横光君がヨーロッパの旅に出る時、私は、送別の言葉として、「日本にもあるものでなく、日本にはないものを観て来てくれるやうに」と言つたことを覚えてゐるが、彼は、やはり、そんなことには無頓着で、徹頭徹尾「旅愁」の人であつた。チロルを通る時に私のことを想ひ出して、娘たちへの土産に可愛らしいリボンを買つて来てくれるといふ人である。
さう云へば、私がいつか金沢名物の胡桃の飴煮が好きだといふことを話したところ、それから数年たつて、彼は金沢からわざわざそれを一箱送つてよこしたことがある。私は多くの友人の分にあまる心尽しを数々知つてはゐるが、この時の驚きはちよつと特別な性質のもので、横光君といふ「男」の優しさ、なにか真似のできない人懐つこさをしみじみ感じ、それにひきかへて自分の無精を恥かしく思つたことがある。
序にこんな話もつけ加へよう。私は、そんなこともあつたので、北海道へ行つた時、その頃はもう東京では珍しかつた「あらまき」を手に入れ、それを一本横光君のところへ送らせた。やがて、たしかに受けとつたといふ礼状が来た。ところが、しばらくたつて、横光君の家へも出入してゐるある青年が私を訪ねて来た折に、意外なことを私に喋つたのである。それは、郵便局から小包の荷札だけ持つて来て、これこれの品物がたしかに来てゐるのだが、昨夜、その包みが局で紛失してしまひ、責任が集配人にあるので実は困つてゐる。もちろん弁償する能力もない。たゞ受取人の印鑑さへもらへば事は穏便にすまされるのだから、今度だけさうしてもらひたい、といふ申出があつた。横光君は、そこで、とにかく荷物は受けとつたことにし、私には、その結果を知らせて失望させるにも及ぶまいといふわけで、一筆、物を心に見立てゝ「たしかに受けとつた」といふ仮装の礼状を書いたのだ、といふことである。
これが一番いゝ処置であるかどうかは別として、私に対するいかにも横光君らしい心づかひだと思つた。
戦争でしばらく会ふ機会もなく、互に文通をするほどの用事もなかつた。久しぶりで、去年の暮れ、ある雑誌の座談会に出て、相変らずの横光君をみた。銀座の柳が美しいといふやうな感想を聴いて、私は彼の心境を羨ましく思つたが、云はゞ頭脳の疲れといふやうなものをひどく感じ、健康を案じないわけにいかなかつた。
彼がことごとに非凡であらうと努めてゐたといふ風にみるものもあるやうだが、彼は実際に作家としても人間としても、非凡なところがあり、その非凡さをこゝと指摘する批評家の案外に少なかつたことが、彼にとつて最大の不幸ではなかつたかと私は思ふ。
才能を裸のまゝみせなければ承知しない日本の文壇の気風のなかで、横光君は、華々しくはあつたが、ずいぶん苦しい道を歩いた作家の一人であつた。
底本:「岸田國士全集27」岩波書店
1991(平成3)年12月9日発行
底本の親本:「文学界 第二巻第四号(横光利一追悼号)」
1948(昭和23)年4月1日
初出:「文学界 第二巻第四号(横光利一追悼号)」
1948(昭和23)年4月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年7月1日作成
2011年5月30日修正
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