象

 象よ。キツプリングは昔お前の先祖が、わにに鼻をくはへられたものだから、いまだにお前まで長い鼻をぶら下げて歩いてゐると云つた。が、おれにはどうしても、あいつの云ふ事が信用出来ない。お前の先祖は仏陀ぶつだ御在世ございせいの時分、きつとガンヂスがは燈心草とうしんぐさの中で、昼寝か何かしてゐたのだ。すると河の泥に隠れてゐた、途方とはうもなく大きなひるが、その頃はまだ短かつた、お前の先祖の鼻の先へ、吸ひついてしまつたのに違ひない。さもなければお前の鼻が、これ程大きなひるのやうに、伸びたりちぢんだりはしないだらう。象よ。お前は印度インドの名門の生れだ。どうかおれの云つた通り、あのキツプリングの説などは口から出放題ではうだい大法螺おほぼらだと、先祖のゑんすすぐ為に、一度でもいからその鼻をあげて、喇叭らつぱのやうな声を轟かせてくれ。

     こふとり

 あのくびをさ、襟飾ネクタイのやうにむすんでしまつたら、一体あいつはどうしてほどく気なんだらう。

     駱駝らくだ

 おぢいさん。もう万年青おもと御手入おていれはおすみですか。ではまあ一服おやりなさい。おや、あの菖蒲革しやうぶがはたばこ入は、どこへ忘れて御出でなすつた?

     虎

 虎よ。お前はコスモポリタンだ。豊干禅師ぶかんぜんじを乗せたお前。和唐内わたうないたれたお前。それからウイルヤム・ブレエクの有名な詩に歌はれたお前。虎よ。お前は最大のコスモポリタンだ。

     家鴨あひる

 子供が黒板こくばん白墨はくぼく悪戯いたづらに書いた算用数字。2、2、2、2、2、2。

     白孔雀しろくじやく

 これは年とつた貴婦人だ。お眼が少し赤くただれていらつしやる。鼈甲べつかふのついた眼鏡めがねを持つて、一々見物人を御覧になればい。

     大蝙蝠おほかうもり

 お前の翼は仁木弾正につきだんじやうびんだ。面明つらあかりの蝋燭位らふそくくらゐは、一煽ひかあふりにも消し兼ねない。さうしたら、鼻の尖つた、眼張りの強い、くちびるをへの字に曲げてゐる顔が、うす暗い雲母摺きららずりうしろにして、いよいよ気味悪く浮き上るだらう。落款らくくわん東洲斎写楽とうしうさいしやらく……

     カンガルウ

 腹の袋の中には子供が一匹はひつてゐる。あれを出してしまつても、まだ英吉利イギリスの国旗か何かが、手品てじなのやうに出て来はしないか。

     鸚哥いんこ

 お前は古い唐画たうぐわの桃の枝に、ぢつと止つてゐるがい。うつかり羽搏はばたきでもしようものなら、体の絵の具がげてしまふから。

     猿

 猿よ。お前は一体泣いてゐるのか、それともまた笑つてゐるのか。お前の顔は悲劇のめんのやうで、同時に又喜劇の面のやうだ。おれの記憶は縁日えんにちの猿芝居へおれを連れてく。桜の釣板つりいた張子はりこの鐘、それからアセチレン瓦斯ガスの神経質な光。お前は金紙きんがみ烏帽子ゑぼしをかぶつて、緋鹿子ひがのこの振袖をひきずりながら、恐るべく皮肉な白拍子しらびやうし花子の役を勤めてゐる。おれの胸に始めて疑団ぎだんきざしたのは、正にその白拍子たるお前の顔へ、偶然の一瞥いちべつを投げた時だ。お前は一体泣いてゐるのか、それとも亦笑つてゐるのか。猿よ。人間よりもより人間的な猿よ。おれはお前程巧妙なトラジツク・コメデイアンを見た事はない。――おれが心の中でかうつぶやくと、猿は突然身ををどらせて、おれの前の金網かなあみにぶら下りながら、癇高かんだかい声で問ひ返した。「ではお前は? え、お前のそのしかめつらは?」

     山椒魚さんせううを

 おれがね、お前は一体何物だと、頭に向つて尋ねたら、わたし山椒魚さんせううをですよと、尻尾しつぽがおれに返事をしたぜ。

     鶴

 県下第一の旅館の玄関、芍薬しやくやくと松とをけた花瓶、伊藤博文いとうひろぶみ大字だいじがく、それからお前たちつがひの剥製はくせい……

     狐

 ふて寝だな。この襟巻め。

     鴛鴦をしどり

 胡粉ごふんの雪の積つた柳、銀泥ぎんでいの黒く焼けた水、その上に浮んでゐる極彩色ごくさいしきのお前たち夫婦、――お前たちの画工は伊藤若冲いとうぢやくちうだ。

     鹿

 この見事な刀掛かたなかけには、あふひ御紋散ごもんぢらしの大小でもうやうやしく掛けて置くがい。

     波斯猫ペルシヤねこ

 日の光、茉莉花まつりくわ※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)にほひ、黄色い絹のキモノ、Fleurs du Mal, それからお前の手ざはり。……

     鸚鵡あうむ

 鹿鳴館ろくめいくわんには今日けふも舞踏がある。提灯ちやうちんの光、白菊しらぎくの花、お前はロテイと一しよに踊つた、美しい「みやうごにち」令嬢だ。

     日本犬

 造り物の柳に入りの月が出る。お前は唯遠くで啼いてゐればい。


     南京鼠ナンキンねづみ

 上着うはぎ白天鵞絨しろびろうど、眼は柘榴石ざくろいし、それから手袋は桃色繻子じゆす。――お前たちは皆可愛かはいらしい、支那美人にそつくりだ。後宮こうきゆう佳麗かれい三千人と云ふと、おれは何時いつもお前たちが、重なり合つた楼閣の中に、巣を食つた所を想像する。そら、西施せいしいもの皮をじつてゐると、楊貴妃やうきひは一生懸命に車をまはしてゐるぢやないか。

     猩々しやうじやう

 あの猩々しやうじやうの鼻の上には、金縁きんぶちの Pince-nez がかかつてゐる。あれが君に見えるかい? もし見えなければ、今日けふ限り、詩を作る事はやめにし給へ。

     さぎ

 祥瑞しよんずゐ江村かうそんは暮れかかつた。藍色あゐいろの柳、藍色の橋、藍色の茅屋ばうをく、藍色の水、藍色の漁人ぎよじん、藍色の芦荻ろてき。――すべてがやや黒ずんだ藍色の底に沈んだ時、忽ち白々しらしらと舞ひあがるお前たち三羽の翼の色。――皿の外までも飛び出さなければいが。

     河馬かば

 す。りよう武帝ぶてい達磨大師だるまだいしに問ふ。如何いかんこれ仏法ぶつぽう云ふ。水中の河馬かば

     ぺングイン

 お前は落魄らくはくした給仕人だ。悲しさうなお前の眼の中には、以前勤めてゐたホテルの大食堂が、今も Aurora australis のやうに、輝かしい過去の幻を浮き上らせる事がありはしないか?

     馬

 こがらしの吹く町のかどには、青銅からかねのお前にまたがつた、やはり青銅からかねの宮殿下が、寒むさうな往来わうらい老若男女らうにやくなんによを、揚々と見おろして御出おいでになる。さうしてその宮殿下の、軍服を召した御胸おむねには、恐れながら白いからすふんが、……

     ふくろふ

 Brocken ざんへ! はうきまたがつたばあさんが、赤い月のかかつた空へ、煙突から一文字いちもんじに舞ひあがる。と、そのうしろから一羽のふくろふが――いや、これは婆さんの飼ひ猫が何時いつにか翼を生やしたのかも知れない。

     金魚

 うす日の光がさして来ると、藻に立つた秋も目立つやうになつた。おれは、――所々うろこげた金魚は、やがてはこの冷たい水の上に、むくろさらす事になるのかも知れない。しかしさう云ふ最後の日までは、やはり先の切れた尾を振りながら、あの洒落者しやれもののブラムメルのやうに、悠々と泳いでゐようと思ふ。

     兎

 今昔物語こんじやくものがたり巻五まきのご三獣行菩薩道兎焼身語さんじうぼさつのみちをおこなひうさぎみをやくものがたりと云ふ J※(マクロン付きA小文字)taka の中に、こんなお前の肖像画がある。――「兎は励みの心をおこして、……耳は高く※(「やまいだれ+區」、第4水準2-81-70)くぐせにして、目は大きく前の足短く、尻の穴は大きく開いて、東西南北求め歩けども、更に求め得たるものなし……」

     雀

 これは南画なんぐわだ。蕭々せうせうなびいた竹の上に、消えさうなお前があがつてゐる。黒ずんだいんの字を読んだら、大明方外之人たいみんはうぐわいのひととしてあつた。

     麝香獣じやかうじう

 梅紅羅ばいこうら軟簾なんれんの中に、今夜こんやも独り眠つてゐる、淫婦潘金蓮はんきんれんあやしい夢。

     かはをそ

 毎晩廊下へ出して置く、だいものの残りがなくなるんですよ。かはをそが引いてくんですつて。昨夜ゆうべも舟で帰る御客が、提灯ちやうちんの火を消されました。

     黒豹くろへう

 お前は歯の美しい Black Mary だ。南京玉なんきんだまの首飾りや毛糸の肩掛を持つて行つてやつたら、さぞのどをならして喜ぶだらう。

     蒼鷺あをさぎ

 なんでも雨上あまあがりの葉柳の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)にほひが、川面かはもを蒸してゐる時だつた。お前はその柳のこずゑに、たつた一羽止まつてゐたが、「夕焼け、小焼け、あした天気になあれ。」――そんな唄をうたつてとほつた、子供の時のおれを覚えてゐるかい?

     栗鼠りす

 亜欧堂田善あおうだうでんぜん銅版画どうばんぐわの森が、時代のついた薄明りの中に、太い枝と枝とをはしてゐる。その枝の上にうづくまつた、可笑をかしい程悲しいお前の眼つき……

     からす

「今晩は。」「今晩は。この竹藪は風が吹くと、騒々しいのに閉口します。」「ええ、その上月のある晩は、余計よけいなんだか落着きませんよ。――時に隠亡堀おんばうぼり如何いかがでした?」「隠亡堀ですか? あすこには今日けふ不相変あひかはらず、戸板に打ちつけた死骸がありました。」「ああ、あの女の死骸ですか。おや、あなたのくちばしには、髪の毛が何本もさがつてゐますよ。」

     ジラフ

 これは玩具おもちやだ。黄色い絵の具と黒い絵の具とが、まだ乾かずにべたべたしてゐる。もつとも人間の子供の玩具おもちやには、ちつと大きすぎるかも知れない。さしづめあの小ましやくれた、幼児ランフアン基督の玩具には持つて来いだ。

     金糸雀かなりや

 理髪店の店さきには、朝日の光がさわやかに、万年青おもとの鉢を洗つてゐる。はさみの音、水の音、新聞紙を拡げる音、――その音の中にじるのは、籠一ぱいに飛びまはる、お前たちのさへづり声、――誰だい、今親方おやかたに挨拶した新造しんぞは?

     羊

 或日おれはをりの羊に、いろいろな本を食はせてやつた。聖書、Une Vie, 唐詩選たうしせん、――なんでも羊は食つてしまふ。が、その中にたつた一つ、いくら鼻の先へ出してやつても、食はない本があると思つたら、それはおれの小説集だつた。覚えてゐろよ。綿細工わたざいくめ。
(大正九年九月)

底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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