草光保治は、戦時中に動員されて外地へ渡り、終戦後復員されて、二ヶ年半ぶりに[#「二ヶ年半ぶりに」は底本では「二ヶ月半ぶりに」]東京へ戻ってきました。
「東京もずいぶん変ったでしょう。」
 戦争の話やその他の話の末、周囲の者がきまって彼に向ける言葉は、それでした。東京もというのは、日本も、時勢も、人々も、その他いろいろなものを含めてのことでした。それに対して彼は、曖昧な微笑と曖昧な言葉とを返しました。
「そうですね……。」
 彼はなんだかぼんやりしていました。頭脳の調子が鈍っているようでした。その代り……ただ、まじまじと眼を見開いていました。すべてがふしぎに新らしい、そういう気持ちでした。
 そして彼は、母の髪の中に、多数の白髪を見ました。父の手の甲に、隆起した静脈の網目を見ました。妹の顔に、雀斑が濃くなったり淡くなったりするのを見ました。姉の幼児に、長い睫毛を見ました。庭の木斛の葉に、雀の白い糞を見ました。御影石の門柱に、新らしい欠け跡を見ました。そのほか、無数のものを見ました。それからまた焼け跡の耕地に、麦の葉がそよいでるのを見ました。電車の腰掛に、はみ出てる藁屑を見ました。廃墟のビルヂングに、三十度も傾いてるコンクリートの壁を見ました。焼け跡のあちこちに、湯屋の煙突だけがたくさんつっ立っているのを見ました。そのほか、いろいろなものを見ました。それからまた、この広い荒野のなかに、ぽつりぽつりと建てられてるバラック小屋を見、ぎっしり立ち並んでる古い日本家屋の聚落を見、高層な洋式建物が軒を連ねてるのを見ました。或る処には、人影もない寂寥を見、或る処には、群衆の雑沓を見ました。群衆のなかには、他国の兵士も見ましたし、また、長途の困難な旅行者のように荷物を背負ってる人々を見ました。そのほか[#「見ました。そのほか」は底本では「見ました。 そのほか」]、さまざまなものを見ました。
 それらのものが雑然と積もり重なって、異邦にあるような思いをさえ起させました。その思いがますます、草光保治に眼を見張らせました。
 然し、如何に眼を見張ったとて、やはり、日本が祖国であり、東京が郷里であることには、聊かの変りもありませんでした。ただ、祖国であるその日本が、郷里であるその東京が、ふしぎに変って感ぜられるのでした。戦争により、殊に空襲により、二ヶ年半の間に相貌が変った、というばかりでなく、草光保治の内部にもなにか変ったものがありました。記憶が薄らいで眼が冴えてくる、というような状態にありました。
 そういう異邦人めいた感懐のなかに、ぽつりと、淡い灯をともしたような、一の心像がありました。縁側に踞まってぼんやり庭を眺めている時など、それが浮んできました。焼け跡を散歩しながら、嘗てはその辺からは見えなかった富士山の姿を、西空はるかに見出して、ふと足を止め、しみじみと眺め入っている時など、それが浮んできました。
 その心像が、いつ胸の中に飛びこんできたのか、草光保治にはよく分りませんでした。帰還の途中、大船と横浜との間の列車の窓で……ということははっきりしていましたが、実は、必ずしもそれに限ったことではなかったようでした。
 その時、彼は車窓にもたれて、身も心もぐったりしていました。東京の家のことや人々のことを考えるのも、夢の中でのような心地でした。そしてただうっとりと外の景色に眼をやっていました。丘陵地帯で、眼界は狭まったり広まったりしました。鋤き返した土地、麦の伸びてる土地、新緑の木立、八重桜の花、ひっそりしてる人家……それらの中に、一点、桜の花より更に真白なものがありました。白藤の花で、生籬にかこまれたひそやかな家の軒先に、余り長からぬ房をなして垂れていました。広い棚を拵えずにただ支柱で支えられてる藤蔓、その蔓から群がり垂れてる真白な花、それを軒先に持ってる清楚な家、ただそれだけのものですが、その白藤の余り長からぬ花房とその住居のひそやかさとが、一つに融け合って匂っていました。
 それはすぐに車窓から飛び去りましたが、草光保治はなおその姿を心で眺め続けました。他の何処かで度々見たもののようでもあり、長く夢みていたもののようでもありました。
 その心像が胸の奥にひそんで、時折、飛びだしてくるのでした。
 白藤の花とその家……そこに彼女の面影がありました。忘れるともなく忘れはしたが、然し忘れかねる彼女であり、細川美代子と名前を言うには、もう余りに遠い彼女でした。すべてが変りすべてが新らしく眺められる環境のなかで、遠い彼女だけが昔のままの面影を保っていました。

 細川美代子は、少しも人目につかぬ娘でした。普通の背丈で、肥ってもいず痩せてもいませんでした。容貌も尋常で、美しくもなく醜くもありませんでした。性質も温良なだけで、特別な長所も短所もありませんでした。大勢の人中に置いても、見勝りもせず見劣りもせず、つまり、少しも人目につかない娘でした。
 目黒駅近くの閑静な家に、彼女は住んでいました。両親と弟とがありました。戦争前、中日事変中に、兄は召集されて出征していました。
 その目黒の家を、草光保治は時々訪れました。母方の縁続きの間柄でありましたし、美代子の兄の耕一とは友人でありました。耕一が出征してからも、美代子とは気安く話が出来ましたし、弟の耕次が高等学校の入学試験をひかえていましたので、その質問にも応じてやりましたし、蓄音器の、いろいろなレコードもありました。
 ところが、二つの不幸が美代子を見舞いました。
 一つは、兄の戦死の公報でした。乗り込んでいた輸送船が沈められて、彼は赤道附近の太平洋の中に消えたのです。
 も一つは、彼女自身の病気でした。初めは単なる感冒とばかり思われていたのが、肋膜炎の症状を呈してき、やがて、可なりの肺浸潤が発見されました。微熱が続き、食慾が衰え、皮膚が美しく透いてきました。そして彼女は自宅で、閑散な日々を送って静養することになりました。しきりに書物を読みたがりましたので、草光保治はいろいろなものを持っていってやりました。それを彼女は甚だゆっくりと読み、読んだあとから忘れてゆくようでした。同じ書物を数回、間をおいて、謂わば忘れた頃に、繰り返し読むこともありました。
「またそれを読んでるの。」
「ええ、すっかり忘れたんですもの。」
 そのような対話が、微笑のうちになごやかに交わされました。
 ただ一つ、白藤の木に、彼女の心は深く繋がれてるようでした。兄の耕一が応召入隊の前に、植木屋から買ってきたもので、一米半ばかりの古い幹に、真白な花をふさふさとつけていました。それが、鉢に植わったまま打ち捨てられて、次の年に三つ四つの花房をつけただけで、もう蕾を出さなくなりました。その白藤を、美代子は俄に発見したかのようでした。防空壕を掘りに来た人に頼んで、鉢から地面に移し植えてもらい、大きく伸びても差支えないほどの支柱を拵えてもらいました。
 或る日、草光保治が訪れてきますと、美代子は小さなシャベルで、藤の木の根本を掘り返していました。
「魚の頭や臓物を埋めるのよ。来年はきっと、たくさん花を咲かせるわ。」
 彼女は白く透いた頬に、弱々しい然し神経のこもった笑みを浮べました。
 そこは、庭の片隅、心持ち斜面をなしてる上手、寒山竹の茂みを横手にひかえてるところで、枯れた自然木の高い支柱の下半分ほどに、藤の青葉がからみついていました。
 保治は肥料埋めを手伝いながら、藤の青葉を見て言いました。
「蔓を伸ばすのは易しいが、花を咲かせるには、技術がいるよ。」
「技術って……どんなこと。」と美代子は無邪気に尋ねました。
「花がたくさん咲いてる藤棚などを、よく見てごらんよ。花が出ているのは、大きな古い蔓からだよ。若い細い蔓からは、花は出ない。また、大きな古い蔓でも、若い蔓をたくさん伸ばせば、花は出ない。つまり、こういうことになるんだよ。古い蔓から、新らしい芽が出る。その芽が、若い蔓になって伸びてゆくか、蕾になって花を咲かせるか、どっちかだね。それが、自然の技術だよ。」
 美代子は黙って聞いていました。
「伸びるだけ伸びた大きな藤蔓は、もうそれ以上伸びる必要がないから、新たな若い蔓を伸ばさないで、ただ花だけ咲かせるよ。ところが、植木鉢なんかに植わってる藤蔓は、いくら古くても、小さく刈りこまれているから、まだたくさん伸びたがる。蕾といっしょに蔓の芽を出す。だから、蔓の芽をもぎ取って、蕾の芽だけを発育させなければならない。植木屋はみなそうしてるよ。これが人工の技術だよ。」
「それから……。」と美代子は尋ねました。
「その二つだけ。それきりないよ。」
「そんなら、わたし、蔓を伸びるだけ伸ばしといて、あとは、その……自然の技術に任せて、花を咲かせることにするわ。」
「然し、幾年もかかるよ。」
「幾年かかってもいいわ。だけど、来年も咲かせないの。その、なんとかいう……人工の技術、それで咲かせましょうよ。手伝って下さるの。」
「さあ、僕に出来るかどうか分らないけれど、やってみよう。」
「きっとね。植木屋なんかに頼まないで、わたしたちだけで咲かせましょうよ。」
 保治は深く頷きました。と同時に、彼をじっと見ている美代子の眼眸に、なにか一徹な熱いものが籠っているのを感じました。彼女の平凡な眼は、病気になってから、時折、見通し難い深さを示すことがありました。今も、保治はその深い底を判じかね、ただその底に一徹な熱いものだけを感じて、恐れる気持ちになりました。そして言いました。
「きっと咲かせるよ。咲いたら、その花を耕一君に捧げよう。」
 美代子は頷いてみせましたが、言葉には何も出しませんでした。
 然し、そういう約束も、果すことが出来なくなりました。保治に召集令状が来たのでした。
 秋の半ばで、まだ紅葉には早く、藤の葉も青々としていました。だが、戦局は日増しに不利で、戦線は次第に本土近くへ押し返されて、心ある者には既に敗色が感ぜられていました。国外へ出征すれば生還を期し難い事態でありました。保治自身も、周囲の人々もそのことを暗黙のうちに了解していました。
 そういう中で、一筋の信念に落着き払っているような美代子の眼付きを、保治は感じました。あなたはきっと無事に還ってくる、そう語っている眼付きでした。それに対して、保治は言いました。
「耕一君は白藤を記念に残していったが、僕は何も残してゆかないよ。」
「ええ、どうせまた還ってくるんでしょう。記念なんておかしいわ。」
 そう答えて彼女は、暫く黙ってたあとで囁くような調子で言いました。
「わたし一人で、生きてる間に、きっと、あの藤に花を咲かしてみせるわ。」
 その、生きてる間にというのが、なんだか変だと、保治は感じましたが、それを口には言えませんでした。
「なあに、どうだっていいさ。僕が還って来たら、大きな藤の木を、花をいっぱいつけるのを、あの側に植えてあげるよ。」
「でも、それまでには、あの木にもきっと花が咲くわ。そしたら、押し花にして送ってあげましょう。」
「うん、待ってるよ。」
 美代子はじっと保治の顔を見て、それから、向うへ行ってしまいました。

 追憶は、ただそれだけのものでした。
 草光保治の部隊は二ヶ月ほど国内にいて、それから支那に渡り、あちこちに移動してまごついてるうちに、終戦となりました。保治は妹の手紙によって、美代子の病気が重くなったことを国内で知り、年を越して間もなく美代子が死んだことを国外で知りました。そして死は彼女のことを遠くへぼかしてしまいました。
 その細川美代子が、車窓から見たあの白藤の家の背景に、いや、あの白藤の花とひそやかな住居との心像のなかに、立ち現われてきました。忘れるともなく忘れかけていたことを責めるかのように、胸の奥にひたと寄り添ってきました。
 彼女が亡くなったあと、あの藤の木は二回ほど春を迎えた筈でありました。そのいずれかに、果して花をつけたでありましょうか。二回目の春の終りには、あの辺一帯は空襲により罹災して、細川の家も焼けましたので、藤の木も焼けたに違いありませんでした。
 彼女の病死前後のことについては、保治の妹はくわしく知っていました。然し藤の木のことについては、一向に知りませんでした。保治は知らず識らず、藤の木のことを何度か繰り返し尋ねました。妹は怪訝そうに眉根を寄せました。
「藤の木って、いったいどんなんだったの、わたしちっとも気がつかなかったわ。」
 美代子が藤の花のことをなにか言いはしなかったかと、保治はまた繰り返し尋ねました。
「そんなこと、一度も聞いたことがないわ。おかしいわね、兄さん、藤の木ばかり気にして……。」
 妹からじっと顔を見られると、保治はその顔をそらしました。胸の奥が涙ぐましいような心地でした。
「焼け跡に行ってみたら、分るでしょう。ねえ、いっしょにいらっしゃらない。」
 そう促がされて、保治も漸く行ってみる気になりました。然し、妹と一緒でなく、一人で行くことにしました。
 細川の人々は、厚木の近くに移転していましたし、そちらへは、保治も帰還後すぐに訪れていました。焼け跡はまだそのままになっている筈でありました。
 薄い断雲が空を流れてる暖い日でした。保治はとりとめもない瞑想に耽ってる気持ちで、而もなにか新たなものに立ち向う心構えで、目黒駅からゆっくり足を運びました。
 広い焼け跡のなかに、細川の家の跡は、度々来馴れた場所のこととて、すぐに見当がつきました。ゆるい傾斜地の工合や、すぐ近くのコンクリート塀などが、場所をはっきり指示してくれました。
 それにも拘らず、保治は暫く立ち止りました。
 焼け枯れた木立は、ごく短い切株を残して、すっかり伐り採られていました。瓦礫やトタン板が散らばっていました。大小さまざまな石が、何に使われていたものとも分らず、意外にたくさん転がっていました。そして一面に赤茶けた焦土でした。その全体の面積が、如何に小さかったことでしょう。細川の家と隣家とまた隣家と……それらが其処に建ち並んでいたとは、到底思えないほどでした。それだけの人家が消滅して、後にその僅かな地面しか残さなかったということは、眼の錯覚というばかりでなく、一種の驚異でありました。それでも其処にはっきりと、細川の家のコンクリートの土台の一部が、瓦礫のなかに狭小な地域を描き出していました。
 やがて、保治はその狭小な地域に踏みこみました。庭だったと思える片隅に八手やつでが三四株、地面低くこんもりと葉の茂みを拵えていました。その横手、寒山竹の藪跡らしいところに、ひょろりと伸びた幾筋かの蔓があって、ちぢれた小さな葉を出しかけていました。藤の葉でした。幹は無くなり、残ってる根本から、新らしい蔓を精一杯に伸ばしてるもののようでした。
 それを見つめながら、保治は腕を組んで頭を垂れました。
 あの眼覚めるような白藤の花と、それを軒先につけたひそやかな住居、それから、このひょろひょろした蔓と縮かんだ葉、両者の間には何の関連もなく、全く別な物でありました。
 保治は長い間、眼前の藤蔓を見つめながら、胸中に育まれた心像に縋りついていました。しみじみと涙が眼の奥ににじんできました。その涙に気がつくと、彼は唇をかんで、眼前の藤蔓をむしり取りました。数本の蔓をむしり取ると、その根本の土を棒切れで掘り返して、根まで引き抜こうとしました。案外に大きな強い根が張っていました。それをすっかり引き抜かなければならない、惨めな姿で残しておいてはいけない、そういう思いで、両手を泥で汚しながら、藤の根を引き抜きました。引き抜いた根を地面に投げ捨てました。藤の根は幾本もありました。それを悉く引き抜きました。
 額から汗が出てきました。泥の手でハンケチをつかんで、その汗を拭きました。そして彼は空を仰ぎました。
 ――俺は今、つまらぬ感傷に囚われているのであろうか。俺のしていることは子供じみてるであろうか。いや、そんなことはどうでもよい。ただ、俺はこうしなければならなかったのだ。眼前の惨めな藤蔓を抜き去ると共に、心像の藤の花を……生かせるものなら本当に生かしてやりたい。
 大陸にあった時、俺は彼女のことをしばしば思った。恋人のように想った。戦友たちに来る手紙の中には、妻からのや愛人からのが幾つもあった。俺にはそのような手紙は来なかった。然し、彼女がいることは、恋人がいるのに等しかった。愛し愛される女性を一人、どこかに持っているということは、強い生活力ともなり闘争力ともなった。
 彼女の死を知ってから、俺は孤独のさびしさを知った。両親や姉妹に対する感情は、彼女に対する感情とは別種なものだった。彼女のない俺は、情緒的に孤独だった。そしてこのきびしさの中に生きようとした。そういう生き方に於て初めて、死も生も同じであるのを感じた。
 戦闘らしいものもあまりなく、ただ移動彷徨をのみ続ける大陸での生活は、甚しく無意味なものに思われた。そして俺は、太平洋の中に没した耕一のことを羨ましく思った。戦争とか戦死とか、そういう事柄ではなく、ただ遠い彼方、太陽と大海との中が羨ましかったのである。生死一如の境地では、死もまた一つの旅と観ぜられたのだ。
 俺のちっぽけなばかばかしい旅は、敗戦と共に終った。それからは家畜のような生活をして、家畜のように帰宅してきた。惨めだという一語にすべてが尽きる。愛国心の乏しさを自分のうちに見出した俺は、敗戦などを苦にはしなかった。ただ、人間として、人間としての感情から、自分自身がまた凡てが惨めだった。
 この打ち萎れた気持ちの中で、白藤の家の心像が、汽車の窓から見た聊かの風景を機縁に、俺のうちに植えつけられたのだ。そして俺はしばしば過去に引き戻された。俺はあの時、またあの時、更にあの時にも……彼女に愛を語ることが出来た筈だった。彼女も俺に愛を語ることが出来た筈だった。俺も彼女もそれを待望していたのかも知れなかった。然し二人ともそれをしなかった。俺の応召や彼女の病気がそれを妨げたのではなかった。それは却って愛を語る口火とさえなるものであった。俺たちが愛を語らなかったのは、ただ、余りに親しく愛しすぎていたからであったろう。少くとも俺の方は、余りに親しく彼女を愛しすぎていた。余りに親しく愛しすぎて、却って彼女を忘れていた。
 その、忘れていた彼女を、白藤の家の心像は俺に蘇えらしてくれた。俺は今、周囲のすべてを、初めて見るような眼で新たに眺めている。彼女をも新たに眺めよう。彼女のうちのつまらないものは、容赦なく切り捨てよう。焼け跡のひょろひょろした藤蔓は、彼女のうちの最も惨めなものだ。引き抜いて打ち捨てなければならない。
 彼女についてばかりではない。すべてのものについて、惨めなもの、醜いものは、容赦なく峻拒しよう。よく見てそして選択することだ。それが俺の生き方である……。

 草光保治は、細川の家の焼け跡を、見返りもせずに立ち去りました。
 彼は暫く、猫背のように首を縮めて歩き、それから突然、両腕を大きく宙に廻転させました。そしてまた、猫背のように頭を垂れて歩き、暫くして突然、両腕を大きく打ち振りました。
 春の日が淡く照っていました。彼は駅の方へは行かず、広い焼け跡の中の小道を、何処へともなく歩いてゆきました。

底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「婦人文化」
   1946(昭和21)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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