「失恋が、失恋のまゝで尾をいてゐるうちは、悲しくても、苦しくても、口惜くやしくつても、心に張りがあるからまだよかつた。が、かうして、忘れよう/\と努力して、それを忘れてしまつたら、かへつてどうにも出来ない空虚が、おれの心に出来て了つた。実際の失恋でもない、いはんや得恋でもない、はゞ無恋の心もちが、一番悲惨な心持なんだ。此の落寞らくばくたる心持が、俺にはたまらなかつたんだ。そして今迄用ゐられてゐた酒も、失恋の忘却剤としては、稍々やゝ役立つには役立つたが、此の無恋の、此の落寞たる心もちをいやすには、もう役立ちさうもなく見えて、何か変つた刺戟剤しげきざいを、是非必要としてゐたんだ。そこへY氏やTがやつて来て、自分をあの遊蕩いうたうの世界へ導いて行つた。俺はほんとに求めてゐたものを、与へられた気がした。それで今度は此方こちらから誘ふやうにして迄、転々として遊蕩生活に陥り込んで行つたんだ。失恋、――飲酒、――遊蕩。それは余りに教科書通りの径路ではあるが、教科書通りであればあるだけ、俺にとつても必然だつたんだ。況んや俺はそれを概念で、失恋をした上からには、是非ともさう云ふ径路を取らなければならぬやうに思つて、ひてさうした訳では決してない。自分がこゝまで流れて来るには、あの無恋の状態の、なま/\しい体験があつての事だ。……」
 私は其頃そのころの出たらめな生活を、自分では常にかう弁護してゐた。そして当然起るであらう周囲の友だちの非難にも、かう云つて弁解するつもりでゐた。そしてそれでも自分の心持をんでれず、かうなる必然さを理解して呉れなければ、それは友だち甲斐がひのないものとして、手を別つより外にすべはないと考へてゐた。しかし、心の底では、誰でもが、自分の一枚看板の失恋を持ち出せば、黙つて許して呉れるだらうとの、虫のいゝ予期を持つてゐないではなかつた。そして其虫のよさを自分では卑しみながらも、其位の虫のよさなら、当然持つてしかるべきものだと、自ら肯定しようとしてゐた。――初めは、世間の人々の嘲笑てうせうおもんぱかつて、小さくなつて、自分の失恋を恥ぢ隠さうとしてゐたのが、世間の同情が、全く予期に反して、翕然きふぜんとして、自分の一身に集つて来るらしいのを見て取ると、急に大きくなつて、失恋をひけらかしたり、誇張して享楽したり、あまつさへ売物にしたりしてほとんど厚顔無恥の限りを尽したが、世間もそれを黙つて許して呉れてゐるので、益々いゝ気になつて了ひ、いつでもそれを持出しさへすれば、許して呉れるものとの、虫のいゝ固定観念を作つて了つたのだつた。勿論もちろん一方ではさうした自身を、情なく思ひ乍らも。――で、自分では飽くまで今の生活を、許され得るものと、思ひ込んでゐたのだつた。周囲の友人たちも、もう許して呉れるにきまつてゐるものとさへ、思ひ込んでゐたのだつた。
 る正月初めの一日だつた。私は二日ほど家をあけた後で、夕方になつてから、ぼんやり家へ帰つた。云ふ迄もなく母は不機嫌ふきげんだつた。さうして黙つたまゝ、留守の間に溜つてゐた書状の束を、非難に代へて私の眼の前につきつけた。私も黙つて受取つて書斎に入つた。
 そのおくせの年始状や、色々な手紙の中に一枚、Eから来た端書が入つてゐた。私は遊び始めてから、しばらく周囲の友だちと会はなかつたので、何となく涙ぐましいやうななつかしさを以て、その端書にしるされた彼の伸びやかな字体を凝視みつめた。それは×日に吾々親しいものだけが集つて新年宴会とでも云ふべき会をしたいから、君も是非出席しろと書いてあつた。×日と云へば今日だ。そして時間ももう殆んど無い。それにしても間に合つてよかつた。私は家に帰つてすぐ、又飛び出す体裁の悪さを考へたが、久しぶりで健全な友人たちと、快活な雑談を交す愉快さを思ふと、かくも出席しようと心に決めた。して一旦脱ぎてた外套ぐわいたうを、もう一度身につけた。
「また出掛けるのかい。」その様を見て茶の間の方から、母がかう言葉をかけた。
 私は鳥渡ちよつとつらかつたが、気を取り直して快活に、「えゝ。今夜は三土会さんどくわいだから。鳥渡顔を出して来ます。」と云ひすてて、急いで家を飛び出して了つた。
 会場は家のすぐ近所のE軒だつた。私がウエーターに導かれて、そこの二階の一室に上つて行つた時、もう連中は大部分集つて、話も大分はずんでゐる所だつた。私が入つて来たのを見つけると、幹事役のEが立上つて、
「やあ、よく来たな。今日も君は居ないかと思つた。」と大声で云つて迎へた。
「いや。……」と私は頭に手をやり乍ら、それでも晴々した気持になつて、そろつてゐるみんなの顔を見渡し乍ら、うれしさうに其処そこの座についた。けれども入つて来るといきなり、Eに一本参つた後なので内心に少々やましさがあつたといふよりも、一種のはにかみから、椅子いすは自ら皆の後ろの、すみの方を選んで了つた。
 席上には一人二人新らしい顔が見えた。Eが「紹介しようか。」と云つて、一々それを紹介して呉れた。それはM大学出の若い人たちだつた。その人たちが吾々の作品――と云つても主としてAのに――傾倒してゐて呉れる事は前から知つてゐた。そして私もその人たちの創作や評論なぞを読んで幾らか興味を感じてゐた一人だつた。その中でもN君は一見して、山の手の堅い家に育つた、健全な青年の風貌ふうばうを備へてゐた。彼が今時の青年に珍らしく、童貞である事も前に聞いてゐた。私は一種の尊敬を以て、此のハイカラな厭味いやみもないではないが、いかにも青年らしい清純な姿の前に頭を下げた。
 私はいつか改まつたやうに固くなつてゐた。何だかいつもと違つた雰囲気ふんゐきの中へ、一人で飛び込んだやうな気さへした。いつもは連中の顔さへ見れば、おのづから機智がほどけて来る唇さへ、何となく閉ざされてあつた。
「おい。どうしたんだ。そんな隅の方にゐないで、ちつとは此方こつちへ出ろよ。」目ざとく其状態ありさまを見て取つたAが、いつもの快活な調子で、向うからかう誘ひかけて呉れた。
 私は席をやゝ中央に移した。
「Kが今入つて来た所は、まるで放蕩息子の帰宅と云つた風だつたね。」私の腰を掛けるのを待つて、Hはそばから揶揄やゆした。Hの揶揄の中には、私の気を引立たせる調子と、非難の意味とを含んでゐた。
 私は黙つて苦笑してゐた。するとそれに押しかぶせて、直ちにAがかう云ひ足した。
「入つて来た時は放蕩息子の帰宅だつたが、かうしてよく見ると、これから出掛ける途中に寄つたと云ふ形だね。」
「もう沢山だ。」私は幾らか本気で、かうさへぎらざるを得なかつた。が、内心では彼等にかう揶揄からかはれる事につて、私も一人前の遊蕩児になつたやうな気がして、少しは得意にもなつてゐた。『遊ぶ』といふ事、それは私にとつて、幾らか子供らしい虚栄みえも含まれてゐたのだつた。
 その中に食堂が開いたので、話は自ら、別な方面へ移つて行つた。彼等はナイフやフォークの音の騒々しい中でも、軽快極まる警句の応酬や、辛辣しんらつな皮肉の連発を休めなかつた。而して私も一二盃の麦酒びーるに乗じて、いつの間にかその仲間入りをしてゐた。
 食後の雑談は、更ににぎやかに弾んだ。私は既に完全に、彼等の仲間になり切つてゐた。私は他人に劣らず饒舌おしやべりになつた。而して皆に劣らず警句の吐き競べを始めた。
 すると、どういふ加減だつたか、私はふと妙にめたやうな心持になつた。それは私の警句や皮肉は、一種の努力を要するために、ふとどうかした機会があると、『俺はかうして彼らと肩を並べるために、伸び上り/\警句めいた事を云つてゐるが、そんな真似まねをして何の役に立つのだ。』と云ふ反省が起るからであつた。而してかう云ふ風に醒めて来ると、自分の凡才が憐まれると同時に、彼等のさうした思ひ上つた警句や皮肉が、たまらなく厭になつて来るのだつた。そこでたとひ第一義的な問題にいての、所謂いはゆる侃々諤々かん/\がく/\の議論が出ても、それは畢竟ひつきやうするに、頭脳のよさの誇り合ひであり、衒学げんがくの角突合であり、機智のひらめかし合ひで、それ以上の何物でもないと、自ら思はざるを得なくなつて来るのだつた。
 私は急に口をつぐんで、考へ込んで了つた。
 すると其処には、自ら別な想像の場面が浮上つた。それはあの『喜撰』の二階であつた。そこの桑の餉台ちやぶだいの上には、此処こゝのやうな真つ白な卓布を照らす、シャンデリアとはちがふけれど、矢つ張り明るい燈火がともされてあつた。而してそれを取囲んで、先刻さつき別れて来たばかりの、SやYやTやが、折からの正月の座敷着で、きらびやかな者どもを交へ乍ら、愉快さうに盃をげてゐた。彼等の間に於いても、此処と同じ警句や皮肉が、序を追うて出て来るのだつた。けれどもその調子の中には、私はおもしか少くとも此処に於いて在るやうな、自己誇示の響はないやうに思はれた。そこが気安い、物親しい感を起させた。……
 私は此処をのがれて、すぐにも彼処あそこへ行きたい気が起つて来た。それには先刻さつき飲んだ少許すこしばかりの酒が、余程強い力を以て手伝つてゐた。が、私は昨日も家をけた事を思ひ出した。先刻家を出る時の母の訴へるやうな顔付も思ひ出した。さうして今夜は決して、さういふちまたへ走るまいと思ひ返した。私は頭を振つてそれらの妄念まうねんを消すと、又再び彼らの談話に仲間入りするために、強ひて快活な態度を取らねばならなかつた。
 又しきり雑談は賑つた。すると其中にふと話題が、遊蕩といふやうな事に向けられた。而して誰が真の遊蕩児で、誰はさうでないといふやうな事から、自ら吾々個人の上に、其問題が落ちて来た。私は最近の体験から、他人より余計に発言権を持つてゐるやうな気がして、得意になつてしやべつてゐた。
およそ遊蕩的分子が少ないと云つて、H位少ない者はないだらう。其点がHの短所で、又長所なんだ。併しHが遊蕩しないからと云つて、それを奇特だと云つてめる人は間違つてゐる。Hには初めから全然、遊蕩的分子が欠けてるんだから、其点ではHは、遊蕩を論ずる資格は絶対にないよ。」私はこんな事をさへ云つた。
 Hは自分でもそんな資格はないと云ふやうに、まちり/\と笑つて聞いてゐた。
 するとそばにゐたEが、それを面憎つらにくく感じたのであらう。突然私に向つて、こんな事を云ひ出した。
「さう云へば君だつて、真実ほんたうの遊蕩児でもない癖に、あんな仲間と一緒になつて、得意になつて遊んでゐるのは更に可笑をかしいよ。――一体君はあゝ云ふ連中と一緒にゐて、どこが面白いんだい。」Eの言葉は例によつて、短兵急にかうから来た。
「それや僕が遊ぶのは、彼等と別な理由があつての事だけれど。……何も彼等だつて君が思つてる程取柄のない人間でもないよ。」私はづ謙遜に、かう答へねばならなかつた。
 すると向うにゐたAが真打しんうちと云つたやうな格で、更に判決でも下すやうに、あごの先を突き出し乍ら鋭くかう云ひ出した。
「僕もいつかつから、君に云はう/\と思つてゐたんだが、君はあんな生活をしてゐて、ほんとにどうするつもりなんだい。君があゝしてあの連中と一緒に、下らない遊びにふけつてゐればゐる程、僕らは君と遠ざからなくちやならない事になるよ。君はそれでいゝ積りなのかい。」
「仕方がないね。僕のほんとの気持が解つてゐて呉れるはずの、君らが離れると云ふんなら、僕は仕方がないと思ふよ。――そしていづれ時が来て、僕のほんとの気持が解つたら、又もとへ戻る事もあるだらうから。」
 私はそれを聞くと、満腔まんかうの反感を抑へて、へずかう答へた。それは私の精一ぱいの強気であつた。私はAがあゝ云つた言葉の中に、『俺に交際つきあつてゐないと損だぞ。』といふやうな、友情の脅威が自ら含まつてゐるのを、何よりもしやくさはつて聞き取つたのだつた。
「それなら僕も仕方がないね。――併し、僕は何も君のために良友ぶつて忠告するんぢやないんだよ。僕らのために、いや僕自身のために君が遊蕩をやめて呉れたらいゝと思つてるんだ。君があの連中と一緒に遊び廻つてゐて、いつ行つてもゐないのみか自ら書かないやうにでもなると、僕は非常にさびしい気がするんだ。君がいつ行つてみても、あの机の前に坐つてゐて、猛然と書いてゐて呉れると、僕はどんなに心強いか、どんなに刺戟を受けるか知れないんだ。僕は君のすさむ事が、君自身に取つてよりも僕自身に取つて淋しいんだ。」
 Aは更に得意の理論を以て、明快に論歩を進めて来た。私は彼の言葉に対して、何とも反駁はんばくのしやうのないのを感じた。が、これだけ整然と、合理的に説かれ乍ら、私は更に彼の態度に、反感の起るのを禁じ得なかつた。なあにAは彼自身、良友ぶつて忠告をしたいのに、彼自身の聡明そうめいさが、それを自身で知つてゐるために、わざと此忠告は此方こつちの為でなく、彼自身のためだと云つてゐるのだ。そして其実、彼自身の優越から来る、一種忠告慾に駆られてゐるのだ。――とかう裏の裏を見ずにゐられなかつた。かうひがんで来ると、私はもう素直な答へが出来なかつた。
「併し僕は君らのために、生活してゐるんぢやないからねえ。」
「けれども君自身に取つても、随分淋しい事だらうと思ふよ。君はそんな生活をしてゐて、朝眼がさめる時などに、堪らない空虚を感じないかい。」
「それはこんな生活をしなくたつて、僕は感じてゐるよ。むしろ此頃の方が感じない位だ。」
「では、君はあの生活に満足してゐるのかい。」今度はEが口を出した。彼が口を出すことは、此の私を非難するAの管絃楽の中へ、更に喇叭らつぱを交へるやうに強く響いた。
「満足してゐる訳ではないが、楽しんではゐる。僕は一般の遊蕩児の様に、楽しくもないのに、止むを得ずつてゐるといふやうなんぢやない。実際僕は楽しいんだ。」
「そんならなほ悪いよ。そんな態度は享楽主義も初期ぢやないか。」
「さう云はれても仕方がない。」私はその享楽主義の初期と云ふ適評が、聴いてゐた他の人々に、起さした一種の微笑に対して腹を立て乍ら云ひ切つた。
「兎に角何だね。」又Aが追究して来た。「Hも其点を心配してるんだが、君はそんな生活をしてゐると文壇的に損だと云ふ事も考へなくちやならんね。」
「文壇的に損をすると云ふのは、人気を落すとでも云ふ意味かい。」
「まあさうだ。」
「それなら、僕は意としてゐないよ。」
「それなら物質的に迫られて、此上濫作らんさくをしなくちやならなくなつたり、通俗小説を書かなくちやならなかつたりしても、君のために損ぢやないと云ふのかね。」
 これに対しては、私も答ふる所を知らなかつた。が、答へが出来なかつただけに、没論理の反感が、猶更なほさらむら/\とき立つた。Aは実際忠告でなしに、もう明らさまに私を攻撃してゐるのだ。私に対する侮蔑を、忠告の形で披瀝ひれきしてゐるのだ。――私はかうさへ僻んだ。而して其儘そのまゝむつつり黙り込んで了つた。私の胸の血は、彼らに対する反抗で、嵐のやうに湧き立つてゐた。
 他の人々は此等の対話が始まると、もうぴつたり雑談をやめて了つて、大抵腕を組んだり、下を向いたりして聞き入つてゐた。Hも直接には何とも云はなかつた。彼は黙つて、其癖超然としてではなく、事の経緯いきさつをぢつと聴いてゐた。それが私には気味が悪いと共に、やゝ頼もしくも感ぜられた。がいづれにもせよ彼が、私の味方でない事は解つてゐた。
 たうとう其人たちの中で、私たちより一年前に大学を出て、当時M商店の広告部に入つてゐたK君が、私一人激しく責め立てられるのを見兼ねたものか、
「僕がこんな所へ口を出すのは、変だけれど、もう、そんな話はよした方がいゝね。僕はK君の心持は解つてる積りだが、もし忠告する事があるとしても、もつとプライヴェートにする方がいゝと思ふ。――こんな所でしては、たゞK君を悪い気持にさせるだけだから。」と口を出した。
 此の常識的な言葉には、誰も彼も推服せざるを得なかつた。Aも、
「僕ももと/\こんな事を云ふ積りぢやなかつたんだけれど、つい時の調子でこんな事になつて了つたんだ。Kにはほんとに失敬した。」
 と云つて収まつて了つた。
 そこで又元通り、他の雑談に移らうとしたが、一旦白けて了つた座は、もう元通りにはならなかつた。時間も既に十二時に近くなつてゐた。それで誰云ふとなく散会する事になつて了つた。戸外そとには正月の寒い風が吹いてゐて、暗く空がおほひかぶさつてゐるやうな夜だつた。
 私の胸中は、まだ憤懣ふんまんちてゐた。私はそれを訴へたい為に、広小路の方まで歩くと云ふK君としばらく一緒に歩くことにした。するとAとEも、そつちの方が道順だつたので、一緒に加はる事になつた。それで私はあらはに、彼等に対する不快を、放散させる事が出来なくなつて了つた。私はたゞ黙り勝ちに、彼らの後をいて行つた。
 広小路で四人は別れる事になつた。AとEとが去つた後で、K君は一人残つたけれど、そこへE行の電車が来ると、急に「もう遅いから、矢つ張り此辺から乗つて帰らうかな。」と云つて、
「ぢや失敬する。――今晩の事は、君もさぞ不愉快だらうけれど、皆も決して悪気で云つてるんぢやないんだから、君も悪く思はないで帰り給へ。いゝかい。では左様なら。」と、来た電車に飛び乗つて了つた。
 私は今度こそたつた一人、広小路の真ん中へぽつんと取り残された。夜の更けかゝつた風が、泣きたい思ひの私の両脇りやうわきを吹いて通つた。私は外套のそでき合せ乍ら、これからどうしようかと思つてたゝずんだ。此儘大人おとなしく家へ帰れる気持には、どうしてもなれないのは解り切つてゐた。
「いけ! 彼処あそこへ!」私の胸の中に、充ち/\てゐた憤懣が、突然反抗の声を挙げた。さうだ。彼等の忠告のすぐその後で、すぐその場へ行くといふ事が、彼等に対する憤懣の唯一のであり、彼等にむくいる唯一の道なんだ!
 私は直ちにS行の電車に飛び乗つて、S町まで来ると、M橋停車場のタクシイを雇つた。
 それから五分とたぬ中に、私は丸の内を一さんに疾駆するタクシイの中で、しつかと胸の所へ手を組合せたまゝ、彼らに対する反抗で燃えてゐた。
「へん、有難さうな友情。友情が何だ! お為ごかしの忠告。忠告が何だ! 彼等に真の誠意があるならば、あんな所で、あんな殆んど公開の席上で、云はなくてもよからう。況んや、N君のやうな初対面の人たちまで居る所で。――彼らは全然自分たちの友情をひけらかす為と、俺を人の前でやつつける為にのみしたと云はれても、何と云つて弁解する?」
 私は厚い硝子がらすを通して、ひたすら前方のみを凝視みつめてゐた。
 二十分かゝらぬ中に、自動車は目的の家へ着いた。私が下り立つと、急いで出迎へた女中が、私の顔を見るなりに、
「まあ、貴方あなたでしたか。ほんとによくいらつしやいました。先刻さつきから皆さんがお待兼でいらつしやいますよ。」と招じた。
「え、お待兼つて皆んな来てゐるのかい。」私の声は思はず高くなつた。
「えゝ。――さあどうぞこちらへ。」
 私は嬉しさの余り、二段づゝ急いで梯子段はしごだんを上つた。座敷に入つてゆくと、皆はもういゝ加減に酔つてゐる所だつた。
「やあ、よく来たな。」
「まあ、早く此処へ来て坐れよ。」
 彼らは声々にかう云つた。私は殆んど手を握らんばかりに興奮して、彼等の傍に座を占めた。――多分ゐるだらうとは思つてゐたが、かうまで皆が揃つてゐて、しかも自分の来るのを待つてゐたとは、殆んどあつらへて置いたやうなものだつた。喜んだのは私許りでなかつた。
「これだから、俺は念力つてものを信じるよ。あゝ、信じるとも。信ぜずにゐられないよ。――これだけ待つてゐたんだから、必ず来る。きつと来るつて僕はさう云つてたんだ。そしたら果して来たぢやないか。」平常ふだんから人間の心理的な力といふやうなものに、一種の迷信めいたものを持つてゐるS君はその鋭いひいでた眼を少しとろりとさせ、白い小作りな顔をぽつとさせて、首をかしげ/\云つた。
「今日はね。先刻さつきから三人で落合つて、芸者キモノ抜きで酒をみ始めたんだが、S君が僕に人間つてものは面白いものだつて云ひ出してね、この見れば見る程面白い人間つてものを、縦横自在に楽しまうぢやないか。それだのに何故なぜ世間の奴等は、ビク/\して此の人間の面白さをあぢははないんだ。それぢや率先して吾々が、此の人間を楽しまうぢやないかつて、相談一決して、さてその会員の人選に及んだのだが、広い文壇を見渡した所、先づ此処に集つた三人以外には、どうしても君位なものだといふ事になつてね。それから急に君を招集しようと云ふんで、先刻さつきから銀座のLとか、I座とか云ふやうな君の立ち廻りさうな要所々々へ電話をかけて、網を張つて待つてゐたんだ。」Tは私が落着くのを待つて、かう詳しく説明した。
 Y君も傍から巨躯きよくゆすつて、人懐ひとなつつこい眼を向け乍ら、
「ほんとに待つてゐたんだよ、君。」と云つた。
「ほんとに何処の一流の芸者にしたつて、今夜の君位熱心に掛けられたものはないよ。かうして僕たちは誰も呼ばずに、君の来るのを待つてたんだからね。これで来なかつたら来ない方がうそだ。」S君は更に云つた。
「いや、さうかい。それはほんとに有難う。僕は今迄E軒にゐたんだ。」と私もやうやく二三杯の酒と共に、落着いて話が出来るやうになつた。
「E軒か。さうと知つたら早く電話をかけるんだつた。E軒で何をしてゐたんだ。」
「不愉快な目に会つたよ。」私はわざと投げ出すやうに云つた。
「不愉快な目つてどうしたんだ。」
「なあに実はね。今日僕たち仲間だけの三土会と云ふ会があるつて云ふんで、久しぶりで連中の顔でも見ようと思つて、出かけて行つた所が、ふとした事から僕の遊蕩が問題になつてね、皆から口を揃へて忠告やらを受けた訳さ。余り癪に触つたから、つい其足で飛び出して来たんだ。そしたら此処でかう云ふ始末なんだ。天網恢々てんまうくわい/\粗にしてらさず。――僕はほんとに嬉しくなつちまつた!」
「棄てる神あれば拾う人間あり、さ。だから人間会が必要なんだよ。」とY君は自分の諧謔かいぎやくに、自ら満足して又哄笑こうせうした。
「で、どんな忠告を受けたんだい。」とTは黙して置けぬと云ふ風に、真面目まじめになつてたづね出した。
「要するに、君たちが悪友なのさ。」
「それで俺達と附き合ふのが不可いけないとでも云ふのかい。」
「まあさうだ。君たちと附き合ふんなら、向うは離れるだらうつておどかされた。」
「誰がそんな事を云ふんだい。」
「さあ、個人的な名を云ふのはよさう。」
「いゝぢやないか。どうせそこまで云つた以上。――Aかい。Eかい。まさかHぢやあるまいね。」
「Hは黙つてゐた。」
「するとAたちだね。」何故なぜかTは追究して来た。私は「うむ。」と云はざるを得なかつた。
「悪友か。悪友、結構だ。君には悪友が必要なんだよ。投書家さへいつかの論文に、君には悪にけがれた手と、泥にまみれた足が必要だと云つてたぢやないか。一体Aたちにした所が、Kを一人前に人間にして下すつて有難うつて、俺たち悪友どもに向つて感謝すべきなんだ。」Tはさすがに少し気持を悪くしたらしく、それを消すためにそんな事を云つてゐた。
「一体今の文壇には悪友がなさ過ぎるよ。」Y君も相槌あひづちを打つた。
 するとS君はひざを乗り出すやうにして、こんな事を云ひ出した。
「K君、僕はいつかつから、君に云はう/\と思つてたんだが、向うが離れるといふんなら、丁度いゝ。これを機会に、君の周囲の連中と、すつかり離れて見たらどうだい。それあ友人といふものは必要でもあり、いゝものには違ひないさ。けれども、いつまで、友だちをたよりにしてゐるのは愚だよ。僕たちは一人で、下らない友情なぞに煩はされずに、生きてゆかなくちやならないんだ。それあ友だちがなければ、ほんとに淋しいと思ふこともあるさ。僕だつてSやなんか白樺しらかばの連中と別れた時は、堪らない位淋しかつたもんだ。しかしその位の事に堪へられない位ぢや、とてもいゝ作家になれないと思つたから、歯を喰ひしばつて我慢した。そしたらいつの間にかれて了つて、今では却つてサバ/\したいゝ気持だ。――君も僕の見る所では、どうも今の仲間と離れた方が、君のためにいゝやうだよ。君はあの人たちのやうに、小利口に世間を立ち廻つて、破綻はたんのない生活を送れる人とは違ふんだ。三十にならぬ若い身空で、細君をもらつてすつかり家に収まつたり、巧みに創作の調節を取つて、確乎しつかりと文壇の地位を高めて行くと云つたやうな、さう云ふ甲斐性かひしやうのある人間ぢやないんだ。君はあの人たちとちがつて、もつと出鱈目でたらめな、もつと脱線的な生活を送るべき人なんだ。人生つてものは、彼らのやうな、破綻のないものぢやないんだよ。芸術つてものも、彼らのやうに、キチンとしたものぢやないんだよ。――いゝから彼らが離れると云ふんなら、勝手に離れさして了ひ給へ。それは君に取つて、ちつとも差支さしつかへがない事だよ。」
 私は此の無茶な談義を、不思議にも其時、心から嬉しく聞いてゐた。そして其間にはS君のどき/\鳴る心臓を、すぐそこに感じてゐた。私の眼には、いつの間にか、そつと涙がこみ上げて来てゐた。
 Tも黙つてゐた。Y君も其間中黙つて、一人嬉しげに点頭うなづいてゐた。余り一座が傾聴したために、S君は少してれて、
「さあ、それぢや人間界の話はこれ位にして、天人どもを招集しようか。」と云ひ出した。
 もう遅かつたけれど、直ちに芸者が呼ばれた。正月のことで、大抵呼んだ顔が揃へられた。して又一頻ひとしきり、異ふ意味での談話が盛つた。が、それでも二時近くなると、芸者たちもぽつ/\帰つて行き、割合に近くに住居すまひのあるS君とY君とも、自動車を呼んで、帰る事になつた。
 Tと私とは、すつかり皆の帰つて了つた後に、女気なしで寝る蒲団ふとんを敷かせた。
 二人は何か二人きりで、話したくてならぬ事があるやうな気持だつた。
 もう大分夜もけたので、四辺あたりはすつかり静かだつた。夜半からぱつたり落ちて了つた風が、たゞ時々思ひ出したやうに、雨戸の外のひもか何かを、ぱたん/\と打ちつける音がした。二人は枕元の水をしたたか呑んで、枕を並べて寝についた、電気はもうとうに消してあつた。
 …………私はいろ/\な心持をけみした後で、どうも眼がえて眠られなかつた。ふいにごとりとTの寝返りを打つのが聞えた。
「おい。まだ寝ないのかい。」と私は声をかけた。
「まだだ。どうも寝つかれない。」
 私はそこで暫らく暗い天井を凝視みつめてゐた。さうして一人でふゝと笑つた。
「何を笑つたんだい。」Tが闇の中からたづねた。
「なあに、奴らは、僕がかうして君と、此処に寝てゐるのを、夢にも知るまいと思つて。」
 Tはすぐには答へなかつた。そして暫らく経つてから、まるで別人のやうな静かな声音で、
「併し君は幸福だよ。さう云ふ友だちを持つてるだけでもうらやましい。」と云つた。
「うむ……。」私は答ふる暇もなく、不意にまぶたが熱くなつて来るのを感じた。
(大正八年十月)

底本:「現代日本文學大系 45 水上瀧太郎 豐島與志雄 久米正雄 小島政二郎 佐佐木茂索 集」筑摩書房
   1973(昭和48)8月30日初版第1刷発行
   1982(昭和57)9月5日初版第11刷発行
初出:「文章世界」
   1919(大正8)年10月
入力:伊藤時也
校正:鈴木厚司
2006年9月17日作成
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