文化という二つの文字に変りはないようだけれども、歴史のそれぞれの時代で文化の示す様相は実に変化の激しいものがある。そして、文化が危期におかれるという現実もあり得るのである。
 大体私たちは日常の言葉として文化を云う場合、それはいつも人間生活の何かの進歩、何かの知慧の明るさ、醜いものより美しさに近づいたものを考えているのだと思う。昔ながらの煽げば煙たいへっついでも、幾らか改良を加えれば、それに文化という字をつけて文化竈と呼ぶようなものである。私たち人間の自然な心には、成長を歓ぶ心、進歩を求める欲求が深く潜んでいて、文化という表現に人々が我知らず籠めている内容には貴重な人類としての希望が語られているのである。
 文化の実質はそういう人間らしさに立っているものであるにかかわらず、或る時代の風潮としては、文化の欲求や文化の蓄積された成長の段階がその時代の様々の動きを批評し判断する当然の作用を持っていることをよろこばず、自分の頭を自分の拳固で殴りつけるように、文化を否定したり、これまでの文化をよくないものときめたりする傾向も現れる場合がある。自分の拳固で殴った位では自然が巧妙に大切にこしらえてくれた頭はこわれないからと云って、壁へ向ってその頭をぶつけっこして、よりつよくぶつけるのが偉いように誇る人間もいると云えば、人々はその愚かさを笑うであろう。それは目に見える愚劣さだからである。けれども、文化に関する同じような愚劣さは、もっと複雑な、もっと形にあらわれない流れとなって私たちの生活へ浸潤して腐敗の作用を及ぼしてゆくために、同じ程度の奇怪な愚劣さでも案外恐れられずにいることが多い。
 この風潮は、特に文化という何か悠長な優柔な、目前の気負い立った目的のためには役立たないものとして言われるような時期に現れるのである。
 その近い例はフランスの敗北についての批評にあらわれた。フランスとドイツの伝統的な対立の感情は誰でも知っているから、フランスは侵入されてもなかなか譲歩しないだろうと思われていた。世界のいろいろな国民がそう思っていたばかりでなく、フランスの国民の大部分もそう思っていたらしい。ところが、巴里の凱旋通をナチの軍隊が足並高く行進することとなって、世界は現世紀の一つの驚きの感情を経験した。どうして、フランスは敗れたのだろうか。この問いが、日本でもあらゆる人々の心に湧いたにちがいない。忽ち新聞に、フランスは文化の爛熟と頽廃とが原因で敗れた、と説明する文章があらわれた。ローマが崩壊したのは有名な「何処へ行く」で私たちにも馴染なネロのような王が現れるほど暴虐と頽廃が支配したからだと西洋歴史で習ったから、今フランスは文化の頽廃で敗北したときくと、一応尤ものように思えるかもしれない。日本歴史では平家の壇の浦の最後を、清盛からはじまる平家のおごりと文弱に原因をおいて話すのが普通でもある。
 けれども、すこし落付いて自分たちの周囲の生活の現実を考えて見ると、それらの説明は必ずしもすべて納得されるものでもないのがわかって来る。何故なら、私たちの日々の暮しの経験では、成程この頃成金になった人々もある。時を得顔の、いろいろの特権をもって暮らしている人々もある。けれども、私たちの大部分はどうして暮しているかと云えば、決して市内でも、クラクソンを鳴らしてよいという別仕立の自動車をとばしているのでもなければ、炭や米や木綿の心配はないという暮しをしているのでもない。そうだとすれば、日本と一口に云っても生活の具体的現実の種々様々の姿は云いつくされないものであることを会得せざるを得ない。
 フランスと云ったって、やはりこの一口には云いつくせない社会の実際があるのは事実であろう。一握りの支配する位置にある人々が、或はそれらの人々を代表としている一群の男女が、頽廃した文化をつくり出していたのが事実だとして、フランスのあの勤勉で堅実な農民たちの朝夕が、果してその名士達と同様に頽廃していたなどと云い得るだろうか。朝六時に、カラーをつけない背広の襟にマフラをまきつけて合外套などというものは身にもつけずに働きに出る勤労の人々が、夕方には顔の見えなくなる迄電燈を倹約して窓べりで待っている妻子のところへ戻ってゆく朝から夜が、やはり頽廃していたとどうして云うことが出来よう。みんなが腐っていたからという説明は、この一つの事実からも、フランスの敗北を十分に説明する力は持っていないのである。
 アンドレ・モーロアの「フランス敗れたり」という本は、少くとも文化という文字を生活の中にもっているあらゆる人々に読まれたと思う。モーロアは、フランスの敗因をいくつかあげて、その一つの重要なものとして、ダラディエとレイノーの私的な憎悪や醜聞を面白可笑しく喋っている。空々しく、イギリスの政治家は潔白な生活をしているなどと云っているけれども、そして、フランスの防衛の準備がおくれたのは総てそれら私闘が原因であるかのように云っているが、では、ダラディエやレイノーは、何故そんなに互に対立したり、阻害し合ったりしなければならなかったのだろうか。ダラディエの属していた急進社会党とレイノーの属していた中央共和派とは、フランスの社会生活全般に対してどんな見解の相異をもっていたかということや、ダラディエ一人の中にどんな自家撞着があり、更にどんな利害の対立をもっていたかということについて、モーロアは一言も触れていない。ダラディエとレイノーの対立は、その根底にどんな深刻な現代フランス社会の矛盾をもっていたか、つまりはその矛盾がフランスの支配者たちを自繩自縛におとし入れ一般の人民はその結果に耐えなければならない運命におかれたのだということに、モーロアの史眼は及んでいない。歴史の現実のそういう本質の契機にふれようと努力しないで、モーロアはさも自分が国家の機密に通暁している人物のように、アメリカというよその客間から客間とまわって、時代的ゴシップを喋っているに過ぎない。そのことで、彼自らが要するに、醜聞とともに書いている連中と何も本質の違った存在ではないことを示しているのである。
 モーロアの本が日本でもあんなに読まれたということに、今日の日本の文化の感覚が世界的な関心を持たざるを得なくなって来ていることが語られていると思う。同時に、モーロアの饒舌の無価値をはっきりと見抜き、歴史の変化する真の動機は一人や二人の政治家の女あらそいなどにかかわらず、もっと別なところ、即ちフランスの場合ではドイツに対する伝統的な対立にかかわらず、又ゲーリングの「大砲はバタよりもずっと重要だ」という一九三六年の声明に絶えずうなされながら猶且つ一般の国民の祖国を愛する真情に対しては第五列の意味をもっているケリリスの活動やドーデの活躍に余地を与えなければならなかった原因は、フランス経済・政治のどんな紛乱からであったかという事実までを、現実にそれがあるとおりに理解するだけ、私たちの文化の実力は旺盛な状態に置かれていると云い得るであろうか。
 春陽堂文庫に訳されているアルフォンス・ドーデの小説「ちび公」(プチ・ショーズ)は苦難な少年の成長の過程を物語って私たちの心をうった物語である。南フランスから出て来たドーデが巴里でそのような可憐ないくつかの小説を書きはじめた時分、小さな一人の男の子が書斎の父さんのところから、隣室で清書している母さんのところまでよちよちと書きあげられた原稿を一枚一枚運ぶ役をつとめた。ドーデはその回想の中に父の優しいよろこびをもってその時分の光景を書いている。その可愛いレオンが一九三六年には六十七歳でブルム襲撃の背後の人となるということを、小市民の善良さで終った小説家の父親ドーデに予想することが出来ただろうか。ドーデが、貧乏しながらこつこつと小説をかいていくらか出来た財力がレオンをそういう男に仕立ててフランスの敗れる一因をなす者として存在させることを、思っても見ただろうか。
 今日の生活と文化は、こういう父と子の物語についても私たちに考えさせずにはいないものを示している。
 この二三年来、日本の婦人たちの鏡台の上からコティの香水だの白粉だのが姿を消した。ナポレオンと同じコルシカ島のアジャチオ生れのこの敏腕な香水屋が、世界の香水界を支配する実業界の王者となったとき、彼は香水の瓶の形を工夫していることだけには満足しなくなって権力をいじりたくなった。新聞を買収してレオン・ドーデと似たようなことを考え、行った。そして、巴里のムーラン・ルージュの黒人の踊子のジョセフィン・ベイカアを寵愛して、ジョセフィン・ベイカアと云えば、コティの白粉を知っているぐらいの日本の人は知らない者はない世界のレビューの舞姫にした。やがてコティも運命が来て死んだ。ジョセフィン・ベイカアはアメリカへ戻った。コティをうしろだてにしていた彼女がムーランの舞台や楽屋でふれた人々は、彼女の黒い皮膚を美しいとほめこそすれ、その肌の色のために彼女に出入り出来なくさせた宴会場はなかったろう。
 アメリカへ戻れば、アメリカには黒人が一つの社会問題として存在している。そして、この間翻訳された「話しかける彼等」という興味ある小説の中で二十二歳の婦人作家カースン・マックカラーズが描き出しているような惨澹たる生を負っている。ジョセフィン・ベイカア一人、コティの翼にのって一度は栄華の空を翔んだとして、ニグロの女として彼女の運命の本質は些も改善されなかった。
 今日の生活の文化は、このようないきさつで、白粉の箱一つにも絡まれている。それを、私たちは果してよく感じとり理解していると云えるだろうか。
 現在の世界の文明が到達している技術と資源開発の程度でさえも、地球は今日の全人口の四倍を、それも良好な生活水準で維持することが出来ると、学者は云っているそうだ。それだのに、今日世界の大部分がひどい食料制限をして、私たちはさつまいもを買うのにも苦心している。そこにも生活の文化の大きい問題がある筈ではなかろうか。
 このように、現在私たちの文化の実体は益々世界的な関係で充たされて来ているのであるけれども、それなら今日自由に外国の事情を知ることが出来るかというと、それは大きい困難に面している。洋書の輸入は為替その他の理由で特別な狭い範囲だけ許されていて、一般の人の勝手には行かない。益々一般の文化が世界を知りたいのに、それを知る方法を有っているのは特殊な少数ということになって来ている。
 それなら眼を国内に向けて、せめては身のまわりの出来事をよく知り会得したいと思う。だけれども、飾らずめいめいの感想を述べるとすると、その点、私たちの生活の文化は、満足なほど率直ではないのが今日の実際だと思う。明日の事がよく見とおせるだけ、事態は明瞭だとは云い難い。
 しかし、健全な文化、明るく朗らかな生活ということは到るところに云われていて、私たちは心からそのような文化の誕生を期待し、歓迎し、その誕生のために努力を惜まない気持でいるのだと思う。
 たとえば頻りに云われている健全な文化ということは、どういうことをさすのだろうか。文化そのものの本質は成長の方向、進歩の方向を持つ筈のものだという意味からみて、文化の健全性はどういうところに見るべきなのだろう。
 私たちの身近に今行われていることから実例をとって考える。昨今の工場では労務課がいろいろ苦心して講習会をやるが、その一つで詩吟の会だの剣舞の会だのというのがある。この間或る婦人雑誌で、百貨店の婦人店員たちが仕舞の稽古をしている写真も見た。
 詩吟というものは、ずっと昔も一部の人は好んだろうが、特に幕末から明治の初頭にかけて、当時の血気壮な青年たちが、崩れゆく過去の生活と波瀾の間に未だ形をととのえない近代日本の社会の出生を待つ時期の感懐を吐露するてだてとして流行したものであった。その時分には、漢文が武士階級の男子の教養の基本であった。しかも政治の激動期に、朱子学が或る役割を持っていたことなどから、漢詩が伝統の文学の形式から、直接の日常の感情表現の手段となって行った。明治維新というものがその一面に下級武士の大きい力のあらわれをもっているという事実が、こういう点にも見られるのである。従って詩吟という一つの朗吟法が持っているメロディーは非常に緊迫した悲愴の味であり、テムポから云えば当然昔の武士が腰に大小を挾み、袴の裾をさばきながら、体を左右に大きく振り頭をもたげてゆっくり歩きながら吟じられるように出来ている。詩吟とはそういう性質のものなのである。
 今日の最新技術を駆使して高度に合理化されている重工業工場の生活が、そこで働いている優秀な勤労者たちの精神と肉体とに求めているテムポとリズムとは、どういうものであろうか。現代の科学の能力を最大限に発揮して刻々に活動している機械の速力、能率、音響、あらゆるものが、その機械を支配し操って働く者に、精神と肉体の極めて節約整理された敏速さと合理性とを求めており、それが可能な一定の近代工業のリズムを必要としている。近代工業のおどろくべき進歩は、二十世紀に西洋音楽に深く影響して、オネガやストラヴィンスキーその他の音楽家たちが不協和音を摂取するようになったし、文学でも即物的な要素を加えられた。
 そのような工場生活者の精神と肉体との組立てに対して、全く要素の異った詩吟というようなものが、どうして互によく調和し、休養と慰安と心の高まりと成り得るだろう。二つのものリズム・テンポの生理は、そもそもからちがっているのである。
 今日一部の青年たちの間に詩吟が流行しており、それを健全なたのしみとする人たちも決して少くないのは事実だと思う。だがそれは、今日の一部の青年たちが好んで黒の紋付羽織を着て、袴をばさばさとはいて、白い太い紐を胸の前に下げて歩いている、その好みと合致するものであっても、工場生活の人には合わない。云ってみれば、優秀な技術者の精神は詩吟向ではつとまらないのである。
 詩吟そのものは健全であろう。けれども、それのつかわれかたで、生活の文化の問題としては現実に不調和を来し、結果として不健全をもたらすことにもなる。
 私たちの文化への感覚は、自分たちの生活に関して現実的に明晰な判断を持たなければなるまいと思う。音楽が好きとか分るとかいうことだけが私たちの文化の内容ではなくして、今日ではもう生活と音楽との相互的な生理がわかるとこまで育って来る必要が示されているのである。
 女店員たちの仕舞にしろ、そこには様々の興味ある問題があると思われる。謡曲が、文学として仏教の影響を深くもっていることや、能の発達が封建の大名のお抱えとしてうけつがれて来たことや、それらは誰も知るとおりである。日本芸術の遺産の中で能は独特な評価をもってみられ、それがわかるのが文化を理解するものの当然の嗜みと考えられている。
 それはそうあってさしつかえないのだと思う。でも、女店員がその謡曲による仕舞を稽古するということに果してどこまで働く女性の感情にとって必然があるのだろう。能や仕舞は庶民生活の中から自然にわき出した動作が要約され芸術化されたものではなくて、貴族生活、武士生活の感情と思想とが洗練し集約しつくした動きに象徴されたものである。習ってゆく道すじから云うと、能や仕舞ほど形式への絶対の服従を求める芸は殆ど他にない位と云える。お花でも投げ入れとか、お茶でも野立てとか、その場その時の条件を溌溂とした心に映して、工夫を働かせて人の心も自分の心も慰めるというものもある。仕舞はそういうものではない。その場の思いつきで舞われた仕舞というような例は天下にない。ふさわしい場面で、その場にふさわしい曲が舞われるというのが即興として許される限度で、そのふさわしさの判断にあたってやはり一朝一夕でない伝統の理解がものを云うのである。
 百貨店の娘さんたちの朝から夕方店を閉じるまでの忙しさ、いとまのない客との応接、心を散漫に疲れさせるそれらの条件を健全でない事情と見て、反対の解毒剤として、所謂落着いた古来の仕舞は健全と思われているのであろう。実際に百貨店の娘さんたちの動きを見ていると、陳列台や勘定台の間を終始動いている動きは、劇しくせわしいけれども、動きそのものとして実に小刻みで小さい。若い脚がのびたいだけ伸ばされ、しなやかな背中が向きたいだけ大きく向きかわって闊達に動作しているのではなくて、台だの、持場だの、狭苦しい区画の間で気の毒なほど青春の肉体の動きを制約されている。足と手とを神経とともに細かくつかって、それで飽き飽きするほどである。
 そういう体のつかいかたをしている娘さんたちの若い肉体が、求める律動はどういうものだろうか。思う存分に手も伸ばし肢も背ものばし、外気と日光と爽やかな風の流れの欲しいのが自然だろうと思う。勝手に体を屈伸させ、さぞ跳ねたりもしたいだろう。肉体の健やかな自然の要求はそこに在る筈である。
 仕舞は、整えられ美とされている線であるにしろ、そうやって既に制約されつめた動作を、又別の制約で鋳つける。きっちりときまりに従って、爪先を一分刻みに移してゆくような緊張を求められている。それも、或る種の娘さんの性格や感情には一つの快感であるのかもしれないけれども、そこには極めて微妙な女性の被虐的美感への傾倒も感じられなくはない。能の、動きの節約そのものの性質のなかには、明らかに日本の中世の社会生活からもたらされた被虐性、情感の表現を内へ追い込む性格が作用していて、しかも、ぎりぎりまで剪りこまれた外面へのあらわれの裡に、精神と情緒のほとばしる極限を表現しようとする芸術の手法である。自由な人間性の流露とは正に反対の手法である。
 今日働く婦人として生活している若い女性たちの実感が、もしそのような芸術の手法にぴったりとするものであるとするならば、私たちはそこに深刻な問題を感じなければならないと思う。今日の日本の二十歳前後の女性たちが、その胸に謡曲の世界の女性たち、四百年も昔の女性たちが、歎いたような悲歎、怨じたような恨、怨霊となってその思いを語らずにいられないほど生きている間には忍んでいた苦悩などを蔵して生きていてよいものだろうか。
 そこまで考えるわけではなく、ただ品のよい稽古事というのであれば、やはりそこに私たちの生ける文化への感情として考えさせられる点が在る。何故なら、それらの若い娘さんたちは、働く健気な婦人たちだのに、まだその働きの性質が自分の肉体に強いている無理を知らず、自分の生活の生理の要求に耳を傾けるだけの生活上の能力をもっていないという事実がそこに現れているのであるから。
 イギリスの皮肉屋の爺さんであるバーナード・ショウだの、現代物理学の神であるアインシュタインだのが日本の能楽の価値を理解したのは、文化への共感として当然であるけれども、そして、外務省が出版する雑誌やパンフレットに能の美を語る理由もわかるが、そのことと百貨店の娘さんが仕舞をやることとはおのずから別なのである。私たちが生活に即して文化の健全さを云うならば、この二つの場合の生活的な相異を、自分のこととしてはっきり日々の感情の中に感じわけてゆく力こそ、文化の健全さと云い得るのである。
 徒らな物真似や模倣を愧じる感覚も、文化の感覚として私たちのうちに美しく磨かなければならないだろうと思う。嘘偽や偽善を身につけまいとする潔癖も、文化の本質にある美しい感覚の宝である。常に事物の本質をわかって行きたいと思う心持こそ、文化の核心の精髄であるとともに、人間の人間たる所以であると思う。
 私たちが謙遜な心で今日の生活の諸相を省みたとき、文化の問題が最大の危険としてもっているものは何だろう。
 いろいろの点がさされると思う。けれども現在で最も重大なのは、所謂健全なものの不健全な使われかたに対して、私たちのかんがいつとはなし鈍らされて来ている点ではないかと思う。
 大根を葱からよりわけるように、文化上の健全なものと不健全なものとを二つの山によりわけて、健全なものときまった方のものは、どんな応用のしかたをしてもその健全さは変らないと、金剛石さえ焼ければ消えることのある現実を忘れたような解釈が、知らず識らず毎日の中に流れこんで、心の畑を荒廃に向けているようなことはないだろうか。
 人間がいいものや大切なものを大事にする自然なやりかたというものには実に面白く愛すべきところがあると思う。大切なことというのは、誰しも始終喋りちらしはしないし、どこででも出してひろげるということをしないし、平気でそれにれて感じがなくなってしまったりするようには決して扱わない。愛だの美しい精神だのと絶えず口に出す女のひとをみれば、人々は、ああいう風ではと、ひとりでにその真情に対して疑問を抱くだけの微妙な慧さをそなえているのである。
 この間きいた実際の話で、或る小学校長が毎朝子供達に体操をさせるとき、忠孝、忠孝というかけ声をかけさせようかと提案して、居合せた人々を暫し呆然とさせたということがあった。
 忠ということ孝ということ、それは健全である。だからと云って号令につかうというのは、正常の頭では信じがたい。その信じがたいことを、美風としてその校長は考え、そう考えることは常規を逸して殆ど精神の病気であるのだから、児童の薫陶などはゆだねておけない事を証明するのだとは考えなかったのである。
 さすがにそれをきいた人たちは呆然としたそうだが、そこまで行っては普通でないという事をはっきり云って忠告した人はなかったそうだ。私たちが今日の生活の文化の問題として恐れるべき点はここにある。一人二人の校長の狂信めいた昨今のものの見かたそのものより、それは異常であるという事を当然忠告すべきであるのに、何となし淡白に云い出しかねさせる空気が社会にあることを重大に戒心しなくてはならないと思う。
 もしそんな度はずれな思いつきが実現して、数百の少年少女が朝夕忠孝! 忠孝! と号令かけて、無心なままに感情を鈍化させられて行くとしたら、その結果は一つの冒涜であり悪であることを否定する人があるだろうか。
 今日文化のあらゆる面で私たちの願うべきことは、所謂健全な文化と不健全なものと一目でわかる区分をつけるというような単純なところにはなくて、健全さも或る瞬間には不健全なものと転化してゆく、その生きた刹那の機微に対して敏感でなければならないということだろうと思う。
 この頃の生活で私たちは配給をうけるということに馴れかかっている。配給される物については手拭一筋にしろ、こちらは全然うけ身な関係におかれざるを得なくて、ともかくそれを受けとらなければ無しでいるしかない事情になっている。私たちは、歴史の上に何か価値あることのために、そのような正常でない条件で日常を営まざるを得ないのだと知らされている。配給し合って互に暮すという方法に馴れることは私たちの一つの力ともなるであろう。けれども、配給とりも直さず万事あてがい扶持で、唯々諾々と生きる無気力の習性となるなら、それは堕落と云われなければならない。私たちは自分たちの世代において文化を堕落させたという責を、愛する後代から指摘されることは欲していないのである。
〔一九四一年五月〕

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「生活の思索」教材社
   1941(昭和16)年5月発行
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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