私はそのお寺が好きだった。
 重々しい御門の中は、すぐに広い庭になっていて、植込の木立に日の光りを遮られてるせいか、地面は一面に苔生していた。その庭の中に、楓の木が二列に立ち並んで、御門から真直に広い道を拵えていた。道の真中は石畳になっていて、それが奥の築山と大きな何かの石碑とに行き当ると、俄に左へ折れて、本堂へ通じているらしかった。表からは、本堂のなだらかな屋根の一部しか見えなかった。この本堂の屋根の一部と、寂然ひっそりした広い庭と、苔生した地面と、平らな石畳の道と、楓の並木のしなやかな枝葉と、清らかな空気とを、重々しい御門の向うに眺めては、その奥ゆかしい寂しい風致に、私は幾度心を打たれたことであろう! けれども御門の柱に、「猥リニ出入ヲ禁ズ」という札が掛っていたので、私は一度も中にはいったことはなかった。ただ学校の往き帰りに、その前を通るのを楽しみにしていたのだった。
 今記憶を辿ってみると、そのお寺のすがたがはっきり私の頭に刻み込まれたのは、女学校の三年の頃からであるように思われる。そしてまたその年に、あの人の姿を見るようになったのである。
 初めて見たのは何時であるか、私は覚えていない。ただいつとはなしに、白い平素着ふだんぎをつけた若いお坊さんの姿が、そのお寺の庭に、楓の並木の向うに、じっと立っているのを私は見出すようになった。けれども、若い淋しそうなお坊さんだと思ったきりで、別に気にも止めなかった。気にも止めないくらいに、知らず識らずのうちに見馴れてしまった。
 私の見た限りでは、その年若いお坊さんは、いつも白い平素着で、楓の茂みの向うに佇んでいたり、また時には御門から真正面の大きな石碑の前を、ゆるやかに歩いてることもあった。その姿が、お寺の中の閑寂な庭に、一しお趣きを添えていた。私はお寺の前を通る毎に、必ず中をちらりと覗き込んで、其処にお坊さんの姿を見出されないと、或る淡い不満を覚えたものである。私の心はそのお坊さんに対して、何となく親しみを感じてきた。
 或る麗わしい秋晴れの夕方であった。私はその日お当番で、いつもより遅く学校から帰ってきた。一片の雲もない大空は、高く蒼く澄み返って、街路には一面に黄色い陽が斜に流れていた。妙に空気がしみじみと冴えて、何処までもそのまま歩き続けたいような夕方だった。私は晴々とした心地で、お寺の前を通りかかった。通りしなにいつもの通り一寸中を見やると、私は足が自然に引止められる心地がした。御門から二十間ばかりかなたに、あの若い淋しいお坊さんが、楓の幹に片手をかけてよりかかるようにしながら、じっと――長い間そのままの姿勢でいたかのようにじっと佇んで、こちらをぼんやり見守っていた。楓の枝葉を洩れてくる斜の光りが、お坊さんの真白な着物の上に、ちらちらと斑点を落していた。私の姿を見たお坊さんの顔は、静かに静かに、恰度風もないのに湖水の面がゆらぐように、かすかな襞を刻んでいった。かと思うと、いつしかにこやかに微笑んでいた。私の顔も知らないまに微笑んでいた。……それに自分で気がつくと、私は急に我に返ったように恥しくなって、顔を伏せたまま逃げ出してしまった。
 その晩床にはいって、昼間のことを考えると、大変やさしい夢を見たような気がした。「あの年若なお坊さんの上に祝福がありますように。」――私はそうした気持ちになっていた。ああ、何ということであろう!
 その翌日から、私は学校の往き帰りに、大抵日に一度くらいは、お坊さんと顔を合した。奇体にお坊さんは、私がお寺の前を通る時、庭の中に出ていた。それをお互に不思議とも思わないかのように、私達はいつも微笑み会った。
 そういうことが、十月十一月と、二月ばかり続いた。お寺の前を通るのが私に嬉しいのは、清らかなお寺の庭のせいであるか、お坊さんの親しい笑顔のせいであるか、もはや分らないくらいに私の心はなっていた。
 けれどもそれは、愛というようなものではなかった。私はまだ十六で、異性に対する本当の感じは少しも知らなかった。兄さんの若いお友達の方などから、随分と露骨にひやかされても、ただ極り悪いという感じ以外には、何の気持ちも起らなかった。兄さんのお友達のうちには、私が憧れの目を以て眺めた人がないでもなかったのだけれど、それも私自身の美しい女のお友達に対する気持ちに比べると、非常に淡いものに過ぎなかった。そしてあのお坊さんに対する私の気持ちは、兄さんのお友達に対する気持ちよりも、更にずっと淡いものであった。ただ、なつかしい叔父さんといったようなものだった。そうでなければ、最初の恥しい思いのすぐ翌日から、あんなに心安く微笑みを返せるわけはない、毎日何の気もなく微笑み合えるわけはない。
 楓の葉が紅く色づいて、次にはらはらと散る頃になっても、私はお坊さんと大抵毎日のように顔を合していた。そしてただ微笑み合うだけで、重々しい御門の柱の禁札をも、別に怨めしいと思う心は起らなかった。ただ日曜や雨の日は、お坊さんの姿が見られないので、何だかつまらなかった。
 所が十二月の初めから、お坊さんの姿がぱったり見えなくなった。私は学校の帰りなどに、わざわざお寺の前を二三度往き来したこともあった。けれどもお坊さんは姿を見せなかった。私は妙に物悲しくなった。そして最後に逢った日のことを、後ではっきり思い出した。
 その日お坊さんは、寒そうに両袖を胸に組んで、石牌の横にしょんぼり立っていた。私が御門を通りかかると、首垂れていた顔を一寸挙げたきり、いつものように微笑みもしないで、またすぐに顔を胸に伏せてしまった。じっと眼をつぶってるようだった。後で考えると、それは涙を落さないためだったようにも思われる。けれどその時私は、何となく変だと思ったきりで、別に驚きもしなかった。
 お坊さんの姿が見えなくなってから、後でその事を思い浮べてみると、其処には何か深い訳があるような気がしてきた。或は病気ではないかしら……或は何処か他の寺へでも移られるのではないかしら……或は遠い旅へでも行かれるのではないかしら……考えれば考えるほど、もうお坊さんに逢えないということだけが、はっきり事実として残るのであった。なぜ理由を云って下さらなかったのかと、怨めしい気もした。お坊さんの身分だからと思い直してもみた。そして深い淋しさが、悲しさが、私の心にしみ込んでいった。お寺の前を通るのがつらいような心地もした。通る時には、御門の中を覗くまいとつとめた。でも覗かないではおられなかった。そしては猶更悲しくなるのであった。
 そのうちに、私には学期試験がやってきたし、ついで冬休みとなり、またお正月となった。そしてお坊さんのことは、忘れるともなく忘れていった。兄さんは学生のうちから、かねてお約束の義姉さんと結婚なされ、大学を出るとすぐ会社に勤めてはいられたけれど、まだ学生時代とそっくりの気持ちを失わないでいられたためか、大学生のお友達なんかも沢山あって、正月には歌留多会やなんかで、家の中が非常に賑やかになった。ずっと年下な私は、いつまでも子供扱いにされてるのに甘えて、家の中で勝手に騒ぎ廻った。
 松の内が夢のように過ぎて、また学校が初まった時、私は又お寺の前を通るのが、一寸恐いような気がした。なぜだかは自分でも分らなかった。そして御門から中をちらりと見やっただけで、足早に通り過ぎた。けれどもお坊さんの姿は、一度も見えなかった。私は訳の分らない安心を覚えた。初めは逢えないのを悲しんでた私が、僅か一月の間に、逢うのを恐がるようになったのである。それは、暫くでも忘れかけたのを済まなく思うからでもなく、愛が起りはすまいかと気遣ったからでもない。此度また毎日逢うようになったら、それは何か新らしい不安な形式――愛ではない――を取りそうに、思えたからである、それが自分の心に、何かの煩いを齎しはすまいかを、恐れたからである。
 一度もお坊さんの姿を見かけないで、一種の安心を覚ゆると共に、私は本当にお坊さんを忘れていった。その上、一月二月と過ぎて、時は春になりかかっていた。ああ十七の春、私はどんなに晴々しい心地であったか! それは、うち晴れた大空の下に、広い野原の真中に、一人つっ立っているようなものであった。何のこだわりもなかった。踊りたかった、走りたかった、空高く翔りかけた。空想と現実とが一つに絡み合って、美しい夢の世界を拵え初めていた。
 それなのに……。
 桜の花が散って青い葉になろうとしてる頃、私が四年級になって間もなくの頃……私はその日をはっきり覚えている……四月二十一日! その午後、私はまた彼の姿を――もうこれからは彼と呼んだ方が私には自然なのだ――彼の姿を、お寺の中に見出したのである。
 私はいそいそとした心持ちで、行手に幸福が待ち構えてるような心持ちで、学校から帰ってきて、お寺の前を通りかかると、何の気もなくふと御門の方を覗いてみた。そしてはっと立ち竦んだ。向うの大きな石牌の影から、彼の頭がこちらを見つめていたのである。首から下は見えなかった。首から上だけが、石牌からぬっと差出されて、その顔と頭との全体が、私の方をじっと見つめていた。私は一瞬間、それが彼であることを怪しむと共に、云い知れぬ恐怖に固くなってしまった。が次の瞬間には、その頭がどくろ首のように、すっと石碑から離れると同時に、白い着物の彼の姿にのっかって、其処につっ立っていた。私は心の中で大きな叫び声を立てながら、一生懸命に逃げ出してしまった。
 家に帰って自分の室に落付くと、漸く私の心も静まって、先刻の恐怖が馬鹿々々しいようにも思えてきた。けれどもなおよく考えると、彼の素振りの意味が分らなくなるのであった。なぜ秋の頃のように、あの清らかな庭の中に立って、美しい楓の若葉を背景にして――楓の若葉くらい美しいものはない――、穏かな笑顔で私に逢ってはくれなかったのか? なぜ石牌の影に隠れて、首から上だけつき出しながら、恐ろしいほどじっと私を見つめたのか? 私はその時の彼の顔をどうしても思い出せない。ただ陰欝な顔であったこと、顔と頭と全体で私を見つめていたこと、それだけを覚えている。
 その四五日、私は彼の姿を見なかった。所が或る日、檜葉の茂みに隠れて私の方を眺めてる彼を、通りがかりに見出したのであった。それから後は、私の方でも注意し初めた。すると、植込の影や、石牌や築山の影などから、私の方を窺ってる彼の姿を、度々見出すようになった。それを見出さなくても、何処からかじっと覗かれてるような気がした。私はお寺の前を通るのが、非常に気味悪くなった。
 五月の初めだったと思う。私が学校の往きに通りかかると、彼は箒を手にして、而も別に庭を掃くような様子もなく、御門のすぐ向うの石畳に、ぼんやり立っていた。私は喫驚したが、物影から覗かれるよりはまだよかった。所がその日学校の帰りにも、やはり同じ姿勢の彼を見出したのであった。その時、彼の顔が非常に蒼ざめてること、彼の白い着物が薄黒く汚れてることに、私は気付いた。彼は私をじっと眺めたきり、かすかな微笑みも見せなかった。私はしいて何気ない風を装いながら、少し足を早めて通りすぎた。
 今考えると、私は馬鹿だったのだ、何にも知らなかったのだ!
 其後私がお寺の前を通る毎に、箒を手にしてる彼の姿が、いつも御門の中に見えるようになった。彼は私の方を髪の毛一筋動かさないで、石のように固くなって見つめるのであった。その白い平素着は、薄黒く汚れている上に皺くちゃになっていた。顔は真蒼に艶を失って、頬がげっそりこけていた。髪の毛も五分刈位に伸び乱れて、薄ら寒い髯が生えてることが多かった。髯を剃った時には、頬のこけているのがなお目立って、一層悄衰の様子に思われた。そして落ち凹んだ眼の中に、黒ずんだ鋭い光りがあった。
 私はその眼の光りに、いつも脅かされた。或る時、彼が門の外に出て来てるのを見ると、私はもうその前を通れないような気がした。眼をじっと伏せたまま通りかかると、足が自然に小走りになってしまった。そして後ろを振り返る勇気もなかった。
 その頃から、私はなるべくお寺の前を通らないようにした。けれども、そうするには遠い廻り道をしなければならなかった。朝少し遅くなった時なんかには、余儀なくお寺の前を通っていった。するといつも彼が立っていた。また学校の帰りにも、少し時間が早かったり遅かったりする時には、お寺の前を通っていった。彼の姿が見えないと、災難を免れたような気がした。けれども、それはごく稀れであった。
 私は近所に、同じ学校へ通うお友達を持たなかった。所が或る日、親しいKさんが私の家へ遊びに来るというので、二人で学校の帰りに、お寺の前を通りかかった。その時もまた、彼が箒を持って立っていた。私が足早に通りすぎるのも構わずに、Kさんはゆっくりした足取りで歩きながら、彼の方をじろじろ見返してるらしかった。そして私に追いつくと、Kさんはこう仰言った。
「いやな坊さんね!」
 私は何と答えていいか分らなかった。けれどもその頃から、彼の様子の変った原因は皆私にあることを、はっきり感じてきた。そして、その感じがはっきりすればするほど、益々私は途方にくれた。私は絶えず脅かされ続けた。こうして私の若い生命は、どんなにか毒されたことであろう。
 七月の或る朝、私は少し時間を後らして、急ぎ足でお寺の前を通りかかった。するとやはり彼が、箒を持ったまま、御門の柱によりかかって立っていた。私はそれをちらりと見ただけで、顔を俯向けて通りすぎた。そして十歩も行かないうちに、彼が私の後をつけてくるのを、はっきり感じた。あの痩せた骨ばかりの手で、今にも両肩を捉えられそうな気がした。どうすることも出来なかった。ありったけの力を出して駈け出してしまったけれども、七八歩走ると、息がはずんで立ち止った。もう彼がすぐ後ろに迫ってるような気がした。私はしいて反抗するつもりで、急に後ろを向き返った。すると……其処には誰も居なかった。寂しい通りが朝日を受けてるきりで、お寺の前にも人の気配けはいさえなかった。私は変に何かが――彼ではない――何かが恐ろしくなった。胸が高く動悸していた。
 その日私は、そのまま家に帰って、気分が悪いと義姉さんに云って、学校を休んでしまった。終日、悪夢の後のようにぼんやりしていた。
 それから私は出来るだけ、お寺の前を通らないことにした。通るのが少くなっただけに、彼の姿を見ることも少くなった。そしてるうちに忙しい試験期日となった。試験がすみ、夏休みになって、播磨の故郷へ帰る前、私は或る日の朝、お寺の前へ行ってみた。何のために行ったのか、私は覚えていない。恐らくその時でさえ、何故かというはっきりした理由は持っていなかったのであろう。
 お寺の中はひっそりとしていた。まだ露に濡れてるかと思える苔生した地面に、植込の木立をもれる日の光りが美しい色を点々と落していた。爽かな空気が一面に罩めていた。誰の姿も見えなかった。私は淡い哀愁に似た気持ちを懐いて、家に帰ってきた。彼に脅かされ続けていた私は、彼の姿を取り去ったお寺の庭に対して、何となき懐しみと物足りなさとを覚えたのである。
 それきり私は彼に逢わずに、故郷の家へ帰った。一番上の兄さんは東京に住んでおり、二番目の兄さんは幼くて死に、姉さんは大阪へ嫁いでいるので、故郷の家には両親と弟とがいるきりで、わりに淋しかったけれど、一年ぶりに父母の膝下に身を置くことは、私にとってどんなに嬉しいことだったろう。けれども今は、そういうことを書いてるのではない。私は物語りの筆を進めよう。
 故郷に帰ってるうち、彼の姿は私の頭から自然に遠のいていた。所が夏休みの終る頃、もう四五日でまた東京の兄の家へ戻るという時になって、不思議なことが私に起った。
 私の家は殆んど郊外と云ってもいい位の、町外れの野の中に在った。お父さんが主に所有地の監督をやるようになってから、その町外れの閑静な家へ引越したのであった。
 月のいい或る晩、私は一人で田舎道を散歩した。東京に住むようになってから、故郷の田舎の月夜に対して、私は一層深い愛着を覚えてきた。それには、幼い頃の思い出と月夜の平原に対する憧れとが、入り交っているのであった。その晩は殊に月が綺麗であった。銀色の光りが、遠くまで野の上に煙っていた。真白い道が稲田の間に浮き出して、稲の葉に置いてる露の香りが空気に籠り、蛙の声が淋しく響いていた。私は暫く田園の中を歩いた後、口の中で唱歌を歌いながら、家の方へ帰りかけた。すると突然に、全く突然に、私はぞっと水を浴びたような戦慄を感じた。私の後ろに、あの白い着物のお坊さんの姿が立ってるのである。私が一足歩くと彼も一足ついてくる、私が立ち止ると、彼も立ち止る。私はそれを眼に見たのではないが、はっきり心に感じたのだった。恐しさに縮み震えながら、そっと気を配ると、あたりは皎々たる月明の夜で、蛙の声が猶更野の寂寞さを深めていた。私はふり返ることも、立ち止ることも、また歩くことも出来なかった。彼の姿は私の数歩後ろに、じっと佇んでいた。私は息をつめて眼を閉じて、運命を天に任せるより外に仕方がなかった。……長い時間がたったような気がした。気が遠くなるような心地がした。そしてふと眼を開くと同時に、私は我に返った。もう彼の姿は感じられなかった。ふり返ると、誰の姿もない野の上に、一面に月の光りが落ちていた。
 幻だったのだ! けれども、ああそれがいつまでも単なる幻であってくれたなら!
 私は八月の末に、また東京の兄の家に身を置いて、学校に通うこととなった。そして、幻は単なる幻のままでなくなってきたのである。
 九月の新学期に初めて学校へ通った日、私は往きも帰りもお寺の前を通ったが、彼の姿は何処にも見えなかった。けれども二三日目から、殆んど毎朝のように、御門の中に立っている彼を見出すようになった。ただ私がいくらか束の間の安堵をしたことには、彼の白い着物が新らしく綺麗になっていたし、顔色なんかも休暇前よりはずっとよく、髪も短く刈り込まれているし、髯はいつもちゃんと剃られていた。頬はやはりこけていたが、すべすべとした艶が見えていた。箒をいつも手にしながら、私の姿を見ると、楓の幹に軽く身を寄せたりして、わざとらしい嬌態をすることがあった。顔では笑わなかったが、眼付で微笑んでいた。時とすると、楓の幹に投げかけた片手に、新らしいハンケチを持ってることなんかもあった。私はその無骨なお坊さんの様子が、かく俄に変ってきたのを見て、軽い笑いを唆られることさえあった。それからまた彼は、私の学校の帰りには少しも姿を見せなかった。彼が門内に佇んでいるのは、爽かな日の朝に限っていた。青々とした楓の葉の下に、まだ朝露を含んでいそうに思われる清らかな空気に包まれて、箒を片手に苔生した地面の上に佇んでいる彼の顔を、私は初めて美しいと思ったことさえある。
 かくて彼に対する私の警戒は次第にゆるんできた。彼から愛の心を寄せられてるということが、はっきり分ってくるに従って、若い私の心は軽い矜り[#「矜り」は底本では「衿り」]をさえ感ずることがあった。頭の奥には一種の慴えが残っていながら、二度まで見た同じような幻を、いつとはなしに忘れがちであった。ああ、媚びに脆い処女の心よ! 私はうかうかとした気持ちで、お寺の前を通って憚らなかった。
 彼と逢うのは、晴れた日の朝に限っていたが、それでも一週に一度か十日に一度くらいは、学校の帰りに顔を合せることがあった。彼は白い平常着のまま、御門の外に出て、通りをぶらぶら歩いていた。其処はいつも非常に人通りが少なかったにも拘らず、私は彼とすれ違っても別に恐れないほどになっていた。私のうちには、それほど高慢な心が芽を出していたのである。
 十月の末、私はお友達から美事な菊の花を貰って、いつもより少し遅くお寺の前を通りかかった。彼が表に立っていた。私は気にも止めなかった。私を見て少し歩き出した彼の側を、私は平気で通りぬけようとした。すると、右手に持っていた菊の花に後ろから何かが触って、花弁が少し散り落ちた。
「あ、済みません。」
 そういう呟くような声が響いた。顧みると、彼は妙に慌てたような様子で、すたすたと御門の中にはいっていった。私は笑い出したくなるのをじっと我慢した。それから次に、俄に思い当ることがあって立ち止った。もしや、もしや手紙でも袂に入れられたのではないかしら……と私は思ったのである。
 私は両の袂を探ってみた。何もはいっていなかった。身体中検めてみた。何処にも変った点はなかった……ではやっぱり単なる偶然だったのだろうか? そう思う外はなかったけれど、そうだとはっきり肯定することの出来ないようなものが、私の心の中に在った。私の疑懼の念はまた高まってきた。
 私はその頃、眠れないことがよくあった。夜中にふと眼を覚して、夜明け近くまで夢現の境に彷徨することがあった。そういう時、よく気味悪い夢を見た。夢の中で彼と追っかけっこをすることもあった。……然しそれらの事は、夜が明けると共にさっぱり拭い去られて、私は秋晴れの外光の中に、清々しい自分を見出すのであった。それなのに意外にも、ああいうことが俄に起ったのである。
 十一月十八日、その日私は学校の帰りに、お寺の前でまた彼と出逢った。彼は御門の柱によりかかって、何かしきりに考え込んでいるらしく、私が通りかかっても、胸に垂れた頭を上げなかった。私はすたすたとその前を通り過ぎた。そして二三十歩行った時、後ろから彼がついてくるのを感じた。前に見た二度の幻と全く同じだった。が私はその時、不思議にも別段恐ろしいと思う念は起らなかった。首垂れながら後をつけてくる彼の姿が――私の心に映ってる彼の姿が、一寸可笑しく思われた。私は素知らぬ風を装って、心では彼の姿を見守りながら、普通の足取りで家へ帰っていった。私の家の門には観音開きの扉がついていて、玄関と門との間が砂利を敷いた狭い前庭になっていた。門の扉は昼間はいつも開いたままだった。
 私は彼を後ろについて来させながら、家の前まで来ると、つと身を飜して門の中にはいった。それから玄関で靴をぬいで上ろうとすると、彼もやはり門の中へすうっとはいって来たのである。本当にすうっとであった。砂利の上なのに足音もしなかった。私は急に震え上った。そして玄関につっ立って、初めて後ろをふり返ってみた。すぐ眼の前に、玄関の外に、彼はじっと立っている。私は余りのことに前後を忘れた。いきなり義姉さんの所へ駆け込んだ。そして叫び立てた。
「お姉さん、早く、早く……玄関にお坊さんが私を追っかけて来ています。行って下さい。早く行って…上って来るかも知れません。」
 義姉さんは私の様子に喫驚して、何も聞き糺さないうちに、玄関へ出て行かれた。私は石のように堅くなってじっと耳を澄した。何にも聞えなかった。やがて義姉さんは一人で戻ってこられた。
「どうしたんですか。誰も来てはいませんよ。」と義姉さんは云われた。
「いいえ来ています。お坊さんが私を追っかけて来ています。」と私はなお云い張った。
 女中と婆やも其処へ出て来た。私達は四人で、一緒に玄関へ行ってみた。誰も居なかった。門の外へ出てみた。通りにはお坊さんらしい姿は見えなかった。
 然し、私は現に彼の姿を玄関で見たのだった!
 私は義姉さんに尋ねられて、初めからのことを、去年からのことを、すっかりうち明けた。話の半ばに兄さんも帰って来られた。義姉さんはその日のことを手短かに話された。私は初めからのことをまたくり返した。兄さんは黙って聞いていられたが、私が話し終るのを待って、こう仰言った。
「それはありそうなことだ。……もっと早くうち明ければいいのに、隠してるからいけないんだ。」
 そして結局、兄さんの結論としては、私が神経衰弱になってるか、向うが半狂人になるほどのぼせきってるか、否恐らく両方ともそうだろう、ということだった。私と義姉さんとは、互に顔を見合って、不気味な予感に震え上った。
 その晩相談の結果、私は万事兄さんの指図に従うこととなった。第一には、出来る限りお寺の前を通らないこと、もし朝遅くなった時なんか、廻り途をする時間がない場合には、お寺の向うまで女中に送って来て貰うこと、帰りには必ず廻り途をしてくること。次に、もしお坊さんと出逢って変なことがあったら、必ず兄さんにうち明けること、そうすれば此度こそは、兄さんが向うへ行って、厳重に談じ込んで下さること。――私はそれらを皆承知した。
 所が、私はその約束通りに行わなかった、行えなかった。私は彼に対して非常な恐怖を感じたのであるけれど、恐怖の合間には、また一種の憐憫の情をも感じた。そして彼に脅かされる時には、どんなことがあってもお寺の前を通らなかった。けれど彼を憐れむ時には、俄に姿を見せないのも可哀想だと思って、やはりお寺の前を通った。その二つのことが間歇的に私に起ってきた。ああ年若な女の容易い慴えよ、また傲りよ! 然し今から考えると、それ以外に或る大きな蠱惑が私を囚えていたように思われる。それは蝿を招く蜘蛛の糸の惑わしだ。私は彼を恐れ或は彼を憐れみながらも、心の奥では彼に魅惑されていたのであろう。
 その上、別に変ったことも起らなかった。
 私は往きに時々お寺の前を通って、御門の中に立ってる彼と逢った。帰りにもたまに、お寺の前で彼と出逢うことがあった。
 そのうちにまた学期試験となり、冬休みとなった。然しそのお正月は、私にとっては陰欝なものであった。絶えず頭にはぼんやりした霧がかけていた。死んだ人を偲ぶようにして、彼のことを思い出したりした。兄さんから私はすっかり神経衰弱だときめられた。義姉さんからは非常に心配された。そして三人で、四日五日六日と二晩泊りで、箱根へ小遊に出かけた。けれども、お友達へ絵葉書の文句などを書いてる私の額は、ともすると曇りがちであった。私は本当に神経衰弱だったのかも知れない、或は既にその時から……。
 学校が初って、暫くは何のこともなかったが、二月の或る寒い日、私はまた彼からつけられてることを感じた。然しその時は、彼――もしくは私の心の幻――は、途中で消えてしまった。そういうことが三月のはじめにも一度あった。
 私はそれを兄さんに隠した。なぜだか分らないが、どうしても云えなかったのである。そして遂に最後の日がやって来た。
 三月の十二日、その日は朝からどんより曇って、そよとの風もない、妙に頼り無い気のする日であった。朝は廻り途をして学校へ行った。帰りに廻り途をしようと思ったが、兄さんが少し風邪の心地で家にぼんやりしていられるのを思い出して、早く家に帰りたくなり、何の気もなく真直に戻って来た。
 お寺の門の柱によりかかって彼が立っていた。私は平気を装いながら通り過ぎようとした。その時彼は何と思ったか、私に一寸お辞儀をした。私もそれに引きこまれてお辞儀をしてしまった。それから、私は俄にぞっと全身に慄えを覚えた。今迄と違って、妙に真剣なものが感じられたのである。駆け出そうとしたが出来なかった。自分の足が非常に重く思われた。私は歯を喰いしばって歩き続けた。彼が私の後から常に七八歩の間隔を保ってついてきた。漸く家の前まで来て、私が門の中へはいると、彼も中へはいって来た。私が玄関に立った時、此度は不思議にも――否この方が不思議ではないのだけれど――、玄関の方へやって来る彼の足音が、門内の砂利の上にはっきり聞えた。私はもう堪らなくなった。後ろをふり返る余裕も、靴をぬぐ隙もなかった。靴のままいきなり上に飛び上って、奥の室へ駆け込んだ。義姉さんがお仕事をしていられる傍に、兄さんは褞袍を着て寝転んでいられた。
「お坊さんが!」と私は一声云ったきり、其処につっ伏してしまった。
 兄さんにはすぐそのことが分ったらしかった。褞袍をぬぎ捨てると、玄関へ出て行かれた。私は上半身を起して玄関の方へ耳を澄した。暫くすると……ああやはり本当だったのだ! 誰かに話しかけてる兄さんの声が聞えた。その声に義姉さんも喫驚して立ち上られたが、すぐにまた坐って私の靴をぬいで下すった。私はされるままに任した。手先が震えて寒気さむけがしていた。袴も義姉さんに手伝って貰ってぬいだ。義姉さんから私は奥の室へ連れて行かれた。
「此処にじっとしていらっしゃい、すぐにまた来ますからね。心配なことはありませんよ。」
 そう義姉さんから云われて、私は熱い涙がはらはらと出てきた。義姉さんは立って行かれたが、暫くしてまた戻って来られた。私達は彼のことについては一言も口を利かなかった。私は寒気がするので、義姉さんは炬燵に火を入れて下すった。私は炬燵の上に顔を伏せたまま、じっとしていた。訳の分らない涙がしきりに出てきた。何にも考えられなかった。義姉さんは時々立って行かれた。兄さんは何時までも戻って来られなかった。
 電灯がともって、外が薄暗くなりかけた頃、私の心は漸く落付いてきた。御飯の時に私は初めて兄さんの顔を見た。兄さんは非常に興奮していられるようだった。餉台の上にはいつもより多くの御馳走が並んでいた。
「昼飯を御馳走してやるつもりだったが、帰ってしまったので……。」と兄さんは仰言った。
 それを聞いて、私の心は急に晴々しくなった。そして彼のことを兄さんに尋ねようと思ったが、さすがに言葉が口へ出て来なかった。
 その晩、兄さんと義姉さんと私と三人は、炬燵のまわりに集って、兄さんから仔細のことを聞かされた。
 ――兄さんが玄関に出て行かれると、其処に彼が立っていたそうである。兄さんは喫驚されたが、用があるなら云ってほしいと云われた。それでも彼は黙って立っていた。仕方がないので彼を客間へ通した。彼は案内されるまま客間へ通った。そして其処で、彼は凡てをうち明けた。彼は一昨年の秋から私に恋していたのだった。けれども僧侶の身分なので、心のうちでどんなにか煩悶したそうである。或時は自殺の決心までしたとか。それでもなお思いきれないので、遂に私の父に心のうちを訴えるつもりで、今日私の後をつけて来たのであった。彼は今日まで、私の住所も名前も知らなかったそうである(そうすると、以前のことはやはり私の幻覚だったのだ! けれど私にはそればかりだとは信じられない。)彼の話を聞いて、兄さんは懇々と説諭を加えられた。そして、「あなたも修業がつみ立派な名僧となられたら、妹を差上げないものでもないが……。」と云われると、彼はわっと声を立てて泣き出してしまった。いつまでもいつまでも泣き止まなかった。「それには僕も困ってしまった、」と兄さんは仰言った。長く泣き伏していた彼は、俄に顔を上げて、「これから外国へ行って学問をして来るから、あと二年間お妹さんを結婚させないで置いて下さい、」と頼んだ。兄さんはその向う見ずな心をさとして、日本でも勉強は出来ると説き聞かせられた。けれども彼はどうしても聞き入れなかった。「来年の暮まで私から便りがなかったら、お妹さんはどなたと結婚されても宜しいが、来年の暮までは是非待って下さい。それまでに私は外国で立派な者になって来ますから、」と彼は涙を流しながら頼んだ。それで兄さんも我を折って、「それほど固い決心なら、何れあなたの寺の住職とも相談の上、私も何かの力になってあげよう、」と云い出された。すると彼はまたわっと声高く泣き出して、如何に引止めようとしても止まらないで、帰って行った。兄さんは門の所までついて行って、「何れ私から和尚さんに万事のことを相談するまで、決して早まった無分別なことをしないように……。」とくれぐれも云われたが、彼はただ黙ってお辞儀をして帰って行ったそうである。
「あれほど一心になれば豪いものだ、僕まで本当に感激してしまった。」
 兄さんはそう云って、話の終りを結ばれた。
 私は兄さんの語を聞いてるうちに、いつのまにか涙ぐんでいた。
「でも何だか可笑しな話ね。」と義姉さんは仰言った。「あなたまで誑かされたんじゃないでしょうか。そんなお約束をして後で……。」
「いや大丈夫だ。とにかく寺の住職に逢って話してみれば分る。」と兄さんは答えられた。
 私はその晩早く床にはいった。けれども長く眠れなかった。非常な幸福が未来に待っているような気もし、また真暗な落し穴に陥ったような気もした。頭の中がぱっと華かになったり、また急に真暗になったりした。うとうとと眠りかける上、訳の分らない夢に弄ばれた。
 翌日私は学校を休んだ。兄さんは風邪の熱が取れないので、お寺へ行くのを延された。
 その翌日も私は学校を休んだ。兄さんは朝の十時頃、お寺へ出かけて行かれた。そして意外な話を持って来られた。
 ――彼は和尚さんの故郷である駿河の者であった。貧しい家の生れで、幼い時に両親を失ってしまい、他に近しい身寄りもない所から、土地のお寺に引取られた。所が非常に利発らしいので、和尚さんがその寺から貰い受けて東京へ連れて来られ、隙な折に一通りの学問を教え、次に仏教の勉強をさせられた。彼の頭は恐ろしいほど鋭い一面があると共に、何処か足りない――というより狂人じみた点もあった。それで和尚さんは可なり心配されて、人格の修業をするように常々説き聞かせられていた。所が二十二歳になった一昨年の秋頃から、彼は深い煩悶に囚えられたらしかった。(和尚さんは、私のことは少しも知っていられないのであった。)そしてるうちに、昨年の夏以来、彼はちょいちょい酒を飲むようになった。一晩他処に泊って来ることもあったそうだ。和尚さんは厳重な叱責を加えられた。その時彼は断然行いを改めると誓った。そしてこれからは庭の掃除なんかも、寺男の手をかりないで自分でやると云い出した。和尚さんは大変喜ばれた。彼の行いも実際見違えるほどよくなった。それがずっと続いた。所が一咋日の晩、夜遅く帰って来て、自分の室で一人泣いていたそうである。和尚さんはよそながら注意していられた。すると、その夜から彼の姿が見えなくなった。白の平素着をぬぎ捨てて、普通の着物を着て出て行ったのである。なお種々調べてみると、お寺にあった現金七十何円かが無くなっていた。他には何等の変りもなく、書いた物もないので、屹度金を盗んで逃げ出したものと和尚さんは思われた。昨日一日待っても帰って来なかった。それで和尚さんは、警察に捜索願を出そうかと考えられた。その所へ恰度、私の兄さんが行かれたのだそうである。
「住職と種々話し合ってみると、」兄さんは云われた、「あの男の性格もほぼ分ったし、前後の事情も推察がつく。然し何だか……。」
 兄さんは中途で言葉を切って、小首を傾げられた。
 私は大きな鉄槌で打ちのめされたような気がした。どう考えていいか分らなかった。自分の未来が真黒な色で塗りつぶされたような心地がした。否未来だけではない、心まで真黒に塗りつぶされたのだ。私はもう何物にも興味を失った。殆んど自暴自棄な投げやりの気持ちで、周囲に対し初めた。何をするのも面倒くさく懶かった。而もなおいけないのは、最初の打撃から遠のくに従って、彼に対する淡い愛着の情が起ってきたことである。二三ヶ月も過ぎて後、当時のことを考えると、彼の一図な気持ちがはっきり分るような気がした。私は彼のことを悪く思えなかった。それ所か、よく思おうとさえつとめた。そして彼のことを始終なつかしく思い出した。もし彼が今私の前に現われてきたら、私は震え上って逃げ出すだろうということを、はっきり知りながらも、彼に逢いたいような気持ちが、心の底に潜んでいた。つきつめて考えると、深い真暗な井戸の中を覗くような気がしながらも、彼に対するやさしい情が消えなかった。その矛盾が、いつまでも解決のつかない矛盾が、絶えず私を苦しめた。夏の休暇になっても、私の心は少しも晴々としなかった。
 彼の其後の消息は、兄さんの所へも和尚さんの所へも、全く分らなかった。警察の方へ内々頼まれた捜索さえ、何の結果も齎さなかった。それでも私は、あれから後、出来るだけお寺の前を通らないことにしていた。通るのは恐ろしかった。彼をなつかしみながらも、云い知れぬ懸念に脅かされた。
 そして更に、私の前には、約束の時日が鉄の扉のように聳えていたのである。三月の末に私は女学校を卒業した。そして一先ず故郷に身を置くこととなった。出発前に私は兄に連れられて、和尚さんへ暇乞いに行った。
 その時私は初めて、「猥リニ出入ヲ禁ズ」という札の掛ってるお寺の門を、兄さんと一緒にくぐったのである。お寺の庭は思ったより狭かった。中にはいってみると、そう綺麗な閑寂な庭でもなかった。大きな石碑はこのお寺の最初の和尚さんの記念碑であった。その碑につき当って左に折れると、すぐに本堂があった。
 私達は庫裡に案内された。和尚さんはあれ以来、月に一度位は兄と往来していられたので、私はよく知っていたが、その日は何だか妙に距てがあるような気がした。和尚さんは珠数をつまぐりながら、種々な話の間に、こんなことを云われた。
「これから良縁を求めてお嫁入りなさるが宜しいですな。余り一人で居られると、またとんだ者に見込まれますよ、ははは。」
 然し私は否々と心の中で答えた。「今年の暮だ!」そういう思いが私の心を閉していた。それはもはや運命といったような形を取って、私の未来を塞いでいた。私は彼がまた私達の前に現われて来ようとは少しも信じてはいなかった。けれども、「今年の暮」は運命づけられた災厄のように感じられた。
「坊さんに見込まれたとは縁起がいい、お前は長生きするよ。」と兄から揶揄されても、私は黙って唇を噛んだ。
 五月の半ばに私は故郷へ帰った。
 学校から解放せられて自由な天地へ出た歓びと一種の愁い、また父母の膝下に長く甘えられる楽しさ、それらを私も感じないではなかったが、然しともすると、私の心は黒い影に鎖されがちであった。
 とは云え……ああ、タイムの欺瞞者よ! 活花や琴のお稽古に通い、幼い思い出に満ちた故郷に安らかな日を送っていると、私の心も自然と「彼」から遠のいていった。「今年の暮」という脅威をも忘れがちであった。
 十一月になって、私は肺炎に罹った。四十度に近い熱が往来して、三四日は夢現のうちに過した。その夢心地の中で、私は彼の姿をまざまざと見た。いつもの白い着物を着て、ぼんやりつっ立っていた。非常に遠い所のようでもあれば、すぐ眼の前のようでもあった。眼を閉じて、安らかに眠ってるような顔だった。私はそれを幾度も見たように覚えている。けれど或は一度きりだったかも知れない。私は別に驚きもしなかった。前から予期していたことのような気がした。私は、彼が死んだことをはっきり感じたのだ!
 死は凡てを浄めてくれる。私は病床に在って、遠い昔の人をでも思い起すような気持ちで、彼のことを考えていた。そして、「今年の暮」という鉄の扉も、私の前から除かれてしまった。私は安らかな気持ちで、自分の過去のこと未来のことを思った。未来は茫として霞んでいた。
 私の病気は一ヶ月足らずのうちに快癒した。予後の保養のためにぶらぶらしているうちに、十二月半ばのある天気のいい日に、私はお母さんと二人で、自家の菩提寺へお詣りにゆくことになった。故郷へ帰ってから、私はお盆にお詣りする筈だったが、彼の事で気が進まなかったのである。それで、暮のうちに一度詣りしておこうかと、お母さんが云い出されたのをいい機会に、死んだ彼――私はそう信じきっていた――の冥福を祈りたい気もあったので、すぐに行くことにきめた。
 お寺まではそう遠くなかったので、私達は歩いてゆくことにした。うち開けた田圃道を十町ばかり行って、なだらかな丘の裾を少し上ると、其処にお寺があった。野の香りが病後の私には快かった。空は珍らしく綺麗に晴れていた。柔い冬の日脚も楽しかった。
 お寺に着いて、先ず裏の墓所に詣で、次に本堂にお誇りをした。私は彼の をも[#「彼の をも」はママ]しみじみと祈った。
 それから私達は、しいて庫裡の方へ招じられて、お茶菓子などの接待を受けた。和尚さんは私の姿をつくづく眺めながら、私の子供の折のことなどをお母さんと話された。私は黙って傍に坐っていた。
 その時、白い平素着をつけた年若なお坊さんが、私達に挨拶をしに出て来た。私は何気なくその顔を見ると、ぞーっと身体が竦んで[#「竦んで」は底本では「辣んで」]、眼の前が暗くなった。危く叫び声を立てる所だった。彼だ、彼だ! そのお坊さんは彼だったのだ! 私はもう何にも覚えなかった。ただ低くお辞儀を返したことだけを覚えている。お坊さんが向うへはいってしまってから、私はとうとう其処につっ伏してしまった。
 私が漸く我に返ると、お母さんは心配そうに私の顔を覗き込んでいられた。和尚さんも其処に坐っていられた。私はただ急に気分が悪くなったことだけ答えた。
 暫くして心が少し静まると、私のうちには、自暴自棄な勇気がむらむらと湧いてきた。自分の運命と取組んでやれというような気がしてきた。私は俄に身を起して、もうすっかり直ったと云った。そして快活に話しだした。お母さんや和尚さんの驚きなんかには頓着しなかった。自分でも喫驚するほど元気に振舞った。そうしながらも、私は思慮をめぐらして、先刻のお坊さんのことを聞き糺した。すると、……私はほんとにどうかしていたのだ! そのお坊さんは、四五年も前からこのお寺に養子に来てる人で、和尚さんの後を継ぐべき人だったのである。そして非常に立派な人だとか。
 私は茫然としてしまった。けれどもまだすっかりは疑いがとけなかった。先刻の失礼をお詑びしたいと云って、お坊さんをまた呼んで貰った。そして、はいって来たお坊さんの顔を見ると、それは彼とは似寄りの点もない人だった。私は自分が自分でないような心地をしながら、家へ帰った。そして、それが初まりだった、私が彼の幻影にひどく苦しめられたのは!
 その晩、私は妙に息苦しい思いで眼を覚した。室の中に陰気な靄が立ち罩めていた。襖の彼方に、彼が立っていた。私の方をじっと見つめていた。私にはそれがはっきり分った。私は蒲団を頭から被ろうとした。けれども手足が鉄の鎖ででも縛られたように、身動きさえ出来なかった。……やがて彼はすーっと襖を開けて、室の中にはいって来た。そして私の方を鋭い眼で見つめながら、頭をこっくりこっくり動かして、私の寝てるまわりをぐるぐる歩き初めた。私は眼をつぶっても、その姿がはっきり見えた。息がつまってしまった。歯を喰いしばって身を※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)きながら、飛び起きてやった。……それがやはり夢だったのだ。彼の幻は消えて、室の中には五燭の電灯がぼんやりともっていた。私はぶるぶると震え上った。いきなり大きな声を立ててお母さんを呼んだ。お父さんもお母さんと一緒にやっていらした。私は大きな溜息をついて、蒲団の上に倒れてしまった。そういうことが三日置き位には起った。而も昼間になると妙にぼんやりして、凡てを忘れたような放心状態になった。
 やはり私にはそれが運命だったのだ。私はもうどうすることも出来なかった。昼と夜とが別々の世界になってしまった。昼間はまるで白痴のような時間を過した。夜になると一人では寝られなかった。御両親と弟と皆で一つ室に寝て貰った。それでも私は時々、彼の幻を見て飛び起きることがあった。
 御両親の心配はどんなだったろう! 私はただ晩にうなされるとだけで、本当の原因は云い得なかった。うち明けたら猶更御両親の心配は増すだろうと思ったからである。
 私は日に日に痩せ衰えていった。そして東京の兄さんに逢いたくなって、簡単に事情を知らした。兄さんはすぐにやって来られた。それが十二月二十七日だった。私はもう二三日のうちに死ぬものだと覚悟していた。
 兄さんは私から詳しいことを聞いて、非常に驚かれたようだった。けれどもわざと平気を装って、気のせいだと云われた。そして兎も角も、出来るだけ安静にしているように私に命ぜられた。晩には催眠剤を飲ませられた。お医者の診察では、私は極度の神経衰弱で、その上心臓が非常に弱ってるとのことだった。
 死を覚悟していた私は、そのまま年末を通り越して、十九のお正月を迎えた。私はほっと安心した。そのせいか、彼の幻影に悩まされることは少くなった。少しずつ元気になっていった。
 けれども、私の運命は永久に彼から解き放されることは出来ない! そう私は信じた。そして一人諦めていた。
 所が正月の八日に、……ああ私は感謝の言葉を知らない! 兄さんが初めからの詳しいことを、お寺の和尚さんとあの年若いお坊さんとに話して、お坊さんに私を妻としてくれないかと相談せられたそうだ。するとお坊さんは、私を心から愛すると誓って下すったそうだ。それを八日に、私は兄さんから聞かせられた。
 私は泣いた。終日泣いた。後から後から涙が出て来た。なぜ泣くかって兄さんに叱られたけれど、どうして泣かずに居られよう!
 私はすぐ、あのお坊さんに宛てて、今や私の愛する人に宛てて、この手記を書きかけた。けれどももう書けなくなった……。

底本:「豊島与志雄著作集 第一巻(小説1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」未来社
   1967(昭和42)年6月20日第1刷発行
初出:「婦人倶楽部」
   1920(大正9)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2008年9月18日作成
2008年10月20日修正
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