一

 白鷺明神しらさぎみょうじんほこらへ――一緑の森をその峰に仰いで、小県銑吉おがたせんきちがいざ詣でようとすると、案内に立ちそうな村の爺さんが少なからず難色をあらわした。
 この爺さんは、
「――おらが口で、あらためていうではねえがなす、内のばばあは、へい一通りならねえ巫女いちこでがすで。」……
 若い時は、渡り仲間の、のらもので、猟夫かりゅうどを片手間に、小賭博こばくちなどもるらしいが、そんな事より、古女房が巫女というので、聞くものに一種の威力があったのはいうまでもない。
 またその媼巫女うばいちこの、巫術ふじゅつ修煉しゅうれんの一通りのものでない事は、読者にも、間もなく知れよう。
 一体、孫八が名だそうだ、この爺さんは、つい今しがた、この奥州、関屋の在、旧――街道わきの古寺、西明寺さいみょうじの、見る影もなく荒涼あれすさんだ乱塔場で偶然知己ちかづきになったので。それから――無住ではない、住職の和尚は、斎稼ときかせぎに出て留守だった――その寺へ伴われ、庫裡くりから、ここに准胝観世音じゅんでいかんぜおん御堂みどうに詣でた。
 いま、その御廚子みずしの前に、わずかに二三畳の破畳やれだたみの上に居るのである。
 さながら野晒のざらし肋骨あばらぼねを組合わせたように、れ古びた、正面の閉した格子を透いて、向う峰の明神の森は小さな堂の屋根を包んで、街道を中に、石段は高いが、あたかも、ついそこに掛けた、一面墨絵の額、いや、ざっと彩った絵馬のごとく望まるる。
 明神は女体におわす――爺さんがいうのであるが――それへ、詣ずるのは、石段の上の拝殿までだが、そこへくだけでさえ、清浄しょうじょう斎戒さいかいがなければならぬ。奥の大巌おおいわの中腹に、祠が立って、うやうやしくいつき祭った神像は、大深秘で、軽々しく拝まれない――だから、参った処で、そのかいはあるまい……とくのを留めたそうな口吻くちぶりであった。
「ごく内々の事でがすがなす、明神様のお姿というのはなす。」
 時に、勿体ないが、大破落壁した、この御堂の壇に、観音の緑髪、朱唇しゅしん白衣びゃくえ白木彫しらきぼりの、み姿の、片扉金具の抜けて、おのずから開いた廚子から拝されて、が捧げたか、花瓶の雪の卯の花が、そのまま、御袖みそでもすそまがいつつ、銑吉が参らせた蝋燭ろうそくの灯に、格天井ごうてんじょうを漏る昼の月影のごとく、ちらちらと薄青く、また金色こんじきの影がさす。
「なす、この観音様に、よう似てござらっしゃる、との事でなす。」……
 ただこの観世音の麗相を、やや細面にして、玉のしろきがごとく、そして御髪みぐしが黒く、やっぱり唇は一点の紅である。
 その明神は、白鷺の月冠をめしている。白衣で、はかまは、白とも、ともいうが、夜の花のおぼろと思え。……
 どの道、いわおの奥殿の扉を開くわけには行かないのだから、ひとえに観世音を念じて、彼処かしこの面影をしのべばよかろう。
 爺さんは、とかく、手に取れそうな、峰の堂――絵馬のなかへ、銑吉を上らせまいとするのである。
 第一可恐おそろしいのは、明神の拝殿のしとみうち、すぐの承塵なげしに、いつの昔に奉納したのか薙刀なぎなた一振ひとふりかかっている。勿論誰も手を触れず、いつ研いだ事もないのに、切味きれあじの鋭さは、月の影に翔込かけこふくろう、小春日になく山鳩は構いない。いたずらものの野鼠は真二つになって落ち、ぬたくる蛇は寸断ずたずたになってうごめくほどで、虫、けだものも、今は恐れて、床、天井を損わない。
 人間なりとて、心柄によっては無事では済まない。かねて禁断であるものを、色にめしいて血気な徒が、分別を取はずし、夜中、御堂へ、村の娘を連込んだものがあった。隔てのとばりも、すだれもないのに――
 ――それが、何と、あかるい月夜よ。明神様もけなりがッつろと、二十三夜の月待の夜話よばなしに、森へ下弦の月がかかるのを見て饒舌しゃべった。不埒ふらちを働いてから十五年。四十を越えて、それまでは内々恐れて、黙っていたのだが、――たたるものか、この通り、と鼻をさして、何の罰が当るかい。――舌も引かぬに、天井から、青い光がさし、その百姓屋の壁を抜いて、散りかかる柳の刃がキラリと座のものの目に輝いた時、色男の顔から血しぶきが立って、そぎ落された低い鼻が、守宮やもりのように、畳でピチピチとねた事さえある。
 いま現に、町や村で、ふなあ、ふなあ、と鼻くたで、因果と、ふなどじょうを売っている、老ぼれがそれである。
 村若衆わかいしゅの堂の出合は、ありそうな事だけれど、こんな話はどこかに類がないでもなかろう。
 しかし、なお押重ねて、爺さんが言った、……次の事実は、少からず銑吉を驚かして、胸さきをヒヤリとさせた。
 余り里近なせいであろう。近頃では場所が移った。が、以前は、あの明神の森が、すぐ、いつも雪の降ったような白鷺の巣であった。近く大正の末である。一夜に二件、人間二人、ものすごい異状が起った。
 その一人は、近国の門閥家もんばつかで、地方的に名望権威があって、我がままの出来る旦那だんな方。人に、鳥博士ととなえられる、聞こえた鳥類の研究家で。家には、鳥屋というより、小さな博物館ぐらいの標本を備えもし、飼ってもいる。近県近郷の学校の教師、無論学生たち、志あるものは、都会、遠国からも見学にきたうこと、須賀川の牡丹ぼたんの観賞に相斉あいひとしい。で、いずれの方面からも許されて、その旦那の紳士ばかりは、猟期、禁制の、時と、場所を問わず、学問のためとして、任意に、得意の猟銃の打金をカチンと打ち、生きた的に向って、ピタリと照準する事が出来る。
 時に、その年は、獲ものでなしに、巣の白鷺の産卵と、生育状態の実験を思立たれたという。……ひよッ子はどんなだろう。鶏や、雀と違って、ただ聞いても、鴛鴦おしどりだの、白鷺のあかんぼには、博物にほとんど無関心な銑吉も、聞きつつ、早くまず耳を傾けた。
 在所には、旦那方の泊るような旅館がない。片原の町へ宿を取って、鳥博士は、夏から秋へかけて、その時々。足繁くなると、ほとんど毎日のように、明神の森へ通ったが、思う壺の巣が見出せない。
 ――村に猟夫かりゅうどが居る。猟夫りょうしといっても、南部のいのししや、信州の熊に対するような、本職の、またぎ、おやじのおすではない。のらくらものの隙稼ひまかせぎに鑑札だけは受けているのが、いよいよ獲ものにこうずると、極めて内証に、森の白鷺を盗みうちする。人目をはばかるのだから、忍びに忍んで潜入するのだが、いや、どうも、我折がおれた根気のいい事は、朝早くでも、晩方でも、日が暮れたりといえどもで、夏の末のあるなどは、ままよ宿鳥ねどりなりと、占めようと、右の猟夫りょうしが夜中真暗まっくらな森を※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよううちに、青白い光りものが、目一つの山の神のように動いて来るのに出撞でっくわした。けだし光は旦那方の持つ懐中電燈であった。が、その時の鳥旦那のよそおいは、杉の葉を、頭や、腰のまわりに結びつけた、つらまで青い、森の悪魔のように見えて、猟夫を息を引いて驚倒せしめた。旦那の智恵によると、鳥に近づくには、季節によって、樹木と同化するのと、また鳥とほぼ服装のいろどりを同じゅうするのが妙術だという。
 それだから一夜に事の起った時は、冬で雪が降っていたために、鳥博士は、帽子も、服も、靴まで真白まっしろにしていた、と話すのであった。
      (……?……)
 ところで、鳥博士も、猟夫りょうしも、相互の仕事が、両方とも邪魔にはなるが、幾度いくたびも顔を合わせるから、逢えば自然と口を利く。「ここのおつかい姫は、何だな、馬鹿に恥かしがり屋で居るんだな。なかなか産む処を見せないが。」「旦那、とんでもねえ罰が当る。」「撃つやつとどうかな。」段々秋が深くなると、「これまでのは渡りものの、やす女だ、侍女こしもとも上等のになると、段々勿体もったいをつけて奥の方へ引込むな。」従って森の奥になる。「今度見つけた巣は一番上等だ。鷺の中でも貴婦人となると、産は雪の中らしい。人目を忍ぶんだな。産屋うぶやも奥御殿という処だ。」「やれ、罰が当るてば。旦那。」「撃つやつとどうかな。」――雪の中に産育する、そんな鷺があるかどうかは知らない。爺さんの話のまま――猟夫りょうしがこの爺さんである事は言うまでもなかろうと思う。さて猟夫が、雪の降頻ふりしきる中を、朝のに森へくと、幹と根と一面の白い上に、既に縦横に靴で踏込んだあとがあった。――畜生、こんなにはやくから旦那が来ている。博士の、静粛な白銀しろがねの林の中なる白鷺の貴婦人の臨月の観察に、ズトン! は大禁物であるから、にらまれては事こわしだ。一旦いったん破寺やれでら――西明寺はその一頃は無住であった――その庫裡くりに引取って、炉に焚火たきびをして、弁当を使ったあとで、出直して、降積った雪の森に襲い入ると、段々に奥深く、やがて向うに青い水があらわれた、土地で、大沼というのである。
 今はよく晴れて、沼を囲んだ、樹の袖、樹のすそが、おおいなる紺青こんじょうの姿見をいだいて、化粧するようにも見え、立囲った幾千の白い※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)じょうろうが、瑠璃るり皎殿こうでんめぐり、碧橋へききょうを渡って、風に舞うようにもながめられた。
 この時、煩悩ぼんのうも、菩提ぼだいもない。ちょうどなぎさの銀のあしを、一むら肩でさらりと分けて、雪にまがう鷺が一羽、人を払う言伝ことづてがありそうに、すらりと立って歩む出端でばなを、ああ、ああ、ああ、こんな日に限って、ふと仰がるる、那須嶽連山のみねに、たちまち一朶いちだの黒雲のいたのも気にしないで、折敷おりしきにカンと打った。キャッ! と若い女の声。たまぎる声。
 ったか、飛んだか、すべったか。猟夫りょうしが目くるめいて駆付けると、てざまの白雪に、ぽた、ぽた、ぽたとあけが染まって、どこを撃ったか、黒髪の乱れた、うつくしい女が、仰向あおむけに倒れ、もがいた手足をそのままに乱れ敷いていたのである。
 いやが上の恐怖と驚駭きょうがいは、わずかに四五間離れた処に、鳥の旦那が真白まっしろなヘルメット帽、警官の白い夏服で、腹這はらばいになっている。「お助けだ――旦那、薬はねえか。」と自分が救われたそうに手を合せた。が、鳥旦那は――鷺が若い女になる――そんな魔法は、俺が使ったぞ、というように知らん顔して、遠めがねを、それも白布で巻いたので、じっとどこかの樹を枝を凝視みつめていて、ものも言わない。
 猟夫は最期いまわと覚悟をした。……
 そこで、急いで我が屋へ帰って、不断、常住、無益な殺生を、するな、なせそと戒める、古女房の老巫女いちこに、しおしおと、青くなって次第を話して、……その筋へなのって出るのに、すぐにはりへ掛けたそうにふんどしをしめなおすと、あずさの弓を看板に掛けて家業にはしないで、茅屋あばらやに隠れてはいるが、うらないも祈祷きとうも、その道の博士だ――と言う。どういうものか、正式に学校から授けない、ものの巧者は、学士を飛越えて博士になる。博士神巫いちこが、亭主が人殺しをして、唇の色まで変って震えているものを、そんな事ぐらいでめはしない……冬の日の暗い納戸で、糸車をじい……じい……村も浮世も寒さに喘息ぜんそくを病んだように響かせながら、猟夫に真裸まっぱだかになれ、と歯茎をめておごそかに言った。経帷子きょうかたびらにでも着換えるのか、そんな用意はねえすべい。……井戸川で凍死こごえじにでもさせる気だろう。しかしそのことばの通りにすると、みのを着よ、そのようなその羅紗らしゃの、毛くさいやぶれ帽子などは脱いで、菅笠すげがさかぶれという。そんで、へい、苧殻おがらか、青竹のつえでもつくか、と聞くと、それは、ついてもつかいでも、のう、もう一度、明神様の森へ走って、旦那がそばに居ようと、居まいと、その若い婦女おんな死骸しがいを、蓑の下へ、はだづけに負いまして、また早や急いで帰れ、と少し早めに糸車を廻わしている。
 いや、もう、肝魂きもたまを消して、さきに死骸の傍を離れる時から、那須颪なすおろし真黒まっくろになって、再び、日の暮方の雪が降出したのが、今度行向う時は、向風の吹雪になった。が、寒さも冷たさも猟夫は覚えぬ。ただつらを打って巴卍ともえまんじに打ち乱れる紛泪ふんぱくの中に、かの薙刀なぎなたの刃がギラリと光って、鼻耳をそがれはしまいか。幾度立ちすくみになったやら。……
 我が手で、鉄砲でうった女の死骸を、雪をいて膚におぶった、そ、その心持というものは、紅蓮ぐれん大紅蓮の土壇どたんとも、八寒地獄の磔柱はりつけばしらとも、たとえように口も利けぬ。ただ吹雪に怪飛けしとんで、亡者のごとく、ふらふらと内へ戻ると、媼巫女うばみこは、台所の筵敷むしろじき居敷いしかり、出刃庖丁をドギドギと研いでいて、納戸の炉に火が燃えて、破鍋われなべのかかったのが、阿鼻とも焦熱ともすさまじい。……「さ、さ、帯を解け、しての、死骸をまないたの上へ、」というが、石でもあかがねでもない。台所の俎で。……うばの形相は、絵に描いた安達あだちヶ原と思うのに、くびには、狼のきばやら、狐の目やら、いたちの足やら、つなぎ合せた長数珠ながじゅず三重みえきながらの指図でござった。
 ……不思議というは、青い腰も血の胸も、死骸はすっくり俎の上へ納って、首だけが土間へがっくりと垂れる。めったに使ったことのない、大俵の炭をぶちまけたようにもとどりが砕けて、黒髪が散りかかる雪に敷いた。媼が伸上り、じろりとて、「天人のようなおんなやな、羽衣をけ、剥け。」と言う。襟も袖も引き※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしる、と白い優しい肩から脇の下まで仰向あおむけにあらわれ、乳へ膝を折上げて、くくられたように、かかとを空へかがめた姿で、やわらかにすくんでいる。「さ、そのしらッこい、あぶらののった双ももを放さっしゃれ。けだものは背中に、鳥は腹に肉があるという事いの。腹からかっしゃるか、それとも背からひらくかの、」と何と、ひたわななきにわななく、猟夫の手に庖丁を渡して、「えい、それ。」媼が、女の両脚を餅のように下へ引くとな、腹が、ふわりと動いて胴がしんなりと伸び申したなす。
「観音様の前だ、旦那、許さっせえ。」
 御廚子の菩薩ぼさつは、ちらちらと蝋燭の灯に瞬きたまう。
 ――茫然ぼうぜんとして、銑吉は聞いていた――
 血は、とろとろと流れた、が、氷ったように、大腸小腸おおわたこわた赤肝あかぎも碧胆あおぎも、五臓は見る見る解きあばかれ、続いて、首を切れと云う。その、しなりと俎の下へ伸びた皓々しろじろとした咽喉首のどくびに、触ると震えそうな細い筋よ、わらび、ぜんまいが、山賤やましずには口相応、といって、猟夫だとて、若い時、宿場女郎の、まいらせそろ[#「参らせ候」のくずし字、65-2]もかしくも見たれど、そんなものがたとえになろうか。……若菜の二葉の青いような脈筋が透いて見えて、庖丁の当てようがござらない。容顔が美麗なで、気後きおくれをするげな、この痴気たわけおやじと、媼はニヤリ、「鼻をそげそげ、思切って。ええ、それでのうては、こなじじい、人殺しの解死人げしにんのがれぬぞ、」とおどす。――命ばかりはほしいと思い、ここで我が鼻も薙刀なぎなたひきそがりょう、恐ろしさ。古手拭ふるてぬぐいで、我が鼻を、頸窪ぼんのくぼゆわえたが、美しい女の冷い鼻をつるりとつまみ、じょきりと庖丁でねると、ああ、あつつ焼火箸やけひばしてのひらを貫かれたような、その疼痛いたさに、くらんだ目が、はあ、でんぐり返って気がつけば、鼻のかわりに、細長い鳥のくちばしを握っていて、俎の上には、ただ腹を解いた白鷺が一羽。蓑毛も、胸毛も、散りぢりに、血は俎の上と、鷺の首と、おのが掌にたらたらとまみれていた。
 媼が世帯ぶって、口軽に、「大ごなしが済んだあとは、わしが手でぶつぶつと切っておましょ。鷺の料理は知らぬなれど、清汁すましか、味噌か、焼こうかの。」とほだをほだて、鍋をゆすぶって見せつけて、「人間の娘も、鷺のおんなも、いのち惜しさにかわりはないぞの。」といわれた時は、俎につくばい、鳥にかがみ、媼にって、手をついた。断つ、断つ、ふッつりと猟を断つ、慰みの無益の殺生は、断つわいやい。
 はたけ二三枚、つい近い、前畷まえなわての夜の雪路ゆきみちを、狸が葬式を真似まねるように、陰々と火がともれて、人影のざわざわと通り過ぎたのは――真中まんなかに戸板をいていた。――鳥旦那の、凍えて人事不省ひとごこちなくなったのを助け出した、行列であった。
 町の病院で、二月以上煩ったが、凍傷のために、足の指二本、鼻のさきが少々、とれた、そげた、欠けた、はて何といおう、もげたと言おう、もげた。
 どうもせぬ。さて、合点のゆかない。現におつかい姫を、鉄砲で撃った猟夫は、肝をつぶしただけで、無事に助かった。旦那はまず不具かたわだ。巣を見るばかりで、そのたたりは、と内証ないしょで声をひそめて、老巫女おいみこうかがいを立てた。されば、明神様の思召おぼしめしは、鉄砲はけもされる。また眷属けんぞく怪我けがに打たれまいものではない。――御殿のねやのぞかれ、あまつさえ、とばりの奥のその奥の産屋を――おみずからではあるまいが――おうるさい……との事である。
 要するに、御堂の女神は、鉄砲より、研究がおきらいなのである。――
「――万事、その気でござらっしゃれよ。」
「勿論です――」
 が、まだその上にも、銑吉を一人で御堂へかせるのは、気づかいらしくもあり、好もしくない様子が見えた。すなわち明神のほこらへは、孫八爺さんが一所に行こうという。銑吉とても、ただおどかしばかりでもなさそうな、秘密と、奇異と、第一、人気のまるでないその祠に、入口にかかった薙刀なぎなたを思うと、掛釘が錆朽さびくちていまいものでもなし、控えの綱など断切れていないと限らない。同行はむしろ便宜であったが。
 さて、旧街道を――庫裡くりを一廻り、寺の前から――路をうずめた浅茅あさじを踏んで、横切って、石段下のたらたらざかを昇りかかった時であった。明神の森とは、山波をつづけて、なだらかにもと来た片原の町はずれへ続く、それをななめに見上げる、山の高き青芒あおすすきわらびの広葉の茂った中へ、ちらりと出た……さあ、いくつぐらいだろう、女の子のあかい帯が、ふともみはかまのように見えたのも稀有けうであった、が、その下ななめに、草堤くさどてを、田螺たにしが二つ並んで、日中ひなかあぜうつりをしているような人影を見おろすと、
「おんいええ。」
 と野へ響く、広くとおった声で呼んだ。
 貝のさき白髪しらがの田螺が、
「おお。」
いよう。」
「……爺ン爺い、とこくわ――おおよ。」
が、なあえ、すぐに帰って、ござれとよう。」
「酒でも餅でもあんめえが、……やあ。」
「知らねえよう。」
「客人と、やい、明神様詣るだと、言うだあよう。」
あんでも帰れ、とよう。媼ン媼が言うだがええ。」
 なぜか、その女の子、その声に、いや、その言托ことづけをするものに、銑吉さえ一種の威のあるのを感じた。
「そんでは、旦那。」
 白髪の田螺は、麦稈帽むぎわらぼうの田螺に、ぼつりと分れる。

       二

「――何だ、薙刀なぎなたというのは、――絵馬の――これか。」
 あの、爺い。口さきで人を薙刀に掛けたな。銑吉は御堂の格子を入って、床の右横の破欄間やれらんまにかかった、絵馬をて、ほっと息をきつつ微笑ほほえんだ。
 しかし、一口に絵馬とはいうが、入念じゅねん彩色さいしき、塗柄の蒔絵まきえに唐草さえある。もっとも年数のほども分らず、おさめぬしの文字などは見分けがつかない。けれども、塗柄を受けた服紗ふくさのようなものは、紗綾さやか、緞子どんすか、濃い紫をその細工ものに縫込んだ。
 武器は武器でも、念流、一刀流などの猛者もさの手を経たものではない。流儀の名の、しずかも優しい、婦人の奉納に違いない。
 眉も胸もなごやかになった。が、ここへ来てたたずむまで、銑吉は実は瞳を据え、唇をめて、驚破すわといわばの気構きがまえをしたのである。何より聞怯ききおじをした事は、いささかたりとも神慮に背くと、静流しずかりゅうがひらめくとともに、鼻をがるる、というのである。
 これは、生命いのちより可恐おそろしい。むかし、悪性あくしょう唐瘡とうがさを煩ったものが、かわやから出て、くしゃみをした拍子に、鼻が飛んで、鉢前をちょろちょろと這った、二十三夜講の、さきの話を思出す。――その鼻の飛んだ時、キャッと叫ぶと、顔の真中まんなかへ舌が出て、もげた鼻を追掛おっかけたというのである。鳥博士のは凍傷と聞いたが、結果はおなじい。
 鼻をそがれて、顔の真中へ舌が出たのでは、二度と東京が見られない。第一汽車に乗せなかろう。
 草生くさおいの坂を上る時は、日中ひなか三時さがり、やや暑さを覚えながら、幾度も単衣ひとえの襟を正した。

 銑吉は、寺を出る時、羽織を、観世音の御堂に脱いで、着流しで扇を持った。この形は、さんげ、さんげ、金剛杖こうごうづえで、お山に昇る力もなく、登山靴で、たけを征服するとかいう偉さもない。明神の青葉のとりでへ、見すぼらしく降参をするに似た。が、謹んでその方が無事でいい。
 石段もところどころ崩れ損じた、控綱のほしいほど急ではないが、段の数は、累々と畳まって、半身を、夏の雲にいた、と思うほど、そびえていた。
 ここに、思掛けなかったのは――不断ほとんど詣ずるもののない、無人むにんの境だと聞いただけに、蛇類のおそれ、雑草が伸茂って、道をおおうていそうだったのが、敷石が一筋、すっと正面の階段まで、常磐樹ときわぎの落葉さえ、五枚六枚数うるばかり、草をなびかして滑かに通った事であった。
 やがて近づく、御手洗みたらしの水は乾いたが、雪の白山はくさんの、故郷ふるさとの、氏神を念じて、御堂の姫の影を幻に描いた。
 すぐその御手洗のそばに、三抱みかかえほどなる大榎おおえのきの枝が茂って、檜皮葺ひわだぶきの屋根を、森々しんしんと暗いまで緑に包んだ、棟の鰹木かつおぎを見れば、まがうべくもない女神じょしんである。根上りの根の、たとえば黒い珊瑚碓さんごしょうのごとく、うずたかく築いて、青く白く、立浪たつなみを砕くように床の縁下へわだかまったのが、三間四面の御堂を、組桟敷のごとく、さながら枝の上に支えていて、下蔭はたちまち、ぞくりと寒い、根の空洞うつろに、清水があって、翠珠すいしゅたたえてくのが見える。
 銑吉はそこで手をきよめた。
 階段をしずかに――むしろそっと上りつつ、ハタと胸をいたのは、途中までは爺さんが一所に来るはずだった。鍵を、もし、じょうがささっていれば、扉はかない、と思ったのに、格子は押附けてはあるが、合せ目が浮いていた。なかの薄暗いのは、上の大樹の茂りであろう。及腰およびごしながら差覗さしのぞくと、廻縁まわりえんの板戸は、三方とも一二枚ずつとざしてない。
 手を扉にかけた。
 うちの、その真上に、薙刀なぎなたがかかっている筈である。
 そこで、銑吉がどんな可笑おかしふうをしたかは、およそ読者の想像さるる通りである。
「お通しを願います、失礼。」
 と云った。
 片扉、とって引くと、床も青く澄んでほがらか。

 絵馬を見て、たたずんで、いま、その心易さに莞爾にっこりとしたのである。
 思いも掛けず、袖を射て、稲妻が飛んだ。桔梗ききょう、萩、女郎花おみなえし一幅いっぷくの花野が水とともに床に流れ、露を縫った銀糸の照る、いろある女帯が目を打つと同時に、銑吉は宙を飛んで、階段を下へね落ちた。再びすそひるがえるのは、柄長き薙刀の刃尖はさきである。その稲妻が、雨のごとき冷汗をとおして、再び光った。
 次の瞬間、銑吉の身は、ほとんど本能的に大榎おおえのきの幹を小盾こだてに取っていた。
 どうも人間より蝉に似ている。堂の屋根うらを飛んで、樹へげたその形が。――そうして、少時しばらくして、青い顔の目ばかり樹の幹から出した処は、いよいよ似ている。
 柳の影を素膚すはだまとうたのでは、よもあるまい。よく似た模様をすらすらと肩もすそへ、腰には、淡紅ときの伊達巻ばかり。いまの花野の帯は、黒格子をほのかに、端がなびいて、婦人おんなは、頬のかかり頸脚えりあしの白く透通る、黒髪のうしろ向きに、ずり落ちたつまを薄く引き、ほとんど白脛しらはぎに消ゆるに近い薄紅の蹴出けだしを、ただなよなよとさばきながら、堂の縁の三方を、そのうしろ向きのまま、するするとき、よろよろとかえって、きつ戻りつしている。その取乱したふりの、あわただしいうちにも、なまめかしさは、姿の見えかくれる榎の根の荘厳に感じらるるのさえ、かえって露草の根の糸の、細く、やさしくそよもつれるように思わせつつ、堂の縁を往来ゆききした。が、後姿のままで、やがて、片扉開いた格子に、ひたと額をつけて、じっと留まると、華奢きゃしゃな肩で激しく息をした。髪がかもじのごとくさらさらと揺れた。その立って、踏みぐくめつつも乱れたすそに、細く白々と鳥の羽のような軽い白足袋の爪尖つまさきが震えたが、半身を扉に持たせ、半ばを取縋とりすがって、柄を高くついた、その薙刀がさかさまで……刃尖はさきが爪先を切ろうとしている。
 いくさは、銑吉が勝らしい。由来いかなる戦史、軍記にも、薙刀をさかさまについた方は負である。同時に、その刃尖が肉を削り、鮮血なまちかかとを染めて伝わりそうで、見る目も危い。
 青い蝉が、かなかなのような調子はずれの声を、
貴女あなた、貴女、誰方どなたにしましても、何事にしましても、危い、それは危い。怪我をします。怪我をします。気をおつけなさらないと。」
 髪を分けた頬を白く、手首とともに、一層扉に押当てて、
「あああ」
 とやさしい、うら若い、あどけないほどの、うけこたえとまでもない溜息を深くすると、
「小県さん――」
 えて、澄み、すこしかすれた細い声。が、これには銑吉が幹の支えを失って、手をはずして落ちようとした。堂の縁の女でなく、大榎のこずえから化鳥けちょうが呼んだように聞えたのである。
「……小県さん、ほんとうの小県さんですか。」
 この場合、声はまた心持れたようだが、やっぱり澄んで、はっきりした。
 夏はすだれ、冬はふすまを隔てた、ものごしは、人を思うには一段、ゆかしく懐しい。……聞覚えた以上であるが、それだけに、思掛けなさも、余りに激しい。――
 まだ人間に返り切れぬ。薙刀おびえの蝉は、少々震声ふるえごえして、
「小県ですよ、ほんとう以上の小県銑吉です、私です。――ここに居ますがね。……築地の、東京の築地の、お誓さん、きみこそ、いや、あなたこそ、ほんとうのお誓さんですか。」
「ええ、誓ですの、誓ですの、誓の身のはてなんですの。」
「あ、危い。」
 長刀なぎなた朽縁くちえんに倒れた。その刃のひらに、雪のたなそこを置くばかり、たよたよと崩折くずおれて、顔に片袖をおおうて泣いた。身の果と言う……身の果か。かくては、一城の姫か、うつくしい腰元の――敗軍には違いない――落人おちゅうどとなって、辻堂に※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよった伝説をのあたり、見るものの目に、幽窈ゆうよう玄麗げんれいの趣があって、娑婆しゃば近い事のようには思われぬ。
 話は別にある。今それを言うべき場合でない。築地の料理店梅水の娘分で、店はこの美人のためににぎわった。早くから銑吉の恋人である。勿論、その恋を得たのでもなければ、意を通ずるほどの事さえも果さないうちに、昨年の夏、梅水が富士の裾野へ暑中の出店をして、避暑かたがた、お誓がその店を預ったのを知っただけで、この時まで、その消息を知らなかった次第なのである。……
 その暑中の出店が、日光、軽井沢などだったら、雲のゆききのゆかりもあろう。ここは、関屋を五里六里、山路やまみち、野道を分入った僻村へきそんであるものを。――
 ――実は、銑吉は、これより先き、ふもとの西明寺の庫裡くりの棚では、大木魚の下に敷かれた、女持の提紙入ハンドバックを見たし、続いて、准胝観音じゅんでいかんのん御廚子みずしの前に、菩薩が求児擁護ぐうじようご結縁けちえんに、紅白の腹帯を据えた三方に、置忘れた紫の女扇子おうぎ銀砂子ぎんすなごはしに、「せい」としたのを見て、ぞっとした時さえ、ただはるかにその人の面影をしのんだばかりであったのに。
 かえって、木魚にされた提紙入には、美女の古寺の凌辱りょうじょくあやぶみ、三方の女扇子には、姙娠の婦人おんな生死しょうしを懸念して、別に爺さんに、うら問いもしたのであったが、爺さんは、耳をそらし、口を避けて、色ある二品ふたしなのいわれに触れるのさえいとうらしいので、そのまま黙した事実があった。
 ただ、あだには見過しがたい、その二品に対する心ゆかしと、帰路かえりには必ず立寄るべき心のしるしに、羽織を脱いで、寺にさし置いた事だけを――言い添えよう。
 いずれにしても、ここで、そのお誓に逢おうなどとは……たとえにこまった……間に合わせに、されば、箱根で田沢湖を見たようなものである。

       三

「――余り不思議です。お誓さん、ほんとのお誓さんなら、顔を見せて下さい、顔を……こっちを向いて、」
 ほとんど樹の枝に乗った位置から、おのずと出る声の調子に、小県は自分ながら不気味を感じた。
 きれぎれに、
「お恥かしくって、そちらが向けないほどなんですもの。」
 泣声だし、唇を含んでかすれたが、まさか恥かしいという顔に異状はあるまい。およそ薙刀をひらめかしてぎ伏せようとした当の敵に対して、その身構えが、背後うしろむきになって、堂の縁を、もの狂わしく駆廻ったはおろか、いまだに、振向いても見ないで、胸を、腹部を袖でかくすらしい、というだけでも、この話の運びを辿たどって、読者も、あらかじめうなずかるるであろう、このおんなは姙娠している。
「私が、そこへきますが、構いませんか。今度は、こっちで武芸を用いる。高いこの樹の根からだと、すれすれだから欄干が飛べそうだから。」
 おんなは、格子にすがって、また立った。なおその背後向きのままで居る。
「しかし、その薙刀を何とかして下さらないか。どうも、まことに、危いのですよ。」
「いま、そちらへ参りますよ。」
 落ついてしずかにいうのが、遠く、築地の梅水で、お酌ねだりをたしなめるように聞えて、銑吉はひとりで苦笑した。すぐに榎の根を、草へ下りて、おとなしく控え待った。
 枝がくれに、ひらひらと伸び縮みする……というと蛇体にきこえる、と悪い。ほっそりした姿で、薄い色のつまを引上げ、腰紐を直し、伊達巻をしめながら、襟を掻合かきあわせ掻合わせするのが、茂りの彼方かなたに枝透いて、すだれ越に薬玉くすだまが消えんとする。
 やがて、向直ってきざはしを下りて来た。引合わせている袖の下が、脇明わきあけれるまで、ふっくりと、やや円い。
 牡丹ぼたんいだいた白鷺の風情である。
 見まい。
「水をのみます。小県さん、私……息が切れる。」
 と、すぐその榎の根の湧水わきみずに、きように褄を膝に挟んで、うつむけにもならず尋常に二の腕をあらわに挿入さしいれた。榎の葉蔭に、手の青い脈を流れて、すぐ咽喉のどへ通りそうに見えたが、もうとすると、たなそこが薄く、玉の数珠じゅずのように、しずくが切れて皆こぼれる。
両掌りょうてでなさい、両掌で……明神様の水でしょう。野郎に見得もにもいりゃしません。」
「はい、いいえ。」
 膝の上へ、胸をかくして折りかけた袖をおさえ、やっぱり腹部をおおうた、その片手を離さない。
「だって、両掌を突込つっこまないじゃ、いけないじゃありませんか。」
「ええ、あの柄杓ひしゃくがあるんですけど。」
「柄杓、」
 手水鉢ちょうずばちに。
「ああ、手近です。あげましょう。青いこけだけれどもね、乾いているから安心です、さあ。」
「済みません、小県さん、私知っていましたんですけど、つい、とっちてしまいましたの。」
「ところで……ちょっとお待ちなさい。この水は飲んで差支えないんですかね。」
「ええ、冷い、おいしい、私は毎日のように飲んでいます。」
 それだと毎日このほこらへ。
「あ、あ。」
 と、消えるように、息を引いて、
「おいしいこと、ああ、おいしい。」
 唇も青澄んだように見える。
「うらやましいなあ。飲んだらこっちへ貸して下さい。」
「私が。」
 とて、柄を手巾ハンケチいたあとを、見入っていた。
「どうしました。」
「髪がこんなですから、毛が落ちているといけませんわ。」
満々なみなみと下さい。ありがたい、これは冷い。一気には舌が縮みますね。」
 とぐっと飲み、
「甘露が五臓へみます。」
 とすずしく云った。
 小県の顔を、すっと通った鼻筋の、横顔でななめながら、
「まあ、おきれいですこと。」
「水?……勿論!」
「いいえ、あなたが。」
「あなたが。」
「さっき、絵馬を見ていらっしゃいました時もおきれいだと思ったんですが、清水を一息にめしあがる処が、あの……」
「いや、どうも、そりゃちと違いましょう。牛肉のバタ焼の黒煙を立てて、腐った樽柿の息を吹くのと、明神の清水をんで、松風を吸ったのでは、それは、いくらか違わなくっては。」
 と、はじめて声を出して軽く笑った。
「透通るほどなのは、あなたさ。」
「ええ。」
 と無邪気にうけながら、ちょっと眉をひそめた。の下を且つおおう袖。
「一度、二十許はたちばかりの親類の娘を連れて、鬼子母神きしもじん参詣さんけいをした事がありますがね、桐の花が窓へ散る、しんとした御堂おどうの燈明でた、襟脚のよさというものは、拝んで閉じた目もりんとして……白さは白粉おしろい以上なんです。――前刻さっきも山下のお寺の観世音の前で……お誓さん――女持の薄紫の扇を視ました。ああ、ここへお参りして拝んだ姿は、どんなに美しかろうと思いましたが。」
 誓はうつむく。
 その襟脚はいうまでもなかろう。
「その人もわかりました。いまおなじ人が、この明神様にこもったのもわかったのです。が、お待ちなさいよ。絵馬を、私が視ていた時、お誓さんは、どこに居て……」
「ええ、そして、あの、何をしたんだとおっしゃいましょう。」
 つと寄ると、手巾ハンケチを払った手で、柄杓の柄の半ばを取りしめた。その半ばを持ったまま、居処いどころをかえて、小県は、樹の高根に腰を掛けた。
「言いますわ、私……ですが、あなたは、あなたは、どうして、ここへ……」
「おたずね、ごもっともです。――少し気取るようだけれど、ちょっと柄にない松島見物という不了簡ふりょうけんを起して……その帰り道なんです。――先祖の墓参りというと殊勝ですが、それなら、行きみちにすべき筈です。関屋まで来ると、ふと、この片原の在所の寺、西明寺ですね。あすこに先祖の墓のある事を、子供のうち、爺さん、祖母ばあさんに聞いていたのを思出しました。勿体ないが、ろくに名も知らない人たちです。
 墓は、草にうずまって皆分りません、一家遠国へ流転のうちに、無縁同然なんですから、寺もまた荒れていますしね。住職も留守で、過去帳も見られないし、その寺へ帰るのを待つに――しかし、そればかりではありません。
 ――片原の町から寺へ来る途中、田畝畷たんぼなわての道端に、お中食処ちゅうじきどころの看板が、屋根、ひさしぐるみ、朽倒れにつぶれていて、清い小流こながれの前に、思いがけない緋牡丹ひぼたんが、」
 お誓は、おくれ毛をなびかし、顔を上げる。
「その花の影、水岸に、白鷺が一羽居て、それが、※(「(矛+攵)/虫」、第4水準2-87-65)はんみょう――人を殺す大毒虫――みちおしえ、というんですがね、引啣ひきくわえて、この森の空へ飛んだんです。
 まだその以前、その前ですよ。片原まで来る途中、林の中の道で、途中から、不意に、無理やりに、私の雇った自動車へ乗込んだ、いやな、不気味な人相、赤い服装、赤いヘルメット帽、赤い法衣ころもの男が、男の子四人、同じ赤いシャツを着たのを連れて、猟銃を持ったのがありましてね。勝手な処で、山の下へ、やぶへ入って見えなくなったのが――この山つづきのようですから、白鷺の飛んだ方角といい、やしろのこのあたりか。ずッと奥になると言いますね、大沼か。どっちかで、夢のような話だけれど、神と、魔と、いくさでもはじまりそうな気がしたものですから。」
 銑吉は話すうちに、あわれに伏せたお誓の目が、いきどおりを含んで、きっとして、それが無念を引きしめて、一層青味を帯びたのに驚いた――思いしことよ。……悪魔は、お誓の身にかかわりがないのでない。
「……わけを言います、小県さん、……言いますが、恥かしいのと、口惜くやしいのとで、息が詰って、声も出なくなりましたら、こんな、私のような、こんな身体からだに、手をお掛けになるまでもありません。この柄杓の柄を、ただお離しなすって下さい。そのままのめって、人間の青いこけ……」
「いや、こうして、あなたと半分持った、柄杓の柄は離しません。」
「あの、そのお優しいお心でしたら、きつけの水を下さいまし……私は、貴方あなたを……おきれいだ、と申しましたわね、ねえ。」
「忘れました、そういう串戯じょうだんをきいていたくはないのです。」
「いえ、串戯ではないのですが。いま、あの、私は、あの薙刀で、このおなかを引破って、きもも臓腑も……」
 その水色に花野の帯が、蔀下しとみしたの敷居に乱れて、お誓の背とともに、むこうに震えているのが見える。榎の梢がざわざわと鳴り、風がさっと通った。
「――そこへ、貴方のお姿が、すっと雲からおさがりなすったように……」
「何、私なら落ちたんでしょう。」
「そして、石段の上口あがりくちに見えました。まるで誰も来ないのを知って、こちらへ参っているのですし、土地の巧者な、お爺さんに頼みまして、この二三日、来る人も留めてもらうように用意をしていましたんですもの! 思いもよらない、参詣の、それが貴方。格子からじっのぞいていますと、この水へ、影もうつりそうな、小県さんなんですもの、貴方なんですもの。」
 その爺さんにも逢っている。銑吉は幾度いくたびも独りうなずいた。
「こんな、こんな処、奥州の山の上で。」
「御同様です。」
「その拝殿を、一旦いったんむこうの隅へ急いでげました。正面に奥の院へ通います階段と石段と。……間は、樹も草も蓬々ぼうぼうと茂っています。その階段の下へかくれて、またよく見ました。寸分お違いなさらない、東京の小県さん――おきれいなのがなおあやしい、怪しいどころか可恐こわいんです。――ばけものが来た、ばけて来た、畜生、また、来た。ばけものだ!……と思ったんです。」
「…………」
「そのばけものに、口惜くやしい、口惜い、口惜い目に逢わされているんですから。……
 ――畜生――
 と声も出ないで。」
「ははあ、たちまち一打ひとうち……薙刀ですな。」
「明神様のお持料もちりょうです。それでも持ったのが私です、討てる、切れるとは思いませんが――畜生――叩倒たたきたおしてやろうと思って、」
「切られる分には、まだ、不具かたわです。薙倒されては真二まっぷたつです、危い、危い。」
 と、いまは笑った。
「堪忍して下さいな、貴方をばけものだと思った私は、浅間あさましいけだものです、畜生です、犬です、犬にまれたとお思いになって。」
「馬鹿なことを……飛んでもない、犬にまれるくらいなら、私はお誓さんの薙刀に掛けられますよ。かすりきずも負わないから、太腹ふとっぱららしく太平楽をいうのではないんだが、怒りも怨みもしやしません。気やすく、落着いてお話しなさい。あなたは少しどうかしている、気を沈めて。……これは、ばけものの手触りかも知れませんよ。」
 そこで、せなに手を置くのに、みだれ髪が、氷のように冷たく触った。
「どうぞ、あの薙刀の飛ばないように。」
 その黒髪は、漆のやいばのようにヒヤリとする。
 水へすべった柄杓が、カンと響いた。

       四

「……小県さん、女が、女の不束ふつつかで、絶家を起す、家を立てたい――」
「絶家を起す、家をてたい……」
「ええ、その考えは、間違っていますでしょうか。」
「何が、間違いです。誰が間違いだと云いました。とんでもない、天晴あっぱれじゃありませんか。」
「私の父は、この土地のものなんです。」
「ああ、成程。」
「――この藩のちょっとした藩士だったそうなんですが、道楽ものだったと思います。御維新の騒ぎに刀さしをやめたのはいんですけれど、そういう人ですから、堅気かたぎの商売が出来ないで、まだ――街道がにぎやかだったそうですから、片原の町はずれへ、茶屋旅籠はたごの店を出したと申しますの。
 ……貴方、こちらへいらっしゃりがけに――その、あの、牡丹ぼたん、牡丹ですが。」
 なぜか、引くいきに、声がかすれて、
「あの咲いております処は、今は田畝たんぼのようになりましたけれど、もと、はなれの庭だったそうですの……そして――
 牡丹は、父の手しおにかけましたものですって。……あとでは、料理ばかりにして、牡丹亭といったそうです。父がなくなりますと……それが人手から人手へ渡って、あとでは立ちぐされも同様。でも、それも、不景気で、こぼし屋の引取手もなしに、暴風雨あらしつぶれたのが、家の骸骨がいこつのように路端みちばたに倒れていますわ。
 母はその牡丹亭ごろの、おかみさん。……そんな事は申しませんでもいいんですけど、父とは、大層若くて年が違いました。
 ――町あたりの芸者だそうです。ですが、武家の娘だったせいですか――まだ、私がお腹に。……」
 ふと耳許みみもとをほんのりと薄く染めた。
「お腹のうち、本所に居る東京の遠縁のものにたよって出まして、のちに、浅草で、また芸者をしたんですけれど、なくなります時、いまわの際まで、血統ちすじが絶える、田沢の家を、田沢の家をと、せめて後をたやさないように遺言をしたんです。
 私はその時分、新橋でお酌に出ておりました。十四や十五の考えで、この上一本になって、人の世話になるにした処で、一人で商売をした処で、家を立てるのぞみがありそうに思われません。だもんですから、都合をつけて道をかえまして、梅水へ奉公をしましたのです。自分の口からお恥かしい、余りあからさまのようですが、つむりのものより、なりかたちより、少しでもお金を貯めて、小さな店でも出せますように、その上で、堅気の養子になる人を、縁があったらと、思詰め、念じ切っておりました。
 こんなものでも、一つうちに、十年の余も辛抱をしますうちには、お一人やお二方、相談をして下さる方のないこともなかったんですけど、田沢の家の養子とでは、まるでかけ離れました縁ですもの。冷たい顔して、きっぱりと、お断り申しました。それが、心得違いだったんです、間違っていたんです。ねえ。」
「間違いではありません。お誓さん、しかし、ただ、道も一条ひとすじの上だとしたら、家を起す――血統を絶やさない、真に立派な覚悟だけれど、……本当は女一人だとすると、どうしていいか、それは、学者でも、教育家でも、たとえばお寺の坊さんでも、実地に当ると、八衢やちまた前途ゆくてわかれて、道しるべをする事はむずかしい……世の中になったんですね。」
「まったくですわ。でも、それも、まだ月日は長し……昨日きのうや今日の事とは思わなかったんですのに――昨年、店の都合で裾野の方へ一夏まいりまして、朝夕、あの、富士山の景色を見ますにつけ……ついのんびりと、一人で旅がしてみたくなったんです。一体出不精な処へ、お蔭様、店も忙しゅうございますし、本所の伯父伯母と云った処で、ほんの母がたよりました寄親よりおや同様。これといってきたい場所も知りませんものですから、旅をするなら、名ばかりでも、聞いただけ懐しい、片原を、と存じまして、十月小春のいい時候に、もみじもさかり、と聞きました。……
 はじめて、泊りました、その土地の町の旅宿やどが、まわり合せですか、因縁だか、その宿の隠居夫婦が、よく昔の事を知っていました。もの珍らしいからでしょう、宿帳の田沢だけで、もう、ちっとでも片原に縁があるだろう、といいましてね。
 そんなですから、隠居二人で、西明寺の父の墓も案内をしてくれますし。……まことに不思議な、久しく下草の中に消えていた、街道ばたの牡丹が、去年から芽を出して、どうしてでしょう、今年の夏は、花を持った。町でも人が沢山見にき、下の流れを飲んで酔うといえば、んで取って、香水だとめるのもある。……お嬢さん……私の事です。」
 と頬も冷たそうに、うら寂しく、
「故郷へ帰って来て、田沢家を起す、瑞祥ずいしょうはこれで分った、と下へも置かないで、それはほんとうに深切に世話をして、牡丹さん、牡丹さん、私の部屋が牡丹の間。餡子あんこではあんまりだ、黄色い白粉おしろいでもつけましょう、牡丹亭きな子です。お一ついかが……そういってどうかすると、お客にお酌をした事もあるんです。長逗留ながとうりゅうの退屈ばらし、それにはれた軽はずみ……」
 歎息ためいきも弱々と、
「もっともうるさいことでも言えば、その場から、つい立って、牡丹の間へ帰っていたんです。それというのが、ああも、こうもと、それから、それへ、商売のこと、家のこと。隠居夫婦と、主人夫婦、うちのものばかりも四人でしょう。番頭ですの、女中ですの、いりかわり相談をしてくれます。聞くだけでもたのしみで、つんだり、崩したり、切組みましたり、庭背戸まで見積って、子供の積木細工で居るうちに、日がちます。……鳥居数をくぐり、門松をないと、故郷とはいえない、といわれる通りの気になって、おまいりをしましたり。……逗留のうち、幾度、あの牡丹の前へ立ったでしょう。
 柱一本、根太板も、親たちの手の触ったのが残っていましょう。あの骨を拾おう。どうしよう。こうか、埋めようか。ちょっと九尺二間を建てるにしても、場所がいまの田畝たんぼではどうにもならず。(地蔵様のほこらを建てなさい、)隠居たちがいうんです。ああ、いいわねえ、そうしましょうか。
 思出しても身体からだがふるえる、……
 今年二月のはじめでした。……東京も、そうだったって聞いたんですが、この辺でも珍らしく、雪の少い、暖かな冬でしたの。……今夜の豆撒まめまきが済むと、片原で年を取って、あかんぼも二つになると、隠居たちも笑っていました。その晩――暮方……
 湯上りのいい心持の処へ、ちらちら降出しました雪が嬉しくって、生意気に、……それだし、銀座辺、あの築地辺の夜ふけの辻で、つまらない悪戯いたずらをされました覚えもなし、またいたずらに逢ったところで、ところ久しいだけ、かどなみ知っているんです。……梅水のものですよ。それで大概、挨拶あいさつをして離れちまいますんですもの、道の可恐こわさはちっとも知らずにいたんです。――それに牡丹亭のあとまでは、つれがありましたり、一人でも幾度も行ったり来たり、屋根のない長い廊下もおんなじに思っていましたものですから、コオトも着ないで、小県さん、浴衣に襟つき一枚何かで。――すそへ流れる水、あの小川も、梅水に居て、座敷の奥で、水調子を聞く音がします。……牡丹はもう、枝ばかり、それも枯れていたんですが、降る雪がすっきりと、白いつぼみに積りました。……大輪おおりんなのも面影に見えるようです。
 向うへ、小さなお地蔵様のお堂を建てたら、お提灯ちょうちんつたの紋、養子が出来て、その人のと、二つなら嬉しいだろう。まあきまりの悪い。……わざとお賽銭箱さいせんばこを置いて、宝珠の玉……違った、それはお稲荷様いなりさま、と思っているうちに、こんな風に傘をさして、ちらちらと、藤の花だか、鷺だかの娘になって、踊ったこともあったっけ。――傘は、ここで、畳んだか、開いてさしたかと、うっかりしました。――からかさを、ひどい力で、上へぐいと引いたんです。天にも地にも、小県さん、観音様と、明神様のほかには、女の身体からだで、口へ出して……」
 キリキリと歯をんで、つとまぶたの色がせた。
しゃくか。しっかりなさい、お誓さん。」
 さそくにすくった柄杓ひしゃくの水を、削るがごとく口に含んで、
「人間がましい、癪なんぞは、通越しているんです。ああ、この水が、そのまんま、青い煙になって焼いちまってくれればいいのに。」
 しばらく、声も途絶えたのである。
口惜くやしいわ、私、小県さん、足が上へ浮く処を、うしろから、もこん、と抱込んだものを、見ました時。」
 わなわなと震えたから、小県も肩にかけていた手を離した。倒れそうに腰をつくと、つまを投げて、片手をこけすべらした。
灰汁あくのような毛が一面にかぶさった。枯木のような脊の高い、蒼い顔した※々ひひ[#「けものへん+非」、88-17]、あの、絵の※[#「けものへん+非」、88-18]々、それの鼻、がまた高くておおきいのが、黒雲のようにかぶさると思いましたばかり……何にも分らなくなりました。
 あとで――息の返りましたのは、一軒家であめを売ります、おばあさんと、お爺さんの炉端でした。裏背戸口へ、どさりと音がしたきりだった、という事です。
 どんな形で、ほうり出されていたんでしょう。」
 褄を引合わせ、身をしめて、
「……のちに、大沼で、とれたといって、旅宿やどの台所に、白いがん仰向あおむけに、まないたの上に乗ったのを、ふと見まして、もう一度ゾッとすると、ひきつけて倒れました事さえあるんです。
 ――その晩は、お爺さんの内から、ほんの四五町の処を、くるまにのって帰ったのです。急に、ひどい悪寒がするといって、引被ひっかぶって寝ましたきり、枕も顔もあげられますもんですか。悪寒どころですか、身体からだはやけますようですのに、冷い汗を絞るんです。その汗が脇の下も、乳の処も、……ずくずく……悪臭い、ふかだか、さめだかの、六月いきれに、すえたようなにおいでしょう。むしりたい、切って取りたい、削りたい、身体中がむかむかして、しっきりなしに吐くんです。
 無理やりにまされました、何の薬のせいですか、有る命は死にません。――活きているかいはなし……ただ西明寺の観音様へおすがりにまいります。それだって、途中、牡丹のあるところをます時の心もちは、ただお察しにまかせます。……何の罪咎つみとががあるんでしょう、と思うのは、身勝手な、我身ばかりで、神様や仏様の目で、ごらんになったら。」
「お誓さん、……」
 声を沈めて遮った。
「神、仏の目には、何の咎、何の罪もない。あなたのような人間を、かえって悪魔は狙うのですよ。幾年目かに朽ちた牡丹の花が咲いた……それは嘘ではありますまい。人は見て奇瑞きずいとするが、魔が咲かせたかも知れないんです。反対に、お誓さんが故郷へ帰った、その瑞兆ずいちょうあらわれたとして、しかも家の骨に地蔵尊を祭る奇特がある。功徳、恭養、善行、美事、その只中ただなかを狙うのが、悪魔の役です。どっちにしろ可恐おそろしい、早くそこを通抜けよう。さ、あなたも目をつむって、観音様の前へおいでなさい。」
「――ある時、和尚さんが、お寺へ紅白のきれを、何ほどか寄進をして欲しいものじゃ、とおっしゃるんです。寺の用でない、諸人しょにん施行せぎょうのためじゃけれど、この通りの貧乏寺。……ええ、私の方から、おやくに立ちますならお願い申したいほどですわ。三反持って参りますと、六尺ずつに切りたいが、はさみというものもなし……庖丁ではどうであろう。まあ、手で裂いても間に合いますわ。和尚さんに手伝って三方の上へ重ねました時、つい、それまでは不信心な、何にも知らずにおりました。子育ての慈愛をなさいます、五月帯いわたおびのわけを聞きまして、時も時、折も折ですし、……観音様。」
 お誓が、髪を長く、すっと立って、ふもとに白い手を合わせた。
「つい女気で、あかい切を上へ積んだものですから、真上のを、内証ないしょで、そっと、頂いたんです。」
「それは、めでたい。――結構ではないか、お誓さん。」
 お誓は榎の根に、今度はほっとして憩った、それとさしむかいに、小県は、より低い処に腰を置いて、片足を前に、くつろぐさまして、
「節分の夜の事だ。対手あいてを鬼と思いたまえ。が、それも出放題過ぎるなら、怪我……病気だと思ったらどうです。怪我や病気は誰もする。……その怪我にも、病気にも障りがなくって、赤ちゃんが、御免なさいよ、ま、出来たとする。昔から偉人には奇蹟が携わる、日を見て、月を見て、星を見て、いや、ちと大道うらないに似て来たかね。」
 袖を開いて扇を使った。柳の影が映りそうで、道得いいえて、いささかよしと思ったらしい。
「鶴をて懐姙したげんはいくらもある。いわゆる、もうし子だとお思いなさい。その上、面倒な口を利く父親なしに、お誓さん一人で育てたら、それが生一本の田沢家の血統じゃありませんか。そうだ、悪魔などと言ったのは、私のあやまり、豊年の何とかいう雪が降って、節分には、よく降るんです。正に春立りっしゅんならんとする時、牡丹に雪のずいといい、地蔵菩薩のしょうといい、あなたはさずかりものをしたんじゃないか、たしかにそうだ、――お誓さん。」
 お誓はうすくまたまぶたを染めた。
「そんな、あの、大それた、高望みはしませんけれど、女の子かも知れないと思いました。五日、七日なぬか二夜ふたよ、三夜、観音様の前にじっとしていますうちに、そういえば、今時、天狗てんぐ※々ひひ[#「けものへん+非」、91-16]も居まいし、第一けもの臭気においがしません。くされたというは心持で、何ですか、水にむもののような気がするし、森の香の、時々峰からおろす松風と一所に通って来るのも、水神、山の神に魅入られたのかも分らない。ええ、因果と業。不具かたわでも、虫でもいい。とんびからすでも、ふなどじょうでも構わない。その子を連れて、勧進比丘尼かんじんびくにで、諸国をめぐって親子の見世ものになったらそれまで、どうなるものか。……そうすると、気が易くなりました。」
「ああ、観音の利益だなあ。」
 つと顔を背けると、肩をそいで、お誓は、はらはらと涙を落した。
「その御利益を、小県さん、頂いてだけいればよかったんですけれど――早くから、関屋からこの辺かけて、鳥の学者、博士が居ます。」
「…………」
「鳥の巣に近づくため、撃つために、いろいろな……あんななりもする、こうもする。……頭に樹の枝をかぶったり、かずらや枯葉を腰へ巻いたり……何の気もなしに、孫八ッて……その飴屋の爺さんが夜話するのを、一言……」
    (!…………)
「焼火箸を脇の下へ突貫つきぬかれた気がしました。扇子おうぎをむしってちょうとして、勿体ない、観音様に投げうちをするようなと、手がしびれて落したほどです。夜中に谷へ飛降りて、田沢の墓へみつこうか、とガチガチと歯が震える。……路傍みちばたのつぶれ屋を、石油を掛けて焼消そうか。牡丹の根へ毒を絞って、あの小川をのみ干そうか。
 もうとても……大慈大悲に、腹帯をお守り下さいます、観音様の前には、口惜くやしくって、もどかしくって居堪いたたまらなくなったんですもの。悪念、邪心に、肝も魂も飛上って……あら神様で、たたりの鋭い、明神様に、一昨日おとといと、昨日きのう、今日……」
 ――誓ただひとりこの御堂みどうに――
「独り居れば、ひとり居るほど、血が動き、肉が震えて、つきます息も、千本の針で身体中さすようです。――前刻さっきも前刻、絵馬の中に、白い女の裸身はだかみを仰向けにくくりつけ、膨れた腹を裂いています、安達あだちヶ原の孤家ひとつやの、ものすごいのを見ますとね。」
(――実は、その絵馬は違っていた――)
「ああ、さぞ、せいせいするだろう。あの女は羨しいと思いますと、お腹のなかで、動くのが、動くばかりでなくなって、もそもそとうような、ものをいうような、ぐっぐっ、とおおきな鼻が息をするような、その鼻がめるような、舌を出すような、蒼黄色あおぎいろい顔――畜生――牡丹の根で気絶して、生死いきしにも知らないでいたうちの事がうつつあらわれて、お腹の中で、土蜘蛛つちぐもが黒い手を拡げるように動くんですもの。
 帯を解いて、投げました。
 ええ、男に許したのではない。
 自分の腹を露出むきだしたんです。
 ぷんと、麝香じゃこうかおりのする、金襴きんらんの袋を解いて、長刀なぎなたを、この乳の下へ、平当てにヒヤリと、また芬と、丁子ちょうじの香がしましたのです。」……

 この薙刀を、もとのなげしに納める時は、二人がかりで、それはいいが、お誓が刃の方を支えたのだから、おかしい。
 誰も、ここで、薙刀で腹を切ったり、切らせたりするとは思うまい。
 ――しかも、これを取はずしたという時に落したのであろう。女の長い切髪の、いつ納めたか、元結もとゆいを掛けて黒い水引でしめたのが落ちていた。見てさえ気味の悪いのを、しずかに掛直した。お誓は偉い!……落着いている。
 そのかわり、気の静まった女に返ると、身だしなみをするのに、ちょっと手間が取れた。
 下じめ――腰帯から、解いて、しめ直しはじめたのである。床へ坐って……
 ちっとくすぐったいばかり。こういう時の男の起居挙動たちいふるまいは、漫画でないと、容易にその範容が見当らない。小県は一つ一つ絵馬をていた。薙刀の、それからはじめて。――
 一度横目を流したが、その時は、投げた単衣ひとえ後褄うしろづまを、かなぐり取った花野の帯の輪で守護して、その秋草の、幻に夕映ゆる、蹴出けだしの色の片膝を立て、それによりかかるようにはぎをあらわに、おくれ毛をでつけるのに、指のさきをなめるのを、ふと見まじいものを見たように、目を外らした。
「その絵馬なんですわ、小県さん。」
 つと、坐ると、しかも背中合せでも、狭い堂の中の一つ処で、気勢けはいは通ずる。安達ヶ原の……
「お誓さん、気のせいだ。この絵馬は、まないたの上へ――裸体はだかの恋絹を縛ったのではない。白鷺を一羽仰向けにしてあるんだよ。しかもだね、料理をするのは、ものすご鬼婆々おにばばあじゃなくって、たこの口をとがらした、とぼけた爺さん。笑わせるな、これは願事ねがいごとでなくて、殺生をしない戒めの絵馬らしい。」
 事情ことがらめている。半ば上の空でいううちに、小県のまたながめていたのは、その次の絵馬で。
 はげて、くすんだ、泥絵具で一刷毛ひとはけなすりつけた、波の線が太いから、海をかついだには違いない。……鮹かと思うと脚が見えぬ、かれい比目魚ひらめには、どんよりと色が赤い。※(「魚+覃」、第3水準1-94-50)あかえいだ。が何を意味する?……つかわしめだと聞く白鷺を引立たせる、待女郎まちじょろうの意味の奉納か。その待女郎の目が、一つ、黄色に照って、縦にきらきらと天井の暗さに光る、と見つつ、且つその俎の女の正体をお誓に言うのに、一度、気を取られて、見直した時、ふと、もうその目の玉の縦に切れたのが消えていた。
 ※(「(矛+攵)/虫」、第4水準2-87-65)はんみょうだ。斑※(「(矛+攵)/虫」、第4水準2-87-65)が留っていた。
「お誓さん、お誓さん。――その辺に、綺麗きれいな虫が一つ居はしませんか、虫が。」
「ええ。」
「居る?」
「ええ。居ますわ。」
 バタリと口にくわえたくしが落ちた。お誓は帯のむすびめをうしろに取って、細い腰をしめさまに、その引掛ひっかけを手繰っていたが、
「玉虫でしょう、綺麗な。ええ、人間は、女は浅間しい。すぐに死なないと思いましたら、かんざしものもほしいんです。この場所ですから、姫神様が下さるんだと思いましてさ、ちょっと、櫛でおさえました。ツイとそれて、取損って、見えませんわ。そちらに居ません? 玉虫でしょう。」
 かたみの簪、箪笥たんすきぬ、薙刀で割く腹より、小県はこの時、涙ぐんだ。
 いや、懸念に堪えない。
「玉虫どころか……」
 名は知るまいと思うばかり、その説明の暇もない。
「大変な毒虫だよ。――支度はいいね、お誓さん、お堂の下へおりて下さい。さあ……その櫛……指を、唇へ触りはしまいね。」
「櫛は峰の方を啣えました。でも、指はあの、びんの毛を撫でつけます時、水がなかったもんですから、つい……いいえ、毒にあたれば、神様のおぼしめしです。こんな身体からだを、構わんですわ。」
 ちょっとなまって、甘えるような口ぶりが、なお、きっぱりと断念あきらめがよく聞えた。いやが上に、それも可哀あわれで、その、いじらしさ。
「帯にも、袖にも、どこにも、居ないかね。」
 再び巨榎おおえのきみどりの蔭に透通る、寂しく澄んだ姿をた。
 水にも、満つる時ありや、樹の根の清水はあふれたり。
「ああ、さっき水を飲んだ時でなくてかった。」
 引立ててきざはしを下りた、その蔀格子しとみごうしの暗い処に、カタリと音がした。
「あれ、薙刀がはずれましたか。」
 清水のおもてが、柄杓ひしゃくこけを、※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかんのごとく、こずえもる透間すきまを、銀象嵌ぎんぞうがんちりばめつつ、そのもの音の響きに揺れた。
「まあ、あれ、あれ、ご覧なさいまし、長刀が空を飛んで行く。」……
 榎の梢を、兎のような雲にのって。
「桃色の三日月様のように。」
 と言った。
 松島の沿道の、雨晴れの雲を豆府に、陽炎かげろうを油揚に見物したという、外道俳人、小県の目にも、これを仰いだ目に疑いはない。薙刀のき刃のように、たとえば片鎌の月のように、銀光を帯び、水紅ときうすものして、あまかける鳥の翼を見よ。
「大沼の方へ飛びました。明神様の導きです。あすこへ行きます、行って……」
「行って、どうします? 行って。」
「もうこんな気になりましては、腹の子をお守り遊ばす、観音様の腹帯を、肌につけてはいられません。解きます処、棄てます処、流す処がなかったのです。女の肌につけたものが一度は人目に触れるんですもの。抽斗ひきだしにしまって封をすれば、仏様のなさけあだの女の邪念で、蛇、ひるに、のびちぢみ、ちぎれて、蜘蛛くもになるかも知れない。やり場がなかったんですのに、導びきと一所に、おさとしなんです。小県さん。あの沼は、真中まんなかが渦を巻いて底知れず水を巻込むんですって、爺さんに聞いています……」
 と、銑吉のたもとの端をしかと取った。
く道が分っていますか。」
「ええ、身を投げようと、……二度も、三度も。」――
 欄干の折れた西の縁の出端はずれから、袖形に地のなびく、向うの末の、雑樹ぞうき茂り、葎蔽むぐらおおい、ほとんど国を一重隔てた昔話の音せぬ滝のようなのを、猶予ためらわずくぐる時から、お誓が先に立った。おもいのほか、外は細い路がうねって通った。が、小県はほとんど山姫に半ばを誘わるる思いがした。ことさらにあとへ退さがったのではない、もう二三尺と思いつつ、お誓の、草がくれに、いつもその半身、縞絹しまぎぬに黒髪した遁水にげみずのごとき姿を追ったからである。
 沼は、不忍しのばずの池を、そのなかばにしたと思えばい。ただ周囲に蓊鬱おううつとして、樹が茂って暗い。
 森をくぐって、青い姿見が蘆間あしまに映った時である。
 なぎさの、斜向はすむこうへ――おおきな赤い蛇があらわれた。蘆かやを引伏せて、鎌首を挙げたのは、真赤まっかなヘルメット帽である。
 小県が追縋おいすがすきもなかった。
 く、お誓が、心せいたか、樹と樹の幹にちょっと支えられたようだったが、そのまま両手で裂くように、水に襟を開いた。玉なめらかに、きめ細かに、白妙しろたえなる、乳首の深秘は、かすかに雪間のすみれを装い、牡丹冷やかにくずれたのは、その腹帯の結びめを、伏目に一目、きりきりと解きかけつつ、
「畜生……」
 と云った、女の声とともに、こだまが冴えて、銃が響いた。
 小県は草に、ふせかまえを取った。これは西洋において、いやこの頃は、もっと近くでるかも知れない……爪さきに接吻キスをしようとしたのではない。ものいうもなし、お誓を引倒して、危難を避けさせようとして、且つ及ばなかったのである。
 その草伏くさぶしの小県の目に、お誓の姿が――峰をいて、高く、金色こんじきの夕日にそばだって見えた。ひとしく、野の燃ゆるがごとく煙って、鼻のとがった、おおいなる紳士が、銃を倒す、と斉しく、ヘルメット帽を脱いで、高くポンと空へ投げて、拾って、また投げて、落ちると、宙に受けて、またなげるのを視た。足でなく、頭で雀躍こおどりしたのである。たちまち、法衣ころもを脱ぎ、手早く靴を投ると、いきおいよく沼へ入った。
 続いて、赤少年が三人泳ぎ出した。
 中心へ近づくままに、く手のひじの上へあらわれた鼻の、黄色に青みを帯び、きのこのくさりかかったようなおもてを視た。水につたないのであろう。あえぐ――しかむ、泡を噴く。が、あるいは鳥に対する隠形おんぎょう一術ひとてであろうも計られぬ。
「ばか。」
 投棄てるようにいうとともに、お誓はよろよろと倒れて、うっとりと目を閉じた。
 早く解いて流したくれないの腹帯は、二重三重にわがなって、大輪の花のようなのを、もろを添えて、白鷺が、すれすれに水を切って、鳥旦那のきたり迫る波がしらと直線に、水脚を切ってく。その、花片はなびらに、いやその腹帯の端に、キラキラと、虫が居て、青く光った。
 鼻を仰向け、諸手もろてで、腹帯をつかむと、紳士は、ずぶずぶと沼に潜った。次に浮きざまにひるがえった帯は、翼かと思う波を立てて消え、紳士も沈んだ。三個の赤い少年も、もう影もない。
 ただ一人、水に入ろうとする、ずんぐりものの色の黒い少年を、その諸足を取って、孫八じいが押えたのが見える。押えられて、手を突込つっこんだから、脚をばったのように、いや、ずんぐりだから、蟋蟀こおろぎのように※(「てへん+爭」、第4水準2-13-24)もがいて、頭でうすいていた。

「――そろそろと歩行あるいてき、ただ一番あとのものを助けるよう――」
 途中から女の子に呼戻させておいて、媼巫女うばみこ、その孫八爺さんに命ずるがごとくに云って――方角を教えた。
 ずんぐりが一番あとだったのを、孫八が来て見出したとともに、助けたのである。
 この少年は、少なからぬ便宜を与えた。――しらべする官人の前で、
「――三日以来、大沼が、日に三度ずつ、水の色が真赤まっかになる情報があったであります。の鳥が一羽ずつ来るのだと鳥博士が申されました。奇鳥で、非常な価値である。十分に準備を整えて出向ったであります。果して、対岸に真紅まっかな鳥が居る。撃ったであります。銃の命中したその鳥は、沼の中心へ落ちたであります。従って高級なる猟犬として泳いだのであります。」
 と明確に言った。
 のみならず、紳士の舌には、斑※(「(矛+攵)/虫」、第4水準2-87-65)がねばりついていた。
 一人として事件に煩わされたものはない。
 なぎさで、お誓を抱いた時、惜しや、かわいそうに、もういけないと思った。胸に硝薬しょうやくのにおいがしたからである。
 水をもうとする処へ、少年を促がしつつ、廻りけに駈けつけた孫八があわただしく留めた。水を飲んじゃなりましねえ。山野に馴れた爺の目には、沼の水を見さっせえ、お前等めえらがいった、毒虫が、ポカリポカリ浮いてるだ。……
 明神まで引返す、これにも少年が用立った。爺さんにかわって、お誓を背にして走った。
 清水につくと、魑魅すだまが枝を下り、茂りの中からあらわれたように見えたが、早く尾根づたいして、八十路やそじに近い、脊の低い柔和なおばあさんが、片手に幣結しでゆえるさかきを持ち、つえはついたが、すこやかに来合わせて、
「苦労さしゃったの。もうよし、よし。」
 と、お誓のそのふくよかな腹を、袖の下でさすって微笑ほほえんだ。そこがちょうど結び目の帯留の金具を射て、弾丸たまれたらしい。小指のさきほどの打身があった。うすいふすぼりが、うばの手が榊を清水にひたして冷すうちに、ブライツッケルの冷罨法れいあんぽうにもかなえるごとく、やや青く、薄紫にあせるとともに、が銀の露に汗ばんで、濡色の睫毛まつげが生きた。
 町へ急ぐようにと云って、媼はなおあとへ残るから、
「お前様は?」
 お誓が聞くと、
「姫神様がの、お冠のひもが解けた、と御意じゃよ。」

 これを聞いて、活ける女神じょしんが、なぜみずからのその手にて、などというものは、烏帽子折えぼしおりを思わるるがいい。早い処は、さようなお方は、恋人に羽織をきせられなかろう。袴腰も、御自分で当て、帽子も、御自分で取っておかぶりなさい。

       五

 神巫いちこたちは、数々しばしば、顕霊を示し、幽冥ゆうめいを通じて、俗人を驚かし、郷土に一種の権力をさえ把持はじすること、今も昔に、そんなにかわりなく、奥羽地方は、特に多い、と聞く。
 むかし、秋田何代かの太守が郊外に逍遥しょうようした。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が領分に口寄くちよせ巫女いちこがあると聞く、いまだ試みた事がない。それへ案内あないをせよ。太守は人麿の声を聞こうとしたのである。

 しのびで、裏町の軒へ寄ると、破屋あばらやを包む霧寒く、松韻颯々さつさつとして、白衣びゃくえの巫女が口ずさんだ。
「ほのぼのと……」
 太守は門口かどぐちと引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あのやからの教化は、士分にまで及ぶであろうか。」「泣きみ、笑いみ……ははッ、ただ婦女子のもてあそびものにござりまする。」「さようか――その儀ならば、」……仔細しさいない。
 が、孫八のうばは、その秋田辺のいわゆる(おかみん)ではない。越後路えちごじから流漂るひょうした、その頃は色白な年増であった。呼込んだ孫八が、九郎判官は恐れ多い。弁慶が、ちょうはん、熊坂ではなく、さいの目の口でも寄せようとしたのであろう。が、その女ぶりて、口説くどいて、口をげられたやけ腹に、巫女の命とする秘密の箱をさらって我が家を遁げて帰らない。この奇略は、モスコオの退都に似ている。悪孫八が勝ち、無理が通った。それも縁であろう。越後巫女みこは、水飴みずあめと荒物を売り、軒に草鞋わらじつるして、ここに姥塚うばづかを築くばかり、あとをとどめたのであると聞く。

 ――前略、当寺檀那、孫八どのより申上げ候。入院中流産なされ候御婦人は、いまは大方に快癒かいゆ鬱散うっさんのそとあるきも出来候との事、御安心下されたく候趣、さて、ここに一昨夕、大夕立これあり、孫八老、みぎり某所墓地近くを通りかかり候折から、天地晦冥かいめいひょうの降ることすさまじく、かつは電光のうちに、清げなる婦人一にん、同所、鳥博士の新墓の前にたたずみ候が、冷く莞爾にこりといたし候とともに、手の壺微塵みじんに砕け、一塊の鮮血、あら土にしぶき流れ、降積りたる雹を染め候が、赤き霜柱の如く、暫時しばしは消えもやらず有之これあり候よし、貧道など口にいたし候もいかが、相頼まれ申候ことづてのみ、いずれ仏菩薩の思召す処にはこれあるまじく、しくいつくしき明神の嚮導きょうどう指示のもとに、化鳥の類の所為しょいにもやと存じ候――
西明寺   木魚。
 和尚さんも、貧地の癖に「木魚」などと洒落しゃれている。が、それはとにかく――(上人の手紙は取意の事)東京の小県へこの来書の趣は、婦人が受辱じゅにく胎蔵たいぞう玻璃はりを粉砕して、汚血おけつを猟色の墳墓に、たたき返したと思われぬでもない。
昭和八(一九三三)年一月

底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
   1942(昭和17)年6月22日発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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