かうと思つたらどうしてもそのことをやり遂げないと承知できない人物がゐる。
 やり遂げる意志の力はまことに見あげたものであるが、「かうと思ふ」、その「かう」が問題であつて、結果の是非善悪はまたおのづから話が別であらう。
 だが、ともかくも、さういふタイプの男としてすぐ私の眼に浮ぶのは、おそらく諸君の多くはその名前を聞かれたこともないであらう奥山恩といふもう初老に近い国文学者である。

 国文学者にもいろいろある。
 それをこゝでいちいち類別する煩をさけるが、奥山恩は、決して、訓詁を事とする旧学派に属してはゐない。むしろ、古典に対する絶大な愛を示しつゝ、なほかつ、その社会史的意義を正しく捉へ、現代につながる生命の発見に、むしろ最も激しいよろこびを感じる柔軟な頭脳の持主であつた。
 彼は型の如く学校で英語は学んだけれども、シェイクスピヤもエリオットも原書でこれを読みこなす自信はなく、すべての外国作家なみに、目星しい翻訳に頼ることにきめてゐた。その代り、国文専攻の学者としては珍しいくらゐに、印度、支那、ギリシヤからはじまつて、世界のあらゆる国、あらゆる時代の文学をひとわたり、ひろひ読みをし、若いものをたじたじとさせることがあつた。
 新制私立大学の国語国文教師としてのこの薀蓄は、必ずしも、彼を学界に押し出すことに役立たず、また、ジャアナリズムに迎へられる契機ともならなかつた。けれども、それは、彼にとつて、不幸なことではなかつた。彼は、泰然自若として、薄給に甘んじ、最も出費の少い方法で、内外の文学書をむさぼり読み、あまりぱつとせぬ生涯ではあるが、後世に伝へ得るたゞ一巻の著書を残すために、大海に真珠を捜る如く、全精神を打ちこめるやうなテーマの撰択に余念がなかつたのである。

 それはさうと、かういふ一風変つた道へ踏みこんだ奥山恩が、人知れず、自分の生活の中へ、革命的意欲と、いくらかの学問的好奇心とをもつて、なんびとも企て得ないやうな一つの実験を持ちこんで行つた勇気と、それを、十年この方、つまり、三十三歳で妻帯したその日から、ずつと間断なく継続して倦むことのないその根気とを、私は、なによりも、高く評価しないわけにいかないのである。

 こんな風に、やゝ固苦しい前おきではじめたこの物語は、しかし、実は、学問や道徳とそれほど関係のある話ではない。
 その証拠に、本筋へはいる途端に、彼の結婚にまつはる突飛なエピソードを語ることになるのである。
 両親を早く失ひ、兄と妹とが郷里にゐるほか、東京には身寄りといふものはなく、下宿から下宿を渡り歩く殺風景な独身生活を永く続けた揚句、旧師の家へ出入してゐた世話好きな老婦人の口きゝで、ある軍人の娘と見合ひをした。双方とも異議はなく、話は順調に進んだ。二度目に会つた時は、いづれも相手の真意を呑み込んでゐたから、もうたゞ、ひと言ふた言、互に、念を押し合ふだけですんだ。それは、仲人口の禍ひを封じるために必要であつた。
「第一に、僕は貧乏です。第二に、学者とも教育者ともつかぬ中ぶらりんな存在で、たいした仕事ができるとは思つてゐません。第三に、趣味らしい趣味がありません。至つて野暮です。第四に……もう、よしませう、それくらゐで、あとは、どんなボロがでるか、お楽しみといふことにしておきませう」
「結構ですわ。そんなこと、ちつとも、男の方の欠点ぢやありませんわ。あたくしも、仲人さんはたしか二十四とおつしやつたと思ひますけれど、実は二十六ですの。それに、あたくしこそ、きつと家庭で片寄つた教育を受けてゐると思ひますわ。たゞ、父が、軍人のところへだけはお嫁にやりたくないと申してをりました。母も、それに正面から賛成する代りに、かう申してをりました――お父さんのやうな軍人がほかにゐればだけれどねえ」
「申分のないご家庭のやうに思はれます。僕はきつと仕合せだと信じてゐます」
「あたくしは、結婚の幸福といふものは、二人でつくり出すものだと思ひますの。いけません?」
「約束されてゐる限りは、です。僕が言ふのは、その希望がもう既に大きいといふことなんです」
「言葉では、なんにも言へませんわ。あなたのおそばで一生を送るために、このことだけは守つてほしいとお思ひになること、なんか、ございません、それを、おつしやつて……。どんなことでも、きつと守りますわ」
「考へておきませう。僕にも、さういふ註文があれば出してください。実行できることなら、やつてみませう」

 結婚式の当日まで、彼は、つひに、それを口に出す機会はなかつた。が、あれこれと考へた末、一つの案を得るには得た。これなら、さほど無理難題ではなく、それこそ、習慣をつけてしまひさへすれば、案外すらすらと、面白い結果がみられるのではないかと思つた。
 それで、そのことを、式がすんで、いよいよ二人きりになつた時、彼女から催促されるまゝに、言ひ出してみた。
 場所は変哲もない湯河原の温泉宿の一室である。時刻は、ひと風呂浴びて、二人が浴衣にくつろぎ、訳知りの宿の女中のひきさがつたあと、初夜の幕がまさにあがらうとする寸前である。
「いつかお願ひしたこと、まだおつしやつてくださらないわ」
「それがどうも、僕には、言ふ資格がないんだよ。君だけに、あることを守れつていつたつて、君が僕になんかを註文するのとは、おそらく性質が違ふだらうからね。君はおそらく、それを固く守ることによつて、僕へのひとつの愛情のしるしにするつもりでせう? 僕は、実際、我儘で、おまけに、ぼんやりと来てるから、さういふかたちで、君に愛の証拠をみせるわけにいかないんだよ」
「わかつてますわ。いゝえ、あたしは、それだけぢやないの。それもあるけれど、あなたのお望みになることを、ひとつだけでも、後生大事に努めることで、やつぱり、自分が少しでも、あなたに近づきたいんだわ。生意気だけど、えらくなりたいんだわ」
「それを聞いて、僕も、すこし安心した。ぢや、君が想像してることゝずいぶん違ふかも知れないけれど、かういふことを、ひとつ、約束しようぢやないか。いゝ? 僕は国文学者だね。むつかしいことは別として、言葉つていふものに、普通のひと以上、興味をもつてるわけだ。僕は、かねがね、現代の日本語に疑問をもつてゐる。いや、疑問どころぢやない、不信にちかい気持をもつてゐます。つまり、このまゝぢやいけないといふことだ。いろんな厄介な問題はあるけれども、いつたいどこから手をつけたらいゝか? 漢字制限もいゝでせう。新仮名づかひもいゝでせう。しかし、これはむしろ、書かれる言葉としての枝葉末節で、根本は話し言葉の機能、つまり、働きを強めるといふこと、それには、なんとしてもまづ、第一に、余計なものを取除くことが必要だ。言葉の綾にも、必要なものと、まつたく不必要なものとがあることは、すこし世界の文学をのぞいたものにはすぐわかる。僕は、もう議論をしてもはじまらないと思ふ。誰かゞ、自分で、その不必要なもの、邪魔なものを取除く試みをしてみなくてはならないと思ふ。僕は、それをやつてみたい。が、僕ひとりではダメなんだ。日本語には、知つての通り、女言葉といふやつがある。これがまた、余計な、ロクでもない装飾語に重きをおいた、世界に類のない面倒な言葉使ひの連続です。僕と協力するつもりで、君にもひとつ、この言語改革の一役を買つて出てもらひたいんだ。これは、もちろん、まづ、われわれ二人の間だけで、試みてみよう。試みだから失敗するかもわからない。しかし、次ぎの試みがそれで、できるわけだ。そこで、僕が考へたのは、今日、この記念すべき日を出発点として、以後、次ぎの二つを、言葉使ひのうへで注意することにしよう。第一は、うるさく敬語を使はないこと。なるだけ男女平等でいかう。ことに名詞や動詞や形容詞の上に、むやみに、丁寧なつもりでとか、とかいふ接頭語をつけないこと。第二に、一番厄介な代名詞を外国語なみに簡単にするために、一人称単数、つまり、私とか、僕とかいふ代りに、たゞ、古語を生かして、と言はう。それから、二人称、つまり、あなたとか、君とかいふ代りに、これも、と言はう。三人称はしばらく、預ることにして、お互に、これだけを守つてみよう」
「待つてちやうだい。女らしい言葉使ひはいゝのね。ただ、お上品ぶらなけれやいゝんでせう。とか、とかいふ敬語は程度問題でせうけれど、なるべくつけないやうにするわ。それから、あなたの代りに、、あたしの代りに、ね。これは、ちよつと面白さうだわ。第一、感じがあつてよ。いゝわ。慣れるまでむつかしさうね。でも、やつてみませう。二人きりの時だけね。あゝ、をかしい」
は喉がかわいた」
「おビール、ぢやなかつた、ビール、さう言ひませうか?」
「いや、水を飲む」
「水を飲むと、腹をこわしますよ」
「うまい、うまい。それでいゝんだ。そんなら茶をくれ」
「はい、茶碗に残つたカスをどこへ捨てませうか? 外へ捨てゝもよろしいか」
「なんだい、それや、へんに固いな」
 といふあんばいで、他愛なく、新郎新婦は、この言葉の遊びに興じた末、やがて運命の床についた。

 それ以来、まる十年、奥山恩とその妻凜子との間には、切磋琢磨の甲斐あつて、一種の新日本語ができあがりつゝあつた。
 ひと前でも、二人は、平気で、それを使ふやうになつた。
 習慣を知らぬものは、一種の方言だぐらゐに思ひ、別段気にも止めぬ風であつたが、奥山恩の旧友たちは、この斬新奇抜な夫婦語に注意を惹かれ、改めて、その説明を求めるものもゐた。
 奥山は、すると、さすがに得意でなくはなかつた。鼻をうごめかしながら、ひとくさり、結婚以来の苦心談を語り、日本語の前途に曙光を見出したとさへ広言する始末であつた。
「しかしね、僕は決して、これを誰にでも、すぐ勧めようとは思はない。努力次第では、かういふことが可能であり、その結果は、慣れてしまへば、一向、不都合を感じないばかりか、僕の言感からいへば、家内の言葉は、少くとも、僕と二人きりで話すときは、ずつと、以前より、直截な、張りのある言葉になつてゐると思ふよ」
 旧友は、細君の方をみて、果して、彼女も同感であらうか、と、探りを入れるやうに眼をしばたゝく。細君の凜子は、黙つて、つゝましやかに笑つてゐる。
 さういふある日、妻の凜子は、結婚後七年目にやつとできた男の子を寝かせつけてから、夫の書斎へ静かに足音を立てないやうにはいつて来て、かう言つた。
「ねえ、けふは、相談があるの。やつとこれで、とだけは楽に話ができるやうになつたと思つたら、こんどは、よそのひとゝ、それは話がしにくゝなつたわ。ちかごろ、ひとが変な顔して、の顔をみることがあるの。はつと思つて気がつくと、ちやんと、さうなの。との話の調子でそのまゝ喋つてるんだもの。それに、めつたに使はない言葉は、つい、をつけるのを忘れて、平気で失礼な言ひ方をしてしまふのよ」
「いゝよ、大丈夫だよ。が聞いてゝも、そんなに変ぢやないよ。自然にさうなるなら、それでいゝぢやないか」
「けふも、船木さんがゴン(子供の愛称)の診察に来てくだすつたんだけれど、相手は大先生だと思つて、ずいぶん気をつけたのよ。たうとうヘマなことを言つちまつたわ」
「どんなことだ?」
「それがね、あゝいふ先生でせう、わたしはこれでいくつだと思ひます? つて、かうなの。先生の年のことなんぞ考へたことございません、つて、返事しちやつたわ」
「満点だよ」
 しかし、その晩、ゴンの熱はぐんぐんあがる一方で、再び船木博士の往診を求めなければならなかつた。
「どうもたびたび、おそれいります」
 と、凜子は、医者を子供部屋へ案内した。
「お熱がそんなにお高いですか? どれどれ、……」
 と、小児科専門の気易さで、子供の脈を見る船木博士の横から、
「熱は三十八度ですけれど、そのわりに脈が多いやうに思ひますが……」
 奥山が口を挟む。
「なるほど……。昼間拝見したときは、なんでもないと思ひましたが、ともかく、尿をしらべてみませう。ことによると、自家中毒かも知れません」
「それみなさい。がバナヽを食べさせたのがいけなかつたのよ」
のせいにするなよ。だつて、あとからやつたぢやないか。やりすぎたんだ」
「そんなバカな……は指の先ぐらゐよ。は一本をやつたうへに、自分のを半分やつたぢやないの。は機嫌がいゝ時は、すぐ調子に乗るくせがあるわ」
「あゝいふ場合は、一方が責めらるべきではない。協同で責任をとるべきだと、は思ふ」
「もちろん、それはさう……たゞ、一応、が、どうでせうね、と言つたことは事実よ。先生、やつぱり、バナヽがいけなかつたんでございませうね」
 船木博士は、さつきから、この夫婦の論争に、唖然として聴き惚れてゐたが、どこの言葉か、訛のやうなものがあるなと思つてゐた。
「バナヽがいけないんぢやなくて、バナヽぐらゐのものを消化しきれない腸の方がいけないんです。尿の検査もしますが、とりあへず、応急の処置をとりませう」
 可憐な腕へ、静脈注射が行はれた。
 医者が玄関を出ようとすると、
「先生、暗うございますから、足許を気をつけていらつしやいまし」
 と、後ろから、奥山夫人のやさしい声がかゝつた。
「はい。さうご心配はいらんと思ひますが。……ご用がおありでしたら、いつでもご遠慮なく……。ごめんください。お大事に……おやすみなさい」

 ゴンの自家中毒はなほつたけれども、この頃から、奥山夫妻の間には、なにかほぐれない気持がひろがつていくやうに思はれた。
 よく考へてみると、それは、結婚この方、まつたくはじめてといつていゝ、口争ひをしたことに原因があると、二人とも、気がついてゐた。
 細君の凜子は、なぜあの時、夫があんな風に妥協しなかつたか、不思議でならず、夫の恩にしてみれば、どういふわけで、あの時に限つて、妻があれほどむきになつて自分を責めたか合点がいかなかつた。
 今まで夫になにひとつ不満を感じたことのない凜子も、あゝ見えて、ことによると、女心の隅々がわからないのではないかといふ疑問さへ、夫に投げかけたくなる。
 夫の恩はまた恩で、あれほど従順な女にも、どこかにけわしい気性がひそんでゐるのかと、自分の迂闊さを反省した。
 その年も暮れて、なんといふこともない正月を迎へた。
 乏しい学校のボーナスに、まだちつとも手をつけてゐない妻の心根がいぢらしく、奥山恩は、元日の朝、妻が食卓に着くのを待つて、かう切り出した。
「この十年は、二人にとつて、ある意味では幸福な十年だつた。ことに、にとつては、一民族が数百年の歴史を経て成し遂げ得るやうな、大きな進歩のしるしをみることができた。これは、まつたく、の努力と、ことに、の愛情に負ふものだと思ふ。あらためて礼を言ふのも変だが、新年のの挨拶だ。ところで、考へてみると、この十年、二人で楽しい旅をしたこともない。このへんで、若し、財政がゆるせば、一二泊でもいゝ。例の湯河原にでも、ゴンを連れて出掛けてみちやどうだ?」
「いゝことを思ひついてくだすつたわ。のたつたひとつの今の願ひは、十年の間に、知らず知らず積つた、夫婦生活の塵を払ふことよ。どうすればそれができるかわからないけれど、ゴンを間にはさんで、汽車にでも乗れば、ひよつとすると、十年前の、あの、いくらか浮き浮きした気分になれるかもわからないわ」
「よろしい。予算を立てなさい。は、ヒゲを剃つて来る」
 妻の凜子は、溜息を噛み殺しながら、わざといそいそと起ちあがつた。
 夫が湯殿でヒゲを剃つてゐる間に、凜子は、ボーナスの袋を、そのまゝハンドバックへ投げ込んだ。そして、箪笥の抽出を、上から下まで、ひと通り、開けてみた。
 よそ行きといへば和服しか持つてゐない。少し派手すぎるけれども、それは止むを得まい。すべて渋るのはよくないと自分を励ましながら、大柄の縞のお召と縫ひ紋のある黒地羽織を取り出して、肩にのせてみた。
 すると、そこへ、玄関が開いて、誰か来た様子である。
「あら、まあ……お揃ひで……」
 とまではうまく出たが、
「きのふ、噂をしてたとこなのよ。今年もまたイの一番は河津さん夫婦だらうつて……。あがつてちやうだい、そんなとこに立つてないで……」
 客を座敷に通して、凜子は、夫の耳になにかを囁き、急いで、酒肴の準備にとりかゝつた。
 べつに大したものを作るわけではない。あり来りの祝儀の料理を小皿に盛り、トソを盆にのせて、出て来た。
「まづ、明けましておめでたう……」
 と、河津夫人は、同僚の細君同士の打ちとけ方で、軽く挨拶をする。
 凜子も、むにやむにやと、二人に向つて、口の中で、紋切型を言ひ終ると、
「先生は?」
 と、河津が、たづねた。
「先生は、今、おめかしの最中……家族連れで旅行の相談がまとまつたところなの」
 と、凜子は、かくさずに言つた。
「さう、そいつは豪勢だ。旅行はどつち?」
「さあ、湯河原あたりぢやないか知ら」
「なるほど、ゆかりの地だな、羨望にたへません」
 河津教授は、トソよりも一コン熱いのをと註文して、細君に袖を引かれた。
 こんなことで、奥山一家の旅立ちは、半日遅れてしまつたが、湘南電車の乗心地は決してわるくなかつた。
 窓ぎはの向ひ合つた席を陣取り、夫婦は多くを語らずして、すべてを言ひつくしてゐた。
 当てにしてゐた湯河原の宿は満員であつた。途方にくれた教授親子を、宿の番頭は、それでも同業の三流旅館に案内した。
「正月にこんなところへ来るんぢやなかつた。伊豆へ行つてみよう、伊豆へ……。あゝ、それより、三浦半島の油壺はどうだ。有名な水族館のあるところだ」
はもう、どこでもいゝわ。ゴンさへゐなかつたら、田舎道をぶらぶら歩きたい」
「なんでもない。油壺へ行かう。バスを降りると、あとは畑の中の道だ。名案だね」
 横須賀から三崎行のバスが出てゐた。
 なるほど、一月と思へない野の色である。
 奥山恩は、細君の片手にぶらさがつて歩かうとしないゴンを、いきなり、背中へおぶつた。なるたけ少くと思つた着替へが、かうなると、重荷である。
 夫婦は、もう、今こそ、なに言ふ元気もなかつた。
 夫の眼は、空を飛ぶヒバリの群を追つてゐた。妻の視線は、青くのびた麦畑の間にちらほら咲く菜種の花に注がれてゐた。
「海が見える」
 と、夫が、独り言のやうに言つた。
 妻の凜子は、南国の陽を受けて、ドロリと光る海面に、疲れを忘れて微笑をなげた。
「ゴンが眠ましたね」
「さうらしい。重くなつた」
「あら、あら、二人で汗なんか、かいて……」
 妻はハンケチを出して、ゴンの額をまづ拭き、つぎに、夫の眼鏡を外して、鼻から首筋のあたりを、ひとわたり、拭つた。
 そして、急に、その手をやめて、
「まあ、どうなすつたの?」
「なにが?」
 と、夫は、眼鏡を曲げてかけられたまゝ、たづねた。
の鼻は真つ赤よ」
「え? 菜の花?」
 と、夫は、不審さうに、あたりを見廻した。
 妻の凜子は、やつと気がついた。夫は、すぐ向うの畑のひと区切りが、花盛りの菜種で埋まつてゐるのを、ぢつと見据ゑてゐた。妻の凜子はなんとなく胸がつまつた。
「そんな筈はないのよ。でも、ほんとにさうなんですもの……」
 すこしうるみ声で、さう言ひながら、彼女は、持つてゐるハンケチを自分の眼に押しあてた。

底本:「岸田國士全集18」岩波書店
   1992(平成4)年3月9日発行
底本の親本:「別冊文芸春秋 第二十五号」
   1951(昭和26)年12月25日発行
初出:「別冊文芸春秋 第二十五号」
   1951(昭和26)年12月25日発行
※初出時の表題は「菜の花は赤い(コント)」です。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2011年10月13日作成
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