病弱者、遊蕩児、その他でも行末に戦人としての望みが持てさうもない子息達は凡て離籍して近隣の漁家や農家へ養子とするのが、昔その城下町の風習だつた。だが桑原家の主人は、そんな理由もなかつた長男を浦賀町の漁家へ、次男を風祭村の農家へ養子として片づけ、三女の園に自分の弟の息子を迎へて家系を継がせる筈だつた。その主人は桑原家の二度目の養子で、子息達は三人ながら彼の実子ではなかつた。園は十六の時、Fといふ可成り有名な歌舞伎役者のあとを慕つて、江戸へ出奔した。園は綺麗な白髪のお婆さんになつて、浦賀の兄の家で歿くなるまで終ひに生家の門をくゞらなかつたが、あの出奔の朝のことは幾つになつても、絵のやうにはつきりと憶えてゐると屡々人に語つて、鬱屈のない楚々たる微笑を浮べた。海棠の老木が門の両側に折重つて、花盛りだつた。冠木門の草葺屋根には蓮華の芽が伸びてゐた。園は普段男姿でしつけられてゐた。前髪をさげて、短い袂のついた水色の紋付の着物に、紬の荒い横縞の袴を着けてゐた。主人は、世間からは謹厳な人と呼ばれて他人に笑顔を見せることがなく、修身の訓話を口にするのが癖だつたが、案外無学で、書類書簡の類ひは悉く密かに妻や園に代筆せしめた。酒は一滴も口にしなかつたが、門の扉に閂が入つた時刻になると、昼間の強張つた力は掻消えて、酒に酔つた者のやうな怪訝な眼つきになつて、
「わしは体が冷えて寝つかれもせん。園は未だ坊やなんだから遠慮せずと、わしと寝て呉れんか。」
 そんなことを云つた。園が出奔を決行したのは母が歿くなつて、一周忌を経ぬ時であつた。母と箱根の温泉宿に湯治してゐた時、同宿だつた役者のFが、芸事に興味の深かつた母に折々招待された。母は以前の主人を思ひ出すと涙を滾したが、現在の主人のことに触れると何か切なさうに唇を引絞めて口を緘した。下女のみわは風祭村の豪農の娘で、行儀見習といふのであつたが、母の云ひつけは守らうともせずに、
「身代を競べれば、おらの家なんか斯んな居敷の五倍もで、倉には千両箱が積んであら。」
 と蔭では舌を出した。頬骨の高い顔で、ふゝんと嗤ふのが癖だつた。箱根を引上げる時になつても母は実家へ戻るのを無性に厭つて、湯本街道の中途である風祭村の別宅に落着いた後、其処で歿くなつた。多勢の主人の身寄の者だけが羽振りを利かせて、園の兄妹三人は手も出なかつた。――園は普段の男姿に金泥に海棠の花の描かれた翳扇かざしあふぎを一本携えたゞけで、門協の廏から馬を引出して箱根から駕籠で戻つて来るFを酒匂川の橋銭小屋の傍らで待合せた。みわの鼾声が園の耳に残つてゐた。園は母がつくつた海棠の和歌うたの数々に節をつけて口吟みながら薄明けの街道を進んでゆくと、父やみわの脂臭い姿が、もう別世界の幻のやうに遠退くだけで、これからの自分の行末が美しい芝居のやうに幸福に想はれたゞけであつた。全く園は思ひ通りに幸福で、Fには妻があつたが、恰で園を身分の高い人でもあるかのやうにはつきりといつまでも持てなし通して、園が三十にならぬうちにFが歿くなると女同志でいつしよになつたが姉妹きやうだいも及ばぬ仲だつた。園はFとの間に一人の娘を生んだ。園は、わらつて寧ろかぶりを振つたのだがFが娘に小園と名づけた。園といふ文字が桑原家の長女の通り名だつた。Fは小園を里へ戻して桑原家の名目を継がせたい、せめてもそれが阿母様のお望みだつたからと、園の母からの言葉を守つたが、桑原家では老主人の子をみわが生んでゐた。主人は箱根の大平台で雲助と格闘して、断崖の底で最後を遂げた。風祭にゐた園の兄は、何か悟りを開いて和歌に専心して、独身の寂涼さを楽しんでゐたが、十八になつたばかりのみわがおし込みに居据つて自殺の狂言などを演じた。兄は切端詰つて、みわを妻に立て生家へ戻つた。園の兄妹きやうだいは三人とも見るからに正しい武家の血を引いて胸深い義侠と質実さと、夢に富み、和やかな影を持つた美型だつた。その兄は弓の名手で折もあれば妻を矢拾ひにして弓場で暮したが、みわが稍ともすれば夫に見惚れて邪魔をするので後には海に舟を浮べて釣に傾いた。みわは自ら園江と改名して、薙刀や仕舞や書に耽つたが、何一つ練達の域には達せぬうちに、いささかも夫の面影に似もしない二人もの男児を挙げた。もとの主人の子は娘で、みそのと名づけられ、みわに生写しであつた。園の兄は園江の不行跡を知つても全く淡々として釣に耽つてゐたが、やがて舟を浮べて沖へ向つたまゝ永遠に戻らなかつた。その頃からみわは風祭の生れであることを断然秘して、先代の受売り沁みた人生訓見たいな言葉を事毎に乱用して、「武士たる者は――」とか「花鳥風月――」などゝ幅の張つた厚い胸を反らせて重々しさうに呟いた。首が太く短かく怒り肩で、丈が低かつた。そしてギヨロリと上眼づかひに他人ひとの顔を睨めて、疑り深かつた。
「人を信じてはいかんぞ。」とか「無断で、ひとの屋敷へ這入つて来るとはけしからん。」
 などゝいふ言葉使ひだつた。
 園が時稀町に戻ると、みわは昼間でも潜戸に閂を入れた。園は母の従弟にあたる片野の家を訪れた。片野の主人は、町役場の質素な吏員だが、若い頃少しばかりの道楽者で主に江戸に住んで浮世絵師や俳諧師と親しみ、江戸つ子の渇仰者だつたから、無性に園と話が合つた。その長男の英介は数学の天分が桁外れに抜群で、攻玉社中学を二年から四年へ飛んで卒業すると、海軍兵学校に無試験で入学した。弟の貞介は青白い秀才で、本郷の大学で医科の優等生だつた。
「こんなに此方の兄弟がそろひもそろつて幸せでは、みわさんのことだから余つ程やきもきしてゐるでせうよ。」
 園は桑原のみわを決して姉様とも園江さんとも呼ばなかつた。みわの長男は官立は凡て不合格で私塾に法律を学び、弟は母とも兄とも仲違ひして行衛不明だつた。
「そのはなしは願ひさげ……」
 片野の主人は何故か慌てゝ手を振り、クワバラ/\などゝしやれた。彼は道楽の時代に、蜜柑山を抵当にしてみわから金を借りた。みわみそのを伴れて片野の歌留多会に現れたが、母も娘も好く似た横風で他人ひとを見降す根生曲りの上に、陰気で誰とも折合はなかつた。英介が休暇で戻つてゐると、みそのは歌留多で夜を明し、朝になると決つて脳貧血を起した。英介は小園と相愛で、婚約も成立ち、幾度か共々に旅行などを試みてゐた程なのだつたが、急にみそのとの結婚を強制された。仲人が父の先輩にあたる河部といふ町長だつた。英介は、長男の新吉が生れぬ前に学校を放擲するとアメリカへ旅立つた。英介はフエヤブンのミドルスクールから出直して、ボストンのハイスクールにすゝんだ後に同市の工機学校に学んだ。彼の最初に乗込んだふね“U. S. S. Stockton”なる水雷艇で、西インデア州のクルブラ島詰であつた。
「僕ノ親愛ナル新吉ヨ、僕ハイヨイヨ希ヒガカナツテ勇マシイ水雷艇ノ乗組員ニナツタ、ダガ僕ハ御国ノ士官ニナリ損ツタコトガザンネンダ。」
 一九〇二年、 MAR. 12. の消印で彼は、七歳になる新吉に手紙と写真を贈つてゐる。粋なネイビイキヤツプを斜めに被つた彼は上甲板の一隅で手風琴を抱えて上眼をつかつてゐた。新吉の祖父は、
ひではいよいよ帰らぬ決心か……あ……!」
 と英介からの便りがある毎に晩酌の傍らに持出す地球儀を視詰めて、俺あ何うしても世界が円いなんて考えられぬよ! と首を傾けるのが癖だつたが、この時は震えて涙を滾した。彼は地球が真に円ければ、向ふ見ずな英介が先へ先へと走つて行くうちには、やがては否応もなく日本に達して了ふに違ひないと信じてゐた。
「泣虫!」
 新吉はそんなことを叫んで地球儀を蹴つた。彼には持運べぬ位ひ大きなものだつたが、球は枠を外れて縁端へ転げ出た。祖父は新吉の何んな野放図な我儘でも黙認して、優等生になどなつて呉れるな、などゝ呟いた。貞介は「兄さん御免よ、兄さん/\!」と叫びながら、みそのに掴みかゝらうとする発狂状態に陥入つて、巣鴨の病院へ運ばれた。みそのは二度も風祭村に人目を避けて産をした。
「俺の頭と圧つこをして見よう、新、何れ位ひ力があるか。」
 祖父は他易く酔ふと眼を細めて新吉を愛撫した。するとみそのが膝詰めで教育論を弁じることがあつた。みそのの権柄づくには誰も怕れをなして気儘に振舞はせたが蔭では祖父は泥酔すると、
「何云つてやがんだい、腹は借りものだぞ、あれは俺の孫だ、出て行きたければ手前えが勝手にひとりで帰れ。」
 と狂つた。
「おばあさん、斯んな写真が来ましたよ。これ、僕のお父さん……」
 新吉がみそのの里まで五六町もある籔蔭の径を駆け抜けて、写真を示さうとすると、そこの祖母は、
「わしや、アメリカは嫌ひだよ。」
 ふゝんと苦つて見向きもしなかつた。
「クルブラ島、クルブラ島……一体それあ何の辺だ、地球だまには載ってゐねえ見たいぢやないか――みそのみその、ちよいと来て探して呉れや。」
 祖父が短気な優しい声を挙げても、みそのは自分の部屋から現れなかつた。
「おい、母さんを呼んで、地図の巻物を持つて来させて呉れ。」
 祖父は更に新吉をせきたてたが、彼は殊にそんな場合母の傍へ赴くのを厭ふた。
「一八九八年
 六月六日(月)晴、午後に至りて風強し。頭あがらず。七時八時九時と時計を見入つて登校の思ひ急なるも、いよいよブラツデイ氏の講義に間に合はぬとあきらめるや再び熟睡に落ちて、醒めるや正午なり。新吉の夢を見ること切りなり。余は父や妻の不徳に苛まれたれど、辛ひにして自棄には陥らざりしが、再び故山の土を踏まざる考へのみは強固なり。されど子の夢こそは胸を閉すにあまりあり。(中略)あれを思ひこれを思ひ不覚にも過したる酒の、毒杯なりしよ。爾後如何なる心鬼に怯さるゝも断じて酒盃こそ執るまじ。」
 これは新吉が成年に達してから、英介の歿後にその書類を整理した時読んだ彼の日誌の一部である。「夕刻ブラツデイ氏が余の休校を案じて帰校の途中来訪せらる。氏の温情は東方の遊子の心を慰さむること夥し。氏なからんか、余は到底この寂莫に堪へざるべし。トムソンとハリーが飲酒事件を発見されて譴責処分を享けたる由。然らば余もその同罪なればその由ブラツデイ氏に申出でたるに何故か氏は、既に事終りたればとて余の言をとりあげざりし。反つて一個の土産包を贈らる。空色のソフト帽なり。氏に伴はれてアルバート・グリルへ赴く。氏に別れたる後自転事を飛してトムソンを訪問。折好くハリーも来訪中なりしが二人はトムソンの父君の前に引き据ゑられて大目玉を浴せられてゐる最中なり。」
 トムソンの父が休職の海軍大佐で、後に英介の志望を達せしめた人であつた。「トムソンの母君と令妹が涙を溜め居るなり。トムソンとハリーに酒をすゝめしは余の発案なれば、彼等を許し余を罰せられよと余は思はず叫びたり。然るにその時の余の態度が余りに堅苦しく滑稽なりしならん。余が云ひ終るやいなや両親と令妹が突然笑ひ出したるには寧ろ余が赤面の至りなりき。父君を囲みて吾等の写真を令妹が撮りたる後、令妹のピアノを聞きて談笑。」
「六月八日(水)雨
 休憩時間多くの級友余を囲みて日本の話を強ふるなり。余は級中随一の能弁家として人気高し。午後トムソンとハリーその他、G、F、Rなる女学生三名余の下宿に来訪。机上なる藤吉並びに新吉の写真を指差してトムソンが説明するや、女学生一同は異口同音に口をそろへて、あはれよ! と悲しみ幼児用のケープその他を贈らむ由を約せり。断じて区別するにはあらねど、藤吉の上には何事も憂ひなけれど、新吉のみが苦なり。彼は母の許にて幸福ならんか。彼の母こそは飽くなき独善派に類して放埒の血に富みたる性なれば、子への不安は一方ならず。学齢に達せしならば万難を排しても彼のみを、余の赴くところへ従はせたきものよ。余は子の教育に関しては深甚なる抱負を持つ者なり。夕刻雨止みて一同にて手製の食事を賑々しく終へたる後、ブラツデイ氏宅へキネスコープの見物に赴く。」
「六月九日(木)雨
 一時にて学校を止め終日読書に耽る。夜、北野豊岳を訪問す。当区に於ける唯一の在留邦人なれど暫らく往来なし。豊岳切りと米国人を罵り後剣舞す。その演技のいとも目醒しく勇壮活溌なるは自づと心神の引きしまるを覚えたれど、やがて棄子なる演技を観せらるゝに至りては悲風惨雨、断腸の思ひに堪えられず演半ばにして余は思はずも眼を閉ぢたりき。なほ酒を誘はれしが過ぐる日曜日の大失策を思へば慄然として辞退す。飛んだ踊りを見たるもの哉。夜半に至りても眠れず。」
「新吉ヨ、晴レヤカナルカ、僕ハ今度クルブラ島ヲ去ツテ、バージニヤ州ナル、ノーホーク海軍鎮守府詰メニ出世シタ。“U. S. R. S. Flanklyn”フランクリン号ナル、レシービングシツプデアル、大概港ノ中ニ碇ヲ降シテヰルノデ危険ノ憂ヒハナイガ、僕ニハヤハリ水雷艇ノ方ガ面白イ、君ノ冒険心ガ健ヤカニ成長スルコトヲ望ンデヰル。」
 この手紙と写真は一九〇四年の五月の消印である。フランクリン号は二階建の寄宿舎のやうな細長い船で、屋根に覆はれて、片面に四十七の窓を持つてゐる。屋根の上には二本のアンテナと、短い煙突が一本と、換気筒が五本数えられたが、一見するとアパート風の建物のやうで船とも見えなかつた。大写の写真の一枚に英介が窓から半身を乗り出して眉間に立皺を刻んでゐた。
「妙なかたちの船だね。僕、こんなのを初めて見た。」
 藤吉は、その写真を見て首を傾げた。新吉は何故ともなしにあかくなつて、
「学校のやうだね。斯んなの描いてもつまらないね。」
 と呟いた。
 藤吉は祖母の園と浦賀に住んで、折々小田原の新吉の家を訪れた。小園は息子の藤吉を母と叔父に託して浦賀へおくり、東京の北島町で尾原といふ商人に嫁いでゐた。
「何しろ尾原さんは代々の江戸ツ子で、愚痴を滾さない人情家だから小園は幸せだよ。」
 と新吉の祖父は、園と語つてゐた。
「えゝ、もう、それは尾原はあの若さですが、あたしは心丈夫で……。藤吉のことだつて進んで引とらうと云ふんですが、あたしや兄が藤吉を手離せないんです。それに因念事は一層藤吉には知らせず仕舞にした方がくすりだらうつて、兄も申しますんで……」
 園が来ると新吉の祖父は、夜更までも晩酌が続き、そのうちにみそのが疳癪を起してじたばたと里方へ走つた。すると家の中が吻つと陽気に和んで、普段は使ふこともない三味線の箱が納戸から持出されて、園が撥をとつて静かな唄を聞かせたりした。
「俺たちはあんな唄を聞いてはいけないんだよ。俺達は軍人になるんだから、内々うち/\のことなんかは何時でも忘れられる心組でなければいけないんだよ。」
 藤吉は海辺に住んでゐる子供に似つかはしくない色艶が青白く冴えて、切れの長い沈んだ眼差だつた。そして何か物を言ふ毎に眼蓋を伏せて静かに自分の鼻を見降しながら、着物の襟を掻合せるのが癖だつた。寂しさのこもつた細い鼻筋が素直にとほつてゐた。踝の上までかゝりさうな裾の長い絣の着物を着て、紫紺メリンスの兵古帯を房々と結んでゐた。
「でも君はお父さんがあるんだから羨しいよ。僕のお父さんは尾原の小父さんだと、お婆さんは云ふんだが、それは異ふんだ。ほんとうの僕のお父さんは、何処の誰なのか僕は知らない……」
 彼はそんなことを呟いて、
「あツ、御免よ。さあ、絵を描いてやらう。」
 と気嫌をとり直した。彼は凡ゆる軍艦の知識に精進してゐて、朝日、三笠、敷島、厳島その他主なる戦艦や巡洋艦の、排水量でも砲門の数でも、速力でも、艦長の名前でも暗記してゐた。
「はつはつ、もうこれからは斯んな画を描くなよ。」
 彼は、新吉が描く軍艦の画を訂正した。新吉は紙一杯の大きな蟹が、ロシアの軍艦を片つ端から双つの鋏につまみあげて木葉微塵に粉砕してゐる画を描いたことがある。藤吉は笑つて蟹のかたちなどを直しもした。祖父がその画を英介に送つた。英介はレシービングシツプの使ひで、絶えずホワイトハウスへ往復してゐた折からで、その画がたまたま先のルーズベルト大統領の鼻眼鏡に触れて、新吉は大統領から名誉に富んだメツセーヂと銀鎖のついた万年筆を贈られた。新吉は少しでも藤吉に手伝つて貰つたのにと思つて、
「おぢいさん、何故藤ちやんの名前も書いて出さなかつたの?」
 と祖父を詰つた。
「ほいほい、そんなことだつたのか、道理でお前にしちや出来過ぎてると見たんだが。」
 祖父は新吉の申出で万年筆を藤吉に配けたが、彼は嬉しさうな顔もしなかつた。あとで新吉は机の抽出から、その万年筆が「欲しくないといふわけではないんだが、君の方が幼いんだから銀鎖など、僕より嬉しからう。大事に使ひ給へ。帰る日の朝、藤」と誌された紙片に包んであるのを見出した。
 あんなところまで、あの岬は延びてゐるのか! と新吉は海辺へ出て沖を見晴す度におどろいた。雲のやうに細く水平線の上に煙つてゐて、少しでも曇つてゐる日には、まつたく雲と見境ひもつかなかつたが、眺めれば眺めるほど、その岬の先はゑんゑんとしてゐて、絶れ目は何時でも濛つとして定かではなかつた。藤吉の居る浦賀の町は、あの半島の何の辺なのか? と新吉は想つた。西の真鶴の岬は直ぐの眼の先に短く肥つた腕を曲げ、渚づたひの道が瞭然としてゐて、新吉達は折に触れては通ひ慣れてゐたが、一方の三浦三崎なるあの煙のやうな半島へは誰も此方から赴く者もなかつた。藤吉のことを新吉は、会つてゐるうちは物静か過ぎて余り言葉数も掛けぬので、退屈することもあつたが、別れて見ると不思議と彼の姿が間断もなく白い霞の中にありありと映つてゐて、いつとも知れぬ次の訪れまでを待つ思ひが息苦しかつた。新吉には、吾家の祖父母より他には遊び仲間が無かつた。
「何だか、新の様子が妙だぜ。セメンでも服ませて見たら何うだい。」
 祖父が心配する時は、いつも彼は秘かに藤吉の幻に酔つてゐるのであつた。軍人になるんだから――と藤吉が諫めたのは、おそらく俺の斯んな弱々しい了見を見抜いてゐたんだらう――新吉はそんなに考へ直して、激しくかぶりを振つた。そして別の勇ましいことを考へやうと努めると、いつの間にか自分が山のやうに大きな蟹に化けてゐた。真鶴の岬が短い方の鋏で、遠方の半島が長く曲つて、自由自在な大蟹の長い鋏だつた。蟹は双つの鋏を物々しく振り翳しながら海の底をぢよき/\歩いて行つた。途中で何千何百といふ敵の軍艦に出遇ふと苦もなく大鋏を揮つて退治した。間もなく蟹は、アメリカに達した。そして新吉は、急に一番小さな蟹のやうに悲しくなつて夢から醒めた。
「これは、うちのおぢいさんがつくつたんだよ。」
 また藤吉は園に伴れられて、三本マストの黒船の模型を携えて来た。それは三尺位ひの大きさで二本の煙突を持ち、アメリカの旗を立てゝゐた。舷側には双つの水車様の推進器を備へてゐた。新吉は魂が震える程嬉しくて、そつと床の間の鎧櫃の上に飾ると、息を殺して視詰めた。
「嘉永六年にペルリといふアメリカ人がこれに乗つて初めて日本に来たんだ。ミシシツピー号つていふ名前で、千七百噸だよ。」
「昔のふねは斯んなものが附いてゐたんだね。」
「それはね、外輪船といふんだよ。」
 藤吉は事細かに順々と説明した。「快力はたつた七浬位ひなんだが、その代り帆を使ふんだよ。」
「おぢいさんが、ひとりでこれを造つたのか、偉いな!」
「だつて僕んちのおぢいさんの家は船大工だもの、これ位ひのものなんか……」
 藤吉がおぢいさんと称ぶ園の兄の養家先は、船大工の家だつたが、養子の彼は大工にはならずに漫然と船の研究に耽つて、模型船などを集めてゐた。園が遊芸の師匠をして家計を救けてゐたのだ。
 新吉の祖父は、ランプよりも行灯を好んで、客があると一人びとりの傍らに一つ宛の行灯を点した。廊下では雪洞ぼんぼりを用ひた。雪の降りさうな静かな晩だつた。園の引く三味線の音が新吉達の離室までしんしんと響いて来た。そのうちにドツといふ笑ひ声などが挙つたので、新吉は思はず廊下を駆出して襖の蔭から様子を眺めた。祖父の役場の友達が二三人集つて、園の唄を聞いてゐるのだが、やがて新吉の祖父が肩をそびやかして腕まくりの見得もよろしくふら/\と立ち上つたのだ。腕も脛も鉛筆のやうに細くて猫背の祖父が、威猛高な見得を切つたのが余程可笑しくて哄笑が起つたのだ。園も笑ひながら楽器の調子を変へると、客達が一勢に手拍子をとつて「日清談判ハレツシテ、品川乗リ出スアヅマ艦――」と合唱した。行灯の光りに照らされた祖父のシルエツトが泉水に向つた障子にくつきりと映り出て、新吉の眼には体操のやうに見えた。みそのは園のゐる席に現れる事はなかつたが、町長の河部さんがゐるので慎ましやかに控えてゐた。河部さんのことをみそのはお父様と呼び、新吉の祖父母は先生と称してゐた。達磨のやうな顔で、雷音ライオンといふ仇名だつた。
 いつの間にか藤吉が後ろに来て、
「新ちやん、そんなものを見てゐちや駄目だよ。酒を飲んでゐる成人おとななんて皆な馬鹿なんだ。あんな騒ぎに耳を借しても毒さ。恰で猫化けか狸のやうぢやないか。」
 と唇を噛んで、元の部屋へ促した。「お前は勉強しなけりやいけないぞ。甘やかされちや駄目だ。お前も俺も立派な海軍の士官にならなければならないんだから。」
 いつになく藤吉の声は亢奮に震えてゐて、新吉は怕さを感じた。
「新吉や、新吉や……」
 と祖父が手を叩いた。
「返事して好いか、藤ちやん、あれはね、僕に剣舞を演らせようとしてゐるんだよ。ライオンが歌ふんだぞ。」
 河部さんは詩吟が得意で、新吉に「剣ヲ抜イテキラント欲スレバ……」とか「……十年一剣ヲミガク」などゝいふ剣舞を教へた。そして彼の知合の道場に新吉を弟子入りさせたが、新吉は身の毛も竦つほど嫌ひで通つてゐなかつた。
「厭だと云へ。酔つ払ひの相手にされて堪るもんかへ。」
 新吉はあらん限りの声で、
「厭あだよ。」
 と叫んだ。
「新吉、先生がお呼びなんだよ、おぢい様ぢやないんだよ。」
 みそのが現はれてさう云ふと、藤吉は屹つと彼女を睨めあげた。そして、きつぱりと、
「厭なんですつて、新ちやんは――」
 と突き返した。みそのは藤吉のたゞならぬ気色に圧倒されて、引戻した。
「鞭ヲ鳴ラシテ酒肆ヲ過リ服ヲアザヤカニシテ倡門ニ遊ブ――」
 他の者は世話ものを歌つたが、雷音は人々の聞き慣れぬ類ひの漢詩ばかりを次々に朗吟するのが癖だつた。
「あたしはあの声を聞くと、耳が、ガンガンして目舞がして来るわ。でも、御本人がお天狗なんだから、感心してゐなけりやならんし。」
「拙くつても義太夫なら、未だしもちつとは辛棒も出来るんですがね。」
 園と新吉の祖母は蔭で吐息を衝いたが、みそのだけは端然として耳を傾けてゐた。
「倡門ニ遊ブ――か、そいつは面白い、一番出かけるかな。」
 新吉の祖父が半畳を入れたりした。皆が歯を浮かせてゐるのも気づかずに、雷音は鬼のやうに顔を歪めて、
「百万一時ニ尽クシシニ 情ヲ含ンデ片言ダモ無シ」
 と続け、
「こいつは拙者の思ひそつくりぢや。」
 などゝ腕を組んだ。
「何云つてやがんだい、ハミガキ――」
 藤吉は憤つて、拳固を振つた。「何てえこつたらう。お前のうちぢやしよつちう斯んな騒ぎがあるのか。」
「時々だよ――」
「浦賀に来ないか。浦賀のおぢいさんは一人も友達なんかは無い代りに、僕を相手にして船ばかり造つてゐるんだ。船のことなら何でも知つてるよ。そしてね、おぢいさんは僕が海軍の士官になるまでは決して死なゝいつて云ふんだけど、そいつは当にはならない。」
「……僕だつて浦賀に行き度がるんだけど、いつでも母さんが行かせないんだよ。」
 新吉は、浦賀のおぢいさんを羨んだ。二三度しか会つたことはないが、うちの祖父のやうに浮々と酔つたりしないで唄などをすすめられると落着いて謡をうたつた。どちらも何うせ新吉には解りもしなかつたが、浦賀のお爺さんの声が響き渡ると家ぢうが滝に打たれるやうに颯々として、雷音の半鐘のやうな騒々しさとは比べものにならなかつた。そして彼は、新吉へアメリカから来る数々の船の写真帖を耽念に繰り展げた。新吉は、他の成人おとなの誰もがそんなに熱心に自分の写真帖などを見て呉れる者もなかつたので、何かうつとりとするやうな会心さを覚えた。うちの爺いなんて酒を呑んでは、人を嗤はせるやうな声を立てるばかりで、水鉄砲一つ拵えて呉れと頼んでも、飛んでもないこつた、素人に鋸が使えるものか! などゝ仰山な顔をするばかりだ――新吉はそんなに思つたりした。浦賀のお爺さんが土産に呉れた木の大砲はハンドルを廻すと筒の中の歯車がバネを弾いて、何時でも花々しくカラカラと鳴つた。それもお爺さんが自分で拵えたのだと藤吉から聞いたが、道理で何処の玩具屋でも新吉は、そんな新らしい仕掛の大砲は見出さなかつた。筒が灰色で、砲身は朱塗に按配されて、重い両輪を備えてゐた。
「僕はね、君さへ居なければ、決して斯んな家になんか来やしないんだ。お前は何も知らないんだな。」
 藤吉は、その晩に限つて不思議と苛々しながら、向ふの騒ぎを気にしては舌を鳴した。新吉は黒船の下で大砲を鳴してゐた。向ふの障子には回灯籠の影絵のやうに、人の影が誰とも見境えもなくよろめいてゐたが、きやツとみそのらしい淫ら気な声があがつたり、
みそののお酌に限るぞ、若い女の寂しさは……か!」
 などゝ雷音がみそのに戯れる様子が窺はれた。
 ――「まあ、新吉は未だ起きてゐたの、また熱でも出さうと思つてゐるの、お前は藤ちやんが来ると屹度宵張りをするんだね、さつさとひとりで先へ寝なさいツ。」
 みそのは藤吉に当てこすつて嶮しい眼つきだつた。「また風を引き度いの?」
 藤吉は竹籔に向つた窓を開けて、窓枠に突つ伏してゐた。霙が降つてゐた。
 新吉は折々祖父に伴れられて東京に来ると、北島町の「尾原さん」に泊つた。その家は何ういふ商売なのか新吉は気づかなかつたが、格子のはまつた店の中には別段何んな品物も並んでゐないのに、幾人もの威勢の好い店員が縦横に動き回り、電話が三つも四つもならんでゐてのべつにベルが嶋つてゐた。昼間でも白熱ガスが点いてゐて、人々の顔が一様に青白く生々と見えた。水族館のやうな暗い廊下を曲つて奥へ来ると、小園が、
「まあ、新ちやんも来たの?」
 と叫んで、新吉を抱いた。新吉は、「小園さん」の頬を花瓶のやうに冷く感じた。冷たく甘い香りが鼻を衝いて、新吉は悲しくもないのに泣きさうになつた。祖父は坐ると、直ぐに酒だつた。尾原さんは坐つてゐる間もなくて、小園さんは浦賀のお婆さん(園)よりもつと年とつたお婆さん(Fの未亡人)に云ひつけられて小まめに動いた。新吉が欄間を見上げると立派な金ぶちの額に収まつた浦賀のお婆さんの、小園さんよりも若い時の写真が飾つてあつた。新吉は、はじめそれが小園さんとばかり思つたが、祖父が、
「何しろあのころのお園さんの評判は大したもので、あたしなんぞは何だか傍へも寄れない気がしたものだ。」
 と述懐した。それは園が当時、鹿鳴館といふところのダンサーに召された頃の記念の写真ださうだつた。白薔薇のついたボンネツトを戴き、白づくめのロココ風の裾を曳いて、胸一杯がかくれるほどに房々とした鳥の羽根の扇を構えてゐた。新吉達は訪れる毎に、小園の案内で新富座や歌舞伎座を見物した。新吉の祖父が一杯気嫌で、間違つた声などを掛けると、
「小田原のお父さんと来ると、あれが厭で。」
 と小園は憤つた。
 新吉の町にはじめて中学が出来ると、入学の準備に藤吉は一人で来てゐた。新吉の母は、また長い前から不在だつた。病気で風祭村へ行つてゐると新吉は聞いたが、見舞には行かないでも好いと祖父から云はれた。
 その町では未だ電話が珍らしくて、夜になると近所の人が見物に来て、新吉が喋舌るのを首を傾げて視守つた。祖父母達は電気に怯えて傍へも寄れないので、みそのがゐなくなると新吉と藤吉が電話番だつた。
「何しろあれで東京とでも話が出来るつてんだから、あたしはもう気味が悪くつて。」
 祖母が、そんなことを云つてゐるところに新吉が、
「東京からだよ。」
 と震え声で圧えた。家ぢうは水を打つたやうにしんとして、祖父が叱ツ/\と遠くの跫音まで制した。
「えゝ、居ないんです、母さんは……」
 すると向方の男の声が、女に代つた。
「あたし、北島町の――わかりますか。あら、藤吉かへ?」
 新吉は慌てゝ藤吉に受話機を渡した。
「……厭々々、僕は何うしても厭……」
 藤吉はそれだけ云ふと、電話室から駆出して、机のある部屋へ隠れると同時にワツと泣き出した。
 翌日新吉の家を、新吉が知つて以来はじめて小園が訪れた。
「当人が厭だつてものは寄んどころないぢやありませんか。兎も角、まあ試験だけは受けさせて見て、やり損ひでもしたら、また気が変るかも知れないからね。」
 祖父が鹿爪らしい顔で、小園に意見めいたことを告げてゐた。
「おふくろさんはもともとさういふ考へで、つまり実家の風には終ひまで弓を引かう……浦賀のおぢさんにさへ楯を突いて……」
 小園は泣いてゐた。――藤吉を歌舞伎役者の養子にするといふ園の遺言を、小園は固守せずには居られなかつたのだ。
 合格者の発表の朝、山高帽子に袴を着け、杖を突いた祖父は、片方の腕を小園に執られて中学の坂を昇つた。爪先上りの長い急な坂で藤吉と新吉が交互に祖父の後をおした。
「世の中に子供の落第を頼むつていふ親があり、子は負けまいとするし――だが一体俺は何方の味方なんだか……出来の好い息子といふものには、糠悦びばかりさせられるし。」
「まあ、お父さん、しつかり昇つて下さいよ、口を閉めて。」
 丘の上に達すると海が見晴らせ、あちこちの畑の桃の花が盛りだつた。
 大津藤吉は正銘の一番で入学してゐた。
 彼等は俥を連ねて町の写真屋へ向つた。藤吉と新吉が合乗りで先へ立つた。
 その時の写真を後年成人おとなになつた新吉は、英介の書類の箱から見出した。小園は夜会巻といふあたまで、椅子に正面を向いた祖父の背後に立ち、藤吉と新吉がその両脇に立つてゐた。新しい徽章のついた帽子を眼深くかむつた藤吉は、腰かけてゐる祖父と同じ位ひの高さで、アメリカ仕立のニツカーをつけてゐる新吉の丈は藤吉の肩までだつた。
 その頃から小園は屡々新吉の家を訪れるやうになつた。幻灯の道具や空気銃を新吉は土産に貰つた。藤吉は、いつも母親の来訪を悦ばぬ気色で、新吉から頼まれる軍艦の画を奥の間で描いてゐた。
「新ちやん、アメリカの写真をあたしにも見せて頂戴な。」
 小園は新吉の本箱からビロード張りの写真帖を取り出して幾度も眺めたが、不図新吉が顔をあげると、写真の中の人物と彼とを凝つと見比べてゐるのに出遇つて、何か慌てゝ眼を伏せた。
「藤吉と新ちやんとは、どこか面影が似通つてやしませんか。」
 或時小園は新吉の祖父に訊ねた。
「冗談ぢやない。新は、はつきりと阿母似ぢやないか。」
 と祖父は嗤つた。桑原の一族では、特にみその母娘おやこが容貌の点でも評判が悪かつた。新吉は、母と小園を思ひ比べると途方もない憂鬱に襲はれた。
「アラ、そんなことはありませんよ……」
 小園はあかくなつて祖父を打つ真似をしたが、余程擽つた気であつた。
「聴いてるぞ、よせ/\。」
 と祖父がさへぎつた。新吉は、その時無性に祖父を憎んで、いきなり胸倉へ飛びかゝつた。
「降参だ/\!」
 祖父は閉口して首を縮めた。――「さあさあ、あつちへ行つて藤ちやんに本でも読んで貰ひな。お前は何故そんなおとなの傍にばかり喰つついてゐたがるんだらう、藤ちやんを見ろ、稀に母さんが来たつて、あの通りおとなしく自分の勉強ばかりしてゐるぢやないか、え、おい?」
「新ちやん、御免よ/\。」
 新吉の権幕におろおろして小園もうろたへたが、彼の発作的発狂状態には誰も手の施しようもなく、旋風のやうに家ぢうを暴れ回つて、やがて息の根が止ることも時稀だつた。
「新が引きつけた、新が、また引きつけた!」
 さういふ騒ぎは次第に度重なつた。夜更けに弓張提灯を点した祖父が里方へ赴いたまゝになつてゐるみそののところへ走つたが、新吉の母は戻りもしなかつた。祖父達は、新吉のそんな発作は、やはり両親が常に傍に居ないからなのだと一途に思ひ込んで、無性に孫を憐れみ増長させた。
 藤吉は二学期から、祖父のすゝめで寄宿舎に入つた。新吉が画をせがみ過ぎるといふことゝ、折々みそのが現れて陰気を漂すからといふ理由だつた。彼は甲組の級長で襟に桜のしるしをつけてゐた。そして土曜日に戻つて来ると、新吉のために夜更まで軍艦をつくつた。
 深クモ宿ル夢路ヲ破ル、起床ノラツパノ勇マシヤ――彼は、こんな歌を口吟みながら、コツコツと鑿の音をたてゝゐた。
「おぢいさんもおばあさんも死んでしまつたんで、僕はもう浦賀へは帰らないんだ。」
「浦賀のうちにあるといふ軍艦を見たいな。」
「大丈夫、僕はそれよりもずつと緻密なものを拵えてやるぞ。」
 土曜日毎に造る藤吉のアサヒ艦は翌年の夏になつて進水した。藤吉と新吉は泉水のふちで、ふところ一杯の残雪を撒き、軍艦マーチのハモニカを合奏した。
「藤吉の腕は大したもんだ!」
 と座敷のうちで太い息を衝いて感心してゐた祖父が、不図、
「あゝツ、あゝツ!」
 と重苦しく叫んだ。脳溢血で、そのまゝだつた。
 小園が誰よりも一番激しい愁嘆を示した。立上らうとすると、思はずよろよろとして、紋付羽織袴の人達に支えられた。藤吉と新吉は裏の庭先に並んだ縁台をあちこちと飛んでゐたが、
「母さん!」
 と叫んで跣足のまゝ藤吉が駈け込んだ。みそのは祭壇の傍らで凝つとその有様を睨らんでゐた。新吉は敵意に充ちたまなこで、母の姿をいつまでも視詰めた。
「一九〇六年八月十七日」の英介の日記に、新吉は後年斯んな文字を読んだ。
「父の訃を受く。帰国を得ずと返電す。そゞろ秘密なるものゝ空しさを感じたるのみなりき。終ひに何人にも喪を知らさず。」
 レシービングシツプに在勤中のために電報の便が宜しかつたことが付加へてあつた。
 その後小園は決して新吉の家を訪れなくなり、藤吉は間もなく東京の府立中学に転じた。転校試験の結果二年級を飛び越えて、彼は三年生に進んだ。冬の或る朝、新吉は母親に無断で汽車に乗つた。国府津の乗換で上りを待つてゐると、
「こらア!」
 とわらつて肩先を掴む人があつた。河部の雷音だつた。
「凱旋門を見に行くんです。」
「ひとりでか?」
「藤ちやんが新橋まで迎へに来てゐる筈なの。」
 すると雷音は横を向いて黙つて了つた。彼は横浜で降りる時、新吉に絵雑誌などを与へながら、子供をひとりで汽車に乗せるなんて無責任極まるぢやないか! と呟いた。
 小園と藤吉が改札口の直ぐの傍らに立つてゐて、口を並へて新吉の名を呼んだ。藤吉は田舎の中学では禁止されてゐた黒ラシヤのマントを着てゐた。巣鴨の病院を退院した後に、故郷に姿を見せたことのない貞介が角帽を被つてにこ/\笑つてゐた。
「姉さん――」
 と貞介は小園を呼ぶのであつた。「宝亭を御馳走して呉れよ。……何だつて、新は阿母に黙つて来ちやつたんだつて、はつは……」
「いゝえ、藤吉が誘ふんだよ。」
「お前が卒業したら、新は東京へ招んで呉れつて、今日着いた兄貴の手紙にも書いてあつたよ。」
 彼等は仁王門のやうな造りの京橋凱旋門をくゞつた。
「母さんはね、僕にも何うしても医科へ入つて呉れと云つて諾かないんだ。だけど、僕は医者が嫌ひなんだ。」
 藤吉は新吉に沈んだ調子で囁いた。貞介が、
「こいつ!」
 などゝ笑つて、首を掴んだりしたが藤吉は眉ひとつ動かさなかつた。
 然し、後に彼は兵学校を受けたが、近視眼のために不合格だつた。無試験で、一高に入学すると間もなく、文科へ転じた。
「トウキチキトク、テイ」
 その電報は新吉宛だつた。新吉は田舎の中学の三年生だつた。
 北島町に新吉がひとりで駆けつけると、小園の姿は見えずに貞介が、
「順天堂に入院してゐるんだよ。会はない方が好いだらう。」
 と告げた。貞介と尾原さんが、床の間に飾つてある小園の雛の道具を片づけてゐた。三月のはじめだつたのである。藤吉の死因は服毒だつた。遺書は小園と新吉に宛てゝ一通宛だつたが、新吉への文面の最後に、その内容は誰にも告げずに、日誌と共に焼却することが望まれてあつた。

底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
   2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「酒盗人」芝書店
   1936(昭和11)年3月18日
初出:「文藝春秋 第十三巻第十二号」文藝春秋社
   1935(昭和10)年12月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年10月26日作成
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