ある晩、久助君は風呂にはいつてゐた。晩といつても、田舎で風呂にはいるのは暗くなつてからである。風呂といつても、田舎の風呂は、五右衛門風呂といふ、ひとりしかはいれない桶のやうな風呂である。
 久助君は、つまらなさうに、じやばじやばと音をさせてはいつてゐた。風呂の中でハモニカを吹くことと歌をうたふことは、このあひだおとうさんから、かたく禁じられてしまつたのである。「風呂の中でハモニカを吹いたり、鼻歌をうたつたりするやうなもんは、きつとうちの屋台骨をまげるやうになる」とおとうさんはいつた。久助君は加平君ところの牛小屋が、いぜん、だんだん傾いて来て、壁が蛙の腹のやうに外側にふくれ、とうとうある日つぶれてしまつたのをよく知つてゐたので、自分の家があんな風になるのはかなはないと思つて、ハモニカも歌もやめてしまつたのであつた。
 ハモニカと歌をとりあげられてしまふと、風呂は久助君にとつて、面白くないことであつた。何もすることがなかつたのだ。
 そこで久助君は、何か一つ考へて見ることにした。
 しかし考へといふものは、さあ考へようといつたつて、たやすくうかんでくるものではない。いつたい何のことを考へたらいいだらう。
 さて何を考へよう、と久助君が、自分の耳をひつぱつたときに、じつにすばらしい考へのいとぐちがみつかつた。
 のことである。花市君の耳のことである。

 花市君は、ふつうの人より大きい耳をもつてゐる。その耳は肉があつくて、柔かくて、赤い色をしてゐる。その二つの耳が、花市君の、まんまるな、お月さんのやうな顔の両側に扇子をひらいたやうなぐあひについてゐる。花市君はいつも、二つの耳の間で、眼をほそくしてにこにこしてゐるのである。
 久助君は、よくこの花市君の耳を触るのである。むろん久助君ばかりではない。村の子供――といつて、花市君より上級の者ばかりだが――は全部、さういふことをするのである。ほんたうは久助君は、自分からすすんでそんなことをしたおぼえはない。ただ、ひとがするので、まねてするばかりである。
 花市君の二つの耳といふのが、また、見ると何となく触りたくなつてくるのだ。猫の背中を見ると、人は撫でたくなるし、赤ん坊の小ひさな手を見ると、人はそれをいぢつて見たくなる。それと同じで、久助君達は花市君の耳を見ると、触りたくてむづむづしてくるのであつた。
 もし誰かが、久助君の耳を触りに来たら――そんなことが度々あつたら、久助君は憤慨するだらう。「僕の耳は玩具ぢやないぞ。馬鹿にするねえ!」といつて、相手をつきとばすだらう。久助君ぢやなくても、徳一君にしても兵太郎君にしても音次郎君にしてもさうだらう。
 ところが花市君は、いままで、怒つたことがいちどもなかつた。あんまり、みんなが、うるさく耳を触りはじめると、「痛いよ」といつて逃げだすことがあつたが、そんなときでもにこにこしてゐた。そこで、久助君達は花市君の耳をいぢることだけは、特別の法律でゆるされてゐるやうに考へてゐるのである。
 いつたい花市君は、あんなことをされるとき、何を考へてゐるだらうか。にこにこしてゐるところを見ると怒つてはゐまいが、何を考へてゐるかはわからない。
 わからないといへば、久助君達はあまり花市君のことを知らないのだ。この村から、町の国民学校(この村は小さいので国民学校がない)に通ふものは男が十八人女が九人であるが、男の十八人のうちで、五年級にゐるものは花市君一人である。久助君、徳一君、兵太郎君、音次郎君達はみんな六年級である。だから、花市君が、学校でよくできる生徒かどうかといふことも久助君達にはわからなかつた。それに、花市君はにこにこしてばかりゐて、あまり口もきかなかつた。それで、みんなから忘れられてしまふこともあつた。
 しかし、こんなこともあつた。ある雨の日に、五年と六年とが教室で戦争ごつこをした。久助君は俘虜になつて五年の教室につれられていつた。すると、そこの壁に図画が五六枚はつてあつた。どれもみんなうまかつたが、一ばん上にはつてある山の水彩画は、久助君の眼をひきつけた。色が豊かで、たいへん美しかつたのである。久助君も図画はとくいであつたが、この画のやうに色を大胆に豊かにぬることはできなかつた。この画にくらべると、自分の画は、何か、かさかさしてゐて貧相であつた。久助君が、そつと、あれは誰の画かときいて見ると、花市君のだといふことであつた。
 そんなこともあつたが、ぢき久助君は忘れてしまつたのだ。そして花市君を見れば、みんなといつしよに耳を触らしてもらつてゐたのである。……

「久は、ちつとも音をさせんが、まさか風呂の中で死んどるんぢやあるめえな。」
とおとうさんの、いつてゐるのが聞えて来た。
 久助君はあはてて、ぢやばつと外に出た。少し考へすぎたやうである。体がまつかになつてゐた。

「久助君。」
と下級生の呼ぶ声がして、少しあひだをおいてから、
「きゆ、う、すけえ」
と、遠慮しがちに、同級生の者が呼んだ。これが、久助君達のあひだで行なはれる、召集の仕方である。
 この村は一本の県道をはさんで、南北にわかれてゐる。道の南側は段々に高くなつてゐて、終には村の南端の、運動山の頂にいたるのである。道の北側は反対に段々に低くなつていき終は背戸川にいたるのである。
 そこで子供達が仲間を召集しようと思ふと、道に立つて、道の南にある家に向かつては、仰向いて背戸から呼び、道の北にある家に向かつては、上の方をむいて、家の正面から呼ぶのである。
 久助君の家は道の北側にあつたので、呼び声は家の前の段々畑の、茶の木を越えて流れて来た。そして久助君の耳にはいつた。
 その時久助君はふかした芋を喰べてゐた。学校から帰ると甘えん坊の久助君は、何か喰べる習慣だつたのである。
 しかし、召集の声をきくと久助君は、
「ううん」
と、向かふに聞えるやうに返事をして、すつくと立ちあがつた。
 そして芋を喰べながら家を出た。子供の召集だから、物を喰べながらあつまつてもさしつかへなかつたのである。
 久助君が県道に出ると、もう七人あつまつてゐた。けふは運動山で、南京攻略の模擬戦をするのださうだ。
 やがてこの村の全部の男の子が、つまり十八人があつまつた。
 運動山にいつて、参謀本部が作戦計画を立てはじめた。参謀本部といふのは、徳一君と久助君と兵太郎君で、誰がきめたのでもなかつたが、しぜんにさういふことになつてゐたのである。もつともこのうちで兵太郎君は、装甲自動車とタンクの区別がつかなかつたり、軍用犬になる犬の種類を知らなかつたり、下駄ばきの飛行機(フロートをつけた飛行機)といふと、靴のかはりに下駄をはいてのりこむ飛行機であると思ひこんだり、敵前上陸はどこでも――例へば川も海もない麦畑の中のやうなところでもできると考へてゐたりするやうな頼りない将校であつた。しかし、戦闘のまねをすることがじつにうまかつた。例へば、クリークの中を泳いですすむまね、掩護えんご物のかげからかげに腰をかがめていく動作、トーチカを占領して万歳を絶叫する途端に腹をうたれて、ころころと土堤からころがりおちるところ――それらはみんな真にせまつてゐた。かういふことが上手だから、参謀本部の一人になるねうちはあると、兵太郎はじぶんで考へてゐたのである。
 さて、参謀本部が、誰と誰を支那兵にし、誰を友軍の斥候にし、誰をタンクにするかといふやうなことをきめてゐたときのことだつた。待つてゐた他の者達が手持ぶさただつたので、さういふときによくやるやうに、花市君の耳に触らうとしたのである。
 さいしよに手を出したのは、六年生の加平君であつた。加平君は、こつそり、花市君の耳の柔かさをたのしまうとしたので、他の者にははじめ知れなかつた。しかし、
「いやだよ。」
といふ、ひじやうにはつきりした、強い言葉が発せられたので、みんなはそちらを見た。久助君達も作戦計画を中止して見た。
 するとそこには、花市君が、いつものやうににこにこせずに、突つ立つてゐた。その代りに加平君がにやにやと、てれくささうに笑つてゐた。そこで一同には、加平君が花市君の耳を触らうとしたのであること、「いやだよ」といふききなれない言葉は花市君の口から出たといふことが、わかつたのである。
 みんなは呆然としてしまつた。これはいつたいどうしたことなのか。
 花市君が「いやだよ」とはつきり言つたのである。耳を触ることを拒絶したのである。そしてにこにこすることをやめたのである。
 みんなには、そこにつつ立つてゐるのは、よく見知つてゐる花市君ではなくて、どこか知らない遠い所から、けふ突然やつて来た少年のやうに思はれた。
 しかし、子供達は、自分達の中に、さういふわけのわからぬものがゐるとは思ひたくなかつた。やつぱり、そこにゐるのは、日頃親しくしてゐる花市君であると思ひたかつた。そこで、二番目に音次郎君が、横から手を出して、花市君の耳に触らうとした。
「いやだよ。」
と花市君は前と同じ声で、同じ態度でしづかにいつた。
 もう疑ひのよちはなかつた。花市君はきつぱりと耳に触られることをことはつたのである。それは今日ばかりでなく、これから後いつまでもさういふくだらぬことはしてもらひたくないといふ心をあらはしてゐた。
 べつに怒つてゐるふうでもなければ、どなり声でもなかつたが、その声をきくと、触らうとした者はもう二度と手を出せないのが不思議だつた。
 これで花市君の態度ははつきりしたのである。しかしたしかめて見る必要があると兵太郎君は考へた。そこで兵太郎君が花市君のそばにいつて手を出した。しかし、
「いやだよ。」
といふ同じ言葉に、兵太郎君も撃退されてしまつた。
 兵太郎君以上に馬鹿なものはゐなかつたので、もう誰も手を出さなかつた。しかしみんなは、全部の者が、手を出してはねつけられたやうな感じがした。一人の花市君に、十七人の者が負けてしまつたやうな気がした。
 それは、わづかな間におこつた、何でもないやうなできごとであつた。しかしこれは、みんなの心の世界では、じつに大きな事件だつたのである。かたはらでとつぜん大砲が発砲されたやうなぐあいだつた。心の中ががあーんとしてしまつて、前後のことがめちやくちやになり連絡がつかなくなつてしまつた。
 しばらくしてみんなは、じぶんたちが南京攻略の模擬戦を計画中であつたことを、やつとのことで思ひだした。しかしそのときは、もう、そんなことに何の興味も感じないのであつた。
 久助君達は、けろんけろんとして、あつちの空を見たりこつちの空を見たり、あるものは面白くなささうな松かさを足でおもちやにしたりしてゐた。

 花市君のやり方が、たいへん立派で、英雄的であることは、十七人の子供達によくわかつた。あんなにきつぱりと「いやだよ」といつた者が、この村の子供達の中に今まで一人でもあつたらうか。
 古い悪い習慣をあらためるのは、まつたくあの通りにやらなければならない。「いやだよ」ときつぱりはねつけるのである。又、新しくよい習慣をはじめようとするには、「よし、やらう」ときつぱりいつて起ちあがるのである。「いやだよ」も「よしやらう」も、つまりは同じことなのだ。
 さて、この村の少年たちは、その夜ひとりひとりになつてから、じぶんも、あのやうにきつぱりと、古い悪い習慣を改めたい、又あのやうにきつぱりと新しいよい習慣を身につけたいと考へたのである。しかし人間は一人一人が違ふやうに、心も違ふところがあるから、考へていつた道すじや考へた結果はいろいろだつた。
 では久助君の場合はどうだつたらうか。
 夜の七時。おかあさんはお風呂を沸かしてゐた。
 おとうさんはお酒の配給券を配りにいつてるすだつた。おばあさんは、ことしとつた綿の花の中から種子を一粒づつ拾ひ出してゐた。鼠が、納戸の方でごそごそやつてゐた。久助君は、天井から吊した玩具の太鼓の下に、仰向けに寝ころがつて、足で太鼓をたたいてゐた。なれてゐるので、上手にたたくことができた。
 ――いやだよ。
 この言葉をまた心の中でいつてみた。あれから幾度くりかへしたことだらう。
 ――いやだよ。……
 久助も、きつぱりとさういつて、古い、悪いしきたりを英雄的に改めたかつた。しかし、その古い悪いしきたりとは何であるかといふことになると、これはまた問題であつた。
 いつぱい、古い悪いしきたりはあるやうな気がする。まるで黒い雲のやういに、じぶんのまはりを古い悪い、うすぎたない、腐つた臭のする習慣がとりまいてゐるやうな気がする。しかし、いくら考へても、そのうちの一つでも、はつきり久助君の眼に見えて来ないのである。
 いつたい、何を「いやだよ」と拒絶したらいいのだらう。何を「よし、やらう」と始めたらいいのだらう。……
 久助君はポンポンと太鼓を蹴つた。
(さうだ。)と、久助君は考へた。――(かうしてゐることが悪い習慣だ。)そして自分の寝てゐる姿を、首だけ起して眺めまはした。(よし、こいつから改めよう。)
「いやだよ!」
と、久助君の口から大声がとび出した。そして久助君はぴよこんととびあがつて突つ立つた。
 おばあさんがびつくりしていつた。
「どうしただや、久は。虫でも起つたぢやないかや。」
「いやだよ。」
と、久助君はまたどなるやうにいつた。そして手荒く靴をはづして来た。それから、つきぬけるやうなかん高い声で、読本の第六課を読みはじめた。読めない字があつても、考へたり、筆記帳をみたりするのが面倒なので、でたらめのことをいつて読んでいつた。きつぱりしたやり方なんだから、それもしかたがないと考へたのである。
 しかし、第六課を二頁ばかり読むと、自分のやつてゐることは、ほんたうのきつぱりしたやり方ではないことがわかり、馬鹿らしくなつて、やめてしまつた。そして読本をそこへ投げだすと、また太鼓の下に仰向けに寝ころがつた。……
 久助君にとつては、花市君のやうにやることはどうしてもむづかしく思はれたのである。

 さて、次の朝、久助君はまた、通学団の集合時間におくれてしまつた。七時三十分までに、この村の子供達は男子も女子も、村はづれの橋のところにあつまり、そこで整列して、団長に引率され学校にむかふことになつてゐたのである。久助君はこの頃、いつも、それに間に合はないのであつた。
 久助君は、おばあさんが起してくれなかつたから罪はおばあさんにあるのだ、といふ顔をして、ぷんぷんしながら朝御飯をたべた。
 おばあさんは、孫の久助君を甘やかすのが癖だつたので、「そげん慌てて出かけでもええだ。また新家の太一ツあんの自転車にのせてつて貰へや。」といつた。年よりは、ぜんぜん団体精神を知らんので駄目である。
 久助君は、井戸のわきから坂になつてゐる細道をのぼつて、県道に出た。
 うららかな冬の朝だ。空気が澄んで、風は少しもない。道の藁屑などに霜が美しくおりてゐる。あかい色の朝の陽光が、頬にこころよくふれる。静かである。
 急いでも追ひつけないのはわかつてゐるので、久助君は口笛を吹きながら、道ばたの松の梢にゐる雀を見たりしながら、歩いていつた。
 間もなく、うしろから、ジインと軽快な自転車の音がして来た。久助君の家とは親戚の、太一ツあんである。太一ツあんは、町の信用組合に勤めてゐる。
「久、また朝寝坊したな。遅刻するぞ。」
 さういつて太一ツあんは自転車をとめた。いつもここから久助君は太一ツあんの自転車にのせていつて貰ひ、やはり学校の始業時間に間にあふのであつた。
 久助君は、何もいはずにうすく笑つた。
「さア、のれ。」
と、太一ツあんはいつた。
 久助君は喜んで、荷かけにまたがらうとした。そのときである。天から落ちてでも来たやうに、久助君の頭に、一つの考へがうかんだ。
 ――あのきつぱりしたやり方をするなら今だ!
 折角、親切にいつてくれたのを、ことはるのは太一ツあんにすまない気もした。久助君はしばらくためらつた。だが、つひに乗るのをやめた。
「どうしただや。」
と、何も知らない太一ツあんは、けげんさうにきいた。
「ううん。」と、久助君ははづかしさうに笑ひながら、小さな声でいつた。「太一ツあん、俺、ついて走ら。」
「走る?」
「うん。」
「そんなことをいつて、学校まで一里もあるに、走れるもんか。さ、乗れ。先生に見つかつたら、俺があやまつてやるからええに。」
「ん、でも、俺、走るでええもん。」
と久助君は、やはりにこにこしながら、小さい声でいつた。
「へんな奴だよ。」
と、太一ツあんはいつたが、どうやら、久助君の胸の中に、何か固い決意のあることがわかつたらしかつた。
 そこで太一ツあんの自転車が走りだした。久助君は鞄を横抱きにして、片手で自転車の荷掛けにつかまり馳け出した。ゴツゴツと鞄の中の用具が鳴つた。
 つぼけ(稲漬)が並んでゐる刈田や、枯草の土堤や、裸の白い木などの冬の景色が、駈けて行く久助君の両側をながれた。
 久助君はあたたかくなつて来た。それから胸が苦しくなつて来た。そして、それから横つ腹が痛くなつて来た。
 しんたのむねの上まで来たとき、とうとう自転車から手をはなした。
「どした、苦しいか。乗るか?」
と、太一ツあんは自転車をとめてきいた。
 久助君はつとめて笑ひながら、首を横にふつた。息がはづんで、返事がいへなかつたのである。
 ――こいつには、こいつで何か考へがあるんだらう、と太一ツあんは考へた。
 そこでまた、太一ツあんの自転車がはしりはじめ、久助君は荷掛をつかんで駈けはじめた。
 ――こんちきしよ、こんちきしよ、と久助君は口の中でいひつづけた。
 ついに校門の前に来た。
「とうとう、がんばつたな、久。」
 さういつて太一ツあんは別れていつた。
 久助君は、校門の前のたたきに、朝の和やかな光がななめにさしてゐるのが、今までにこんなにほがらかに眺めたことはなかつた。
 いつもより、十糎ぐらゐ深く頭をさげて敬礼をし、校門をはいつた。すると、同級生の一人が近寄つてきてかういつた。
「今朝な、日本は米国や英国と戦争をはじめただぞ。」
 久助君は立ちどまつた。そして相手の眼をまじまじと見た。昭和十六年十二月八日の朝のことだつた。

底本:「日本児童文学大系 第二八巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「少国民文学」東宛書房
   1943(昭和18)年5月
初出:「少国民文学」東宛書房
   1943(昭和18)年5月
入力:菅野朋子
校正:noriko saito
2011年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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