佐渡は今日で三日共雨である。小木の港への街道は眞野の入江を右に見て磯について南へ走る。疎らな松林を出たりはひつたりして幾つかの漁村を過ぎてしと/\ゝ沾れて行く。眞野の入江は硝子板に息を吹つ掛けた樣にぼんやりと曇つて居る。其平らな入江の沖には暗礁でもあるものと見えて土手のやうに眞白な波の立つて居る所がある。遠くのことであるから只眞白に見えて居る丈でちつとも動く樣には見えぬ。此入江を抱へた臺が鼻の岬が遙かに南へ突出して霧の如く淡く見えて居る。沖の白い波が遠ざかつてしまつて更に幾つかの村を過ぎると對岸の長い臺が鼻の岬もだん/\に後へ縮まつて外洋がぼんやりと表はれ出した。だら/\坂を上つたらすぐ足もとに小さな漁村があつた。汀には家をめぐつて林の如く竹が立てゝある。竹は枝も拂はずに立てゝあるのであるが悉く枯れて居るので葉は一葉もついて居らぬ樣である。此所は既に外洋を控へて居るので潮風を防ぐために此の如きものが一杯に立てられてあるものと見える。佐渡は到る所が物寂びて居るが此の漁村はまた格別である。秋といつてもまだ單衣で凌げるのに此濱は冬が來たかと思ふ程荒凉たるさまである。村へおりると穢い家ばかりで中に一軒夫婦で網糸のやうなものを縒つて居る所があつた。そこで土地の名を聞いたら亭主が皺嗄れた聲で西三河といふ所だといつた。ふと檐端を見ると板看板に五色軍談營業と書いてある。軍談師が内職に糸を縒つて居るので軍談師だから聲が變なのだと思つた。夫でも五色軍談が了解されぬので再び聞いて見ると三味線なしで語るのが只の軍談で三味線のはひるのが五色軍談だといつた。余は更にそれでは此の女房が三味線を彈くのだなと心の中に思つた。
 此の漁村についてすぐに徒渉しえらるゝ程の小川があつて形ばかりの橋が架つて居る。橋を渡ると海中には突兀として岩石が峙つて居る。あたりのさまが此のなだらかな一帶の浦つゞきには極めて稀である。左は丘陵が直ちに海に迫つて急に低くなつて居る。低い所が汀でそこに街道が通ずる。路傍を見ると漸く乳房のあたりまであるかなしの灌木がむら/\と簇がつて居る。其灌木の眞青な葉には赤い花が咲き交つて居る。此が※(「王+攵」、第3水準1-87-88)はまなすの花で※(「王+攵」、第3水準1-87-88)瑰の木は枝も葉も花も一切薔薇の木と異ならぬ。只海邊に自然に生長して居るだけ枝も葉もひねびて一段の雅致を帶びて居る。枝には刺があるので余はそつと指の先で花を折つたら花がほろりと草の中に落ちた。腰を屈めて落ちた花をとらうとすると何だか世間が急に靜かになつた樣な氣がした。不審に思うて立つて見ると世間が復た素の如くにざあ/\と騷がしい。此は歩いて居る間は雨が笠に打ちつけるので耳もとが絶えず騷がしかつたのだが腰を屈めると笠が竪になつたので急に靜かさを感じたのであつた。笠が竪になるまで空を仰いで見たら矢張り靜になつた。濱茄子の花は採れるだけ採つて雨の濕ひを拭つて手帖へ挾んでシヤツの隱しへ押し込んだ。
 小木の港へ辿りついたのは黄昏近くであつた。相川の町では木賃のやうな宿へ泊つて流石に懲り/″\したのであつたから此所では見掛の一番いゝ宿へ腰をおろした。女が表の二階へ案内する。軈てランプを點けて來る。室内が急に明るくなる。此宿はまだ建築して間もないと見えて木柱から疊から頗る清潔で心持がよい。掃除したランプのホヤが殊に目につく。女は更に茶を出して呉れる。氣がついて見ると此女は驚くばかりの美人であつたのだ。まだ二十には過ぎまいと思ふ。佐渡のやうな豫想外に淋しい島へ渡つてこんな美人に逢はうとは全く思も掛けぬ所であつた。美人といふ以外に此女を形容の仕樣はない。余は一日雨を凌いだ爲め單衣もズボン下も濡れきつて旅裝が一層みすぼらしくなつて居るので此女に對して何となく極りの惡いやうな心持がした。障子を開けて女の出て行く所を見ると紺飛白の單衣の裾に五分ばかり白いものゝ出て居るのが目についた。女の出て行つたあとで余は直ちに帶を締め直した。然し一日尻端折つた單衣の縮んだのはどうしてもうまくは延びなかつた。さうして余は手帖に挾んであつた※(「王+攵」、第3水準1-87-88)瑰の花を出して一つ一つランプの下に並べた。障子を開けて出ると帳場がすぐ下に見おろされる。此帳場といふのは天井を一つぶち拔いてあるので其天井は二階の天井と一つに成つて居る。夫故二階の客間から出ると勾欄が[#「勾欄が」は底本では「※[#「曷−日」、U+5303、357-15]欄が」]あつて勾欄の下に帳場が見おろされるので劇場の棧敷から土間を見るやうに出來て居るのである。帳場のさきには勝手が見える。竈の側ではさつきの女が串へ立てた魚の切身のやうなものを燒いて居たがそれを箸でおさへて皿の上で串を拔いたら襷を外して四つに折つて帶の間に挾んだ。左にお鉢を抱へて右に膳を持つて立ち上つた。余はそつと障子を締めて蒲團の上へ坐つた。此夜は客といふのは余一人であるので別に支度もしなかつたから冷たくなつたが此で我慢をして呉れというて茶碗には小豆飯が堆くつけてある。女を見ると紺飛白の單衣に白地を重ねて居るのであつた。さつき裾から白く見えたのは此白地の丈が長かつたからに相違ないのだ。紺飛白も幾度か水をくゞつて紺が稍うすぼけて居る。此野暮臭い支度をして居ながら女は端然として坐して居る。やつぱり美人である。余が箸を手にした時に女は※(「王+攵」、第3水準1-87-88)瑰の花に氣がついてそれを手にとると共に何處で採つた花かと聞くので余は途中の西三河の海岸でとつたのだといふと「美しいものでございますノ、花といふものは、花を見て居るとなんにもらんやうな氣が致しますノといひながら指の先で花瓣を掻き分けながら鼻へあてたりして「かういふ花が海邊にひとりで咲くのでございましようかといつて驚いて居る。女は指の先までも色が白い。「葉も賤しい葉ではございませんノといつて感に堪へたさまである。花を抱へるやうな形に出た葉はぎつしりと幾重にも重つて居て其青さはともし灯の光に更に鮮かである。余は此女が葉の美しさを褒めやうとは寧ろ意外であつた。余は小豆飯へ箸をつける。箸は杉の太い丸箸で本もうらもない。堆い小豆飯には殆んど困却した。小豆飯の塊が思はずぽろりと膝へ落ちた。見られはしないかと思つてみると美人は※(「王+攵」、第3水準1-87-88)瑰の花を手にした儘落した小豆飯には氣がつかぬ樣子である。

 翌朝女が茶を持つて來た處を見ると折目のついた紺飛白の單衣に帶をきりつと締めて裾に白地が覗き出しては居なかつた。二言三言いひ交した後女は余を導いて三階にのぼつた。三階は雨戸が立てきつた儘で闇い。障子だけがほのかに白い。雨戸の隙間から細くさしこむ日光は障子へ赤く映つて居る。女は南の戸袋の所でサルを外して戸を一枚あける。雨の濕りで戸は意外に堅くなつて居る。兩手へ力を入れて漸くのことで二尺ばかりあけた時に女の手の平は赤くなつた。外を見ると明るい空は青く澄んで一片の雲翳もない。佐渡は漸く晴れたのである。三階の下からは瓦屋根がつゞいて其先は小さな入江である。碇泊して居る船の檣が汀に近く五六本立つて居る。昨日の浦といふのが此の入江のことである。入江の右は畑らしい岡が岬のやうに出て其先に樹立の繁茂した小さな島がある。女は岡を指して「アレは畑でございますがノ、アノずつと出ました先の蔭の所は磯でございましてアノ島は矢島經島と申しましても一つは此所からでは隱れて見えませんが其島と丁度向合になつて居ります所に冷たい水が湧いて出ますので夏になりますと小木のものがあの磯へ素麺冷しにまゐりますというた。必ず素麺を持つて遊びに行くといふのは感じがいゝ。余は此の女に白地の浴衣を着せて白い手拭をかぶせて素麺をさらさして見たいものだと思つた。三階から見る小木の港は新築した家ばかりで三階のすぐ下には僅ばかりの空地があつて燒木杙が立つて居る。傍には小さな土藏が燒け殘つたといふやうに壞れた荒壁が赤く焦げて居る。女のいふに小木の港は遠からぬ前に大火があつた。火は此の燒木杙の邊から發したので此宿は眞先に燒けて家人は何一つ救ふことが出來なかつたとのことである。「單衣位でございますとノ、どうもなりますが冬の物はよう出來ませんと女はいふのである。女の衣物も丸燒になつたのである。女は余が今日の行く先を尋ねるので余は赤泊の濱まで行く積であるが途中に大崎といふ所がある筈だから其所で博勞の家をたづねようと[#「たづねようと」は底本では「たつねようと」]思ふのである。其博勞といふのは此佐渡へ渡航の汽船で知己になつて夷の港では枕をならべて泊つたことがあるのだといふことまで噺をすると赤泊ならばもう近い所故ゆつくりしても決して大事ないといつて更に「博勞さんといふのは小柄で大きな聲を出す人でございましやうといつた。さうだそれで反齒な男だといふと「アノ博勞さんが何時か途中から雨に逢うたと申しまして簑を頭からかぶつて參つたことがございます。佐渡には道中簑と申すのがございましてノ、大きな荷物の上から掛けましても荷物が濡れんやうに出來て居りますのでございます。博勞さんは頭から冠りましても泥を引き擦るやうになりますので簑が歩くやうだと申してみんなが笑ひましたのでございますと女は思ひ出して堪らぬといふ樣に笑つた。余は思はず女を見ると女も同時に余を見た。見た目にはまだ笑を含んで居る。余等は二尺計に開けた雨戸の間から躰の擦れ合うた儘外を見て居たのである。向き合うて見るとあんまり近いので急に何だか面ぶせに感じたので余は視線を逸らして其口もとを見た。口には鮮かに紅がさしてある。余は此の如き場合の經驗を有して居らぬので只兀然として女のいふことを聞いて居るのである。女は只無邪氣に耻らふ所もないやうな態度である。それ丈余は更に平氣で居憎い氣持がした。譬へていへば女は凌霄のうぜんかづらである。凌霄はふしくれ立つた松の幹でも構はずに絡みかゝる。松の幹がすげなく立つて居てもずん/\と偃ひのぼつて枝からだらつと蔓を垂れて其處に美しい花を開く。其花は此女が一つ噺をしては又噺をするやうに落ちては開き落ちては開いて自ら飽くまでは其赤い大きな花が咲いて止まぬ。余は自ら凌霄にからまれた松の幹のやうな感じがした。凌霄のやうだと思ひながら復た女を見ると此度は四本の指を前へ向けて勾欄へ兩手を掛けて一心に燒木杙を見おろして居る。余は其白い横顏をしげ/\と見守つた。さうして此優しい靜かな昨日の浦を前にして何時までも只立つて居たいやうな心持がした。其時丁度帳場で呼ぶ聲が幽かに聞えた。飽かぬ美人は三階を去つてしまつた。余も二階へ還つて冷え切つた茶を啜つた。
 兩掛りやうがけの荷物を手に提げて梯子段をおりて行くと女は既に洗濯してすつかり乾かした脚袢を出してくれた。底の拔けた足袋も一所に置いてある。足袋にはまだぬくもりが殘つて居る。今まで火へ翳して乾かしてあつたに相違ない。女は更に土間へおりて新しい草鞋の紐を通して小さな木槌で其草鞋をとん/\と叩いて呉れた。さうして余の後ろへ廻つて兩掛の荷物の上から※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、361-14]を着せてくれやうとする。然しこの着せて貰ふことだけはしなかつた。何故だか默つて着せてもらふことがしえなかつたのである。其時の心持は後では自分にも分らぬ。※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、361-16]だけは昨日の雨でぬれた儘こはばつて居る。草鞋の代が幾らかと聞いたら此は一足進上するのであるから代は要らぬといふことであつた。女は又赤泊の街道へ出る處まで教へてくれるといふので二三町余と共に跟いて來た。電信柱から左へ曲ると此からは一筋道で赤泊より外には何處へも行きやうはないからどうぞゆつくりお越しなされと辭儀をする。余は此時もしみ/″\美人だと心に深く思ひながら女の姿を見た。
 街道は磯へ出る。薄霧の中に越後の彌彦山が眞向に見えてそれから南へ下つて稍遠く米山が見える。共に大きな島の如くに聳えて居る。海は極めて平らな※(「さんずい+和」、第4水準2-78-64)である。沖の岩のめぐりに纔に動く波が日光を受けて金の輪を嵌めたやうにきら/\と光る。汀に近い蕎麥畑には蕎麥の花が眞白に咲き滿ちて居る。さら/\と輕くさし引く波が其赤い莖のもとへ刺し込んでは來ないかと思ふ程汀に近い畑である。

 街道は小山の間に入る。羽茂川に添うて行くと少しばかりの青田があつて青田へは小さな瀧が落ち込んで居る。瀧の側からは杉の大木が聳えて其杉の木には蝋が流れたやうに藤の實の莢が夥しく垂れて居る。丁度そこへ來かゝつた老人が頻りに合掌して其瀧を拜んで居る。余は此老人に大崎はまだ遠いかと聞いたらウン此かこれは御來迎の瀧だといつた。老人は耳が遠いのである。大崎の博勞の家はまだ遠いのかと大きな聲でいつたら老人はにこ/\笑ひながら此から少し先へ行けば大崎になる。牛でも買に來たか、まだ二十にはなるまい、能う來たのうといひ捨てゝ去つた。羽茂川に添うたまゝ街道は狹い峽間になる。路傍に大桶へ箍を打つて居る桶屋があつたので聞いて見ると博勞の家ならば後へ戻つて坂の上の高い所に見えるのがさうだといつた。桶屋のいふまゝに戻つて見ると住み捨てた大きな草家の側に坂がある。坂をのぼり切ると二本の梨の木が兩方からすつと空へ延びて其梨の木には梯子が掛つて居る。梨の青い葉がばら/\と散らばつて居る。博勞は丁度日に近い縁側に足を投げ出して梨を噛つて居る所であつた。余の姿を見ると能う來たのうと例の大口を開いて反齒を剥き出しながら驚いたといつたやうな顏をしていつた。彼と夷の港の宿屋で別れたのは四日前である。別れる時に若し自分の土地へ通りかゝつたならば立ち寄つてくれと彼はいつた。余は屹度と誓つた。彼は其後毎日他出をするのであるからあとへかういふ人が來たなら瀧へ案内をして返せといひ置いては出たのだといつて獨で悦んで居る。縁に腰を懸けて庭を見ると一枚の筵につやゝかな著我の葉をならべて其上に赤く染めた糸が二括りばかり干してある。筵の先には亂雜に手を建てた隱元いんげんが下葉は黄色に枯れて莢はまだなつて居る。博勞は板の間に※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、363-13]を敷いて「赤泊は俺が案内してあげる。赤泊の宿屋のとつゝあんは能う物を知つて仰山話が好きだ。丁度赤泊へは越後の仲間が牛買に來て明日あたりは歸るといつて居たから俺が話をして其船へ乘せてあげる。まあゆつくり休息して行けといふので兎にも角にも草鞋をとつてあがる。部屋のうちは仕事衣やら穢い着物が亂雜に引つ掛けてある。天井からは煤が垂れて居る。其煤の天井から吊つてある※(「竹かんむり/瞿/又」、第4水準2-83-82)棚も漆で塗つたやうである。其棚には蝮蛇の皮を剥いて干したのが竹串に立てゝある。此部屋で白いものは此の蝮蛇の串ばかりである。今とつた梨だといつて博勞が籃のまゝ余が前に梨を薦める。自分はさつきの噛りかけを一寸手でこすつて皮の儘むしや/\と噛りつゞける。余は拇指の爪が非常に延びて居たので其爪の先でぽつり/\と皮をむいて見た。鋲の頭のやうな小粒が一つ/\板の間へ落ちる。博勞は氣の長いことをするのうと見て居たがアヽ庖丁を出すのであつたと此時漸く穢げな庖丁を手でこすりながら出して呉れた。梨はがり/\と石のやうな梨であつた。博勞の娘らしい十三四の子が裏戸から南瓜を抱へてはひつて來た。博勞はあゝ丁度いゝ處だ生憎婆さんが居ないからと自ら立つて爐へ榾を焚きつける。爐は余が居る板の間に近く一段低く造つてある。娘は默つて南瓜を切りはじめる。堅い南瓜は小さな手の力では容易に刄が立たぬ。布巾で庖丁の脊を押したら漸く二つに割れた。娘は自在鍵を一尺ばかり下げて鍋を懸ける。黄色に刻んだ南瓜が鍋一杯に堆くなつて葢はぬれた儘南瓜の上に乘せてある。焔は鍋の尻から四方に別れて鍋蔓の高さまで燃えあがる。遙かなる地の底からでも出るやうな微かな湯氣が黄色な南瓜の中から騰りはじめる。鍋は沸々として煮立つと突き上げられて居た蓋が自ら鍋と平らにさがる。娘は榾の先を長い火箸で突つ崩して榾を先へ出したら焔が一しきり燃えあがつた。娘は小さな躰へ小さな筒袖を着て突き膝をして居る。赤い襟から白い可愛らしい顏を出して居る。此が博勞の娘かと思ふ程可愛らしい子である。火箸を持つた手を見ると指の先が赤く染つて居る。鍋は更に沸々として汁のとばしりが四方に飛ぶ。余は南瓜が佳味うまさうだといつたらこんなものが好なのだらうかと不審相に娘がいつた。不味いものが好なら佐渡の婿になつて十日も居るがいゝと博勞は大きな口を開いて笑ひながらいつた。榾の煙が靡いたので娘は長い火箸へ手を掛けたまゝ笑つてる目をしがめて遙か後ろへ斜めに身を反らした。

 博勞に跟いて小山を辿る。素足に草鞋を穿いた博勞の踵には赤く腫物が出來て居てぽつちりと白く膿を持つて居る。其腫物を見ながら跟いて行く。博勞は此日も向う鉢卷である。夷の港へ渡る汽船の甲板でも遂に此鉢卷はとらなかつた。博勞の立ち止つた所から下に深い谷が開けた。遙かに木立の繁茂した間から一括りの白糸を又幾つかに裂いて懸けた位な瀑が見える。瀑は隨分の長さのやうであるが上部も下部も枝に遮られて見えぬ。此が博勞自慢の白岩尾の瀑である。博勞は瀑壺まで行く氣があるかと聞くので余は是非共行つて見たいものだといふと彼はすぐに蕎麥の花を掻き分けておりはじめた。蕎麥の畑は頗る急斜面で曲りくねつておりなければ足の踏み處がしつかとしない。谷へおりると水を渉つて行く。水流は至つて狹い。石があれば石から石を跳ねて行く。水の深い所は岸の芒の根へ草鞋を踏んがけて行く。芒の根は草鞋が辷る。博勞の辷つたあとは更に辷る。其辷つた時には薊でも芒でも攫んで躰を支へねばならぬ。佐渡貉といふ位で此邊にはむじなの穴が仰山あつたものだがみんな獵師が打つてしまつて今では一つも居なくなつたと博勞が獨言のやうにいひながら行く。漸く瀑の下まで行きついた。仰いで見るとこゝではさつき木の枝で遮られた下の部分だけが見えるのであとはちつとも分らぬ。惜しいことには水が足らぬといふと雪解の頃ならさつきの處から見るのに水は多し木の葉はなしそれは立派なものだと博勞は辯解する。荊棘の間をもとへもどる。躰を屈めると荷物がぶらつと胸へさがつて蓙が前へこける。からげた尻へは岩打つしぶきが冷々とかゝる。博勞は別な方向をとつて芒の中をのぼる。手で押し分けた芒は足で二足三足踏みつけて進む。余は芒が再び閉ぢないうちと博勞の後へくつついて行く。うつかりすると博勞の蓙で目をこすられる。漸く小徑へ出た時には余の指からは血が少しにじんで居た。小さな水田のある所へ出た。小山の上であるから水田といつても籾の筵を五六枚干した位しかない。荷物は其田の畦へ捨てゝ博勞の導く儘に木に縋り乍ら行くと瀑の落口へ出た。瀑は此の田の傍を走る巾二尺ばかりの流の水である。大きなしなの木が瀑の上から谷へかけて斜めにさし出て居る。小柄な博勞は猿の如くすら/\としなの木の梢にのぼつた。余もつゞいて登つて見た。二人の重量で梢はゆさ/\と搖れる。足のうらは直に深い谷で恰も宙に乘つたやうな感じである。此の深い谷の向の瀑に相對した處はさつき瀑へおりた山腹でびつしりと蕎麥の花がさいて居る。一帶に山々は蕎麥でなければ豆が作つてある。然らざれば茫々たる芒である。博勞のいふ所によると「山をり倒いて置いて枯れた所で火を點けてそこへ蕎麥でも豆でもばらつと撒いておくのだといふことである。さう思へば蕎麥の花の中には焦げた木が所々立つて居る。宙に乘つて見おろす瀑は上部の僅かゞ見えるだけである。此の瀑は孰れにしても厄介な瀑であるといはねばならぬ。瀑を後にして行くとすぐに小さな池がある。池には太藺が茂つて其下には盥を伏せた位な小さな島の形がある。此島といふのは由來のある島なので此小さな島から不思議にも清水が湧いて出るがいくら旱でも此の水だけは決して乾かぬと博勞がいつた。更に博勞が語る。此の池のほどりで一人の山伏が咒文を唱へて居たことがあつた。其時丁度牛を曳いて草刈に來て居た子供等が其咒文を聞いて居たことであつたが山伏が去つてから牛の荷鞍を卸して其荷鞍を叩きながら山伏の眞似をして呶鳴つて居ると荷鞍が草の上から踊り出して其儘水中で島に化してしまつたといふ其荷鞍の島はこれである。
 五位鷺が一羽おりて太藺の蔭にぢつとして居る。折柄俄雨が一方から水面を騷がしてさあつと降つて來た。鷺がすうつと飛び出して岸から垂れた小枝へ移つた。雨の脚が過ぎると水面は復た一方から靜かになる。汀には木の葉の滴りが水に大きな輪を描いて水馬が小さな輪を描いて居る。

 俄雨のあとの草にはきら/\と日の光がさす。兩方から小徑を埋めて傾いた芒の穗を蓙ですつて行く。博勞の跳ね返した穗が時々ひやりと頬へあたる。だん/\小山の頂を行くと芒の穗の上に海洋が表はれてやがて一目に見えるやうになつた。海洋は日光のさし加減と見えて只紺碧である。あなたには彌彦山が皺一つ/\も數へることが出來る程近く見えて其後ろに連亘して居る越後の山々も今日は明かである。余等が歩いて居る小山の裾に迫つて三角形の眞白な帆を掛けた船が一つ徐ろに其紺碧の水を辷つて走る。白帆も日光のさし加減と見えて眩きばかりかゞやく、博勞は明日も日和だといつた。芒の穗を分けながら山をおりる。海が一歩づゝ狹くなつて木立のあなたに全く見えなくなつた時に僅かばかり水田のある所へ出た。博勞は突然あゝ能があるといひながら駈け出した。余は合點が行かなかつたが一所に駈け出した。田に添うて茂つた深い木立に入らうとした時に余の耳に幽かな笛の音が聞えた。木立に入ると大きな寺がある。本堂の廊下には人が一杯になつて見える。沓脱の左右には婆さん達が小さな店を出して通草あけびや菓子を並べて置く。平内さん能う來たがもう二番濟んだと其の内の一人の婆さんが博勞を見掛けていつた。アヽさうかと博勞は口癖の大聲を出して俺が赤泊へお客さんを案内して來たといひながら素足の草鞋をとる。余もごた/\と一杯に轉がつて居る下駄の間に足を踏ン込んで草鞋の紐を解く。兩掛の荷物を手に提げて段を昇らうとして見ると立ち塞つた人の頭の上に紙が貼りつけてある。番組と書いてあつて三番目には三井寺とある。博勞は荷物をこゝへ頼むがよいといつて余の荷物をとつて自分の草鞋と余の草鞋とを一つに括つて婆さんに渡した。ぎつしりと詰つた人の後に二人は漸くに立つた。見ると此の本堂といふのは新築したばかりでまだ壁の上塗もしてない。中央の板の間を殘して左右はそこにも人がびつしりと坐つて居る。廊下も前の人は皆坐つて居る。女や子供も交つて居るが膝へ抱かれた子供迄が大人しくして居る。正面には白の幔幕が張りつめてあつてチヨン髷結つた七十以上と見えるひよろ/\した老人と若者とが麻裃をつけて端然として居る。鼓が足もとに置いてある。幔幕の際には此外坐つて居るのが四五人ある。板の間のこちらの隅には青竹を折り曲げて櫓の形に組んだものが立つて居て小さな釣鐘の形が下つて居る。釣鐘からは長い紐が板の間へ垂れて居る。本堂のうちは此丈である。軈て老人が鼓を膝へとると若者は鼓を左の肩へとる。赤い紐がだらつと老人の膝からさがる。老人は笹の葉を押し揉んだやうな掛聲をしぼり出して右の手を徐ろに一杯に擧げて打おろすと鼓はパチツといふ音がする。若者は太い聲を掛けて斜に打あげると此れはボンと鳴つた。互に鼓を打つて居ると左の方の幔幕がまくれあがつたと思つたら網代の笠をかぶつて右の手に青笹を擔いで一人表はれた。此が三井寺の狂女といふのだと心のうちに思ふ。狂女は造りつけたやうな姿勢でそろ/\と歩く。二間ばかりで板の間へ出る。板の間へ出るとこちらを向いて以前の速度を以て歩いて來る。狂女の衣裝は燦として美しい。然かも古色を帶びて居る。左の手は四本の指を揃へて袖口をぎつと押へて突つ張つて居る。板の間を擦つて一歩々々と踏み出す白い足袋の先が目につく。青笹も笠もとつて捨てた所を見ると下は温い相貌を含んだ假面である。白く塗つた假面はこれも古色を帶びて居る。假面に鉢卷した紐がぱらつと後へ垂れて居る。假面から少し下へ顎が出て見えるが其顎から汗がぽた/\とこけて來る。後ろの幔幕について居る男が時々白紙を以て後から汗を拭いてやる。狂女は白い足袋の先を踏み出し/\蛙聲の如き謠につれて板の間を舞ひめぐる。極めて鈍い運動であるが骨が折れるかして舞ひながら手元が絶えずぶる/\と震へて居る。「三井寺では子役が居ないのですかといふ聲が余の耳もとで聞えたので振りかへると余の側に立つて居た一人が相手に噺をしかけたのである。これがさうですと相手はすぐ眼の前を指す。白衣の子役は閾一つを隔てゝ見物と並んで坐つて居るのであつた。相手は更に「アレは小木の桶屋だ相ですねと狂女をさしていつた。余は此を聞いてさつき博勞をたづねる時分に大桶へ箍を[#「箍を」は底本では「※[#「竹/匝」、U+2B079、370-7]を」]打込んで居た桶屋のことを思ひ出してあゝいふ職人仲間にこんなものがあるのかとゆかしい心持を禁じえなかつた。軈て狂女が二三歩すさつて中綮持つた右の手と右の足とを突き出して腰をぐつと後へ引いて假面が屹と青竹の櫓を見あげた時に「アヽいゝと際どい聲が又余の耳もとで響いた。見ると博勞が向鉢卷をした首を曲げて反齒の口を開いて見惚れて居るのであつた。三井寺が濟むと本堂一杯であつた見物が一齊にわあ/\と騷がしくなつた。更に番組は鉢の木が濟むと板の間の四隅には荒繩を引つ張つてランプが吊された。見物が漸く動いて余等の前は疎らになつた。余は閾際まで進んだ博勞を見ると何時の間にか胡麻鹽頭の男と噺をして居たが余を見ると明日は此人が牛を越後へ積んで歸るといふから乘せていつて貰ふことにしたがよいと其男に余を紹介した。二人は牛がどうとかいふことを符貼交りに云うて平内さんが相手の袂へ手を入れて二人で握り合うたと思つたら平内さんは其癖の大聲を出してそりやあんまり安く買つたなあといひながら口を鉗んで向鉢卷した頭を横に曲げた。又鼓が鳴つて船辨慶がはじまつた。板の間に居る辨慶と幔幕がまくれて出た靜とが悠長に應答をする。辨慶は八字に髭のある大柄な男で時々瞼をぱち/\と叩く。靜が板の間の中央に蹲ると後ろの幔幕の際に居た男が金烏帽子をかぶせた。其男がどうも見たことのある顏だと思つたら此れは小木の宿屋の主人であつた。袴をつけて端然たる姿が餘り變つたので一寸見には分らなかつたのである。余は此の博勞に話すとアヽ鉢の木の仕手を舞うたのがさうだ。どうも能う舞ふといつた。烏帽子をつけた靜が白い足袋の先をそつと出し/\舞ひめぐる。四隅に吊つたランプの光が烏帽子に輝き衣裝に輝いて美しい。「アレは小木の石屋でワキなら何でも務めるのだと博勞が語る。靜が去つて知盛の幽靈が薙刀を振り廻して出た。薙刀は時々ランプを叩き相になる。其度毎に薙刀の刃がぴか/\と光る。能く見ると銀紙が貼つてあるので處々皺がよつて居る。長い髮をかぶつて伏目に荒れ廻る知盛の顎は赤い布で包んである。辨慶が頻りに珠數を押し揉んでは押し揉む。博勞は此時突然「此辨慶珠數の房を振るすべ知らんと叫んだ。余は辨慶に聞えはせぬかと心配した。板の間近く膝に抱かれて居た子供が薙刀に驚いたはづみに持つて居た梨を落した。梨はころころと板の間の中央まで轉つて行つた。外はまだ黄昏である。婆さん達の店が片づけにかゝつて居る。余は先程婆さんの箱の中に椿の葉へ乘せた米饅頭のあつたのを見ておいたのでそれを一包買つてやつた。婆さんは此れは椿ダンゴといふのだといつた。草鞋も足袋も手に提げたまゝ博勞に宿へ案内されて行く。本堂の庭から石段をおりる。途々聞くと佐渡には二派の能の先生があつた。此の博勞の平内さんも若い時分には先生に跟いて歩いたことがある。其後平内さんの先生の方は衰微してしまつて今日の一味だけが立派に立つて居る。然し平内さんの先生には名作の翁の假面が秘藏してあつた。百兩の値打はあると一口にいつて居たのであるが五六年前の洪水で家も藏も流されて其假面も一所に失つてしまつた。それは海へ落ちたのであつたと見えて後に磯へ打ちあげられたのを漁夫が拾つたけれど其時には鼻も缺けて元の姿はちつともなかつたといふのである。余は實際能を見たのは生來此の日がはじめてゞある。然かもかういふ孤島の僻邑に能の催しがあらうなどゝは夢にも思ひ設けなかつた所である。其見物人といふのが大抵は百姓や漁夫のやうなものであるだらうがそれが子供に至るまで靜肅にして居たのは意外であつた。其役者といふのが桶屋や石屋や宿屋の主人などでありながら相應に品位を保つて見えるのも向鉢卷をとつたことのない博勞の平内さんが能の智識のあるのを見ても此の島の人の心に優しい處のあるのが了解される。博勞が遭うた其日から懇切であるのも宿屋で出掛に必ず草鞋を一足くれるのも小木の宿屋の美人が洗濯をしておいてくれたのも皆此の優しい心の發動でなければならぬ。佐渡といふと昔は罪人の集合所であつたやうに思つて居たのであるが清潔なる島の空氣は彼等の感化のためには穢れなかつたと見えるのである。博勞は此の夜も余と共に泊つてしまつた。
 此の所は越後の寺泊と相對した赤泊の漁村である。

 夜明にうと/\として居るとばら/\と雨が廂を打つ。又うと/\としてふと枕を擡げると博勞は既に起きて蒲團の上に煙草をふかして居る。まだ雨だらうかと聞くと日和だ/\と障子を開けて見せる。さつきのは通り雨であつたのだ。客がみんな爐の側に聚つた。越後の博勞だといふ胡麻鹽頭の男も此の宿に泊つたと見えて爐の側へ來て居る。客の膳が悉く爐のほとりへ運ばれる。宿の亭主も一所に飯をくふ。亭主といふのは五十格恰の恐ろしい噺好きの男で一箸目には喋舌つて居る。相手が皆去つてしまつたら余を攫へて喋舌る。佐渡といふ所は氣候がいゝ上に桑が自然に生えて居るのだけれど惜しいことに養蠶に熱心するものがない。まあ氣候がいゝから何も知らずに飼つても二年や三年は當るが其うちに癖がはひるともう呆れてしまふといふので情ないことだ。本當に此所へ來て養蠶をしやうと思ふものがあれば五枚や十枚の種紙ならば人が手傳つても桑位は摘んでやる。兎に角人氣がいゝのだから人の桑だつて少しばかり摘んだのでは泥棒だなどゝ騷ぐものはないとこんなことを喋舌る。客の膳が引かれて給仕の女房がお鉢を隅へ押しつけて去つたのも知らずに喋舌る。亭主は一人でお鉢を引きつけて盛つては喰ひ盛つてはくひ五杯六杯とくふのである。余は博勞の平内さんと宿の裏へ出る。うらはすぐに汀で船が一艘繋いである。牛がぞろ/\と曳かれて來る。孰れも人の腹あたりまでしかない小さな牛である。孤島の産物は孤島相應の躰格しか持つことが出來ないものと見えて此間中から見る牛は殆んど狗ころでもあるかと思ふ程小さなものばかりである。亭主は此所でも喋舌りはじめた。佐渡の牛は藁沓を穿かなくても自由に山坂を歩く。それが便利だといふので仰山飛彈の國へ賣れる。飛彈の國へ牛を曳いて行つたものは谷を籠で渡されることがあるが渡しの途中で綱がだん/\たるむとみんな眞蒼になつて籠が向へついた時にはもう死人のやうになつてしまふ。此所の人はどこへ出るにも船だから海はちつとも驚かないが飛騨の籠渡しでは慄へてしまふ相だと亭主がいつた。岸から船へ板を渡して水夫が三人ばかりで牛を船へ引つ張り込む。牛は板を渡つても船へはどうしてもはひるまいとする。さうすると一人の水夫が後から牛の臀をぐつと持ち揚げて押し込む。一杯に糞のついた臀でも構はずに持ちあげる。牛が悉く積まれた時余は平内さんに別を告げて船へ乘つた。平内さんは此時は鉢卷はして居なかつた。水夫の一人は余の草鞋を汀の水でざぶ/\と濯いで舷へ括りつけてくれた。十一反の白帆が檣に引き揚げられると船はゆらり/\と岸を離れる。舳からとり舵と船頭が大聲で呶鳴ると舵がぎいつと鳴つて舳が稍南の米山へ向いた。船はゆるやかに搖れて搖れる度に赤泊の漁村の上に五寸一尺と連山が聳えて來る。兩方の舷から屋根を葺いたやうな櫓といふもので船は掩はれて居る。其櫓の中心から檣が立つて居る。余は櫓へ乘つて檣のすぐ下で横になる。空は水の如く澄んで居る。海は空の如く靜かである。空氣は冷かである。此の冷かな空氣を透して日光がぢり/\とさす。白帆は余がために日覆の如く此日光を遮るのである。白鳥の翼でなでるやうな軟風が時々そよ/\と渡つて來る。白帆はふつと膨れると耳もとで帆綱がぎり/\つと鳴つてやがてばさ/\とたるむ。船頭は余の近くで舵へ手を掛けて悠然と煙草を燻らして居る。余は日のあるうちに寺泊へつけるかと聞いたらいゝや此牛は柏崎へ積んだのだ。さうさ此の鹽梅では夜中でなければ柏崎へはつけまいといふのである。赤泊を出帆する時に舳を米山に向けたのを變だと思つたのであるが此れは以ての外の失策をしてしまつた。寺泊へ渡つて日頃目について居た彌彦山へ登らうと思つて居たのであるが柏崎からでは十一里も戻らねばならぬ。もう悔いても間に合はぬ諦めるより外はない。余は荷物を枕にしてうと/\となる。海は極めて靜穩であるが沖へかゝつてからはノタといふ波が大きく搖れるので船が大きくゆらり/\と搖れる。搖られながらうと/\となつて居ると帆綱が絶えずぎり/\つと軋つては白帆がばさ/\とたるむ。醉醒に水は毒だようと舵取の唄ふ追分の聲が耳に響く。突然にもう國境は越したかなと一人の水夫が呶鳴つた。余はむつくり起きて見ると佐渡は驚く許り遠くなつて土手のやうに山が連つて居る。彌彦山は岩の崩れた趾も明かに見えるやうに近よつて居る。米山はまだぼんやりとして南方遙かに遠い。櫓の下で牛がどた/\と騷ぎ出した。水夫が三人同時に覗き込んで際どい聲で怒鳴りつけた。牛はぴつたり靜かになつた。余も櫓から覗いて見ると牛はひし/\と二側につめられて角がぎつしり舷の所で横木に括られてある。此時まで余と枕合になつて居た胡麻鹽頭の博勞がむつくり起きて突然にどうだといふと舵とりの男は佐渡あらしならいゝが南だからどうも駄目だ。出雲崎へ向けて見ても煽られるんだから今日は柏崎は御免だ。出雲崎へつける位なら一層寺泊の方がよからうといふと運賃が十五圓ばかり狂ふがいゝや仕方がねえと胡麻鹽頭のフケを掻き落しながら博勞がいつた。どうやらこれでは寺泊へ行けるらしい。最初の目的が達せられるかと思ふと心中窃に悦ばしさを禁じえなかつた。あんまり彌彦山が近くなつて居たと思つたのも道理であつた。寺泊へついたのは五時頃である。磯へつくと船はぐるつとめぐされて艫が波打際まで突きあがる。余は笠と※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、376-6]を投げ出して草鞋と荷物とを手に提げたまゝ波の引いた途段に磯へ飛びおりた。一日の航海中牛は逐に一聲も鳴かなかつた。
 佐渡を見ると悠然として海を掩うて長く横はつて居る。大きな馬盥に水を一杯に汲んで鍋葢を浮べれば鍋葢のとつ手を横から見たのが佐渡が島である。鍋の底から燃えあがつた焔のやうな夕燒の空が佐渡を包んで平穩な海一杯にきらめいて居る。佐渡は余がためには到底忘れられぬ愉快な境であつた。三日は雨であとの一日丈が晴れたのであるが其雨の日に相川の金坑を見てこんなことがあつた。初めは工場の殺風景に驚いたのであつたが泥を溶いたやうに濁つた濁川といふ小さな溪流の岸に沿うて行くと高い支柱を建てゝ大きな箱戸樋が連つて居る。箱戸樋は溪流について屈折して走る。所々僅に紅した蔦の葉が支柱に絆んで戸樋を偃うて居る。疎らに立つた芒の穗が戸樋に屆かうとして傾いて居る。白い雨が蔦の葉をぬらして芒の穗に打ちつける。余は秋寂びた雨の中に立つて此の戸樋を流れるものは何であるかと思つた。戸樋は泥土の如く粉碎された鑛石が水と共に送られて居るのであつた。即ち金銀の水であるといふことが出來るのである。自分の頭の上を金銀の水が絶えず流れて居るのかと思ふと金山が急に美化されてしまつたやうに感ぜられた。佐渡は此の如くにして到る所余がために裝飾されて居るかとも思はれる。外見は凡そ佐渡ほど寂びた所は少なからう。然しながら仔細に味はうて見ると余はまだ佐渡ほど美しい分子を有して居る所に逢うたことがない。佐渡は博勞だけでも十分であるが只博勞だけでは鼠地の切れのやうな感じを免れぬ。佐渡が島では小木の港で美人に逢うた。美人は鼠地へ金糸銀糸で刺繍つた牡丹の花である。さうして博勞の娘はつやゝかな著莪の葉へ干した染糸で刺繍つた莟でなければならぬ。美人は夜ちらりと見て朝は別れてしまつたので何といふ名かそれも知らぬ。宿屋の娘であつたか女中であつたかそれもしかとの判斷は出來ぬ。余は何故匆卒に其宿を立つてしまつたのであつたかとそれも分らぬ。毎日々々不快な宿を遁げるやうに立ち去るのが旅中幾十日の習慣になつて居たからであつたらう。然し兎にも角にも昨日の浦を見おろしながら美人と噺をした。其噺は飽氣なかつた。惜しいはかないやうな思が心の底に潛んで居る。牡丹の花のうらを返して見ると金糸銀糸は亂れて居る。余が美人を憶ふ時には心に幾分の亂を生ずる。其心の亂れは刺繍の金糸銀糸が亂れて居る如く只美しくあるべき筈の亂れである。余はかういふ想に耽りつゝ船が磯へ掻きあげられるまで荷物と草鞋とを手に提げたまゝ呆然として立つて居た。水夫の濯いでくれた草鞋はすつかり乾いて居る。佐渡の形見として余の手に殘つたものは小木の宿屋の美人がともし灯のもとにゆかしがつた手帖の間の※(「王+攵」、第3水準1-87-88)瑰の花と此の草鞋とのみである。草鞋も小木の美人が槌で叩いてくれた草鞋である。紺飛白の裾から白地の覗き出した美人の姿がすぐに眼前に浮ぶ。然しそれはもう過去の記憶である。現在のものは此の草鞋のみである。歩いて/\底が拔けて足のうらが痛くなつてならぬまでは此の草鞋は穿き通して見たいやうに思ふ。草鞋の底が拔ければ髮の毛の亂れのやうに藁が兩方へ喰ひ出す。それでもぎつしり結んだ紐は手で解かねばいつまでも足について決してとれるものではない。此草鞋の紐はどうしてもぎつしり結んで置かねばならぬ。余はかう思ひながら靜かに暮れ行く寺泊の磯の砂濱へ笠も蓙も荷物も投げ出して徐ろに草鞋の紐を結んだ。
(明治四十年十一月一日發行、ホトトギス 第十一卷第二號所載)

底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
初出:「ホトトギス 第十一巻第二号」
   1907(明治40)年11月1日発行
入力:林 幸雄
校正:伊藤時也
2003年11月24日作成
2011年11月24日修正
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