ポピイとピリイとは、あるお屋敷の車庫の中で長い間一しょに暮して来た、もう中古の自動車です。二人は、それぞれ御主人と奥さまとを乗せて、ちょうど、御主人夫婦と同じように、仲よく、りっぱに暮してまいりました。親切な、やさしい御主人にガソリンだの油だのを十分にいただき、行き届いた手入れをしていただき、何の不自由もありませんでした。
しかし、一日中、賑やかな街を駈け歩いてから、ガランとした車庫にはいると、二人は、どうも淋しくってたまりませんでした。二人は、それを自分たちに子供がないからだと思いました。
「男の子が一人あったらなア。」とポピイは言い言いしました。「そうすれば、自分の名前をついでもらうことも出来るのだが……。」
「あたしは、女の子が欲しいわ。どんなに可愛いでしょうね。それに女の子だったら、きっと車庫の中もきれいにお掃除してくれるわ。」ピリイは言うのでした。
しかし、男の子も女の子も、なかなか来てはくれませんでした。二人は、コンクリイトの床を歩きまわる小さなタイヤの音や、夜中に、自分たちのそばで可愛らしいラッパのいびきをかいている小さな自動車のことを考えると、居心地のいい車庫にはいてもちっとも、しあわせだとは思えないのでした。
ある日、ピリイは言いました。
「あたしたちに、もう、自分の子供が出来るあてがないとしたら、いっそのこと、可哀そうな孤児かなんかを養子にもらったらどうでしょう。」
ポピイは、しかし、この考えには、あまり乗り気になれませんでした。身寄りのない、気の毒な子を育ててやるということには、もちろん賛成なのですが、それでは、自分の名前をつがせることが出来るかどうかと、心配でならなかったのです。
でも、ピリイの方は、もう、かたく決心しておりました。いつでも、一度言い出したことを、あとにひかないのが、ピリイのくせでした。ピリイは、どこまでも孤児をもらうのだと言い張りました。ピイピイ、ラッパを鳴らしたり、放熱器からポトポト涙を流したりして、言いつづけるものですから、ポピイは、しまいには、ピリイが、ものを言うのを止めてくれさえしたら、何でも言うなりになろうと思ったほどです。そこで、とうとう二人は、何でも、これから、小さな可愛らしい孤児の自動車を見つけたら、すぐに養子にすることにきめました。
二
ピリイは、もう、かなり年をとっていました。放熱器は、こわれかけてガタガタになっているので、すぐに頭がほてって、大へんに気が短かくなりました。ポピイも、また、やっぱり年のせいで、ちょいちょいタイヤが痛むので弱っていました。
でも、二人は、それは品のいい、やさしい自動車だものですから、自分のことは忘れて、いつでも可哀そうな孤児をもらうことばかり考えていました。で、外へ出るたんび、公園だの、貸自動車屋の車庫だの、しまいには、こわれた自動車たちが、雨や風に吹きさらしになっている、汚ない裏町の隅々までも探しまわりました。しかし、ちょうど養子になりたがっているような小さな自動車は、なかなか見つかりませんでした。
とうとう二人は、探しくたびれ、いつとはなしにあきらめてしまいました。
三
ところが、ある朝のことです。
車庫の扉かギイッと開いたと思うと、門番の人が一台の小さなオートバイを持ちこみました。それは二人とも今までに見たこともないような、赤塗りのきれいな車でした。それは、たしかに有名な会社で出来た、りっぱな子供用のオートバイでした。
ピリイは、二つのランプを眼のようにパチパチと光らせ、放熱器からは、嬉し涙をポトポトと落しました。
「お前さんは孤児なの。え、そうでしょう。ね、オートバイちゃん。」ピリイは急ッこんで聞きました。
「え? ――ええ、そうです。おばちゃん。」
オートバイは可愛い声で言いました。そう言わないと、何だか、おばさんが、がっかりしそうだということが、はっきり分ったからです。――「孤児」というのは何のことだかオートバイには、ちっとも分らなかったのですけれど。
「今のを聞いて? ポピイ。」ピリイは、こおどりして言いました。「この子は孤児なんですって。」
「どうだい、お前は、私たちの養子になってくれないかね。」とポピイが言いました。
「ええ、おじちゃん。何にでもなりますよ。」
小さなオートバイは、やっぱり「養子」とは何のことか分らなかったのですが、おじさんが、いいおじさんらしいので、安心してこう言ったのです。
「何て、すなおな子でしょう。」ピリイは小声でポピイに言いました。「この子の親たちは、きっと、りっぱな車に相違ありませんよ。」
「それから、何ていうの、お前さんの名前は?」
「僕、モーティです。」オートバイが言いました。
「それだけなの?」ピリイが聞き返しました。
「だって、それだけしか知らないんですもの。」
少し慣れて来たオートバイは、今度はちょっと、むっつりしてこう言いましたが、嬉しくって嬉しくってたまらない二人は、気にも止めませんでした。
「養子ってなアに。え、おばちゃん。」
しばらくして、モーティは、こう聞きました。ポピイとピリイは顔を見合せて笑い出しました。
「この子は、まだ何にも知らないんだよ。」
ピリイは、かえって、それが好都合だと思いました。で、くわしく、わけを話して聞かせました。養子というのは、私たちの子になることだ、そうすればみんなと一しょに、この車庫の中で暮して、水でもガソリンでも何でも、好きなものは、どっさり上げて可愛がって上げるのだと言って聞かせました。
「じゃア、タイヤの中の空気も?」
モーティは、自分が、よく気がつくところをお父さまやお母さまに見ていただきたいと思って言いました。
「それは、もちろんですよ。それにお屋敷の坊ちゃまが、毎日お前を運動につれてって下さるんだよ。」で、その日からモーティは、二人の子になりました。
四
ポピイとピリイとは、それはそれはモーティを可愛がりました。モーティは、気転のきいたいい子でしたが、あんまり大事にされるのでだんだん甘ったれて来ました。しまいには少々つけ上って来ました。自分が、すばしっこいのを自慢にして口のきき方までが、ぞんざいになって来ました。あんまり、出すぎたいたずらをして、叱られた時などにも、あべこべに腹を立てて、お父さまたちに向って「ボロ自動車」などと悪口をいうようになりました。そのたんび親たちは顔を赤くしました。
モーティは、ガソリンや水を、うんと飲んで、ずんずん大きくなりました。で、自分は、もう大人になったつもりで、外へ出かけるのにも黙って出るようになりました。たまには、夜おそくなってから帰って来るようなこともありました。
ある日、モーティは、朝早くからお坊ちゃまと一しょに出かけたきり、夜になっても帰って来ませんでした。その日は、陸軍の大演習で朝から晩まで飛行機が、とんぼのように空を飛びまわっていましたので、誰でもお家にじっとしていられないような日でした。ですから、モーティも、そんなことで夢中になっているのだろうと思っていましたが、あくる日になっても、まだ帰って来ませんでした。
二人の自動車は一晩中寝ずに待っていました。ピリイは、あんまり泣いたもので、放熱器の水がすっかりなくなってしまいました。で、ひどく頭がほてって、怒りっぽくなってしまいました。次の日ピリイに乗ってお出かけになった奥さまは、行く先々でピリイの頭へ、バケツに何ばいも何ばいも水を、ぶっかけなければなりませんでした。
「いつも、おとなしい車なのに、今日は、どうしたんでしょう。ちょっとしたことにもすぐに、湯気をシュッシュッとふき出して、じきに放熱器の水が乾いてしまうんですよ。」
奥さんは、その晩、御飯を召し上りながら、御主人にお話になりました。
「いや、私のポピイも、今日は、よほどへんだったよ。」と御主人もおっしゃいました。「横丁さえ見れば曲りたがるんだ。ハンドルをいくら抑えてもきかないんだ。どうもへんだよ。」
それでも次の日、御主人は、またポピイに乗ってお出かけになりました。ポピイは、また、一生けんめい、モーティを探そうと、あっちの横丁、こっちの裏通りを覗き覗き歩きました。で、とうとう、うっかり、ガラスのかけらの上に乗り上げてタイヤをパンクしてしまいました。御主人こそいい災難です。――ポピイは、御主人と一しょに夜遅くなって、ようやくお屋敷へ帰りました。
五
それから、また幾日もたちました。でも、まだモーティは帰って来ません。ポピイとピリイとは、がっかりして、すっかり元気がなくなってしまいました。
「ひょっとしたら、モーティは盗まれて、古自動車屋へでも売られたんではないでしょうか。」
「よし、その内、御主人のおともをして、下町の方へ出ることがあるだろうから、その時は、思い切ってガラクタ屋の店でも何でも探して見よう。……なに、きっと見つかるよ。」
ポピイは、つけ元気をして、こう言いました。
「しかし、あんな、やんちゃなモーティのことだ。ことによると、悪い仲間にさそわれて、警察にでもつかまってるんじゃアないかな。」
ポピイが言いますと、ピリイは、心の中では、そうかも知れないと思いながら、やっぱり打消さずにはいられませんでした。
「いいえ、やっぱり私は盗まれたんだと思いますわ。――ねえ、あなた、一つ新聞に広告をして見ようではありませんか。」
そこで、モーティを見つけて下すった方には、お礼をするという広告をいくつかの新聞に出しました。しかしちっとも、てがかりはありませんでした。返事は、ずいぶん来るには来たのですが、みんな見当ちがいのいい加減なものばかりでした。二人は、また、がっかりしてしまいました。
六
その内に、ポピイは、いよいよ御主人のおともをして、下町へ出かけました。今日こそは、どうしてもモーティを見つけなければならないと思って、ポピイは一生けんめいです。オートバイらしいものがあるとポピイはランプの眼をくりくりさせて見すえました。すると、ふいに、一町ばかり先を赤いオートバイがちらッと通りました。あっと思う間に、そのオートバイは横丁へ曲ってしまいました。ポピイは気ちがいのようになって後を追いました。どうしてもモーティにちがいないと思ったからです。乗っていた御主人は、びっくりして、車を返そうとしましたが、てんでハンドルがききません。
ポピイは御主人の行く先などは、すっかり忘れてしまって、いきなり、その横丁へ飛びこみました。赤いオートバイは、もう、また向うの町角を曲るところです。ポピイは、このへんの道をよく知らないものですからよけいにあせりました。見失ったら、もうおしまいです。ポピイは、死にもの狂いになりました。角を曲ると、赤オートバイは、向うの坂の下に小さく豆粒のように見えます。ひどいデコボコの坂です。それでもかまわずポピイは全速力で走りました。年を取っているポピイの体は、石ころなどに乗り上げるたんび、ばらばらになるのではないかと思うほど、ひどく揺れました。でも、ポピイは、そんなことには構っていられません。しかし困ったのは御主人です。御主人の体はポンポンとゴムまりのように飛び上りました。その拍子に帽子がポンと飛びました。それでも、はッと思う間もなく、またヒョイと帽子が、もとの通り、御主人の頭にかぶさったのは仕合せでした。
ポピイは、つぎはぎだらけのタイヤが、ペシャンコになったのもかまわず、びゅうびゅうと赤オートバイの後をつけました。今度は公園です。曲りくねっている道が、じれったくてたまらないので、ポピイはまん中の大きな池へザブンと飛びこみました。ポピイは、そのまま水の中をザブザブとまっすぐに駈けぬけて、電車通りへ飛び出しました。赤オートバイは、また、チラチラと、うしろを見せながら人ごみへ隠れてしまいました。ポピイは、もう夢中です。走って来る電車の前をすれすれに走りぬけたり、もう少しで満員の乗合自動車と衝突しそうになったり見ていてもハラハラするようです。歩いている人たちは、あわてて、道の両側にある店の日除けの下へ逃げこんで、びっくりしてあとを見送っていました。それよりも、おどろいたのは御主人です。
「助けて下さい。誰か、この自動車をとめて下さい。」
ハンドルを、しっかりと握りながら、御主人は真青になって叫びました。交通巡査は、すぐに黄色いオートバイに飛び乗ってあとを追いかけました。
それでも、とうとうポピイは、人を轢かずに、ある貸車庫の前で止りました。赤いオートバイが、その中にはいったからです。
ポピイは、ぐったりすると一しょに、きまりが悪くって情なくってたまりませんでした。あんなにまでして追いかけたオートバイは、モーティではなかったのです。
御主人はポピイの心もちを御存じないものですから、ただ機械がくるったのだと思って、その場で、すぐにハンドルだのギーアだのをすっかり、新しいのに取りかえて下さいました。で、もう二度と、あんな危ないことは起る筈がないと固く信じていらっしゃいます。
全く、それから後は、ポピイは一度だって、勝手に走りまわったことはありませんでした。しかし、それは、ポピイが、もう、モーティを探すことをあきらめたからなのです。ピリイも、もうすっかりあきらめてしまいました。
七
その内にまた一と月もたちました。
ポピイとピリイとは、時々、モーティのことを思い出しては、お互いに、そっと、ため息をついていました。
ところがある朝のことです。いつものように車庫の扉が外からギイッと開くと、二人は、びっくりして眼を見張りました。
そこには、モーティが、赤い塗りたてのサイドカアまでつけて、いせいよく立っているのです。
二人は、嬉しくって暫くは、ものも言えませんでした。するとモーティが、すっかり大人らしくなった太い声で言いました。
「しばらく。――お父ッつァん。おッ母さん。僕、妹をつれて来たからよろしく頼むよ。」
ポピイもピリイも、びっくりしてしまいました。何て、ぞんざいな口をきくのでしょう。あんなに心配をさせておきながら、まだお行儀も直らないのかしら、困ったものだと思いました。しかし、それよりも、第一に、長い間欲しがっていた女の子までも出来たのだから、ありがたいことだと思い直して、モーティには別に、こごとも言いませんでした。
しかしモーティも馬鹿ではありません。お父さまやお母さまが、何にもおこごともおっしゃらず、前の通りにやさしくして下さるのを見ると、自分の悪かったことが、しみじみと分って来ました。モーティは、今では、もとのように可愛いすなおないいモーティです。そして、四人で一つの車庫の中に、仲よく賑やかに暮しております。
底本:「赤い鳥傑作集」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年6月25日発行
1974(昭和49)年9月10日29刷改版
1989(平成元)年10月15日48刷
底本の親本:「赤い鳥」復刻版、日本近代文学館
1968(昭和43)〜1969(昭和44)年
初出:「赤い鳥」
1926(大正15)年11月号
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2002年1月3日公開
2005年9月25日修正
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