一人の作家の生涯を、そのひとの一生が終ったあとで回顧するときには、誰しもその作家の生きた時代や、その時代にかかわりあって行ったその人らしい生きかたの姿を、比較的はっきりつかみ出して、観察することも批評することも出来る。
 しかし、作家たちめいめいが生きて仕事をしている真最中で、しかも時代はおそろしく迅速に展開しているようなとき、その相互的な関係の中で行われる作家個人の成長と時代の歴史的な消長との摩擦、融合の過程は恐ろしく複雑で、云ってみれば本人にもその実相が掴みにくいようなことなのではないだろうか。
 はたからは、云いならわされている通りおか目八目で、そのいりこんだ関係の大略が見えている場合もあって、いろいろの観察が下されてもゆく。だけれども、作家当人は、生活も文学も自分の内心で自分を動かす極めて執拗で強情でわき目をふりたがらない何かの力によって推しすすめて行っていて、その道は誰に何と云われようとわが足でふみしめて見なくてはおさまれないのだから、その最中には、はたの観察をいきなりそれを承認した形ではうけとり難いものだろうと思える。
 作家と批評家との関係で、作家の側から屡々しばしば作家を育てるような批評がない、と文芸評論への軽侮のように表現されるけれども、それはそれだけが作家の心理の現実の全体ではないのではなかろうか。時を経ても、作家というものは自分の作品について心に刻みこまれた評言の切れ端だって忘れてしまうことはないのだから、何につけ彼につけ、その印刻は心のなかで揉まれほぐされ吟味されつづけて、その無言内奥の作業の果、遂に作家が明らかな確信をもって批評を評価しきったとき、はじめてその批評は心のそとに忘られてゆくのだと思う。そのときは、作家にとってその批評から学ぶべきものが十分心に吸収されてしまったか、さもなければその批評を加えたひとの人生態度に迄せまって作家としての批評を加え終ったときか、或は、その批評のくいちがいそのものの間から、批評したひとの全然知らない別の何ものかを、作家がわが芸術の糧としてひき出したかしたときなのである。
 ひところ文芸評論の萎靡が人々の注目をひいて、文芸雑誌はそのために関心を示した。文芸評論が再び興隆したという意味とはちがう形で、その頃文学の領域には議論が盛だと思う。随分議論だらけである。けれども、作家と時代とのいきさつを、本当に大局からみて、歴史の足どりがその爪先を向けている磁力の方向と、その関連に於て作家一人一人がそれなしに文学は創造もされず存在もしない個々の独自、必然な道をどう見出して行くかということについて、何となし遠く大きい見とおしのあることを感じさせる議論は、割合に多くない。文芸評論にあらわれた変化としてそういう現象そのものが、今日の日本の社会と文学の性格を語っているのであるけれども、日本というものが益々世界的規模で考えられるようになり、日本文学というものが従って拡大された世界文学の動きの中で考えられる時代に来つつあるとすれば、作家の生活感情の具体的な周密沈着な現実への沈潜と、その沈潜において世界史的実感が把握されるように豊富にされてゆかなければならないということは、痛切な希望だと思う。
 外国に暫く旅行したり滞在したりした日本の作家は、殆ど例外なく、国にいるとき知らなかった一つの制作的欲望に刺戟された経験をもつだろうと思う。それは、日本を愛するわが故国として初めて地理的にも客観する立場に立ったことのおどろきと新鮮な感動、同時に、身辺に熱い音を立てて流れめぐり諸関係を変化させつつある地つづきの諸国の社会的推移の様へのつきない興味とから、これ迄その作家が思いもそめなかったような大規模な、つまり世界史的な小説への欲望を刺戟される。そんな人類的な小説がかいてみたい気が動かされる。しかしながら、現実にその作家の描くもの、即ち描けたものはどんな作品かと云えば、池谷信三郎氏の「望郷」から横光利一氏の「郷愁」に至るまで、いずれも例外なくその作家の身辺的な素材に立った作品なのである。
 この面白い作家の欲望と現実との間にあるギャップは、一つは日本の近代文学が伝統として来た私小説の性質からの制約、小さな私というものの歴史的な本質からの障害が原因となっているだろうし、他の一つの理由は、小説というものがそれほど作家が生活している社会生活の髄の髄から抽き育って創られてゆくものだという動しがたい事実をも示していると思う。
 時代は、日本文学を世界文学の中において考えさせるようになって来ている。そしてそのような日本文学の創造される現実の過程は、寧ろ極めて大言壮語的ならざる作家の孜々ししたる日々夜々の生活者としての成長に期さなければならないということは、実に深い意味を含んでいると思う。作家が現実にひるまない生き手でなければならないということは、目の前に何がつき出され、どんな非条理があっても平ちゃらだ、という、そういうものでは全くないと思う。最も美しい高貴な憤りを憤れるもの、最も深いいたわりと同感とを、時代時代が堪えて発展させて行かなければならない互の弱さや無智や無力に対して抱けるものでなければならないと思う。そういう情感そのものが、世界史的規模をその底に湛えるものであって、日本の生活の端々をも瑞々しくとらえ深め描き出してゆく、そういう作家が育って行かなければなるまいと思える。
 作家としての自分の心のなかにそういう遠い遠い願望がひそんでいて、そういう願いのあった側から評論のようなものもかき、こちら側から小説をかきという風に生きている。これから暫く、小説がなるたけたくさん書きたい。自分の願望と自分の作家的現実との間が、どの位及びがたい開きをもっているか、そのことを容赦なく自分に見きわめるために、どっさり小説をかいて見たいと思う。そして、自分というものを、蕾が内からの勢でほころびるように新しい自分に向ってほころばせて開いてみたいものだと思っている。
〔一九四〇年十二月〕

底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「知性」
   1940(昭和15)年12月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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