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 ある港町の、港と停車場との間の、にぎやかな街路に、市郎いちろうの店はありました。店といっても街路の上の屋台の夜店で、その夜店のほんのかたはしなのです。
 そのへんは、船や汽車の旅人がたくさんゆききするところで、また、町の人がたくさんであるくところです。それで、夜になると、いろいろな夜店がたちならびました。
 市郎の夜店は、市郎のお母さんが出していたものです。いろいろな絵葉書や絵本や玩具おもちゃなどを売っていました。ところが、お母さんが病気になって、夜店に出られなくなりましたので、夜店仲間の、あるおかみさんに、一時そこを預ってもらっているのでした。市郎のお父さんはもう亡くなっていました。
 その夜店のかたはしに、市郎は自分の貝殻かいがらを並べたがりました。
「お母さんの店だから、僕が自分の品物を出しといて、監督に行くんだよ。」と市郎はいいました。
 お母さんは弱々しいせきをしながら、ほおで笑い、眼でにらんで、いいました。
「生意気なことをいうもんじゃありません。」
 それでも、市郎がしきりに夜店に出たがりますので、お母さんは、店を預ってるおかみさんと相談して、土曜日と日曜日との晩だけなら――とゆるしてくれました。
 市郎は額をたたいて、得意になりました。もう一人前の大人になった気がしました。そして土曜日の晩と日曜日の晩、夜店のかたはしに多くの貝殻を並べて、そこにがんばっていました。
 その貝殻というのは、船乗りをしているおじさんからもらったものでした。市郎は小さい時から、外を遊びあるくのがすきで、メンコやベーゴマの遊びなどにふけって、お母さんにたびたび小言をいわれました。それから、船乗りをしているおじさんの話をきき、珊瑚礁さんごしょうのことや貝殻ばかりの浜辺のことなどをきいてからは、メンコやベーゴマよりも、いろいろな貝殻を集めるのが面白くなりました。おじさんは南洋方面へ行く貨物船に乗りこんでいましたので、市郎に頼まれるとさまざまの貝殻を持ってきてくれました。
 平たいのや円いのやとがったのや、大きいのや小さいのや、白いのや赤いのや、青いのや緑のや、いろんな模様のはいってるのや、実にさまざまなものでした。
 市郎はそれらをながめて、世界各地の海のことを想像するのでした。
 その貝殻が、もし売れてしまっても、代りの貝殻はまだたくさん、おじさんに頼んであるのです。
 土曜日の晩と日曜日の晩、市郎は、店を預っているおばさんの横に、小さな腰掛に坐って、本を読むふうをしながら、貝殻を買うお客を待ちました。けれど、誰も声をかけてくれる者はありませんでした。
 おばさんの方の絵葉書や玩具はよく売れました。
 おばさんは店を片附かたづけながらいいました。
「市ちゃんの大事な貝殻だものね。やたらに売らない方がいいよ。」
 市郎は腕を組んで顔をしかめました。
 次の土曜日と日曜日も、同じことでした。ぞろぞろ通る人はたくさんあっても、市郎の貝殻に手を出す客はありませんでした。
 洋服を着た二人づれの小さな娘が、ちょっと貝殻の前に立止りましたので、市郎はいいました。
「南洋からきた貝殻だよ。一つずつあげよう。」
 そして大きな貝殻を取って差出しましたが、二人の娘はもう向うへ逃げていきました。
 おばさんは笑っていいました。
「市ちゃんの大事な貝殻だからね。そう、やけなことをしちゃいけないよ。」

 貝殻が少しも売れないのを、市郎はふんがいしました。世界の四方の海洋からきたさまざまな貝殻、美しい色や模様に輝いている貝殻、じっと見ていると勇ましい波やきれいな砂浜が眼に浮んでくる貝殻、それが一つも売れなくて、玩具や絵葉書ばかり売れるのは、どうしたことだろう……。
 土曜日の午後、市郎は考えこんで、丘の方をぶらつきました。日の光が晴れやかにふりそそいでいて、港から沖合まで、青々とした海が見渡されました。港の中には、多くの船が、大きいのや小さいのや、白いのや黒いのや、煙突から煙を出しているのやら出していないのやら、あちこちに浮んでいました。
 その方を眺めながら、市郎はぼんやり歩いていますと、そこの木の下に、画架をえて絵を書いている人がありました。
 山川さんでした。
 山川さんは、大人たちの間では変り者だという評判でしたが、子供たちにとっては、いっしょによく遊んでくれるおもしろい人でした。
 市郎のお母さんが、まだ独身でいる山川さんの着物の仕立直しなどを頼まれていましたので、市郎もよく山川さんを知っていました。
 市郎は山川さんのところへいって、おじぎをしました。
 山川さんは、やあ、といった調子で、画筆を置いて、タバコに火をつけました。
「散歩かね。」
 市郎はそうきかれて、ちょっとへんな気がして、眼をぱちくりさせました。
 山川さんはタバコを吸いながら、市郎の顔を見ていましたが、急に思い出したようにいいました。
「君は、なんだね、この頃、夜店に出てるそうじゃないか。」
「ええ、時々、監督にいってるんです。お母さんが病気で、よそのおばさんにまかせっきりだから……。」
「監督……はよかったね。まあ、なんにしても、結構だ。僕は君の友だちから聞いて、感心したよ。夜店にまで出る勇気があるのは、立派なことだ。」
「人が何といおうと平気ですが、でも……。」
「何だね。」
 市郎は、やさしい山川さんの笑顔を見て、貝殻が少しも売れないことの不平をうちあけました。
 それを話しているうちに、なんだか情けなくなってきました。
「おばさんにも笑われるし、お母さんも……笑ってるようです。困っちゃった……。」
 山川さんはしばらく黙って考えていました。そしていいました。
「その貝殻は、よくみがいたかね。」
「ええ、ぴかぴか光ってるんですよ。」
「うーむ、そりゃあそうだろうが、しかし、ただ並べただけではだめだね。」
 そして山川さんはまた暫く考えていましたが、急に眼を輝かしていいました。
「よいことを教えてやろう。貝殻を並べておいて、そのわきで本なんか読んでいては、売れないね。こうするんだ。まず幾つか、よくみがいたのを並べておいて、少しでいいんだよ、そして、そこに君は腰掛けて、入れ物の中からほかの貝殻を一つ取って、せっせといたり磨いたりするんだ。そうしていると、何をしてるかと思って、見物人ができてくる。二人でも三人でも、立ち止る者ができれば、もうしめたものだ。品物は売れるよ。人間というものはね、ほかの人間がなにか仕事をして動いてるのを見るのが、いちばん好きらしいんだ。僕だって経験がある。僕の絵なんか見ようともしない人たちでも、僕が絵を書いているところに来あわせると、長い間立ち止って見ているからね。絵を見るんじゃなくて、絵を書くところが見たいんだね。」
 市郎も、山川さんが絵を書いているのを見るのがおもしろくて、長い間見ていたことがありました。
 それを思い出して、市郎は頭をかきました。
「君のことをいってるんじゃないよ。人間て、そうしたものさ。だから、君はその夜店で、貝殻をせっせと磨くんだね。そうすれば見物人ができる。見物人ができれば、品物もしぜんに売れる。どうだね、やってみるかね。」
「やりましょう。」
「うん。それに、道具立もなるべく人目につくものがいい。僕のところに来給え、よい物を貸してあげよう。」
 山川さんは画架を片づけはじめました。
「もうよろしいんですか、その絵は。」
「なあに、こんなものはいいのさ、君の気性が僕は気に入った。手伝ってあげるよ。」
 そして、市郎は山川さんの家にいっしょについてゆきました。

 その晩、市郎は元気に夜店へ出かけてゆきました。そして山川さんからおそわったとおりにやってみました。
 玩具や絵本や絵葉書がたくさんそろってる屋台店のかたはしに、市郎はもったいぶって腰かけに坐り、前には、きれいな貝殻を十ばかりほどよく並べ、わきに貝殻のはいってる箱を置きました。
 その箱から、市郎は手ごろな貝殻を一つ取り出して、それを念いりに磨きにかかりました。まず、やわらかい毛の大きな刷毛はけで、なんどもこすり、次に、白い粉をふりかけ、それを白ネルのきれき、それから、また白い粉をふりかけたり、刷毛でこすったりして、さいごに、赤い羅紗らしゃで拭き清めるのです。そんなことを、ごくゆっくりと、宝石かなんかを取扱うようにやるのです。
 そして磨きあげられた貝殻は、燈火ともしびのもとで、まったく宝石のように光り輝いて見えました。
 市郎がそんなことをしていますと、二人、三人と、立ち止って見物する者ができました。ついには、子供たちを交えて大勢の者が立ち止るようになりました。
 山川さんのいったとおりでした。人々は、貝殻よりも、貝殻を磨いてる市郎に興味をおぼえたのでしょう。
 そして、見物しているうちについ貝殻を買う気になりました。
 子供たちはことにほしがりました。
 そのようにして、貝殻がたくさん売れました。市郎がそこで磨きあげるのが間にあわないほどでありました。
 そばのおばさんはびっくりしていました。
 店をしまう時、首をかしげながら、市郎にささやきました。
「市ちゃん、どこでそんな智恵ちえを仕入れてきたの。まったくねえ、品物を仕入れることよりか、智恵を仕入れることだね。」
 市郎はただにこにこしていました。
 だが、市郎は心配になりました。こんなに売れたら、貝殻がすぐなくなりそうで、おじさんがこんど新たに持ってきてくれるまで、持ちこたえられそうもありません。
 翌日、市郎は山川さんのところに、報告かたがた相談に行きました。
「おばさんはびっくりしましたよ。お母さんはまた、涙を流して喜んでくれましたよ。だけど、品物がなくなったら、どうしましょう。」
 山川さんは愉快そうに笑いました。
「心配するなよ。おじさんが貝殻を持ってきてくれるだろうし、僕も木彫きぼりの動物かなんか、ほかの品物をこしらえてあげよう。とにかく、市郎の店は、ただ売るだけでなくて、仕事もしてみせる店だと、その覚悟でやるんだな。」
 市郎ははっきりわかって、決心の微笑を浮べながらうなずきました。

底本:「日本児童文学大系 第一六巻」ほるぷ出版
   1977(昭和52)年11月20日初刷発行
底本の親本:「市郎の店」桜井書店
   1948(昭和23)年10月
初出:「国民六年生」小学館
   1942(昭和17)年1月
入力:菅野朋子
校正:門田裕志
2012年1月3日作成
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