一

 むかし、近江おうみ[#ルビの「おうみ」は底本では「おおみ」]の国、琵琶湖びわこの西のほとりの堅田かただに、ものもちの家がありまして、そこに、ふたりの兄弟がいました。兄はたいへん顔が長いので、堅田の顔長かおなが長彦ながひこといわれていましたし、弟はたいへん顔が丸いので、堅田の顔丸かおまる丸彦まるひこといわれていました。
 顔長の長彦は、体がやせて細く、少しも力がありませんでしたが、たいそう知恵がありました。そして、京の都からやって来て、そこに隠れ住んでいる、年とったえらい先生について、いろいろなことを学んでいました。
 顔丸の丸彦は、知恵はあまりありませんでしたが、体がまるまるとふとって、たいそう力があり、むじゃきな乱暴らんぼう者で、野原や山を駆け廻ったり、剣や弓のけいこをしたりしていました。
 このふたりの兄弟は、いたって仲がよく、互いにうやまいあっていました。
 ある年の夏、ひどいひでりがして、琵琶湖の水が一メートル半程もへりました。そのひでりのため、米やいもがほとんどとれませんでしたから、そのあたりの人々は、たいへん困りました。食ものにもだんだん不自由するようになりました。
 堅田かただの顔長の長彦は、一日一晩、考えつづけました。そしてそのあたりのおもだった人たちに相談しました。
「米やいもは、一年に一度きりできません。このままでは、貧しい人達は、ほんとに食べものがなくなるでしょう。聞くところでは、この湖水こすいのずっと北の方、海に近いあたりは、米や芋がたくさんできたそうです。だから、みんなで金を出しあって、買って来ようではありませんか」
 それはよい考えだと、みんな賛成しました。そしてお金を出しあったので、たくさん集まりました。
 ところが、遠い北の国まで、米や芋を買いにいくのは、たやすいことではありません。まだぶっそうな世の中で、途中でどんな悪者にあうかわかりません。これはぜひとも、力のつよい顔丸の丸彦に、行ってもらおうということになりました。
 そこで、顔丸の丸彦は、湖水の岸に多くの船をしたて、おおぜいの水夫たちをひきつれ、刀をさし、鉄づくりのむちをにぎりしめた、いさましい姿で、まっ先の船にのりこみ、追い風をまって出発しました。
 この一隊は、琵琶湖びわこをつききり、竹生島ちくぶじまからずっと先の方の岸に船をつけ、それから北の国へ行って、米や芋をたくさん買いいれ、人夫をやとって、それを船にいっぱい積みこみました。悪者にもであわず、なにもかもうまくいきましたので、みんなは喜びいさんで、帰りをいそぎました。
 すると、思いがけなく、湖水の上で暴風雨あらしにであいました。見る間に空はまっ黒な雲におおわれ、大粒の雨が降りだし、はげしい風が吹いてきて、湖水には大波が立ちました。顔丸の丸彦は水夫たちをさしずして、多くの船がはなればなれにならぬよう、ふとい綱でつなぎあわせ、岸の方へ進ませようとしましたが、あたりは夜のように暗く、ただ風と波にながされるばかりでした。そのうちに、岩ばかりのみさきに吹きつけられ、船は二つにわれたり、ひっくりかえったりして、沈んでしまいました。みんなは船をすてて、岬に泳ぎつきましたが、けがした者も多くありました。
 顔丸の丸彦は、さすがに、刀と鉄のむちとを手からはなさず、水夫たちをよび集め、がたがたふるえてるのをはげましました。そして道をたずねあて、湖水こすいのふちにそって、夜も昼も歩きとおして、家へ帰りつきました。
 そして丸彦は、兄に今までの出来事をくわしく話してから、いいました。
「申しわけのために、私は死んでおわびをします、あとのことは、よろしくお願いします」
 顔長の長彦は、だまって聞いていましたが、しずかに答えました。
「生きるも死ぬるも、まあ私にまかせておきなさい。そしてまず、水夫たちにてあてをしてやって、待たせておきなさい」
 それから顔長の長彦は、二日二晩考えつづけました。そして弟にいいました。
「こんどのことは、もうどうにもしかたがない。けれど、私たちには責任があるし、死んだからとて、その責任をはたせるわけのものではない。このうえは私たちだけで、できるだけのことをしてみよう。元気を出しなさい」
 そこで、長彦と丸彦はいろいろ相談して、失敗のとりかえしをすることになりました。
 まず大津おおつの町までいって、できるだけたくさんお金を借りあつめ、あちこちで船をやといました。それから水夫たちをあつめ、丸彦が隊長となって、また北の国へ、米やいもを買いにいきました。そしてこんどは丸彦も、用心に用心をかさねましたので、ぶじに荷物を運んで来ました。
 そうした旅を三度くりかえしました。そして米やいもが、山のようにたくさん集まりました。
 それを見て、心配していた人たちは、ようやく安心して、喜びあいました。

      二

 みんなが喜んでるうちに、ひとり、堅田かただの顔長の長彦は、だんだん考えこんできました。しだいにお金に困ってきたのです。
 大津の町で借りあつめたお金は、はじめ相談した人たちが出しあったお金よりも多かったほどですが、湖水こすいに沈んだいくつもの船の持ち主に、その船の代をはらったり、それから三度も、米や芋の買い入れのために、たいへんなお金を使ったので、すぐに足りなくなりました。おもだった人たちのうちには、きのどくがって、お金をいくらかでも出そうという者もありましたが、多くは、はじめの失敗にこりて、だまっていました。
 そこで、顔長の長彦は、三日三晩、考えつづけて、弟にいいました。
「たくさんの貧しい人たちのためになることだから、私は決心をした。大津の町のお金持で、この屋敷やしきを売ってくれるなら、お金はいくらでも出そうという人がある。それも、こちらでお金ができたら、いつでもまた買いもどしてよいという約束だ。だから、一時、この屋敷をお金にかえたいと思うが、どうだろうか」
 顔丸の丸彦は、野原や山をとびまわることがすきで、家や屋敷やしきなどはなんとも思っていませんでしたから、すぐに答えました。
「そうです。お金にかえておしまいなさい。またあとで、買いもどせばよろしいでしょう」
 それで、すぐに話はきまりましたが、ただ[#「ましたが、ただ」は底本では「ましたが。ただ」]一つ、困ったことがありました。
 その屋敷の庭のかたすみに、大きなうめの木が一本ありました。その梅の木について、ふたりのお母さんが、亡くなる時、ふたりをまくらもとに呼んで、くれぐれもいい残したことがありました。
「あの梅の木は、とてもたいせつな木です。それですから、もしもよそへひき移るようなことがありましたら、あの木だけはかならず、ほかの人にたのまず、あなたたちふたりで、よく掘りおこして、枯れないようにして、持って行かなければいけません。これは、なくなったお父さんと私とふたりで、あなたたちに、くれぐれもいい残すことですから、忘れないようになさい」
 その梅の木が、ちょうどいま、花を咲かせておりました。それを掘りおこして、あらたな小さい家の庭へもっていくのは、なんだかかわいそうでたまりませんでした。しかし、両親からいい残されたことですから、守らねばなりませんでした。
「だいじょうぶです。私が掘りおこしてみましょう」
 顔丸の丸彦は、すぐに庭へおりていって、その強い力で、梅の木の根のまわりを、深く掘りはじめました。
 梅の花がはらはらとちりました。顔長の長彦は、その花をじっと眺めていました。
 がちりと、何かくわの先にあたったものがありました。それからまた、がちりがちりと、鍬は少しもとおりません。丸彦はそのへんを掘りひろげました。よく見ると、そこには大きな石のふたがありました。やっとのことで、その石のふたをとりのけますと、下は石の箱になっていまして、その中にまた、大きな木の箱がありました。箱のふたをあけると、丸彦はびっくりして声をたてました。長彦も息をのみました。
 大きな箱の中には、金銀や宝ものがいっぱいつまっていたのです。
 うめの木のわけが、ようやくふたりにもわかりました。両親は家のためを思って、万一の時の用意に、そこにたくさんの財産を埋めておいてくれたのです。
 それで、ふたりは助かりました。屋敷やしきも売らないですみました。借りたお金もはらうことができました。兄弟のせわになった人たちも、みな助かりました。米やいもがたくさんとどいていますし、それを、貧しい人たちは、ただでわけてもらうようになりました。そして、ひでりのあとの翌年まで、皆は食物に不自由なくすごせました。
 こうして、堅田かただの顔長の長彦と顔丸の丸彦とは、みんなから神さまのようにあがめられました。人々はいろいろ相談して、顔長の長彦には、支那しなからきたというみごとな紫檀したんの机を、顔丸の丸彦には、琉球りゅうきゅうからきたという大きな法螺ほらの貝を、記念の贈りものにしました。どちらも、そのころでは珍らしい品物でした。
 顔丸の丸彦は、法螺の貝をたいへんうれしがって、野原や山を吹きならして歩きました。顔長の長彦は、紫檀の机に寄りかかって、庭の梅の木を見ながら、なにかしきりに考えていました。

      三

 堅田の顔長の長彦が、庭の梅の木をながめながら考えましたのは、亡くなった両親のありがたい心のことでした。両親があとあとのことにまで気をつけて、梅の木の根もとにたくさんの財産を残しておいてくれましたので、じぶんたちも助かり、近所の人たちも助かったのです。
 そのありがたい心を、なんとか記念にしておきたいものと、顔長の長彦は、四日四晩、あれこれと考えました。そして、よいことを考えつきました。
 京の都の、名高いり物師にたのんで、観音様かんのんさまの像をほってもらいました。それができあがってきますと、庭の梅の木のそばに、小さいお堂をこしらえて、そこに観音様の像をまつりました。そのようにして、両親のありがたい心の記念としたのです。
 そのことが、すぐにあちこちへ知れわたりました。ありがたい心がこもっている観音様というので、おまいりに来る人がありました。近くの人たちばかりでなく、遠くの人たちまで、聞きつたえてやって来ました。
 するうちに、ふしぎなことがおこりました。ある夜、その観音様がなくなってしまったのです。
 だれか、悪者が、盗んでいったのでしょうか。
 顔長の長彦と顔丸の丸彦は、方々さがしまわり、たずねまわりましたが、観音様の行方ゆくえは、さっぱりわかりませんでした。
 ところが、またふしぎなことには、その観音様かんのんさまが、七日たつと、もとのとおり、お堂の中にもどっていました。
 それとともに、ふしぎなうわさが、ぱっとひろまってきました。――堅田かただの観音様は、七日のあいだに、あちこち歩いてこられたそうだ。京の清水きよみずの観音様や、大和やまと長谷はせの観音様など、なかまの名高い仏様にも会ってこられたそうだし、そのほか、あちこち、まわってこられたそうだ。その証拠には、足に、まだ泥がいっぱいついている。あれはありがたい観音様だ。生きた観音様だ。
 そういううわさといっしょに、おおぜいの人たちが、おまいりにおしかけて来ました。
 顔長の長彦と顔丸の丸彦は、お詣りに来た人たちから、そのうわさをきいて、びっくりしました。そしてともかくも、観音様の足をしらべてみますと、足のうらには、泥がいっぱいついていました。
 その足の泥を、じっさいに見た人もたくさんありますので、うわさは確かなこととなって、ますますひろまるばかりでした。そしてお詣りに来る人も、ますます多くなりました。
 顔長の長彦は、腕をくんで考えこみました。木でできている観音様の像が、七日のあいだ、あちこちまわり歩かれたということは、どうもほんとうとは思われませんでした。これはきっと、悪者どもが、なにかたくらんで、観音様を七日のあいだ盗み出し、足に泥をぬってもとにもどし、そしてふしぎなうわさをいいふらしたにちがいありません。
「用心しなければいけないよ」と長彦はいいました。
「悪者がいるとすれば、私がひとつとらえてみせます」と丸彦は答えました。
 けれども、その悪者はなかなかわかりませんでしたし、お詣りに来る人はふえるばかりでした。
 ありがたい観音様かんのんさまだ、生きた観音様だ、といっておまいりに来る人たちは、それぞれおさいせんをあげていきました。いくらことわっても、なげ出していきました。
 そのおさいせんが、だんだんたまってきました。大きな木の箱にいっぱいになりました。それは、観音様の前にそなえておいて、また新たにおさいせん箱をこしらえねばなりませんでした。
 するうちに、またふしぎなうわさがつたわってきました。――竪田かただの観音様は、こんどまた、旅にいかれるそうだ。そしてこんどは、少し長い旅らしいから、おるすにならない前に、早くお詣りをしておくがよかろう。
 そのうわさといっしょに、また、近くや遠くからお詣いりに来る人がふえました。
「いよいよ用心しなければいけないよ」と、長彦はいいました。
「ええ、充分に気をつけます」と、丸彦は答えました。

      四

 さて、堅田の顔丸の丸彦は、こしに刀をさし、片手に、鉄づくりのむちをたずさえ、片手には、たのしい法螺ほらの貝をもって、毎日、出あるきました。そして、あやしい者でもうろついてはいないかと、しらべてあるきました。
 しかし、悪者の手がかりさえ得られませんでしたし、第一、観音様についてのふしぎなうわさも、どこから出たものやらさっぱりわかりませんでした。
 ところが、ある日のことです。山奥の方をしらべあるいて、そして夕方になってから帰りますと、山のすそのさびしい野原に、馬をつれた男が、ひとりで酒をのんでいました。
 その男は、背中にけものの毛皮をつけ、足にわらじをはき、こしに大きな山刀さんとうをさして、猟師りょうしのようにも見えましたが、なんだか、ひとくせありげなようすでした。
 それが、草の上にあぐらをかいて、徳利とくりと茶碗を前において、酒をのんでいるのです。
 なおあやしいのは、そのわきに、馬が一頭、木につないでありました。そのへんに見なれない大きな馬で、栗色の毛なみはつやつやとして、ひたいのまん中に白いところがあり、四つ足とも、ひずめの上の方だけが白毛で、じつに珍らしいりっぱな馬です。
 顔丸の丸彦は、その男のそばに立ちどまって、じっと男を見つめました。もしやこの男が、へんなうわさをいいふらしてあるく悪者ではないかと、そんな気がしてなりませんでした。
 男はじろりと丸彦を見あげましたが、だまって酒をのみました。
 丸彦はそこにかがんで、だまったまま[#「だまったまま」は底本では「だまってまま」]、男の茶碗をとって、徳利から酒をついで、ぐっと一口にのみほしました。そして男をじっと見ました。
 こんどは男が、茶碗に酒をついで、一口にのみほして、そしてじろりと丸彦を見ました。
 丸彦はまた、茶碗をとって、酒をついで、一口にのみほして、そして男をじっと見ました。
 男もまた、茶碗に酒をついで、一口にのみほして、丸彦をじろりと見ました。
 ふたりとも、ひとことも口をききませんでした。
 やがて、丸彦は立ちあがって、馬のそばにいき、そのみごとな姿をじろじろながめました。
 男はあぐらをかいたまま、だまって丸彦の方を見ていました。
 その時、丸彦はとつぜん、右手の大きな法螺ほらの貝を、馬の耳もとにくつつけて、息いっぱいに、ぶうぶうと吹きならしました。
 馬はおどろいてとびあがり、男はおこって、山刀さんとうをぬいてとびかかってきました。
 丸彦は一足よけて、鉄づくりのむちを左手にふりかざし、男のほうをあしらいながら、右手の法螺の貝をなお吹きならしました。馬はますますおどろき、たけりくるって、綱をひききったはずみに、いっさんにかけ出しました。それを見ると、男はびっくりして、丸彦の方をすてて、馬のあとを追って走りだしました。
 丸彦は、はははと笑いました。けれどやがて、笑いやめて、法螺の貝でひたいをこつんと叩きました。
「しまった。あの男はあやしいやつだ。あれをつかまえるのだった」
 しかしもう、馬も男も、どこかへいってしまって、姿は見えませんでした。
 丸彦は、そそっかしいことをしたとくやみながら、家の方へかえっていきました。
 野原をよこぎり、小さな丘をこえて、川づたいに帰っていきますと、その川の岸の柳のこかげに、なにか大きなものがつっ立っていました。もう、うす暗くなっていましたが、よく見ると、それが、さっきの馬だったのです。道に迷って、川岸にぼんやり立ちどまっているのです。
 男の姿はどこにも見えませんでした。
「せめて、馬でもつかまえてやろう」
 丸彦はそういって、しずかに歩みよって、まんまと馬をつかまえました。
 つかまえてみると、なおさらりっぱな馬でした。これほどの馬は、どこをさがしても見つかりそうもありませんでした。
 丸彦はすっかりうれしくなりました。その馬にのり、法螺貝ほらがいをこわきにかかえて、家へ帰りました。
 そして丸彦は、長彦にあって、馬をいけどりにしてきたわけを話し、馬のじまんをしました。
 長彦はいいました。
「なるほど、これはりっぱな馬だ。しかし、この馬をつかまえてきたことが、よいことになるか、悪いことになるか、いっそう用心しなければなるまい」
「私がひきうけます」と、丸彦はいいました。
 丸彦はただ、馬のことがうれしくてたまりませんでした。そして、観音様かんのんさまのお堂のそばに、りっぱな馬ごやをつくりました。

      五

 それから、しばらくたちますと、なんとなく、あやしいことが目につくようになりました。
 観音様におまいりにくる人たちの中にまじって、目つきの鋭い、へんな男が、こっそりようすをうかがってるようでもありました。夜なかに、観音様のお堂のあたりで、物の音がすることもありましたし、馬がにわかに動きまわることもありました。庭のあちこちに怪しい足跡がついていることもありました。
 そして、ある夜、おそく、馬ごやの中で、馬がひどくあばれだしたようで、それからまた静かになりましたが、かねて気をつけていた顔丸の丸彦は、そっとおきあがって見まわりにいきました。
 月が出ているはずでしたが、きりのふかい夜で、うす暗くぼうっとしていました。すかしてみると、馬ごやの前に、黒いみなりの男が立っていて、馬ごやの中をのぞいていました。
 丸彦はかけよるが早いか、男の頭を、鉄づくりのむちでぴしりと打ちつけ、男がちょっとよろめいて立ちなおるところを、こんどは、そのわき腹を足でけりあげました。男は気絶してばったり倒れました。
 けれど、丸彦はもうその男にかまっておれませんでした。そのすぐむこうに観音様かんのんさまのお堂の前に、もひとり、大きな男がつっ立っているのです。
 やはり黒いみなりで、ひげをぼうぼうとはやした大男でした。恐れるようすもなく、丸彦の方をじっとにらみつけていました。
 丸彦も大男をじっとにらみつけました。
 大男は一足すすんで言いました。
「おまえは堅田かただの顔丸の丸彦か」
「そうだ。おまえはなにものだ」と、丸彦はいいました。
「おれは、鞍馬くらま夜叉王やしゃおうだ」
 そして、ふたりはしばらくにらみあっていましたが、夜叉王は、地面に倒れている男をさしていいました。
「その男をもらっていくから、こちらにわたせ」
「わたさないぞ。ほしかったら、腕ずくでとってみろ」
 そういって、丸彦はむちを捨て、両手を広げてつっ立ちました。夜叉王やしゃおうも、こしの大きな刀をそこにおき、両手をひろげてつっ立ちました。
 二人は、やっと組みついて、互いにあいてをねじ伏せようとしました。
 丸彦はおどろきました。夜叉王の強いことといったら、まるで地面からはえぬいた岩のようで、押しても引いても手ごたえがありません。うんうんもみあっているうちに、丸彦は下におさえつけられました。
 ところが、夜叉王はそれから丸彦ののどを[#「丸彦ののどを」は底本では「丸彦のどを」]しめつけようとしましたので、丸彦はそのすきをねらって、はねかえし、夜叉王の足をすくって、うまく夜叉王をおさえつけました。
 丸彦はけんめいに夜叉王を押さえつけながら、頬をふくらまして、息のかぎり、法螺ほらの貝の音のまねを口で吹きならしました。
 先ほどからの騒ぎと、今また、法螺の貝のまねの音を、聞きつけて、下男たちが出て来ました。
 顔長の長彦も出て来ました。そしてとうとう、おおぜいで、夜叉王をしばりあげてしまいました。
 気を失って倒れている男も、息をふきかえさしてしばりあげました。この男こそ、先日、野原で馬をつれて酒をのんでいたやつでした。
 さて、こうなってみると、夜叉王も、さすがに覚悟がよく、すらすらと白状しました。――鞍馬くらまの夜叉王は、鞍馬山のおくにいるぞくのかしらでした。堅田かただ観音様かんのんさまの像のことをきいて、悪いことをたくらみました。それは、観音様を盗み出し、足に泥をぬってもとにもどし、そして手下共にいいつけて、いろいろなことをいいふらし、たくさんおさいせんが集まったところを、盗んでしまおうと考えたのでした。
 ところが、夜叉王やしゃおうは、ゆっくりしておられないことになりました。京の都の大臣の所から盗んできた馬を、顔丸の丸彦にうばいとられてしまいましたし、その馬のことをよく知っているさかうえ朝臣あそんが、堅田かただにやって来られるそうでした。坂の上の朝臣は、もうすぐ来られるはずでしたから、どうあっても、その夜のうちに、馬を取り返し、おさいせんも盗んでしまうつもりで、だいたんにも手下とふたりきりで、忍びこんで来たのです。
「ひどいやつだ。うち殺してしまいましょう」と顔丸の丸彦はいいました。
「いや、まちなさい 私に[#「まちなさい 私に」はママ]考えがあるから……」と顔長の長彦はいいました。
 そして、鞍馬くらまの夜叉王とその手下は、堅田の兄弟の所につなぎとめられました。

      六

 坂の上の朝臣は、はたして、堅田にやって来られました。堅田の顔長の長彦とは前からのしりあいでした。
 朝臣は、堅田の観音様かんのんさまのふしぎなうわさをきかれて、顔長の長彦を疑われたわけではありませんが、いろいろあやしいことのある世の中でしたから、じっさいのようすを見とどけに来られたのでした。そしておどろかれたことには、京の大臣の所で悪者に盗まれたあのりっぱな馬が、とりおさえられていましたし、うわさのたかい鞍馬の夜叉王がつかまえられていました。
 それについて、顔長の長彦の話を聞かれて、さかうえ朝臣あそんが満足されたことは、申すまでもありません。そしてこれから先のことについても、ことごとく、長彦の考えに賛成されました。
 あの観音かんのん様の像は、またどういうことで、悪者どものために、よくないことに使われるかわからないから、琵琶湖びわこに捧げて沈めることにしよう、というのです。観音様のうちにも、魚籃観音ぎょらんかんのんというのがあって、水に関係のふかいかたがあるし、また、水天すいてんという水の中の神さまもあることだし、あの観音様に琵琶湖のまもり主となっていただこう、というのです。
 さて、その日になりますと、ありがたい観音様が、琵琶湖の護り主となって、水にはいられるというので、おおぜいの人たちが湖水こすいのふちに集まりました。そこの岸には、紫色のはっぴをきた水夫たちが、洗いきよめた船を用意していました。その船の方へ観音様はすすんでいかれました。
 まっ先に、三井寺みいでらから迎えられたお坊さんが行き、次に、観音様をせおっている鞍馬くらま夜叉王やしゃおうがつづき、堅田かただの顔丸の丸彦がうしろから見はりをし、そのあとに、堅田の顔長の長彦と、坂の上の朝臣がならび、さいごに、めしつかいの男や女がしたがいました。
 人々はどよめきました。
 お婆さんが、地べたにかがんで、観音様をふしおがみました。船頭のおやかたがひざまずいて、観音様にそっと手をふれてお祈りをしました。それから、多くの人たちが、観音様をそっとなでて、それぞれになにか祈りました。
 するうちに、観音さまをせおっている夜叉王が、しだいに苦しそうな息づかいをし、汗をながしました。観音様がだんだん重くなっていくようでした。
 夜叉主やしゃおうとしては、こんなにみんなからうやまいあがめられている観音様かんのんさまを、わるだくみのたねに使ったことが、とてもくやまれてならないからでした。
 そして船の近くまで来ると、夜叉王は心の苦しみにたまりかねて、ばったり倒れました。その時、ひたいをうって、傷をうけ、黒い血がだらだら流れました。
 夜叉王はまた起きあがりました。額からはもう、赤い血が出ていました。そして、泣きながら顔長の長彦に頼みました。
「私も、観音様といっしょに、水にはいらせてください。観音様のおともをして、いつまでも、この湖水こすいまもりとうございます」
 それは、真心のこもった言葉でした。長彦はじっと夜叉王のようすを見、深くうなずいていいました。
「今日は、そういうわけにはいかないが、お前のことは、私が考えておいてあげよう。私にまかせておくがよい」
 そうして、一同はめしつかいたちを残して、船にのりこみました。
 船は沖へこぎだしました。沖の深い所までいくと、そこで、観音様はしずかに水へはいられました。

 さかの上の朝臣あそんのはからいで、鞍馬くらまの夜叉王のことは、すっかり顔長の長彦にまかせられ、京の大臣の馬は、顔丸の丸彦がもらいうけました。
 鞍馬の夜叉王は、もうまったく、よい心にたちかえっていました。そして、丸彦にとらえられている手下の心も改めさせ、つづいて、鞍馬山のおくに残っていた手下どもも、心を改めさせました。
 顔長の長彦は、夜叉王やしゃおうがためていたお金を、貧しい人たちにくばってやりました。
 それから、観音様かんのんさまに集まっているおさいせんをもとにし、じぶんもお金を出し、ほかからもお金をきふしてもらって、夜叉王のために大きな船をこしらえてやり、その船で、琵琶湖びわこじゅうをあちこち、客をはこんだり荷物をはこんだりさせました。
 そのために、琵琶湖は大変便利になりました。そして、どんな暴風雨あらしの時にも、夜叉王の船はびくともしませんでしたし、また、あの観音様が水にはいられた所には、波が少しも立たなかったということであります。

底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
   1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
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