桔梗

女郎花
こうろぎ


少女
老婆

高原――別荘の前庭――秋
遠景は、澄み渡つた空に、濃淡色とりどりの山の姿。
舞台中央に白樺の幹が二本並んでゐる。その根もとに雑草の茂み。
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       第一場

朝――小鳥の啼き声が聞える。桔梗と女郎花と芒とが、それぞれ異なつたポーズをもつて白樺の根もとに寄り添つてゐる。桔梗は十八九、女郎花は十六七、芒は二十一二の少女――何れも、その花の感じに応はしい服装。

桔梗  でも、どうしてお嬢さんだけ残つてらつしやるんでせう。婆やさんと二人つきりぢや、随分淋しいわね。
芒  婆やさんが、三人分ぐらゐしやべるからかまはないんでせう。
女郎花  あら、だつて、昨夜から今朝にかけて、婆やさんの声は聞えないぢやないの。
芒  それや、お嬢さんは、まだ起きていらつしやらないし、話す相手がないからなんだわ。
桔梗 お嬢さんは、今日に限つてどうしたんでせう。こんなに遅くまで……。きつと、泣いてるのよ。
女郎花  どうして……。泣くわけはないぢやないの。もつと此処にゐたいつていひ出したのは御自分なんですもの……。旦那さんや奥さんが、どんなにおつしやつても、東京に帰るのはいやだつていひ張つたのよ。そのわけは、わかつてるでせう。
芒 ┐
  ├(同時に)どういふわけなの……。
桔梗┘
女郎花  あら、あなたたち、知らないの、それはね、かうなの――あたし、それ、こうろぎさんに聞いたのよ……。
芒  何時……。
女郎花  一昨日の晩。あなたたちが眠つてしまつてから……。かうなんですつて――(かういひながら、芒と桔梗の耳元に口を寄せ小声で何かいふ)
芒  まあ……。
桔梗  ほんと、それは……。
女郎花  さうなんですつて……。
芒  だつて、もう、他の別荘はみんな閉まつちまつたわよ。ここ一軒だけよ。夜、灯がついてるのは……。
女郎花  うそですよ、あの白煉瓦の家は、まだ引き揚げませんよ。
桔梗  あそこに、若い男の人つて誰がゐて……。あの変な、髯をぼうぼう生やした詩人だけぢやないの。
女郎花  ね、それが怪しいのよ。
芒  まさか……。お嬢さんが、あの詩人と……。あら、をかしい。(笑ひこける)
女郎花  ぢや、今夜、起きて聞いて御覧なさい。あの北の窓口よ……。きつと、あそこで、二人の話声がきこえるから……。
桔梗  それが、あの詩人だつていふことがどうして判る?
女郎花  それや、あんた、話のしぶりでわかるわ。――お嬢さんがかういふんですつて――あなたはどうしてさう、黙つて考へてばかりゐるのつて……。それからあなたは手をどこへしまつてるのつて……。そら、あの詩人を御覧なさいよ。何時でも歩く時懐手をしてゐるぢやないの。
芒  さうね。
桔梗  ぢや、やつぱり、さうか知ら……ずゐぶんお嬢さんも物好きね。
女郎花  あたし、なんだか、くしやくしやするわ。あの詩人の奴がいけないのよ。この庭に降りて来る人で、あたしたちに話をしかけてくれるのは、あのお嬢さんだけぢやないの。あんな優しいお嬢さんを、一体どうしようつていふの……。(泣声になる)
芒  泣かなくつたつていいわ、あたしたちの知つたことぢやあるまいし……。それより、早くおつくりをしませうよ。露が消えちまうわよ。
(めいめい、懐中鏡を取り出して化粧をしはじめる)

桔梗  もう、あたしの着物もはげて来たわ。
女郎花  あたしを御覧なさい、こんなに顔が荒れちまつて……。(こうろぎがぴよんぴよん跳ねながら現れる)
こうろぎ  よう、みなさん、おめかしだね。
女郎花  あら、こうろぎさん、早いのね……。昨夜はどうだつた?
こうろぎ  昨夜は、蟷螂の奴に出くわして、命からがら縁の下へ逃げ込んだよ。
女郎花  さうぢやないのよ、あの話よ、北の窓口の一件よ。
こうろぎ  ああ、あれね。あれはあれきりよ。だが、やつぱり話声は聞えたさ。かういつてたぜ――そこから中へはひつちやいやよ。そこにさうしてるのよ。あんたはどこへでも登れるのねえつて……。奴さん窓からはひらうとしたんだね。
女郎花  まあ、図々しい。
桔梗  ちよいと、お嬢さんが起きて来たわ。
芒  窓を開けたわ。
こうろぎ  あの髪の毛はどうだ。やあ、欠伸をしたぞ。
女郎花  まだ睡むさうだわ。
芒  あの眼のこすり方……可愛いわね。
桔梗  顔色が悪かない、今朝は……。
女郎花  ここへ来た時よりずつと痩せたわ。
芒  何してるの、両手を差出して……。
女郎花  (けたたましく)あ、どうしたの。
桔梗  倒れたんぢやない。
女郎花  (おろおろ声にて)さうよ、さうよ、きつとさうよ。
       第二場

舞台は前に同じ。
真夜中――星が輝いてゐる。

桔梗と芒と女郎花は、それぞれ草の根を枕に、すやすや眠つてゐる。

慌ただしく風が飛んで来る。芒が先づ驚いて眼を覚す。

芒  いやね、折角寝ついたところを……。
風  さう、まあ、怒るなよ。
芒  もつと静かに通つたら……。
風  せいぜい静かにしてるんだよ。
芒  どつちから来たの。
風  北から……。
芒  おお寒む。(襟をかき合はす)
風  今、すぐ行くよ。(といつて行きかけるが桔梗の足にけつまづく)
桔梗  いたいツ。だあれ、そこにゐるのは……。
風  やかましいなあ。
女郎花  (これも眼をさまし)また風、今夜は、とても眠れやしないわ。
風  そんなこといはずに眠つてくれよ。(大急ぎで走り去る)
芒  (耳を澄まし)しいツ……聞えない、あの話声……。
(みんな耳をすます)

少女の声  (微に)どうして、そんなに毎晩来るの……。何か、あたしに用があるの……。さ、帰つて頂戴……。いやね、そんなに黙つてちや……。あたしは、それや、あんたが好きだつていつたけれど、あたしの部屋なんかへ来ちや困るわ。帰らなけれや、婆やを呼んでよ。さうら、婆やを呼んぢやいやでせう。さ、お帰んなさい。早くさ……。
(長い沈黙)

芒  やつぱり、ほんとね。
桔梗  だけど、追ひ返されてるぢやないの。
女郎花  いい気味だ。
(間)

芒  (また耳をそばだて)なに、あの音は……。
桔梗  (眼を据ゑ)なに、あの草の中で光るものは……。
女郎花  (悸えて)蛇よ!
(みんな、身をすくめて、眠つたふりをする。そこへ、ふらふらと、蛇が現れる)

蛇  (溜息を吐く)おれはやつぱり駄目かなあ。あの肩の上を一度逼へばいいんだ。それが、どうしても、おれには出来ない。もう一度、あすの晩、行つて見よう。もつと、静かに窓をあけなくちや……。
(姿を消す)

女郎花  (半身を起し、蛇の去つた方を振り返りながら)なんて気味の悪い奴だらう。独言なんかいつて……。
桔梗  もう行つちまつた……?
女郎花  何か変なこといつてたわね。
桔梗  さうね。
女郎花  こうろぎさん、出鱈目ばつかし……。
芒  どうだつていいぢやないの、そんなこと……。あたし、眠るわよ。
女郎花  さうすると、お嬢さんは、あしたの晩……。
芒  ねえ、ちよいと、もう黙つて頂戴よ。あしたになつたらわかるぢやないの。
(長い沈黙)

少女の声  まあ、あんたは、どうしてさう暴れるの。駄目よ。そんなに騒いだつて……。何処へ行かうつていふの……。あら羽根が折れるわよ……。お待ちなさい。そんなに火のそばへ行きたいの……。どら、そこは硝子だから、はひれないのよ。馬鹿ね、あんたは……。
(長い沈黙)

さうれ御覧なさい。痛かつたでせう。さ、もうあかりを消してよ、あたし、寝るんだから……。

(長い沈黙)

女郎花  お嬢さんが寝るなら、あたしも寝よう(横になる)
桔梗  御覧なさい、芒さんは、もうぐうぐうよ。
桔梗  どうでせう……あんた、足が冷たくはない……? あたしの足、こら……一寸、さわつて御覧なさい。まるで石みたい……。
女郎花  あんたの足は、いつでも冷たいのよ。今夜だけぢやないわ。
桔梗  さうか知ら……。(頭を払ひながら)いつの間にか、蜘蛛がまた巣をかけたわ、あたしの頭の上へ……。
女郎花  (これも頭に手をやつて)あら、あたしの頭へも……。
       第三場

舞台は前に同じ。
翌朝――

芒  あの婆やさん、さつきから、うろうろ歩きまわつて、一体、何を探してゐるの。
桔梗  昔の恋人の名でも落したんぢやない。
芒  え?
桔梗  いいえ、なんでもないの。
芒  またきたわ。
(老婆現る。不安な様子)

女郎花  婆やさん、なにを探してらつしやるんですの。
老婆  (その声が聞えぬらしく、あたりをきよろきよろ見廻しながら)お嬢さま……お嬢さま……。
桔梗  お嬢さんが見えないんですか。
老婆  (それに頓着なく、一層声を張り上げて)お嬢さま、何処にいらつしやるんです、か……。(一段声を落して)ほんとに、この婆やを心配させないでくださいまし……。ちよつと眼をはなしてるひまに、どこへいらしつたんだらう……。
女郎花  婆やさん、婆やさん……。
老婆  (答へない)
女郎花  お嬢さんは、なぜお一人きり、こゝに残つていらつしやるんですか。何かわけがあるんですか。
老婆  (暫く考へた後)あのお召物でよそへいらつしやるわけはなし……。いやいや、あの調子ぢや、どうかわからない…。さあ、困つた……。(といつて、歩きかけた時、ピアノの音が聞える。びつくりして立ち止る。が、やがて)おや、やつぱり、いらしつたんだ……。(急ぎ退場)
女郎花  あの婆やさんは聾か知ら……。
(この時、少女が楽譜を手に持つたまま現れる)

少女  まあ、綺麓に花が咲いて……あなたは女郎花さんね。今日は……。そつちが桔梗さんね。大きな桔梗さんね。それから芒さんもゐるのね。何時からそんなところに咲いてたの。あたし、ちつとも知らなかつたわ。みんなが、あたしのことを病気だつて、外へ出さないんですもの……。
(老婆が、後ろから恐る恐るついて来る)

少女  さ、みんなで、一緒に遊びませうね。何をして遊びませう、歌を唄ひませうか。え、歌、知らないの。まあ、かういふ歌も……。(小声で歌を唱ふ)そいぢや、お話をしませう。桔梗さんあなた、お話、上手らしいわ。さ、して頂戴……。(彼女は、耳を澄まして、桔梗の話を聞いてゐるかのやうである。眼を見張つたり、笑ひたさうに手で口を塞いだり、しんみりうなだれたり、快活に手を叩く真似をしたりする)
老婆  (静かに少女に近づき哀願するやうに)お嬢さまどう遊ばしました。お嬢さま、なにをそんなに……。(泣かんばかりに)お嬢さま、婆やの声がお耳にはひりませんか。
少女  (全く夢中で)さ、今度は女郎花さんの番よ……。今度は、もつと悲しいお話をして頂戴。悲しい、悲しいお話よ……。(静かに、眼をつぶるやうにして、耳を傾ける)ああ、それがいいわ……。(しきりにうなづく。やがて眼に涙が溜る。一滴、二滴、涙が頬を伝ふ。肩がだんだん大きく波をうつ、しまひに、両手で顔を覆ふ)
老婆  (驚いて少女の肩に手をかけ)お嬢さま、お嬢さま、それがあなたの病気なんで御座いますよ……。さ、婆やとお話をして下さいまし……。婆やが面白いお話を致しませう……。
少女  今度は、芒さん、もつと、もつと悲しいお話をして頂戴……。ええ、どんなに悲しくつてもいいわ。
老婆  いけません、お嬢さま……。あなたは、御自分で病気をお癒しにならなければいけません……。一度だけ、婆やとお話をして下さいませ。さ、婆やが、悲しい悲しいお話しを致しませう。
少女  芒さん、なにをそんなに考へてるの。さ、もう、あたし聞いてるわよ。
老婆  昔々、ある処に、珠子さまといふお美しいお嬢さまが御座いました。お父さまも、お母さまも、それはそれは、珠子さまをお可愛がりになりました。珠子さまは、お美しいばかりでなく、それは悧巧な、優しいお嬢さまで、先々は、どんなに立派な旦那さまをお持ちになるかと、世間でも、みんな、お噂を致してをりました。その珠子さまが、どうしたわけか、この夏から……。
少女  (急に大声で笑ふ)いやね、ちつとも悲しくなんかないわ、そんなお話……。
老婆  いいえ、こんな悲しいお話は御座いません。この夏から、急に……急に……草花や鳥けだものなどとばかりお話をなすつて……。
少女  芒さんつて随分滑稽な方ね。
老婆  お父さまやお母さまの御心配は、どんなだとお思ひになります……。
少女  それからどうしたのよ、風は行つちまつたの……。
老婆  (泣きながら)お嬢さま、お願ひで御座います。どうか一と言お返事をなすつて下さいまし。
少女  (笑ひながら)あら、いやだ。
老婆  (驚いて)へ?
少女  そんなこと訊くならいや……。(ぷんと起ち止り)芒さんはそんなこといふから、あたし、きらひよ。ねえ、桔梗さん。あなた、あたしの部屋へいらつしやらない。え、ぢや、女郎花さんと一緒でもいいわ。(少女、桔梗と女郎花とを連れて退場)
老婆  (このあとを追ひながら)あああ、ながいきはしたくない。
芒  (しばらく考へた後)あの婆さんは、なにをいつてたんだらう……。しかし、あの娘が病気だつていふのは、どうしたんだらう。なにかわけがありさうだね……。
蛇  (突然草叢の蔭から逼ひ出し)おい、黙つてろい!
――幕――

底本:「岸田國士全集2」岩波書店
   1990(平成2)年2月8日発行
底本の親本:「新選岸田國士集」改造社
   1930(昭和5)年2月8日発行
初出:「大阪朝日新聞」
   1927(昭和2)年1月3日
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:tatsuki
校正:Juki
2009年7月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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