仕事をするつもりで九十九里の海岸に来て、沼や川や磯を毎日飛び廻ってるうちに、頭が潮風にふやけてしまって、仕事はなかなかはかどらず、さりとて東京へ帰る気もしないで、一日一日をぼんやり過してるうちに、もういつしか初秋になっていた。
 潮風に頭のふやけた気持は、丁度軽い熱が発したのに似ている。夏の太陽の直射と温風とに、皮膚が赤黒く焼かれると、そのひりひりした熱っぽい感じが、筋肉の内部にまで浸み透って、身体中が熱いぽってりとした重みで意識される。頭もやはり同じである。何とのう頭脳のしんの方が熱っぽく、重くどんよりと濁り淀んで、一切の冴えと敏活さとを失ってしまう。
 そういうところに、ふいと初秋の気が感じて、私は眼覚めたような心地になった。初めはただ、葦の茂みをさらさらと渡る凉風だったが、それに気付いて見廻すと、空の色、海の色、蝉の声、虫の声、凡てが秋の気を帯びていた。そして、海浜の松林の中に孤立した旅館では、滞在客がいつのまにか帰り去ってしまって、家の人以外には、私一人置き忘られたように、ぽつねんと居残ってるのだった。
 広々とした平地の海浜には、夕方の薄明がない。日のあるうちはぱっと明るいが、その日が見る見るうちに西の地平線へ沈んでしまうと、すぐにとっぷりと暮れている。それと同じに、夏と秋との間の薄明がない、と云えば変だけれど、ぎらぎらした夏から澄みきった秋へと、一飛びに季節が移ってゆく。少くとも私はそう感じて、広いがらんとした室の中に、驚いて眼を見張ったのだった。
 秋の突然の訪れは、人の心をしみじみと落付けさせる。私は初めて夜遅くまで、机に向って仕事をした。それに疲れてくると、何とのう眠るのが惜しまれて、書物を出して読み耽った。いろんな種類の小さな虫が、一枚閉め残した雨戸の口から、電灯の光をしたって飛び込んでくる。それが電灯のまわりから机の上一面に、渦巻き撒き散らされる。不思議なことには、蚊は一匹もいなかった。
 虫が書物の間に挟らないよう、注意しいしい頁をくっていると、ふと、雨滴の音が耳についてきた。遠くごーっと地響きをさせ、近くざーっと捲き返してる、二様の波音の間に交って、そして金属性の虫の声の合間に、ぽたりぽたりと、軒から砂の地面へ落ちる雨滴の音が、はっきりと聞えている。
 私はその音に耳をかしてるうちに、変にいぶかしい気持になって、開いている雨戸の間から覗きに立っていった。空には一面に星が輝いていて、雨の気配は更にない。おかしいな、と思う心が働くと共に、私はもう下駄をつっかけて、縁側から庭に降り立っていた。
 爽かなそして露っぽい夜だった。月のない空には、あらん限りの星がきらきら輝いて、南から北へ走る茫と仄白い銀河を中心に、低く高く懸っている。その一つ一つが、暗い空のなかに、はっきり浮出して冴え返って、見つめていると気が遠くなるほど、無限の距離に散らばっている。そしてその光に乗って、殆んど感じ知られない何かが、銀線の震えのようなものが、一面に地上へ降り濺いでいる。気がついてみると、地上にはしっとりと露がおりて、芝草の葉は重く垂れ、砂は深く湿っている。軒から落ちる雨滴と聞いたのは、屋根にたまって滴る露の雫だった。
 再び室の中にはいっても、私は書物を伏せたままにして、軒端の露の雫に耳を傾けていた。ぽたり……ぽたり……と、丁度糠雨の降る時のような雫の音で、それが大きな波音の間々に、しめやかな釘を打込んでいく。私はいつまでもぼんやりして、虫の声と雫の音とに、無心に聞き入りながら、煙草ばかり吹かしていた。どうしたことか、いつもは無雑作に投げすてる煙草の吸殻を、円い瀬戸の火鉢の縁に沿って、丹念に頭を揃えてつきさしてるのだった。
 何時頃だったろう。時計は止ってしまっていた。遠くで鶏の声がして、冷々とした風が吹き込んできた。私は毛布を引寄せて、それをきて机の前に寝そべって、暫の間うとうととした。それからふと眼をさまして、冷気にぞっとしながら、夢現ゆめうつつのうちに布団の中にはいった。
 翌朝眼を開いた時、室の中には電灯がともっていたが、その光に交って、隅々まで茫とした妙な明るみがあった。半身を起して眺めると、閉め忘れた雨戸の間から、白々とした夜明の微光が見えた。
 めしいたようなおかしな夜明だと思ったが、縁側から眺めると、それは深い霧のためだった。南寄り東に海を受けた、その海の面に濛々とした霧が低く立ち罩めて、水平線を離れたらしい太陽の光が、それに漉されて茫と白んで、宛も磨硝子を透かして見るような明るみとなっていた。そして不思議な景色を展開してみせた。
 先ず、海の方一面に、低く霧が屯している。それから右手の方、川の流に従って、川口から川上へと、霧の枝が伸び出し、松林の据を廻って見えなくなり、更に左手へは、川口から入江の沼の上を、くっきりと蔽うている。宛も水のあるところにだけ凝り集って、水へもぐろうと低く低く渦巻いてるようである。それらの霧と、青い空と、黒々とした松林との間は、凡て茫とした仄白い明るみで、そよとの風の流れもない。そして一面に露の玉が、真珠の色をなして結ばれている。殊に庭の小松の上には、枝という枝にみな、露の玉をつらねた蜘蛛の巣が、きらびやかに懸っている。
 私は驚いてその蜘蛛の巣を眺めた。今迄気付かなかったのが不思議なくらい、松一杯に蛛蜘の巣だった。庭の松ばかりでなく、傍の小松の原もみなそうだった。蜘蛛の姿は見えないが、経二尺くらいのから掌の大きさほどのまで、大小さまざまの網目が、綺麗に露をつらねて重くたるんでいる。
 太陽はなかなか昇りそうにない。霧は動かない。蜘蛛の巣も動かない。私もじっと佇んでいた。そこへ旅館のお上さんが来て、雨戸をすっかり繰ってくれた。室の掃除の間に顔を洗うと、間もなく朝食の膳が運ばれる。
 食後の身体を縁側に置いていると、近くの漁夫、六弥という六十の上になる老人が、半白の眉を笑み動かして、跛を[#「跛を」は底本では「跋を」]ひきひき、一升壜を下げてやって来た。
「今日はひとつ、伝馬船で投網とあみに案内すべえと思ってるが、旦那……。」
 声と一緒に酒の匂いがぷーんとする。
「朝っぱらから、いい景気だね。」
「なあに、そうでもねえですよ、あはははは。」
 日に一升の酒がなければ一日が過せないという老人である。以前は網元をして田地も可なりあったが、みな飲んでしまったそうである。それでも、しっかり者の上さんと息子とがついてるので、日に一升の酒を欠かしたことがなく、その上、そこいらの百姓と違って、毎日米の飯に、どんな不漁でも肴を食う、というのが自慢だった。そして朝っぱらから、一升壜を下げて旅館の酒を買いに来るのである。
「どうだろう、海の模様は。いやに霧が深いようだが……。」
「その霧が問題だよ。こう、ずーっと海面うみずらを這えば雨、空せえ上れば天気と、そう、まあきまったもんだが、なあに、今日は大丈夫、今に見ていてごらんなせえ、霧が上へ上へとあがって、鳥の飛んでるのが見えてくるから……。浜に鳥が群れていれば、沖へさかながついていると、そういうわけだよ。」
 そして彼は、これから大漁が続くと予言しながら、漁の少い夏場だけやって来る旅客をけなし、遅くまで居残ってる私をほめ、第一これからは、川に群れてるいなにも脂がのってくる、鯔の食える季節は、山に初茸の出る時期の間だけだと、そんなことを話してきかした。かと思うと、今にひどい暴風雨が襲ってくると、波が砂浜を越して川や沼まで一面の海となり、旅館の庭先まで波頭が届くから、それを見なければ、この外海の様子は本当に分るものではないと、そんなことも話してきかした。それから、善良な笑いで長い眉毛をびくつかせながら、旅館の勝手元の方へ立去っていった。
 彼の話の間は気付かなかったが、一人になって眺めてみると、霧は果して一面に濛と湧き返って、それが次第に空へ昇っている。そして鋭い朝日の光が、いつしか横ざまに直射して、蜘蛛の巣の露は消え、その下の叢から虫の声が断続し、裏の松林の中には、晴れやかな小鳥の声が響いていた。
 霧は間もなく空中に消え去って、沼の彼方の砂浜には、海鳥の群が舞い飛んでいた。六弥が云った通りに、今日もやはり大漁らしい。方々で、地引網の曳子を呼び集める喇叭が鳴っている。
 青々とした空と海、澄みきった日の光、その間を爽かな凉風が、葦の穂先を撫でながら、遠い沖から裏の松林の懐へ、軽快に吹き込んでゆく。単衣一枚に肌寒い思いをしながら、私はいつまでもぼんやりしていた。六弥が云ったように、暴風雨が襲来して庭先まで波頭が来る日まで、ここに滞在していようかなどと、頭の遠い奥で考えながら、また、そういう時にでもならなければ、大儀な身体を動かせそうにもないと、胸の遠い奥で感じながら、人気のない旅館の縁側で、半身を初秋の日に曝していた。

底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年5月1日作成
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