結婚と離婚の問題から「家」の権威がとりのぞかれるようになって来ているということは、日本の社会の歴史にとって、実に大きい意味をもっている。「家」というものを、やかましくいう中国でも、婦人と「家」とのいきさつは、大分日本とはちがっていたように思える。中国でも昔から婦人は、娘、妻、母として「家」に従えて考えられているけれども、「家」につながれる重みの差別は日本ほど男と女との間にあって女にばかり過酷ではないらしくも思える。「家」の権威を示す姓の問題でも、日本では良人の姓にすっかりかわってしまう。しかし中国では宋美齢をみてもわかる。宋氏の美齢として蒋氏夫人であり得る。巴金という作家の「家族」という長篇小説をよむと、中国の古風な上流の家庭で、大家族の生活がどのような矛盾をもって、相剋をふくんで営まれているかということが、まざまざとわかる。長男という立場が「家」のためにどんな犠牲をもとめられているかということも、手にとるようにわかるし、男女の召使いたちの、奴隷としての悲惨な位置も描き出されている。けれども、こういう重苦しい大家族主義のなかで、妻である女性は、やはり実家の姓を頂いているし、戦乱などのとき、子供をつれてさっさと安全な実家へ避難してゆく自由ももっている。たとえ長兄の妻、弟の妻が子供たちとともに逃げて行くような実家をもたないときでも。
 こういうことは、日本の「家」の義理にしばられる女のやりかたではない。少くとも兄嫁が家にのこっているとき、次弟の妻が自由に行動するというようなことは普通にはあり得ない。
 結婚が、本人たちの生涯にかかわる問題でなくて、「家」の問題であることから生れた悲劇は、中国と日本の文学にみちあふれている。郭沫若の自伝に、その切ない物語がある。魯迅でさえも、その人間らしい誠実な一生のうちに、この悲劇の一筋をふんでいた。夏目漱石の「行人」は、日本の大正年代の知識人の「家」から蒙っている苦悩こそ、テーマである。
 憲法が改正されて、民主的という本質には遠いけれども、人間として男女が平等のものと扱われるようになった積極的な価値はあきらかである。この社会にともに働き、ともに生きる男と女とが、その基本的な人間としての権利において互に等しいものであるというわかりきったことが、現世紀の半ばになって、しかも、こんなに深刻な破局をとおして、やっと成文にかかれたということは、むしろおどろくべきことだと思う。
 憲法が改正されたことは、民法の改正をひきおこした。民法の上でこれまで婦人が全く片手おちに、したがって非現実に扱われていた条項を、生活の実際に近く――男女平等のものに改正しようとされている。
 先ず婚姻の問題が、「家」の問題でなくて、当事者である男女の問題として扱われるようになった。「家」は、家庭を単位として扱われることになり、そこには夫と妻と子供たちとのひとかたまりが、基本として考えられるようになった。「家」の嫁は、はっきりと夫の妻、子の母、としての立場で認められることになって来た。
 離婚において、これまでは妻の側からの離婚の要求は殆んど出来ないのが普通であった。協議離婚として、離婚しようとする対手の夫がその申出を承認し、二人の証人も承認し、妻がわかければ、妻の生家の戸主の署名までなければ、離婚は不可能であった。妻が夫の乱行に耐えず、また冷遇にたえがたくて離婚したくても、夫が承知しなければ、生涯ただ名ばかりの妻で、保姆と家政婦の日々を暮さなければならなかった。夫である男と妻となる女とが、互の愛と社会的責任において、家庭を営んでゆくのが結婚の原則であるとすれば、その愛が失われ、相互の責任が実行されないとき、離婚がおこるということはさけ難い。離婚は、いつでも、結婚の純潔と互の責任を完うするための分離としてしかあり得ない。
「家」を主にして生活が運転されていた時代は、妻は嫁であり、その妻が母となっても、お母さんである嫁であった。離婚しても、嫁、または子をもった嫁が、その家を去られたのであって、のこされた子を育てるには、姑だの小姑だのがあった。妻を去らせた男の生活の家事的な面はそれらの「家」の女たちによって結構まかなわれた。
 家庭の単位を、夫と妻とその子供たちとする新しい民法で、結婚が男女二人の意志で行われるという場合、これまでよりもっともっと重大な責任を結婚しようとする当人たちが互に自覚しなければならない。お互同士のほかに、苦情の訴えどころもなければ、責任を転嫁する対手もないのだから。同様に、離婚の自由があるということは、従来の「家」での離婚沙汰よりはるかに深い人間的分離を意味することと、わたしたちは真面目に理解しなければならない。
 家庭から妻が去り、夫が妻から去るということは、一時的にもせよ根底から家庭の崩壊である。子供たちがいるとき、子供は母を失うか父を失うかしなければならず、その痛手は、子供にとって実に痛烈である。結婚の自由、そして離婚の自由があるとき、すべての人は、女も男も、自分たちの心のなかに一つの声をきくと思う。――みなさまの責任は? みなさまの責任は?――と。

 第一次世界大戦のあとから、世界のすべての国々に離婚がふえた。結婚というものに対するそれまでの国々での考えかた、しきたりが、戦争の破壊力によって大変動を与えられたために。この原因は主として戦争によって女子人口が増加したことと、それまで生活の安定をもっていた中産階級の経済基礎がくずれ、勤労する男女が多くなったことにあった。ジェーン・オースティンの小説や「嵐ケ丘」でブロンテが書いたような、イギリスの中産階級の人たちの「ちゃんとした結婚」の観念もかわった。
 こんどの第二次世界大戦は、ファシズムに対して勝利した国々においてさえ、その社会が蒙った戦傷は深刻で、イギリスでは今年のクリスマスは近代の歴史はじまって以来、はじめてのきりつめたものだった。アメリカでもさまざまの経済上の問題があって、この事情は家庭生活の安定をゆるがし、離婚は非常にふえて来た。一九一七年のアメリカでは人口千人について一・二の離婚だったのが、一九三四年からひどく増大して、一九四〇年には二・〇となり、一九四五年には結婚三に対して、離婚一であった。前年からみると、二割五分、戦前に比べれば「倍に近い」有様となっている。この現象はアメリカで一つの社会問題となっており、慎重な研究の対象としてとりあげられているばかりでなく、両親の離婚とその間におかれる子供の苦しみをテーマとした劇が上演され、多くの人に関心を与えた。
 今日、日本でも離婚は急激に殖えている。戦争が家庭の破壊のために果した役割は、表面にみえるよりもはるかに深くはげしい。戦争中、何年も前線におかれた夫と、故国にのこされた妻との間には、夫が帰還してはじめて問題化するような多種多様な悲劇がかもされている。公報で戦死したものとされた夫が帰ってみれば、妻は弟と結婚していた、というような実例は、まだまだひとにも話せる悲劇の部類であった。
 疎開、転入制限、これらも大幅に日本の家庭を破壊した。経済事情の極度の不安定。これも今日の離婚の動機をなす最も大きい理由である。これらの諸理由が離婚の動機になるほど、これまでの結婚というものが、日本では、つよい愛に立っての結合ではなくて、「家」のためか「世帯」のためか、身のふりかたの問題であったわけである。

 日本のわたしたちは、結婚と離婚の自由ということについて、落着いて注意ぶかく現実的でなければならないと思う。何故なら、憲法や民法の上での男女の平等、結婚の自由、離婚の自由ということと、きょうの現実の不自由だらけで破綻した社会経済生活の実際との間には、おそろしいくいちがいがあるから。
 結婚の自由といくら民法できめられても、きょうの若い人々に果してそんなにのびのびした自由があるだろうか。先ず結婚して住むところがどこにあるだろう。一ヵ月の蜜月のために、田園の大きい館が用意されたのは、イギリスでもエリザベス王女ぐらいのものであろう。結婚しましょうよ、というわかい人々の決心は、すぐつづいて、でもうちは? と問題にぶつかる。仕方がないから当分親たちと同居ということになったとき、民法が夫と妻とを単位とするからといって、若い妻に、嫁の慣習がおいかぶさって来ないと、どうしていえよう。夫婦で働いて生活してゆかなければならないものには、妻の家事の負担が、夫にとっても重大な課題である。日本のきょうの社会ではヤミのシャンパンはメチールをまぜてキャバレーの床に流れても、つつましい共稼ぎの若い夫婦の人生を清潔に、たのしくさせるカフェテリヤもなければ、オートマットもない。きょう、やかましい産児制限のことも、こうして、住む家をもたず、家事負担から解放されない若夫婦が、初々しい親となってゆく喜びさえ節約して、食べられない俸給に耐えてゆくための一条件のようでさえある。今日、産児制限は、優生学の立場からというよりは、むしろ民族の屈辱の一つとして、自主の策は何一つもたない今日の権力に対する母性の憤りの一つの対象としてあらわれているとさえいえる。
 離婚の自由が婦人にも認められ、民法はそれと同時に、離婚した婦人の経済的援助も含めている。このことは、しかし、本当に婦人にとって「個人の尊厳」を守れる社会的経済的土台があることを意味しているだろうか。
 婦人に離婚の自由が認められた、ということは、特にこれまで隠忍をつづけている、日本の女性にとっては、何か復讐的な快感であるかもしれない。妻に向って「出てゆけ」という言葉は、これまでのように、出てゆけば明日から路頭に迷わなければならないものに向って云われる、おどかしの言葉ではなくなった。出てゆけ、という一言には、出てゆかせるものの責任が示されて来たのである。
 けれども、それくらいのことで、本当に日本の社会で、婦人の結婚と離婚の自由は、人間としての尊厳を完くする力となるのだろうか。
 大体、日本の最近の離婚の原因が、家庭経済の破綻にあるのが多いということに、私たちは注目しなければならない。そして、こういう離婚者の年齢が婦人として案外ふけていることも注目される。この事実は何を語っているだろう。離婚をのぞむ今日の日本の婦人たちが、ひとにも公然と語る離婚の理由として、まだ互の性格を問題にしたり、人間としての生活態度を動機としたり、愛の破綻を原因として自覚し、堂々とそれを表現するところまで、行っていないと考えることもできる。「世帯」のため「親がやかましくいうので」結婚した男と女との間で、仲人とか周囲の常識とかを納得させる離婚理由は、誰にでも通用する「さきの見込みがない」ということであるのだろう。愛がうつろい、その冷たさに耐えないで、夫という苦しみの対象から解放されたい女の心も、日本では世帯とか、さきの見込みにからめて主張されるのであろう。
 どういうきっかけにもせよ、離婚は家庭の分離であり、現代にそれが殖えたということには、必ず、深い社会的根拠があるはずである。第二次大戦の多くの国々に離婚がふえたことは、強大な資本主義の民主国の社会でも、勝った国でも、その社会のなかに発生している様々の微妙な矛盾の影響をうけて、経済的にも、心理的にも、一つ一つ切りはなされて営まれている形のままでは、これまでの家庭の平安が保てなくなって来たことを物語っているのだと思われる。
 結婚の自由と民法がいっても、現実に住居のないこと、月給の少いこと、戦争によって多くの家庭は新しい扶養者をもたざるを得なくなっていることなどで、自由な結婚はなかなか出来ない。全逓の従業員組合は、十数万の結婚適齢従業員のために、結婚資金を要求した。生きて働いてゆく給料さえ出さない政府が、どうして結婚資金までを出すだろう。共稼ぎで働かなければならない婦人も、職場の古くさいものの考えかたや、母性保護施設のないことから、やはり結婚とともに職をしりぞく率が非常に多い。こうして、働く意志のある婦人も、「家庭の主婦」という位置に追いこまれる。その人々は組合をはなれてしまって、最も孤立した、組織を全くはなれた「妻」になってしまう。夫の組合は、家庭手当と家族慰安会のなかで、妻の存在に関係するばかりである。
 そもそも、結婚にこういう現実のくいちがいがある。このことは、離婚が、婦人にとって簡単に「人間の尊厳」を守ることにならないきょうの現実を、私たちの前に切開して示している。「人間的な尊厳」に立って自由に離婚したとしても、それからさきの生活をちゃんと自由に建設してゆく社会条件が婦人にひらかれていない場合、どういうことになるだろう。
 工場に働く婦人にとって、また学校の先生にさえも停年というものがある。婦人がその仕事に熟達し、女としての経験もゆたかになり、成人しかかる子供たちの教育費に多くの費用がいる時期、妻・主婦・母として一番経済的負担の重い四十歳を越すと、停年である。印刷工場などでは、その先そこにつとめようとすれば、未熟練工なみにおとされる。女教員でさえ四十一歳になった女教師は、新しく本任用しない東京都の内規がある。
 離婚を要求する女性の理由のなかには、夫の乱れた生活は、妻としての自分に耐えがたいと同時に子供の教育にもわるいから、ということも珍しくない。離婚するなら子供はすてて出ろ、ということは、無慚な姑や夫が嫁に隠忍を強いるからめてからのおどかしとして云ったことである。自由になった離婚法で、不幸な妻は自分から離婚してよいことになり、その上母と暮したいと主張する三人の子をひきとって、一緒に暮さなければならないというとき、経済上自力でやってゆける自信のある妻は、いまの日本に何人あるだろう。イプセンの「ノラ」は、ノラが人形でなくなろうとして人形の家を出てから先にこそ、女性の社会的問題があった。このことを、きょうの若い婦人で理解しない人はない。うたう雲雀、可愛いい人形から、急に一人の女に転生しようとしたノラの前途に、ふせられていたこの課題は、きょうの日本の勤労女性全般の前に、ノラの時代より、遙かに具体的に矛盾の諸相を呈出している。
 結婚の問題にあたって、私たちを深刻に考えこませる托児所がないということ、炊事、洗濯が社会化された家事になっていないことが、離婚の場合、また切実な問題となり、桎梏となって来る。戦争による未亡人の生活の堂々めぐりのいたましさは、実に多くこういう急所が未解決な今日の社会事情からもたらされている。内職では食べてゆけない。内職では決して食べてゆけないのに、その内職がなければ一層窮迫する程度の賃銀しか支払わないのが、いまの雇うものと雇われるものとの関係である。内職は賃銀のダンピングであるにかかわらず、子もちの母は、正当な働き場所を見つけにくい。
 外国の諸国にも、売春婦はどっさりいる。しかし、私たち日本の女は、夫の戦死されたあと、ママという通称をもった街の女がいて、三人の子供をどこかにのこしたまま、くびり殺されたことを忘れてはならない。今日の日本では子持の街の女も、かなりの高率であるにちがいない。
 結婚と、その分離である離婚が「人間の尊厳」のために男女の間に平等な人権であるならば、私たちは憲法にいわれているすべての人民は働くことが出来る、すべての人民は教育をうけることが出来る、という条項を、徹底的に実現してゆかなければならない。このことこそ、憲法にいわれているとおり、すべての人が良心に立って行動する自由をもっている、その具体的な途である。
 結婚の自由ということを考えるとき、私たちは、今日の日本の働く婦人の現実の条件から目をそらすことが出来ない。離婚の自由をいうとき、わたしたちは、婦人が一本立ちでやってゆける社会条件を建設してゆく努力ぬきには、考えられない。そして、これらすべては、ひっくるめて全日本の働いて生きなければならない数千万の男女の、人民としての生活の条件の改善にかかって来るのである。
 自由ということは、何でもしていい、ということを意味しない。結婚の自由ということは、人間としてのぞんでいる結婚を、本人たち以外のものの意志で邪魔されないでよい、ということであると同時に、いやな結婚を、はたの事情でさせられないでよい、ということである。放埒をしてよい、のではなくて、結婚という形式における売淫は、人間らしくないこととして拒絶する権利があることを意味している。
 結婚の本質をこうしてより人間らしい条件において扱い直そうとするとき、その結婚の清純を守る条件として、離婚の自由がもち出されて来る。主観的に、いやになったからわかれてやる、という態度が離婚の自由の正しい認識でないとともに、客観的には、離婚した母と子との生活保証がされる法律上の条件が必要であると共に、社会的に保証が実現される可能がなければ、離婚の自由ということは欺瞞になる。
 憲法や民法で、婦人の立場が男と平等に積極的に書かれるようになったというだけでは、殆んど空文にひとしい。社会の実際の日々に、すべての職場に、男女の働いて生きる人の必要を、社会的に、また法的に保証する方法が具体化されたとき、はじめて民主的というに値する。そういう社会をつくるために、男女が力を合わせて、あらゆる努力をし、あらゆる形でたたかってゆくことを、良心の行為として認めたとき、はじめて、民主が徹底するのである。選挙権というものを、女も、失業者も、大臣も、もっているというばかりが、民主ではない。
 婦人の労働条件の改善、確保と、特に子供たちのための社会保障の真剣な検討なしに、結婚や離婚のことは話せない。――出来るだけ個人の経済負担の少い托児所、幼稚園、子供のための病院、療養所。憲法でいっているとおり、九年制義務教育の国家による保障さえ、実際には一つも行われていないとき、いまの社会事情のままでいわれる離婚の自由は、欺瞞的にきこえる。父親である男として、妻を離婚したあと、母を失った子供たちの境遇について心痛しないものはない。より人間らしく生きる道としてひらかれた一つの門から、より多くの売春婦と浮浪児を生み出すことを、わたしたちの社会的良心は肯定しない。この現実のままでは空文に終る結婚と離婚の自由を、真実に社会的責任に裏づけられたものとするために、私たちが試みるすべての生活改善の努力を、阻止しようとしたり、抑えようとしたりする権力をも、私たちは肯定しないのである。
〔一九四八年四月〕

底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「女性の歴史」
   1948(昭和23)年4月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。