どんな作家でも、自分の書く本が立派にこしらえられ、そして見事に売れることをよろこびとする。しかし、その自然なこころもちは、時代のいろいろの関係で、あながち、芸術的に発露されにくい。何しろ、出版企業というものに結びついているのだから。
 文学を愛し、文学をつくる人になる前に生活の必要と文学愛好の心からジャーナリズム関係に入る若い人は、みんな大抵幻滅を経験する。バルザックの「幻滅」とはちがった意味で。遠くから見て敬意を抱いていた芸術家たちが、ジャーナリストとして接触してゆくと、その人々のジャーナリズムへの態度が露呈され、人間的にも幻滅し文学的にも別な目をさまされる。そして悲しいことに、一種の文化的すれからしとなってしまう。「まんじ」が一冊千円ということは、幾人かの人から幾たびかきいた。「まんじ」が千円ということは、今の出版にある一種の傾向から肯けて、それはウィスキイ一本何千円ということに似て理解された。
 志賀直哉が自著入りでやはり千円の本を出す、ときく心持は「まんじ」の場合よりも、もっと文学の圏内におこったことの感じであった。「暗夜行路」をくりかえしよんだ私たちの年代のものは、千円の本をつくる作家志賀直哉に対し、もし事実であるならば暗然とした心もちがある。闇の紙で出した部数が多ければ多いほど、これだけ無理をしているのだからと、次期の割当を増している出版協会の割当方法も奇妙だし、きのうの新聞に出たように、原稿料を基準に本の定価をきめる、という物価庁の意見も腑におちない。文化現象としてよりもインフレーション現象としての出版問題の解決はむずかしく複雑であろう。石橋湛山は、編輯者としてインフレーション問題を扱えば、まさか聖書の文句を引用して幼児の如くあらずんば天国に入るを得ず、とあるから国民よ、幼児のごとく政府を信頼せよ、とは書かなかったであろう。しかし大臣となって、いかな魔法のためか、その椅子はぐらつきつつ顛覆しないときまってみると、なかなか人間をはなれた発言をする。物価庁が、原稿料を基準に、という意見を発表するとき、湛山の役所風なヴァリエーションを感ずる。表通りは固めて、裏はふつうという。――
 書籍の※[#丸付き公、109-18]を原稿料によってきめるとき、現象的にみれば、高い原稿料を基準にするほど企業上有利であろうから、もしかすれば一般の原稿料はあがる、ということになるかもしれない。けれども、そうして高い本が出ると本屋との関係にかかわっているばかりでなく、文学の世界にじかにかかわって来ている。作家の実感にかかわって来ている。そして、日本に、民主的な文学ということをいうならば、その文学の問題にかかわっているのである。
 日本の近代史は、思えば、畳まれた提灯のようだと思う。ヨーロッパが三百年五百年とかかってその一輪、一区切りずつ動いて来たものが、短く明治以来の八十年にたたみこまれてしまっている。畳みめのせんさくがこの頃やっとはじめられて、ひだの深さの間に近代文学の自我、主体の確立その他の問題が詮議されている。一方に、こうして、先ず用紙割当のための民主的な委員会を作ることは考えずに、原価基準風に、原稿料基準の※[#丸付き公、110-7]書籍をこしらえようとするような文化の非自立性が進行している。しかもこの現象は、探求されている日本文学史上のあらゆる近代性確立の問題の根蔕において繋がっているのであって、買うのはどういう人々だろう。荷風、潤一郎は昨今では闇屋の作家である。と云われている言葉がある。新聞には三千五百円の句集ということが話題にされているけれども、この間の晩、三省堂の店頭に据えられたマイクは、あんなに書籍払底を訴えていた。それを訴える声々は、どれもみんな若かった。その声よりも稚い国民学校の子供たち、絵本のほしい子供たち、その子たちはアメリカの子供がたべても美味しいミカン、という奇妙な唱歌をうたって、アメリカから送られたきれいな本を三越の展覧会でごらんなさい、と教えられている。国民学校や中等学校は教科書が絶対に足らない。それは、そうなる。一冊三千五百円の教科書はないから。よしんば、親はその句集を買っても、子供の教科書は、人間の成長に入用な教科書だから、儲けがきまっているから、ない。文学の生活とその本の出版ということに、こういう現実はみんなかかわって来ている。
 昔、北原白秋が羊皮にサファイアやルビーをちりばめた豪華版の詩集を出す広告をしたことがあった。実現したかしなかったのか知らない。白秋のロマンティシズムに、九州柳川の日が照って、桐の花がちりかかっていたように、その頃の、きれいな本をつくりたい心、そういうきれいな本をもってみたい心は、日本の出版企業の、かつて初々しかった昔の物語である。そして、それはまだ文化の問題に入っていたのである。
〔一九四七年四月〕

底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「文学会議」第一輯
   1947(昭和22)年4月30日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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