――癖というのか、習慣というのか、へんなことが知らず識らずに身についてくる。吉岡にもそれがあった。十一月十五日、七・五・三の祝い日に、彼は炬燵開きをするのだった。炬燵開きといっても、大したことではない。独身の貧しい彼のことだ。押入の片隅から、古ぼけた炬燵と薄い掛布団とを取り出し、ぱっぱっと埃を払い、炭火を入れれば、それでよい。日当りのよい六畳の室だから、暖い日が続けば、炬燵は隅っこに押しやっておく。だが、最初の日だけは、炬燵の温度をしばらく楽しむのである。今年も、七・五・三の祝い日、彼は会社への出勤を休んで、炬燵開きをし、薄曇りの空を硝子戸ごしに眺めながら、とりとめもない夢想に耽った。五合の酒に、スルメとピーナツ、それだけで結構、午後の半日が楽しめるのである。火鉢に、酒の燗をする湯までわかしているので、室の中は暖い。だが、戸外の空気は冷たかった。その冷たい空気のなかを、信子が、七つになる娘の喜久子を連れて歩いている……。
 信子も喜久子も、ふだん着のままだ。
 信子は片手に、藁であんだ買物袋をさげ、片手で、娘の手を引いている。娘の手が如何にも貴いものであるかのように、心からの温かみをこめて、しっとりと担っている。娘の方も、母の手に心から縋っている。買物袋の中には、鶏肉が百匁、竹の皮と新聞紙と二重に包んで、ぽっちりとはいっている。
 一方はまだ戦災の焼跡のままになってる四辻まで来ると、信子は娘をかえり見る。
「ちょっと、お詣りして来ましょうね。」
「どこ?」
「今日ね、七・五・三のお祝いの日ですよ。あなたも七つだから、氏神さまに、お詣りしましょう。」
「ああ、七・五・三て、聞いたわ。きれいな着物をきて、神さまに、お詣りするんでしょう。」
「そうよ。でも、買物の帰りですから、この儘でいいのよ。」
 二人は神社の方へ曲って行く。
 ――吉岡はかじっていたスルメを捨てて、酒をぐいぐい飲んだ……。信子よ、幼い者に向って、なぜ嘘をつくのか。七・五・三の晴着がなければ、ないでいいじゃないか。ないのをむしろ誇りとしたらどうか。初めからお詣りをするつもりでいたくせに、わざわざ買物袋などをさげ、買物の帰りだからふだん着のままでよいなどと、なぜごまかすのか。幼い者にはありの儘を言って聞かせなさい。そうだ、あの衣裳屋の店先に立っていたことも、すっかり言って聞かせなさい。
 信子は店先に暫く佇んで、それから中へはいって行く。
 出来合いの女服と子供服が両側にずらりと掛けてある。その子供服の方へ信子は行って、縞模様を晩め、定価を見調べ、思案してはまた眺め、次第に奥へはいってゆく。突き当りの卓上には、反物が積み上げてある。そこから、一人の店員が出て来る。
「お子様のものでございますか。新柄がたくさん取揃えてありますが、お幾つぐらいでございましょう。」
 信子は眼を大きくし、口を少し開いて、言葉もなく立ちつくす。どうしてこんな奥まではいり込んだのか、自分でもびっくりしてるようだ。
「今日は、ちょっと見ただけで、またにしますわ。」
 呟くように言い、くるりと向き直って、店を出る。そして逃げるように、足早に立ち去って行く。
 ――吉岡はやけにピーナツを指先でおし潰し、そして酒を飲んだ……。信子よ、娘の衣裳を買ってやりたいというその気持ちは分るが、買う金もないのに、どうしてあのような店にふらふらとはいって行ったのか。なぜ抵抗しなかったのか。抵抗することによってこそ、人間は強くなる。娘の七つのお詣りをするのは、一向構わないが、そうだ、その通り、ふだん着のままで堂々とお詣りをなさい。
 綺羅をかざったお詣りは、午前中に多いが、午後もなお絶えない。三つの男女、五つの男、七つの女、それらの幼い者たちが、和洋とりどりの衣裳を着飾っているばかりでなく、附き添ってる親たちまで、今日を晴れと装いをこらしている。その往き来で、神社の中はぱっと花が咲いたように見え、なお、飴や玩具類の屋台店が立ち並び、風もないのに風車はくるくる廻り、風船玉はふわりと宙に浮び、あたりに香りが漂っている。信子は買物袋をさげ、喜久子の手を引き、人込みの鋪石道をさけて、屋台店の後ろを通り、唐門をくぐって行く。
 そこで、はたと当惑する。
 拝殿の前には、太い綱が二本張られていて、その両方に狭い通路が設けられており、左手の通路内の卓子に、一人の神官が帳簿を前にして控えている。参詣の子供たちの氏名を書き留めるのであろう。拝殿の前面には、美装の人々が立ち並び、衣冠束帯の神官から清め祓いを受け、白紙に包んだ御供物を貰い、そして右手の通路から退出して来るのである。
 それらのことを、信子と喜久子は黙って眺める。綱のこちらには、他にも数人の見物人がいる。みなふだん着の人たちばかりだ。
 信子は娘に言う。
「ここから、拝んでいきましょう。そして、着換えをして、また参りましょうね。」
 見物人の横手に交って、二人は掌を合せて拝み、それから信子は娘の手を引っ張るようにして、足早に立ち去ってゆく。
 ――吉岡は酒を立てつづけに飲んだ……。信子よ、なぜまた嘘を言うのか。娘の七つのお詣りは、それで立派にすんだし、あなたもそう感じてる筈だ。着換えをしてまた参りましょうと、そんな言葉がどこから出るのか。近くにいる人たちに聞かせるための言葉だったのか。娘の心を慰めるための言葉だったのか。いずれにしても、そのような気遣いは不用ではないか。喜久子さんの態度の方が、あなたよりも素直で立派だったことを、あなたは心で泣いてはいなかったか。その感涙と、神社側のあのやり方に対する憤懣と、あの綱張りの中にはいるには如何ほどの金がいるかと率直に聞けなかった切なさとを、なぜそのまま喜久子さんに打ち明けないのか。
 喜久子はおとなしく信子についてゆく。それでも、飴や玩具の屋台店の方へ、ちらちら眼をやる。神社の境内から出ると、信子はやさしく娘をかえり見て言う。
「くたびれたでしょう。少しゆっくり歩きましょうね。」
 信子の方こそ、凍れたように首垂れている。
 町角に、果物屋があって、蜜柑や林檎や柿が美しい色を氾濫さしている。
「ちょっと、お待ちなさいね。」
 信子は果物屋にはいって、そこにつっ立ち、暫く考える。
「あの……これとこれとこれ、二つずつ下さいません。小さいのでいいわ……お仏壇にあげるんだから……その代り、恰好のいいのをね。」
 蜜柑と林檎と柿を、二つずつ、紙袋にいれて貰い、鶏肉のわきにそっと、買物袋へ納める。
「さあ、帰りましょう。」
 信子は娘の手を取って、にっこり頬笑みかける。
 ――吉岡は酒瓶をすかし見てから、銚子にまた一本つぎ、燗をした……。信子よ、あなたの頬笑みは淋しい。私も淋しくなった。私は今こうして、会社を休み、炬燵開きなどしているが、それも、自分の感傷に甘えてるのではない。休養ということも、明日からの奮闘に備えて、たまには許されるだろう。あなたも、今日は仕事を休んでるじゃないか。それにしても、私たちの休養日のなんと貧しいことだろう。あなたは鶏肉を百匁買った。それが精一杯だったろう。それから果物を六個。私の方では、スルメとピーナツをかじり、酒を五合飲んでいる。このうちの一合分だけでも、あなたに上げることが出来たら、どんなに嬉しいか。一合とは限らない。一合の酒代で、鶏肉を買い足し、一合の酒代で、果物を買い足し、一合の酒代で、あの神社の綱張りの中へ……いや、神社の方はあれで結構だ。ただ、林檎と柿と蜜柑の二つずつは、あまり惨めすぎる。小さいのでよいとあなたは言った。でも恰好のよいのをとは、大出来だった。お仏壇のことも、私は咎めはすまい。
 信子は家に帰って、果物をお盆にのせ、仏壇に供える。二階には他の一家族が同居しており、小さな家なので、六畳と四畳半の二室きりだが、仏壇だけは、小型にしても紫檀の立派なものだ。戦死した高須の位牌もその中にある。
 信子はお茶をいれ、それから、いま供えたばかりの果物を仏壇からさげて、皮をむき、喜久子に食べさせる。
「もう食べてもいいの。」
「ええ。いちどお供えしておけば、それでいいんですから、食べなさい。ほんとは、あなたに買ってあげたのよ。」
「七つのお祝い?」
「そうですよ。そして、来年からは学校……。嬉しいでしょう。」
 喜久子はにっこり頷いて、果物を食べる。
「あ、お母ちゃん、お宮には、もういかなくてもいいの。」
「もういいことにしましょうよ。さっきお詣りはすましたんだから、二度お詣りするのも、おかしいでしょう。わたしが、思いちがいしていましたよ。」
「わかったわ。みんなが着ていたような、美しい着物がないからでしょう。」
「いいえ、着物なんかどうだって宜しいんです。お詣りを二度もするのは……。」
「慾ばりね。」
「そう、慾ばりですよ。」
「慾ばり、やめたあ。」
 歌うように言って喜久子は笑う。信子も笑う。
「今日は、あなたがちっとも慾ばらなかったから、御馳走してあげましょうね。」
「知ってるわ。鶏のお肉でしょう。」
「あら、どうして分ったの。」
「だって、さっき買ったんですもの。」
「あ、そうでしたね。お好きでしょう。」
「大好き。久しぶりだわ。お砂糖も使ってね。」
「ええ、沢山使ってあげますよ。早めに御飯にしましょうね。」
 信子は台所に立ってゆく。喜久子は古い絵本を取り出し、また繰り返して、眺めたり読んだりする。
「お母ちゃん、あのね、あたしが学校にゆくと、お母ちゃん淋しいでしょう。」
 台所から信子が返事する。
「今から、そんな、生意気なこと言うんじゃありません。」
 喜久子は首をすくめて、また絵本に見入るのである。
 ――吉岡は酒をぐいぐい飲んだ……。信子よ、私はだいぶ酔ってきた。だが、これを飲んでしまいたい。そして散歩に出よう。雲が切れて、夕日がさしてきた。夕日の中を歩きたいのだ。然し、あなたを訪れに行くのではない。実は行きたいのだが、なにか憚られるのだ。私は卑怯なのだろうか。高須君の戦死を聞いて、一度、仏前におまいりしたきり、御無沙汰をしている。本来なら、時々伺う筈だ。然し、私は敢て非情になろう。あなたに対する嘗ての愛情が、まだ胸うちにくすぶっているし、私のその愛情を、あなたも記憶している筈だし、しばしば往き来しているうちには、どういう結果になるかも知れないと、それが恐れられるからだ。そういう例は、所謂戦争未亡人に多々ある。私はそういうことが嫌いだ。固より、現在私は自由の身であるし、あなたも現在は自由の身であるし、愛情関係を心配する必要はない。然し、私は高須と友人だった。その一事のために、高須の妻だったあなたを愛することを恐れるのだ。高須が私にとって未知の男だったら、何でもないが、友人だったために、もしも私とあなたと愛しあった場合、高須のことが私たちの愛情に投影することを怖れるのだ。これは台風な考え方かも知れない。或るいは新らしい考え方かも知れない。いずれにせよ、私にはその怖れが大きい。あなたに対する愛情の再燃の可能性も大きい。だから私は敢て非情になろう。そしてその非情によって、母たるあなたを尊重し、あなたの娘の喜久子さんを尊重したい。このことを許容し得るほど、母たるあなたが強いことを、私は信じ且つ祈る。
 信子はいつも、仕事を大切にし丁寧にしている。仕事というのは、表に小さく看板を出してる御仕立物のことで、それによって細々と生活してるのである。
 新らしい仕立物は言うまでもなく、着物の縫い直しまで、彼女は丹念にやる。仕上げると、仕附糸まで仔細に見調べた上、折目正しくたたんで、錦紗の風呂敷につつみ、胸高く手で抱えて、依頼先へ届けに行く。
 街路には、銀杏の黄色い葉が散り敷いている。その上を彼女は、吾妻下駄で小股に歩いてゆく。態度はつつましいが、腰には力がこもり、そして誇らかな微笑が頬に漂っている。
 ――吉岡は酒の最後の一滴まで飲み干した。酔いに頬を赤くほてらし、少しふらつく足取りで、散歩に出た。街路につもってる銀杏の葉を、ぱっぱっと蹴散らして歩いた……。信子よ、私は男だ。落葉を踏み砕き、蹴散らして、颯爽と歩きたいのだ。あなたは女だ、しとやかに歩きなさい。然し、あなたはまた母親でもある、力強く歩きなさい。感傷はやめよう。ごまかしの嘘もやめよう。そして私は陰ながら、あなたは表立って、喜久子さんの明朗な生長を見守りましょう。

底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1-13-25]・戯曲)」未来社
   1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「読売評論」
   1951(昭和26)年1月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年1月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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