『馬耳塞からでも逃げて来たかね?』
『はあ。マルセイユから逃げてきました。』
『船は辛いだろうな。なに丸かね?』
『日本船じゃありません。英吉利です。』
『英船か。食いものが非道えからね。』
『食い物がひでえです。』
『しかしお前、そんなことを言って巴里へ潜り込んでどうする? 領事館へ泣きついて、移民送還ででも帰るか。こいつも気が利かねえな。』
『そいつも気がきかないです。何とかして巴里で一旗上げたいと思うんですが――故里にあおふくろもいますし――。』
『どこかね? 国は。』
『鹿児島です。』
『おれあ下谷だ。もっとも子供の時に出たきり帰らねえんだが――しんさいはひどかったろうなあ!』
『震災はひどかったです。わたしも知らないんですが――。』
『AH! OUI! 新聞で見たよ。』
いやに星のちかちかするPARISの夜、聖ミシェル街の酒場、大入繁盛のLA・TOTOの一卓で、数十年来この巴里の「不鮮明な隅」に巣をくっている大親分、日本老人アンリ・アラキと、親分のいわゆる「脱走いぎりす船員」たるジョウジ・タニイとが、こうして先刻からボルドオ赤――一九二八年醸造――の半壜をなかにすっかり饒舌りこんでいるのだ。
何からどう話を持って行っていいか――ま、とにかく、いやに星がちかちかしてタキシの咆哮する晩だったが、カラアを拒絶して一ばん汚ない古服を着用した私――ジョウジ・タニイ――が、多分の冒険意識をもって徹宵巴里の裏町から裏まちをうろつくつもりで、ちかちかする星とタキシの――に追われ追われて真夜中の二時ごろ、このサ・ミシェル――サン・ミシェルなんだが巴里訛はNが鼻へ抜けるためほんとうはこうしか聞えない――の「ラ・トト」へ紛れ込んで、国籍不明の「巴里の影」の一つになりすました気で大いに無頼な自己陶酔にひたっている最中、先方にしてみれば何もそこを狙ったわけじゃあるまいが、まったく狙撃されたように飛び上ったほど――つまり私はびっくりしたんだが、いきなりしゃ嗄れ声の日本言葉が私の耳を打ったのである。
『やあ! 一人かね?』
というのだ。断っておくが、この場合、その質問者は何も特に当方における同伴――男女いずれを問わず――の有無に関して興味を感じてるわけではなく、第一、ひとりか二人か見れあ直ぐ判るんだし、これは、言わばただ、おや! こいつあ何国の人間だろう? お国者かな? 一つ探りを入れてやれ、と言ったくらいの外交的言辞に過ぎないのだ。これでむっつり黙り込んでいると、何でえ、支那か、ということになって、鑑別の目的は完全に達せられる。じっさい頭から「お前は日本人だろう?」では放浪紳士に対して露骨に失するから、そこでこの挨拶のような挨拶でないような、ばかに親密な質疑の形式がいつの世からか発見されたもので、これは私たち世界無宿のにっぽん人間における一つの「仁義」である。つまり「港のわたり」なんだが、そんなことをしなくても日本人同士は一眼で判りそうなもんだと思う人があるかも知れないけれど、どうしてどうして一歩日本国を出てみると、早い話が、支那人だの馬来だのハワイアンだの印度だの、西班牙だの伊大公だの91――9+1=10で猶太――だのと「その他多勢」いろいろと紛らわしいやつが出没しているから、何事も必要は発明のおっかさんなりで、ちょいと石を投げる心もちでこの「やあ! 一人かね?」をやる次第で、これによって日本人という事も確定出来れば、また、忽ちこのとおり十年の知己のごとく、一つ卓子でこの場合ではボルドオ赤――半壜。一九二八年製――をSIPしようてんだから、これは仲なかどうして地球的に荒っぽい意気さの漲るじんぎだと言わなければならない。
事実、馬耳塞でもリスボンでもハンブルクでもリヴァプウルでも、未知の日本人――そして日本帝国外務大臣発行の旅券を持たない人々――のあいだの最初の会話は、魔窟でも酒場でも波止場でも、必ずこうして開始されることにきまってる。
『やあ! 一人かね?』
これに対する応答も約束により一定している。
『やあ! 一人かね?』
とおもむろに同じ文句を返してやるのだ。だからA「やあ! 一人かね!」B「やあ! 一人かね?」とこう一見まことに無邪気な、昨夜の悪友が今朝また省線で顔を合わしたような平旦な一街上劇の観を呈するんだが、こいつをいま「市民のことば」に翻訳してみると、A「やい! 手前はにっぽんだろう? 白状しろ!」であり、Bは「日本人だがどうした。大きにお世話だ!」となる。
どこから傍道へ外れたのか忘れちまったから、再び「夜の酒場、暗いLA・TOTO」へ引っ返して出直すとして――で、つまりその、そこで私が精々ぱり・ごろめかして独りで凄がっているところへ、突然この「港のわたり」をつけたやつがあるんだが、そんなに心得てるなら何もびっくりすることはないじゃないかと言うだろうけれど、私をどきんとさせたのは、その場所――誰だってこの深夜の巴里サミシェルの「隠れたるラ・トト」でよもや日本語をぶつけられようとは思うまい――と、何よりもその声の主なる一人物の風体相貌とであった。
と言ったところで、べつに異様ないでたちをしていたわけじゃない。異様どころか、じろりと出来るだけ陰惨な一瞥をくれてこの「やあ!」の出所を究明した私の眼に朦朧と――紫煙をとおして――うつったのは、何のへんてつもない、薄よごれた服装の日本のお爺さんだったが、それがにこにこしながら自分の酒杯ひとつ持って私の食卓へ移ってきたのを見ると、私だって相当苦労を積んでるから三下か親分かくらいは一眼で識別出来る。その、先生ばくちの貸元みたいに小柄なくせにでっぷり肥った巴里無宿のアンリ・アラキ老――これは間もなく名乗りを聞いてわかったんだが――の身辺には、「七つの海」の潮の香がすっかり染みこんで、酸も甘味も舐めつくしたと言ったような、一種の当りのいい人なつこさが溢れ、そしてその黒い細い眼の底に、若えの、ついぞ見ねえ面だが、近頃めりけんからでも渡んなすったかね? といいたげな、いかさま大胆沈着・傍若無人の不敵な空気が、世慣れたこなしとともにうっそりと漂っているんだから、瞬間にして、私は思った。ははあ! これはただの旅人ではない。まさしく何のなにがしというれっきとした名のある大親分であろう、と。
だから、彼のあいさつに対しても咄嗟に私は幾分の敬語を加味して答えたくらいである。
『やあ! 一人かね?』
『は。お一人ですか。』
こうして私の前にどっかと――じっさいどっかという親分的態度をもって――腰を下ろしたアンリ・アラキは、どういうものか最初から私を「馬耳塞から脱船してきた下級船員」に決めてかかっていたのだ。いつだって親分にさからうことは幾分の危険を意味するし、ことにこの際、べつにNON! なんかとわざわざ反対の意思を表明して立場をあきらかにする必要もないから、長い物には巻かれろで、そのままおとなしく「脱走船員――海の狼」に扮し切った私は、さてこそで、ちょいとこう船乗りらしく肩を揺すってぽけっとから紙を取り出し、そこは兼ねて習練で煙草を巻き出したんだが、この私の手の甲にさしずめ錨に人魚でもあしらった刺青でもあると大いに効果的で私も幅がきくんだけれど、無いものはどうも仕方がないとは言え、私はすくなからず気が引けている。が、その間も私と親分は「故国にほんのこと」、私の「今後の身の振り方」等々々につき非常にしんみりと語らいをかわしているのだ。
『この頃の若い人は意気地がねえな。仕様がねえじゃねえか。石炭船ぐれえ辛棒が出来なくちゃあ――。』
『どうも済みません。』
『ははははは。済みませんじゃないぜ。が、まあ、若いうちは何をしてもいいさ。困ってるならうちへ来なさい。何とかするし、用もないことはないから――。』
愉快になったアンリの親分は、心から「この頃の若い人」を持てあましてるように、舌打ちのかわりにぐいと私のMEDOC――ボルドオ赤――をあおりつけてぺっと唾をした。
そうすると、巴里の午前二時はほかの町の午後二時だ。LA・TOTOの暗い電灯に仏蘭西語の発音とベネデクティンの香が絡み、「工業の騎士」の労働者たちの赭ら顔を Gauloises の煙りがぼやかし、誰かの吹く普仏戦争当時の軍歌の口笛に客の足踏みが一せいに揃い、戸外には、ちかちかする星とタキシの呶号と、通行の女と女の脚と、脚の曲線とその媚態と――AH! OUI! 深夜の「巴里」はいま聖ミシェルの鋪道に流れている。
2
巴里!
ちらと大腿を見せて片眼をつぶっている巴里!
Ah, qu'il est beau, mon village,
Mon Paris, mon Paris !
しぶ皮の剥げた巴里の女がこう唄う。人を呼ぶ「巴里の声」だ。Mon Paris, mon Paris !
これに魅されて、一つ出かけて行って巴里と世間話でもしてくるかな――ロメオ&ジュリエット――というわけで、世界中の「幻影を追う人々のむれ」が入りかわり立ち代り巴里をさして殺到してくる。
EH・BIEN!
四六時中談笑している淫教のメッカ。
限りない狂想と快楽の猟場。
夜とともに眼ざめる万灯の巷。
眠らずに夢みる近代高速度の妄夢。
弗と磅と円と馬哥と常識と徳律を棄てるための美しい古沼。
曰く。あらゆる不可能を現実化して見せる地上の蜃気楼。
曰く。すでに天へ届いている現代バベルの架空塔。
また曰く。世紀長夜の宴を一手に引き受けて疲れない公休市。
詩情と俗曲と秋波と踊りと酒と並木と女の足との統一ある大急湍――OH! PARIS!
土耳古人にもせるびや人にも諾威人にも波蘭人にも、ぶらじりあんにもタヒチ人にも、そして日本人にも第二の故郷である異国者の自由港。
誰でもの巴里。
だから「私の巴里」――もん・ぱり!
みんなが自分の有として独占し、したがって何人にも属していない地球人の交易場。
やっぱり「私の巴里」――もん・ぱり!
英吉利人には Paris, England であり、あめりか人にとっては、Paris, U.S.A. であり、ふらんす人は未だに Paris, France の気でいるが、ほんとは疾うの昔に Paris, Bohemia になってる「私の巴里」――もん・ぱり!
何という悪戯的な蟲惑と手練手管の小妖婦が、この万人の権利する「私の巴里」であろう!
流行型の胴のしなやかな若い女が、流行型の大きな帽子箱を抱えて、流行型の自動車へ乗るべく今や片足かけている細い線描の漫画――これが「巴里」だ。なぜなら、彼女の長い睫毛と濃い口紅は必ず招待的にほほえんでいるだろうし、すんなりと上げた脚は、失礼な機会の風にあおられた洋袴――多くの場合それは単にスカアトの名残りに過ぎないが――の下から、きまって靴下の頭と大腿の一部を覗かせているだろうし、そして花輪のようなその靴下留めには、例外なく荷札みたいな一片の紙が附いてるだろうから――「あなたへ!」と優にやさしく書かれて。
影と光りとエッフェルと大散歩街とマロニエの落葉と男女の冒険者とヴェルレイヌの雨とを載せて、ふるく新しい小意気な悪魔「巴里」は、セエヌを軸に絶えず廻っている――ちょうどモンマルトルの赤い風車のように。
それと一しょに人の感覚もまわる――酔った中枢神経をなかに。
みんながみんな「自分の巴里」を持ってるからだ。
笑っている巴里。
唄っている巴里。
ちらと太股を見せて片眼をつぶっている巴里。
EH・BIEN!
MON・PARIS!
――ところで、いつまでもひとりで騒いでいたんじゃあ話が進まないから、いい加減ここらで切り上げて本筋へかかろう。
さて、これが私――ジョウジ・タニイが、幸か不幸か一時ノウトルダムの妖怪になった一JOの物語である。
なんかとこうひとつどかんとおどかしておいて、その君があっと驚いてる隙に乗じてこの事実奇談を運んで行こうという肚なんだが、ここに困ったことが出来たというのは、どうも「巴里――日本」とこう万里を隔てているんじゃあ何かにつけて不便で仕様がない。で、いろいろと手離せない御用もおありだろうけれど、そこは私に免じて、一つ思い切って君にも巴里へ来てもらうことにする。
嫌だなんて言ったってもう駄目だ。はなしは早い。君の汽車はいま巴里へ滑り込もうとしている――。
僕が停車場まで迎えに出る。
出来ることなら初夏、もしくは秋の夕ぐれがいい。長い黒煙の旅を終えて北から南から西から東から巴里へ入市したまえ。
ははあ! 君にとってそれは「暫く空けていたふるさと」へ帰るこころもちだ。この、灯のつき初めた巴里の雑沓へ、北停車場なり聖ラザアルなりから吐き出される瞬間の処女のような君のときめき、それほど溌剌たる愉悦はほかにあり得まい。いつ来ても同じ巴里が君の眼前に色濃く展開している。だから、鞄を提げて一歩改札口を踏み出るが早いか、灯火とタキシと女の眼とキャフェの椅子と、巴里的なすべてのものがうわあっと喚声を上げて完全に君を掴んでしまう。同時に君は、忻然として君じしんの意思・主観・個性の全部をポケットの奥ふかくしまいこむだろう。こうして君は巴里の洗礼を受ける。するともう君は巴里人という一個の新奇な生物に自然化しているのだ。君ばかりじゃない、土耳古人もせるびや人も諾威人も波蘭人もブラジリアンもタヒチ人も亜米利加人も――。
笑っている巴里。
唄っている巴里。
ちらと洋袴をまくって片眼をつぶっている巴里。
君! 君ならどうする?
まずホテルへ。BON!
そら、タキシだ。手を上げる。
『キャトルヴァンデズヌウフ・アヴェヌウ・ドュ・シャンゼリゼエ――セッサ!』
君の口から生意気な一本調子が自然にすべり出る。ははあ! 君はまだ飲まない葡萄酒に酔っているのだ!
ホテルへ荷を下ろす。が、夜とともにいま生き出したばかりの巴里が、君を包囲して光ってる、笑っている、唄ってる――ちょいと太股を見せている。
さ、第一に、君はどうする?
グラン・ブウルヴァルへ出かけて歩道の張出しで apritif でも啜るか。BON!
ジョウジのように洋襟をはずし、一ばんきたない服を着て聖ミシェルか Les Halles あたりの酒場から酒場を一晩うろついてみるか。これもBON!
それとも些かの悪心をもって路上に「鶴」――辻君のこと。たぶん立って待ってる姿が似てるからだろう――でもからかうか。または例の「女の見世物」でも漁って歩くか。同じくBON!
と、そう何でもかんでも善哉じゃあ案内役の僕が困るが、いま「女の見世物」ってのが出て来たようだが、じつは、話はこの「女の見世物」と大いに関係があるんで――と言っても、僕がそんなところを君を引きまわすわけじゃないから安心したまえ。それどころか、僕は僕で、ゆうべサミシェルのLA・TOTOでアンリ親分から言いつかった大事な用があるんだ。
とにかく、おもてへ出よう。
巴里の夜は人の眼を wild にする。君ばかりじゃない。土耳古人もセルビヤ人も諾威人も波蘭人も、ぶらじりあんもタヒチ人も「紳士である」いぎりす人も、「あんまり紳士でない」亜米利加人も――。
私の仕事の受持ちは、この英吉利紳士とあめりかのお金持ちなんだが、じゃあ一たいどんな仕事かと言うと――待った!
今そいつを明かしちまっちゃあ第一親分に済まねえし、それより話にやまってものがなくなる。だから、ここまで来たが最後、嫌でもおしまいまで読むことだ。
3
ブルヴァル・キャプシンからマデレイヌ、RIVOLIから宮殿広場、オスマンからプラス・ドュラ・コンコルド、シャンゼリゼエから星、そこの凱旋門から森ドュ・ブウロニュの大街――とこう並べ立てると、外国人――ふらんす人以外の――の多くうろうろしている巴里眼抜きの大通りはたいがい網羅しつくしたようなものだが、これが簡単なようで、いざ実地に足で歩いてみるとなかなかそうでない。まず、リヴォリの「屋根のある歩道」を出はずれてコンコルドへさしかかると、縦横無尽無秩序滅茶苦茶電光石火間一髪と言ったぐあいに、どれもこれも家族の臨床へ急ぐように、眼の色を変え、息を切らした自動車の奔流が前後左右から突進し、驀出し、急転し、新巴里名所「親不知子不知」――もっとも交通巡査だって根気よく捜査すると一人ふたりそこらに居るにはいるんだが、はじめからすっかり降参して、ただ一番安全な安全地帯に立って帳面片手に楽しく鉛筆を舐めてるきりだ。何をしてるのかというと、今かいまかと自動車の衝突するのを待って、事故が起り次第、その状況顛末・操縦者の姓名――なるべく本名――生年月日・欧洲戦争に出陣したりや否や――ついでだが、巴里ではこの、大戦に参加したかしなかったかによって個人の待遇に大変な差別が生ずる。それも、負傷でもしたんだと一そういい。傷が大きければ大きいほど大きな顔が出来るようだ。だから、梯子段から墜落して腰でも折ったやつが杖に縋って町を歩いていたりすると、あれあヴェルダンの勇士だろう。道理で勇敢な顔をしてるなんかと行人のささやきと尊敬の眼が集まる。じっさい巴里における癈兵の社会的権力と来たら凄まじいもので、地下鉄には特別の席があるし、癈兵が手を出したら煙草でも時計でも衣服でも全財産を即座に提供して、おまけにこっちから「多謝」と言わなくちゃならないし、飾窓を叩き割って犬を蹴って、ついでに巡査も蹴って、それから大道にぐっすり寝込んでも、つまりいかなる活躍も癈兵なら一向差しつかえないことになっている。癈兵でさえこうだから、これが戦死者となると実に大した勢いで、巴里の街を欧洲戦争で死んだ人がふらふら散歩でもしてようもんなら――まあ、止そう。
どうもわきへ外れて困る。一たい何からこの癈兵問題が勃発したかというと、地下鉄の件でもなし、梯子段でもなし、そうそう、プラス・ドュ・ラ・コンコルドの交通巡査のことだったように覚えているが、そしてその交通巡査は、二台の自動車がぶつかるや否、素早く「現場」へ駈けつけて「詳細の報告」をしたためようと言うんで、手帖と鉛筆を斜に構えて安全第一の場処に直立してるばかりで、何らGO・STOPの実用にはならないから、「歩く馬鹿」の身になってみると一通りや二通りの苦労じゃないという一事を強調したかったまでのことで、私なんか、これくらいなら「馬耳塞でいぎりすの石炭船から脱船」しなけりゃ宜かったと思ったほどだ。が、今になってそんなことを言ったってはじまらない。巡査だって何もぼんやり立ってるんじゃなくて、白塗りの棍棒を振り廻しながら盛んに無辜の歩行者を白眼みつけたり、その余暇に、前を走る自動車にとても忙しそうにやたらに挨拶してる。
朝なら「お早う」。
晩なら「今晩は」と。
ばかに交通巡査を眼の仇敵にしてるようだが、全くこんなふうなんだから、自動車にはいつだって轢かれるほうが悪いんで、そしてこのプラス・ドュ・ラ・コンコルドを轢かれずに渡った人はあんまりない。私は中央の島みたいなところを飛びとびに辿ったから轢かれなかった。轢かれちゃったんじゃあこの話が出来ないから――。
そこで、これからの一本道が名にし負うシャンゼリゼエなんだが、こいつがまた凱旋門まで一哩と四分の一もある、おまけにいやに真直ぐだから、気のせいか、なお長い。
なんて、てくりながらそんなにのべつ愚痴を溢すくらいなら、早くタキシにでも乗ったらいいじゃないかと思うだろうが、いくら私が酔狂だってこうして郵便脚夫みたいに歩きたかないけれど、それがそうは往かないと言うわけは、じつは、身をもって歩き廻らない以上、どうにもならない役目を一つ、ゆうべ私は親分のアンリ・アラキから仰せつかっているのである。
だから今日、こうやって朝から晩まで巴里街上の風に吹かれるのが、いわばこれ私の運命なのだ。
運命だから仕方がない。だから、歩く。だから、凱旋門からAVEドュ・ワグラム、公園モンソウからオペラ座、伊太利街から――ま、どこでもいいや。外国人――仏蘭西人以外――のほうつき廻っていそうな通りを選んで、精々こっちも放つきまわっているんだが、もっとも、そう言ったからって、ただ漠然とほうつき廻っているんじゃない。それどころか、実は――と、これは極く小さな声で言うんだが――探し物をしてるのである。いや、さがし「物」じゃない。探し「人」なんだ。尋ね人なんだ、つまり。
とは言え、顔を識らない人を、しかも出来るだけ多勢拾い上げて来いというんだから、命令それじしんが何だか私にも一向判然しないけれど、とにかく、ゆうべラ・トトで親分が言うには、「ジョウジや、亜米利加人かいぎりす人が一ばんいい。物欲しそうな面の、金持ちらしいのがうろうろしてたら、こうこうこうしてこうするように――」なんてちゃあんと文句まで教わって出て来たんだが、なるほど、親分の言ったとおりに、物欲しそうな、金持ちらしいあめりか人や英吉利人――どっちも私には一眼で判る――が、到るところに大いにうろうろしてはいるんだけれど、さて、路上そいつへ近づいて自然らしく交際を開始する段になると――。
AH! 九月四日通りへ出た時だった。
そこの町角に立って、車道を越そうかこすまいかと沈思している一人の若い英吉利紳士に、私は見事 run in したのである。どうしていぎりす紳士ということが解ったかというと、その、若いくせに分別臭い顔と、手にしている洋傘と皮手袋と、何よりも、刹那に受ける全体の感じとによってである。考えても見たまえ。巴里の町かどに直立して、さてこの目前の車道をこそうか越すまいかと沈思三番してるなんて、わが英吉利人以外にはなかろうじゃないか。
『やあ! お一人ですか。』
私が言った。無論、いぎりす言葉でだ。
すると彼は不思議そうにゆっくりと私の外貌を検査したのち、五月蠅そうに眉をひそめて、
『私と私の影と、まあ、二人伴れですね。』
と余計な返答に及んだが、私は毫もたじろがない。
『この巴里で、影と二人きりとは確かに罪悪の部ですな。が、罪悪は時として非常に甘い。この事実を御存じですか。』
彼は黙って、何度も私の存在を見上げ見おろした。私はつづける。
『あ、そう言えば夜の巴里の甘い罪悪――あなたは、このほうはすっかり――とこのすっかりにうんと力を入れて、――すっかり探検がお済みでしょうな勿論。』
と、若い紳士は急に吃り出した。
『ど、どんなところです、例えば。』
私も知らないんだから、これにはどうも困ったが、
『それは、あなた自身が御自分の経験によってのみ発見すべき秘密です。』
『ふうむ。』彼は苦しそうに唾を飲んで、『――で、君がそこへ案内するというんですか。』
『いや。私じゃない。親分です。私の親分は、あなたさえ勇敢に付いてくれば、決してあなたを失望させるような人でないことを、私はここに保証――。』
『夜の巴里の甘い罪悪――。』
『そうです。どんな驚異があなたを待っていることでしょう!』
ここで、くだんの若い英吉利紳士の頭に、ちょいとまくった女袴の下からちらと覗いてる巴里の大腿が映画のように flash したに相違ない。
彼は、誤魔化すように眼ばたきをして、
『いつ?』
『今夜九時半。』
『どこで落ち合います。』
『橋アレキサンドルの袂で。』
彼はうなずいた。私は歩き出す。彼の声が追っかけて来た。
『いくらです、案内料は。』
『九百九十八法。』
『高いですね割りに。』
『あとから考えると、むしろ安いのに驚くでしょう。』
これで完全に征服された彼は、
『じゃ、今夜。』
と嬉しそうに手なんか振っていた。ざまあ見やがれ!
たった一人だが、ここに私もやっと自発による犠牲者を掴まえたわけで、どうやらアンリ親分にも合わせる顔が出来たというものだ。
あとは、夜になるのを待つばかりだが――面倒臭いからぐうっと時計の針を廻して、無理にももう夜になったことにする。
で、夜――エッフェル塔にCITROEN広告の電気文字が、灯の滝のように火事のように、或いは稲妻のように狂乱し出すのを合図に、星は負けずにちかちかしてタキシが絶叫し、路ゆく女の歩調は期せずして舞踏のステップに溶けあい、お洒落の片眼鏡に三鞭の泡が撥ね、歩道のなかばまで競り出した料理店の椅子に各国人種の口が動き、金紋つきの自動車が停まると制服が扉を開け、そこからTAXIDOが夜会服を助け下ろし、アパルトマンへ急ぐ勤人の群が夕刊の売台をかこみ、ある人には一日が終り、ほかの人には一日がはじまったところ――巴里に、この話に、夜が来た。
4
二十五、六の、どっちかと言うと大柄な、素晴らしい美人であった。
ここはどうあっても素晴らしい美人でないと埒が開かないところだし、また事実素晴らしい美人だったんだから、私といえども事実を曲げることは出来ないわけだが――で、その二十五、六の、どっちかというと大柄な素ばらしい美人が――。
とにかく、最初からはじめよう。
巴里浅草のレストラン千客万来の「モナコの岸」は誰でも知ってるとおり昔から美人女給の大軍を擁し、それで客を惹いてるんで有名だが、この「モナコの岸」の浜の真砂ほど美人女給のなかでも、美人中の美人として令名一世を圧し、言い寄る男は土耳古の伯爵・セルビヤの王子・諾威の富豪・波蘭土の音楽家・ぶらじる珈琲王の長男・タヒチの酋長・あめりかの新聞記者・英吉利の外交官――若い何なに卿――日本の画家なんかといったふうに、なに、まさかそれほどでもあるまいが、まあ、すべての地廻りを片端から悩殺し、やきもきさせ、自殺させ蘇生させ日参させ――その顔は何度となく三文雑誌の表紙と口絵と広告に使われ、ハリウッドの映画会社とジグフィイルド女道楽とから同時に莫大な口が掛って来たため、目下この新大陸の新興二大企業間に危機的軋轢が発生して風雲楽観をゆるさないものがある――なあんかと、いや、つまりそれほど一大騒動の原因になっているくらいの「巷のクレオパトラ」、「モンマルトルのヴィナス」、「モナコの岸」の金剛石とでも謂つべきのが、今いったこの「二十五、六の、どっちかと言えば大柄な素晴らしい美人」なんだから、たといどんなに素晴らしい美人だと力説したところで一こう不思議はないわけで、どうだい、驚いたろう。
名もわかっている。マアセルというのだ。
そしてこのマアセルは、怒涛のように日夜「モナコの岸」へ押し寄せてくる常連の誰かれにとって、すこしでも彼女の内生活への覗見を持つことは、そのためには即死をも厭わない聖なる神秘であった。とだけ言っておいて、先へ進む。
ところで、二十五、六の豊満な金髪美人マアセルだが――。
も一度、最初からはじめよう。
誰も居ない真っ暗な部屋だった。しばらくするとがちゃがちゃと鍵の音がして、戸があいた。廊下の光りが流れ込んだ。それと一しょに人影が這入って来た。人影は女だった。女は、手さぐりに壁のスイッチを捻った。ぱっと明るい電灯の洪水が部屋を占めて、桃色に黒の点々のある壁紙が一時に浮き立った。部屋はマアセルの寝室だった。女はマアセルだった。
マアセルは今日夕方の番だったので、いま「モナコの岸」から、近処に貸りてる自分の部屋へ帰って来たところである。
あたふたと自室へはいってきたマアセルは、うしろの戸をばたんと閉めて鍵をかけると、これで完全に自分ひとりになった安心のため、急に仕事の疲れが出て来たようにすこしぐったりとなった。そして、第一に靴を取ると、緩慢な動作で部屋を突っ切って、衣裳戸棚の大鏡のまえに立った。天鵞絨に毛皮の附いた外套の下から、肉色の靴下に包まれた脚が長く伸びている。マアセルは鏡へ顔を近づけたり、離したり、曲げてみたり横から見たりした。やがてようよう満足したように手早く帽子を脱って帽子を眺めた。その帽子を大事そうに向うの卓子の上へ置いて、ちょっと栗色の断髪へ手をやると、そのまま崩れるように椅子へかけて「あああ!」と小さな欠伸をした。
そうしてじっと何か考えてる様子だったが、そのうちに独り言のようなことをいいながら、立ち上って外套を脱いだ。それを乱暴に寝台へ投げかけた。それから直ぐに着物をぬいだ。ぱちんぱちんとホックの外れる音がすると、着物はだらりと椅子の背にかかっていた。下着とブルマスとコルセットと靴下だけのマアセルだった。が、間もなく彼女は、部屋のまん中でかなぐり捨てるように――上半身に柔かい電灯が滑って、光った。そして顎を引いたマアセルは、ちょこちょこと小走りに急いで、寝台の横へ行った。そこですべてを下へ抛った。さあっと電灯の滑って光る部分が俄かに広くなった。あとは――マアセルはいま寝台の端に腰を下ろして――
美人マアセルの私生活。
SHhhh!
みんなの眼がずらりと壁に覗いているのを彼女は知らない。
ここで、マアセルを愕かせないように、しずかに、ごく静かに、いささか話しを後へ戻す必要があるのだ。
SHhhh! もう一度最初からはじめよう。
これより先、その夜九時半、中天に月冴え渡るセエヌ河畔はアルキサンドル橋のたもとに、三々伍々、黙々として集っている影坊子のむれがあった――と言うと、千八百何年かの革命党員の策動みたいで、これから暗殺でもはじまりそうでいかにも物騒だが、なあに同じ物騒は物騒でも、そんな時代めいた固っ苦しいんじゃない。その中のひとりが、今日私によって九月四日通りで捕獲された若い英吉利紳士である一事に徴しても判るとおりに、この群集こそは、これから一晩がかりで「夜の巴里の甘い罪悪」を探り歩こうという、世にも熱烈な猟奇宗徒の一団であった。群集といったところで全十四人である。一たい巴里というところは、いつだってこの種の、アンリ親分に従えば「物欲しそうな面の金持ち」で、こんなことのためには即座に幾らでも投げ出そうという意気込みでふわふわとなっている連中――多くは中年過ぎた外国人――をもって充満しているんだが、こういう「生きている幽霊」には、本国で紳士ぶっていなければならないせいか、妙にいぎりす人が多い。つぎは亜米利加人だが、これあまあ大概の事物には興味を持つんだし、ことに金を出すことにかけちゃあ何にだって人後に落ちない気でいるんだから、この今夜の一隊も、例によってほとんど、英米両国の旅行者だけだったと言っていい。もちろん男ばかりである。
アンリ親分はまだ来ていない。
ところで、私が捕まえたのは若い英吉利人ひとりなのに、どうしてこう十何人も現れて鉢合せを演じているかというと、これは勿論、ゆうべLA・TOTOで親分が「なあにジョウジ、お前のほうはそんなに当てにしやしねえ。俺が半日ぶらつけば何十人でも網にするんだ」と豪語したように、他はすべて今日親分が街上で網にかけたものであろう。見渡すところ、私の若い英吉利人をはじめ独身らしいのも二、三居るようだが、どうも大部分は妻子と社会的地位のありそうな分別顔だ。それがみんな、自分一人と思って出かけて来たところが、意外にも未知の同好者がこうたくさん集合しているので、相互にすっかり照れちまって、或る者は、アレキサンドル橋の欄干からセエヌの銀流へ唾をして、果して真直ぐ落ちるかどうか試験したり、他は恐ろしく澄まし返って、中天に冴え渡る月をそぞろに仰いだり、または、あわてて憐寸をくわえて煙草を擦ろうとしたり―― in a word、どの影法師も困り入ってただやたらにうろうろしている――。
大入満員「ラ・トト」の一卓でアンリ親分が打ち開けた言葉を、僕は思い出す。
『なあジョウジ、』と親分がいったのである。『この巴里って町にゃあ物凄えとこがあるってんで、早え話が、いぎりす人やめりけんなんか、汗水流して稼いだ金で遥ばるそいつを見にやって来るてえくれえのもんだ。だからよジョウジ、だから俺の商売てえのは、まあ早く言えば案内者だが、この物欲しそうな面の外国の金持ちをあつめて、一晩そんなところを引っ張りまわしてやるんだ。お前のめえだが、それあすげえところがあるよ。何しろお前、巴里だからなあ――もう十何年もやってるんだが、いくら馬鹿金が儲かっても、そこはよくしたもんで馬鹿金を費うから、俺って人間はいつまで経っても同じこった。あははははは、ま、明日からお前にもそっちのほうへ働いてもらうさ。』
さて、これですっかり解ったろうと思うが、つまり親分アンリ・アラキは、「脱走船員」の私を助手に十余人の「生ける幽霊」を引具し、今から朝まで順々にその物凄えところを廻ってあるこうというのだ。妙な稼業もあったものだが、これも需要あっての供給だろうから仕方がないとして、この肝腎な親分はまだ姿を見せない。
料金は九百九十八法。千法に二法足らないきりだが、千法よりあずっと安く聞える。まるで年の暮れに猶太人の莫大小屋が、一弗の股引を九十九仙に「思い切り値下げ」して、「犠牲的大廉売」、「自殺か奉仕かこの英断!」なんかと楽隊入りで広告するような、猶太心理学派の遣り方だが、事実どう算えたって千法には二法足らないんだから、やすいこた安いわけで、誰だって文句は言えまい。
こういうわがアンリ・アラキ親分である。寄らば大木のかげで、この人の身内だからこそ、私もこうしてちったあ利いたふうなことが言えるというものだ。
まあ、it は it として――。
「夜の巴里」の探検隊、同勢十四人。こうなると、ひとり者は世話はないが、運わるく細君のあるやつは苦しがって種々悪計をめぐらし、やれ「近頃運動不足で不眠だから一晩夜の空気を吸って歩くようにと医者の厳命だから」ことの、やれ「お前も知ってるとおり今やあたらしく生れ出ようとしている英仏合同一大毛織物会社の設立相談会があってことによると今夜は帰らないかも、たいていは遅くなっても帰るつもりだが、或いは、ひょっとすると帰らないかも知れないが決して心配しないで先に寝てるように」だの、やれ「今の電話でちょっとシャルロアへ出張しなくちゃならない。商用だ。大急ぎだ。多分あすの朝は帰れるだろう」ことの、やれ「土耳古の伯爵に招待された」ことの「セルビヤの王子が来た」ことのと、その他曰く何、曰くなにと、それぞれ大奮闘の末、やっとのことで銘々の「マギイ」を鎮撫納得誤魔化し果せた「ジグス」たちが、期待と覚悟と解放のよろこびに燃え立ちながら、こうしてここ、音に聞くアレキサンドル橋の袂で、ある者はやたらに煙草をふかし、或いはしきりに欄干から唾をし、他はいやに遊子ぶって中空に冴えわたる月を眺めたりなんかしてると、なかにひとり人見知りをしないお饒舌りなのがいて、
『じっさい巴里にあ大変なところがあるそうですからなあ――それに、今夜のは特選ぞろいだと言いますから、まあ、私たちは幸福人ですよ。ははははは、これでどうやら国の悪友達にも土産話が出来ますからね。』
などとあちこち話しかけて歩くもんだから、それをきっかけに一同いつの間にやら同じ上機嫌に解け合って、何物をも辞しない探検家の精神が埃及尖塔みたいに高く天に沖していると――義士の勢揃い宜しくなこの騒ぎに、義士のことは知らないが何がはじまったのかとびっくりして、通行人が足をとめている。
折しもあれ――というほどのことでもないが――そこへ大殿堂ET小殿堂の方角から一台の遊覧用大型自動車が疾駆して来て、待ち兼ねたみんなを拾い上げたのである。探検隊長――まるでアムンぜンかノビレみたいだが――アンリ・アラキが、運転手と並んで腰かけていた。
午後九時四十五分。彼は、出発に際して隊員に一場の訓示を与えた。仏蘭西大使のように流暢なふらんす語だった。
『出かける前に広告はしません。すぐに実物が証明するからです。またどこどこへ行くかということもわざと明言しません。好奇心のためです。ただ必要上、最初の一つだけをここにお話ししましょう――。すでにあなた方も御存じの通り、巴里浅草のレストラン千客万来「モナコの岸」は、昔から美人女給の大軍を擁し、それで客を惹いてるので有名でありまするが、そのなかでも美人中の美人として令名一世を押しつけ、「モンマルトルのクレオパトラ」と呼ばれているのが、マアセルと申す当年取って二十五、六――割引無し――のどっちかというと大柄な、素晴らしい美人でありまして――。』
と、つまり、マアセルに関して、はじめに私が説明した全部は、そっくりこの時の親分の言なんだが、えへん! と親分はここで咳払い――もちろん流暢な仏蘭西語で――をして、あとを続けた。
『で、この万人――いや、厳正には万男――渇仰の的たるマアセルの私生活をこっそりお見せ申すのが、本計画の第一歩でありまするが、前もって特に御注意申し上げたい一事は、私はマアセルの泊っているアパルトマンの夜番に莫大な金を掴ませて特別にその仕掛けをほどこし、それでこうして皆様をお伴れ申すことも出来るわけですが、いま言ったように、夜番の男は抱き込んでありますけれど、当のマアセルはもとより、他の止宿人は何も知らないのでありますから、先方へ参りましたならば、いやが上にも御静粛に、咳くしゃみ等はもちろん、物音一つお立てにならないよう、これだけは切にお願い申す次第であります。「モナコの岸」の美人女給マアセルが、誰も見ていないと思って自分の寝室でいかなる行動に出るか――聖なる神秘はあなた方の行手に! これによってまず些かの御満足を与え得れば、案内するわたくしとしては幸福そのものであります。くれぐれも規則を厳守下さるよう――では、出掛けます。』
というんで、規定の案内料を徴集したのち、一同を乗せてぶうと動き出した探検自動車が、夜の巴里を走りに走り、廻りに廻って、やがてぶうと停止したところが、モンマルトルの山の下なるこの貸間館のまえ。
ぞろぞろ降りる。夜番が横手の戸をあける。親分の先頭でMAIを含み、跫音を窃取して上って来たのが、三階のこのマアセルの部屋の隣室。マアセルの室内の壁紙に黒いぽちぽちの模様があって、その点々に、眼に見えないほどの小さな穴が開いている。そこへ外側から一つずつ覗き眼鏡みたいなものが取りつけてあるから、マアセルの有する全部は各人の鼻っ先だ。
親分は廊下に立って待っているんだが、出発に際しての彼の心配は全然杞憂に帰して、隊員は、しわぶきどころか呼吸を凝らしている。鬚と奥さんを持つ紳士にとって、女の生活なんてとっくに卒業して飽きあきしてるはずなんだが、度々いうとおり相手が「モナコの岸」の女王なのと、その、誰も見てるものがないという確信で、着物と一しょにすべての気取りを除去したあとの赤裸々さと、また別の興趣が期待出来るとみえて、こうしてみんなじっと覗きながら、固唾を飲んで待ち構えた。ところへ――前に言ったように、「モナコの岸」から美女マルセルが帰って来て、竹の子みたいに一枚々々着衣を脱して、そうして、そうして、ええと――どこで話が後退したんだったけな?
――そうだ、マアセルは今や寝台に腰かけてするすると靴をぬいでいる――。
やがて、ざあっと水の音がし出した。
壁の穴は模様のぽちぽちに隠れて内部からは気がつかない。
誰も見てないと思うから、マルセルだって平気だ。部屋を横切って、浴室の扉をあけ放したまんま、お湯の栓を捻っている。お湯は直ぐ一ぱいになった。ちょっと手を入れてみて、マアセルは、熱う! というように顔をしかめた。見ている隊員が躍起になって「水をうめろ水を」と心中に絶叫する。言われるまでもなく、マアセルは事務的に水を出した。そして、ゆっくりお湯につかって、しずかに天井を研究している。
「女給生活の一日」――なんてことを考えているに相違ない。
と、突然立ち上った。赤くなったマアセルだ。それが、いきなり自暴にそこここ洗い出した。石鹸の泡が盛大に飛散する――と思っていると、ざぶっとつかって忽ち湯船を出た。烏の行水みたいに早いおぶうである。
あとはもっと簡単だった。丁寧にタオルで拭いたマアセルは、浴室をそのままにして寝室へ帰って来た。鏡台のまえで顔に何か塗りつけた。そして今は、姿見に全身を映してみて、さかんに嬌態を作っている。
両手を腰に片っぽの肩を上げて爪立ちしたり、真直ぐに立って体操の真似をしたり、櫛を持ってきて髪を色々にアレンジしてみたり――そのうちにふふふと思い出し笑いをした。同時に、何か低声に唄い出した。
笑っているマアセル。
唄っているマアセル。
ちらと――どころかすっかり裸身を見せている「モナコの岸」のマアセル。
AaaaAH! とマアセルは伸びをした。寝台が大きく浪をうって、マアセルの全体重を受け取った。そしてマアセルは、好きなように安楽な姿態で赤本を読み出した。しばらく読んでいたが、いつしか本を持つ手が横ちょにさがり、やがてその本がぱったりと床を打つと、マアセルは床覆の上で眠り出した。すこし口を開けた大の字なりの金髪美人を照らして、室内には、消し忘れた電灯がいやにかんかん氾濫している――。
拡大鏡の向うで、白い大きな脚がさまざまに動いて、マアセルは寝返りを打った――隊員は誰も壁の穴を離れようとしない。親分が這入って来て、そっと肩を叩いて廻る。
これが、アンリ・アラキの夜の日程――てのも変だから夜程だ――における第一の場処「マアセルの寝室」。
モンマルトル、RUEドュ・マタンの五一番ブウランジェ裁縫店の隣りである。
5
第二の場処「すすり泣くピエロの酒場」――モンパルナス羅典区、27, Avenue du Chneau。
再び一同を載せて、ぶうと山下を動き出した探検自動車は、またもや夜の巴里を走りに走り、廻りに廻って、空にはちかちかする星と赤い水蒸気と、地には、タキシの激流と歩道の散歩者と、光る街路樹と暗黒のベンチと、その上の男女の影とその下の野良犬と、ある広場にはあせちりん瓦斯をともして、襯衣一枚の大力士が次つぎに分銅を持ち上げて野天に人と鳥目を集めていたり、くらい横町に立つ女の口にシガレットの火がぽうっと浮かんだり消えたり、名だけ壮麗なHOTELルイ十四世――お泊り一人一晩。七法・種々近代的御便宜あり――の狭い入口に、毛布をかぶった老婆が占いの夜店を出していたり、それへ子供を伴れたお神さんが何やら煩悶を打ちあけていたり、一つの窓から、
Il est cocu, le chef de gare !
Il est cocu, cocu, COCU !
なんかとどら声の唄と一しょに笑いと葡萄酒――ボルドオ赤・一九二八年醸製――の香が流れてきたり、街角の巡査がその唄に合わして首を振ったり、その巡査に売春婦が「今晩は」して通ったり、灯の河の大街を横断したり眠ってる往来を過ぎたり、エッフェルが見えたり見えなくなったり、遠くの町を明るい電車が走っていたり停まっていたり――とにかくぶうとセエヌを渡って、昼ならば、古本・古物の市の立つ川端から、また暫らく走りに走り、廻りに廻ったわが探検自動車が、やがてぶうと漸遅したのが、これなる古い建物の玄関――外見は平凡な一住宅に過ぎない。Il est cocu, cocu, COCU !
Montparnasse だ。ここは。
羅典区の夜――何という国境と習俗を無視した――もしくは無視した気でいる――智的巴里、芸術巴里の「常夜の祭り」がこのかるちえ・らたんであろう!
珈琲一ぱいで一晩かけているキャフェの椅子のやるせなさ。
――夜更けてあおるカクテル・ガラスのふちに、ほんのり附いたモデル女の口紅。
――向う通るはピカソじゃないか顔がよう似たあの顔が。
――絵の具だらけのずぼん・蒼白い額へ垂れさがる「憂鬱」な長髪・黒りぼんの大ネクタイと長いもみあげ・じっと卓上のアブサンを凝視している「深刻」な眼つき・新しい派の詩人とあたらしい派の画家と、新しい派の女と、軽噪と衒気と解放と。
――広い道の両側に「円い角」、「円屋根」、「円天井」と三つの珈琲店が栄えて、毎晩きまってる自分の卓子に、土耳古の詩人・セルビヤの詩人・諾威の詩人・波蘭土の画家・ぶらじるの画家・タヒチの画家・日本の画家が宵から朝まで腰を据えて、音譜と各国語と酒たばこの香と芸術的空気を呑吐して、芸術的興奮で自作の恋の詩を――隣の女に聞えるように――低吟したり、そうかと思うと、おなじく芸術的興奮で真正面から他人の顔を写生したり、やがて出来上ったスケッチを珈琲一碗の値で当の写生の被害者へ即売に来たり、あらゆる思索・議論・喋々喃々・暴飲・天才・奇行・変物――牡蠣の屋台店と鋪道をうずめる椅子の海と、勘定のかわりに長髪族が掛けつらねた「円い角」内部の壁の油絵と――畢竟らてん区は、それ自身の法律と住民をもつ芸術家――真偽混合――の独立国である。詩人と画家とその卵子たちが、笈を負って集まる桃源境なのだ。
ま、それはいいとして、アンリ・アラキの探検隊にはいま俄かに用のないところだから、自動車はこの詩人と絵かきの小父さん達の国を突破しておそろしく暗いここの小路に停車したわけだが――円い角や円天井の騒ぎが遥か彼方、盛り場の夜ぞらにどよめいて、あたりは莫迦にしんと静まり返っている。
親分のノックで戸があく。
一行勇気りんりんとして直ぐ二階の一室へ通る――「すすり泣くピエロの酒場」。
これがその酒場なんだろう。あんまり広くもない部屋にびっしり椅子テーブルが立てこんで、正面に酒台があるきり、装飾もなんにもない、外観以上に平凡というより、むしろ殺風景すぎる室内だ。なるほど酒場と銘打ってあるだけに、申訳みたいに売台のむこうに酒壜の列が並んではいるが、公衆に開けてるんじゃないとみえて、この、酒場の書入れ時刻というのに、客といっては一人もなかった。
魔法使いのような、きたない服装の無愛想なお婆さんが出てきて電灯をひねったので、はじめてみんな、がやがやと卓子に就くことが出来たくらいである。
で、一同、思い思いに狭い酒場の椅子に腰かけて、妙にぽかんとしている。なあんだ馬鹿らしい! こんなところか、何も変ったことはないじゃないか――と言いたげな、狐につままれたような、だからちょっと不服らしい顔つきだ。例のお婆さんが、むっつりしたまま売台の向うに立った。これが酒番だとみえる。
親分が、隊員とお婆さんへ半々に言った。
『とにかく、まだ早いですから、ここで何か飲って行きましょう。御銘々にお好きなものを御註文下さい――おい、婆さん、おれに黒麦酒!』
団員中の人見知りをしない饒舌家が、すぐ親分に倣った。
『それでは、と。わたしは赤を頂きましょうかな。』
仕方がないから皆それぞれに註文を発する。お婆さんは黙ったまま、片っぱしからそれを注ぎはじめた。
奥から五、六人の女給が出て来て、お婆さんの突き出すのをテエブルへ運ぶ。厚化粧をした若い女たちだったが、妙なことには、それが一人ひとり違った型と服装で、ちょいとした若奥様みたいなのや、良家の令嬢と言ったのや、お侠な女学生風なのや、白エプロンの女給々々したのや、踊子のようなのや――この近所の人達の内職にしても些とどうも様子が変だと思っていると、その女たちが、卓子と卓子のあいだの細い通路をすり抜けるようにして酒を配って歩く。普通の酒場やカフェの光景で、べつだん何の珍奇もない。
アンリ親分は知らん顔して麦酒を飲んでいる。
待ちきれなくなったように、一行の代弁をもって自任している饒舌家が口を切った。
『何かあるんですか、ここに。』
コップの底のビイルをすっかり流しこんで、ハンケチで丁寧に口のまわりを拭いてしまうまで、親分は答えなかった。
『詰らないじゃありませんか、こんなところ。』
饒舌家が全員を代表してぶつぶつ言っている。
遮るように親分が大声を出した。
『ちょっとそのあなたのテエブルの隅へ、巻煙草でも何でもいいから置いてごらんなさい。』
『え?』と、饒舌家は不思議そうな顔をして、『何でもいい? ここへですか――。』
言いながらポケットから十法の紙幣を掴み出して、卓子の隅っこへ載せた。
『こうですか――。』
すると、その言葉の終らないうちに、一同は唖然とした。というのは、ちょうどそのとき饒舌家の傍に立っていた女学生ふうの女が、いきなり高々と――上げたのである。下には――彼女だった。それが――と思うと、やにわにテエブルの角を跨いで、しばらく適度に苦心惨憺したのち、その十法札を挟んで悠々と持って行ってしまった。それはじつに、習練と経験を示す一つの芸だったと言わなければならない。
瞬間の驚きから立ち返ると同時に、みんなは争って卓子の隅へ金を出した。だから同時に、あっちでもこっちでも、狭いテエブルの間にこの白い曲芸が演じられている。奥様ふうなのも踊子も、令嬢みたいなのも女給々々したのも。みな一せいに――。
へんに眼の光る、圧迫的な沈黙がつづいた。そのなかで、高く着物を押さえた女たちが、卓子から卓子へ移って秘奥をつくし、男たちはすべて、誰もかれも無関心らしく頬杖なんか突いていた。じっさいそれは、私達の持つ文明と教養を蹂躙しつくして止まない、奇異な悪夢の一場面であった。
みんないつまでも金を置くから限りがない。
酒番のお婆さんは、語らなそうにそこらを拭いている。
アンリ親分は超然として壁に煙草を吹きつけていた。
6
第三の場処「夜の花園」――については、残念ながら何ら筆にすることが出来ない。ただ所在を記すだけにとどめておこう。広場ダンフェル・ロウに近いルウ・デ・アウブルの一〇八番だ。
第四の場処「狂画家の工房」――これも困る。
つぎは第五「人魚の家」―― 87, Rue de L'Orange。ノウトルダムのすぐそばである。これも、這入った時は何のへんてつもない、相当の広さの普通の応接間だった。
が、一同がその部屋へ案内されて、さて、これから何がはじまるんだろうといったふうに、多少要心するような態度で、きょときょとそこらを見廻していると、何らの予告なしに急に室内の電灯が消えて真暗になった。すると、どこかでざわざわと水の動く音がして、おや! と思ってるうちに、映写のようにぱっと真上から強烈な光りがさした。そして、敷物と言わず家具といわず人の肩と言わず、部屋全体に無数の影がゆらゆらと揺らめき出した。
とこういうと、何か人為を超越した恐しい設備でも伏せてあったように聞えるが、なに、よく観察すると至極簡単な装置なんで、誰だって、部屋へ通されると同時に天井へ注意を向ける人なんかないから、今やっと気が付いただけのことなんだが、ここの天井は一面に硝子張りで出来ていて、上に水が張ってある。そしてそのなかで、多勢の人魚が泳いでいるのだ。
室内は闇黒だ。天井は板硝子で満々と水をたたえている。そこに、硝子の下と天井裏とに晧々と電灯が輝き渡っているんだから、早く言えば、金魚鉢を陽にすかして下から覗くようなもので、頭のうえに、光線を溶かして照明そのもののような水がひたひたと浪を打ち、女たち――のが薄桃色の蘭の花みたいに大きくひらいては縮み、鳥のようにつうと流れ、二本の脚を拡げたまま浮かんで行ったり、潜りながら魚のように急廻転したり、静かに水を煽って平泳ぎを続けるのもあるし――何のことはない、まるで海水浴場か湯船の底を見上げるのと同じで、水はそんなに深くないから、なかには立って歩いているのもあれば、蹲跼んで肩まで浴かってるのもある。
十五、六の、女になり立てのから三十歳前後まで、十人あまりの女群のなかには、アルジェリイかどこか植民地産らしい黒人の女もいた。水に濡れて、膃肭臍のように光っていた。それがみんな、水中の必要に応じて思い切り行動する――その全部を細密に照らし出して、石化したようにじっと振りあおいでいる一行の肩に、頭に、絨毯のうえに、硝子ごしの光線は千切れ雲のような投影を落している。
上は明るい海底と人魚の乱舞、下は、ぽうっと月夜の森のような半暗の凝結だ。
幻のように水の音が聞えていた。
戸外へ出ると、ノウトルダムのてっぺんに巴里の月が引っかかって、石畳が汗をかいていた。夜露が降りたとみえる。
この NOTRE DAME ――ノウトル・ダムの寺院だが、これこそは、巴里のノウトル・ダムかノウトル・ダムの巴里か、てんで誰でも知ってる。そしてそれが、船の形をしてセエヌに浮んでいる、小さな市の島の小高いところに建ってることも、昔シイザアが威張り散らして羅馬からここへ来たとき、巴里はこのセエヌの小舟島イル・デ・ラ・シテだけに過ぎなかったことも、だから今でも巴里の市章は、この市の起原を象どった船の模様であることも、イル・デ・ラ・シテはよく巴里の眼と呼ばれ、ノウトル・ダムは屡々その瞳と形容されることも、いつの世に誰が建立したのか未だにはっきり、判らないこのノウトルダムに関して、ヴィクタア・ユウゴウは紀元七百年代にシャレマアニュがその第一石を置いたんだと説いてることも、この、ルイとボナパルトと敵と味方の泪を吸って黒いゴセックの堆積が、いかに多くの荘厳と華麗と革命と群集の興亡的場面を目撃して来たのであろうことも、傴僂のカシモドが身を挺してエスメラルダを助けたことも、一八〇四年、ナポレオン一世がここで戴冠式を挙げて、参列者の一人ダルバンテ公爵夫人が「眼に見るように」手記してるとおり、せっかちなナポレオンは、まず一つの冠を非常に静かに――痛くないように注意して、軽くジョセフィンの頭へ戴せたのち、自分のは実にがさつに引っ奪るが早いかぐっとかぶって並居る僧正大官を驚かしたことも、そして今、そのノウトルダムは巴里第一の名所として、見物の異国者が引きも切らずに出たり這入ったりしてることも――これらはみんな、巴里のノウトルダムかノウトルダムの巴里かてんで、誰でも知ってる。いわんや中殿の屋上に十二聖徒の立像が巴里を見張っていることや、その有名な塔のうえに、より有名な異形変化の彫刻が、これもおなじく巴里を見張っていることやなんか――有名だから誰でも知ってる。
が、そう何からなにまで誰でも知ってるんじゃあ僕も物識り顔をする機会がなくて困るんだが――ここにたった一つ、これは確かに僕が最初に発見したんだと揚言して憚らない、「ノウトルダムの妖怪」という新事実があるのだ。
妖怪は、塔の上の変獣化鳥、半人半魔の奇異像である。
まあ、聞きたまえ。
7
故郷を見捨てるのはロマンテストの哀しい権利だ。みんな他の種族の秘夢をさぐり、新しい人生の瞥見にあこがれ、地球の向側の色彩をおのが眼で見きわめたい衝動に駆られて旅に出る。そして、そのうちの或る者は、鬢に霜を置いても帰ろうとしない。この種の「漂泊の猶大人」の多くを、人は今ふらんす国セエヌ河畔の峡谷に見るであろう。
セエヌの谷――「巴里」。
こうして、何だか自分でもはっきりしないものを翹望して旅をつづけて来た流人達は、一度セエヌの谷へ這入るや、呪縛されたようにもうそこからは動こうとしない。巴里は魅精を有つからだ。ここに言うノウトルダムの妖怪がそれである。木乃伊取りが木乃伊になるように、この妖怪に取り憑かれた彼らは、いつの間にかその妖怪の一つに化し去ってしまうのだ。
こころみに暗い螺旋段をノウトルダムの塔上へ出てみたまえ。
そこの、栄誉あるGOTHICの線と影のあいだに、或いは、長い曲った鼻を市街の上空へ突き出し、または天へ向って鋭い叫びを投げあげ、もしくは訳ありげに苦笑し、哄笑し、頬杖をついている不可思議な石像の群――巨鳥の化けたようなのもあれば、不具の野獣に似たの、さては生き物を口へ押し込んでる半身魔、眼を見張って下界を凝視してる幽鬼――これら石造の畸形児の列が、肘と肘をこすり、互いに眼くばせし合い、雨の日には唾をしながら、はるか下に霞む巴里を揶揄している。
これがノウトルダムの、いや、世界に名だたる巴里の、妖怪像なんだが、より驚くべきことは、夜になって魔性の巴里が「べつの生」を持ち出すが早いか、これらの奇像群がのこのこ塔を下りて来て夜っぴて町じゅうをうろつく一事である。うそでない証拠には、私はよく夜の巴里で、この、現実にそして巧妙に人間化している妖怪どもに会った経験があるのだ。
土耳古の伯爵になりすましてグラン・ブルヴァアルの鋪道の椅子に apritif を啜ってるのや、セルビヤの王子に化けて歌劇のボックスに納まってるのや、諾威船の機関長として横町の闇黒で売春婦と交歩してるのや、なかには波蘭土の共産党員を気取って聖ミシェルのLA・TOT0で「赤い気焔」を上げてみたり、ぶらじるの大学生に扮して「円い角」で喧嘩してみたり、タヒチの画家と称して街上に春画を密売したり、そうかと思うと、セエヌの塵埃船を夜中にせっせと掃除していたり、メニルモンタンあたりの軒下にボルドオ赤――一九二八年醸造――の壜を抱いてぐっすり眠っていたり、古着屋に乗り移って、車を押しながら天へ向って鋭い呼び声を投げ上げて行ったり――その他、かれらの千変万化ぶりは枚挙にいとまもないが、これらのノウトルダムの grotesques が仮りに人格化した有機物こそは、夜の巴里の忠実な市民なのだ。邪教のMECCAの狂信的な使徒達なのだ。
げんに今も、その妖怪の一つは、日本老人アンリ・アラキという存在を藉りて、こうして「生ける幽霊たち」の行列を引率している。ひょっとすると、この「脱走船員ジョウジ・タニイ」なる性格も明かに妖怪の化身かも知れない。ただ近代の百鬼夜行だから、練り歩くかわりに大型自動車をすっ飛ばしてるだけだ。N'est-ce pas ?
夜が更けるにしたがって、巴里は一そう生き甲斐を感じてくる。
ことにその裏まち――ノウトルダムの化物どもは巴里の裏町を熱愛する。
例えばこの、美しく不潔で、巨大に醜い大街セバストポウル――巴里人の通語では略して「セバスト」、憲兵が一般にシパルであるように――は、デュウマの世界が今をそのままに生きている巴里諸相の代表的なひとつだ。そこには、聖マリ・聖ユスタスの両会堂に近く、あまりに古い名の町々が残っていて、その横町と門内の中庭、よごれて傾いた家と、痩せて歪んでいる街灯の柱、そして、酒と脂粉と自動車油のまざった、むっと鼻を突いて甘い巴里の体臭、各民族の追放者のような群集の吐息――そのなかに蠢く市場の「強い男達」と彼ら相手の女のむれ、焼粟屋の火花と肥った主人と、より以上に肥満し切ったその夫人、酒番とトラック運転手と、愛すべき「小説」の apache と彼の gon-zesse。
いまこの町は、笑い声と色眼と秘密と幽暗で一杯だ。
ヴァイオリンを弾く妖精・モリエレルの下男・キャロウの乞食・女装に厚化粧した変態の美青年・椅子直しの角らっぱ・鳥の餌売りの十八世紀の叫び・こうる天ずぼんの夜業工夫・腹巻に剃刀を忍ばせている不良少年・安物の絹のまとまったコティ製の女――これらがみんな露路と入口と鋪道をふさいで、ざわめき、饒舌り、罵りあい、大げさな表情と三角の髯がフェルトの上履きのままおもてを歩き、灯の明るい酒場から呶鳴るバリトンが洩れ、それに縋って金切り声のソプラノが絡み、つづいて卓子が倒れてグラスが砕け、一膳めし屋の玉葱汁――定価金三十文也、但し紙ナプキン使用の方には二十五サンチイム余計に頂きます――に人影が揺れ――この、楽しい窮乏と色彩的な喧噪のSEBASTO街なる「おいらの巴里」を、ぶうと迂廻したわが妖怪自動車は、やがて、びいどろのXマス緑樹に色電気をかけつらねて、そこへ香水を振り撒いたような、最も高価な好奇の牧場、真夜中過ぎのシャンゼリゼエを――ぶうと第六の場処へ。
シャンゼリゼエからちょいと横へ切れた、眼立たない裏通り、Rue d'Albe の九番地下室である。
第六「劇場後の劇場」。
這入ると直ぐ大きな字で書いてある。
Vive L'amour ! ――恋ばんざい!
Vive le bon Vin ! ――好い酒ばんざい!
Vive la chanson ! ――唄ばんざい!
Vive la danse ! ――ダンスばんざい!
Vive L'amour ! ――恋ばんざい!
ふっくらとした真赤な絨毯を敷き詰めた階段だ。先に立って降りながら、親分が言う。地下室とはいえ、あかるい電灯と金ぴかの装飾に化粧品みたいなにおいが漂って、ちょっと大ホテルの婦人室を思わせる。
『御覧のとおり、ここは今までのところと違いまして、ずっと高級であります。劇場後の劇場――名前が示しているとおりに、芝居が閉ねてからの芝居でありまするが、つまり巴里じゅうの有名な女優たちが、木戸を打ってから此家へ集りまして、特に皆さんのために珍しい舞踏をお眼にかけようというのであります。今夜はことに、名のある女優さんはほとんど全部来ておるはずですが、この連中にはまた外聞ということもありますから、どうぞ仮面だけはお許し下さるように、これは予め私から、お願い申しておきます。では、御随意にお掛け下さい――。』
と言うんで、一同がばかに豪そうな重い扉からいわゆる劇場へ案内されると、これは小劇場をうんと小さくしたような、というより、室内劇場とでも命名したい、ささやかな、けれど暖く落着いた一室で、真赤な絹張りの安楽椅子が、劇場の観覧席のように舞台の方を向いて並んでいる。正面に高目の小舞台、真赤な幕が垂れ下っていた。
みんなが席につくと、例の饒舌家がはじめる。
『すると、これは公開の劇場というわけじゃあないんですね。』
『冗談じゃありません。公開の場処ならこうして私がお供するまでもないじゃあありませんか。もちろん極く内証にやっておるのです。』
馬鹿なことを訊くやつだといったふうに、アンリ親分は冷淡に受け応えする。が、しゃべっていなければ気の済まない饒舌家は、
『有名な女優というと――。』
『先週オペラ・コミイクでサロメをやったモナ・ベクマン嬢だの、テアトル・フランセイズのミリイ・ブウルダンだの、いま出てきますから一々名前を申しあげます。ただしかし、面をかぶっていますが、それは先刻もお許しを願ったとおり、下っ端ではないのですから、これだけあどうも――。』
『なに! ベクマンやブウルダンなんかまで? そいつあたいしたもんだ。うむなるほどね。それあ面ぐらいは我慢しなけりゃあ――。』
それに同意して、全員しきりにうなずいているところへ、舞台の下で急に蓄音機が鳴りだすと同時に、見物席の電気が消えて音もなく幕があがった。
脚下灯のまえに二十人ほどの女優が二列にならんでいる。
黒の靴下に高踵靴だけの着付けだった。すこし背の低い前列は、それに一様に黒い毛皮の襟巻をして、つばの広い黒い帽子をかぶっていた。せいの高い後列の女優たちは、絹高帽に鞭のような細身の洋杖を持っていた。前が「女」、うしろが「男」の組らしい。それがみんな、靴と靴下と帽子のほかは完全に裸だった。その靴も靴下も帽子も、「女」の組の毛皮も、「男」の組の洋杖もすべて漆黒なので、女優たちの膚の色と効果的に対照してちょっと美術的な舞台面だった。全部、言うまでもなく顔ぜんたいを黒布の仮面で覆って、眼と鼻のさきと口だけ出している。
アンリ親分が立って、端から名を呼びあげる。
『デ・ラヴェニウ座のイヴォンヌ・モレエル嬢、つぎはモナ・ベクマン嬢、第三は、いまオデオン座の「サフォ」で売出しの若手人気女優ジャンヌ・ロチ嬢、四番目は――。』
と言ったぐあいに、前列が終わると静かに入れ代って後列が前へ出る。そうして一わたりこの披露が済んだかと思うと、やにわに二十本の脚が高く上がり、蓄音機に合わして盛大な舞踏になった。
「男女」二人ずつ組んで社交だんすの形をとったり、バレイみたいに団体的に跳躍したり、かわるがわる一人の花形を中心にレヴュウのように廻ったり、反ったり開いたり――その度に杖と毛皮と乳が揺れて、黒い靴下のほかははだかの脚が、何本も何本も見物のあたまのうえで曲がる、伸びる、廻る――つよい脚下灯の光りを下から受けて――。
『これがみんな有名な女優なんですからなあ。ほかで見ようたって、思いも寄りませんや。』
饒舌家が呟いていた。が、誰にも聞えないとみえて、振り返るものもなかった。
白と黒の廻転は幕なしにつづいて往ったが、おわりに近づくに従い、舞台は記述の自由を与えないことを遺憾とする。
一行はぞろぞろ戸外へ出た。そして、白みかけた朝の空気のなかで解散した。
『さあ、これあこれで宜し、と――。』
一行を送り出して角で別れた親分が言った。
『あいつら、巴里にゃあ凄えところがあるってんで、嬉しがって帰りやがった。』
じっさい、ことごとく満足した全隊員は、解散真ぎわに例の饒舌家が五十法のチップをはずんだのを皮切りにみんな真似して五十法ずつ親分へ献上して行ったくらいだ。が、忘れ物でもしたのか、饒舌家は間もなく引っ返してきた。すると親分は、ごく事務的に私と彼を連れて、いま出たばかりの「劇場後の劇場」へこうして後戻りしたのである。
面を脱って着物を着た「有名な女優たち」が、観覧席で帰り支度をしながら、きゃっきゃっと騒いでいた。そのなかにまず、私は「モナコの岸」のマアセルを発見した。つぎに、ほかの「女優」もすべて、「すすり泣くピエロの酒場」や「人魚の家」やその他の場処で今夜見た顔にすぎないことを知った。饒舌家は草臥れたと言って、不機嫌そうに隅の椅子に腰かけた。そして直ぐに女のひとりと口論をはじめて、アンリ親分に呶鳴られていた。
がやがやするなかで、親分は、出発まえに客から集めた金を取り出して、八百長役の饒舌家をはじめ、幾らかずつそれぞれの女に配りながら、大声の日本語で私に話しかけた。
『どうだ、ジョウジ。いい商売だろう! みんなよく働いてくれるから俺も楽さ。なに? 有名な女優の名を使うのは非道えじゃねえかって? 馬鹿言いなさんな。そっくり出鱈目だあね。モナ・ベクマンだのジャンヌ・ロチなんて、そんな名の女優さんがあったらお眼にかかりてえもんだ。知らねえのは恥だてんで、紳士連中しきりに頷首くからね。そこがこっちのつけ目さ。え? 「モナコの岸」? マアセル? このマアセルか。止せよジョウジ、冗談じゃあねえぜ。此女あお前、俺んとこの嚊じゃねえか。』
そう言って笑った時のアンリ・アラキの顔に、私ははっきりノウトルダムの妖怪を見た。
――と、ここでこの話は済んだのかと思うと大間違いで、君、忘れちゃ困る。君もいま巴里へ来てることになっているのだ。で、着く早々「女の見世物」を漁りに飛び出すはずだったが、ま、もすこし我慢しておしまいまで聞くとして、さて――いやに星のちかちかするPARISの夜、聖ミシェルの酒場、大入繁盛のLA・TOTOの一卓で、数十年来この巴里の「不鮮明な隅」に巣をくっている日本老人アンリ・アラキと、老人のいわゆる「脱走いぎりす船員」たるジョウジ・タニイとは、実はこうして、昨夜から今までまだ饒舌りこんでいたのだ。
が、不思議なことには、夜どおし一人でしゃべり続けて疲れたせいか、話しているうちにアンリ・アラキは、だんだん当初の親分的な無頼さを失い、それとともに、私の尊崇おく能わなかった「七つの海の潮の香」も、「大胆沈着・傍若無人の不敵な空気」もどこかへすうと消えてしまって、かわりにそこに、「さまよえる老猶太人」らしい淋しい影が一そう拡がり、見るまに彼の全人格と身辺を占領して、この長ばなしを語りおわったとき、「大親分アンリ・アラキ」はただの見すぼらしい日本人の一お爺さんに還元していた。
眼をしょぼつかせながらべっと唾をして彼は結んだ。
『――と言ったふうにね、いまお話したような商売を始めれあ儲かること疑いなしでさあ。それというのが、巴里というところはどういうものか昔からそんなふうに思われていて、早え話が、巴里にゃあ物凄え場処があるってんで、英吉利人やめりけんなんか、汗水流して稼いだ金ではるばるそいつを見にやって来るてえくれえのもんです。だからさ、見たがるものを見せてやるために、ちょいとね、今の話のようなすげえところを拵えといて、その物欲しそうな面の外国の金持ちを集めてしこたまふんだくって一晩引っ張り廻そう――てのが、つまり、これあわたしの、長えあいだの、ま、夢でがさ。が、よくしたもんで金はなし、第一そんな女もなし、今さらこの年で日本へ帰ろうにも、領事館へ泣き付いて移民送還てのも気が利かねえしね――済んませんが、あんた、いくらか煙草銭でも与ってくれないかね。』
言い終わった老人の顔に、私は、今度こそほんとにノウトルダムの妖怪を見た。