林房雄が『中央公論』に連載している長篇小説「青年」は、近頃発表されたプロレタリア作家の作品の中でもっとも多くの論議を引き起したものの一つである。「青年」第一部が発表された当初から、ブルジョア作家、批評家たちは、これこそ読むにたえるプロレタリア文学の出現であるという風な批評を加えた。ある一部のブルジョア・ジャーナリストは「青年」を称讚し、さすがは林房雄である。構想雄大で行文はいわゆるプロレタリア的でない清新の美に満ちていると、さながらその社会的根拠とともに創造性をも喪失したブルジョア文学の陣営内に一人の精力的な味方を発見し得たかのような喝采を送った。
 わがプロレタリア作家同盟および文学に関心をもつ革命的大衆の「青年」に対する感想は、本質においてはそれらのブルジョア批評と明らかに対立する種類のものであった。林が長い獄中生活の後、直ちに野心的な大作に着手した意気に対して敬意を表すと同時に「青年」が一九三二年の封建的軍事的絶対主義日本における階級闘争が帝国主義戦争によって一層切迫した現段階において、特に近づきつつある人民革命の歴史的意義を規定する明治維新から取材し現実の闘争のもっとも必要なモメントとして描かるべき歴史小説としては、方法論的に不充分であり、階級性が稀薄であるという結論に概括される。
「青年」に対して、林はブルジョア文学、ジャーナリズム陣営からは褒められ、称讚され、プロレタリアの陣営からは疑問と批判とをもって迎えられた。砕いていえばあっちではいいといわれ、こっちでは悪いといわれたのである。けだし、あっちでいいといわれた理由が、「青年」のたくましい革命的迫力によって敵ながらあっぱれなものであると現代日本のブルジョア反動文学者群の世界観を局部的にでも撃破克服した点にあるのではなく、逆にプロレタリア文学の中からでもこれくらい俺らの口にかなう作品も出るのだと、彼らに卑小な自己満足を味わせた点に根拠している以上、そのような称讚は林にとってまさに屈辱であらねばならぬ。
『プロレタリア文学』十月号には林の創作に関して二つの論文がのっている。亀井勝一郎の「林房雄の近業について」と徳永直の「林の『青年』を中心に」とである。亀井の論文は林の近業をとおしてプロレタリア作家としての林の最近の発展について論じ、作家林を核心とし一般プロレタリア文学および同盟の問題にもふれている。
 亀井の論文はおそらく忽卒の間に書かれたものであったろう。一応林の発展の方向がこんにちの国際的な階級闘争の重大なモメントから逸脱したものであること、階級的分析に対する無関心が諸作に現れ、それは林が「あらゆる非文学的なもの、卑俗なものから純粋になろうと努力」したが、その努力が「階級闘争の新たな段階の中で」されず「文学の党派性のかわりに、文学の純粋性が持ちこまれている」結果になったことを指摘している。
 けれども、この論文には、筆者自身が生活と思考との中でまだ十分にこね切っていない、種々の理解がやや皮相的に持ち出されている。たとえば「第一の自己批判」の部でこういう部分がある。「ぼくはプロレタリア作家の一人として政治と文学という二つのポールのあいだをぐらついていた」という林の文章を引用し「ぐらつきと自卑の原因はぼくが文学をただしく理解していなかった」云々と続く林の思惟の発展を批判するにあたり、亀井は今はただしく理解したという林のいう具体的な内容の検討をぬきに「この言葉の限りでは彼のいうことは正しいのである」と先ず断定している。然し、林が「正しく」プロレタリア文学を理解したと思っていたその理解がただしいものでないことこそ筆者をして「偏向に対して」という一項を書かしめているのである。
「第二の自己批判」のところで、林の日本のブルジョア文学の発達に関する意見がとりあげられている。「日本におけるルネッサンスがプロレタリア・ルネッサンスでなければならぬ」という意見を支持し、「トルストイやドストイェフスキーやゲーテというような大作家は日本人の手にかかると実際の価値の十分の一ぐらい小さな作家になってしまう」と述懐した森鴎外に亀井は賛成している。そしてこの鴎外の言葉は、「我々が日本のブルジョア文学者だけを相手にしていたのでは決して文化の世界的レベルをあらわすような文学を生み出し得ない」という教訓をわれわれに与える。「十分の一」のものを「十分の十」のすがたに返し「正しいすがたの中から真に価値あるものを学びとるという仕事は」現代文化の最高水準に立たなければならぬプロレタリア文学の重大な課題となるだろう、といっている。
 プロレタリア・ルネッサンスというような表現はハイカラで内容的らしく特に文学青年などの耳にのこる響きである。亀井はこのプロレタリア・ルネッサンスなるものの社会的根拠をプロレタリア革命を内包するところの日本の民主主義革命の特殊性において説明している。然しわれわれが種々な場合に注意しなければならないのは、過去の歴史上ある時期に与えられた名称を、現代の歴史的必然性を示す何か新しい形容詞とともに今日に生かして使う非唯物史観的悪癖である。
 日常に例をとってみると、この頃女の洋服の流行は次第に裾が長くなり、胸の飾帯が高くなり、肩のところで短い袖をふくらましてつけるような工合になってきた。これは考証によれば「アンピール」様式にひどく似ている。では、今日のそういう型をネオ・アンピールと呼ぶとしたらそれは正鵠せいこくを得て、内容を説明しているであろうか? 正確でも正当でもない。なぜなら、「アンピール式」が発生した当時のフランスの経済的、政治的情勢は、今日の帝国主義、世界反革命運動の策源地フランスの経済的、政治的情勢と全然異る。あの時代にふくらんだ女の肩袖と、今日ふくらむ女の肩袖との間に決して同一な社会的基礎はない。内容が違う。内容の異る二つのものが一つの同じ言葉で表現されるということはあり得ないのである。
 プロレタリア・ルネッサンスという表現についても同様のことがいえる。イタリーを中心として起ったルネッサンス時代の経済的、政治的、文化的事情は、一九三二年の日本において、ソヴェト権力による社会主義社会建設を目ざして封建的軍事的絶対主義権力と抗争する日本のプロレタリア・農民のおかれている一般情勢とは全然性質の違うものである。階級闘争の歴史的モメントが違う。亀井は、日本においての来るべき革命がプロレタリア革命を包含する民主主義革命であるという点に、プロレタリア・ルネッサンスの社会的根拠と、日本のプロレタリア文学者がプロレタリア・ルネッサンスの樹立を夢想する現実性をのべている。一歩をあやまればプロレタリア文学運動の上に、民主主義的段階主義的危険がこの論文によって導きこまれるのである。
 日本のプロレタリア革命が民主主義革命の内から急速に転化されるものであるという解釈は、決して民主主義革命の何十年かが持続した後にプロレタリア革命に展開するであろうという見透しの上にはない。プロレタリア・農民・一般勤労階級を資本主義第三期帝国主義の矛盾によって最悪化す世界的搾取から徹底的に解放するものはプロレタリア革命によるソヴェト権力の樹立、プロレタリア独裁あるのみである。歴史的発展のこの唯一にして自明な闘争を勝利的に闘うために、日本の革命的勤労大衆のおかれている具体的条件を検討した時、日本資本主義発展の歴史的基礎として明治維新がとりあげられる。明治維新がヨーロッパのブルジョア革命とは異って、農民の搾取に基礎をおく野蛮な地主的半封建的資本主義への入口であったこと、すなわち今日われらの尊敬する階級闘争の前衛を虐殺し、ストライキと革命的文化を抑圧する地主的封建的絶対主義支配の確立であったことが明らかとなるのである。
 プロレタリア革命の前駆である民主主義革命の必然性、物的基礎は土地問題にある。土地問題と現在あるがごとき形で今日われわれに残されている封建的絶対主義(プロレタリアートのよりふるい仇敵)との闘いにあり、広汎な層をふくみ専制支配に対するあらゆる不満を組織して行われる民主主義獲得のための闘争は、究極の目標としてプロレタリア革命への急速な転向(世界の革命力の高揚に応じて)をもつのみである。「最後の階級的勝利=プロレタリアの権力確立のためにこそ、日本の特殊な歴史的条件による民主主義革命は成功的に行われねばならず、民主主義革命を成功的に遂行するためには、民主主義革命における農民とプロレタリアートのかたい同盟とプロレタリアートのヘゲモニーが欠くべからざるものなのである。」民主主義革命においても指導する階級はプロレタリアートでなければならぬ。そこにプロレタリア革命への門がある。
「日本のプロレタリア文学は二重の役割をになっている」と亀井は書いているが、労働者農民の権力樹立への闘争と民主主義獲得のための闘争とは二元的に並列するものでは絶対にない。日本におけるプロレタリア革命への現実的条件として民主主義革命はプロレタリア革命の有機的前駆をなすものであり、花とその苞の如き関係にあるものと理解されるべきである。従ってプロレタリア文学者の任務は階級闘争の全戦線とともに封建勢力との闘いにおいてプロレタリア文学のヘゲモニーの確立のために闘うことにある。日本のプロレタリア革命が民主主義革命を前提とするものであり、日本におけるファッシズムは、すなわち封建的地主的絶対主義であることが明らかにされた今日、プロレタリア文学の戦略は、特に農民文学の面でこそ重大な展開をとげるべき時に立ち到っているのである。
 先に引用した森鴎外の言葉および筆者が「十分の一」のものを「十分の十のすがたにかえす」といっているところの、ヨーロッパ・ブルジョア大作家見直しの考えから、もしプロレタリア・ルネッサンスというような考えが導き出されたのなら、これもまた一つの誤りである。われわれプロレタリア作家が「文化の世界的レベルをあらわすような文学」を生むためには、「日本のブルジョア文学者だけを相手にしていたのでは」もちろん決してだめだし、また林のように「シェクスピアやバルザックやトルストイと競争しなければならぬ」という単純な意気込みだけでもだめである。「瘠せ馬」であると林を歎息せしめた日本のブルジョア文学がなぜ瘠馬であるか、ゲーテはなぜゲーテであり得たのか、その歴史的必然性を、プロレタリアの世界観のみが把握しているところの唯物史観的国際性によって検討し、その検討の階級的精密さ、科学的尖鋭さが、ひるがえって今日のわれらの現実に及んだ時、はじめてマルクス・レーニン主義の世界的レベルをあらわす文学をわれわれプロレタリア作家が各自のモメントにおいて創り得るのである。もとより単なる文学の教養の問題ではない。
 進んで筆者は日本におけるプロレタリア文学運動の新たな課題としてわれわれの前にある政治の優位性の問題ならびに組織活動と創作活動の弁証法的統一の問題にふれている。同盟内でも多くの理解の不足を示し、また敵の攻撃が集中されたこの重大な問題について筆者は貧弱にふれている。「政治主義」と「文化主義」という二つのものを認識の根柢においては対置させつつ、「文化主義を裏がえしにしたもの」が政治主義的偏向であったとかたづけている。組織活動と創作活動との統一の問題も紙数がたりなかったためか、その問題の提起者であり解決者であるサークル活動の具体性、サークル活動は何を作家に与えるかという実際問題まで切り下げていない。亀井は書いている。「われわれは政治理論の究明やブルジョア文学の批判のみに満足せず、それらをたずさえて労働者農民の生活と闘争にじかに触れようと試みているのではないか」と。いや、いや。われわれプロレタリア作家の生活慾はもっと直截であり熱烈である。革命的作家、文化の闘士として直に勤労大衆のうちにまじり、闘争をともにその中にあって闘争して、大衆の豊富な革命的経験を自身の創造力として摂取するとともに大衆を自身の経験の価値に目ざめさせ、プロレタリア文学における新しい交代者の養成に努力するのだ。

 徳永直の「林の『青年』を中心に」という論文は、徳永の近頃の勉強が明らかに反映されている点、および歴史小説をいかに書くかというひろい観点から「青年」を問題としている点など、興味あるものであった。
「当面した現実の階級闘争の必要性を歴史小説において取上げることはブルジョア陣容においても見のがしてはならない。」直木三十五、吉川英治らが明治維新を「王政復古の名によって描き出し、帝国主義段階の今日において大衆のファッショ化を積極的に強化しようとはかっている。」この現実の闘争におけるモメントこそわれわれプロレタリア作家に正しい歴史小説を書くべき任務を負わせている。プロレタリア作家の歴史小説として「青年」を批判しているのである。
 徳永は、亀井の論文においては林の「階級的分析に対する無関心」としてだけ提出されている点を核心的にとりあげ、明治維新がいかに農民の搾取の上に行われた「反革命的」性質のものであるかを摘発し、今日の現実に闘争する革命的大衆にアッピールすべき農民の姿を小説のどこにも見出し得なかったことを「青年」について批判している。特に高崎郡領一揆と大久保利通にその例を見る維新の封建地主勢力の庇護のもとにあった志士団と革命的農民との敵対関係へ、われわれの注意を向けている点は見落すことのできないことである。
 明治維新を「その被圧迫階級の立場から描くことこそマルクス・レーニン主義的であり、唯物弁証法的であり、今日の闘争と切々脈打つところのわれわれの歴史小説でなければならぬのだ。」この徳永の解説にわれわれは少しばかりの、然し意味ある数行を附加しよう。レーニン主義・プロレタリア文学として今日に役立つ歴史小説として明治維新を書くための取材は広汎な範囲に可能であり、決して直接農民一揆をだけ取扱うことが、革命の前夜における日本の闘争の現実の必要性を満すのではない。「生麦事件」を書こうとも、ブルジョア作家十一谷義三郎をしてブルジョア的盛名を得させたと同時に堕落させた「お吉」を書こうとも、「天誅組」を書こうとも、取材を貫徹して、維新が、封建的地主絶対主義支配の門出であるという特性をわれらに示し、こんにちの窮乏した農民の革命的高揚、その娘が年々多く吉原に売られてくるという慄然たる事実の根源は、明治維新の農民搾取制度にみることが摘発されなければならぬ。さらに、樋口一葉がそれに向って彼女の小説の中で非組織的な小市民的反抗を自然発生的に示した、明治のブルジョア官僚=官員はほとんどことごとく階級層においては革命的農民と対立した地主的勢力の取巻き志士団のくずれであったこと、故にひろく衆をあつめる人材登用なるものも、実質的には地主的勢力によって占められ、文化は絶対主義宣伝として独占された。憲法発布の当時、「絹布のハッピを下さるのか」と驚いた平凡な市民の逸話からさえ、精鋭なプロレタリア作家はこんにちの抑圧的支配形態の偽瞞を曝露し得ることを理解しなければならないのである。

 さて、ここまで書いてきて、十一月『中央公論』の「青年」続篇をひろげた。林は「青年」第二篇において幾分筆致を引しめて書きすすめているが、第一篇に現れた基本的欠陥は克服されていない。筋は第一篇とおなじに、階級闘争の現段階から逸脱している上、青年志士連の幕府批判を説明した部分は、今日の読者に対してさながら愛郷塾の演説のような反動的役割を演じている。「幕府は肥壺である。ふりかえって京都を見よ。京都には、かつてわが国を無階級で自由な一国に統一して合理的な政治によって万民をうるおした聖天子の末裔があらせられる。(中略)そのむかしの自由な日本はこの聖天子を幕府とおきかえることによって再生する。」この一文をよむわれらの脳裏に愛郷塾が髣髴し、社会ファシストの産業奉還論が想起されずにいるとすれば、むしろそれはおどろくべきである。
 林は獄中での精力的な読書にもかかわらず、「京都の一族が封建地主的存在としてどのような窮迫した経済状態にあり、新興ブルジョア日本の侵略主義帝国主義的確立のため、この封建的存在自身の経済的必要からいかに狡猾に専制的支配権力として活躍しつつ今日に及んでいるか」を、「青年」において曝露し得ない。「青年」第二部をよんでああこれは主題のとりおとされた小説であるという感じに打たれた。

 徳永直が十一月号の『改造』に文芸時評を書いている中に、作家としていろいろの批評に対するがんばりのことがある。林が「作家はガンコでなければならぬ」といったのを、当時「阿蘇山」を中絶し「ファッショ」を中絶した徳永が、基本的線に沿おうという努力のある限り作家は批判に圧倒されずガンばるべきであると感じ、賛成した。けれども、林の諸作品が同じ「誤謬に属するものとしても基本的方向から背を向けている」以上このまま「ガンコであってはまったく階級的裏切りとなるであろう」と友情のある憂慮を示しているのである。
 林房雄は、近作に対して与えられる多くの同志的批判をどう理解しているであろうか。帝国主義戦争強行のため、日本の封建的専制支配が革命運動に対して、今日ほど兇暴であったことはない。失業、農村の飢餓に苦しむ大衆の革命力の深刻な高揚とそれに対する支配階級の恐怖は、プロレタリア文化団体に対してのうちつづく暴圧、白テロにまざまざと反映している。世界の情勢は革命的作家に実に多くの任務を負わせ、実践を必要としている。列強ブルジョアジーの第二次世界戦争の準備に対し、世界のプロレタリア作家の闘争は激化されるが、東洋のポーランドである日本においてプロレタリア作家の歴史的使命は、革命的大衆の任務とともに画期的なものがある。
 林房雄は、プロレタリア作家として持つ自身の影響力によって、作品はその成功失敗にかかわらず、プロレタリア文学運動全線の問題として批判されるのであることを、まともに認めなければならぬ。ブルジョア・ジャーナリズムがわが陣営の作家を恐怖し、有能な作家が投獄されている時、われらは全力をつくし、どの一部を切ってもピチピチとそこだけで叫ぶべきことを叫び得るようなボルシェビキ的作品を創作してゆかなければならぬ。対立する階級の独占的文化機関の一部をわれらが占めたなら、それはプロレタリア世界観によって確保し、勝利の足場とすべきである。
 林房雄は二年の獄中生活の間、決してあんけらかんとしていたのではなく、大いに読んだ。朝五時に起きて午前中創作に没頭するという学ぶべき習慣も奪取してきたという話である。「青年」「乃木大将」その他は二年間の読書の成果なのであるが、林の作品を批判するにつれて、一つの強い憤怒が湧いてきた。それは専制国日本の刑務所で実行している読書制限の問題である。
 現在豊多摩にいる同志たちはトルストイやドストイェフスキイなどさえ禁止されているという有様だ。率直にいえば、そのような不便な境遇におかれる以前に、林はもっともっと基礎的な多くの勉学をプロレタリアの前衛として身につけておくべきであったろう。そしたら、不自由な読書の中からも掴むべき線は失わずに掴んだであろう。然し、これは、そうあったらよかったということに過ぎず、今日の激化した情勢のうちで誰がそのような十分の土台をつくり得た後、敵の襲撃に具えるということができよう。われらは、不意に、陰険に、不条理に短期間、あるいは長期間自由を奪われる。林は、二年の間、そのようにプログラムをもって読書してもなおかつレーニニズム的発展は十分なし得ないような書籍しか自身に許可しなかった支配階級に対して、かつて一度の憤りをも感じたことが無いであろうか。
「青年」が考証だおれであること、革命的作品ではないこと、そのような批判をうけることは林にとっては口惜しいであろう。そのような批判を避け難いと理解するとき、批判する者の舌はにがいのである。おなじくくちおしさで苦いのである。いわば無駄に読まされた百巻の書籍に対して林のために憤怒し、正しい知識を圧殺する野獣的暴圧に対してプロレタリア作家として血の熱するのを覚える。林房雄は作品に対する批判をまともに摂取し、プロレタリア前衛としての日常生活によって速かに立ち直り、抑圧そのものの形態として存在する読書制限による敵の重圧の痕跡を癒さなければならぬ。ボルシェビキ作家として発展することを、階級的抗議として敵の面前にうちつけなければならぬ。この一点に集中して敵の抑圧の組織を峻烈に検討するだけでさえ、よく一人のプロレタリア作家をして奮起せしめる階級的悪を見いだすのである。「われわれは、われわれがまだこれらすべての醜悪事の十分に広汎、明瞭かつ急速な曝露を組織し得なかったことについて自分自身を、大衆の運動からの自己の立ちおくれを責めなければならぬ、」「学生と異教徒、百姓と著述家の上には、その生活の一歩ごとに労働者をかくも抑圧し圧迫するその同じ闇の力が跳梁跋扈していることを理解し、また感ずるであろう。」(レーニン)
〔一九三二年十二月〕

底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「プロレタリア文学」日本プロレタリア作家同盟機関誌
   1932(昭和7)年12月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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