昭和十六年の一月、即ちまる二年前、私はラジオを通じて「国防と文化」といふ題の講演をしました。
 その草稿がありますから、それをまづ初めに掲げます。

[#「草稿」省略、内容は「国防と文化」(作品ID44664)とほぼ同文]

 二年後の今日と雖も、私の云ひたいことは少しも変つてゐません。
 そこで、この講演の主旨を、別の角度から、もつと詳しく敷衍してみようと思ひます。

 昭和十六年十二月八日といふ日をわれわれは忘れることはできません。
 大東亜戦争は、真珠湾の嵐によつて曙を告げたのであります。
 宣戦の大詔勅は、熱した国民の耳に、清々しく、厳かに伝へられ、一億草莽、感動に胸ふるはせて、ひとしく、忝けなき大御心にこたへ奉らんことを誓ひました。

 陸海軍の赫々たる戦果に報ゆる国民の決意は、爾来一年の間に、どういふ形で現れて来たかといふと、それはここでいちいち数へあげる必要はありますまい。政府の施策に応じて、全国民は欣然、それぞれの立場に於て、全力を尽す態勢が整へられつゝあります。
 しかしながら、物事の改まるのには、おのづから順序があり、根本に触れなければ、いくら目前の急に間に合せようとしても、結局その成果が挙がらぬといふ問題もあります。
 既にわれわれは、あの緒戦の目覚しい勝利を導いた陸海軍の、長年月に亘る準備と訓練とについて屡々語り聴かされたのでありますが、国民の一人々々は、果して、今後長期に及ぶべき総力消耗戦に適する資質を備へてゐるかといふと、まだまだ十分とは云へない点が多々あります。
 私はこれを青年の立場から、特に文化の問題として取りあげてみたいと思ひます。

 先づ第一に、青年は男女を問はず、もつともつと心身を健康にするための努力を払ふべきです。
 前にもちよつと触れたとほり、身体の健康については、その目標もはつきりわかり、健康のよろこびと必要とが身に沁みて感じられゝば、あとは、摂生と鍛錬の方法が残るだけです。しかし、精神の健康といふ問題は、軽く考へればなんでもないやうで、実は、極めて深い考察を加へなければ解決できない問題であります。なぜなら、それは、国民性並びに国民道徳の確乎たる基礎の上に樹てられた一つの方向でありまして、国家の理想、即ち国是そのものとも密接な関係があるからです。
 例へば、「物の考へ方」にしても、それが健康であるかないかは、たゞ、西洋流に、「合理的」であるかないかといふやうな尺度だけでは、日本人の「物の考へ方」の健康如何をはかることはできません。それはつまり、「道理」といふ観念が、西洋と日本では既に違つてをり、西洋の道理は日本では「理窟」に過ぎぬこともあります。それと同時に、日本流の「道理」は、西洋では「純理を離れた感情問題」或は、「論理を無視した独断」と見做される場合がありませう。
 そこで、「物の考へ方」の健康であるといふことは、もちろん「正しい」といふ意味に相違ありませんが、たゞ「正確」であることに満足せず、そこにもつと潤ひと力とをもたせることが、日本人の「物の考へ方」の「正しさ」になるのだと思ひます。従つて、無用の論理を弄ばず、直観に従つて時には飛躍的な結論に到達するといふやうな傾向があるのです。
 しかし、一方、日本人のこの「物の考へ方」は、常に「正しい」結果を得るとは限らず、往々にして「不正確」であるがために、弱いといふ結果に陥ることがあります。論理が無用であるためには、鋭敏な直観力を必要とするにも拘らず、生憎と直観がそこまでの域に達してゐない証拠であります。
 戦争といふ事実は、一般人心の上に、大きな必然の作用を及ぼすものですが、特に、戦時生活の全面に亘つて、可なりの動揺と変革とをみつゝある今日、われわれの「物の考へ方」にはどうかすると、日本人の性急さも手伝つて、「希望的判断」とも称すべき、安易な、しかも危険な要素がはひり込み易いのであります。判断は飽くまでも「正確」を期さなければなりません。その上に、希望が信念となつてこの判断を支へてこそ、日本国民の不動の決意が生れ、断乎たる行動がみられるのであります。ごく単純な一例をあげれば、甲といふ青年が、友達の乙と、ふとしたことから仲違ひをしたとします。あとで考へると、どうも残念です。仲直りをしたいが、その可能性ありやなしやについて甲は終日頭を悩まします。しかし、自分の方から仲直りを申し出ることはなんとしても自尊心が許さない。向ふからあつさり頭をさげてくれば、――もともと向ふが悪いのだから――とにかく今度だけは赦してやらう。元来、相手は弱気で、平生からこつちを兄貴のやうに慕つてゐるのだから、それぐらゐのことはしてもいゝのだ。いや、するのが当り前だ。さうだ、きつと明日あたり、頭を掻きながらやつて来るだらう。かういふ判断に到達しました。
 ところが、実際は、喧嘩の動機から云つても、喧嘩のしかたから云つても、甲の方にどうもよくないところがあり、乙はいはゞ被害者であつて、恨み骨髄に徹してゐるといふ有様なのです。だから、絶交を宣告したのは甲だけれども、乙はむろんそれこそ望むところであつて、仮りに、どんなことがあらうとも仲直りなどはしない覚悟でゐます。
 甲はかくして惜しい友達の一人を失ひます。
 これはもちろん、甲の反省が足りないところに最も大きな欠陥があるのですけれども、その反省こそ、事実の正確な判断を基礎として行はれなければならないのでありまして、この場合、甲の「希望的判断」が、その反省を鈍らせ、事態を収拾すべからざるものとするのであります。
「物の考へ方」について、もうひとつ、日本人の陥り易い傾向は、「一を聴いて十を覚る」の明察が、その形のみで実質は伴はず、「一を見て十と思ふ」錯覚を生じるといふことです。これを私は「思考力の凝結」と称したいのでありますが、何事によらず、その一面をみて全体を見きはめたつもりになること、或は、一つのことを考へると、それに頭をとられすぎて、ほかの必要なことすらもう考へられなくなること、を指すのであります。
 これまた常に、理性と感情と意志とが別々でなく、必ず一体となつて働く極めて自然な状態から生れる結果とは云へません。この三者が三者とも円満に発達してゐることを条件として、これこそ尋常な精神活動と云へるのでありませうが、感情や意志に比して、脆弱な、或は、怠慢な理性であつたならば、その結果は、当然、判断の狂ひ、「物の考へ方」の不正確といふことになるのです。
 一事を考へつめるといふこと、物事の一点を凝視するといふこと、一念を凝らすといふこと、それはそれとして、必要なこともあります。必要どころではない、それができるといふことは一つの強みでさへありますが、それがために、ほかに隙ができ、その隙に乗ぜられるやうなことがあつては、これこそなんにもなりません。
 例へば身体の鍛錬が必要だとなると、なんでもかんでも鍛錬で、ほかのことはどうでもいゝといふ風になり、甚だしきは、健康を害するやうな始末では誠に困つたものであります。
 競技のやうなものでも、団体の対抗試合とでもなると、もう「勝負」といふ一点に「考へ」が集中してしまひ、勝つた方は「どんなもんだ」といふ顔をし、負けた方は口惜しがつて泣くなどといふ現象は、抑も競技の精神を没却したものであります。
 この傾向はまた、人物の観察、評価のうへにも度々現れます。「一事が万事」とは昔から云はれてゐる言葉でありますが、これは諺であつて、それが当てはまる限界といふものがあります。ところが、これを人の一言一動に移し、その全貌を批判するのは甚だ軽率で、若し、敢てそれをするならば、自ら悔いないだけの信念をもつてすべきです。買ひかぶり、見損ひ、いづれもその罪は我にあることを知れば、徒らな警戒よりも、人を視る正しい眼を養ふ訓練こそ、青年の最も心掛くべきところです。

 すべて精神の不健康は、なによりも知情意の不調和、不均衡から生れます。従つて、如何に「健康な道徳観」を口にしても、それが知識である限り、それだけでは精神の健康を保証することはできません。例へば、その理論が猥りに排他的なものであつたり、押しつけがましかつたり、衒ひがあつたりするやうでは、その人物の精神活動そのものは、どこか偏したところがあるか、欠けたところがあるかでありまして、さういふ人物は、或は憐憫の情に於て薄く、或は危急の場に於て、不覚を暴露するといふやうな精神的弱点をもつてゐさうに思へます。

 日本人は、その日常の行動からみても、また近頃、例の血液型の統計の示すところによつても、欧米人等に比して、著しく「感情的」であるとされてゐます。
 感情的であるといふことは、二様の意味にとれますが、感情が豊かで鋭く、その点に於て絶対的に優れてゐるといふ意味と、理性乃至意志に比して感情が強く、一種の不均衡状態にあるといふ意味とであります。
 この二つの意味は、それぞれ日本人に当てはまると思ひます。前者は大いに自信をもつてこの長所を益々発揮すべきでありますが、後者はよほどの注意を払つて、成し得ればこれを是正することに努めたいものです。
 国民士気の昂揚が、とかく感情の上では成功と考へられながら、意志の現れとしては、まだまだ完全にその成績を挙げ得ないといふのは、こゝに原因があると思ひます。
 しなければならぬと教へられゝばわかる。で、国のためとあれば、したい気持だけはいつぱいにもつてゐる。だが、実際にそれをやり遂げるために、まだ何かが足りないといふところが往々みえます。その足りないのは、「意志」の力だと私は信じます。
 やればできる力をもつてゐながら、なかなかやらうとしない一種の引込思案、乃至は億劫がり、右べん、いづれも、「意志」の栄養不良、動脈硬化、関節不随であります。
「熱し易く醒め易い」などと云はれるのは、戦ふ国民として、敵をして乗ぜしめる最大の隙でありませう。
「意志」の鍛錬は、幸にして、感情の豊かさ、鋭さに俟つところが大きいのでありますから、日本人の一方の特性は、他の弱点を補ふことはできぬとしても、これを矯め直し、鍛へあげるための、最も有力な条件となります。
「愛国心」の如き、「自尊心」の如き、「競争心」の如き、「義侠心」の如き、いづれも主として感情的な日本人の心理の現れでありますが、これこそ、「勇気」とか「忍耐」とかの如き意志的な行動の根柢となり得るものでありますし、要はその持続性の問題であります。
「斃れて後已む」と言ひ、「石に噛りついても」と云ふ、あの意気と頑張りは、本来、訓練によつて十分日本的な性格となり得ることを忘れてはなりません。
 困難を困難として堪へ難く思ふといふことは、決して感情の鋭さではなく、寧ろ感情の過剰であり、放恣であります。この感情に引き摺られて挫折する意志といふものは、必ずその弱さを弁護する口実を作るものです。これには一種の理知が働くわけで、しばしば、意志の敗北を理性の勝利と見做したがる風習が生じます。「諦め」の名による逃避がそれであり、「分別」の名による「ごまかし」がそれであり、「控へ目」の名による無為がまたそれであります。
「意志」の力は、それゆゑ、まづ何よりも、正しい道義観と素直な頭の働きを土台とし、更に豊かな感情の発露と相俟つて、はじめて、誤らざる方向に向つて推し進められるのでありまして、さて、その力が強大であることと、持続性をもつこととはどうしても鍛錬による自信を必要とするのです。
 道徳は元来「意志的」なものとされてゐるのですが、今日われわれの社会で「道徳」と名づけられ、また、「道徳」で通用してゐるものの多くは、単に「観念」や「理念」を説くことであるか、或は、「感情」の色彩の濃い表情を示すに過ぎないやうに思はれます。道徳は飽くまでも「行為」でなければなりません。仮りに「道徳」を説くことも「道徳的」だとすれば、その説くところは、少くとも、言葉として、「意志」的な響きを伝へ、「意志」としての力をもつた行為そのものでなければなりません。
 道徳論が行為としての価値を問はれることになると、もはや、観念的な高さや正しさだけで満足することはできなくなります。そこには、表現の美しさも要求されませう。意欲の旺んなことも一つの条件となりませう。いはゆる知情意を貫く「誠」の現れとして、行為の人格性が問題となるのであります。

 国家の危急に当つて、国民に一つの行為が要求されるとします。それは他から命令され、強制され、奨励される場合もありませうし、自らの会得によつてそれが観取される場合もありませう。是が非でもやらなければならぬことと、なるべくやつた方がいゝことと、程度から云つてもいろいろありませう。
 兵役の義務、今日で云へば、戦場に赴くことは、青年男子にとつて、もはや絶対の要求であり、これを躊躇するものは一人もない筈です。
 国民徴用令に応ずることも、今や、必須の国家的要請でありまして、これに対する覚悟も既におほかたはできてゐます。
 そこで問題は、各職域、各地域に於ける、いはゆる翼賛運動に対する青年各自の関心と協力のしかたについてであります。これは、殆ど青年の自発的参加に俟たなければならぬ領域であります。
 新しい「理念」の啓発と、瞬間的な「感情」の誘導は、政府と各職域に於ける指導者の手で、先づ一と通りの目的は達成されるのですが、強靭な「意志」の発動とその持続とだけは、青年自ら進んで蹶起し、矜りをもつて自己を鞭うち、希望と信念によつて激しく自分を引き摺り廻さなければ、断じてそのことは不可能でありませう。
 苦痛を苦痛と感じる場合、常にそれがあまりに早いことを恥ぢなければなりません。それが、鍛錬の始めであります。
 苦痛を苦痛と感じなくなることは、決して鈍感になることではなく、訓練によつて苦痛の種類が違つて来るのです。

 こゝで私は測らずも、ある名士の意見なるものを想ひ出しました。
 一つは、某高級官吏の意見で、――これからの日本人は「ハッピイ・ライフ」などといふことを希つてはならぬ。「幸福な生活」は国運を賭して長期戦を戦ふ国民とは縁のないものである。「ハッピイ・ライフ」を求めるのはもともと英米流の人生観であつて、甚だ日本的でない――といふのであります。
 もう一つは、某将軍の意見で、――いつたい日本の兵隊が強いのは、いろいろの理由はあるけれども、一つには、壮丁が主に農村出身で、戦争に誂へ向きの特徴をもつてゐる。その特徴といふのは、従順と無頓着である。命令に絶対服従することと、神経が太いといふことと、これが戦場では非常に大事なことだ。殊に、都会人のやうに、汚いとか不衛生だとか、さういふ観念が薄いことが、殺風景な生活を平気で送れることになるのであつて、現在やかましく云はれてゐる農村の文化といふやうな問題も、文化を高めると云つて衛生知識を授けたり、物を綺麗に整へることを教へたりするのは、一方から云ふと、農村出身の壮丁を質的に低下させ、兵隊としての強味を失はせる結果になるのだから、その辺のことは大いに考へなければなるまい――と云ふのであります。

 この二つの意見には共通の思想が含まれてゐます。それは西洋風の歪められた文化意識の否定であります。即ち、「幸福な生活」を、物質に恵まれ、安楽を主とする、事勿れ主義の平穏な生活と解すれば、誠にこの意見には同感であります。また、汚いとか不衛生だとかいふ観念が、現在の都会人のやうに、たゞ神経質にそれを嫌ひ、或は見栄だけでそれを云ふといふ風な傾向は、甚だ軽蔑すべきであります。その意味で、農村人の逞しい神経と自然な生活態度とはたしかに羨むべきものがあるのでありまして、日本の兵隊の強さの一つはたしかにそこにあることも想像できるのです。
 そこで、問題を根本に引戻し、英語の「ハッピイ・ライフ」はともかく、日本語の「幸福な生活」といふものが、真に、日本人としての幸福、国民としての幸福を意味し、国運の発展と家族の繁栄と個性の伸展とを併せ望み得るやうな「めでたき生活」のことであつたならば、そこには歓喜を待つ忍耐、希望をはらむ努力、光明に満ちた献身の見事な生活図が描かれなければなりません。これをこそ、真の「幸福な生活」と云ひ得るのだといふことを前提として、私は、日本人も亦、戦時と雖も、堂々と「幸福な生活」を望み、送るべきだと考へます。
 これと同様に、農村が仮りにその無頓着さのために強い兵隊を生むとして、無頓着にもいろいろあるといふことを一応吟味してかゝる必要があると思ひます。
 東京のある専門学校で、かういふ面白い経験が行はれました。その学校の生徒は、概ねいはゆる「良家」の子弟で、もちろん都会児が大多数を占めてゐます。学校の教育方針として、生徒の全部が、専門の学課としてではなく、協同生活の訓練と常識の涵養とを兼ねて、農耕作の実践をはじめたのです。一番生徒を悩ましたのは糞尿操作でありました。ところが、一年もたつと、誰一人顔をしかめるものもなくなつたのです。仕事に興味をもちだしたことと、糞尿が「汚い」ものだとは思へなくなつたのです。少くとも、それを扱ふ自分の態度がはつきりして来るにつれて、不快を感ずるよりも寧ろ、これを科学的に処理する快感の方が大きくなつて来たのです。手が汚れても、それは薬品によつて「汚れ」たのと何等違ひはなく、仕事が済めば、洗ふだけの話である。必要と思へば消毒もする、これまた細菌の取扱ひと同じであります。
 こゝにわれわれが明らかに察知できることは、これらの青年が、「汚い」といふ観念に於て、以前と全く違つた一つの観念を作りあげ、それが、彼等の神経を一部分ではありませうが、健康なものに復帰させたといふ事実であります。
 正しい指導と訓練とが、青年の質をどの程度更へ得るかといふ実験が先づこれで行はれたと私は信じたいのです。
 農村人の無頓着さは、なるほど、兵隊としての戦場生活に、ある種の強みは発揮するでせうが、また翻つて農村自体をみれば、その同じ無頓着さが、如何に多くの農村疲弊ひへいの原因となつてゐるか、思ひ半ばに過ぎるものがあるのです。乳幼児の死亡率は、周知の如く、日本は世界一であり、殊に、農村がその大部分を占めてゐる実情であります。これは主として、農村家庭の「無頓着」が生む悲劇なのです。

 こゝで、どうしても、「野性」といふことについて考へてみなければなりません。「野性」とは、自然のまゝの性質といふことですが、人間で云へば、都会的影響を身につけてゐない、いはゆる「野育ち」の、素朴で荒々しく、かつ伸び伸びとしたものをもつてゐることです。従つて、がさつ、粗野ともなりますが、一方、健康で、強靭なところがあります。
「質実剛健」といふことは、この「野性」と最も関係がありさうに思はれますけれども、「野性」は飽くまでも「本能的」なものであり、教育や訓練によるものではありません。それだけまた時に応じては本質としての力を発揮しますが、逆にこれを新たに自分のものにするといふことは殆ど不可能であります。
「野性」に帰れとか、「野性」を養へとか云つてもそれは無理な話で、実際は、不必要、かつ有害な都会的装飾、乃至、繊弱な文化意識を払拭せよといふ意味になるのです。
 最近は、都会といふものが、事毎に槍玉にあげられ、都会そのものが国家のため無用の長物であるかの如き印象を受けます。それに比例して、農村の讃美はその生産性と結んで、今や絶頂に達した観があります。むろんその理由は十分認められますが、これが「文化」といふ問題になると、仮りに「戦争」を主眼とする立場から云つても、そこに極めて複雑な問題が潜んでゐて、さう簡単に、都会と農村の優劣を決定するわけにはいきません。また、さういふことをしてもなんにもなりません。
 この「野性」の問題にしても、なるほど、英国兵は例の「ジャングル」を人間の通れない障碍物ときめてゐたといふやうなことで、日本兵の「野性」が云々されるとすれば、それは少し可笑しいのであります。「野蛮性」を好意的に、或は自己弁護的に「野性」と云ひ直すやうなことになつては、そもそも「野性」のなんたるかを解せぬ始末となりますが、戦時下の要求として、また、最近の歪められた文化的現象を是正する目的で、無暗に「野性」のみを礼讃するといふことは、これまた、一種の「掛け値」に類するものでありませう。
「野性」のもつ逞しい力は、「自然人」としての、人工に蝕まれない、風雪に堪へる精神と肉体にあるのですが、かゝる精神と肉体が、雄渾にして高雅な文化の形成と両立しない筈はなく、要するに、「野性」といふ言葉には、それ自身の価値以上に、これと対蹠的な「末期的文化」への反動的批判が含まれてゐるものと解すべきであります。
 これに類した例に、今はあまり使はれませんが、かの「蛮カラ」といふ表現があり、ハイカラ、即ち気障な西洋紳士淑女風の模倣に反撥して、いはゆる「東洋豪傑」を気取る傍若無人、弊衣破帽の流儀を云ふのであります。
 日本文化の風俗的な現れとしては、たしかにこの種の両極対立が屡々見られます。中道がさういふ形でおのづから保たれて来たといふ風にも見られるのであります。

 言葉といふものは不思議なもので、ある思想もそれを表現する言葉の自由な解釈によつて、様々な陰翳、時とすると、思ひがけない意味まで伝へる場合があります。それ故、徒らに言葉尻を捉へて、あざとい批評を加ふべきではなく、論者の真に言はんとするところを、虚心坦懐に聴くべきでありますが、また同時に、その人の使ふ言葉は、どういふ意味に使はれてゐるにせよ、そのことが即ち、その人の思想を端的に示してゐることも亦、争はれないところであります。
 現代の日本は、言葉の混乱に於ても、正に古今未曾有でありまして、同じ言葉が人によつていろいろな意味に使はれ、殊に、多くは俗世間に通用する誤つた概念でそれを用ふるといふ風ですから、よほどお互に注意して人の言葉を聴き分ける努力をしなければなりません。
 この言葉の混乱、言葉の俗化が、屡々、人の思想を曖昧にし、無意識に畸形なものとし、異臭を放たしめ、これがまた、精神の健康を少からず害してゐることを認めないわけにいきません。

 さて、意志の鍛錬について、最後にはつきり云ひたいことは、日本精神の理想的な現れとして、今や、特に、「武」の一面を昔通りに強調することが急務でありませう。なぜ強調しなければならぬかといふと、それは、戦ふ国民として絶対に必要であることはもちろんですが、明治以来、文明の進歩といひ、文化の向上といふ場合、「文」の字にこだはつて、「武」をこれと対立するものといふ誤つた観念が何時の間にか生じてゐたからであります。それはまた、「武」と云へば、単に「争闘」であり、「腕力」であり、「武技」であるといふ風な、限られた概念でこれを見、これを教へた傾きがないとは云へないからです。
「武」の精神については、いろいろな説明はできませうが、要するに、こゝでは、日本文化の伝統として、その「意志的なもの」の理想的なすがたを示す言葉と解したいのであります。それゆゑ、文武両道とは、職能、技術の上での区別はともかく、元来、日本人の精神能力を二つの面に分けた考へ方でありまして、「文」は主として知情の面、「武」は主に意志の面といふ風に、一応心の現れを形として両分したに過ぎず、若し、日本文化の内容が、真善美の理想を目指すものとすれば、「文武」は渾然一体となつて、その理想の表現を得ることになるのであります。
 今それに気がつくことはたしかに遅いと云へば遅いのですが、しかし、われわれの魂は剛毅なる祖先の血を継ぎ、われわれの歴史と国土とは、知らず識らず日本の子供たちに、「尚武」の趣味を注ぎ込んでゐます。
 敢為敢闘の意気、体力の強化、武技の錬磨を含んだ「武」の倫理は、かの「武士道」を生んだ日本文化の一大要素であることを想起し、軍事活動を意味する「武力」と並んで、国民の総力と称せられる各分野の生産と秩序と持久との日常生活体制に於て、あくまでも「武」の精神を発揚することこそ、明日の勝利と建設への根本的着眼であると信じます。
「武士道」が昨日の日本を築いたとすれば、軍人に賜りたる勅諭の御精神は、現代の「武士道」とも云ふべき軍国最高の倫理に外ならぬと察せられます。
 忠節、武勇、礼儀、信義、質素の五ヶ条と、これを貫くに「誠」をもつてせよとお説きになつたものでありますが、これはもはや、軍人に限らず、全国民ひとしく、この御趣旨を奉体して誤りなきものと私は信じます。
 日本の今日あるは、畏くも明治大帝が夙に明らかに軍人の向ふところをかくの如く指し示され、軍人はまた、陛下の股肱として、絶大の矜持と志とをもつて、その軍隊の錬成に励んだからであります。
 これをもつてみても、古来、「武」の道は、決して、一切の道徳と無関係なものではなく、そのうちで特に武勇なる一特性は挙げられるにせよ、なほかつ、武勇だけでは「武」の倫理は完からず、忠節以下、礼儀、信義、質素の徳目を併せ備へなければならないのであります。

 そこで、次に、この時局下に於て、いはゆる「決戦の連続」と云はれる息づまるやうな昨今の情勢に鑑み、なほかつ、私が国民全体、特に青年に求めたいのは、正しい意味における「生活のうるほひ」であります。

「生活のうるほひ」は、「武」の精神と牴触するものではなく、むしろ、「武」をして真の「武」たらしめるあらゆる倫理を含むものであります。即ち、軍人に賜りたる勅諭にもお示しになつた、礼儀と信義と質素とは、そして、特に「誠」こそは、「生活」をして「うるほひ」あらしめる根本の要素であります。
 しかし、これを、一般国民の日常生活の現れ、乃至は心構へとしてみるとき、また別の角度から、その理想のすがたが考へられるのでありまして、「うるほひ」といふ言葉もまたそこから生れるのであります。
「うるほひ」は、「ひからび」の反対です。
 土地にしろ、草木にしろ、生物にしろ、からびるといふことは、養分がなくなることで、機能の衰退、死滅を意味します。
 人間の日常生活に於て、身体の栄養以外に、心の栄養といふものが考へられます。空気や水に匹敵するものもあれば、調味された食物に比ぶべきものもあります。そして、栄養は、これを外から吸収消化するために、身体にそれぞれの機関が備はつてゐる如く、精神も亦、外部の栄養を摂取し、これを精神的血肉とするために、必要な機能を備へてゐなければなりません。
 この外部から受け容れる栄養の豊かさと、内部に於ける働きの円滑な状態を指して、「生活のうるほひ」と呼ぶのであります。
 従つて、「生活のうるほひ」は、あくまでも精神の問題であつて、決して物質の乏しさに脅かされるものではありません。むしろ、物質的なものを極度に節約して、精神的なもので生活を満たすことこそ、生活の真の「うるほひ」と云へるのです。
 戦時生活の、いはゆる「物資欠乏」を伴ふことは、われわれの既に経験しつゝあるところであります。ところが、その「物資欠乏」が、われわれの精神に及ぼす影響は、戦時生活の他の面、即ち、戦場の消息とか、敵機の襲来とか、国際情勢の変化とか、政界の空気をはじめとする政治の動向とかいふもの、更に、家庭を中心とした四囲の人事的な動き、市井の物情などから受ける衝撃や感動や不安といふやうなものに比べて、現在では、殆ど同じくらゐになつてゐるやうに思はれます。むしろ、私の観るところでは、「物資の欠乏」といふことが、現在の国民生活を、もつと別の形で左右すべきだと考へるのです。それは、幸ひにして、「物資の欠乏」の程度が、他の交戦国からみれば、まだまだ余裕がある方なのですから、それを今のうちに、「何時までも持ちこたへられる」かたちにする計画と、その実践がなによりも必要なのであります。それに払ふ努力をいくぶん等閑に附して、たゞ物資不足を歎いたり、それに不安を感じたり、そのために気持が荒んだりするといふことは、まつたく日本人らしからぬことであります。
 しかしながら、戦時生活のあらゆる条件は、人心に必然的な動揺を与へ、生活の色調も亦、これに応じて、いくぶんの変化を示します。この変化が、「生活の悪化」となり、単に物質的な面ばかりでなく、精神的にも、「生活力の涸渇」となるやうに、敵はあらゆる術策をめぐらしつゝあるのです。
 国家総力戦とは、明らかに、国民の「生活」をもつてする戦ひ、「生活戦」をも含むものであります。それは結局、「生活力の強化」を以てこれに当らなければなりません。「生活力の強化」とは、言ひ換へれば、必要な物資の最少限度までを確保するための工夫努力と、その目的を達するため、及び、物資の欠乏に堪へ、しかも、それと関係なく「生活」を豊かならしめる精神力の培養と発揮とを、国民全体がひとしく心掛けることでなければなりません。
「戦時生活」に於ける「生活のうるほひ」は、正に、戦時であればこそ、一層その必要が痛感されるのだといふことを、こゝで断言しておきます。
「うるほひ」といふ言葉が、なにか弱々しい響きをもつやうに聞えるかも知れませんが、それは言葉の深い意味を解しないからであつて、機械や革具でさへも油が必要なことを思へば、「生活」に「うるほひ」を与へることは、決して、質実剛健と相反するものでないことがわかる筈であります。
 さて、「生活のうるほひ」は、先づ、「心のゆとり」といふものを根本の要素とします。
 緊張のなかにおのづから沈著と冷静を保ち、無益の疲労を避け、常に秩序ある生活を営むことです。情熱を傾けることと、興奮することとは別であることを知り、人との接触に於ても猥りに感情に走るやうな言動を慎み、すべての浪費を蓄積に代へることであります。
「心のゆとり」は、決して、「暢気のんき」といふことではありません。余裕綽々といふ状態を云ふのです。この心境に達するのは容易なことではなく、そして、それがためには、第一に、大きな「智慧」を必要としますが、この「智慧」の大小に拘らず、これをいつぱいに働かすといふことの努力は、差しあたり、誰にでもできることでありまして、青年は青年なりに、日本人特有のこの「智慧」を、青年らしく活溌に働かせてほしいものです。
 早く勉強なり仕事なりを片づけて遊ぶ暇を作る、といふやうなことが「心のゆとり」だと思ふと、これも大間違ひであります。
 なるほど、「よく学びよく遊ぶ」といふことも、ごく単純な子供心にはわかり易い訓へでありませうが、これはうつかりすると、「遊ぶために学ぶ」、即ち「楽しみを獲るためにいやな仕事でもする」といふやうな本末を顛倒した考へ方に陥りがちであります。
「心のゆとり」は、平生何をしてゐようと必要な精神の在り方を云ふのでありまして、一方から云へば、油断をせぬこと、頭が自由に働くことであります。また一方から云ふと、何かに没頭しきることはあつても、時々は「我に返る」ことを忘れないこと、つまり、「かまけ」ないやうにすることであります。常に自分が自分のあるじであることであります。
 従つて、勉強や仕事の最中にも、「心のゆとり」といふものはなければならず、それによつて、勉強も仕事も実際に成績があがるのみならず、そこにおのづから、歓びを味ふこともできるわけであります。

 次に、「生活のうるほひ」となるものに「希望」があります。青年ならば、これを「夢」と呼んでもいゝでせう。
 とにかく、希望のないところに生活はないと云つてもいゝくらゐで、その希望が輝かしいものであればあるほど、「生活」は活気に満ち、「うるほひ」に富むものとなります。
「希望」と一と口に云つても、その種類程度は様々でありますが、いつたい、希望は、在るものではなく、作るもの、生むものだと、私は信じます。誰にしても、「希望」がないなどといふことは嘘で、若しさうだとしたら、それは、希望を作る力、生む力がないといふことになります。
「青年の夢」については、後の章で詳しく語るつもりでありますが、そもそも、「生活」のなかの希望とは、やはり、なんと云つても、正しい意味における「幸福な生活」を想ひ描き、それに一歩々々近づく可能性を信じることでありませう。
「希望」は精神のうちに棲む「不死鳥」であります。一つの「希望」が失はれたと感じる瞬間、それに代る第二の希望がもうそこに生れてゐるといふのが、溌剌たる精神の常態でなければなりません。「希望」はどんな小さなものの中からも生れます。「希望」はまた、どんな手近なところにも作り得るのです。一粒の朝顔の種が塵ともなり希望ともなるといふことを考へてみればわかります。

 それからまた、「生活のうるほひ」の一つの重要な要素は「愛情」であります。
 元来、「愛情」を全く失つた人間といふものがあり得るでせうか。私はないと信じます。たゞ、時には、「愛情の涸渇」といふことが起るだけです。人間にとつて最も不幸な現象であります。それは、愛情を受け容れ、また、愛情を表示する能力が停止した状態をいふので、一種の精神的不具であります。かういふ人物に接すると、われわれは、人間の生きてゐることの惨めさをつくづく感じさせられます。
 それほどではなくとも、戦時生活の緊張と混乱のなかでは、往々、人間と人間との接触に、平生は見られない嶮しさ、刺々しさ、冷たさが生じ易いのです。「愛情の喪失」とまでは云へませんが、少くとも、「愛情の凍結」であります。殊に、見知らぬ他人同士の間に多くそれが見られます。近いものは一層近づき、遠いものは益々離れるといふやうな傾向ですが、時によると、近いものの間でさへ、ふとした動機から、心のつながりがなくなるといふ例が間々あります。
 しかしながら、戦時生活が、今迄の赤の他人同士を、ぐつと近づけ、親しい間柄にした例もなかなかたくさんあります。都市に於ける隣組や、いろいろな団体の緊密な連絡から、それがはじまつたやうに思はれます。
 もちろん、新しい利害関係や、事務上の必要から相接近するといふやうな場合は勘定に入れないとして、戦時生活の全面に亘つて、「同胞愛」といふ問題が大きく浮びあがつて来たことは争はれぬ事実であります。
 戦線において示される勇士たちのいはゆる「戦友愛」はその典型的なものでせう。
 共に歓び共に苦しむことは、云ふまでもなく、「愛情」の最も自然な出発であり、帰着でありますが、それがためには、協同の目的といふものをはつきり互に認識し合ふことが大切であります。
 今日は、誰でも頭の中で、国家の目指すところ、国民の向ふところを、しつかりと考へてゐないものはない筈です。それが国民お互の間に、心と心とを通じて、しみじみと感じ合ふところまでいけば、国内の「戦友愛」は眼に見える形で盛り上つて来るわけであります。
 ところで、「愛情」といふものは、家族間の親子兄弟夫婦の愛から、隣人、友人のそれ、更に、職場や学校などに於ける同僚、上下の愛情に至るまで、すべて、「如何に示されるか」といふことによつて、「生活のうるほひ」に関係をもつのであります。
 愛情はあるのだが、それを示さないといふのでは、ないよりはましに違ひありませんが、どうもそれだけでは、日常生活の「うるほひ」にはならないのです。
「愛情」を深く内に包んで、平生は無愛想とも思はれる態度を示し、それが何かの機会にふと相手の心に通じるやうな言葉となり行動となつて、ひときは感動を増すといふことは、事実さうでもあり、また、甚だ日本的なこととされてゐるのですが、それも、あまり極端になつては、芝居じみてゐて、ほんたうに日本的とは云へないと思ひます。よく年配の男子などが、家族その他に対して優しい顔を見せまいとするのは、「愛情を小出しにしてはならぬ」と自ら戒めてゐるわけで、その心持はよくわかるのですが、どうかすると、それを口実に、自分以外への無関心を自ら省みないこともあり、また、威厳といふことを履き違へてゐる場合もあるのであります。
 たしかに、「愛情」の問題は微妙を極めてゐます。浅薄な愛情の氾濫は、もちろん人間の生活をふやけさせます。しかし、かたくなな愛情の拒否も亦、生活を寒々とした、うるほひのないものにします。
「愛情」の素直な、或は適度の表示といふことは、人間の本性に基く欲求であり、また、訓練による「嗜み」でもあるのですが、これは、口で云ふほど、た易いことではありません。多くの場合、その表示は、不自然であつたり、程度を超えたり、不十分であつたりするものなのであります。
 さういふわけで、「愛情」の表示には、それ相当の技術がいるとまで考へられてゐます。悪い意味の技巧は、「愛情」を不純なものとし、受け容れる側の反撥を買ふことはもちろんでありますが、示すべき愛情を、それだけのものとして、十分に、自然に相手に感じさせる方法は、なるほど、一種の身についた技術と云へるかも知れません。技術といふ言葉が気に入らなければ、「たしなみ」といふ言葉を、こゝでも使つていゝと、私は思ひます。
 家庭生活の「うるほひ」は、主として、家族間の「愛情」の自然な発露に求めることができますけれども、私が特に青年諸君の注意を喚起したいことは、職場や学校などの集団生活、わけても、勤労の時間に、同僚や先輩長上に対して、不必要に「無愛想」な表情を示さないこと、言ひ換へれば、「戦友愛」の自然なすがたが、せめて「眼附」や言葉の調子にだけなりと示されてほしいといふことであります。
 近頃、「商業道徳」といはれるものの一つに、客あしらひの問題が数へられてゐます。「売つてやる」といふ調子の横柄さ、突慳貪な客扱ひは、流石に誰の眼にも余るとみえ、商人の自戒を求めたものと思はれますが、これなども、同胞に対する愛情がないとは云へないのでありまして、まさしく、他の感情のために、それが押しのけられ、客の方に通じなくなつてゐるのです。

 そこで、この「愛情」の表示を最も自然ならしめ、適当ならしめるためにも、古来、人間には「礼儀」といふものが考へられてゐるのであります。
「礼儀」は、社会の秩序を保ち、人間の品位を高めるものでありますが、それと同時に、「敬」と「愛」とは二にして一なのでありますから、「愛情」そのものの秩序をも規定するひとつの形式とみることができます。
 その意味で、「礼儀」はまた、「生活のうるほひ」に欠くべからざる要求であります。
 極く最近までの一時代を顧みてみますと、「礼儀」を形式にすぎずと云つて軽蔑する傾向がありました。礼儀そのものを排斥したのではありますまいが、礼儀と称せられる昔からの形式を、時代にふさはしくないものとして度外視しようとするところから起つた行過ぎでありませう。
 心に礼あればおのづから形に現れるといふ理窟に間違ひはありません。
 ところが、実際は、形に礼なければ心おのづから礼を失ふ結果になるのであります。
 こゝで一つの例を挙げれば、日本人は非常に含羞はにかみやである、照れ屋である、と私ばかりでなく、多くの人は認めてゐます。昔からさうだつたとすれば、これは国民性、民族性のどこかにその原因があるのですが、ちよつと明確には云へません。多分、自尊心のひとつの現れではないかといふことは、次のことでわかると思ひます。とにかく、現代の日本人は恐しく照れ屋でありまして、殊に、若い人々、わけても教育ありと自他ともに任ずるものほど一般に甚だしいやうです。照れ屋である結果は、なんでもないことを照れ臭がります。殊にそれが目立つのは、人前に出て、いはゆる「改まる」時、人が見てゐる前で、何かをしなければならない時です。
「含羞む」といふことは、子供ならばごく自然で、極端な「人見知り」を除いて、大いに可憐さを増すものでありますし、青年と雖も、ある程度の、そして、素直な「含羞」は、見てゐて決してわるいものではありません。むしろ、それは純真そのものを語るとまで云へるのですが、その「含羞や」が、度を越えて「照れ臭がり」となると、よほど趣きが違つて来ます。
 これはもう性格の歪みと云ふべきものでありまして、その根柢には、蔽ふべからざる自尊心の病的な膨らみが観取されます。そして、照れ臭がる場合の心理のうちには、必ず、自ら「ぎごちなさ」を意識し、その「ぎごちなさ」が、人のせゐではなく、自分に何かが欠けてゐるためだといふことを、おほかたは気づかぬ状態が発見できるのです。
 その「欠けてゐるもの」とは何かと云へば、人と接する技術、つまり、「作法」であります。
「作法」を知らぬ、また知つてゐてもまだ身についてゐないことから生じる中途半端な誤魔化し、それによる思はぬ失態、相手との間の空隙、することが不器用に陥るもどかしさ、それを予め感じれば感じるほど、神経が昂ぶり、頭が乱れ、筋肉が硬ばるのです。
 自然であらうとすればするほど不自然になり、うまく切抜けようとすればするほど、つかへつかへするじれつたさはどうすることもできません。
 そこで、その「ぎごちなさ」を嗤はれないために、またそれを逃れるために、今度は、意識的に、つまり、わざとさうしてゐるのだといふ風に虚勢を張ることになります。もともと「作法」などは眼中になく、まして人の思惑など気にはしないといふところを、言葉や動作で示さうとします。それほどまでにしなくてもと思はれる青年の「無作法」は、屡々かういふところから生れるのであります。
「照れ臭がり」は、それで自分だけはなんとか救はれた気でゐるでせうが、実は、これほど、あたり迷惑なものはなく、世の中を殺風景にするものはありません。一人の照れ臭がりの息子がゐると、家の中はまことに面倒になります。なぜなら、さういふ息子は、不思議なほど親に突つかゝり、弟妹に邪慳な素振りをみせ、愉しくても愉しい顔をしないのであります。
「作法」とは決して、固くるしい行儀や丁寧な言葉使ひだけを指すのではありません。時に応じ処に臨んで、最も適切な、最も円滑な自己表現をなし得る技術なのであります。
 対人的には、それは「礼儀」の様々な形式ともなります。「愛情」の表示にも亦この「作法」に類する形式があることを忘れてはなりません。
 われわれの「生活」は、この「愛情」を感じ合ふといふことがなかつたならばそれは如何に、味気ない、かさかさしたものでありませう。

「生活のうるほひ」は、次に、「趣味」からも生れます。
「趣味」とは、こゝでは最も広い意味に使ひますが、言ひ換へれば、「ものの美しさを味ふこと」であります。昔は「風流」とも「風雅」とも云ひました。この「風流」「風雅」は、いくぶん、閑人の、世間離れのした「遊び」に近いやうなところもありますから、今の時代にはそのまゝ通用しませんけれども、日常の生活のなかに、生活を通じて、人間、自然、物事のそれぞれに、「美しいところ」を発見し、これを味ひ、これに親しむ心を絶えず目覚ましておくことは、人間としての「生き甲斐」の一つであり、生活に「うるほひ」を与へる肝腎な要素であります。
 由来、日本人は、この点にかけては、世界のどの民族に比べてもひけはとらない筈でありました。ところが、近来、さういふ特長がだんだん失はれて来たのではないかと思はれる節があります。
「美しい」といふことが、往々「贅沢な」といふことと混同されるのは、「ほんたうに美しいもの」と、「美しく見せかけたもの」との区別を弁へないところから来るのでありまして、「ほんたうに美しい」ものは決して「贅沢な」ものではありません。「美しい」といふことの本来の意味は、「飾り」ですらなく、物自身の清く磨かれた自然のすがたにあるのであります。
 人間の心や行ひの美しさ、その容貌姿態の美しさはもちろん、自然の美にしても、また、芸術の美しさ、国土や歴史の美しさ、生活の美しさ、いづれも、それは、見せかけや装飾ではありません。
 ほんたうに美しいものを美しいと感じる力があつて、どういふもののなかにも、美しいところがあることを見出し、それを深く味ひ、自分もまた、生活の隅々で、「ほんたうに美しいもの」を生み出す工夫と努力をするといふことは、われわれの祖先の生活を比類なく美しいものにしたのであります。
 そして特にわれわれが知るべきことは、さういふ美しい生活の形式と内容が、誰の考案といふこともなく、長い年月のうちに、時代々々の趣きを加へ、築きあげ、鍛へ、磨かれて来て、はじめて完成の域に達したといふ事実です。これは、さういふ生活を土台として生れた芸術についても云へることで、日本の美は、一人の天才がこれを創り出したといふやうなものは少く、殆どすべては、歴史そのものが、ある時代といふ「天才」の力を得て、無名の傑作、天衣無縫の名品として、この国に与へたもののうちに宿つてゐるのです。
 われわれは先づ、それゆゑに、日本の伝統のうちにこそ、真に日本的な「美」を発見すべきです。一つ一つの物の形に囚はれず、その形を生み出した精神に触れることが、伝統の神髄をつかむことです。それと同時に、「新しい美」の正しい味ひ方をも会得しなければなりません。建築、美術、音楽、文学、演劇、映画などを通じ、新しい時代を呼吸する「美」について、理窟の上でなく、感覚と情操の力で、十分の見分けができるやうに訓練を積むことが必要です。
「美しいもの」を味ふといふことは、なんと云つても「芸術」を媒介とするに如くはありません。
「芸術」は芸術としての独自の意義と使命をもつてゐます。「芸術」に親しむといふことは、単に、「生活のうるほひ」に資するためではありません。「芸術」の創作はもちろん、これをほんたうに鑑賞するためには、非常な修練を必要とするのですから、すべての人にこれを求めることは無理だと思ひます。しかし、どんな芸術でも、それが実際に傑れたものであれば、何らかの意味で人の魂を打つのであります。芸術の浄化作用によつて、人は精神的に高められ、そこに意外な中毒作用さへ起さなければ、生活もおのづから美化されて来る筈であります。
「芸術」の中毒作用とは、芸術と生活とが離れ離れになり、芸術に親しめば親しむほど、生活が乱れ、荒み、空虚になることを指します。さうならぬためには、日本人としてのしつかりした「生活観」と、健康な芸術を選んでこれに親しむ態度とが必要であります。

「芸術」に限らず、とかく、「趣味」といふものは、前章でも述べたやうに、「道楽」と紙一重でありまして、凝り方によつては、どんな趣味でも、不健全な結果に陥ります。それはもう、「美」を求める域から脱して、「快楽」を追ふ領分にはひるからであります。「生活」そのものに理想なく、日常の「生活」を俗事の如く考へ、「仕事」は衣食の資を得るためと見做す、かの似而非通人の、もつて誇りとする「趣味」を、私は極度に排斥します。
 青年にあつて、特に、「生活」を軽視し、却つて怪しげな「趣味」などをひけらかすのは、その動機や理由はどうあらうと、甚だ「悪趣味」だと思ひます。
「趣味」は繰り返していふやうに、「生活」から離れて、或は、「生活」の一隅に、ぽつりとあつてはならぬものです。「趣味」によつて養はれた「美を味ふ心」は、必ず、「生活」の全面に浸み渡らなければなりません。
 文学のわかる青年が、家庭に於て、「親心」を解せぬといふわけはなく、音楽を好む青年が、扉の開けたてを乱暴にするのは大きな矛盾だといふことに気がついてほしいのです。
「美」を愛し、味ふ心は、日本人として当然深く養はなければなりません。これが、戦時の生活に必要な「うるほひ」を与へるでありませうが、この「美」といふものは、決して、それだけを愛し、味はへば足りるといふものではありません。事実、「美」を尊び、これを至上なものとする余り、道徳を無視し、法律に逆ふといふやうな傾向が、過去のヨーロッパの風潮になつたことがあります。唯美主義或は耽美主義と名づけられたものがそれです。
 それほどではなくても、趣味人とか風流人とか云はれるもののなかには、なんでも「美しく」ありさへすればいゝといふやうな態度で、生活万般を律してゐるものがあります。これがつまり、「文弱」であります。
 何事によらず、専門となると、自分の仕事が世の中で一番尊いもののやうに思ひ込み、自分だけはそれでいゝとしても、他にその考へを押しつけます。
 文学者は文学者風に(文学的にでさへもなく)すべてのものを観、批判し、それが知らず識らず読者に伝はつて、文学者でもないのに、文学者風な、ものの観方、考へ方をするものを作るやうになることがあります。それが何時でも危険なわけではありませんが、屡々厄介なことがあります。
 どう厄介かといふと、往々にして、文学者は、自分一個の偏つた主観を、全体の人に通じるかの如く、極めて巧妙に客観化する技術をもつてゐて、しかもそれを魅力のある表現に托するからであります。
 かういふ文学は、たまにさういふ文学としてそのつもりで読まれる間は、なんの差し障りもありません。面白かつたで済むのであります。しかし、さういふ文学のみが市場に氾濫する結果は、なかなか油断がなりません。
 これは少し話は違ひますけれど、今度は「茶の湯」つまり「茶道」と呼ばれるものについてであります。
 私はかねがね興味をもつてこの日本的「芸道」を眺めてゐるのですが、どうも、その道の人が云ふほど、現在の「茶道」なるものが、精神の訓練に役立つとは思へないのです。なるほど、理窟はよくわかりますが、これは一種の「専門化」された技術と、「専門家的な」感覚によつて作られた風習の尊重であつて、必ずしも人間の本性と、生活の実質に即した「芸道」だとは考へられません。恐らくもつと旧い時代の「茶道」には、こんな「あく」はなかつたのではないかとも思はれますが、なんにしても、私は、最も本格的な茶の席で、正統を継ぐ家元の「お手前」を見せてもらつて、非常に感服はしましたが、それはもう芸術家の傑れた作品に感心したやうなもので、「茶道」そのものの巷間に流布してゐる状態と、いはゆる師匠なる人々の生活感度とのなかに、多くの疑問を抱いて今日に至つてゐます。
 婦人が行儀作法の訓練を受ける意味なら、これはまつたく別の話です。
 恐らく、専門家にはあつてよい、或はあつても仕方がない「臭味」といふやうなものもあるでせうが、専門家ならざるものまで、この「臭味」を身につけられては堪らぬといふ気がするのです。ところが、多くの素人は、肝腎な精神よりも、この「臭味」をよろこぶものであります。
「生活のうるほひ」は、決して、この類ひの「臭味」からは生れません。

 こゝでひとつ、文学芸術が如何に人間の生活や働きに大きな影響を与へるものであるかといふ例を引きます。
 前司法次官三宅正太郎氏の近著「裁判の書」に「裁判のうるほひ」といふ一項があります。これは、「裁判官が事件をさばくに当つて、その事件が立法の不備や行政処分の不徹底なために起つたことであり、被告人にも責むべきものがありとしても、一半の責任は官憲にあると思ふ場合でも、それは少くとも裁判官の責任ではないと思ふが故に、国民の責を問ふ方に力が注がれて、もし被告人にして官憲の不当を訴へるものがあつても、その苦情は直接その官憲に訴へたらよからうといふ風に諭す場合が多い」のを著者は裁判に「うるほひ」がなくなる一原因と見做し、「国家は常に全体として活動してゐるので、その個々の仕事はそれぞれに国家の円満な様相を具現すべきである」といふ観点から、裁判官も、法廷に於て「国家の代表者として国家の円満な姿を体現する」ものとして、いはゆる情理をつくした態度を示すべきであると説いてゐるのです。かういふ考へをもつてゐる著者は、更に、別の項で、「文学」について語つてゐます。
「裁判に関与してゐると、さまざまな人生を見る。しかし通常、記録の表面にあらはれた事件の部分は常套的な人生記録で、よし三面記事的乃至は大衆小説的な興味を寄せ得ても、人生を知る材料には割合に乏しいものである。以前私がよく作家と往来してゐた頃、屡々促されて、取扱つてゐた事件の話をしたが、作家のよろこぶと思つた話は、案外に興味を惹かないで、私の少しも重きを置かない傍系的な挿話がひどく気に入るのを不思議に思つたが、それは自分の人生を観る眼が深くなかつたためであつたことを、後日に悟つたことである」と、先づ謙虚な感想を述べてから、「記録に文学が乏しいといふことが、単に文学の問題ならば、われわれは多く論ずることはない。だが、もしそれは、官憲の眼が人生に徹してゐないからだといふなら、それは同時に、われわれの仕事の本質に関係をもつ。実際、人間として人間性に徹してゐないといはれることは、大きな欠点であり大きな恥辱だ。私はこゝで文学を論ずる資格はないけれど、私の希望を云はせるならば、裁判官である限り、せめて事件を人間性にまで掘り下げ、事件そのものよりも、事件の裏にある人間性の動きで事件を知り、そのなかのよきものを剰さずみとめて欲しいのであつて、それは文学に親しむことによつて最もよく達せられるところだと思ふのである」と喝破してゐる。

 文学と裁判との関係は、文学と総ての仕事、職業との関係にこれを及ぼすことができ、更に、文学と「生活」との関係に至つては、三宅氏の所説はそのまゝ、当てはまるのです。即ち、「生活」の表面的な部分や、大ざつぱな動きだけを見てゐては、ほんたうの「生活」はわかるものでなく、その内奥に触れて深い意味を探り、全体を見渡して真実の姿をとらへ、変転常なき形貌を通じて、複雑な「生活の味」を味ふことが、「生活を識る」ことの根本であり、また、「正しく生きる」ことの第一歩でもあるのです。そして、傑れた文学こそは、かゝる道へ人々を導く最も入り易い門なのであります。
 さういふわけで、文学に親しむことは、その人自身の心に「うるほひ」ができるばかりでなく、その周囲にも「うるほひ」を与へ、かつまた、その人の眼には人生の明暗、即ち「人間生活」そのものがまたとなく興味あるものとなり、屡々新鮮な感動の種をそこに発見するのです。
 人心の機微に触れて、しかも法の尊厳を飽くまでも示す裁判が名裁判と称せられるやうに、日本人としての立派な「戦時生活」とは、一方、生産消費の両面に於て、国家の要請に全力をあげて応へると同時に、また一方、精神生活を飽くまでも豊かにし、特に、古風な言ひ方ではありますが、「義理人情」を尊ぶといふことが最も肝要であると信じます。
 一口に「義理人情」と云ひますと、これは偶々封建時代の風習と結びついて考へられることが多いため、或は旧弊とか因襲とかの名で、いくぶん蔑視される傾きがないでもありません。しかし、昔から日本人の「社会生活」を律する一つの掟として、厳しいことはこの上もなく厳しいけれども、またそこに、云ふに云はれぬ「うるほひ」を与へてゐる精神は、実に、この「義理人情」なのであります。
 ところが、この言葉の現す微妙なこゝろは、ちよつとほかの言葉では説明がつきかねるのです。「歌舞伎」などで演ぜられる悲劇の主題が、屡々「義理人情のしがらみ」といふやうなお芝居式の攻め道具で、見物の涙をしぼることになつてゐるせゐか、とかく、義理と人情とを対立させる考へ方が一般にひろまつてゐるやうです。この種の芝居は、むろん筋として極端な例外をあつめたに過ぎず、ほんたうの「義理人情」とは、「義理のうちに人情が含まれ、人情のうちに義理が固く守られる」人間的行為の理想を端的に目指したもので、やかましい理窟や利害の打算はぬきにして、世の中の無言の掟といふ風にこれを会得し、これを実践するところに、日本人らしい恬淡な、しかも峻厳な「生活観」があるのであります。前項で「愛情」について述べました。更にこれと並べて「信義」といふ項目が必要だと思つたのですが、幸ひ、「義理人情」のなかに、この「信義」は立派にはひつてゐます。「愛情」は人情の一部ですけれども、問題をやゝ特殊な形で取扱ひましたから、わざと一項を設けました。「信義」と「義理」とは言葉どほり違ふわけですが、「義理人情」となると、そこに、「信義」の精神が殆ど完全に含まれて来ます。
 私がこの「義理人情」といふ言葉を持ち出した理由は、いはゆる儒教乃至西洋倫理学による徳目の羅列が、必ずしもこの場合便利だとは思へなかつたからです。そして、「生活のうるほひ」に必要なものは、決して道徳の一面的強調ではなく、もつと人間性の本質にふれた「生き方」の問題であり、さういふ点では、日本人の例の直観力が生んだ綜合的な生活の掟といふやうなものが、こゝで大いに役立つと信じたからです。
 その意味で、この「義理人情」といふことは、後の章で詳しく述べようと思ふ「たしなみ」といふことと共に、深く考へてみなければならぬ日本的な表現であります。
 さて、前置きばかり長くなりましたが、「義理人情」といふ極めて平俗な人生訓を通じて、先づ、私は、今日の言葉で云ふ「責任感」と、「人を先づ信ぜよ」といふ二つの崇高な道徳的内容を汲みとることができるやうに思ひます。これは私一個の解釈ですけれども、さう理解することによつて、この言葉は、「誠」といふ、一切の人間的徳性を貫く、ひろい、まどらかな心の在りやうを底に含み、現代に最も活かしたい言葉となるのみならず、「生活のうるほひ」とは益々密接な関係をもつて来るのです。なぜなら、「生活のうるほひ」に欠くべからざるものは、「新鮮な感動」であり、この感動の極は、最も屡々「美しい人間的行為」であり、しかも、かゝる行為の多くは、前述の「誠」を土台とする、いづれかの道徳的内容をもつ「義理人情」の純乎たるすがただからであります。
「義理人情」の甚だ好もしい一つの特色は、私の考へるところでは、それが日本人の日常生活の隅々で、常に何気なく、ほとんど人の注意も惹かず、自分だけの心に満足を与へながら、極めてつゝましくそれが行はるべきものだといふことです。「行ふ」と云へば云ひすぎるほどの、そこはかとなき「心の動き」をさへ指すのであります。
 この「心の動き」は、わが古典文学の一つの精神である、かの「もののあはれ」に通じるもので、日本人の豊かな心情を物語つてゐますが、これは、同じ「義理人情」の、際立つた、激しい現れが、一面、古典文学のもう一つの精神である「ますらをぶり」に通じることをも示してゐます。
「文学」の話と結びつけて「義理人情」の一項を挟みましたが、もう一度本題に帰ります。本題は「趣味」といふことでありました。
「趣味」にはまだいろいろ種類がありますけれども、それはそれで他に参考になる書物もあるやうですから、私はいちいちの種類については詳しく述べません。
 たゞ、「読書」といふ問題について一言触れておきます。
「趣味」といふ以上、直接自分の仕事なり、専門の修業なりに必要な「読書」は別として、主に、「教養」としての「読書」の範囲であります。
 私の考へでは、「肩の凝らぬ読書」などを求めることほど、自分を軽蔑し自分を低下させるものはないと思ひます。本を読んで肩が凝つたら体操をすればよろしい。肩が凝ることがそれほどいやなら、その時は本など読まず、歌でも唱ふがいゝのです。
「読書」の愉しさは、頭を使ふ自己創造の愉しさです。精神を練る努力と疲労の快感です。楽に読めて、読んでゐる間だけ胸がどきどきするといふやうな感覚的な面白さは、少くとも、「趣味」として読書に求むべきではないと思ひます。
 近来、書物といふものに対する一般の考へ方が非常に変つて来て、いはゞ商品の性質を多分に帯び、消耗品の如く読み棄てるといふ風なことが平然と行はれるやうになりましたが、これは、読者の方にばかり罪はないにしても、悲しむべき「文明」の一現象であります。

 さて、問題がこゝまで来ましたから、「趣味」の隣りにゐて、幾分はそれと重なり、しかも、本質的にはまつたくこれと違ふ「娯楽」の問題を取りあげませう。
 娯楽的要素は、むろん体育のなかにも、芸術のなかにも、学術的研究のなかにさへもあり、また娯楽を芸術的に、科学的に仕組み、成り立たせることも可能ではありますが、娯楽そのものの本質は、人間が最も自然な姿に於て歓喜し、興奮し、心身のさまでの苦痛を伴はずに、これに没頭し得る「遊戯」でなければなりません。
「娯楽」には、感覚的なものと肉体的なものとが多いのですが、いくぶんは知的なもの、情的なものもあります。
 その何れが最も健全なりやと問はれても、それは俄かに返答はできません。なぜなら、その何れにも、高さの程度があり、むしろ、娯楽の文化的価値は、決して知的なるがゆゑに高く、感覚的なるが故に低いといふやうな見方では決められません。たゞ、その純粋性と自然の品格によつて決められるのです。
 民衆の娯楽、殊に青年の娯楽は、民衆自身、青年自身の手になつたもの、その素朴純粋な精神を精神としたものが、一番高い価値をもちます。私は嘗てかういふ文章を公にしたことがあります。「民衆の娯楽的欲求は元来健全なものだと私は信じてゐる。これを不健全なものにするのは、民衆を食ひものにする手合の陰謀と術策である。営利的娯楽業者と独善的民衆指導者の猛省を促したい。」

 今から考へると言葉が激越に失してゐるやうですが、この事実は今も殆ど改まつてゐません。多少、政府をはじめ、各方面の努力はみられますが、まだまだ効果が挙つたとは云へないくらゐです。

「娯楽」の一番不健全なものは、「生活」と離れて、「生活」から人々を引き離すためにあるやうな種類のものであります。
「生活」の単調を忘れるとか、「生活」の煩はしさを逃れるとかいふ口実が、「娯楽」のために設けられてゐるのは、少しをかしいので、「娯楽」は立派に、「生活」の一部であり、正確に云へば、むしろ、「娯楽」は「勤労」の疲れを癒し、心気を一転させ、明日の「生活」の力を培養する、刺戟と鎮静を兼ねた頓服薬であります。
 それゆゑに、「娯楽」は例へば頭の痛むやうな副作用を起してはならず、また、できれば、いくぶん栄養も含んでゐるやうな代物であるに越したことはないのです。
 しかし、飽くまでも、「娯楽」は、「娯楽」以外の要素のために、「娯楽」たる本質を失つてはならず、それと同時に、「娯楽」を楽しむために、「勤労」を少しでも犠牲にすることは許されません。といふ意味は、「勤労」の種類にもよりますが、計画的に進められ、能率増進のために与へられた「娯楽」の時間を善用する以外に、いはゆる「生活の余暇」を個人的に利用する「娯楽」は、努めて、仕事の妨げにならぬやうな、仕事に用ひる力を消耗させぬやうな種類のものを選ばなければなりません。

 一体、「娯楽」と云へば、外に求め、外から与へられるもののやうに思つてゐるのは根本的な間違ひで、「映画」は殆ど唯一の例外と云つてよく、「演劇」をはじめ、すべてその気になれば、自分たちの手で自由に出来るものばかりです。
 素人演劇については、大政翼賛会文化部編纂の「指導書」がありますから、その精神と実際のやり方を参考にしてほしいと思ひます。

「娯楽」についてはこれくらゐにしておきますが、「生活のうるほひ」について、もう一つ最後に附け加へたいことは、適当な言葉が見つかりませんが、「人との交り」でもよく、たゞ「語らひ」と云つてもよい、つまり、家庭の団欒をはじめ、人を訪ねたり訪ねられたり、また幾人かが一と所に集つて、ゆつくり歓談したりするといふことです。
「社交」といふ言葉は、西洋風に聞え、更に、なんとなく形式張つてゐるやうで、しつくりしませんが、要するに、人と人とが親しく交り、互に心情を吐露することによつて、人柄と思想の面白さに触れ、親愛の度を増し、気持がなんとなくほぐれるといふことは、誰しも屡々経験するところでありませう。
「非社交的」などと云はれる人々は、それはそれで思ふところあつてなのかも知れませんが、戦時生活運営の協同責任者としては、ひとつ是非、考へを変へてほしいものです。
「人嫌ひ」といふ極端な性格も昔からあるにはありますが、モリエールの描いたアルセストほど哲学的でもなく、たゞ、面倒だから、うるさいから、では話になりません。多くは、自分の我儘を棚にあげての強がりに過ぎぬと思はれます。
 人と話をするといふことは、実際、相手によつてうんざりさせられることもありますが、自分の方が案外相手をうんざりさせてゐる場合もあることを反省し、知識交換などと慾張らずに、たゞ「話」をするのが面白い、楽しいといふやうな交際を、青年のうちに努めて心掛け、しまひには、たゞぢつと顔を見合つてゐるだけで心が和むといふやうな、また、口数は少いが、何か云へばきつと味ひのあることが云へるやうな、さういふ互の修業を積むことが、日本人の「生活」をもつと「うるほひ」のあるものとするでせう。
 これで「戦争と文化」といふ題下に、主として、心身の健康について、「武」の精神について、「生活のうるほひ」について説いたことになります。この何れからも、戦時に於ける国民の、特に青年の「たしなみ」の問題が引き出せますが、これは題を改めて、次の章に譲ることにしました。

 さて、「戦争と文化」について、なほ云ひ落してはならないことは、今次の戦争によつて今迄の「文化」がどういふ風に変つていくかといふ問題であります。
「米英的」な文化がわが国並びに東亜から一掃されるであらうといふことは、われわれの信念であり、また、事実それを目的として戦争が行はれてゐるとみなければならないのですが、そもそも、「米英的」文化とは何を指すかといふことになると、これは非常に単純なやうで、実は複雑な課題であります。
 無暗に英語を排斥してみたり、自由主義や民主主義が米英的だといふので、それがどんなものかもわからずに、自由主義と民主主義はいかんと騒いでみたりしても始まりません。
 そこで、私が青年諸君に云ひたいことは、「文化」や「思想」の問題は、ひとまづ、それぞれの指導者の指導に従ふこととし、先づ何よりも、敵国並びに敵国人を憎悪する気持を、更に一層、自分の心の中で燃えたゝせてほしいといふことです。
 その際、仮りにも誤つてはならないことは、いはゆる「坊主憎けりや袈裟まで憎い」といふ流儀で、物事を処理する単純主義に陥ることです。極端な例は、英語で書かれた書物を地上に投げつけて、快哉を呼ぶといふやうな子供じみたことです。
 しかしまた、米英にも学ぶべきところがあるといふやうなことを公然口にし、また、腹の底で繰り返し云つてみるといふやうな煮えきらぬ態度は、断然一擲すべきです。そんなことは、今問題ではないといふことに気づかなければなりません。良心とはそんなものではなく、冷静とはかくの如きことを指すのではありません。若し必要あつて米英の書物を読むなら、むしろ、今こそ敵愾心を以て、その書物の内容を戦利品の如く利用すべきです。戦ふものの当然の心理は、国民の間に共通に動いてゐなければならず、強ひてこれに反するやうな表現をもつて己の意見を述べるのは、国民としての「たしなみ」でないといふことを深く知つてゐてほしいと思ひます。

 戦争はたゞ米英文化をわが国並びに東亜から一掃するだけではありません。わが国の文化を、正しい伝統に引戻し、これを更に発展させると同時に、東亜諸民族の生活の上に光被せしめる使命と力とをもつてゐます。
 こゝにも亦、青年の負ふべき大任があります。青年は、先づ学生生徒として、身をもつて、明日の文化を築く地位に立ち、更に兵士、その他として戦線に赴き、直接間接、後進民族に誘導の手を差しのべなければなりません。日本青年の一挙手一投足は、そのまゝ若き日本の姿として、彼等の眼に映り、彼等の興味を惹き、彼等の夢をかきたてるでせう。
 新しい日本の、伝統に根ざした文化の様相については、前二章であらましのことは尽したつもりですが、それらの説明でもわかるやうに、もちろん、「文化」とは「文化」の名を常に冠して存在するものではありませんし、これが「文化」だと意識しながら、それを創り、また受け容れるものでもありません。
 例へば、この戦争で、ありがたいことには、科学者も芸術家も、みな旧套を脱して、国家意識に眼ざめ、それぞれ専門の知能を傾倒しつゝ、直接間接に国力増進の運動に参加するやうになつて来ました。
 医師も、今までは、特別の勤務についてゐるものは別として、大体開業医といふものは、自分のところに来る患者の診療に当るだけが仕事で、早く云へば、病気になつたものだけを相手にしてゐたのですが、これからは、国の方針として、すべての医療関係者を一丸とし、国民保健、即ち、病気の予防に主力を傾けることになる筈です。
 演劇や映画の企業も、これまでの営利主義を一擲し、国家の統制の下に、企画製作を通じて、戦争完遂を目指した直接の啓蒙宣伝に一層協力することはもちろん、大東亜文化の樹立に先行する、気品と情熱に富む作品の出現を促すでせう。
 教育の問題は、既に一応形式上の決戦体制は整へられ、国民学校の確乎たる基礎の上に、青年学校の充実、中等学校以上の年限短縮など、相当画期的な処置は取られましたが、更に進んで、教育内容の刷新が着々進められようとしてゐます。
 工科系統の学校増設、収容人員の倍加が著しい戦時色の現れであり、師範学校の昇格は、国民学校の重要性を一段と認識させるに役立ちました。
 いづれにせよ、教育は学校のみで行はれるものではないといふ当然の事実が、国家の教育政策として漸く実践的に取りあげられ、家庭教育、社会教育を重視するについても、特に、職場教育とも云ふべき、実務を通じての心身の錬成が、結局、国民教育の仕上げであることを、一般に誰もが同意するやうになりました。非常な教育観の飛躍でありますが、実は、このことは、既に、軍隊教育に於ては試験済みであり、かつ、ナチス・ドイツの例などを引くまでもなく、嘗ての日本人は、総て、家庭と道場と職場に於て、それぞれ、躾けられ、鍛へられ、錬られたのであります。

 最後に「宗教」について一言します。
 こゝで私は、自分の信仰を基礎として、宗教を語ることができないのを遺憾に思ひます。それならば寧ろ、宗教について何も言はぬがよいとも考へましたが、「戦争と文化」といふ題を掲げ、遂に一言も宗教に触れないといふことは、なんとしても片手落でありますから、たゞ、私一個の感想として、宗教が今日在るがまゝのかたちでなく、明日若しも真に人々を信仰の道に引入れることができるならば、これこそ、戦ひつゝある日本にとつて、絶大の力となるであらうといふことを申すに止めます。
 それにしても、現在の宗教になんの力もないといふのではありません。神、仏、基、それぞれの宗教は、その教義と、これを説く人の人格と、伝道の方法如何によつて、十分青年の求めるものを与へ、その悩める魂を救ひ得るものと信じます。
 特に、神社参拝に見られるいはゆる国体並びに祖先尊崇の国民的信仰は、これを宗教と区別するやう、国家が夙に命じてゐるのですから、宗教と云へば、宗派神道、仏教、基督教、それに僅かの回教があるだけです。
 故に、国民的信仰と宗教的信仰とは、まつたく両立しないものではなく、憲法の章条を引用するまでもなく、国民はすべて、個人または家族としての宗教を奉ずることによつて、安心立命の境地を獲得することができます。
 のみならず、私は敢て云ひますが、青年時代からある宗教の門を潜るといふことは、深い信仰に達するかどうかは別として、少くとも、精神の修練にいくらかの益があるのではないでせうか。最近の社会風潮は、多くの青年が宗教を離れたための、憂ふべき現象に満ちてゐるやうにも思はれます。「天晴れな度胸」と「敬虔な心」は、或は宗教のみによつて養はれるものではありますまいが、宗教が最も自然にこれを与へるといふことを、私は朧ろげに感じるものです。
 戦争は、日本をして真の日本の姿を世界に示させ、日本人をして真の日本人たる矜りを自覚し、「たしなみ」を身につけさせつゝあります。
 戦争は、かくて、この地球上に、新しい文化の曙光を投げ、亜細亜の歴史は日本の羽搏きによつて活々と蘇るでありませう。しかし、この大事業の完成は、一朝一夕のことではなく、日本の青年に課せられた任務は、嘗ての如何なる時代のそれよりも重いと私は信じます。

底本:「岸田國士全集26」岩波書店
   1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
初出:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
2011年5月23日修正
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