一

 国民の一人一人が今日ほど政治といふものに関心をもつてゐる時代は未だ嘗てないだらうと思ふ。それはもう、被治者としての消極的な関心ではない。国民のすべては、自分たちのなかゝらこの祖国を立派に護り育てる有能な政治家が出ることを痛切に望んでゐるのである。
 しかし、何処にどういふ人物がゐるかといふことを国民の大部が知らずにゐたといふのは甚だ迂闊な次第であつた。私もご多分に漏れぬ組であるが、日頃、政治や政治家に興味をもたなかつた酬ひがこゝに現れたのであつて、今更致し方がない。新聞雑誌を通じての俄か仕込みの知識がどれほどあてになるか。新しい内閣ができると、新大臣は例外なく評判がいゝ。それがしばらくたつと、平々凡々といふことになる。しまひには、なぜそんな人物が国政の重任を負つたのか、国民は不思議に思ふのが常である。
 もちろん、一国の政治は大臣のみの自由になるわけではないから、大臣になつてどれだけのことができるかは別問題としておくが、今日のやうな時局に、国民は所謂挙国内閣の顔ぶれに期待するところは非常に大きいのである。
 殊に、この度の近衛内閣は、新体制といふものゝ樹立がこれと結びついて、国民に固唾を呑ませてゐる。近衛公の人望は、幸ひにして、この異常な空気をさほど暗くないものとすることに成功してゐる。少くとも、日本の現状を憂ふるものにとつて、すべての改革は一応、希望の光りにてらされてゐると云つてよい。
 私は国民の一人として、この内閣を全幅的に信用しようと思ふ。
 安井内相の談話として、「正しいことを行ふのに張合のある制度を作る」といふ意味のことが新聞に発表されてゐたが、これも私は気に入つた。これは月並な宣言ではない。なかなかよく考へられた言葉である。今日かういふことを云ひ得るだけでも政治家として尊敬に値する。ほんたうにそれができれば、国民はどんなに感謝するかわからない。
 橋田文相は、科学振興について意見を述べてゐた。あれだけの内容なら別に新しい着眼でもないと思はれるが、橋田氏の思想の根柢はもつと深いものであらう。たゞ、私がこゝで一言この問題に触れたいと思ふのは、近頃科学科学と方々でやかましく云ひだした、その動機が如何にも浅薄で外聞がわるい。云ふまでもなく、独逸軍の優勢を、科学の勝利とみることによるのであらうけれども、それはフランスの敗因が、芸術尊重の精神にありと考へるやうなものである。なるほど、独逸の科学兵器(この名称もをかしなものだが)は、英仏のそれよりも一歩進んでゐたことは事実として、また、赫々たる戦勝の主なる原因の一つをこれにおくのもよいとして、それは科学そのものが特に優れてゐたといふよりも寧ろ、「科学の軍事的利用」に於て、彼に一日の長があつたといふ方が正しいと思ふ。
 周知の如く、科学的精神と戦闘的性能とは、本質的に別個のものとして考へなくてはならないのである。たゞ、この二つのものを武力の機械化として結びつけるのが、おそらく用兵及び造兵技術の究極の目的であらう。そして、そこには、芸術家の想像に近い、破壊と抵抗の夢があるのである。
 戦闘に於ける科学の優位を今更他国に数へられて、若し、われわれの国民教育の重点をそこにおかうとするやうな傾向が生れたら、私は、その本末転倒を嗤はずにはゐられない。
 もちろん、日本人は甚だ「科学的」でないといふ一般の事実を否定はせず、もつともつと、この点では、教育の根本的刷新が必要であると私も考へてゐる。しかし、「科学教育」の目的は、仮に、目前の戦争に役立たしめるにあるとしても、決して、軍用器材の発明やその操作に向けられるばかりで満足すべきではない。しかもその「科学教育」に先だつてなさるべき多くの基礎工作が最も必要なる教育界の現状に於てをやである。つまり、「科学」といふものを、さういふものだと思ひがちな大多数の指導者の頭を改良することが急務だといふ意味である。
 新内閣と云へば、その首班たる近衛公の胸中には当然、一大決意がひめられてゐると思ふが、いづれも公の眼識によつてそれぞれの椅子を与へられた閣僚諸氏は、その抱懐する政治的理想をこの機会に達成せんと努力するであらう。国民は日々の新聞を待ちわびて、閣議のニユースに眼を吸ひ寄せられてゐる。折も折、松岡外相の提議にかゝるといふ官吏の恩給問題が具体的な唯一の事項として報道面に浮びあがつた。なるほど、これも機宜に適した議論に相違ない。しかしながら、われわれの期待に比して、なんといふ些末な事項の大袈裟な発表であらう。殊に不可解なのは、この問題の提案が松岡外相によつてなされ、陸相がこれに賛意を表したといふいきさつまで附け足してあることだ。かういふやうな内輪話はこの際、国民はちつとも聞きたくないのである。この発表は公式のものかどうか疑はしいけれども、この種の楽屋落的報道は、政界浮浪者の「小感情」に愬へる興味しかなく、国民の望むところは、もつと堂々たる形式で、決まつたことを決まつたと知らせて貰ふことである。
 由来、政府側の諸種発表と、これを取扱ふ新聞の態度とに、私は、もつと時局に応はしい慎重な研究を要求するものである。この統制ができなければ、国民全体の足並を揃へさせることなど考へるだけでも無理である。
 ヂヤアナリズムのことはあとで述べるつもりだが、差当り、政府当局に希望したいことは、国民に知らせねばならないこと、知らせてもいゝことを、もつと上手に、国民の心理にぴつたりと来るやうな方法で知らせてほしいといふことである。知らせるわけにいかぬことがいろいろあるといふことを、われわれは百も承知してゐるのであるが、知らせなければならぬことさへも、その知らせ方があまり押しつけがましく、無味乾燥であるために、国民は、やゝもすれば、これに耳を傾けながら、自分の判断の基準に迷ふのである。
 これは急にどうするといふわけにいかぬかも知れぬが、万止むを得ざれば、非常手段はいくらもある。要はそこに当局が気がつくかどうかである。
 例をあげればいくらもあるが、いづれも、結果は個人の問題になるからそれはやめる。
 徒らに国民の好奇心を刺激しておきながら、事実の論理的解釈を無視したり、努めて教訓的であらうとして却つて責任のあり場所を疑はせたりすることは枚挙に遑がないくらゐである。
 それをぼんやり聞き流すものもあるには違ひないが、今は、常識のあるものならば、きつと、首をひねつてゐるのである。個人の手ぬかりはしかたがないとして、それをそれですませていゝ時代であらうか? これがいつまでも改まらないのは、気のついたものが黙つて放任しておくからである。
 仮にも、国家の総動員といふことが云はれ、対外的にも、政府の発表は、公に国家の意志と頭脳の働きを示し、国民の文化程度を計る最も端的な資料となり得るものであるから、国民自身が納得するしないは別として、これが果して、国外にどう響くかといふことを考へると、転た寒心に堪へない。
 現在のやうな情勢における政治の権威と魅力とは、国民にかゝる不安と心痛とを抱かせないところにもあると私は思ふ。

       二

 そこで、今度はヂヤアナリズムの問題であるが、ヂヤアナリズムが国民の輿論を代表する時代ではないとしても、少くとも、国民をしてその信頼すべき政府に信頼させるだけの力は現在の新聞雑誌にはある筈である。またさういふ意味では、消極的な言論統制などゝいふことゝは別に、国民を健全に指導する役割は、大新聞大雑誌の誇りにかけても、これを放棄してはならないのである。
 私が近頃のヂヤアナリズムに慊らないのは、その言論が時局的な統制を受け、報道の範囲と種類が限定されてゐるといふやうなことでは決してないのである。紙面の低調は必ずしもこゝから来るのではなく、ヂヤアナリズムの機構のどこかに、個人としてヂヤアナリストがそれぞれもつてゐなければならぬ、またもつてゐる筈であるところの良識の鏡を曇らせるものが恐らく伏在してゐるからである。
 さうでなければ、例へば、最近の某事件の如きを、一様にあゝいふ風に取扱ふ道理がないからである。ある新聞は、わざわざ、犯人が平生親日家を装つて自分の名を「古楠」などゝ称してゐた、と書きたてゝゐる。「古楠」といふ漢字を欧名にあてゝよろこんでゐるのが、なぜ親日家を装ふことになるのか、私にはさつぱり合点がいかぬ。かういふ世間の論法が正しくないことを発見するのは先づ第一にヂヤアナリストでなければならない。ところが事実は全く反対で、不合理、卑俗な物の考へ方を第一に今の新聞が煽つてゐるかたちである。
 事変以来、一種の排外思想、殊に反英的空気が濃厚であるのは、政治的にも理由のあることに相違ないけれども、その調子の音頭取りは甚だ不手際である。国民の「悪感情」がたとへそこまで行つてゐるにもせよ、大新聞は大新聞らしく、日本人の力と技術とをもつて所謂敵性なるものに適当に対抗する姿勢を示さなければいけない。同じやうな例だが、支那に在住する民主主義国宣教師の行動について云々する場合でも、嘗てかういふ論法の悪態を読んで私は危く吹き出さうとした――それは、彼等の一人が布教を看板に人跡未踏の山野にわけ入り、ひそかに鉱脈を探して何者かの為を謀らうとしてゐた。その証拠にいろいろな鉱石を拾ひ集めて部屋に積んであつた。宗教の名にかくれて彼等の犯してゐる不徳行為はかくの如きものであるといふのである。なるほどさういふ事実が偶然あつたかも知れぬ。しかし、この宣教師の肩を持たうとするものでなくても、それだけの証拠では、なんら不徳行為と見做すことはできない。或は、単に鉱物学に興味をもち、研究のかたはら、標本の採集をしてゐたのかも知れぬ。宣教師のなかにはさういふ篤学者がなかなか多いのであつて、寧ろ、それだけの記事を読んだものは、きつとそれに違ひないと判断するだらう。これを取扱つた記者は、誰かに聞いた話をそのまゝ伝へたのかも知れぬが、そこは、ちよつと頭を働かせてもらひたかつた。これでは記事にならないと云へばすむことである。出先の記者がうつかりしてゐたとすれば、本社にいくらも人がゐるだらう。目的が目的であるだけに、整然と情理をつくさなければ効果がないのである。ところが、現在のヂヤアナリズムには、これに類する傾向が非常に多い。
 日本人の特性として、思考力の凝結といふことが欧米人によつて挙げられてゐる。一つのことを考へるとそのほかのことはつい忘れてしまふ。つまり、頭脳活動の重点主義が常に行き過ぎるといふ意味である。これはお互に考へなくてはなるまい。屁理窟、こぢつけ、腹を見すかされるやうな強がりがそこから生れる。美談でもない美談の強制もそこから来る。誰かゞ大臣になつたと云へば、新聞はきまつて、これを「出世した人物」としてしか取扱はないなども、やはり、それはそれとしてといふ「頭」の働かせ方が不足してゐる証拠であらう。さて、わがヂヤアナリストがすべてさうだと云ふわけではないことは、個人として、ちやんと立派な常識を備へ、犀利な批判の筆を取つてゐる人もなかなか多いのであつて、前にも云つたやうに、その罪は、たしかに現在のヂヤアナリズムの機構と、その運用のしかたのうちにあるので、これはひとつ是非とも首脳部にある人々の考慮を煩はしたいものである。
 長期に亘る事変に処して、国民の士気はあくまでも鼓舞しなければならず、当面の敵を忘れさせてはむろんならず、時には、頑迷な重慶政府を毒づくことも結構であるが、どうかさういふ時にも、国民の品位と余裕とを十分に示してほしい。仮にも敵将の家庭生活を暴いて快とするやうな手は用ひてもらひたくない。国民の一部はかゝるニユースを歓迎するかも知れぬが、さういふ心理は苟くも国民の名に於てするヂヤアナリズム紙面の声とするに値しないものであることを、今後、各社で申合せてはどうかと思ふ。
 序ながら、新聞は、その国民心理への影響力と時代を視る明敏性とにかけて、政府当局に、宣伝報道に関する必要な建言をしてはどうであらうか。かういふニユースを出せと云はれても、それは害あつて益なしと見たら、よろしく情を具して、掲載見合せ方を希望すべきであると私は信ずるものである。さういふ場合はもちろん屡々はないであらう。しかし、またさつきの例に戻るが、自殺したスパイの遺骸に、取調当局の主務官が敬意を表したといふやうな記事は、差しづめ遠慮してもらつた方が国民はありがたい。なぜなら、そんなことは当然なことで、わざわざ吹聴しなければならぬ義理合は少しもないのである。それが一層わが国の立場を有利にするとでも考へてのことなら、およそ人心の機微に通じないやり方だと云はねばならぬ。別に大したことでもないが、私は気恥しい。多分、国民の大部分は、国際的な問題だけに、おなじ気持だらうと思ふ。
 その他、国民の愛国心や友邦への親善感を強調するためであらうか、よく、誰それがヒツトラア総統へ何を贈つたとか、某女学校の生徒がフランコ将軍に手製のなにを贈呈するとかいふ記事が麗々しく出る。いつたいこれは当り前のことであらうか? 贈りたい人は、どういふ名目であれ、何を贈つても勝手であるが、それをさう重大なことに結びつけて、天下の新聞が騒ぎたてることはないではないか。そんなことをするから、猫も杓子もそれに似たことをやりたくなるので、かゝるセンチメンタリズムは断じて、愛国の精神とは云ひ難いのである。
 戦地の報道も、年月の久しきに亘つて、さすがに変化のつけやうがない様子である。これは無理のないことで、少しも責める気にはならぬ。国民の忍耐は寛大にこれを受け容れてゐるが、さて、若し、望み得るならば、やはり安価なセンチメンタリズムを一掃してもらひたい。自爆勇士の愛犬が淋しく帰らぬ主人を待つてゐるといふやうな描写は、たゞ国民の心を「いたいたしく」暗くするばかりである。血腥い戦線を馳駆する若い記者諸君に対してはたしかにむづかしい註文であらう。それを十分察すれば察するだけ、記事の整理と調節とをその衝に当る人々に望みたい。戦ひつゝある国民に、仮にも、余計な涙を流させてはならぬ。日本人の感ずる「もののあはれ」の深さは、一動物の擬人的感情を借りなくてもよいのである。
 しつつこく、いろいろと並べたてたけれども、私の云ひたいことは、今こそ、ヂヤアナリズムが率先して、国民の健全な知性を眼覚めさせてほしいといふことである。さういふ能力が何処かで休止してゐる現状を早速研究してみる必要があらうと思ふ。

       三

 ヂヤアナリズムの以上のやうな傾向が、まつたく国民大衆の教養を反映し、これに迎合しなければ経営が成立たぬといふことであれば、私は、こゝで、現在の国民教育について、忌憚のない意見を述べねばならぬ。これも決して批判のための批判ではない。新しい政治体制に応ずる新しい国民教育が吟味されねばならず、私もまた聊か教育の仕事に携つてゐるものであるから、その責任に於ても亦、為政者及び教育界の識者に訴へたいことがある。
 普通、智育、徳育、体育と並べて、これを国民教育の三単位となすの習慣がある。そして、或は智育偏重の弊を云ひ、徳育の欠如を指摘すれば、いつぱしの口利ける政治家であり、教育家であるといふのが、今日までの大勢であつた。そこで前に挙げたやうな、新文相の声明は、一種の革新的な内容をもつかの如き印象を与へるのであるが、精神の諸機能の微妙な連繋は、学問と道徳とが無縁のものでないといふ結論を導き出し得るのである。例へば、勇気にしろ、誠実にしろ、質素にしろ、謙譲にしろ、物事の生命と真理に徹する行為のうちに於て、はじめてかち得られるものである。
 私は、国民の一人一人が、偉大な理想を抱いて生涯をこれに賭けることを少しも危いことだとは思はない。危いのは寧ろ、人間として、国民として、何を「偉大な理想」といふか、それを誤つて教へ込むことだと思ふ。
 大臣大将を夢みる少年は近来少くなつたかも知れぬが、小学を終へて、順調に中等学校へ進み得ぬ多数の少年は、人生の第一歩を既に踏み外したと思ひ込んでゐる。中等学校から上級の専門学校、又は大学に進むことは、単なる知識欲からではなくて、立身出世の道がほかにないと考へられてゐるからである。あらゆる青年は、たゞ将来就職に「有利な」学校を目がけて殺到し、目的を達しなければ、当座は半ば自暴自棄となる。その時はもはや、向学心は停止したも同然である。私立大学のあるものは、かゝる種類の学生を集めて、ひたすら、その歓心を買はうと努めてゐるのである。
 優勝劣敗は世の常だから止むを得ぬと云ふのか? これが国家にとつて由々しいことだといふのは、かくして、国民の大部は、自ら、いはれなく社会的失敗者をもつて任じてしまふからである。いくぶんの諦めは、その感情を次第に押しこめてしまふであらう。しかしながら、生涯を通じて、事ある毎に、「学校」にからまる卑下の感情は、社会的成功といふ誘惑的な言葉と固く結んで離れる時はないのである。この不幸は、既に、早ければ十四歳、遅くも二十歳に於て、宿命的なものとなるのである。少数の犠牲ならまだしも国家としては忍ぶべきである。しかし、犠牲は国民の大多数なのである。訴ふるに由なきこの災禍は、現代日本の社会をどれだけ陰鬱なものにしてゐるか、これは想像にあまりある事実である。
 罪は、教育制度の欠陥と、教育者の不見識にあることもちろんであるが、その上、国民教育の根本精神のなかに、人間の価値、生活の意義についての、やゝ時代錯誤的な観念がひそんでゐることを見逃すわけにはいかぬ。
 一口に云へば、日本国民の資格において、あまりにも「肩書」が物を云ひすぎるのである。職業に貴賤なしと教へながら、職業以外に自己の生活の恃むべき拠りどころがないから、自然、職業的習癖によつて人物の品質が決定されてしまふのである。
 国民の国家と社会への奉仕は、その全人格によつてなされなければならぬ。決して、その生業を通じてのみではないのである。このわかりきつた事実が、教育の面で如何に曖昧にされてゐるか、自然その結果は国家に有用だとか社会に貢献するとかいふ常套語が、何を意味するのか常識ではわからなくしてしまつてゐる。国家の恩賞が官吏に厚く、民間に薄いといふやうな政治的封建性もさることながら、一般民衆の間で、如何にある種の地味な努力、献身的な事業が軽視されてゐるかを見ればわかる。殊に、「その人」の存在そのものが世の中の光明であり、幸ひであるといふやうな人格的魅力に対して、わが国民は実に鈍感になつてゐることを私は非常に悲しむ。
 国民道徳の教へは、表面の「行為」を云々しすぎて、深く人間心理の機微を説いてゐないからである。
 こゝまで書いて来た時、たまたま、「文政改革の方向」について橋田文相と三木清氏の対談なるものが読売紙上に発表されたので、今朝(八月二日)これを熟読した。
 文相の言によれば、所謂「科学振興」の目標は、自然科学のみにあるのでなく、文化科学をも含むものであり、科学教育の根本は、「科学する心」を養ふにあるとのことである。まことに妥当な意見であるのみならず、特に私の興味を惹いたのは、偶然、この文章のなかで私が指摘した「科学と道徳とは対立するものでない」といふ思想を、文相自身もはつきりこゝで強調してゐることであつた。これまた、近頃の政治家には珍しい声明であつて、国民はこの見識のもとに生れる将来の文教政策には満幅の期待を寄せていゝと思ふ。
 たゞ、如何なる正しい企図も、社会の現実に直面しては、よほどの決意と政治的手腕なしには、これを具体化することは困難であらう。国民は当路責任者の善き意志を知つたならば、極力その方策を支持し、万難を排して目的を達成し得るやう努めなければならぬ。
 そこで、「国民教育」全般に亘つての改革が必要とされるが、既に前内閣に於て小学校を国民学校とする新制度の発表も行はれ、教授課目の内容についても、一応形式上の整理を見たのである。しかしながら、およそ教育の精神とその実践の効果については、まだわれわれは多大の疑問を抱いてゐる。なぜなら、小学校を国民学校と改称するといふやうな「名目尊重」の気風が現在の指導階級に瀰漫し、一種安易な独善主義ともなり、真の改革に何が必要であるかを忘却してはゐないかといふことを懼れるからである。
 私は、政治技術として、何を先にし、何を後にすべきかといふやうな問題には不案内であるが、是非これだけは考へてほしいと思ふことを列記して見る。
一 初等、中等学校教員の待遇をもつとよくすること。第一に俸給の率を、少くとも現在の倍ぐらゐにすること。最少限度に必要な自修の余暇を与へること。適当な国家的賞与と軍人並に社会的恩典を与へることなど。
二 教科書の編纂に当り、各科目を通じて、陳腐な教科書臭を脱するため、局外識者の協力を求めること。例へば国語国文読本の如き、この方法によつて一層時代に適応したものとなるであらう。当事者は自己の領域に鑑みて、それだけの雅量を示してもらひたい
三 日本人の多くが、自分の考へを、公にはつきり口で云ひ表すことができない。その原因を私は教育者一般に考へてもらひたいが、差当り、文部省でこれが研究調査のための委員会を作ること。初等学校に於ける「話し方」の重要視は最近の現象として私も注意してゐるが、これを技術としてばかりでなく、むしろ心理的に、風俗的に見て教育の方針を樹てゝほしい。
四 中等学校、殊に専門学校、大学の数の制限と質の向上を計ること。殊に営利を主とする学校は、情実に囚はれず、これを廃止すること。
五 専門学校以上の教師は、原則として一校限りの専任とし、時間給などゝいふ制度を廃止して十分生活を保証し、学生と接触する機会を多く作らしめること。学生生活の頽廃は、学生と一緒に時間を過す教師の少くなつたことがその原因の大きな一つだからである。
六 上下の学校を通じて、男学生にも現代作法を学ばしめること。これがためには、作法なるものゝ観念をまつたく新たなものとする必要がある。風俗に現はれた社会秩序の精神と、文化の装飾的意義とをまづ徹底させなければならぬ。虚礼との混合を避けることが最も重要である。例へば作法なるものが「西洋料理の正しい食ひ方」などゝいふ題目で代表されるから、現代青年を作法そのものから遠ざけるのである。
七 現在の家庭及社会教育の不備混乱を補ふため、学校に於て、日常生活を健全に、豊富にする実際的指導を行ふこと。この日常生活の規律は、日本人の特性をよく活かし、しかも形式を脱した合理的、自発的、進歩的なものでなければならぬ。如何なる経済的条件にも拘束されない趣味と、矜持と、社交性の涵養が必要である。政治、経済、文化に関する常識はもちろん、恋愛並に結婚の問題に関しても、両性それぞれの立場に於ける正常な観念が樹ゑつけられるのはこゝに於てゞある。
八 軍事教練はある意味に於て、もつと重要視されなければならぬ。ある意味に於てといふのは、学校当局の一層理解ある協力を侯つて初めてその目的が達し得られるといふことである。つまり学生をして教練をする心構へをつくらせるのは学校当局の責任である。
九 学校に於ける諸儀式が学生にとつてまつたく魅力のないものであることを考へたなら、これをまづなんとか工夫しなければならぬ。十分に反省を要する問題と考へられる。儀式を真に儀式らしくする能力は、現代の日本人が是非とも養はねばならぬ点である。青年の元気を鼓舞し、感情を浄化し、よろこんで協同の目標に邁進するといふ厳粛な気分を起さしめるのは、最も芸術的に仕組まれた儀式のうちに於てゞある。儀式の尊重は作法のそれの如く、まづ時代に即した新しい観念と、尊重するに足る形態美を示さなければならない。
十 外国語についても、私には私の考へがあるが、長くなるから今こゝでは述べぬ。たゞ、文相の英断によつて、区々の議論を整理一致させてほしい。
 まだいろいろ述べたいこともあるが、学校教育についてはこれくらゐにして、次に、やはり文部省の管轄に属する社会教育(成人教育を含む)について一言する。
 従来、わが国の政治といふものは、国民の芸術教育、殊に芸術政策なるものにはおよそ無関心であつた。
 最近、それでも映画を中心として、頓にその気運が高まつて来たのは、その実績はともかく、将来のため慶賀に堪へないのであるが、私は公平にみて、この気運が真に政府首脳部の覚醒にあるかどうか疑はしいと思ふ。その証拠に、すべて、法的に、又は事務的に解決できる方向にしか進んでゐないのである。つまり、既成のものを取締り、或は刺激するといふやうなことしか考へられてゐない。国家百年の計としての、大局に立つた政治的創意が看取されないやうである。
 この問題も論じだすと切りがないから詳しく書かぬが、二三希望条項をあげておく。
一、芸術院を改組し、各専門部門に分け、それぞれ実質的な活動をなさしめること。例へば文学部門では標準日本語辞典の編纂といふやうな。
二、官立音楽学校、美術学校に対して、速かに、官立演劇映画学校を設立すること。演劇映画の根本的改善はもはやこれ以外に道はない。
三、放送局の機構を改め、文部、逓信二省の管轄下に置き、文部省は放送番組を通じて社会教育の実をあげること。
四、図書及び興行検閲の主体を文部省に移管し、要すれば内務省側の参加を求めること。
五、全国の都市及農山漁村の娯楽教養施設に関し、その指導者を本省より派遣、又は委託すること。
六、文教に関する新事業が決して不急事業に非ざることを戦時予算の面にはつきり表はしてほしい。
       四

 近衛内閣の基本国策声明なるものが昨日(八月二日)の新聞に発表された。従来の声明にみるごとき抽象的文字の羅列であるきらひはまだあるが、それでも、なにかしら革新の気が見えないではない。日本人好みの、地味に、見得を切らぬところが却つて頼もしいと云へば云へるが、相変らず、肝腎の新政治体制がどういふものかといふことは語られてゐない。しかしながら、現在国民は政府のなさんとするところを性急に知らうとするよりも、もはやその導くところに従ふ覚悟をきめてゐるのである。その道は多難にして曲折を極め、彼岸の光明に達するには、国民全体の疑心なき協力を必要とすることがよく理解されてゐる筈だからである。
「正しいことをするのに張合のある制度」(安井内相の言葉)はむろん望ましい。それと同時に、真に国を愛し、真に国のためになる人物を徒らに眠らせておかぬ制度が更にこの際われわれとしては望ましいのである。
 今日までにも、政府当局によつてさういふ意図だけは示されたことがある。民間の専門家をいろいろな名目で各種の事業部門に参加させてゐるやうであるけれども、これは概して、一種の諮問機関にすぎず、本来責任を与へられてゐないから、これに時間と労力とを割く限度があり、事を行ふ真の情勢は机上より机上へと薄れ去つて行くのだから、結局、力の入れやうがなく、せいぜい形式的な意見具申に終るのではないかと思ふ。たとへ、さういふ人々から理想的な具体案が提出されたところで、実現の可能性は行政的な範囲に止まり、寧ろ根本に遡つての政治的な企画などゝいふものは、全く問題にされやうがないのである。なぜなら、専門的な立場からの最も重要な課題は、決して事務的処理によつて解決されるものではなく、云はゞ、国策の一つとして今日ならば先づ閣議の決定をみねばならず、一専門委員会の画期的な答申案が、所管大臣を通じて有効に提示され、果して他の閣僚を承服せしめるかどうかは、多大の疑問の存するところである。そこで、今度の文部大臣が専門の科学者であるところから、科学の分野に於ては十分の説得能力をもつてゐるであらうことをわれわれは信じ、その声明にも期せずして千鈞の重みが加つてゐるわけである。
 ところが、同じ文化部門でも、文学芸術の領域に於てはどうであらうか? 伝ふるところによれば、新文相は哲学に於ても一家をなすとのことである。わが国の文教が「哲学的に」考察され、支配され、再建される希望が、今日はじめて「降つて湧いた」といふことは、国民にとつて、何といふ仕合せであらう。
 哲学的政治のみが、文学芸術を、他のあらゆる社会機構のなかに於て、その占むべき地位を正当に指し示し得るのである。哲学的政治のみが、国家の活力と品位とを最も有機的に結びつけ、民族の真の理想をその行動のうちにひそめ、祖国への愛情と献身とを進んで国民に誓はしめるものである。

       五

 国民の一人として、私は、なほ軍官民の各部にこの時局下の相互関係について希望したいことがある。
 戦時国家の政治的推進力と呼ばれる「軍」の重責に関しては、固より、われわれが喋々すべきところではないが、所謂「軍」といふ綜合名称を必要とする立場から、一応、軍部、軍隊、軍人といふものをはつきりわけて考へてみたい。所謂「軍」といふ精神からは、この区別は不必要であるかもわからぬが、国民として、あらゆる現象をさう高所から達観することはできないのであるから、以上の三つの観念は、不即不離にしてかつ、同時に、まつたく独立した機能体であることを徹底させておいてはどうかと思ふ。厳密なそれぞれの定義は私が不用意に下すことは慎みたいと思ふが、常識で考へて、軍部の意見とか軍部の態度とかいふものが、決して軍隊の力とか軍人の特権とかを背景としたものでないにも拘はらず、動もすればさういふ風に響くことが、なんとなく、私にさういふことの必要を感ぜしめるのである。なにはおいても「軍隊の絶対権威」にかけて、「軍部」の政治的動きや、「軍人」の個人的言行に、それぞれの領域に於て、責任の限界性をもたせることが、そんなに困難なことであらうか。
 そこで問題になるのは、軍人といふものゝ性格である。特に専門的な知識と技術とを修得し、帝国軍人たる自覚と矜恃とをもつて各種の重要職務についてゐる将校なるものは、この時局下に於て、国民注視の的となつてゐるだけに、その性格が十分理解されてゐなければならないと思ふ。
 ところが、それらの人物は、将校生徒として青年期の大部分をまつたく独自な環境のなかにおくり、極めて禁欲的な、秩序立つた、清潔な生活法に慣れ、宗教にまで高められた国家意識と、最も単純にして正常なる道徳と、あくまでも男性的、攻撃的な気力とを養ひ、しかも、一面、如何なる日本人も教へ込まれてゐないやうな儀礼と社交の形式を身につけてゐるのである。
 一方、今日の他の社会部門はどうであらうか? すべてが反対とは云はぬけれども、およそ、実際的にみて、右と左の違ひが、あると云へば云へるのである。
 私は常にさう思ふのであるが、これまでわが国の社会現象として、所謂「思想」の摩擦とか「感情」の対立とかゞ問題にされるけれども、いつたい、さうはつきりと「思想」の摩擦や感情の対立が最初から事を面倒にするであらうか? さういふ場合もないではないけれども、やはり、誤解、乃至意志の疎隔が一番われわれ日本人の間に相互の紛糾をかもしだしてゐるのである。
 軍人から見た所謂「地方人」が異様につかみどころのない姿をしてゐることが稀でない如く、他の社会からみた「軍人」がなんとなく近づき難い観のあるのは、まさに、双方の「性格」の表面的相違をあまりに深刻に考へすぎるところにあるのである。
 云ふまでもなく、社会の各部門はそれぞれの使命と職能に応じて、ある点では、ある程度まで、その性格の特色を発揮するのが自然であり、そして、それによつて、人間生活の興味ある多様性が生れるのであるけれども、その間にもつと共通の、理解し易い、互に認容し得るところの面を多分にもち合つてゐることが、文明の常態であり、理想なのであつて、ひとり、軍人と軍人ならざるものとの間ばかりでなく、官僚と民衆の間においてはもとより、現在、わが国の各社会層の間に、およそ人間と人間との接触協調に必要な基礎条件たる、「風俗の共通」を欠いてゐることを、こゝで、はつきり肯定しなければならぬ。
 一つの例として、議会に於ける議員の質問振りをみよう。若し当面の政府委員が仮に軍人である場合、その質問の内容や動機はともかく、言葉の調子とか、ヂエスチユアとか、時には、その演説に対する同僚議員の反応とかいふものが、如何に屡々軍人には「苦々しい」印象を与へるものであるか、これは私の想像であるが、ひとつ腹を割つて訊いてみたいものだと思ふ。
 人間心理の機微はしかし、さういふところにもあるのだといふことを、誰も考へてゐないであらうか。しかも、政治は、その人間心理と離れて存在するものでは断じてないのである。
 今更そんなことを論議してみてもはじまらぬといふものがあれば、私は、敢てこの機会に、こんなことを論議しなければならぬ理由を明かにしよう。
 それは、即ち、待望の新政治体制、並びに国民再組織の本質的な精神につながる課題だからである。
 こゝで私が先づ軍部に希望したいことは、軍部が抱懐する理想は、国民全体を少くとも今日に於ては、名実ともに「武人化」することにあるかも知れぬが、それはまあ理想であつて、そこまでは望まぬといふことをはつきり宣言し、その代り、新しい国民教育の参考として、将校生徒訓育の系統的理論と実際とを差障りのない限り自発的に公開してはどうかといふことである。
 これは一方、社会各層の軍人に対する認識を深め、心ある青年の奮起を促し、軍人自身にとつても、なんらか得るところあるを疑はぬ。
 私個人の意見をもつてすれば、国民全体の「武人化」などゝいふことは、理想として芳しくないと思ふ。「軍人として戦ふ」といふことは、一旦緩急ある場合、わが国民のすべてに課せられた義務であるけれども、「武人として」その他の職業に携るといふことは、まつたくと云つていゝくらゐ無益のことである。軍人には、それゆえ専門家が必要であり、専門家は、専門家として欠くべからざる技術と精神とを体得してゐればそれでよい。この技術と精神とが、短時日に、招集に応じた国民のすべてを「兵力化」する技術と精神なのである。しかるに、わが国の現在の教育は、国民としての嗜みといふ点、男子としての心身の鍛錬といふ点、社会秩序の遵守といふ点などで、当然払はれなければならぬ用意が閑却され、それが偶々専門的軍人の社会に於ては、その教育のある種の聡明さによつて、所期の結果を挙げてゐるのである。決して専門的ならざるその世界に於て、青年指導の一つの模範が示されてゐるといふことは、あながち軍人贔屓の説ではないと思ふ。
 が、私は更に、軍人ならざる社会の人々にも次のことを希望したい。
 軍人に対する時、そのうちにはこれを「一般人」の風習からみれば、いくぶん同感しがたい節々があつたやうな場合でも、これを直ちに「職業意識」なりと考へる前に、やはり、軍人といふ職分を理解し、それに値する光栄と満足とを十分に享受せしめる同胞的情誼がなくてはならぬといふことである。
 戦線にある軍隊への銃後国民の感謝は、もはや今日、絶頂に達してゐる。そこには将士の別もなく、功績の大小も問題ではない。われわれは均しく「戦ふ人の心」を尊しとし、その労苦を偲び、戦勝の報に胸を躍らし、護国の霊に拝跪する。しかしながら、戦闘は有能な指揮者なくして利を得ること難いのであつて、帷幄の謀も、軍政の運用もまた前線兵力の死命を決する要件なのである。
 現在及び将来の日本は、それを好むと好まざるとに拘はらず、深慮ある政治家と機略に富む武官との合体によつて、国防国家としての全機能を完備しなければならず、そして同時に、首相の声明にもあるやうに、軍官民の強力な提携のみが事変処理の鍵であり、社会各般の改新と活溌な進展とをもたらすものだとすれば、この、軍部、官僚、国民の三者が、ただ強制的、便宜的、形式的な結合だけで事足れりとするやうであつては、悔いを千歳にのこすこと必定だと信ずるが故に、嘲か私は歯に衣きせぬ物の云ひ方をした。不安と不信との内訌は百の論争より危険だからである。

       六

 以上の希望は、すべて、私が一国民としてこの祖国に大きな期待をかけてゐるところから生れたのである。日本人は、如何なる民族をも襲ふところのかの重大な危機を、幾度となく、危機と知らずして切り抜けて来た、云はゞ「無意識的に偉大な」民族なのである。われわれは、自分たちの力を、今こそ、最も積極的な目的のために統合し、日本を名実ともに正しい美しい国にするといふ理想の上にたつた、自覚と情熱とを互に持ち合はねばならぬ。
 この文章はなにひとつ新しい説を掲げてはゐない。すべて心ある国民の胸裡に鬱積し、それを公に云ふことの無益なりとする考へが彼等をたゞ黙さしめてゐるのである。
 私はさういふ考へをいさゝか疑ひはじめた。少くとも、腹ふくるゝが故にのみ、あへてこれを書きつらねたのではない。(昭和十五年九月)

底本:「岸田國士全集24」岩波書店
   1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
   1941(昭和16)年12月20日発行
初出:「改造 第二十二巻第十六号」
   1940(昭和15)年9月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月21日作成
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