一

 毎年春季に開かれる大学の競漕きょうそう会がもう一月と差し迫った時になって、文科の短艇ボート部選手に急な欠員が生じた。五番をいでいた浅沼が他の選手と衝突してめてしまったのである。艇長の責任がある窪田くぼたは困った。敵手の農科はことにメンバアがそろっていて、一カ月も前から法工医の三科をさえしのぐというような勢いである。ひるがえって味方はと見ればせっかく揃えたクリュウがまた欠けるという始末。しかし窪田は落胆はしなかった。そして漕いだ経験は十分だが身体からだがないので舵手だしゅになっていた小林を説きつけて、やむを得ず五番にまわした。舵手の代りなら、少し頭脳さえよくて、短艇の経験がちょっとあれば誰れにでも出来る。なあに漕法さえしっかり出来上ってればかじはその日に誰れかを頼んだって間に合わぬこともない。これが高等学校以来もう六年も隅田すみだ川で漕いで来た窪田のはらであった。それでもいくら舵だって相応な熟練はる。一刻でも早く定まれば勝味が増すわけである。窪田は艇の経験ある学生を二三人心で数えて見た。そして熟考のあげく、津島という前の年に二番を漕いだ男を勧誘することに決めた。ところが窪田がたずねて行って見ると、驚いたことには津島は下宿の六畳の間一ぱいに蔵経を積め込んで卒業論文を書いていた。(津島は宗教哲学を専修していたのである)窪田自身も卒業期ではあるが、これでは自分の呑気のんきをもって他を律するわけには行かないと思った。しかし話だけはして見ようというので相談して見ると、津島ももともと短艇がそういやではないし、ことに舵に廻るとなれば出たいのは山々であるが、到底出るわけには行かない。卒業論文の方はいいにしても四月始めには故郷へ帰って結婚するはずになっていると言うのである。さすがの窪田もこれを押しきって出ろと勧めるわけにはなおさら行かない。そのばかに困却した態度を見ると津島も気の毒に思った。そして二人でまた新らしく後任の誰彼を物色して見た。するとその時ふと窪田が久野のことを思い出した。久野なら高等学校の時、組選の舵を引いて敗けたことがある。その前年にからだを悪くして転地していたが、もう帰って来ているはずである。現に二三日前も本郷の通りで会った。その時の話ではまた戯曲を書きかけているので、ばかに忙しそうなことを言っていたが、あの男が自分で言うのだから、そう忙しいとまったわけでもあるまい。まあ行って勧誘して見よう。というようなことに二人は話を定めた。そして津島はまだ会ったことがないのだが、行って二人で攻めたら大抵承知するだろうと言うので、すぐ久野のいる追分の素人しろうと下宿へ行った。
 久野はその時、彼の言葉通りに彼の第三番目の習作で、かなり大きな戯曲に取りかかっていた。机の上には二人の来たのを見て、急いで隠くした原稿紙が書物の下からはみ出していた。ちょっとした学生同志の挨拶あいさつが済むと、窪田はちらと机の上に目をやりながら、まだ何用でこの二人が来たのかを推測しかねている久野にいきなり言いかけた。
「実はねえ。短艇の選手が急に一人足りなくなったんで、君にちょっと舵をいてもらいたいんだが、出てくれないかい。ほんとに困ったんだ」
 久野は用事の意外なのに少し驚いたらしかったが、日焼けのした窪田の顔をそっと微笑ほほえみながら見上げて言った。
「出し抜けに妙なことを持ち込んだものだね。しかし僕を引っ張り出さなくたって、ほかにまだあるだろう。僕なんぞ駄目だめだよ」
「ところがほかにないから君んところへ来たんだ。今もこの津島君のところへ行ったら、論文と結婚で忙しくていけないと言うんだ。それで二人で君しかないと決議して、わざわざ勧誘に来たんだ。どうか頼むから出てくれたまえ」
「僕だって脚本を書いてるんで忙しいんだ。帝文の川田敏郎に今月は是非出すって約束してしまったんだからね」
「なあに、君のは一生の大事と言うほどのことではあるまいじゃないか」
「ところが今の僕にとっちゃ少くとも妻君をもらうより大問題だからね」と久野は黙って笑っている津島の方へ顔を向けた。ちょっと面を赤めた津島はこの時初めて口を切った。
「そんなことを言わないで、どうか出て下さい。窪田君もこの通り困り抜いてるんですから。メンバアが揃わなくちゃ他の人も練習に身が入らないんです。それに何でしょう。競漕なんてものは一度はやって見ると面白いものですよ。合宿生活なんぞも学生のうちでなければ、到底味わうことが出来ない経験ですからね。あなただってやって決して損なことはありません。きっと請け合います」
「そうだ」窪田もそれに力を得て口を添えた。「創作でもするっていう人ならなおさらのことだよ。たまにはこういう団体生活もして見るさ。合宿生活なんてものは、全く単純で原始的で面白いものだよ。ある種の獣的な生活だがね。是非一度はやって見る必要があるよ」
「それあ僕だって好奇心の動かぬことはない」と久野は答えた。「しかし何しろ脚本も書きかけているんだし、それに舵を曳いた経験も古いことだからなあ。僕に堂々たる文科の選手なぞが勤まりはしないよ」
「それあ大丈夫だよ」と窪田がようやく久野の心の動き出したのを見て言った。「その点については心配することはない」
「全くそれは大丈夫です」津島も窪田の後から言い足した。
「窪田君のような隅田川の河童かっぱがいるんですから、万事この人に任かせておくといいです」
「河童が川流れをするようなことはあるまいね」と久野は自身で、警句のつもりで言った。
「君が選手に出てくれなくちゃ流れるんだ」と窪田は久野の調子に引き入れられて彼には不似合いな冗談を入れた。
「全くです。流れかかってるんですよ。だからお願いします。おぼれかかった人はわらでもつかむと言うじゃありませんか」と津島まで突拍子もないことを言い出した。
「じゃ僕を藁にしようと言うんだね」と久野は笑い続けた。「つかんで見てから無駄だったって後悔し給うな」
「大丈夫。助けると思ってどうか頼む」
「じゃ一つ甘んじて諸君の藁になるとするかな。しかし他のやつらはまた久野が野次性を出し初めたと言うだろう」
「言ったって平気じゃないか」
「うむ、それは平気だ。芸術家の第一歩はすべてのものに好奇心を動かすのにあるんだそうだからね」
「全くです。全くです」と津島は久野の心持がまた変りでもすると大変だと思って、念を押した。「じゃ出て下さるんですね」
「まだ思案最中なんですよ」と久野は快答を与えるのが惜しいような心持で言いながら、首をうなだれてみた。「何しろ書きかけてるんだからなあ」
「一体いつごろまでに出来るんだい」
「十五日までには書き上げる予定なんだ」
「じゃ十六日からでいいから出てくれ給え。そうすれば正味二十五日間の練習だよ」
「じゃ十五日までに書き上げられたら出るとしよう」
「よろしい。ありがとう。これでやっと安心した。では僕らは明日から四日間佐原まで遠漕に行って来るから、その間に君の方は書き上げ給え」
「よし、全速力で書いて見よう」
 こんなことでとうとう久野は文科の舵手として競漕に出ることになった。

     二

 合宿所は言問ことといの近くの鳥金とりきんという料理屋の裏手にあった。道を隔てて前と横とが芸者屋であった。隣りには高いへいを隔てて瀟洒しょうしゃたる二階屋の中に、おめかけらしい女が住んでいた。朝などはその女が下婢かひに何とか言いつけているきれいな声がれたりした。しかし合宿所を引き上げるまで、とうとうその女は姿を見せないでしまった。芸者屋の方では、こっちが朝九時ごろ起きて二階の雨戸をけでもすると、向うの二階で掃除そうじをしていた女たちが、日を受けてるのでまぶしそうにこっちを見やりながら、かすかなみを送ったりした。まれには「大変お早いんですねえ」などと言っても見た。雨の日などにはその家の妓が五人ほど集まって、一緒に三味線のおさらいをし出した。雛妓おしゃくの黄色い声が聞えたり、踊る姿が磨硝子すりガラスとおして映ったりした。とうとうおしまいには雛妓が合宿へ遊びに来るようになった。そいつが「書生さんて随分大口をきくわね」なんぞと大人びたことを言った。……何だかすべてが久野には妙な落着きがないちぐはぐな周囲であった。
 初め久野が合宿へ行った時、皆遠漕から前日に帰って、初めて練習をえたところであった。久野は皆の顔のひどく黒いのにびっくりした。あんな穏やかな初春の日光が、四日間照りつけたからと言って、こう黒くなるとは到底信じることが出来なかった。久野が入って行くとその六つの黒い顔が一様にこっちへ向いて、「いやあ」と言ったなり飯を食い初めた。窪田は遠漕の話をぼつぼつしながら、「何しろ四日間ずっと天気がよかったんだからなあ。春の方がずっと日に焼けるよ。一つには油断して日に顔をさらすせいもあるし、徐々と焦げて来るんですぐちないせいもある」などと言った。久野は少しく浅ましいような思いで皆の飯を食うのを待っていた。二番を漕いでいる早川なぞは久野の目の前で何とか申しわけをいいながら七杯目の茶碗ちゃわんを下婢の前に出した。そしておまけに卵を五つ六つ牛鍋ぎゅうなべの中に入れて食べた。しかしその無邪気な会話と獣性を帯びた食欲の裏に、一種妙な素朴な打ちけた心持が一座の中に流れているのを久野はすぐ感知した。
 食後には皆が一間に集まって雑談した。女の人の話なんぞもかなり修飾のない程度でわされた。が主な話は遠漕中の失策とか、練習中の逸話とかであった。そしてその合間合間に「短艇ボートなぞは孫子の代までやらせるもんじゃない」とか、「もう死ぬまでオールは握りたくない」とか言う冗談の下に、練習の苦痛が訴えられた。主将の窪田は黙って笑いながらそれをいていた。そして自分も高等学校の時、練習の苦るしさに堪えかねて合宿を逃げ出したが中途でつかまった話なぞして聞かせた。「苦るしいけれども今に面白くなるよ」と彼の眼瞼まぶたれた黒光りのする面貌めんぼうが語っていた。
 打ち見たところ、皆はすっかり融け合っているらしかった。浅沼の去ったことが、皆の心もちにすべて異分子が除かれたというような感じをもたらして、皆の一倍親しみを作ったのであろう。小さな不和が大きな不和の去るとともに息を潜めたのであろう。すべてのことは主将の窪田の命令通りになされた。窪田はそれを命令として明白には口に出さなかったけれど、多年の経験から黙々として自分からやり出した。すると他の選手たちは命令によって動くという意識なしに、窪田の思い通りにそれに従い初めた。窪田の物倦ものうげに垂れた眼瞼の奥には、勝利をはらむ幾多の画策が黙々としてかくされてあった。けれども彼は一言もそれを口に出さなかった。彼は他の選手に鞭撻めいたことを一言も言わなかった。そしてじっと他の選手が彼ら自身の方から自発的に気色ばんで来るのを待っていた。彼の態度にはちょっと老将というようなおもむきがあった。
 十時近くなると皆は五分ずつバック台をやってそして健やかな眠りについた。久野だけが永い間眠らなかった。彼はまだ脚本を書き了えなかった。そしてその草稿を合宿所の二階へ持って来て書くことにした。それで第四幕をとうとう未定稿のままで発表することにしてしまった。十二時過ぎたので彼も床に入った。先刻までかなり騒がしかった四隣あたり絃歌げんかも絶えて、どこか近く隅田川辺の工場の笛らしいのが響いて来る。思いなしか耳を澄ますと川面を渡る夜の帆船の音が聞えるようである。うとうとしている間に二三軒横の言問団子の製餅場で明日のもちき初める。しかしそれを気にして床上に輾転てんてんしているのは久野だけである。彼は他の人たちの健やかな眠りと健やかな活力をうらやましく思った。しかし明日から、彼らと同じく病的な蒼白あおじろい投影のない生活をすることができるのである、それが愉快な予想となって彼の心にあらわれ初めた。
「やっぱりこんな生活に入って見るのもよかった」彼はこうつぶやきながらも一度いてまくらを頭につけた。……

 練習は朝の十時ごろから初まった。ゆっくり寝て、ゆっくり朝飯を済まして艇のつないである台船のところへゆく。敵手の農科はもう出てしまっている。もう千住くらいまでさかのぼって練習しているのであろう、工科の艇もつないでない。法科も漕ぎ出してしまった。医科と文科の艇だけがいつも朝はおしまいまで残された。この二科はよく台船のところで一緒になった。
「いやあ、どうだい」医科の三番を漕いでいる背の高い西川という男が、高等学校以来の馴染なじみでこっちの窪田に話しかけた。
「不景気だ」と窪田が言う。「農科のやつら八時ごろから出てやがる」
「文科っていうところはいつでも呑気だなあ」
「なにを言うんだ。君の方だって今出るんじゃないか」
「僕らの方は毎朝ももを強くするために、三十分ずつランニングをして、それから一時間ほど寝てこっちへやって来るんだ。君の方の呑気とは違う」
「僕の方は自然のリトムに任せてやってるんだからな。決して無理はしないよ」
「ふん、短艇上の自然主義か。自然のままに任せて敗けないようにしろよ。今年の農科は素敵に強いぜ。身体だけを比較したら五科中一番だろう。おまけに柔道三段の奴が二人いる」
「柔道で短艇は漕げやしないよ。それや身体から言えば僕らの方が一番貧弱だ。がまあ勝負というものはわからないもんだからな」
「何しろお互いにしっかりやろうや」
「うん」
 こんな会話がよく二人の間に交わされた。法科と医科とはいつもこっちと親しい口をきいた。しかし農科と同じ二部系統に属する工科とは口もきかなかった。
 三月の半ば過ぎであるが、水上はまだ水煙がめてうすら寒かった。北が晴れると風が吹いて川面に波を立てた。だんだん陽春の近づくにつれて隅田を下る船の数が増して行く。そしてこのごろではそれを縫って走る各学校の短艇もめっきりおびただしくなった。
 一と力漕終って、水神の傍の大連湾に碇泊ていはくしていた吾々われわれの艇内では、衣物きものかぶって休んでいた窪田が傍を力漕して通る学習院の艇尾につけた赤い旗をみやりながら、「全く季節が来たな」と久野に話しかけた。久野は舵のところから「うん」と曖昧あいまいな返辞をしながら、かねふちから綾瀬あやせ川口一帯の広い川幅を恍惚こうこつと見守っていた。いろいろな船が眼前を横ぎる。白い短艇が向うをすべる。ふと千住の方への曲り口に眼をやると、遠く一艘いっそうの学校の短艇らしいのが水煙を立てて漕ぎ下って来る。「おい窪田君。あれあ農科の艇じゃないかい」と久野は呼びかけた。
 窪田はむくっと起き上った。そして望遠鏡を久野の手から受け取ると急いでそっちを見やった。「うん、農科だ、農科だ」艇の人たちは皆一様にね起きた。窪田はじっと望遠鏡に目をあてて見ていたが、「あ力漕をするぞ。久野君時計を見ていてくれ給え。そらいいかい。初めた! 一本二本三本……」と窪田は櫂数を数え初めた。農科の方では無心に力漕を続けている。こっちの七人は息をひそめてだんだん漕ぎ近づいて来る敵艇を見守った。やがて窪田が百本ほど数えると農科の艇は漕ぎやめた。まだこっちの艇までには十分距離があるので、向うではこっちに気がつかぬらしい。ようやく望遠鏡を離した窪田は久野に、「何分かかったい」といた。
「三分と十秒ほどだ」と久野はストップ・ウォッチを見ながら言った。
「ふん。すると彼らは百本の力漕を練習しているのだな。あのピッチじゃ一分間三十六本ぐらいだから」と窪田はまた艇内に寝転ねころびながら、誰れに言うともなく言った。
「奴らのやり方は、どうだい」と久野は心配そうにたずねた。
「大丈夫だよ」窪田は単純に答えた。
「だって僕らはやっと三分の力漕ができるだけなんだからなあ」と四番の斎藤が静かな奮励を含んだ口吻こうふんで言った。
「なあにこれから三日目ごとに一分ずつ増して行けば競争までには楽に五分漕げることになるよ。三分どこが一番苦しいんだ。今の三分力漕を十分仕上げておけばあとの二分はその割に苦しくないもんだよ」と窪田は慰撫いぶ的に言った。皆の心には軽い奮励の心がいた。
 農科の艇はその後も幾度か勝ち誇った自信の下に、文科の眼前を力漕して通った。しかしこっちではそれを見せつけられた日にはことに皆の練習に油が乗った。そしてこのごろでは勝負などはどうでもいいなどと思っている久野までかなり激烈な敵愾心てきがいしんに支配されるようになった。こっちの艇は農科の前では努めてわざと力を抜いた。それでも向うも眼を光らして見送ることはこっちと異りなかった。いい加減な自信がついた時、誰言うとなく「農科の前を精一杯うまく漕いで見せてやりたい」と言い出した。しかし窪田はそれをとめた。そして競漕の三日前になったら、思う存分彼らの前でデモンストレーションをするからと言って皆をなだめた。その時分やっと窪田の思い通りに漕法が固まりかけていた。
 ある日こういうことがあった。文科の艇ではその日珍らしく弁当を持って上流の方へ漕ぎのぼって練習して見ようということになった。久野らは千住の手前で二度力漕をして、それからネギ(力を入れない漕ぎ方)ではんの木林の方へ溯った。するといつの間にかあとから農科の艇も漕ぎ上って来た。それも同じ調子でこっちを執拗しつように追跡して来るのである。何でも向うではこっちがそのうちに漕ぎ疲れて休むだろうから、そしたら漕ぎ抜いて早く上流へ溯ろうというのであろう。そうなるとこっちも意地である。向うが漕ぎやめるまでこっちも漕ごうという気になった。そしてネギとは言い条ほとんど力漕に近い努力で漕ぎ続けた。向うでは相変らずの調子で追うてくる。それでも艇と艇との間にはだんだん隔たりが生じてくる。皆はなおも興奮して小声で「ずんずん抜いてやれ」とささやきながら漕いだ。ところが榛の木林を出外ではずれたところの川の真中に浚渫船しゅんせつせんがいて、盛んに河底をさらっていたが、久野は一度もこっちへ溯ったことがないので、どっちが深いのか分らず、何でも近い方をと思って船の左側に艇を向けたら、たちまちにして浅瀬に乗り入れてしまった。さあ皆が大いにあわててバックをして見たが一生懸命漕いだ勢いでどろに深くい込んだ艇はちっとも後退あとすざりをしない。口惜くやしいがあまり慌てているのは醜態であるというので仕方なしに休めということになった。その間に農科の艇はこっちの右側を三艇身ばかりのところを「あと三十本、そら!」とか何とかけ声までして颯々さっさつと行き過ぎてしまった。皆は歯噛はがみをなしてそれを見送った。「しゃくだなあ! 畜生」と誰れかが怒鳴った。久野は皆の前で、「済まない、済まない」と陳謝した。しかし皆の心の中では誰れもこれを「敗ける前兆じゃあるまいか」と考えて黙り込んでしまった。
 その午後親しい同志の法科の艇から競漕を申し込まれた時、皆が一種の奮励の気味で応戦し、三分間の力漕をして、半艇身ほど法科を抜いたという快い事実がなかったら、この午前中の坐礁事件は永久にいやな記憶となって、競漕の時まで留まったかも知れない。しかしこの例年勝負にならないほど力量がある法科と、たとえ一時の練習にもせよ勝ったということは、選手を初めて勝利の確信にまで導いた。
「口惜しい奴らだなあ」と競漕の練習が済んで二つの艇を並べて休んだ時、法科の二番を漕いでいる小野がこっちを向いて言った。
「どうだ。こんなもんだぞ」窪田が威張って見せた。
「おめえたちの艇は水雷艇だな。ひょろひょろしてるくせに速い」と法科の艇舳トップを漕いでいる、何でも瑣末さまつなことを心得ているので巡査と渾名あだなのある茨木いばらきが言った。
 皆はかなり好い気持であった。そしていつもよりは活気づいて艇庫に船をおさめた。夕飯には褒賞ほうしょうの意味で窪田が特別に一人約二合ほどの酒を許した。合宿で公然と酒を飲ませるのは真に異例であった。今まで選手の誰れ彼れことに二番の早川などが秘密に酒を飲んで来たことはある。別にそれを窪田は面責はしなかった。しかしその翌日の練習にはきっと六七分の続漕ネギを課した。すると飲まない人は平気だが酒を飲んだ男は大抵参ってしまう。そして初めて練習中に酒を飲むことの害を自分でさとってしまうのである。しかしこの日は少量であるが皆が心きなく飲んだ。そして少し酔い気味で皆は、「是非勝つ。これだけ全力を注げば敗けるはずはない」などと盛んに自信の念を燃やし初めた。窪田は皆が勢いづいて来るのを黙って傍の壁にりながら見ていた。彼の顔には、「だんだんおれの思い通りになって行くぞ」という満足の微笑があった。
 二三日してから法科がまた口惜しがって挑戦ちょうせんをして来た。その時は四分の力漕をやってこっちが半艇身ほど敗けた。けれども法科とおっつかっつに行くというのはもう紛れもない事実であった。そして皆はそれにかなり満足していた。

     三

 競漕の日はだんだん近づいて来る。その一週間ほど前に学習院の競漕会があった。それには文農二科が来賓として混合競漕をするはずになっていた。混合というのは敵味方の中堅――三番四番――を交換して漕ぐのである。この時が敵味方初めて正式に顔を合わせるの時であった。双方の艇は一緒に台船のところで順序の来るのを待っていた。選手の中では高等学校の関係から知った顔もあるので互いに挨拶あいさつなどをし合った。それからまるで艇のこととは関係のない問題を何か話し合っていた。文科の整調の窪田は農科の舵手だしゅの高崎と同じ中学を出て同じく一高に入った親友であった。しかし高等学校の時からしばしば敵対の地位に立たせられて来たので、何となく疎隔されてしまい、今では二人はまるで外出行よそゆきの話しかしなくなってしまった。二人は出身地方の土語を用いて妙なわだかまりのある話を始めた。それも、
「今年はいつもよりお寒うござすな」というような当りさわりのないことを言うのであった。そしてたまたま艇のことに及んでもお互いに冷たい好意で敵手のことをめ、わざとらしいまでに自分の方を謙遜けんそんした。彼らはお互いに自分の方を「駄目ですよ、僕の方こそ駄目ですよ」なぞと言い合った。こうしているうちには誰れでも敵味方で二三言は言葉を交した。そしてお互いに敵手が案外人の好いのに驚いた。敵愾心などというものは平凡な発見ではあるが、ある団体間の自欺的邪推であるということが個人個人にはわかった。物に感じやすい四番の斎藤なぞは漕いでしまってから向うの舵手に「御苦労でした」と言われて今までの敵意をすっかり「隅田川へ流してしまった」と自白したほどであった。
 しかし主将たる窪田らの心の中はこの間にも敵の船脚ふなあしや漕法に注意することを怠らなかった。彼は競漕の間に自分の艇へ来ている敵の中堅がどれだけ漕力があるかためそうと思って、ラストで思いきり急にピッチを上げて見た。そして敵手のなかなか侮れないのを知った。
 その時の競漕では久野や窪田のいる文科勢の五人の艇の方が勝った。久野は初めて競漕行路レースコースかじいて見るの機会を得た。

 その日のころから練習はいよいよ激しくなって行った。先輩がしげしげ来て選手を励ましたり、みずから間諜スパイとなって敵の選手の漕力を測ったりした。ある日久野は舵を水原という先輩に頼んで、自身でスパイに出たことがあった。彼は綾瀬口の渡しを越えて向う河岸の枯蘆かれあしの間に身を潜めながら、農科の艇の漕ぎ下るのを待っていた。妙な緊張した不安に襲われながら、彼は少し湿々じめじめした土地に腰を下ろして夕日の中にうずくまった。目の前は千住の方から来た隅田の水が一うねり曲って流れ下る鐘ヶ淵の広い川幅である。幾つかの帆や船が眼の前を静かに滑べって行く。向う岸には紡績の赤い壁がぱっと日を受けて燃えている。彼はそれを越えて遠く春には珍らしい晴れ渡った東方の空と、そしてさらに頭上高くの白黄色を帯びた無限の天空をずっと仰いだ。何だか珍らしいものを見るような気持でしばらくは我を忘れていたが、ふと自分の任務を思い返して上流の方をすかして見た。するといつの間に来たものか鐘ヶ淵の汽船発着所の上手かみてに農科の艇らしいのが休んでいる。急いで望遠鏡を取り出してながめると、舵手の着ている目印の黒マントルがはっきり鏡底に映じた。彼ははっと思って蘆の間に身を潜め、四辺あたりを見巡して微笑ほほえんだ。ここに敵の一人が見ているとも知らず、そのうち彼らは動き出した。整調のオールにつれて六本の黄色い櫂がさっと開いて水に入った。久野は片手にストップ・ウォッチを持ち、片手に望遠鏡を押えて息を殺した。彼らは手馴てならしに数本を漕いだ後、今や力漕に入ろうとしている。「さ行こう!」と言う舵手の声がはっきり久野の耳に入った。彼は急いでストップ・ウォッチのボタンを押した。針はこちこち秒数を刻み初めた。一本、二本、三本……。敵の艇は水を切って彼の眼前一町ほどのところをあざやかに漕いでゆく。三番がスプラッシュをして櫂で水をね上げるのまではっきり見える。彼は夕日のかすめた川面を一直線に走る敵艇のほか何も見なかった。一分、二分、三分……。やがて彼らは漕ぎ止めた。久野は敵のスタートとストップの位置をもう一応確かめて、漕いだ本数及び時間を頭脳の中にしっかり記憶した。そしてほっと息をいて妙な快感を感じながら立ち上った。
 久野が満足して渡しを渡って向うの汽船発着場へ行くとそこに法科の先輩が立っていた。そして「やあ今日はスパイかい。今ここから三分力漕した農科を見たかい」と聞いた。久野は笑ってうなずいた。
 くる日の夕方、文科の短艇ボートはわざわざ漕ぎ帰る時間を早めて、昨日の農科と同じ時刻に同じコースを三分間力漕して見た。そして敵の艇が思ったよりよく出るのを知った。久野は何だか自分の艇も誰れかに偵察ていさつされてるような気がして、仔細しさいに両岸を望遠鏡で調べた。しかしそれらしいものは誰れもいなかった。昨日久野が潜んでいたあたりは、今日は夕方から曇ったのでただぼうと黄色い蘆が見えるだけであった。

 いよいよ季節に入ったので高商、明治という工合に次ぎ次ぎ競漕会が行われた。そうなって来ると勝敗が他人事ではなく思われて来る。大学の各科でももうレースコースを漕ぎ出した。文科も予定通り五分の力漕まで漕ぎつけて、競漕の三日前からレースコースをやることになった。もうこう差し迫っては泣いてもえても追いつかない。そこで正々堂々と衆目環視の中に競漕水路を漕ぐのである。土堤どての上では野次が寄ってたかった。敵味方の漕力を測ったり比較したりする。だんだんいわゆる土堤評というものが出来上ってくる。それが初めは農科必勝ということに傾いていた。ところが今になって見ると文科の選手もなかなか侮れないという風に形勢が変りかけている。
 久野と窪田らは気が気でない。出来るだけうまく漕いで自分らにも自信をつけ、敵へのデモンストレーションをしようと思うからである。敵の漕いだ時間は土堤で先輩や応援の誰れ彼れが測ってくれている。その日文科では農科の漕いだあと十分ばかりしてから薄暮を縫うて漕いで見た。五分十五秒かかった。皆は思いのほかかかったのに落胆して、しおれながら艇を一番最後に艇庫へ入れた。そこへ岸にいた先輩や津島君なぞが喜色をたたえて入って来た。「大丈夫だ。もう勝った」と口々に言っている。聞けば農科の方がコンディションがいいにもかかわらず、五分二十秒以上かかったと言うのである。そして皆が大声をあげてなお詳しく語り続けようとした時、急に選手の一人が誰れか艇庫の戸口に立聞きしている人を見出して小声で注意した。咄嗟とっさの謀計で久野はわざと大声に「なあに心配することはないよ。向うが五秒早くたってこっちの条件コンディションが悪るかったせいだよ」と言ってやった。艇庫の戸口の暗いところに立っていたのは農科の舵手の高崎らしかった。
 こんなことがあるうちにも競漕はますます近づいて来つつあった。

     四

 競漕の日は来た。空は朝から美しく晴れ上った。学校の事務室から小使が早くやって来て、合宿の前へ樺色かばいろの大きな旗を立てた。それがひどく晴れがましく見えた。
 選手らは朝八時ごろに一度手馴らしに艇を出して、一と漕ぎして来るはずであった。皆はいつもと違った心持で艇に乗った。しかし艇はいつもの通りゆるやかに滑り出す。そして窪田の命令で珍しく小松宮別邸の下で小休みをした。その時傍を過ぎた伝馬てんまの船頭が急に何か見つけて騒ぎ出した。何だろうと思って見ると艇とその船の間五間ばかり先きを一つの黒いものが浮いて流れて行く。船頭らは「土左衛門だ。土左衛門だ」と叫んでいるのであった。皆はこの時只黒い棒杭ぼうぐいのような浮游物ふゆうぶつ瞥見べっけんした。やがてこんな時に迷信を持ちたがる久野が「今日は勝った」と言い出したが、それが何だか妙な不安を与えたことも争われなかった。
 そこで彼らは白鬚橋しらひげばし下から三分の力漕をして大連湾まで行った。いつの間にかそこらの陸にはほんとの春が来ていた。傍の工場主のやしきらしい庭内では椿つばきの花がぱっと咲いていた。もう水神のあたりに桜は乱れていた。誰れかが「もうここも見納めだぞ」と言った。何でもない言葉だが皆はその時の感動を笑いに紛らした。そしておのおの油のような川の面や、青み渡った向う岸の蘆や、かすんだ千住の瓦斯槽ガスタンクなぞを見やった。
「どうだ皆体の工合は。昨夜よく寝たか」と窪田が皆に訊ねた。そして彼自身も「おれはほんとによく寝たぞ」と言った。後に聞いたところによると彼はその夜再発しかかった中耳炎に悩まされて、ろくろく眠れなかったそうである。けれども士気の沮喪そそうおもんぱかって彼はあらぬうそを言ったのであった。
 ひるごろになると先生や応援の人たちがちらほらやって来た。選手は昼寝をするはずであったが、それらの人々を対手あいてに快活に話を続けた。しかし競漕のことについてはみずからを誇りはしなかった。「今年の選手は不思議に自分で勝つ勝つと言わないね。いつかの選手はもう大丈夫だなんて言っておいて敗けたっけが、今年のような選手がかえって勝つもんだ」なぞと応援に来た先生が賞めたつもりで言ったりした。
 しかし選手の心持には今となっては実際勝敗なぞは念頭になかった。それよりも強い要求がおのおのの心にあった。それは一時も早くどちらにかまってしまう時が来て、堪えがたい緊張感からのがれたいという望みであった。真に勝負なぞはどうでもいい、ただ感情の弛緩ちかん、これが各人の切に欲するところであった。

 午後になると晴れたままに風が吹いて来て応援船の旗をはたはたと鳴らした。コースにはかなり荒い波が立った。
 しかしいよいよ文農の競漕が初まろうというころになったら、珍らしい夕凪ゆうなぎが来た。
 選手は皆、長命寺の中の桜餅屋の座敷で、樺色のユニフォームを着た。それが久野には何だか身が緊ったように感ぜられた。四時十五分前にはそこを出た。四時の定刻に繋留けいりゅうしないと競漕からオミットされるからである。土堤では観衆が一種の尊敬と好奇の念をもってこの樺色の衣服を着た選手たちに道をあけた。
 文科の短艇ボートが先に拍手に送られて台船を離れた。窪田らはいつもより緩やかな調子で漕ぎ出した。そして三十本ほど試漕をした。その時三番の水原がどうした加減か大きなスプラッシュを一つした。皆の顔にちょっとした陰影があらわれた。
「競漕になってからしないように今のうちさんざやっとくさ」と久野は咄嗟とっさの間に悲観している水原を元気づけた。皆はも一度「やり直し」の気味で二十本ほど漕いで、審判艇の差し出す綱へ繋留した。つづいて農科の艇もつながれた。
 艇庫と土堤と応援船とから「文科あ! 農科あ! 樺あ! 紫い!」などと言う声が錯綜さくそうして起った。審判艇は二つの艇を曳いて発足点へ向った。漕手は皆艇の中へ寝ていた。久野は舵の綱をまさぐりながら、応援の声の多寡を聞き知ろうと思った。どうしても農科の応援の方が多いように思われた。洗い場の辺に久野の友人の松田と成沢が立っていた。二人は「久野、しっかりやれ」と言って帽子を振った。久野は笑いながら樺色の帽子を脱いだ。「赤! 青!」と言うような一般的な応援の中で、自分一個にだけ向けられたこの言葉が久野にちょっとの間妙な、物慕わしい、感傷的な気持を起こさせた。その時の久野の官能は恐ろしくはっきり両岸の人の顔や声が一々見別け聞き別けられるように思われた。そして浅黒い松田の丸顔と、蒼白い成沢の細面とをごみごみした黒い観衆の中からはっきり区別し得た。渡し場から下流には要処要処に農科の応援船が一二艘ずついた。文科の選手らはその敵方の船から起る声援を寂しい心持で聞いた。一体に応援の騒ぎの中には寂びしい空虚があった。自分たちの心の緊張がそう思わせたのかも知れない。――と久野は思った。
 艇は発足点の赤い浮標ブイに着いた。水路コースを見渡すと風は全く凪いでいるのではなかった。それは絶えず北東から吹いて来て艇首を左へ曲げた。久野はそれを直おすために、幾度も二番に軽るくオールを入れさせなければならなかった。艇首を曲げたまま出発しては、たださえ浅草岸へ向きたがる艇の癖を、一層激しくするようなものである。水路を外れて浅瀬を漕いだ日には船脚の止まるのは明らかである。岸の審判所ではそのたびに文科の艇が出たので「櫂を入れるな」と叫ぶ、久野は気が気でなかった。そのうちに「用意」の令が下った。艇首はまた一瞬間の強風に曲げられた。「ええままよ、もうなるようになれ」と久野は眼をつぶった。号砲が鳴り渡った。久野は用意と号砲との間がほんの一瞬時であったのに、ひどく永いように思った。二つの艇の櫂は同時に水に入った。
 久野の眼には敵の艇と自分の艇の前方に白く光っている水路のほか何もなかった。
 久野の艇はどうも滑り出しがよくなかった。「こいつはいけない。皆慌てたな」と窪田と久野は同時に思った。敵艇を見ると確かに一二シートはこっちより出ているらしい。「ゆっくり!」と窪田が叫んだ。久野はさらに大きな声でも一度その言葉を全艇に伝えた。皆の調子がやっと合い出した。この時競漕中敵の艇を野次るので有名であった農科の舵手が、「敵艇を抜くこと約半艇身!」と叫んだ。久野はたちまちその後を受けて「うそだぞ」と怒鳴った。今まで黙っていた久野は一度その言葉を言ってしまうと急に口の緊りが解けたような気がして、恐ろしく雄弁になった。そのうちに農科の三番が一つ大きなスプラッシュをした。水煙が鮮かにぱっと上った。久野は機を得たと言わぬばかりに、「やったぞ。あんな大きなスプラッシュを」と叫んだ。それを見た者も、見ぬものも皆この言に元気づいた。敵の艇はかえって久野に野次られて沈黙してしまった。やっと二つの艇は並んだ。そして水門前で文科は約半艇身先んじていた。農科の舵手はそれでも「向うはもうへたばったぞ!」なぞと言った。久野も「なあにこっちが出ているぞ!」と応酬したりした。しかし心持にはちっともそんな言葉戦いをしそうな余裕がなかった。
 水門まで来かかると久野は「さあ水門だ」と敵に先んじて叫んだ。いかなる舵手でも言うに定まっている場所の指示を、敵艇の機先を制して言うのも、一つの戦術であった。早く言った方がおそく言った艇より先にその場所へ届いたわけだからである。遅れせに農科は水門で特別な力漕を十本した。それでまた艇は並んでしまった。後から追いつかれると何だかずっと追いぬかれたような気がするものである。久野の艇は何だかいつもより船脚がおそいようであった。窪田は敵の艇を見やってそのピッチを比較しながら、「こんなはずではなかったが」と思った。しばらくするとまた文科の艇がじりじり抜き出した。久野は「この調子で」と叫んだ。農科の艇では沈黙していた。そしてもう渡し場での力漕十本はもうこっちに対して効力がなかった。窪田は半眼でその力漕を見やりながら、やっと安心してピッチを上げ出した。
 洗い場では半艇身以上先んじていた。しかしここでの半艇身ばかりの差では敵のラスト・ヘビーがけば何の役にも立たない。久野は「あと一分だ。もう死んでもいいぞ」などと激励した。この「あと一分」と言う練習中に用い馴れた言葉が何よりも選手を元気づけた。一分間ならいくらへたばっても漕げるはずなのである。
 皆は疲れて来た。すると不思議に艇がよく出だした。文科の艇は疲れて来ると各個人、癖がとれて、全体としての調子がそろうのである。協力がこの時初めて平均した。そして窪田の櫂につれて、おのおのは器械的に身体を前後に動かした。
 農科のラストも実によく出た。しかしそれを見て久野が気遣きづかっている間に文科の方のヘビーも非常によく効いた。多年の老練で窪田のピッチがぐんぐん上った。「もう十本!」決勝点に入るまでは随分長く感じられた。久野はひょっとしてもうウインニングへ入っても審判の号砲が発火しないのじゃないかと思った。その瞬間に号砲は響いた。皆は漕ぎやめて艇内にどっと身を伏せた。
 そして久野は初めてこの時あらしのような喝采かっさいが水上に鳴り響いているのをいた。それは決勝点に近づくとから鳴りまなかったのであるが、彼の耳には入らなかったのである。
「どっちが勝ったんだ」と二番の早川が苦るしい息の中から、情けない声を出した。
「安心し給え。僕らだ」と久野は答えた。しかし久野自身も勝利を確信しているのではなかった。そして審判所に掲げられた樺色の旗を見るまでは安心がならなかった。
 喝采はまだ続いていた。今までに類のないほどの接戦であったのが敵味方のいずれにも属してない観衆まで熱狂せしめたのである。
「窪田君、艇を岸につけようか」久野は言った。
「待ち給え。もっとゆっくりでいいよ。こんなことは滅多にないんだから、ゆっくり勝利の心持を味わおうじゃないか」
 窪田は答えた。そして艇はなおも続いた喝采の渦巻うずまきの中で静かに水面に漂わされていた。
 その時久野はふと農科の艇を見た。それは今岸に着けられたところであった。そして野次が艇内から敗れた選手をたすけ起して岸へ上らせていた。三番の大きな男が二人の野次の肩に凭りかかって、涙をかくしながら運び去られた。彼らはわざとしているのか真に動き得なかったのか、とにかく一人では立てぬまでに疲れ果てていた。
 たった半艇身の差が何という感情の異り目を造ったことであろう。時間にすれば二分の一秒を出ない間である。空間にすれば二間と出ないところである。そして全体の水路から見て真に何百分の一に足らぬ間である。この少しばかりの、しかも効果の恐ろしく大きな差は、そもどこから出たのであろう。主将の窪田は全く一本の櫂ごとにちょっとずつの差が出るという予定があったであろうか。毎日の練習の何分間かの優越がこの差を伴ったと久野自身も信ずることができるであろうか。もしこっちの選手の誰れかが一本櫂を流したらどうだろう。たちまち勝敗の数は転倒するかも知れない。久野がちょっと舵を入れそこなったらどうだろう。たちまち艇は追い抜かれたかも知れない。真に危うい勝敗であった。「それはともかく勝ったには違いないんだ」と久野は置き去られた敵の艇をなおも見ながら考えた。
 その間に応援船が四方から漕ぎ寄せた。選手はやっとよみがえったように勝利を感じ出した。
 勝利というもののもたらす感情は、真にすべてのそれの中で、最も妙な複雑なものである。――と久野は思った。夕日が今戦いのあった水路を掠めていた。久野は再びそれとそれから岸にいる観衆近くに漕ぎ寄せた応援の人々の単一な顔を珍らしげに見廻した。

     五

 その夜いつもの慣例に従って常盤華壇ときわかだんで祝勝会があった。競漕からもう数時間を経ていた。それで各選手はおのおの過去の緊張の瞬間を思い出しては、理路を立ててそれを語るだけの余裕を持っていた。酒が廻り出すと今まで、勝利の因を他に嫁していた人々も、おのおのの功績を語るに急になった。そしておのおのの戦跡を誇張して語るのが、なお勝利の念を深めかつよろこぶのに必要であるかのように思われ出した。それでおのおのは自分の誇張をも是認してもらうために、他の誇張をも承認した。そして会の終るころにはもう立派な戦史が出来上ってしまった。すべての偶然が必然性を帯びて来る。それからすべての事件が吉兆として思い出されて来る。彼らは競漕に勝ったよりも、競漕に勝ったことを語るのを悦んでいるかのごとくであった。
 聴いている人も、悦んで聴いてやらなくては選手に済まないと思って、それを助長させる傾向がないでもなかった。
 久野は冷たい酒をしては、その場の光景を冷観しようと骨を折った。がしかし彼もまた、勝利を語るのには酔わなくちゃならぬ人であった。

底本:「日本の文学 78 名作集(二)」中央公論社
   1970(昭和45)年8月5日初版発行
初出:「新思潮」
   1916(大正5)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:鈴木厚司
2006年11月1日作成
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