近頃また新劇団が簇出して、盛に招待券を撒いてゐるといふ噂だが、この事実を以て直に新劇の好況時代と見做すことはできない。
 僕は寧ろ、この状能こそ、凡ゆる意味に於て、新劇の衰微を語るものであらうと思ふ。それは「新劇なら誰にでもできる」といふ真理が横行しだした証拠だからである。
 社会主義的宣伝劇も結構である、所謂、娯楽的大衆劇もよろしい、しかしながら、一方で、「演劇のための演劇」を標榜する好事家によつて、絶えず「無目的」な仕事が続けられてゐることも必要である。強ひて云へば、宣伝劇も、大衆劇も、其処からのみ「新しい手段」の選択が許されるのである。
 さて、僕たちは、先年、文芸春秋社の経営にうつつた新劇協会に関係し、多少の抱負を以て事に当つたが、いろいろの事情で手を引くの止むなきに立ち至つた。一言で云へば、此の劇団と生死を倶にするだけの決心がつき兼ねたといふだけのことである。
 処が僕たちは最初から、一二を除き、此の劇団の既成分子には多くの望みをつないではゐなかつた。従つて、此の仕事を引受ける条件として、新たに俳優を養成するといふ一事を主要な項目に入れたのである。新劇協会との関係はなくなつたが、今日まで僕たちが面倒を見て来た研究生は、僕たちが責任を以て育て上げなければならない。で、此の方の仕事だけはなほこれからも続けて行くつもりでゐる。はつきり断つて置くが、これらの研究生は、新劇協会の研究生でもなく、また、文芸春秋社に因縁があるわけでもない。全く僕たち個人同志の関係で結びついてゐるに過ぎない。
 かういふわけであるから、僕たちとしては、差当つて新劇団を組織する計画があるわけではなく、それよりも、わが国の新劇界に今出なくてはならぬやうな俳優を幾人でも送り出したい、そしてできるなら、さういふ人達と一緒に仕事をして見たいと想つてゐるのである。

底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「新選岸田國士集」改造社
   1930(昭和5)年2月8日発行
初出:「読売新聞」
   1928(昭和3)年1月27日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年5月1日作成
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