新潟の停車場を出ると列車の箱からまけ出された樣に人々はぞろ/\と一方へ向いて行く。其あとへ跟いて行くとすぐに長大な木橋がある。橋へかゝつてぶら/\と辿つて來ると古傘を手に提げた若者が余の側へ寄つて丁寧な辭儀をして新潟はどちらへお泊りですかと問うた。彼は宿引であつたのだ。何處といふことはないが郵便局へ用があるのだから其方へ行かねばならぬと斷る積りでいふと、局ならばすぐ手前のうしろに當つて居ります、手前には電話もありますスケに佐渡の汽船へお差支を掛けるやうなことは致しませんから泊つて下されといつた。余は構はずにぶら/\來ると宿引も跟いて來る。橋の向は新潟の市街で水に臨んで人家が長く接續して居る。後を顧みると岸が遙に遠くなつて茂つた葦が短くなつて見える。此所で漸く橋は半分位迄來て居たのである。此橋は立派なものぢやないかと宿引へいつたら、へえ四百卅間ござりますからと宿引がいつた。橋の下には濁流が溶々として漲つて北へ海につゞいて居る。西南の方を望むと此大江の水の通ずる區域は只一帶の平野と見えて空を遮るものがない。其間に只一つの山が晴れかゝつた雲の間から射しかける夕日の空を背にして丁度水上に聳えて居るやうに見える。余は呆然として此周圍に見とれてしまつた。橋の欄干に凭れながら荷物に挾んであつた地圖を披いて見ると宿引は此時まだ余の傍に居つたのであつたが旦那あれはお彌彦山でこゝから八里ございます、丁度これに當りますと地圖を覗き込んで指しながらいつた。余が彌彦山を知つたのは斯くして此信濃川の長橋に立つてゞあつた。どうしても一度登攀して見たいといふ念が此時油然として起つた。此は九月の十三日の雨上りのことである。
 九月の十九日に佐渡の赤泊の漁村から和船に便乘して越後の寺泊へ渡つた。船は白帆を張つてノタといふゆるやかな波にゆられながら舳はいつも彌彦山へ向いて居た。寺泊へついたのは丁度黄昏近くであつたが泊らうかどうしようかと思つたので或宿屋へ立ち寄つて見ると、あなたの足ならばまだ/\彌彦までは行けるさあ/\急いで行つたがよいと其宿屋の女房が促し立てる。宿屋の女房が客にこんなことをいふといふのは全く意外であつた。然し其夜はひどい闇であつたのでとう/\途中で或家へ泊めて貰うた。さうして翌朝しら/\明に其家を立つた。夜が明けた所を見ると其家といふのは眞白にさいた蕎麥畑の間に在つて低い小さな草山が屋根へ覗き込み相になつて居る。此山は何だと家人に聞いたら此はお彌彦だといつた。余は近くへ來て見ると彌彦山がかうもつまらぬものに成るのかと驚いた位であつた。山を左に見て街道を半里ばかり來ると彌彦の神社になつた。神社の前に相接して居る宿屋も起きて間もない樣子で客が朝の參詣に出る所であつた。鳥居をくゞつて左へとつて行くと手入の屆いた杉林がある。杉林を出ると山坂で、低い峰ではあるが※(「煢−冖」、第4水準2-79-80)廻しつゝ登る。まだ早朝のことであるから前後に登山するものは余の外にはない。頂上には棚をめぐらして中に少しばかり石が積んである。此が祭神高倉下の廟である。あたりには痩せた薄の穗が五六本疎らに立つて居て重さうに傾いた儘搖ぎもせぬ。廟の傍にあつて見渡すと渺茫たる日本海はすぐ山の脚もとからひらいて居て悠然たる佐渡が島が此海を掩うて長く横はつて居る。島の上には一抹の白雲が斜に棚引いて一二の峰が僅に其雲に相接して居る。沖は一帶に唯拭つた如く平らで踏ん込んだ山の脚近くには丁度建て干した網の目のやうな菱形がほのかに水面に現はれて居る。此は靜かに動く波の姿である。見渡す限り一片の白帆もない。佐渡から今朝も船が出たとしても此所からぽつちりとでも目につく距離まで來るのにはまだ時間が經つて居らぬ。氣がついて見ると相接した一村の人家があつて此所から屋根が見下ろされる。小舟が漁に出る所と見えて磯近く羽蟻のやうに散らばつて居る。地圖を披いて見たら此漁村は寺泊であつた。寺泊がこんなに近くに見えようとは思はなかつた。寺泊から長汀南下して其所には半分海へ突出した米山が遙かの空に聳えて居る。米山のうしろに模糊として蟠つて居るのは、蓋し能登の半島である。廟の一歩下には小さな建物があつて廟の看守人が居る。此へ腰を掛けさして貰ふと土器へ冷酒を一杯くれた。佐渡はうしろになつて蒲原の平野が雙眸のうちに聚る。平野は悉く黄熟した水田で信濃川が竪に走つて其間に隱見する。平野のさきには國境の高山が綿々として相連互して居る。其連山の高低した間に眞正面に峙つたのは粟が嶽だといつた。其遙かな粟が嶽の山腹から二筋の青い煙が立ち騰つて居る。煙の末は薄らいて横に棚引いて居る。今朝は一帶にぼんやりと霧がかゝつて居るが此二筋の青い煙だけは極めてはつきりとして山よりも近く見える。此懶い樣な天地の間に眼をあいたものは此ばかりだと思ふ程青い煙は活々として居る。彌彦の峰つゞきが角田かくた山となつて又一つ立つて居るので北方の一部だけは隱されて居る。地圖で見ると五ヶの濱や角見かくみの濱が此角田山の附近に散在して居る。此等の濱は何邊かと看守人に聞いたら此所からでは隱れて居てしかとは方角も分らぬといつた。此五ヶや角見の濱々からは毎年夏になると一群の女づれが關東を指して行く。草鞋を穿いて紺の大風呂敷に葛籠を背負つて皆一樣に菅の爪折笠を冠つて毒消しといふ藥を賣つて歩く。田舍の百姓家を戸毎に尋ね廻つて一種の調子を持つた言語で押し強く藥を勸める。日が暮れゝば炊ぎの手傳をして民家へ泊めて貰ふので商ひの高が少ない割合には相應に利益を見て行くといふ。笠のうらから見える彼等の容貌は極めて美しいものがある。彼等の殆んどすべては謠が上手であるので要りもせぬ毒消しを買うて米山甚句を唄はしたと自慢するものがある位である。遠征隊を組織して出る程あつて彼等は家に在つても勞働が激しいとのことで其角見の濱から出たといふ一人に嘗て聞く所によれば女が十六になつて六斗の米俵が背負ひなければ仲間に交際が出來ぬ程恥かしいとしてある。正月の小遣を得るためには各自に八九貫目の蛸を籠で背負うて夜角田の山を越えて夜明に底樋川を渡つて其川口の内野の市で錢に換へる。それで一睡もまどろむことなしに又山を越えて引つ返すのだといふ。幾十人が打ち揃うて高張提灯を先へ立てゝ聲のかぎり唄ひながら行くのはそれは賑かなものだといつた。秋も彼岸になれば散り/\になつた女群は以前の如く一つになつて關東を後にして去る。其彼岸は既に來つて居るのである。或は女群は今此見える連山の一角を志して越えつゝあるのであるかも知れぬ。驚くべき健脚を奮つて彼等が山坂を辿る時は丁度沖の波がしらが搖る如くに打ち揃うた幾十の白い爪折笠が高低しつゝずん/\と進んで行くのであらう。山坂幾つ攀ぢ盡して此蒲原の平野が表はれた時には今此頂から連山を見る目に遮るものがないやうになつかしい此山が先づ目につくであらう。何處かの一角に其俤が見える樣な心持がする。濱々の漁人は今其茅屋に久しい間の妻や娘を待[#「待」は底本では「持」]ち疲れつゝ居るに相違ない。其濱々が山のうしろに隱れて居るのである。此峯つゞきは角田山で畢つて其さきは平野が海と相接して居る。其角田の山を幾らも相隔らぬ所に眞白く川口が見える。余は一も二もなくそれは蛸を賣りに行くといふ内野の川口だと思つたので看守人に聞いて見たらあれは新潟であの煙が石油製造所だといつた。余は新潟はもつと遠くに離れて居るのだらうと思つたのであつた。煙だといふのは埃が吹つ立つた樣な色で斜に長く棚引いて巾廣に海を掩うて居る。看守人の居る所を辭して復た廟の傍に立つと佐渡の雲は依然として白く海へ映つた儘である。痩せた薄の穗もやつぱり傾いたまゝ動かない。更に一遍ぐるつと見廻して見ると低くて小さなつまらぬ山と思つた此の彌彦の眺望の闊大なのには今更の如く驚かずには居られぬのである。
 杉の林へ下りると根ごじにした小さな杉の木と唐鍬とを側に置いて二人の老人が焚火をして居る。藁で板の樣に拵へたものを背負つて居るので何といふものかと聞いたら、此は「バンドリ」といつて此を當てゝ置けばどんな荷物でも背中が痛くないのだといつた。暫く噺をして居るうちにふと良寛上人の噺が出た。良寛さんといふ人は墓から椀を拾うて來たので良寛さんそれは死人の椀ぢやありませんかといつたら洗うてたべてるといつたといひますといふ樣なことであつた。一人の老人は顏を地面へ擦りつけるやうにして燻ぶる火を吹いて居る。それは枝豆を焦がしながら燒いて居るのであつた。
 彌彦から吉田へ出る間は稻刈りがはじまつて居る。路傍には榛の木が立ちならんで居る。其榛の木へ幾筋となく繩を引つ張つて其繩へ小束を掛ける。それ故恰かも塀と塀との間を行く樣になつてる所がある。燕といふ所で大道へ店を出して果物を商つて居る女があつた。柿があるので甘いかと聞いたら古い樹でなければまだ今頃はコンゲナ柿は出ない。ホンネ、カンドを甞めるやうだといつた。甘露のやうだといふのである。燕から渡しを越えて長い堤をぶら/\とカンドの樣だといふ柿を味ひつゝ歩いた。長い堤が盡きると又川がある。此は二瀬になつた信濃川の本流である。此所には長橋が架設してある。橋を越えれば三條の町になるのである。橋は暫くは空橋で其下には蜀黍畑が作つてある。鳶色の重い穗はすく/\と延びて橋に屆かうとして居る。左右は孰れも茫々として際涯もないかと思ふ程蜀黍畑が連續して居る。此長橋の上に立つて彌彦山を顧ると既に遠くなつた榛の木の上に何時の間にか莊嚴な姿になつて峙つて居た。
 越後も國境を越えて蒲原の平野があらはれゝば同時に何處からでも屹度此の秀麗な彌彦山が目につく筈でなければならぬ。此くして彌彦は遂に越後の名山たるを失はぬ。
(明治四十年五月二十五日發行、馬醉木 第四卷第二號所載)

底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2000年5月10日作成
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