町の鴉 「ピツコロさん。こゝは町の真中ですよ。泣くんなら、横丁へはいつてお泣き。」
ピツコロ 「よけいなことを言ふな。だけど皆が俺の顔をみて笑つてる。少し恥かしいな。では、横丁へいつて泣かう。」
ピツコロ 「なほ悲しくなつて来た。どうしてこんなに涙がでるのかしらん」
横丁の猫 「ピツコロさん。小さいおぢいさん。おとなのくせにみつともないよ。なくなら、誰もゐない所でおなき。わたしまで、泣きたくなるよ。へん(くすりと笑ふ)。」
ピツコロ 「うん。さういはれゝばさうだな。ぢや、あつちへ ゆかう。」
百姓 「今年はお米が沢山とれて何よりだ。これも神様のお恵みだよ。」
百姓の妻 「さうだよ。だけどお前さん。今年ばかりよくても、来年悪ければつまんない。私はさう思ふと、いやになるよ。おや。誰か泣いてるよ。」
百姓 「お前はいつもそんなつまらないことをいふね。不信心者だよ。」
ピツコロ 「これはしまつた。誰かゞ来た。又追つ払はれるだらうな。」
百姓 「おい。お待ちよ。」
ピツコロ 「すみませんな。私、今、泣いてをりますので。」
百姓の妻 「悲しいんかい。」
ピツコロ 「えゝ。悲しくて堪りません。」
百姓 「どう言ふわけだよ。」
ピツコロ 「さつぱり分りませんな。町の鴉だの、横丁の猫だのに追つ払はれましたよ。」
百姓の妻 「さうでせうともね。お前さんのやうな年寄がないてるとをかしいからね。」
百姓 「だけど、何か、わけがあつて、泣いてるんだらう。さうだらう。」
ピツコロ 「さうでせうな。」
百姓 「さうでせうなとは何だ。よくお考へ。」
ピツコロ 「わかるでせうかな。」
百姓 「きつとわかるよお考へ。」
ピツコロ 「はてな。けさ、家をとびだしたと。隣の桶屋のやかましい音が、しやくにさわつたんだつけな、実に、しやくにさはる。考へごとも何にもあつたもんぢやない。はい。私は、年寄の学者ですからな。それから、町の真中で新しい家を持つてあるいてる、家売の象から、家を一軒買つたつけな。それを、静かな町のはづれへ建てたんだつけね。そして、そのなかへはいつて、本をあけた――と、これはしまつた。大変だよ。わかつたよ。なぜ 私が泣いてるわけがわかつたよ。ちよつと、一しよにきておくれ。」
百姓の妻 「お前さん気がちがつたのかい。」
ピツコロ 「正気です。今、やつと正気にかへつたんです。」
百姓の妻 「私は、穀物がくさるやうな気がいて心配だから、こゝで番をしてるよ。」
百姓 「馬鹿をいふな。おいで。」
百姓の妻 「どこだよ。お前さんのうちは。」
ピツコロ 「はてな、どこだつけな。私は少し目がうすいんでな。」
百姓 「これぢやないかな。新しい家だよ。」
ピツコロ 「あゝ。これだ。これだ。どうぞおはいり下さい。」
百姓の妻 「へえ。何ですかい。」
ピツコロ 「おはいり下さいと申すのに。(その時、桶をたゝく音が、隣からひゞいてくる。)これは大変。又、涙がでゝくる。」
百姓 「お前さん。そゝつかしやだね。あゝ、又、桶屋の隣へ家をもつて来たね。」
ピツコロ 「あつ。さうだつたよ。お前。それだから、泣いてたんだよ。さうだつたよ。目がうすくて、せつかちでな。」
百姓 「それは、お前さんのつみだね。」
ピツコロ 「さうですよ。さうですよ。」
百姓 「それがわかれば泣くことなんぞない。手つだつてあげるから、早速ひつこしをなさい。」
ピツコロ 「よくわかりましたよ。もう、ほら、こんなに、にこ/\笑つてますよ。」
百姓の妻 「ほんとに私しも楽しくなつたよ。」
ピツコロ 「私しはこの家の主人だよ。」
百姓 「さうですよ。なか/\よくなりましたね。」
町の鴉 「おや、ピツコロさん、こゝですか。時々遊びに来ますから、顔を覚えてゝ下さい。」
横丁の猫 「私も来ますよ。」
ピツコロ 「これでやつと楽しくなつたよ。おや皆来たまへ、もう泣かないから。」
百姓 「今年は豊年で、こんな嬉しいことはないよ。」
百姓の妻 「さうだよ。来年も働かうね。」
ピツコロ 「その時は、私もお助けしような。では。さよなら。」
百姓
「さよなら年寄の学者さん。」
百姓の妻