後から追いかけて来た。
「四ツ谷の従姉ねえさんのとこまで行って来ますの。」と、お庄は振り顧りながら言った。
「何しに行くんだい。」芳太郎はけかかった太い白縮緬しろちりめん兵児帯へこおびをぐるぐるきつけながら、「お前今夜は帰りゃしないんだろう。己も一緒に行こう。」
「人にわらわれますよ。」と、お庄は後歯あとばの下駄を鳴らしながら、停車場へ入って行った。
 お庄が切符を買うと、芳太郎も鰐口がまぐちから金を出して同じように四ツ谷行きを買った。
「一緒に行ったり何かして、後でしかられてもいいんですか。」お庄は念を押しながららちの外へ出て行った。
 お庄は内密ないしょで、従姉あねにいろいろ話したいこともあった。この前にもちょっと従姉あねの耳へ入れておいた家の様子や自分の立場について、媒介人なこうどの利いた口と大した相違のあることを、今一度委しく話して見たかった。
「いいんだよ。」と、芳太郎は耳に挟んでいた両切りの莨に火をけて吸いながら、お庄の傍を離れなかった。帽子もかぶらない顔が蒼白く、目の色もおどんでいる。二人はこのごろ、ろくろく話をするような折もなかった。芳太郎は昼間も酒の気を絶やさず、夜はまたふらふらとそこらをほつき廻り、友達と一緒に宿場をぞめき歩いた。
 お庄は時々お袋からいいつかって、心の荒びたような男の機嫌をも取らなければならなかった。
 座敷のひまな時は、お庄も寄りついて来る芳太郎と一緒にたまには打ちけた話をすることもあった。隠し立てのない芳太郎の口から、お袋や親父の噂を聞き出すのも興味があったし、芳太郎の関係した女のことを知るのも面白かった。
「お前が出て行けア、己だって家にアいねえ。」と、芳太郎は駄々だだのように言い出した。
 そんなところを見つけると、お袋はすぐに厭な顔をした。
「ふざけていちゃいけないよ。」と、お袋は呶鳴どなりつけて、お庄に用事をいいつけた。
 酒で頭脳あたまただれたようになっている芳太郎は、汽車のなかでも、始終いらいらしていた。そして時々独りごとのような棄て鉢を言った。金をさらって家を逃げ出してくれるとか、お袋をなぐり殺して高飛びをするとか、そんなことをすらお庄の耳元で口走った。これまでにも、酔って正体がなくなると、芳太郎は、時々そうした口吻くちぶりを洩らした。
 お庄は暗い窓の外を眺めながら、顔に笑っていた。
 新宿まで来た時、お庄はとうとう一緒に降りることにした。そうでもしなければ、男をくことが出来ないと考えた。
 停車場を出ると、二人は並んで暗い片側町を歩いていた。芳太郎は時々気狂きちがいの発作のように、お庄の手を引っ張って、明りの差さない草ッ原に連れ出した。足場の悪い草叢くさむらにはところどころに水溜りが、ちらちらと空明りに黒く光った。お庄はけたたましい声を立てながら、芳太郎の手に掴まってそこをわたった。四方あたりはシンとしていた。
 広い通りへ出ると、両側の妓楼ぎろうの二階や三階に薄暗い瓦斯燈ガスとうともれて、人影がちらほら見えた。水浅黄色の暖簾のれんのかかった家の入口からは、まわりに色硝子の障子のはまった中庭や、つるつるした古い光沢つやのある廊下段階子などが見透みすかされた。芳太郎は時々そこらの門口に立ち停った。
「今夜中に、私きっと帰ってよ。」と、お庄がやっと芳太郎と手を分ったのは、それから大分経ってからであった。
 お庄は大木戸から俥をやとって、荒木町の方へ急がせた。二度と帰って来るような気がしていなかった。

     七十四

 荒木町の家では、従姉あねが相変らず色沢いろつやの悪い顔をして、ランプの薄暗い茶の間に坐っていた。いつも気が浮き浮きしたということもない従姉あねの、髪一つ綺麗に結った姿をお庄は見たことがなかった。
「またどうかしたんですか。」と、お庄は気遣わしげにいた。
「いいえ。相変らずぶらぶらしているもんですからね。」と、従姉あねはぽきぽきしたお庄の顔を眺めた。行った時から見ると、どこかお茶屋風になっているのも目についた。
 浅山は、このごろしばらく帰朝している姉婿の家へ行っていて、留守であったが、台所にいた伯母は、手を拭きながらすぐに傍へ寄って来た。
「お前もそうしていいところへ片着いて、どんなに幸福しあわせだか知れやしないわね。」と、お饒舌しゃべりの伯母は独りでお庄の身の上をうらやましがった。浅山の月給が細いのに、娘が始終寝たり起きたりしているので、長いあいだ胃が持病の自分が、六十幾歳いくつになってこうして立働きもしなければならぬという愚痴が、じきに始まった。
「私が寝てばかりいるもんだから、浅山にも気の毒でね。」と、従姉あねしおれて言った。
 浅山が、今の役所をめて、今度の帰朝を幸いに姉婿の方へ使ってもらう運動をしているのだが、それがうまく行きそうにもない様子が、母子おやこの口から洩れた。
 お庄は伯母と従姉あねが、着るものを着ないでも、膳の上にうまいものの絶えたことのないのを知っていた。伯母が浅山と同じに、刺身などに箸をつけながら、ちびちび晩酌をやっていることもめずらしくなかった。お庄はこの人たちの貧乏するのに不思議はないと思った。
「……少し媒介人なこうどだまされたようですよ。」と、お庄は帯の間から莨入れを取り出して、含嗽莨うがいたばこをふかしながら言い出した。
「始終家がみ合っているものですし、あの人だってちっとも柔順おとなしかありませんよ。」
「それでもいい男だという話じゃないかえ。――酒癖でも悪いと言うのかい。」と、伯母は切り髪頭の、長いしなびた顔をしかめながら言った。
 お庄は思っていることを、話すことも出来なかった。
 芳太郎を嫌っているお庄の心持は、従姉あねによく解った。
老人としよりの思うようじゃないんですよ。」と、従姉あねは、お庄の顔をじろじろ眺めながら、薄ら笑いをしていた。
「でもまア辛抱していさえすれば、あの家も始終はお前たち夫婦のものだでね。」
「そうは言っても、欲ばかしにかかってもいられませんよ伯母さん。」
 すしを少しばかりおごって、茶呑み話にごまかしていながら、お庄はしみじみした話もしずに、やがてそこを出た。
「浅山から、中村さんによく話してもらって上げるからね、自棄やけを起さないで、まア当分辛抱した方がいいでしょう。」
 帰りがけに、従姉あねはお庄の様子を気遣いながらそう言った。お庄がお照のかせぎに行っている茨城の方へでも行けば、自分の体一つぐらいは、自分の腕一つで、どうにでもして行けると言ったことが、従姉あねにも気にかかった。
「今夜は家へお帰りよ。心配さしても悪いでね。」と、伯母も門口まで送って出ながら行った。
 外はもう更けていた。そこらの芸妓屋や、劇場の居周いまわりも静かであった。お庄は暗い町をすごすごと歩いていたが、どこへ行くというあてもなかった。
 伝馬町の方へ出ようとする途中で、二、三度車夫に声をかけられたが、乗る決心もつかぬうちに、皆なやり過してしまった。
 停車場へ来たのは、もうよほどおそかった。構内には、疲れたような人の姿がちらほら見えていた。お庄は薄暗い隅の方のベンチに腰をおろしながら、上り下りどっちの切符を買おうかと思案していた。

     七十五

 その晩お庄は本郷の方に泊った。
 ちょうど正雄が来合わせていて、姉弟ふたりは久しぶりで顔を合わした。正雄はこれまでにも二度ばかり親方を取り替えた。体の弱いので、あまり仕事のはげしい家では、辛抱がしきれなかった。お庄はそのたびに弟をつれて、前の主人へ話をつけたり、新しい洋服店へ交渉したりした。今の家は女主おんなあるじであった。その主人はお庄のところへも遊びに来て、一緒に花など引いたこともあった。
 正雄は脚気で蒼い顔をしていた。お庄の変った様子を見て、にやにや笑っていたが、お庄も弟の様子がめっきり落ち着いて来たと思った。
医師いしゃが転地しろと言うそうで。」と、母親は一番体が弱くて可愛い正雄のことで先刻さっきから気を揉んでいた。
「しばらく田舎へでもやらずかと思うけれど……そうすれば叔父さんも一緒に行くと言うでね。――叔父さんも梅雨つゆが体にさわったようで、あれからずッと工合が悪いで、どうでも田舎へ帰ると言って、今その支度中さね。」母親は火鉢にりかかっていながら、屈托そうな顔をして、火箸で火をいじっていた。
 家のさびれている様子が、ひしひしお庄の胸に感ぜられた。お庄が行くときやとい入れた女中の姿も見えず、障子の破けた台所の方もひっそりして、二階にも人気がなかった。掃除ずきな自分がいなくなってから、そこらのだらしなく汚くなったさまも、心持悪いようであった。
 この家を早晩畳まなければならぬことは、行く時分からお庄にも解っていたが、また帰って来てここを盛り返したいような気も、時々しなくもなかった。
 母親は、ここの雑作が売れ次第、借金を少し片着けて、それから田舎へ行きたいと言っている叔父のことや、お庄が行ってから、ここへ寄り着く人もめっきり少くなったことなどを言い出した。叔父が会社にいた時分の連中も、近ごろはとんと顔出しをしなくなったし、ちょいちょい金を貸してあった人たちも、かんぎらともしなかった。
 そんな話が長く続いて、母子おやこの目はいつまでもえていた。
「姉さんの家はどんなとこだえ。」と、弟はもう捲莨まきたばこなどをふかして、お庄に訊いた。
「今までのように、不断にお鳥目あしを使ったり何かしちゃいけないからって、今阿母さんともその話をしていたのさ。」
「それアそうさ。私だってそんな白痴ばかじゃないよ。」と、お庄は磯野との関係以来、自分がさもだらしのない女のように、みんなに思われているのが切なかった。誰よりも一番苦労をして来たことも考え出された。
「見かけによらない、私はこれで苦労性ですよ。」と、お庄は長い指に莨を揉んで、煙管に詰めながら言った。話そうと思って来たことを、二人の前に打ち明けることも出来なかった。
「何だか知らないけれど、皆な運が悪い。」と、母親は、この家が畳まれてからの、自分の体の行き場のないことをこぼした。
「湯島で来ておれと言うだけれど、たびたびのことだし、そうも行かないでね。」
 みんなのまごついているのを、田舎に傍観している父親のことが、また噂された。すたかぶの買占めで失敗しくじってから、家のばたばたになった本家の後始末に気骨を折っている父親が、このごろは皆なの思うほど気楽でもないことは、こっちへも解って来た。本家が銀行から差押えを喰って、ぴたぴたくらを封ぜられ、若いあるじが取り詰めたようになって気の狂い出したという消息の伝わったのは、お庄が行ってから間もないことであった。
 頭脳あたまに異状のある本家が、わざわざ町から診察に来た医師いしゃの頭を、なぐり飛ばしたということを言い出して、正雄もお庄も、腹を抱えて笑った。
 宵から奥で寝ている叔父が、目をさましたと見えて、力ないせきの声が洩れて来た。

     七十六

 家へ帰って行ったのは、その翌々日の午後であった。それまでお庄は伯母の家へ行ったり、親しい近所の家を訪ねたりして遊んでいた。伯母の家では、相変らず皆と花など引いたが、その間も心は始終今の家に辛抱していいか悪いかということについて思い惑うていた。
前途さきに見込みがないから、私もうあすこを逃げてしまおうかとも思っているんです。」と、お庄は思いって伯母や糺にも、自分の心持を打ち明けてみたが、二人ともあまり真面目に聞いてもくれなかった。
「そんなことを言って、今家へなんか帰ってどうするつもりだい。」と、伯母は頭ごなしに言って、先の家の深い事情などは、ろくろく考えもしないらしかった。
「むやみなことをして、中へ入った浅山の顔をつぶすようでも悪いじゃないか。」と、糺も言った。
 始終聞きたい聞きたいと思い続けていた磯野やお増のことを、お庄は時々言い出そうとしたが、それも詳しくは二人の口から聞き出すことが出来なかった。
「何だかまた別れたとかいう話だぜ。」と言って糺は笑っていた。
 芳村が前からよく行きつけていた碁会所の娘と約束が出来て、そこへ荷物を持ち込んで引っ越すようになってから、お増がまた気をあせって、このごろでは磯野の手を離れて、芳村との関係がもとかえったとか、芳村がお増をどこかに隠しておくとかいうことだけは、糺の話でも解った。お庄は磯野と自分との縁が、またどこかで繋がれていそうな気もして、もどかしいようであったが、こっちから訪ねて行く心にもなれなかった。
 お庄は、叔父がいよいよ田舎へ帰るようになったら、ちょっとしらしてほしいとそのことを母親に頼んで帰って行ったが、途中で小石川の伝通院前の赤門の家で占いの名人のあるということを想い出して、ふとそこへ行っててもらう気になった。占いやお神籤みくじはこれまでにも、たびたび引いて見たことがある。磯野との縁が切れそうになった時も、わざわざ水天宮で御籤みくじを引いた。その時の籤はそんなに悪くもなかったが、三十過ぎるまでは、心に苦労が絶えないというようなことは、一、二度売卜者うらないにも聞かされた。着ることや食うことには大して不足もないが、るところがまだ決まらないというようなことも言われた。
 赤門ではその日がちょうど休日やすみであった。お庄はさらに伝通院横にある、大黒の小さいお寺へ行って、そこに出張っている法師ぼうずに見てもらうことにした。
 派手な衣を着けて、顔のてらてらしたその法師ぼうずは、じろじろお庄の顔を見い見い水晶すいしょう数珠玉じゅずだまなどを数えていたが、示されたことはあまり望ましいことでもなかった。法師は古びた易書を繰って、などを読んで聞かせた。
「あなたの心は、今二つにも三つにも迷っている。」と、言って、お庄が亭主運のまだ決まっていないことや、今いる場所と動こうとしている方角のよくないことなどを説いて聞かせた。どちらにしても、当分足掻あがきがつかないということだけは確かめられた。
 お庄は銀貨を一顆ひとつぶ紙にひねって、傍に出してあった三方さんぽうの上に置いて、そこを出て来た。出る時、俥で乗り着けて来た一人の貴婦人に行き逢った。その婦人は繻珍しゅちん吾妻袋あずまぶくろを提げて、ぱッとした色気の羽二重の被布ひふなどを着け、手にも宝石のきらきらする指環を幾個いくつめていた。夫人は法師ぼうずに目礼をすると、すぐにどたばたとお庄らの控えている傍を通って、本堂の奥の方へ入って行ったが、それを見受くる法師ぼうずのしおしおした目元には、悪狡わるごすいような笑いが浮んでいた。
 お庄は何となしもの足りぬような暗い心持で、夏の日ざしの強い伝通院前の広い通りを、片蔭づたいに歩いていた。

     七十七

「お前は帳場に見張りをしていておくれ、芳が来てまたお鳥目あしを持ち出すといけないから。」と、お袋にそう言われて、お庄は店の方へ来て坐っていた。
 じいさんは二、三日東京へ出ていて、留守であった。お庄が帰って来る前に、母子三人のあいだに大揉おおもめがあって、お袋も爺さんに頭脳あたまをしたたかなぐられた。お庄には深い事情の解りようもなかったが、牛込の自分の弟のところに母子厄介おやこやっかいになっている親爺おやじ添合つれあいや子供のことから、時々起る紛紜ごたくさが、その折も二人の間に起っていた。お庄が四ツ谷へ行ッったきり帰らなかったことも一つの問題であった。芳太郎がそのことで暴れ出して、二人に突っかかって行ったのが、一層騒ぎを大きくした。
 お庄が帰って来た時分には、家がひっそりしていた。お袋は頭が痛むと言って結び髪のまま氷袋をつけて奥で寝ていたし、芳太郎もそこらで自暴酒やけざけを飲んであるいて家へ寄りつきもしなかった。
 奥の客座敷で、お庄は年増の女中からその話を聞いて、体がぞくぞくするほど厭であった。お庄を速く呼びかえせと言って、芳太郎がお袋と長いあいだ捫着もんちゃくしたあげくに、争いが爺さんの方へも移って行った。お袋が死んでしまうと言って、素足のまま帯しろ裸で裏へ飛び出して行ったことや、狂気きちがいのように爺さんに武者むしゃぶりついて泣いたことなどを、女中は手真似をして話した。
「お神さんが独りでいさえすれば、何のことはないんでしょうがね。」と、世帯崩しのこの女中は、婆さんの男意地の汚いのを憎んだ。
「自分じゃちいさい時分から育てた芳ちゃんが、まんざら可愛くないこともないんでしょうけれどね、やっぱりあの爺さんと別れられないんでしょうよ。お爺さんだって、今となっちゃ空手ただじゃ出て行きゃしませんからね。」
 お庄は、お袋からは何のことも聞かされなかった。
 今日もお袋は、朝のうち料理場や帳場の方を見廻っていたが、まだ顔色が悪く、髪も取り乱したままであった。そして掃除がすむと神棚へ切り火をあげて、お庄と一緒に餉台ちゃぶだいに向いながら、これまでに自分の苦労して来た話などをして聴かした。
「何も辛抱ですよ。辛抱気のない人間はどこへ行っても駄目だよ。」と、お袋は、東京へ行って二日も帰らなかったお庄の心が、まだ十分ここに落ち着いていないのをもどかしく思った。
 昼からお袋は、また頭が痛むと言って奥へ引っ込んで行った。
 三時ごろ、お庄は帳場の蔭で、新聞の三面記事に読みふけりながら、そうした世間や自分の身のうえなどをいろいろに考えていた。広い通りには折々荷車が通って、はしゃぎきった砂がぼこぼこと立った。箪笥や鏡、嫁入り道具一式を売る向いの古い反物屋の前に据えた天水桶てんすいおけに、熱そうな日が赫々かっかと照して、埃深ほこりぶかい陳列所の硝子のなかに、色のめたような帯地や友染ゆうぜんが、いつ見ても同じように飾られてあった。来た当座は寂しいその店などは、目にも留らなかったが、見馴れるにつれて、思いのほか奥行きのあることも知れて来た。幽暗ほのぐらい帳場格子のなかで、算盤そろばんをはじいている四十ばかりの内儀かみさんも、そんなに田舎くさくはなかった。
 店頭みせさきまで来てちょっと立ち停って、そのまま引き返して行った洋服姿の男が、ふと目についた。新しい麦稈むぎわら帽子を着て、金縁眼鏡をかけていた丸顔の横顔や様子が、どうやら磯野らしく思われた。お庄はここをのぞかれたような気がして、胸がどきりとした。
 やがて門の方から奥庭へ入って行く男の姿が、目に入った。男は庭の真中に立って、うそうそ家のなかを見廻していた。お庄は帳場格子の蔭に深くうつむいてしまった。男は確かに磯野であった。

     七十八

「お客さまが若い方のお神さんに、ちょっといらして下さいってそうおっしゃるんですよ。」と、一人の女中が莨盆などを運んで行ってから、やがてお庄を呼びに来た。
 お庄はその時帳場を離れて、料理場から物置の方へ出ていた。
「私に。」と、お庄はじめじめした物置の蔭に積んであるまきに体をもたせていながら、胸を騒がせた。
「あの人が私を知っているとでも言うの。」
「何ですか、ただお目にかかりさえすれば解るからって……。」
 お庄はそこから庭の方へそっと出て行って見た。あれほど不人情な仕向けをしておきながら、のこのこ嫁入り先へやって来た男の愚かしい心持が腹立たしいようであったが、床柱のところに胡坐あぐらを組んで、団扇うちわ遣いをしているその姿が目に入ると、何のことも考えていられなくなった。
「しばらくだったね。」と、磯野に挨拶されると、お庄は胸が一杯になって、涙がき立つようににじみ出て来た。
 磯野の目にも涙が溜っていた。
「どうして来たんです。」と、お庄はめずらしくチョッキに金鎖などを光らせている男の様子を見ながら、大分経ってから、やっと口を利くことが出来た。ここへ来るためにわざわざこんな身装みなりを拵えたのであろうと、お庄はしっくり体に合っていない洋服などがおかしかった。
「僕は実に悪いことをした。お庄ちゃんにも済まなかった。」と磯野は気弱そうな調子で言い出した。
 お庄がここへ来たことが、磯野の耳に伝わった時分には、お増はもう天神下の家にもいられなかった。磯野も、時のはずみでしたことが振り顧って見られたし、お増にも、始終変ってゆく男の心の頼みがたいことが解って来た。学資もろくろく送ってもらえなくなっていた磯野を世に出すまでには、また新しい苦労も重ねなければならぬということも考えられた。
 碁会所の若い娘と一緒に歩いている芳村の姿を、天神の境内で見たとき、お増は芳村に鼻を明かされたような気がした。
「芳村さん、あなたは随分ね。」と、お増はその時追いすがるようにして芳村の後から声かけた。
 芳村は黙って行き過ぎようとしたが、後悔の影のさしている女の心をいじらしく思った。
「ちっと遊びにおいで。」と、芳村は娘と離れて、磯野の消息をたずねなどした。
 芳村がお増を自分の方へ引きつけようとしていることが、磯野の前に何事をも包み隠さぬお増の口吻くちぶりでも解った。二人は磯野の叔父の家の二階でよく言合いをした。毎日頭脳あたまのふらふらしている磯野は、気ままなお増に責められて芳村へび手紙をさえ書いて送らせられ、お増と別れるについて、手切れの金の算段にも出歩かなければならなかった。
「僕はあの時の罰が来て、実にひどい目に逢わされた。」と言って、磯野は涙を出しながら愚痴をこぼした。
 お庄は終いに笑い出した。
「お庄ちゃんも、ここに辛抱おしなさい。ここの家には、相当に金もあるというじゃないか。」と、磯野は※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ハンケチで眼鏡を拭きながら、お庄の顔を眺めた。
「どうですか。何だかあんまり面白いこともないんですけれど。」と、お庄は自分の立場を打ち明ける気にもなれなかった。
「しかし変だね。何にも取らないで話ばかりしていちゃ。」と、磯野は気にし出した。
 お庄はそうして長く坐り込まれても困ると思った。母屋もやの座敷で昼寝をしている芳太郎のことも気にかかったが、とにかく酒だけは出すことにした。しばらくしてから、卵焼きに海苔のりなどが酒と一緒に上衣うわぎを脱いでくつろいでいる磯野の前に持ち運ばれた。

     七十九

 磯野がちびちび酒を飲んでいる間も、お庄はちょいちょい母屋もやの方を気にして覗きに来た。磯野は切り揚げそうにしては、また想い出したように銚子ちょうしをいいつけいいつけしたが、お庄が傍ではらはらするほど、気がれて話がこじくれて来た。
「僕はここの家の人に紹介してもらおう、そしてお庄ちゃんのことも頼んで行きたいと思うが悪いかね。」磯野は衣兜かくしのなかから、帳場へおく祝儀などを取り出して、お庄の前におきながら言った。
「そんなことをしなくともいいんですよ。かえっておかしゅうござんすから。」と、お庄は押し戻した。
「芳太郎という人にも、ここでちょッと逢って行こうじゃないか。僕は第三者として、お庄ちゃん夫婦のためにいささか健康を祝したいと思う。」と酒の廻った磯野は芝居じみたような調子で、真面目に言い出した。
「それもおかしいでしょう。家は今少しごたごたしているんですよ。」と、お庄はあそにんはだのようなところのある芳太郎を、磯野に見らるるのも厭であった。
 日がかげりかかる時分に、磯野はやっと帰って行った。
 お庄が帳場へ勘定をしに行った時、いつの間にか起き出して、庭の植木に水をやっていた芳太郎が、橋廊下の下の方にたたずんで、莨をふかしながらうッとりした顔をしていた。廊下に雑巾ぞうきんがけをしていた年増の方の女中が、手を休めて手擦りにもたれながら、芳太郎と何やら話しているところであった。
「お客さまはもうお帰りですか。」と、女中は落ちかかった着物の裾を帯の間へ押し込んで、また働きはじめた。西日を受けた廊下の板敷きは、砂埃でざらざらしていた。
「ちょいと勘定なんですがね。」と、お庄は立ち停って、芳太郎に声かけた。
 帳場へ上って来た芳太郎の目には不安の色があった。
「お前にあんな親戚があるなんて、何だかおかしいじゃないか。」と、芳太郎は書付けを書きはじめながらなじった。
「私にだって親類がありますよ。」と、お庄は顔をあかめながら言った。
「それじゃお前の何に当る人だ。」
 お庄はへどもどして、もう口が利けなかった。目にも涙が出た。
「お前の親類が、座敷へあがって酒を飲むなんて、変じゃないか。」
「え、だから皆さんにもお目にかかるって、そう言ったんですけれど、阿母さんは加減がわるいし、あなただって、今までやすんでいらしったじゃありませんか。またそれほど近しい親類でもないんですもの。あの人が思いがけなくここを通って、ちょっと寄ったまでなんです。」
「うまく言ってら。四ツ谷へ行って聞いて見るからいいや。」
「え、いいんですとも。私そんな嘘なぞきゃしませんよ。」
 しばらく言い合ったが、お庄はかくおおせないような気がした。そしてたもとで顔ににじみ出る汗を拭きながら、黙って裏口の方へ出て行った。
 女中に呼びに来られて出て行った時分には、磯野は書付けを前に置いて、座敷にぼんやりしていた。お庄は目に涙を一杯溜めていた。
「どうかしたの。」と、磯野は薄笑いをしていた。しばらくしてから、勘定が足りなくて、磯野のもじもじしていることが解った。
「勘定なんぞどうでもいいんです。」と、お庄は邪慳じゃけんそうに言ったが、磯野はまだそこにもじもじしていた。

     八十

 磯野を送り出してから、お庄はしばらく座敷にぼんやりしていた。
 磯野はまだ話したいこともあるから、金助町の方へ来たら、一度訪ねてくれと、靴の紐を結びながら言っていたが、お庄は磯野のここへ来たことを、伯母などの耳へ入れたくないと思った。十八の年に初めて男に逢ったのが磯野で、それから三年ばかり関係していた。田舎から出て来てからは、磯野も比較的落ち着いて勉強していたし、お増の事件さえなければ二人の交情なかは何のこともなく続けられたかも知れなかった。磯野も始終気の移って行く男だから、あれで別れてかえってよかったようにも思えたが、やきもきしてこっちから騒ぎを大きくした傾きのあったのがくやしかった。
 お庄はそこに坐って少しばかり銚子に残っていた酒を注いで、独りで飲んだ。器などの散った部屋には今まで差していた西日の影が消えて、野良のらくさい夕風が吹いていた。お袋の耳へ入れば、どうせ一騒ぎ持ち上らずには済まないだろうし、もう長くはここにもいられないような気がしていた。書付けばかり持って帳場へ行くのも厭であった。
 お庄は勘定前を合わそうと思って、帯の間の財布から自分の小遣いをさらけ出して、磯野の置いて行った祝儀と一緒にしているところへ、芳太郎が入って来た。お庄は急いで財布を帯の間へ挟んだ。
情人いろでも何でもないものなら、お前が自腹を切るわれはないじゃないか。家だってお前の親類の人から、勘定を取ろうとは言やしまいし。」芳太郎はお庄の側へ来て、胡坐あぐらを掻いていながら言った。もう飲口をひねって二、三杯あおって来たらしかった。
「それアそうですけれどもね、そうしないと私も何だか厭ですから。」とお庄は気味悪そうにそこらを片着けはじめた。
「まアそんなことはどうでもいいや、お前にごまかされるようなおれじゃないんだからな。」
「それはそうですとも。私もこんなつもりでこちらへ来たんじゃないんですよ、話と実際とは、随分違っていたんですからね。」
 がちゃがちゃと軍刀の音をさして、いつも来て飲む大隊の方の将校が、二人門の方から入って来て、縁側へ腰かけて靴を脱いだころには、芳太郎もお庄も大分頭が熱していた。芳太郎はそこにあった盃洗はいせんを取って投げつけるし、お庄は胸から一杯に水を浴びながら、橋廊下の方へ逃げて行って、※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ハンケチ頚首えりくびなどを拭いていた。芳太郎はまた空の銚子を持って、部屋を飛び出した。
 ここの家の様子をよく知っている、頭の禿げた年取った方の将校は、ふらふらと追っかけて行く芳太郎の姿を見ると、次の部屋から出て来て見た。
「おいおいどうしたんだい。」と、その将校が声をかけた時分には、お庄はもう素足で庭へ飛び出していた。
 暗い物置のなかへ逃げ込んだお庄が、料理場から引き返して来た芳太郎に隅の方へ押えつけられて、目のうえで刺身庖丁さしみぼうちょうを振り廻されているところを、将校も母親も駈けつけて行って、やっと取り押えた。刃物を※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)ぎ取られた芳太郎が、はだけた胸を苦しげな荒い息に波立たせながら上へ引っ張りあげられると、お庄も壊れた頭髪かみを手で押えながら真蒼まっさおになって物置を出て来た。そこらはもう暗くなっていた。
 その晩、牛込から親父が呼び寄せられた。
おどかすんだよ。私なんざ慣れッっこで平気なものさ。」と、お袋はしばらくぶりで帰って来た爺さんと、酒を飲みながらお庄に言った。
「こんなことは、四ツ谷なぞへ行って、あまりしゃべっちゃいけないよ。」お袋はこう言ってお庄に口留めをした。
 芳太郎も酔いがさめると、早くから奥へ引っ込んで寝てしまった。

     八十一

 爺さんが来て、また帳場に頑張ることになってから、芳太郎はしばらく四ツ谷の媒介人なこうどの家に預けられた。
 その話が決まるまでには、お庄も媒介人なこうどから事をわけていろいろに言って聴かされた。火災保険の重立おもだちの役員であった媒介人なこうどの中村の言うことには、お袋などの所思おもわくとはまた違ったところもあった。中村は爺さんやお袋やお庄の顔をそろえている折にも、自分の考えを述べて、爺さんとりの合わない芳太郎を、お庄と一緒に一時自分の家へ引き取ることに話をまとめた。
 忙しい時は、ちょいちょい手伝いに来るという約束で、お庄が中村の家へ移って行ったのは、病気で困りきっていた金助町の叔父が、ちょうど上野から田舎へ立った日の夕方であった。お庄は正雄と一緒に停車場まで見送ってやった。
 叔父の家は、その三、四日前に畳まれてあった。雑作も棄売りにして、それで滞っていた払いをすましたり、自分もいくらか懐へ入れて、町に涼気すずけの立った時分に、湯島の伯母の家を俥で出て行った。
 叔父は田舎へ行っても、快く自分を迎えて、養生をさしてくれそうな隠れ家のあてとてもなかった。東京で世話をしてやった友人が町でかなりな歯科医の玄関を張っている、そこへ行くか、くなった妻の実家の持ち家が少しばかりある、その中の一つを借りて起臥きがするかよりほかなかった。どっちにしても、こんな病人に来て寝込まれるのを迷惑がるのは、解りきっていた。
 田舎でみっちり養生をして、なおったらまた出て来て、運を盛り返そうという心組みのあることは、せ衰えた叔父の顔にも現われていた。
「私はまだ結核にはなっておらんつもりだで――。」と、叔父は立つ前にもそう言って、一人では道中が気遣われると言って危ぶむ母親や伯母に笑って言った。
「そんなこといって、汽車のなかで血でも吐いたらどうすらい。」と、母親は弟をたしなめた。ことによったら糺か繁三に行ってもらってもいいし、正雄がついて行ってもいいと思ったが、いて勧めもしなかった。
「工合が悪かったら、すぐ宿屋へ入ってどっちへでも電報を打たっし。」と、伯母も言い添えた。
 叔父の手荷物と言っては、書生で出て来た時分ほどの物すらないくらいであった。時計や指環などもとっくに亡くなって、汚れたパナマだけが、京橋で活動していた時分の面影をのこしていた。そのパナマも、遊びに来る糺の友人に買ってもらおうとしたくらいであったが、買値かいねを言えばわらわれるほどであったので、叔父は気持を悪くして、それだけはかぶって行くことにした。
 正雄もお庄も、型の古いその帽子を冠って、三等客車に乗り込んで行く、叔父の、やつれてけたような姿を見て、後からくすくす笑っていた。
 叔父はお庄のことなどは、口へ出して聞きもしなかった。出来る時分にあまり世話をしておかなかったことが、心に省みられたからでもあろうし、このごろ様子や心持のすっかりかわっためいの身のうえを知るのもいとわしいように見えた。お庄も自分のことを言い出すどころではなかった。
「叔父さんには、もう逢えやしませんよ。」と、お庄はプラットホームを歩いていながら、帰りに弟に話しかけた。弟はまだ売り損ねたパナマがおかしいと言って思い出し笑いをしていた。
 送った人たちと一緒に、お庄は湯島の家へ引き返して来たが、今日は中村の家で初めて泊る日だと思うと、うんざりした。まとめにして出て来た、鏡台や着替えを入れた行李などが、もう運び込まれているころだとも思った。
「ああなるのも自業自得でしかたがない。」と、母親らは、まだ茶ので茶を呑みながら、今立たしてやった叔父の噂をしていた。
 お庄もそれに釣り込まれながらも、時の移るのが気が気でなかった。

     八十二

真実ほんとうにおっかない人ですよ。」と、お庄は立ち際に、伯母と母親の前で、子の間芳太郎に刃物で追っかけられた話をしながら言い出した。お袋も一度はりつけられて怪我けがをして、長いあいだ奥州の方の温泉へ行っていたということも話した。
「それじゃまるで話が違うがな。」と、母親は顔の色を変えていた。そんなところへお庄を取り持った四ツ谷の人たちの心持も疑わしいと思った。
「お前が客の前へ出るが悪いといって、そんなことをするだかい。」と、伯母も訊いた。
「まあそうなんでしょうね。婆さんはまた私がそうしないと機嫌が悪いんですの。あの人の腹では、芳太郎が可愛くないことはないんでしょうけれど、どうしたって血を分けた子じゃないんですから、いろいろお爺さんに言われると、その気になるんでしょうよ。やっぱり欲なんですね。」
「その塩梅あんばいじゃ、子息むすこ柔順おとなしくしていたって、いつ身上しんしょうを渡すか解らないと言ったようなものせえ。」母親は望みがなさそうに言った。
「それでいて、私にはいろいろうまいことを言って聴かすんですの。」と、お庄は長く客商売をして来たお袋の自分に対する心持を話した。
「お前のような娘が一人あれば、こんなしみったれな料理屋なんかしていやしないなんて、そんなことを言うんですよ。」
「ああいう人は、女さえ見れアじき金にしようと、そんなことばかり思っているで。」と、伯母は冷笑あざわらった。
 母親と伯母のあいだには、また門閥の話が出た。田舎にいる父親が、まだ得心していなかったので、籍を送らずにおいたことが、かえって幸いであったようにも思えた。
「まア浅山ともよく相談して見るだい。片輪にでもされてから、何を言って見たって追っ着かない話だで。」伯母は心配そうに言った。
 お庄は家のなくなった母親のことも気にかかった。どうせ針仕事もあるから、お庄さえ辛抱する気なら、母親に来ていてもらってもいいと言っていたお袋のことばおもい出したが、効性かいしょうのない母親が、手も口もやかましい、あの人たちのなかにいられそうにも思えなかった。自分一人の体さえ、いつどうなるか解らないと思った。
「阿母さんこそ、田舎へ帰った方がよかったんですよ。」と、お庄はいじめるように言った。
 こんなに行き詰まっても、母親がまだ田舎へ帰るのを厭がっているのがもどかしくも思えた。
「正雄でも一人前にならにゃ、わしも田舎へ提げて行く顔がないで。」と母親は切なげに言った。
「その間、私は私でどこかお針にでも行っているでいいわね。」
「お針って、お安さあはどんな仕事が出来るだい。」と伯母は手も遅く、気も利かない母親のことをわらった。これまでにも、お庄に突き放されると、母親は、そこからそこまでへも、買物一つしに行くことが出来なかった。
 お庄の帰ったのは、八時ごろであった。婚礼後、芳太郎と一緒に、一度挨拶に行ったことがあるので、家の様子は大概解っていた。お庄はその少し手前で俥から降りて、途中で買った手土産をげながら入って行った。
 家はかなり人数が多かった。老人としよりも子供もあった。お庄は一々それらの人に、叮寧ていねいに挨拶をしてから、自分ら夫婦のに決められた奥の部屋へ導かれた。芳太郎はちょうど湯に行っているところであった。
「どうもお世話さまでした。」と、お庄はランプを持って来てくれた細君に愛想よく礼を言って、まだ荷の片着かない部屋を見廻していた。

     八十三

 お庄もそこらを片着けてから、べとべとする昼間の汗を流して来ようと思って、鏡台の抽斗ひきだしにしまっておいた糠袋ぬかぶくろなどを取り出し、縁づいてからお袋が見立てて拵えてくれた細い矢羽根の置型おきがた浴衣ゆかたに着かえた。
 部屋はたッた六畳敷きで、一間の押入れに置き床などがあって、古びた天井も柱もしっかりしていた。住居とはかけ放れた方の位置で、前はすぐ広い荒れた庭になっていた。崩れかかったような塀際へいぎわに、大きなが暗く枝葉を差し交していて、裏通りにも人気がなかった。浅山の話によると、ここはもと神田で大きな骨董商こっとうしょうをしていた中村の父親の別邸で、今の代になってから、いろいろな失敗が続いて、このごろではこの家すら抵当に入っているということであった。芳太郎のお袋からも、少しは借りているような様子もあった。
 この廃邸あれやしきの空気は、お庄にはあまり居心いごこちがよくなかった。部屋で声を立てても、奥から駈けつけて来てもらえそうにも思えなかったし、庭も何だか陰気くさかった。こんなところで毎日芳太郎と顔を突き合わしているよりも、家で座敷の手伝いでもしていた方が、まだしも気が紛れてよかったようにも思えた。
 深い木立ち際から舞い込んで来た虫が、薄暗いランプの笠に淋しい音を立ててまわりを飛んでいた。お庄は帯を締めると、障子をてきって、暗い廊下の方へ出て行った。
 だだッ広い茶のでは、大きな餉台ちゃぶだいがまだ散らかったままであった。下町育ちらしい束髪の細君が、胸をはだけてしなびた乳房を三つばかりの女の子にふくませている傍に、切り髪のしゅうとめや大きい方の子供などもいた。四十四、五の頭髪かみの薄いあるじは、古い折り鞄からいろいろの書類を取り出してしきりに何やら調べていた。
 ひっそりした広い門のうちには、ほかに汚い家が二軒ばかり明りが洩れていた。
 淋しい屋敷町を通って、お庄が湯から帰って来たころには、芳太郎も途中で、一杯飲んで帰って来たところであった。芳太郎は薔薇色の胸を披けて、ランプの蔭に引っくらかえっていた。ほっそりした足の指頭ゆびさきまで真紅まっかであった。
 お庄は声もかけずに、そっと押入れから小掻捲こがいまきを取り出してけてやると、置き床のうえに据えた鏡台の前に坐って、銀杏返いちょうがえしのびんを直したり、白粉をつけたりして、やがてまた部屋を出て行った。
 その晩十時過ぎまで、お庄は茶ので話し込んでいた。あるじが寝てからも、細君に引き留められて、身の上ばなしなどして聞かされた。しゅうとがまだ世にあった自分の良人の放蕩ほうとうが原因で、自分たちがとうとう賑やかな下町から、こんな山のなかへいあげられたという細君の話では、この夫婦の若いころの豊かな生活の有様が想像され、子供が育つ時分から、だんだん落ちて来て、こうした貧乏世帯に慣らされるまでの細君の気苦労もうかがえるように思えた。
「私も、まさかあんな家とは思いませんでしたよ。」
 お庄もつい引き込まれて、自分の家の事情など話しながら言い出した。お庄はここの人たちの心持も知っておきたいと思った。
「あのお爺さんのいるうちは、とても丸く行かないだろうって、良人うちでも心配しているんですよ。」と細君はこの婚礼についての主の苦心を語った。これまでにも、芳太郎がちょくちょくここへかくまわれていたことも言い出された。
「……あの人が、一番可哀そうですの。」と細君はこうも言った。

     八十四

 芳太郎が、中村の知っているある通運会社へ出ることになってから、お庄も時々外へ出られるようになった。
 これまで芳太郎は、中村から小遣いを強求せびっては、浪花節なにわぶしや講釈の寄席よせへ入ったり、小料理屋で飲食いをしたりして、ぶらぶら遊んでいた。昼は邸の裏の池に鉄網かなあみを張って飼ってある家鴨あひる家鶏にわとりいじったり、貸し本を読んだりして、ごろごろしていたが、それにもんで来ると、お庄をいびったり、揶揄からかったりした。お庄がちょっとでも家を出ようとすると、芳太郎が目の色がたちまち変った。家へ訪ねて来たお庄の前の男のことも始終言い出された。
 木立ちの深いこの部屋は、昼もめったに日光が通わなかった。三時ごろからしばらくの間はすに差し込む西日の影は、かなり暑かった。お庄は芳太郎の昼寝をしている側で、自分もぐったり眠ってしまうようなことが間々ままあった。森にひぐらしの声が、聞える時分に、ふと汗ばんだわきのあたりに、涼しい風が当って目がさめると、芳太郎もぼんやりした顔をして、起き直っていた。両手を上へ伸ばして、突伏つっぷしになっていたお庄は、だるい体を崩して、べッたりと坐りながら、大きい手で顔をでたり、腕をさすったりしていた。通りに豆腐屋の声などがして、邸のなかはひっそりとしていた。
 体に悪戯いたずらをされたことに心づくと、お庄は妙に腹が立った。子供のような芳太郎はお庄のぶよぶよした白いもものあたりに、何やら入れ墨のようなものを描いて、にやにやしていた。
「知っていますよ。」
 お庄はその悪戯書きを見て見ぬふりをしていたが、終いに一緒にき出してしまった。
「叱られますよ。」とお庄はまた本気むきになって見せた。その顔はあかかった。
 く、く、くと鳴いているとりの世話をしに芳太郎は裏の方へ出て行った。お庄も砂埃を拭き掃除しようと思ったが、初め来たころ日課にしていたようには働けもしなかった。今日逃げようか、明日は出ようかという気が、始終頭脳あたまにあった。
 浅山のうちでも、長く続かないことが解って来た。いつかお庄が、夜その相談に行ったときも、夫婦は、もう断念あきらめてしまったような口吻こうふんを洩らしていた。
「私たちが黒幕にいるように思われちゃ、事が面倒ですよ。中村さんにも気の毒ですから、誰も知らない風にして、うまく逃げられたらお逃げなさい。そうすれば、私たちにも責任はないし、中村の顔も立つんですから。」と、従姉あねは内々でお庄をそそのかした。
 お庄はそれから、時々風呂敷に包んで、着物や何かを、夜従姉あねの家へ持ち込むことにした。家からも、中村の家へ持ち運ぶように見せかけて、少しずつ取り出すことを怠らなかった。中には以前磯野から受け取った手紙を封じ込んだ背負しょげや、死んだ叔母から伝わった歌麿うたまろの絵本などがあった。その絵本を、ほかの物と一つに、お庄は磯野と質に入れたこともあったが、芳太郎のところへ来てから間もなく、やっと取り出すことが出来た。お庄はその値打ちのものだということを、磯野に聴いて知っていた。
「まかり間違って、茨城にいるお照さんのところへ訪ねて行くにしても、これを売りさえすれば旅費ぐらいは出来る。」
 お庄は中村や芳太郎の手からのがれたとき、切迫せっぱつまって来れば、自分はどこへ行く体か解らないと思った。そして、その方がどんなに自由だか知れないとも考えた。
 お庄は箪笥の底から持ち出して、従姉あねの家へその絵本の入った手匣てばこを持ち込む時も、そっと中から出して、かびくさい絵を従姉に見せながら、その値踏みなどをしてもらった。

     八十五

「そう毎日ぶらぶら遊んでばかりいるのが、大体よろしくない。」世話好きな中村は、会社から退けて来ると、芳太郎に何か叱言こごとを言いながら言った。
 芳太郎はまだ庭でとり折打せっちょうしていた。鶏は驚きと怖れに充血したような目をして、きょときょとと木蔭をそっちこッちげ廻った。木の下や塀の隅はもう薄暗くなっていた。芳太郎は竿でその鶏をむやみにい廻していた。そこへ洋服姿のあるじが、縁から降りて来たのであった。
 二人で鶏を鶏舎とやへ始末をしてから、縁側の方へ戻って来ると、中村は愚かしい芳太郎に、いつも言って聞かせるようなことを、また繰り返した。
「まさか労働するわけにも行くまいが、何しろ若いものが遊んでいてはいけない。体が怠けるばかりだ。お神に堅くなったという証拠を見せるつもりで、一時こういうところへ出てみてはどうかね。」と、中村はその時自分の知っている通運会社のことを言い出した。
 芳太郎は荒い息をしながら、縁に腰かけて黙ってたばこふかしていたが、するうちに手拭や石鹸せっけんを持ち出して湯に行った。
 お庄や細君――女連は土台の腐れた古い湯殿で毎日行水を使うことになっていた。
 麹町こうじまちの方の会社へ出るようになってから、芳太郎はこれまでのように朝寝をしていることも出来なかった。
 店のせわしいとき、芳太郎は夜おそく帰るような日が二、三日続いた。
 お庄は押入れの行李のなかに残っていたものを、萌黄もえぎ唐草からくさ模様の四布よの風呂敷に包んで、近所からやとって来た俥に積み、自分もそれに乗って、晩方中村の邸を出た。
 大雨がざあざあ降っていて、外は真暗であった。中村はちょうど留守であったし、広い茶ので晩飯の餉台ちゃぶだいに就いている細君も老人としよりもそんな荷を持ち出したことに気がつかなかった。荷の中には、鏡台のような稜張かどばった物もくるまれてあった。お庄は自分の部屋の縁側から、ばしばし雨滴あまだれのおちる廂際ひさしぎわ沿いて、庭の木戸から門までそれを持ち出さなければならなかった。夜具などは後でどうでもなると思ったが、少しばかりの軟かい着替えや手廻りの物を、芳太郎の目の前にのこしておくのは不安心であった。
「阿母さんの手隙てすきに洗濯や縫直しをしてもらいたいものがありますから。」と、お庄はそんなにびくびくすることもないと思ったので、荷を持ち出す前にちょっと二人の前へ出て断わった。
「昼間風呂敷包みを持ち出すのもおかしゅうござんすから。」と、お庄はそうも言って、胸をそわそわさせながら二人の傍をやっと離れた。
 ここの女たちは、いつお袋や爺さんの機嫌が直って、芳太郎が家へ入るようになるか解らなかった。これまでちょいちょい人に貸したりなどしている部屋を、この夫婦のために長くふさげておくのも惜しかった。細君があるじ好奇ものずきを喜ばない気振りが、お庄には見えすくように思えて来た。お庄ら夫婦がこの家へ住み込むようになってから、もう一ト月と十日余りになっていた。
 俥の柁棒かじぼうが持ち上げられた時、お庄はようやくほっとしたような目つきになった。
 従姉いとこの家へ着くまで、お庄は後から追い駈けられるような気がしていたが、着いてからも気が気でなかった。
 包みはすぐ奥の押入れへ隠されたが、お庄は下駄や傘までも気にして、裏の方へ廻した。
「芳がきっと来ますよ。」と、お庄は落ち着いて坐ってもいられなかった。
「今ごろは押入れでも開けて見て、びっくりしているかも知れませんよ。」
 時計を見ると、芳太郎がいつも帰って来る時分までには、たっぷり一時間の余裕があった。

     八十六

 その晩のうちに、お庄は雨のなかを湯島まで逃げて来た。
 目立たぬ黒絣くろがすり単衣ひとえのうえに、小柄な浅山のインバネスなどを着込んで、半分つぼめた男持ちの蝙蝠傘こうもりがさに顔を隠し、裾を端折はしょって出て行くお庄のとぼけた姿を見て、従姉あねは腹を抱えて笑った。
「かまうもんですかよ。彼奴あいつにさえ見つからなけアいいんだ。」と、お庄は用心深く暗い四下あたりを見廻しながら出て行った。
 寂しい士官学校前から、広い濠端ほりばたへ出たころには、強い風さえ吹き添って来た。お庄は両手で傘につかまりながら、すたすたと走るようにして歩いた。俥があったら乗ろうと思ったが、提灯ちょうちんの影らしいものすら見当らなかった。見附みつけの方には、淡蒼うすあおい柳の蔭に停車場ステイションの明りが見えていたが、そんなところへ迂闊うかつに入り込んで行くことも出来なかった。
 そこからは道が一条ひとすじであった。神楽坂かぐらざかの下まで来ると、世界がにわかに明るくなった。人の影もちらほら見えていた。ぐっしょり雨に濡れたお庄は、灯影を避けるようにして、揚場あげばの方へ歩いて行った。
 湯島の家へ着いたのは、もう九時ごろであった。元町の水道のわきを通るとき、すれすれに行き違った背の低い男が一人あった。お庄は傘の下から、ふっと顔を出すと人家の薄明りに、ちらと見えた白いその男の顔が、芳太郎であることに気がついた。お庄は息がつまるような心持で、急いでどてについて左の方へ道を折れた。店屋の立て込んだ狭い町まで来た時、お庄は冷や汗で体中びっしょりしていた。
 湯島の家では、みんなが入口まで出て来て、ちがったお庄の姿や、真蒼まっさおなその顔を眺めた。お庄は上り口でインバネスを脱ぐと、がっかりした体をうようにして流しの方へ出て行った。
「芳が今ここへ俥で駆けつけ尋ねて来たぞえ。」伯母はお庄の顔を見るなり、言い出した。
「やっぱりそうでしょう。」と、お庄は呼吸いきがはずんで、口が利けなかった。
 その晩は早くから戸を締めた。
 母親が、二、三日前から余所よそへ手伝いに行っていることが、伯母の話で解った。その家が、近所の知人しりびとのまた知人しりびとの書生の新世帯であることも話された。
「正雄が店でも持つまで、人中へ出て苦労してみるもよかろうず。」伯母はこうも言った。
 翌日午後あしたひるから、四ツ谷の家から、老人としよりが着替えを二、三枚届けてくれてから、お庄は独りで世帯を切り廻したことのない母親の身の上も気にかかったし、この先自分の体の振り方も会って相談して見たいと思った。後から暗い影の附きまとっているような東京を離れて、独りで遠くへ出るにしても、母親の体の落着きを見届けておかなければならぬとも思った。
 お庄はジミな絣に、黒繻子くろじゅすの帯などを締めて、母親を世話した近所の家まで訪ねて行った。
 その家は氷屋であった。あるじはお庄たちと同じ村から出た男で、兜町かぶとちようの方へ出ていた。お庄の父親とも知らない顔でもなかった。
 母親のいる家は、伝通院のすぐ下の方の新開町であった。場末の広い淋しいその通りには、家がまだ少かった。出来たてのペンキ塗りの湯屋の棟が遠くに見えたり、壁にビラの張られてある床屋があったりした。
 四、五軒並んだ新建ちのうちの一つが、それであった。まだ木の香のするようなその建物について、裏へ廻ると、じきに石炭殻を敷き詰めたその家の勝手口へ出た。
 新壁の隅に据えた、粗雑がさつな長火鉢の傍にぽつねんと坐り込んでいる母親の姿が、明け放したそこの勝手口からすぐ見られた。台所にはまだ世帯道具らしいものもなかった。裏は崖下がけしたの広い空地で、厚くしげったささや夏草の上を、真昼の風がざわざわと吹き渡った。
 お庄は母親の隠れ家へでも落ち着いたような気がして、狭い茶のへ坐り込んで日の暮れまで話し込んでいた。

底本:「日本の文学9 徳田秋声(一)」中央公論社
   1967(昭和42)年9月5日初版発行
   1971(昭和46)年3月30日第5刷
入力:田古嶋香利
校正:久保あきら
2003年2月27日作成
2007年7月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。