十月下旬行われた作家同盟主催の文学講習会のある夜、席上でたまたま「亀のチャーリー」が討論の中心となった。ある講習会員が「亀のチャーリー」をとりあげ、その作品は一般読者の間で評判がよく親しみをもって読まれたから、ああいう肩のこらない作品の型もプロレタリア文学の中にあってよいのではないかという風に問題をおこし、プロレタリア文学のジャンルの問題に連関させていた。
 その晩、自分は最後の時間をうけもっていたのでおそく出席し、そもそもその講習会員がどんな発端からそういう話をはじめたのかわからず、鹿地亘が意見を述べるのを聞いていた。「亀のチャーリー」について問題とすべきはプロレタリア文学としての創作方法の問題であって、ジャンルの問題ではないということが説明されていた。自分はそのとき「亀のチャーリー」をよんでいなかった。帰って注意ぶかく読んだが、はたして「亀のチャーリー」はプロレタリア文学の中にあってもよいという種類の肩のこらぬ作品であったろうか?
 藤森成吉が『改造』九月号に発表した小説「亀のチャーリー」は、三十年もアメリカに移民労働者として辛苦の生活をしている動物と子供のすきな日本人中野が、市場で亀をひろって育てたことから亀のチャーリーとあだ名され、アメリカの子供の人気を博しつつ、日本の切手や菓子その他を宣伝用具として子供らを教育し、ピオニイルに仕立ててゆく。亀のチャーリーは相もかわらず貧乏で冬じゅう何も食わぬ二匹の亀の子とボロ靴下を乾したニューヨークの小部屋では五セントの鱈の頭を食って暮しているがピオニイルはゾクゾク殖えてゆくという物語を、五章からなるエピソード的構成で書いているのである。
 小説の冒頭には、ワシントン百年祭当日、アメリカの共産党によって指導された民衆の、中国から手をひけ、ソヴェト同盟を守れ、とスローガンをかかげた大衆的示威運動の光景が描かれ、チャーリー中野もそれに参加したと紹介されている。ニューヨークの反戦デモに参加するばかりか、中野は三十年間転々としてアメリカであらゆる労役に従事していた間に、鉱山の大ストライキにプロレタリアとして夜も眠らず働いたことがある。なおかつ現在では自分の周囲におけるアメリカの子供の中からピオニイルを養成しているというのであるから、おそらく日本移民労働者の一人として、アメリカ共産党に組織されているのであろう。
「亀のチャーリー」一篇を読んで最も強く印象されることは、亀のチャーリーという中年の男が全く孤立的に書かれていることである。生活的な面では住んでいるアメリカのプロレタリア大衆とも、故国日本の革命的大衆ともなんら切実な交流を持っていない。ポッツリ切りはなされている亀のチャーリーという男が、ニューヨークには、ほかの日本人労働者も学生も商人もいるであろうのに、それらとはちっともかかわりなく、またアメリカの労働者、その前衛とも何の有機的結合をも示さず、ひたすらアメリカの子供に向って公式的な宣伝教育をしてはせっせとピオニイルにしてゆくことが書かれている。――これは全く著しく変であると思った。
 ピオニイルの組織は誰でも知っているとおり、どの国においてもプロレタリアートの指導のもとに組織されている革命的な階級的少年少女組織である。ピオニイルは共産青年同盟員によって指導されるのが通例であり、おそらく五十を越しているであろう腕の毛まで白い亀のチャーリーにその任務がはたせられていることはなかろうが、それは一応チャーリーの子供好きの特色、独特性によるものとして、どうも納得できないのは、亀のチャーリーがピオニイル養成という現実の仕事の理解に対して示している機械的な卑俗的な、安易さである。
 たとえば、メリイという女の子が夏場彼の店に出入りしてピオニイルになる過程を作者は手軽くこう書いている。メリイに本を読ますと円い青い目をクルクルさせて「正確な理解力」を示し、「十日ばかりチャーリーの店の手伝いをして」「やめる時にはもうピオニイルの組織に入ってい、弟や妹ばかりか父親や母親たちへまで宣伝するようになった。」あるいは失業者の息子が二人、店に掻払いにきたのに、亀のチャーリーがつかまえて説得して「本」をやると「二人はやがていいピオニイルに成長して、いつも二人で組になって活動した」と。
 あとからあとからそのようにしてつくられるピオニイルらは、どこへ組織的にはつけられるのか、どんな分隊、野営をチャーリーが知っているのか、読者にはわからずに、はなはだ不安である。「本」をよますと「正確な理解力」を示すというが、それはどんな本であろうか。子供らは質問するというが、七百万人の失業者のあふれたアメリカの子供、牛乳業トラストが市価つり上げのため原っぱへカンをつんで行って何千リットルという牛乳をぶちまけ、泥に吸わせ、そのために自分たちの口には牛乳が入らないでウロついているアメリカ勤労階級の子供らは、亀のチャーリーにどんな、現実的なプロレタリアの子供らしい質問をするか? 子供らがピオニイルにならずにおれぬモメントはどこにあったのであろうか?
 最も興味あり関心事であるべきそれらの点を、作者は機械主義で片づけている。同時に、一人の子供をピオニイルにしようとし、なし得たことによって得た経験が、亀のチャーリーの心持をプロレタリアとして、またアメリカ帝国主義の下で有色人種労働者として二重の搾取と抑圧とに闘っている日本人移民労働者としてのチャーリーの心持をどのくらい高め、鼓舞し、生きてゆく日常の世界観を変革したかというようないきいきした人間的階級的摂取は、作品のどこにもあらわれて来ない。
 その例は小説の初めに、風邪をひいてしょげた亀のチャーリーの心持とその次の不自然な、非現実的飛躍に現れている。しょげたチャーリーは平凡らしく、金もたまらず、妻も子も持てずに働きつづけ、今や体が弱って髪の白くなったのを「これが日本人労働者の運命なのだ」とこぼし、更に「おまけに、お前が気が弱くなったのは、体が弱ってきたセイってよりも、むしろ恐慌のセイらしいぞ」と弱気な、非闘争的なダラ幹魔術にかかっているような述懐をもらしたかと思うと、忽然として次の行では作者はそのチャーリーに「収入が減ったって、だがそれ以上のものがあるんだ」と意気込ませている。そしてつづけていっている。「今年の宣伝のためにはこの恐慌はウンと有利だ」と。
 作者の非プロレタリア的現実把握が微妙に右の一二行によって暴露されている。即ち、チャーリーの本当の気分は恐慌によって弱くなっているのだが、宣伝のためには有利だと、まるで第二インターナショナルの職業的社会主義者のように、切迫した恐慌による階級と階級との対立を人為的にみている。三十年間にうけた抑圧との闘いによってプロレタリアとして目覚めた一移民労働者が、今や彼の賃金を百ドルから七十ドルに切り下げる恐慌に対して、利害の衝突する二つの資本主義国家間の泥仕合的排外主義に対し、ピオニイルの養成にも熱誠を示すというようなのでは決してない。
 プロレタリアートの心持を書こうとして客観的現実と主観とが非弁証法的な分裂をとげたというのではない。
「亀のチャーリー」は、生々したたくましい現実としてのプロレタリアートの日常に作用している革命性、そのための組織など書いていない。ましてや、一九二九年来の恐慌が一層深刻化し、資本主義の局部的安定さえ今は破れ、資本主義国家と資本主義国家との衝突の危機が切迫している現段階のプロレタリアートのピオニイルという最も革命的組織的なものにふれつつ、それを最も非組織的に非現実的に描くことによってプロレタリアートの力を背後に押しかくし、亀の子、子供、子供ずきの孤独な移民チャーリーと市民的な哀感をかなでている。
 作者は「移民」という小説を近く発表するらしく広告で見た。しかし「亀のチャーリー」のように、主題の把握においてプロレタリアートの闘争から切りはなされ、プロレタリア作家に課せられている課題から逸脱したものであるならば、「移民」の書かれる革命的意味もまた少ないであろう。

 作家が一つの作品から次の作品へと正しい発展をとげてゆくことは、困難な努力のいる仕事である。ブルジョア作家たちは、その本質から、作家としての完成を個人的自己完成としてしか理解し得ないため、その努力を取材から取材への一見めあたらしげな転々たる移行およびその扱いかた、書きかたの練達へと集中する。彼らはいかに数多く一つから一つへと書きまわろうとも、ブルジョア的世界観の上に立っている以上主観の真の意味における発展はない。いきおい陳腐な本質の粉飾としての形式主義に、芸術至上主義に堕さざるを得ない。
 この点プロレタリア作家は全く根底を異にしていると思う。プロレタリア作家こそプロレタリア階級の発展の各モメントとともに発展し得る。プロレタリア作家が唯物弁証的把握によって自身の階級の当面の革命的モメントを正確に政治的に把握し得さえすれば――社会的矛盾における複雑活溌な相互関係とそれに対して階級として働きかけるプロレタリアートの革命性を具体的にとらえ得さえすれば、作品における主題の積極性、発展性は革命の進展につれて押しすすめられ得る。この意味でプロレタリア文学および作家の発展をわれわれは問題にするのであるし、プロレタリア作家の発展の努力はこの方向に向ってなされなければならぬ。あれやこれやと低下したあるいは逸脱した題材を書きまわるのではなく、プロレタリアートの課題とともに書きすすめる努力こそされなければならない。

 須井一の「幼き合唱」と「樹のない村」とはこの観点からわれわれに何を教えるであろうか。「幼き合唱」において作者は漁師の息子である小学校教師佐田のブルジョア教育に対する反抗を書いている。貧乏なばかりに師範の五年間を屈辱の中に過し、それをやっと「向学心」と「学問の光明」のために忍従していよいよ教師となった彼は、「希望と理想と満足とがひとりでに胸をしめ上げて来る」という状態で就任する。ところが「教員生活の最初の下劣さ」として、先輩教員らのへつらい屈伏を目撃し二宮金次郎の話をして児童から「私は金次郎は感心ですけれど万兵衛はわるいと思います」といわれたことを契機に、猛然と自分のかけられてきた師範学校的世界観の魔睡を批判しはじめる。佐田の煩悶がかくして始る。佐田は神経的に正義派的に、彼の認識の中で一般化されている(作者も同様に一般化している)児童の「意欲をもたぬ幼年期の純真さ、無邪気さ」、創意性などを計量し、「労作にむすびついた教育、具体的実践に結合した」教育こそ小学教育の基礎であると感じる。
 たとえば「窓ふき」という集団的労作を子供らがみずから分業に組織したことを驚異した佐田が、そこから生産労働の分業について子供らに話しはじめれば、当然資本主義社会における矛盾形態としての分業の説明が必要となることを感じる。佐田は蟻の話と工場の話とを対照させる。児童を型にはめ、卑屈にさせ、抑圧と搾取とを準備する現在の小学教育はドグマの所産であると奮激し「おれはもっと……して……ぞ!」(原文伏字)と切歯する。
 K市の年中行事として行われる「共同視察」参観者の列席の前で、佐田は児童との初歩的な階級性を帯びた質問応答によって彼の発見しつつある新しい教育法を示威しようとしたことから、ついに反動教育と決裂する。あやまれといわれたことに対して、体じゅうをブルブルふるわし「私は詫びにきたのではありません。主張をしにきたのだ」と叫び、あわてふためく同僚に「私は、私は……」と叫びつつかつぎ出される光景をもって結んでいるのである。
 伏字によってこの小説の中のかんじんなところはわれわれの目から隠されてしまっている。それらの部分で作者はきっと、思惟の当然の発展としてソヴェト同盟における社会主義的小学教育が全社会の前進とともに達成において新しい人間を生みつつあることや、または現在日本の文部省教育の腐敗は日本独特の封建的専制主義の重圧によるものであることなどもいっていることだろう。
 そこを考えに入れても、この「幼き合唱」が読者にあたえる印象の総和は、錯雑と神経衰弱的亢奮と個人的な激情の爆発とである。行文のあるところは居心持わるく作者の軽佻さえ感ぜしめる。これはどこから来るのであろうか。
「子供の世界」という小市民的な一般観念で、階級性ぬきに子供の生活を「意欲をもたぬ純真」なもの、無邪気なもの、天真爛漫な人生前期と提出している点、作者は極めて非プロレタリア的である。バイブルが「手袋なしには持てぬ」代物である通り、ブルジョア世界観によって偽善的に、甘ったるく装われ、その実は血を啜る残虐の行われている「子供の無邪気さ、純真さ」の観念に対してこそ、プロレタリアートは「知慧の始り」である憎悪をうちつけるのではなかろうか。実際の場合に、人道主義的、正義派的な若い小学教師が、小学教育の偽瞞に目ざめる動機は「万兵衛は悪いと思います」という子供のイデオロギー的な言葉よりさきに、校長、教頭などが金持、地主、官吏の子供らばかりをチヤホヤし、その親に平身低頭し、自身の地位の安全のためにこびる日常の現実に対して素朴な、しかし正当な軽蔑と憤りとを感じることから始る例が多い。
 佐田は搾取形態としての分業について、又は専制的封建的小学教育法についてイデオロギー的批判をするとき大がかりにマルキシズムの社会観によって思想を展開させている。ところがそれを実践にうつす段どりになると彼はきわめて安直に、粗末に、非組織的に行動することしかなし得ない。
 児童たちの窓ふき作業ぶりを観察して、たちどころに小学教育の基礎と方法とは労作に結びついた教育でなければならぬという社会主義教育の階級的課題にまで頭の中で推論に拍車をかけた佐田は性急に、孤立的にそれをどういう形で行うかというと「おおい、みんな!」彼はとっさにワイシャツとズボンを脱ぎすてて叫んだ。「先生もみんなを手伝うぞ! みんなの仲間入りするぞ!」そうして、素早く雑巾を握ると、まるで夜のあけたような心で割り込んで行った。生徒たちが若い先生の主観的な亢奮ぶりにキョトンとすると、彼は「肥えたるわが馬、手なれしわが鞭」と「精一杯の声を張りあげて歌い出した。」子供たちも「忽ちこれに同化されて歌い始めた。労働の歌が労働するものの心を融合し統一した」と作者は楽観している。
 師範卒業生佐田の安直ぶりが、階級的発展の端緒としての意味をもつ未熟さ、薄弱さとして高みから扱われているのではなく、作者須井自身にとっても弱い一点であることは、「幼き合唱」のところどころの文章にうかがわれる。大体作者はいわゆる筆が立つという型である。したがって字面をおしみなく並べてスラスラ読み流させる傾向であり、描写は立体的でなく叙述的である。文章に調子がつくと作者はよみ下し易い美文めいたリズムにのるのである。たとえば「絶望があった。断崖に面した時のような絶望が。憤激があった。押えても押えてもやり切れぬ憤激が。惨めさがあった。泣いても泣いても泣き切れぬ惨めさが。恩愛も、血縁も、人格的なつながりもない……(原文伏字)から死命を制せられている自分!」うたい上げられた調子はあるが沈潜して読者の心をうち、ともに憤激せしめる迫力は欠けている。
 皮相的な、浮きあがった表現の著しい例をわれわれは、この小説のクライマックスともいうべき「共同視察」の場面に発見する。ドヤドヤと視察者が入ってくる。佐田はさすがに「厄介なことになった」と思うが、あくまで自由な質問応答をやり、「活溌にやることによって彼の発見し、実行しつつある新しい」教育法を「示してやろうと思った。」佐田の一生にとって、即ち小説としての芸術的概括の点からいってもこの瞬間は緊張した、真面目なるべきモメントである。それにもかかわらず、作者は「彼はちょっと悲壮な気持で第一声をはなった。『では質問に入りますから、判らぬところがあったら……』」云々といってすぎている。この一句で真摯なるべき現実が不快にくずされている。悲壮という複雑な人間的感情の集約的表現は、ちょっとという小量を示す形容詞によって、軽佻化され、なおざりのものとされ、読者は作者の浮腰を感じるのである。このような例は、この部分一ヵ所ではない。
「幼き合唱」は濫費されている字数にかかわらず何故に薄手な、貧弱な作品を結果したか? 作者は日本の封建的ブルジョア教育との闘争を、プロレタリアート解放のための具体的一部としてつかみ、芸術による闘いとして主題を深めていないからである。書く材料をペン先で扱っているからである。もし作者が一小学教師の煩悶、反逆を、野蛮な封建的絶対主義的抑圧と闘う労働者農民の立場に立って把握したならば、当然天使的な無邪気な子供というブルジョア的観念化からも救われ、佐田のイデオロギー的飛躍と実践とは、もっと質実な、納得のゆけるものとして描かれたであろう。現実の日本において、文化反動との闘争の問題は今日広汎に教育労働者を包括してきている。作者が主題をそこまで積極的にプロレタリアの課題とするところまで高めたなら、佐田の実践はよしんばあの形態において書かれたにしろ、その個人的な非組織性――小ブルジョア的なアナーキー性に対し、作者は目的を貫徹するための執拗な周密な行動を、集注し指導し更に一層合目的たらしめる可能を理解するプロレタリアの観点から正しい批判をもって描き得たであろう。
 同じ作者の「樹のない村」は「幼き合唱」の創作態度において感知することのできた作者の「作家」というものについての理解が、作品中にはっきり姿をあらわしている点、特に多くの注意を喚起した。
 農村のはてしない収奪と資本主義の高利貸搾取と二重の重圧によって祖先伝来の樹木さえ失い「樹のない村」となった山間のK部落の自作農らが、更に戦争の軍事費負担を加重される。軍部がその部落に二百円の強制献金を割り当てた。自作農らはついに共同墓地の松の木を伐ってそれを出すことに決議したが、昭和二年の鉱山閉鎖以来共同植付苅入れをしている「やま連」と呼ばれる農村の集団的な労働者がそれをきっかけに、未組織のK部落における闘争に率先して立つことになった。そのオルグ的役割は僕というプロレタリア作家によってされた。この小説はその作家の手紙からなっているのである。
「樹のない村」において、主題は「幼き合唱」よりはるかに積極的である。手紙の筆者である僕というプロレタリア作家は、闘争の激化した現段階で帝国主義日本の革命的勤労大衆の前衛に課せられている任務は、広汎で具体的な帝国主義戦争反対の闘いであり、帝国主義戦争によって生じるあらゆる矛盾のモメントを内国的にはプロレタリア解放のために有利に強力に転化せしめることであり、そのためにプロレタリアートの共力者として農民との結合が急務であることなどを理解している。
 久しぶりで彼を故郷へ呼びかえした点呼。強制献金。それ等の機会を、彼は階級的方向に転用しようとするのである。
 K部落の土着で、「ふん、自家用か、お前も役場の衆みたいなことをいう! これ以上、どうして芋が食える。朝食うて、昼食うて晩食うて……。お前に食わさんのが慈悲じゃと思え」という兄について彼は部落を歩きまわり、ことごとに部落の荒廃を目撃する。盆の十四日が百姓平次郎に鉈をふるわせる厄日であり、室三次の命の綱である馬が軍隊に徴発され、その八十円を肥料屋と高利貸に役場で押えられた室三次の女房は絶望して発狂した等々。それらを部落の一般経済事情の分析とともに、僕なるプロレタリア作家とは組織上どういう連関にあるのかまるで示されていない同志Tに、彼は細々と報告する。観察報告を書くとなると、彼はいわゆる作家的手腕を示す欲望にとらわれ、芥川龍之介がよく文章の中で使ったような調子までを使い、なかなか多弁に、詠嘆的に、味をたっぷりつけるのである。
 目撃したK部落の窮迫の現象から、彼は、猛然と「畑へ」「種子」をおろそうと決心した。部落は自作農ばかりだから、闘争組織は農民委員会であると規定し、「僕はいよいよ実行運動に入ろう」「時はあたかもウンカ問題で村会とこじれている」「やさしくなくとも僕はやる。我々の故郷に革命の詩をもたらすための開墾を」と、プロレタリア作家の農村における闘争的活動が開始される。
 読者はこの作家の実行運動において最も拙劣な、機械的なオルグを見るのである。強制献金のための村の衆の集りに出て、アジ・プロしようという機会そのものの積極的なとらえかたは、間違った方法によって失敗に帰したのだが、僕というプロレタリア作家は、手紙のこの部分になると、階級的先進分子としてオルグ的活動と作家的活動とを、完全に分裂した実践として行っている。
 失敗した宣伝教育の自己批判を通して、彼の口惜しさ、悲しみが読者の胸に浸み込むような真実さで手紙は書かれていない。第一信と同じ饒舌な文調で、書くために書かれている。オルグはオルグ、作家は作家、そして手紙を書くにあたって、まさに僕は作家なのであるという分裂を行っている。「どうでも書かずに居れぬ」と切迫した実感において自己の失敗を書くとき、誰が「いや――こんな描写を重ねていては君を退屈させる。僕はいい加減にペンをはし折らねばならぬ。ども小説書きというやつはどんな場合でも呑気でいかん」などといりもしない断り書きをするほど、そんな不必要なお喋りをするであろうか! そういう作家であるからこそかんじんの村の集りで自分だけいい心持ちになって喋り、やがて「あたりを見廻して」みなが自分のまわりを離れ、区長や雑貨屋の方へかたまって彼をぬすみ見ているのに、「驚いた」りするのである。活々した階級的人間的生活の種々雑多の具象性に対し最も感受性が鋭く、個々の具象性の分析、綜合から客観的現実への総括を、あるいはその逆の作用をみずみずしく営み得るはずのプロレタリア作家ともあるものが、自分のしゃべる言葉に対する大衆的反応を刻々感得することなく、自身を「排斥された異端者」と文学的に詠嘆するに至っては、一箇の腹立たしい漫画である。
 なるほど、村についた最初から彼プロレタリア作家は、K部落の窮乏がどんな外見をとって現れているかということは、こまかに書きとめている。外から部落へ入って来たものとして観ている。しかしそれらさまざまの外見をとって起る事件が、部落民の世界観をいかにかえつつあるかという大切な要因については、その重大さに必要なだけ細心で執拗な関心を払っていない。
 作家は「悲劇が来た」と報じている。馬をとられた三次の女房の発狂にしろ、気が違った女房が役場に日参しているという現実の報告で終っている。現実の非惨事のこれだけの現象主義的把握は一応大衆作家でもやるのである。われわれに必要なのは、そのようにして女房まで発狂させられた三次が、戦争に対し、政府に対し、どんなにこれまでと違う心持を抱くようになって来たか。三次のその不幸はまた部落民の心にどんな影響を与えたか、そのことこそ必要なのである。この三次に強制献金は何と響くであろう。彼プロレタリア作家は暗い納戸で寓話化されたソヴェト同盟を幻想に描くよりさきに、三次の事件を想起すべきであった。しかし彼は村の神社の集りへ出て、鉈をふった平次郎は念頭においたが、三次が集りに来ているかいないかさえ問題にしていない。
 同時に、その部落と彼との関係はどこまでも、「僕」「彼ら」あるいは「百姓たち」という関係におかれ、しかも「実行運動」に当って「僕」なるものが、部落の大衆にどんな感情でうけ入れられているかという、大切な計画をぬかしている。部落へついた第一日に「味噌又」のおやじに「点呼で? そうかそうか。そしてもう社会主義たらいうもんやめて?」云々といわれている彼にしてみれば、「川上の弟じゃ、菊坊じゃ!」というだけではすまさぬ複雑な部落民の先入観によって迎えられていることは明らかである。
 村の社での演説の失敗は、これら数多あまたの必要な情勢分析の不確実さから生じた当然の帰結であった。彼が戦闘的唯物論者らしく部落内の現象の分析綜合をなし得たら、「彼女(部落)の古い精神がいかに社会変革をきらっていようとも彼女のからだ――生活はこれを熾烈に要求しているのだ。要求せざるを得なくなっているのだ。」という二元論は成り立たぬであろう。古い伝統がそれを嫌っていようとも生活が社会の合理的発展を熾烈に要求せざるを得ない状態に立ち至っていたとすれば、その要求によって必然的にかえられる古い精神が、そっくり元のままの古い精神であることは絶対にあり得ないのである。
 プロレタリア的実践力の欠如によって起るさまざまの破綻を、僕というプロレタリア作家は「無力な小説家的詠嘆だというなかれ! 実際僕は悩んだのだ」と、さながら小説家というものの本質は無力なるもので「どんな場合にでも呑気でいかん」ものなのだが、マア堪えてくれろといわんばかりに書いている。
 彼の失敗した演説にもかかわらず、農村における力の高揚はむこうから組織をとらえに来る。「やま連」のグループが北村清吉を代表として部落委員会らしいものを組織する話をもち出してくるのであるが、この月夜の晩、彼プロレタリア作家の心は「この一言でまるで満月のようにふくれてしまった。」そしてただちに「同志Tよ。僕の煩悶は無駄であった」と安心し、大衆の実生活が内包する革命性の豊富さに対するオルグとしての自己の実践の貧弱さ、誤謬はそれなりに飛び越えてしまっている。きわめて非マルキシスト的な態度である。
「樹のない村」の検討において特に作家とオルグ的活動についての分裂的認識の点を強調したのは、今日われわれプロレタリア作家に課せられている階級的課題の実践的理解と連関をもっているからである。今日プロレタリア作家に課せられている任務は、あらゆる芸術的技術を統一し練磨し、階級性の集注的表現=プロレタリアートの組織の基本的線に従属させ、その独特で鋭利な武器となるべき時にあるからである。
「樹のない村」で読者は直接農民委員会、または部落委員会の組織を試みたプロレタリア作家を見たのであるが、プロレタリア作家のオルグ的活動の面はさらに多面であり、作家としての技術を組織的活動に直接活用し得る面も数多くある。それはサークル活動である。「樹のない村」について見ても、このプロレタリア作家は、新しく「やま連」を中心とする部落の闘争組織ができようとするにあたり「明日の夜になると我々の故郷にも赤い旗が立つ」と抽象的表現で結び、「どうだ、この蚊のひどいこと!」と手紙を終っている。蚊よりも同志Tに語るべきことがあったはずだ。オルグ的役割をつとめる作家であるならば、その新しい革命力の影響を大衆化するために当然、「部落新聞」の発行について考え、その具体的な指導が「ひどい蚊」に代って彼の注意を占めたはずではなかったろうか。
 以上三つの作品、特に「樹のない村」の検討は、われわれの関心、反省を、自身のプロレタリア作家としての活動の吟味に導いて来る。作家同盟で目下とり上げられている組織活動と創作活動の統一の問題にふれて来るのである。
 十月号『プロレタリア文学』に鈴木清がこの問題について「一歩前進か二歩退却か」という論文を書いている。この論文はいうべきことのまわりをまわりつつ、ついにかんじんの環をつかみそこねた論文である。筆者は、繰返し説得している、組織活動と創作活動との統一はプロレタリア作家の実践によってのみ解決されるものであると。そして、その実践とは「より一層の精力的な組織的活動と創作活動との交互関係において始めて解決されなけらばならず」これは「統一され得ない問題ではなく、統一されざるを得ない問題である」といっている。しかし、筆者はその実践の経験を真に「精力的な」「交互関係」において統一させ、われらの世界観を豊富ならしめ、前衛作家として発展せしめ得るものは、ただ一つそれら「精力的な」「相互関係」を通じてわれらに客観的真理の概括を与えるところの、明確な政治的把握あるのみであることに言及していない。この問題の具体的な、日常的な解決は、とりもなおさず、芸術における政治の優位性に対する正しい階級的理解なしにはあり得ないのである。鈴木清はこれを基本的環とせず、あれやこれやの必要条件の一つとして理解したため、論文は実践的な推進力を失ったのである。

 今日、プロレタリア文学運動において、組織およびその組織活動を否定するプロレタリア作家はいないであろう。文学運動が文学運動としてあり得る鍵は組織活動にある。われわれの組織の内で、組織活動と創作活動の統一の問題がおこったのは、組織活動の否定からではなく、逆にその重要性の理解(しかし不十分な理解)から起ったのである。われわれは組織活動はもちろんやらねばならないし組織活動の旺盛化の要因として創作活動も高められなければならない。だが、何ともいそがしいではないか。同盟内の仕事はおのおのの部署にあり班会にあり実にうんと用事がある。サークル活動は更に多くの精力を要求する。体が一つではまわり切れない。朝出て家に帰るのは十二時であるとすれば、いつ創作ができよう。だが作品は書かねばならない。困ったものだというところから問題が生じている。当惑と一種の焦慮とをもって問題はおこっていて、一つこの矛盾を大いに克服しようではないか、そのためにはわれらの置かれている現実をまず分析しよう、討議しよう、さあ……諸君! という、気組みの引立ちが欠けている観がある。
 特に率直にいえば、一九三二年の後半期に問題は一進している。林房雄や須井一などが一応プロレタリア文学の陣営に属すように見えつつ、実質においては非プロレタリア的な作品を量において多量生産し、しかもそれがブルジョア・ジャーナリズムにおいてもてはやされているのに対して、われわれが一々それを作品によってくつがえすような作品を書いていないという現象から、漠然たる圧力を感じる傾向があった。従前から、創作活動旺盛化の課題がわれらの前にあった折から、この気分は同盟内に新たな意識で創作活動と組織活動との統一の問題をまき起したのである。そして、この問題に対する同盟員の感情も微妙な複雑性を示した。
 一方には、組織活動をしないでいいとは思わないが、今のままではやり切れない、何とかならないものか、という消極的な、他力本願的気分がある。一方には、現在の状勢でプロレタリア文学運動の確立のために組織活動なしでどうするものぞ、組織活動によってこそ、多数者獲得の課題に答え得るのだ、今書けないのは仕方がない、という左翼的日和見主義があり、他には、時間の問題とする部分もある。創作をする時間さえあればよいのだ、と。
 プロレタリア文化運動で組織問題の重要性が理解され、それが実践にうつされたことは一九三一年度における基本的発展であった。更に、そのプロレタリア文学組織としての発展を、組織の特殊性によって具体化するために創作活動旺盛化の課題が一九三二年の大会で決定されたことは、正しかった。われわれはわれわれの革命的作品によって反動文学を克服し、サークルその他同盟の組織活動によって敵の文化組織を撃破し得るはずであった。
 しかし、それはうまく行っていない。急速に変化した情勢は現在サークル活動の理解の立てなおしを要求している。創作においてもわれわれがプロレタリア作家として互に要求しているだけ雄大で高度で、かついきいきとしたプロレタリアートの生活描写において大衆をすいよせるような作品は出ておらぬ。
 だからといって作家同盟の方向が根本的に誤っているとか、または林房雄の憫然たるアナーキー性の爆発的言辞を引用すれば「鎌倉に引込んだ僕の方がプロレタリア的仕事をするから見ていろ」などというに至っては、すでに論外である。
 真にプロレタリアートの立場に立ち、戦闘的マルキシストの目で発展の本質を理解すれば、われわれの当面する矛盾こそ発展の最大のモメントとして現れていることを理解するのである。
 たとえばブルジョア文学批評家は、自分がもとのように次々と小説を書かぬことについて過去二年間しばしばこういう文句を繰返した。「中條百合子は小説が書けなくなった。作家同盟なんぞへ入って、柄にもない部署につかされ、追い立てられているから、才能をついにドブにすてた」と。だが、自分をそれらの言葉で苦しめ、傷けることは全く不可能であった。なぜならば、ブルジョア・インテリゲンチア作家としての発展の必然としてプロレタリア文学運動に参加した自分は、すでに質において真の作家としての発展の可能性をとらえた。また、過去のすべての文化的蓄積を最も革命的に利用し得るよう自身を鍛え洗われたものとし、世界観の隅々までをプロレタリアに組織するためには、先ず、文化啓蒙活動をとおしてあらゆる機会に勤労大衆と接触しその一員となることこそ、正しい第一歩であることは明らかであるからである。
 ここに、一本のステッキがある。ブルジョア作家はそれについて何を実感するであろうか。そのステッキの外見の瀟洒さ。流行。キッドの手套。キャデラック。又は半ズボンと共に郊外の散歩。あるいは忽然として、自分のわきに細い眉毛を描いて立つ洋装の女を思い出すかもしれない。自分は、今ステッキを見てそのような種類のことは思えない。何ともいえぬ肉体的憎悪をもってそれを見る。直接な敵を感じる。野蛮な警察のスパイどもは紳士をよそおいステッキをついて我らを襲撃するからである。革命的な活動をする若い女の口へステッキをつっこんで、負傷させ、その娘が叫ぶ声をこの耳できき、その血を見たからである。それを私は私の目で、警察の留置場で見た。留置場へは、プロレタリア文化活動に従うという理由にならぬ理由によって入れられた。勤労階級は歴史の合理性によりその歴史的任務を実践する過程においてつねに支配権力と抗争するのであるから、従って私ひとりが一本のステッキについて、ブルジョア作家には感じることのできないプロレタリアの実感を持つというのみでない。それは階級の実感である。この実感および実感を与えた現象を、その根柢にある政治性へまでつきつめて把握し、再びそれを芸術的概括として作品化した時、一本のステッキについての実感はプロレタリア文学作品となるのである。そして作品として大衆に働きかけ、その世界観の発展に役立つであろう。サークルへ行った。雑誌を編輯した。つかまって留置場へ行った。そこでステッキで拷問された労働者の娘を見た。と、いたずらにあれやこれやをちりぢりばらばらに認識し、それをかき集めたところで作品は書けない。われわれの努力は、より強固にされ、明確にされた政治性――党派性によって客観的に現実を理解し、文学運動においてつかむべき当面の環をはっきり知り、それを基準として全同盟の組織活動を整理し、深め、より精力的に企業・農村の大衆の中へ活動することに払われねばならない。同じ党派性、まがうかたなきプロレタリア性によって貪慾にかかる階級的実践の成果を芸術的概括にまで高め、発展せしめる努力がなされなければならない。組織活動と創作活動とはプロレタリア作家にとって二つの対立する作業ではなく、そのものにおいてきりはなすことのできないプロレタリア作家活動の二面の活動形態である。統一は、図式弁証法への定式化によって、二つの問題を正・反と対置したところから何か固定した形で結論として出てくるのでは決してない。
 鈴木清は論文の中で「作品はなるほど組織活動なしにも書き得る。然し問題は別してそれらの創作がプロレタリア文学として立派なものであるかどうかである。」その答は「遺憾ながら否である」と遠慮ぶかく書いている。われわれはもっと確信と責任とをもってこういい切らねばならぬ。真にプロレタリアートの解放と勝利との歴史性を理解しその実践にしたがうものが、闘争の必然的形態として必要な組織活動を自身の実践として認容しない筈はなく、それをなし得ないような党派性なき世界観を持つ者ならば、プロレタリア作家として立派な作品どころか、そもそもプロレタリア的な作品すら書き得ないであろう、と。
 世界のブルジョアどもも、マクシム・ゴーリキーが当代のプロレタリア作家の真摯な長老であり、優れた作家であることは認める。しかし、彼のすべての芸術的天分、プロレタリア解放への永い年月の実践を、最も効果的に国際的に輝かしく未来に向って意味をあらしめたものこそは、ロシアにおけるプロレタリアートの勝利であったことについては、沈黙を守っている。
 われわれはゴーリキー礼讚における狡猾な党派性の抹殺をあばかなければならぬ。プロレタリア作家としての実践(組織活動と創作活動と)の中にその基本とプロレタリアの党派性を確立しなければならない。
〔一九三三年一月〕

底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「プロレタリア文学」日本プロレタリア作家同盟機関誌
   1933(昭和8)年1月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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