一

 年の瀬という表現を十二月という歳末の感情に結びつけて感じると、今年は年の瀬を越すなどというものではなく、年の瀬が恐ろしくひろい幅とひどい勢いでどうどうと生活もろとも轟き流れている気がする。一年の終りの月というしめくくりの気分なんかどこにもない。いろいろな事象がそれ自身の収拾つかない課題の生々しい断面をむき出しながら、益々幅と量とをましながら奔流しつつ十二月が来ている。
 日々の生活感情がそのようだし、十二月号の雑誌をいくつか見ると、従来なら吉例的にたとえ外面からのことは承知でも何か一年の総括めいた空気を盛っていたものが、今年の十二月号には、あらゆる面で、ものごとの渾沌としたはじまりの動きばかりが強く反映していることも実に意味ふかく思われる。
 去年の暮、文学の分野に関しては、ともかく或る概括が諸家によってされていた。その前年からルポルタージュとか生産文学とか農民文学とか激しく動揺していた現代文学の雰囲気も、十四年に入ってからはそれぞれの歩みのなかでおのずから一応の落付きを示しはじめたと云うべきであろうというのが共通の見かたであったと記憶している。
 ところがこの十二月は、夏から始まった挙国的な動きが社会の全面を震蕩させている最中で、文学についてかりに云うとすれば、それは猛烈に動いているとしか云えまいと思う。動くということは常に必ずしも前進だけを意味するのではない。そういう常識にも立ってみれば、本質上は後退だってもさまざまに動きを示している姿はあり得る。そんな動きをもこめて、とにかく動いているのである。
 二十五年前の第一欧州戦争を、日本の一般社会は間接に小局限でしか経験しなかったから、今日の文学が経る波瀾は、極めて日本的な諸条件のうちで、しかも世界史的に高度で、経験が重大であるというばかりでなく、謂わばその重大さが初めてであるということから来る歴史的な独特の日本としての混乱もあるのである。
『新潮』十二月号には数人の作家たちが問いに答えて「転換期における作家の覚悟」という文章を書いている。それぞれにその作家の今日の心持が語られているわけなのだが、作家としての特徴を生かすことを語っている徳永直氏の文章が具体的で、わかりよかった。
 ほかのあれこれも読んでいるうちに、今日作家が書くこの種の文章に、一つの特色の現れていることに注意をひかれた。
『都新聞』の文芸欄に先頃二人ばかりの作家たちがやはり時局に対しての感想を載せたことがあった。あの時、或る作家の文章が、その部分を切って、名をかくして人に読ませたら、おそらく読まされた者は駅売りのパンフレットのような種類の文章の中の数行を読まされたのだと思うに相違ない文章の書きかたであったのを、つよく印象づけられている。
 書いている事柄の客観的な実相をその作家がちゃんと理解していないとして、わからないままにもそれを云おうとする何かの意図があるなら、作家なのだからせめてはその人らしいものの云いよう、表現で書かれたらばと思われた。
 これまで云いもしなかった社会部面について書くと、作家ABCは消滅して、啓蒙パンフレット屋がかく通りの用語、表現で作家が書きはじめるということは、過渡期のあらわれとしても、現代文学の明日への真実な成長のために、考えさせるところが少くないと思う。
 今日作家が、その歴史的であるべき覚悟の表現においていよいよつよく文学的であるよりも一般化してしまう傾きを示しているという事実は、私たちの関心を十分そこに沈潜させる価値をもつ現象だと思う。何故なら、今転換期と称されている時期は非常に永い見とおしで日本の社会と文学との将来に横たわっているのであるから。

          二

 社会生活が刻々に変化している。そのなかで作家が変らないというようなことは現実にあり得ない。今日の日本の特徴的な相貌としては、云わば自然なそういう作家の変りかたにおいて、作家の変ることが語られているのではなくて、たとえばこれまではシャボテンであったがこれからは蘇鉄でなければならないと、銘仙から金糸でも抜くことのように云われ勝なところに、沢山の問題と作家にとって具体的な困難の多くが畳みこまれていると思う。
 作家が文学の仕事の中で変るという場合、それはどんなことを意味するのだろう。一人の作家が変った、ということは、いつも一人の作家が成長したということと同じではないという事実を、どこまで心にだきしめて、変るということが云われているのだろう。
 文学に携わるものとして作家が変るというからは、やはり執拗にそれぞれの作家のよりひろく高い成長を目標として語られ考えられなければならないと思う。
 題材主義に対する批判は、昨年から今年の前半にかけて各方面からとりあつかわれた問題であった。この段階は経過したものとして、今日作家が自身の成長としての変りを希うとき、自身のうちにどんな内的な契機がつかまれて行ったらいいのだろうか。
 十一月の文芸時評で、平野謙氏が、日本の自然主義以来の文学伝統の分析からこの点にふれ、作家が何によって書くかということの血路的打開の標本として、中野重治氏の「空想家とシナリオ」の車善六という人物の出現、伊藤整氏の得能五郎の存在、徳永直氏の一田福次の存在にふれておられた。
 一つの着眼であると思われたが、作家は何の力によって成長展開するかという前途多難な課題の内からみると、あの三通りのそれぞれ一風変った名の持主たちの出現と存在とは、さらに一歩を深めて、それぞれの作家がその精神のうちにもって生きている人及び作家としてのコムプレックスの相異にまで迫って、語られなければならないものだと思った。
 一人の作家の生きる時代の歴史性と、個性的個人的な諸条件とが実にこみ入って絡みあって生じるその人の精神のコムプレックスは不幸な場合には一個の作家を窒息させ死にも至らしめるものだろう。しかし、作家に成長があるとすれば、畢竟ひっきょうはこの自身のコムプレックスと死力をつくしてもみ合って、それを最大の可能へまで昂揚拡大させ、表現してゆくその「変って」ゆく道しかないのであろうと思う。
 車善六の作者が、作家として持っている複雑なコムプレックスは「小説の書けぬ小説家」以来ああいう跳躍の方向を試みていて、いく度か床に重く落っこちた揚句「空想家とシナリオ」であのようないかにもその人らしい跳躍旋回の線を描き出した。そして、この作者が自身のコムプレックスに対してもっている健全な判断は、それが二度とは貰うことの出来ない昔の武士の「敗け褒状」のようなものである悲痛さについても、十分知っているにちがいない。
 得能五郎の出現の蔭に、同様な精神の弾機があるとは、作品の現実の呼吸から感じられないと思う。五郎と彼の見る事象との間には空気があり、散歩がある。一田福次の出現の文学上の血脈は『はたらく一家』という短篇集に広津和郎氏の序文がつけられてある、それらのことと切りはなせないものだろう。
 今日、作家のより社会的な成長が云われるとき、めいめいが自身のコムプレックスについて、謙遜にかつ熱く考えてみる必要はあると思う。果して、文学の仕事に従うような核心的なものが自身の精神のうちにあるかどうかについて、若々しく憂悶する美しさもあっていいのではなかろうか。『文芸』の当選作「運・不運」(池田源尚氏)を読み、選評速記を熟読して、深くその感に打たれた。

          三

「運・不運」(池田源尚氏)は、この作だけについて決定的なことを云われたら作者も困る作品だろうと思った。『文芸』の今回の選には満場一致のような作品がなくて、そのためかえって話題にのぼった各作品が計らず縦横から相当突こんで語られ、それにつれておのずから今日の文学の諸相も示されている。その点が一般の読者にとっても興味深かった。
 未完成な作品として「運・不運」はそのことを積極的な評価として推薦されているわけだが、未完成なのはこの作者と作品のどこのことについてかと、考えさせられた。それは主として小説を書く技術のことではないのだろうか。何故なら、この作者は自分の描こうとする対象への当りかたの根本には、既に一種心得顔のところをはっきり出しているのだから。千六について「若い男が詩人になる経路もきまっている」という箇処のあたり、または同じ千六が「足を折るとまたしばらく詩人になった」というような人生的なようなまとめた文句にして表現しているところ。そういう心情のモメントの概括は本質において常識で、土台それでまとまりがつくなら小説はいらないと云えるような種類のものなのだと思う。この作者はそういう表現をも人の世の姿へうち興じての味として活かそうとしているらしいが、結局は全篇の基調がそういう作者の現実への当りかたから角度を鈍らされていて、青野氏の評言どおりねてしまったのだと思える。この「運・不運」は書き改められる、材料が惜しいと宇野氏が評しているが、書き改めるということの核心は、作者が現実と自分との角度をしゃんと明瞭にして姿勢を立て直し、改めてかかる、ということと同義なのである。
 この作品評で、宇野氏が生態の描写ということをよくないとして、おのずから系譜的作品がそれとちがうべきことを暗示していることも興味がある。文学精神の低さについて関心を示している青野氏が、この作品が生態描写風に傾いていることは肯定して、生態描写そのものが、文学における発生に際して既に文学精神の或る低下に立っているものであることについては、黙していることも、考えさせるところがある。
 そして、評者たちの言葉が一致したことは、本当に新しいという作品のないこと。何もこの人が小説を書かなくてはならないと思えないような人たちが今日はどっさり小説を書いていること。そういう作者たちが、必しもこけおどしやはったりを試みないのでもない、という事実である。近頃の同人雑誌の小説について語られていることなのであるが、それらの言葉をじっくりと胸にうけとって考え深めて行って見ると、日本の現代文学がもっている次の世代の精神の地味ということについて、何かこわいようなところがある。
 何もこの人が書かなくてもと思える小説ということは、題材として特異な経験がそこにないというのではなくて、ありふれたような事象でもありふれなく生き貫く個々の文学精神が萎靡してしまっているということにほかならない。その人をして小説をかかしめている精神のコムプレックスの必然の感銘がなく、小説が字面で書かれているということである。一定の人生を見てかきながら、それにふさわしい人生の見かたがないという意味を云っている青野氏の言葉は、この一二年間所謂素人文学というものへの無責任な作家の譲歩が、今日に結果した一つの大きい文学上の問題だと思う。
 或る作家たちがこの三四年来の波瀾の間で、脱皮しようと焦慮した動きは、果してより強勁な現実のみかたを持とうとする方向をとっていただろうか。今日、声々をあげて変るということについて語られているうちに、おのおのの作家精神のコムプレックスの成長の意味が文学の価値において見られているだろうか。このことは、たとえば『文芸』の選に当って一つの作品がポオの有名な「アッシャア家の没落」を題材にしていることを明かに指したり、他の或る作品が百分の一チェホフの「六号室」と百分の五の「決闘」をもっていることをあげているのが宇野氏ただ一人であるというような、些細のようで案外文学の実質の鑑別力としては意味のふかい例となっても現れて来るのである。

          四

 広津和郎氏の「巷の歴史」宇野浩二氏「器用貧乏」「木と金の間」をはじめとして、今年は系譜的な作品がどっさり書かれた。十二月の作品も寒川光太郎氏「嶺」半田義之氏「はずみ」野口富士男氏「河からの風」いずれも大別すれば系譜的な作品と云える性質をもっている。
 今年特に系譜的な作品が多く現れたということは、現代の社会のどんな文学への現れなのだろう。
 作年は素材主義の荒っぽさに対して、文学の文学性が再び顧みられたにつれて、短篇の真実さが見なおされた。長篇が本質の貧寒さから、時流におされて素材で押し出す傾に陥った対症として、作家が真のモティーヴをもって描く短篇のうちにのこされた文学性がかえりみられたのであった。
 しかし、短篇であるにしろ従来の私的身辺小説であるまいとする努力はすべての作家の念頭から離れず、一方で三田伸六、車膳六その他の主人公たちが生まれるとともに、他の一面では多くの作家の眼が、今日の生活の前方や右左へ強い観察を放つよりもむしろ後方へ、過去に向って拡がる形を示した。
 今日から明日へと作家の意気組が向うよりも、今日かかる朝夕の有様のきのうは、おとといはと目が誘われてゆく底に、極めて複雑な内外の現代の心理がひそめられている。今日一般に歴史的な読書への傾きがつよめられて来ているが、その原因には、目前の無説明な、紛糾に対して何とか会得の筋道を見出したい切実な要求も動いている。
 系譜的作品に向う必然にそういう要因のあることもわかるけれども、それならばと云って、多くの所謂系譜的作品が、そういう意味でも意欲的に過去の現実へ立体的にくい下っているとは決して云えまいと思う。
 登場人物の性格の或る種の面白い組合わせや状況やについてはそれぞれ工夫がこらされていて、そのことは『文芸』の「運・不運」を見ても野口氏の「河からの風」を見てもわかる。後者では東京湾の海苔生産の描写が大仕掛に文化映画的にかかれていて、その間に展開される人間の生活との比重に狂いを生じてさえいる。
 それ等の工夫にかかわらず、系譜的と云われる作品が、とかく生活の生々しい絵巻というより楽な過ぎこし方の物語となるのは何故だろう。今日それが自然発生的にさえ多く書かれる何かとりつきやすさがあるらしいのは、どういうわけだろう。
『文芸』の選評の間で、生態描写のことがちょっとふれられているが、系譜的な作品というものと、過去へさかのぼった生態描写とは文学の質において異うという点が、深めて考えられていいと思った。
「生きて行く姿の移り変りをその移り変りに重点をおいてかく。その時々の一種のモラルみたいなものを描いてゆく」(青野氏)ものとされているのが、生態描写である。青野氏はなかなか面白いとし、宇野氏は「イヤ、いかんね」と云い、その座は笑声に満ちたらしいが、これをすこし云い直してみると、私たちの直感で、或る本質がつかめる。「作家の系譜」と云ったとき私たちに感じられるもの、「作家の生態」と云ったとき受ける一種の感じ、同じであるとは誰しも云えない。
 移り変りに重点をおく、という現象への人間の適応を辿る生態描写には、生存の跡はうつせても生活は彫り出しきれない。一つの移りから次の移りそのものの肯定はあって、動きの現実がもっている評価は作家の内部的なものとの連関において考えられていないのである。モラルというものも、動きの合理化に過ぎない場合が多いことは、一つ一つの動きに評価を求めない態度から当然導き出される。
 そして、そういう風な小説ならば「あれだけ書いて、あれだけ見れば人生に対する観かたをもって来る筈なのに、其がない」(青野氏)場合でも一応は書けるのである。

          五

 あらゆる社会現象の理解のために、そして文学の正常な進展のためには、現代の歴史的な性格というものが動的につかまれなければならないわけだろう。その意味で、今日の文学の感覚の中で歴史性というものはどう見られているか、なかなか興味がふかい点である。
 高木卓氏の「歴史小説の制約」(新潮)は示唆にとんだ文章だと思った。歴史を扱った小説は「過去からとび出して現在に迄及ぶこと」すなわち「過去の現在への相応」があるべきものである点、及び歴史小説のその「現代相応的な方法」によって、今日はトンネルがくずれて汽車では通れなくなっているところをも街道を草鞋わらじばきで目的地へ行きつける場合もあること、しかし汽車があるのにちょんまげつけて歩く方を選ぶという方法の唾棄すべきこと、並に、史実は甚だ重要ではあるが唯一の準拠的なものではない(例えば官選歴史書でさえ時代時代に修正や改訂されつつある事実)それ故「史実」と相異することでだけ咎めらるべきでないこと、さらに現代のように巨大な転換期における歴史小説の新しい方向として、従来「主人公」に象徴または反映されていた時間空間は「時間空間」そのものを主役として前面へ押し出され「従来主人公だった人間が却って添景にまで後退するという行き方の小説も試みられてもいいように思う。歴史小説に於てより高い観点が要求されるとき制約のなかで最も留意すべきものはこの時間的及び空間的なものではあるまいか」と云われているのである。
 同氏の「南海譚」(文芸)を、作者のそのような歴史小説への意図をふくんで読み、三百年の昔朱印船にのって安南へ漕ぎ出した角屋七郎兵衛の生涯が「角屋七郎兵衛よ、お前が」と語り出されている作者の情感の意味も肯けた。徳川の鎖国の方針が七郎兵衛の運命を幾変転させたばかりでなく、今日の日本の動きにかかわり来っていることも、読者はおのずから行間に会得するだろう。
 高木氏の歴史小説への態度には、一つの歩み出した積極なものがあると思う。そして、その積極なものの本質は、時空的なものに対する作家としての態度にかかっており、芥川、菊池の歴史物と本質の相異をなしている。云ってみればその相異のうちに、日本の苦難な精神史の実績の幾頁かが作者の知る知らぬにかかわりなくたたみこまれているわけで、はなはだ面白く思われる。同時に、巨大な歴史の時代には時空的なものが小説の主人公となって、人間が添景になるということの承認に関しては、作者自身云っているとおり、最も留意し追究すべき点だろうと思う。
 個人の経歴の物語、伝記の枠がふみ越えられなければならないということと、如何なる時代も環境も窮極には人間の社会的な関係によっていて、人間の肉体と精神の動きを通じてでなければ実在し得ないという現実の在りようとは小説における人間の添景的位置で解決され切れない意味あいだと思う。
 歴史の大きいうねりが、個々の生涯を当人たちの希望にかけかまいなく運び去る事実、あまたの生涯を浪費消耗してゆくすさまじさは現前の事象であるけれど、時空的な流れの描写に人間が添景として扱われるということが、人間の歴史の本質において人間が添景であるということでは決してあるまい。逆にどんな澎湃ほうはいたる歴史の物語もそこに関与したそれぞれの社会の階層に属す人間の名をぬいて在ることは出来ないという事実の機微からみれば、たとい草莽そうもうの一民の生涯からも、案外の歴史の物語が語られ得る筈である。
 このことは明瞭に大正初期に見られた歴史小説流行の現象と対比して見られなければならないと思う。その当時、主として『新思潮』の同人たちが、歴史的題材の小説に赴いたことの心理的要因には第一次欧州大戦につれて擡頭した新しい社会と文学の動きに対して、従来の文学的地盤に立つ教養で育った新進作家たちが、一面の進歩性と他面の保守によって、題材を過去にとる方向を示した。
 今日の歴史小説はそれとちがって積極に今日の現実に「相応的な方法」によらなければならないとすれば、歴史小説における時空的な力の過度な評価ということは、益々戒心をもって省察されなければならなくなって来る。目前の事象の圧力が人間精神の自立性に対してそのように現われているとすれば、同時に現実は複雑だからそれへの批判者としての人間精神も在らざるを得ない。時空的なものに制御を受けつつも、制御を与える時空的なものと、それを蒙っている自己の状況に対して見開かれている眼と、水火に在っても動かされている手足とを失ってはいないのが現実であろうと思う。
 さもなければ、動くものとして人間が動かしているものとしての歴史は存在しない。
 歴史は決して「再び繰り返さ」ない。その視角からこそ現代への相応がとらえられるべきなのだろうと思う。
 今日の文学における歴史小説の積極性と、現代小説の面白さとの相会うべき点はここらあたりのところだろう。この面白さは今日の文学の姿では、まだはっきりもしていない可能として、渾沌のかげに考えられる程度だけれども、どんなにそれが遠くの明るみのでも、やはり或る希望であることにかわりはない。私たちが自分たちの世代を歴史の水深計でつかみ、その上に漂いその間に棲息するだけでなくて、波間の底まで触れて描いて行けたらどんなに面白いだろう。小説は話ではなくて作家にとってはもう一度その世界を生きかえそうとする情熱であることを忘られてはならないと思う。
〔一九四〇年十一月―十二月〕

底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「都新聞」
   1940(昭和15)年11月28日〜12月2日号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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