“I chatter, chatter, as I flow
   To join the brimming river,
 For men may come and men may go,
   But I go on for ever”
 ………………
 うたでもうたつてゐないと絶え入りさうなので、私はあたりの物音を怕れながら、聴心器のゴム管で耳をおさへ、自分で自分の鼓動に注意するのであつたが、やがては川の流れの無何有に病らひもなく夢もなく消えてしまひさうだつた。
 長い間のあらくれた放浪生活のなかで、私の夢は母を慕ふて蒼ざめる夜が多かつた。母の許へ帰らねばならぬと考へた。
 私は心悸亢進症の患者であつた。その回復を待つて出発のつもりなのに、それらの蒼ざめた夜の圧迫は、その症状に嶮しい拍車をかけて止め度がなかつた。
 私は傴僂の格構で、空々しく、鳥の標本をつくるより他に能がなかつた。
 池のふちで気たゝましい鵞鳥の悲鳴と同時に銃声が響きわたつたので、私は拵えかけの鳥の剥製を抱えたまゝ窓から乗り出して見ると、唱(妻)が川縁の猫柳の根元を狙つてゐた。
「当らなかつたの?」
「…………」
 唱は見向きもしなかつた。鼬の襲来が頻繁で、彼女の飼鳥は屡々命を奪はれた。鼬は鳥の血をすゝつて、亡骸ばかりを棄てゝ行くのであつた。私はいつもそれを拾ひあげて剥製につくつた。私の本棚には一冊の書物もなくなつて、鵯、山鳥、カケス、鶫、雉、鵙、雀、カハセミ等の標本が翼を並べた。本棚にも並べきれなくなつた木兎や鴉や鶏、鵞鳥の類ひが床の上に群がつて、脚の踏場もなかつた。唱は、カスミ網や黐で小鳥を獲つて、鶏小屋の隣りに雑居の小屋を建てた。鵙は止り木に縛つて桑畑の縁に立て、トキをつくらせると仲間が降りて来て黐にかゝつた。木兎と鴉の巣は水車番の柚太が探してきたものだが、唱は子鴉を育て、木兎はその肩にとまるほど狎れてゐた。子鴉は水仕事をする唱のあとを鵞鳥達といつしよに追ひまはしてゐた。山鳥、鵯、雉等は柚太が打つて来るのだが、私は肉食を執ると動悸が激しくなるからと拒んで、自分のわけ前だけを標本に造つてゐた。
 柚太は左が義眼であつて、狙ひをつける時にも決してそれが閉ぢられぬのを何故か非常にきまり悪るがつて、他人の傍らでは決して鉄砲を執らぬのである。鼬おどしに空砲を打つて呉れと唱が頼むのだが、それさへあかい顔をして柚太は諾かなかつた。唱は柚太の旧式のライフル銃に実弾を装填して、小鳥共の仇敵を狙つてゐたが、不意を打たれた私が病ひの部屋で仰天するであらうことをおもふと、気遅れがしてならぬと滾した。――然し私は、鉄砲の音には驚かなくなつた。私は、返つて鼬に斃される鳥の亡骸を待つてゐた。
「また、やられたな。敵は、まんまと退参か――。それはもう駄目だよ。こつちへほうつてお呉れよ。」
「爪にかけられたゞけだから治るだらう。」
 唱は脚元の鵞鳥を抱きあげて、傷ついた胸へ耳をおしあてゝゐた。
「治るものか、止せ/\!」
 私は切りと腕を差し伸したが、唱は憤つとして鳥を抱いたまま、囲炉裡端へ引きあげた。鉄砲の音や鳥の悲鳴が起る毎に、待ち構えてゐるかのやうに窓から首を突き出す私の姿は、恰で鼬のやうに憎々しいと唱はかねがね不平さうだつた。

 唱の見張りが利いて、鼬の襲来は次第に遠ざかつてゐた。唱は炉端の天井から揺り籠をぶらさげて鵞鳥の容体を注意してゐた。
 池には氷が張り詰めて、鼬は鯉を狙ふことも適はなかつた。――剥製の仕事が止絶えると、私はもう全くの木偶であつて屋根裏の寝台に仰向いたまゝ、われとわが不気味な胸の鼓動に耳を傾けるだけだつた。生と死の境界が朦朧として、私は恰もあまりに幸福な夢に襲はれた者がそつと自分の頬を抓つて見る如くに、鴉の羽根などを拾ひあげて頤の下や腋の下を擽つて見ると、やはり堪らぬ擽感の衝動に襲はれて、命を認識した。
 私は生来擽感覚が異常であつた。腋の下や蹠に自分の指先が触れることを想像しても、忽ち全身が息苦しく蠢動するのが癖だつた。子供の時代に聞いたお伽噺のうちで私が最も奇怪な戦きに襲はれて蒼ざめたのは、悪い狐が子供を浚つてゆくと、あの房々とした尻で子供のからだぢうを擽つて擽つて、擽り殺すといふ物語だつた。
 一本の鴉の羽根の先で、私は死の夢からげらげらと目醒めた。危うく寝台から転落しかゝつて、再び心悸の激動に驚きながら、凝つと石に化した。
 薄暗い屋根裏だつた。窓の先には柳と糸杉が技を張つて、麦袋をつなぎ合せたカーテンを降すと昼間でもランプが必要だつた。北向きの、その小さな窓が一つと、ピラミツド型に歪んだ天井裏に二尺四方のあかりとりが開いたが、そんな小さな窓から空を仰ぐと、わけても憐れに満ちた放浪の煙りがもやもやとして、細々と空へ立ち昇つてゆく思ひが切なく、私は細引を曳いて窓板を閉ぢると戸立蜘蛛の有様で穴の底に瞑目するだけだつた。北向きの窓には蝶番ひをつけた古雨戸が横になつて、眼上に外へ向つて開かれたが、私はカーテンを降し放しでランプを灯しつゞけた。昼間のランプは、白々しく、薄暗く、米搗きの濛々たる埃りに煙つて、沼底の観だつた。
 水車が回りはぢめると小屋全体が物々しい胴震ひをはぢめて、私のまはりの標本類は小刻みの脚踏みでこと/\と踊り出した。この前に鼬に斃された鵞鳥の雄を私は迂滑にも大変前のめりに造り過ぎたので、それは矢鱈と転倒した。
 此度の雌が、どうせ唱の手当の甲斐もなく息を引きとつたら、これと一対にして、しつかりと厚板の上に据えてやらう――などとつぶやきながら私は如何にもそんなガラクタ標本を大事がつて慌てゝ起し直したり、また鳴動が静まるまで、しつかりと胸に抱き寄せたりした。
 斯んな薄暗がりの鳥屋とやのやうな屋根裏で、鴉の羽音に驚いて奇声をあげたり、脚踏みをする鳥共の中で、むつくりとしてゐる私の有様は啄木鳥キツツキとも木兎とも云ひやうもなく、てもなくあたりの標本類の一種と見違へる――と唱と柚太は薄気味悪るがつた。実際、水車が廻つてゐるときにベツドに起きあがつて鵞鳥などを抱えてゐる私の坐像は、バネの上だつたからまはりの鳥共よりも稍面白気に諧調的な震動律をもつて弾んでゐた。
 窓の下は緩い流れであるが、水車の翼に叩かれた水煙りが澪々と窓掛けに降りかゝつて、麗らかな陽りの中から狐雨を吹き寄せた。

 この病態のために水車の作業を短縮するわけにもゆかなかつたから、それらの震動に堪えられなくなると、私はその病体を厩の真向ひにあたる納屋の屋根裏に移すのであつた。
 母のまぼろしは、私の夢の中で日々に鮮やかだつた。――私は、崖と崖と、坂と坂とが重複する遥かの村道を見あげて、深い嘆息を洩すばかりだつた。
「せめて馬に乗れる日までを待たう。」
 私は厩の前に佇むと、ゼーの鼻面を撫でながら、
「その日が来たら、憐れな病人をそつと運び出して呉れよ。」などと厭に科白がゝつた鼻声で囁くのであつた。何うも私はその頃、人間の前だとわけもなく臆病になつて碌々口も利けなかつたせゐか、稍ともすると畜生をつかまへて、とりとめもない愚痴を滾したり、悲しさうな役者の真似を演じたりした。
 ところがゼーは魯鈍な眼を開くと、恰も、私が糧食をすゝめに現れた者ではなかつたか、と鬱陶しがつて、物憂気な鼻腔から見るも物々しい荒い溜息を吐き出すだけで、眼ばたき一つでさへ私の科白には従順の見得を示しもしなかつた。私の胸は二本の棒となつて突つかゝつて来るその鼻息の圧力にも堪えられなかつた。
 この老牡馬は、私が健康であつたころ稍ともすればその先天的な怠堕性と貪婪性を憎んで手荒な扱ひを執つたのを、忘れもしないかのやうに、今更のやうに極めて弱々しく憐れ気な科白を吐く私を、まるで鼻の先きであしらつた。私としても、奴に対するさまざまな過去の所業を思ひ合せると、随分と己れの今の物腰が臆面もなくわざとらしかつたが、近寄る毎に新しく奴の享け応へのなさ加減には業を煮やされた。Zは人の姿さへ見れば何辺でも糧食を欲しがるのみで、糧食を与へぬ者と見ると、如何程その者の顔に慈愛の情が充ちてゐようとも、無性に不気嫌でいさゝかでも狎れたがらなかつた。私はそれらの駄馬の性からわづかばかりでも自分の乗用に適する方向へ今から奴の性情を矯正したがつてゐるのだが、飽くまでも因業だつた。
「何といふ賤しい駄馬だらう。」
 私は奴の醜い嘶きに打たれると、折角の憐れな芝居も台なしにされたテレ臭さで、嘔吐を覚えさうに顔を顰めた。左うなると私も亦負けぬ意地悪る気をもつて、恰度奴が秣草を喰ひ飽きてふて寝の夢に陥入つたころを見はからつて、そつと鴉の羽根で泥のやうな鼻腔を擽つてやつた。奴は非常な臆病馬で、その度毎に悲鳴をあげて飛びあがるのであつた。敏感といふわけではなくて、堪え性のない仰山振りなのである。奴の種馬も、もと/\此処の労働馬だつたが、虻が一匹鼻面にとまつたのを大騒ぎして、川へ飛び込んで溺死した親である。――Zは、化物がわらふやうな声をたてゝ、扉口の横木を無茶苦茶に蹴り破らうとするのであつた。何うせもう狎れる気遣ひはありはしない――私は、あきらめて、奴の嘶きに、好い気味だ! と憎々顔をおくり、また眠らうとすると、抜足をもつて忍び寄つて、さんざんと擽つてやつた。
 紫がゝつた空であつた。鵙の声が鋭かつた。歩くものゝ蹠では霜柱が崩れ、山焼きの煙りが遥かになびき渡つてゐた。――うへえツ/\! といふやうな、くしやみともつかぬ濁音を放つて、空へ向けるZの鼻息の煙りが軒を隔てた私の窓からも、鮮やかな白さで天へ消えてゆくすがたがはつきりと窺はれた。
「悪るいたづらは止めてお呉れよ。」
 唱は私の窓へ向つて、拳を示した。そしてZの鼻面を静かに撫でると、騒々しい喚きは次第に収まるのであつた。唱は小鳥や動物を狎らす腕が先天的だつた。そして屡々その要領を私に告げたが、私とZの間は日増に仇敵とさへ化しさうであつた。
 私は唱とZのなれ/\しさを窓の外にきいて、卑怯なる悪人のやうに猜疑の眼などをしばたゝきながら、手持ぶさたになつて枕元の書物を翻したりした。誰の書物ともなく、私の傍らには二三冊の古い本が散らかつてゐるだけだつた。
 一冊の書物は小さな遺伝学書だつた。それには、1=1/2[#「1/2」は分数]+1/4[#「1/4」は分数]+1/8[#「1/8」は分数]+1/16[#「1/16」は分数]――Aはその先代より、その個体性情の※(2分の1、1-9-20)を、先々代より※(4分の1、1-9-19)……をといふ順序の偶数率をもつて遺伝さるといふゴルトンの法則や、また「優性」「劣性」の実験説をもつて新法則を樹立してゐるメンデルの報告を詳さに記載してゐた。ゴルトン法に従つて私は私の知るかぎりの先々代を想像すると、痴愚と滑稽と猪勇と怯懦とが※(2分の1、1-9-20)及び※(4分の1、1-9-19)の配率をもつて露はに算えられた。更にメンデリズムに従つて比較すると、いかにもZや自分の如き存在は「劣性」の標本として歴起たるものであるのを知らしめられた。“I chatter, Chatter, as I flow……”私は窓下の流れの音に耳を傾けながら、悒鬱だつた。

 母からの手紙は、私の先代と先々代の法会の営みに関して、長男たる私の帰来を促すものであつた。――私は、母の肩を按摩してゐる夢を見てゐるところであつた。放浪児といふものゝ、その母親を慕ふ心情が何か云ひ得ようもない神秘的な無色むしきの山向ふで、キラキラとする雨に打たれてゐた。
 ……海の見える窓の下で私は切りと母の肩を按んでゐるのだ。私達は何か余程の楽しい思ひ出に就いて語り合つてゐるらしかつた。どんな話題なのか眼を醒すと同時に私は忘れたが、ぼんやりと窓の向方の海を眺めてゐると、見霞むほどの麗らかな海原なのに、思ひがけなくも見るからにさゝやかな波がしらが何処までも、もくもくと逼ひ出して来る津波と変じてゐて、あはや私達の窓下までもおし寄せて来るのであつた。私は、たゞもうこれはこれは……と驚くばかりで、漸く母親を抱きあげようとすると、それはいつの間にか青銅の坐像と化してゐて、断じて私の力では持ちあがらぬのだ。それだのに母は、はつきりと口を利いて、何をお前はそんなに慌てゝゐるのかといふやうなことを呟きながら切りと笑つてゐるのだ。
「お母さん、お母さん……」
 そんな自分の叫び声で私は目を醒した。嵐のやうな胸のざわめきだつた。
 自分に母を慕ふが如き心の動くさへ私は、異様な冷汗を絞らるゝ思ひであり、決して当り前の口を利いたこともない白々しさで、もう三四年あまりも親の姿に接する折もなく、不孝者のそしりさへ平気で享け流してゐるにも係はらず、やはり心の一隅には絶ち難い血のつながりから、そんなにも尤もらしい夢などを見るものか! と眼をこすると、私は黒い血潮でも吐き出しさうだつた。
 私は厩の屋根裏へ走り去らずには居られなかつた。濛々とする秣草のほこりに噎せ反つて、私は眼や鼻腔はなをおさへたまゝ枯草の中へ打ち伏すのであつた。何時でも私は何うしても胸のうちが激しく鳴つて収まらぬ発作に駆られ出すと、その屋根裏へ逃げ込むのが習慣だつたが、その胸の嵐といふのが、いつも原因には何の差別もなくまことに突拍子もないもので、別に何を悲しむといふわけでもないのに屹度その発作が起ると突然に涙が溢れて来て、終ひには嗚咽の声を挙げずには居られなかつた。この病態はビタミンBの欠乏に起因する神経衰弱症に他ならぬ類ひで、例へば激しい笑ひの発作に駆られても同様の結果に襲はれるらしかつた。
 Zは私が飛び込んだ異様の物音に仰天して、鼻先に吊られた空の飼馬桶を蹴り飛し、その反動に鼻面を打たれて、呆然たる胴震ひに竦んでゐた。
「何を、笑ひながら……」
 オシキリで藁を刻んでゐた唱が、梯子段を駆け登つて行つた私の、あはや泣き出しさうな顔を見て、
「大分、元気が好くなつたやうね。もう間もなく春だもの……」
 などゝ冷かした。
 片目の柚太はオシキリの作業が危いので、歌をうたひながら枯草の束を唱の手もとへ運んでゐた。
「Zの奴、自分で蹴つた桶にハネ返されて眼を丸くしてゐるよ。」
 私は辛うじて笑ひ顔を認めさせたが、「笑ひ」なんていふ感情は、凡そいつにも、何んな末梢神経の一端でなりと感知した験しもないのだ。私は余り夢中で駆け込んだゝめに、階下で聞える筈のオシキリの音や歌の声にも気づかなかつたのを後悔したが、もう止むを得ず、言葉の止絶れるのを怕れて、
「鬼柳のお蕗のところまで行つて貰ひたいんだがな?」
 と柚太へ呼びかけた。「うちの阿母が齢のせゐで按摩が欲しいんだつて……」
 別にそんなことが手紙に書いてあるわけではなかつたのだが、私はおもはぬときにお蕗なりと赴かせて多少でも自責の念から救はれたかつたのである。
 お蕗は柚太の叔母で、灸と按摩と、そして骨なほしの施術者なのだが、余程耳が遠くて手真似でなければはなしが通じなかつた。でなければ山の上の人を呼ばゝる位ひの大声を出さねばならぬのだが、Zを罵るほどの発声も適はぬ私にはそんな叫び声が挙げられる筈もなかつた。元来カンの悪い婆さんで稍ともすれば飛んだ独り合点をして相手の者をまごつかせたが、ひとり私の母は巧みな手真似をもつて円滑にはなし合へる程の仲だつた。そして冬ともなればお蕗の来訪を待遠しがつたが、大分前に私が母のゐる町のあちこちに放縦な負債をつくつた挙句に逐電したことなどを世間にはゞかつて寒々とその日/\を暮してゐるさうだつた。お蕗は私の祖母の頃から、秋の収穫れが終ると山を越えて来て、遥かの山の上の雪の消えるまで滞留してゆくのが慣はしだつた。
「ついでにお前もお蕗の灸を据えて貰つたら好からう?」
 私の如き病態には、お蕗の按摩と灸が最も効目が鮮やかだらうと、兼々まはりの者がすゝめるのだが、私は思つたゞけでも身の毛が悚つて聞えぬ振りを装ふてゐた。それを思ひ出して唱も柚太も切りと、私にお蕗の治療をすゝめた。
「途中まで歩いて、いよ/\駄目だつたら、当分の間お蕗のうちで静養して見よう。」
 と私は決心した。「然し按摩や灸は御免だな。僕は揉まれるといふ経験が一度もないんだが、あれこそ何んなに擽つたいことだらうと思ふと、とても堪らない。」
「いつそ、否応なくおさへつけて、灸を据えさせたら、そんなフラフラ病気は一辺で治つてしまふんだが……」
 柚太の片目はぎろりと光つてゐた。つい私はその方の義眼を先に見て、度強く怪奇な光りを湛えて開け放しになつた仁王の眼玉から威圧を享けがちだつたが、落着いて右眼に注意すると、それはいつも羊のそれのやうに物優し気に下向いて気弱く眼ばたいてゐるのみなのだ。
「あたしも手伝つてやりたい。」
 と唱も傍から加勢した。「この意久地なしが、あの灸を据えられたら、何んなに騒ぐことか――何となく好い気味のやうだ。」
「俺のことは、問題にしないで呉れ。」
 私は激しく首を振つた。
「もう、あんな顔をしてゐる、まるでお灸でも据えられてゐる見たいな……」
 私は灸とか按摩の類ひは、理由も問はず絶対に嫌ひで、他人の施されてゐる光景さへも傍観するに忍びなかつた。お蕗の灸といふ言葉は屡々幼年からの私のための悸し文句に用意された。幼時はおろか、近年でさへも、ひところの私の無頼放蕩の酒に愛想を尽した母が、うつかりとお蕗の灸でも据えて貰つたら落着くかも知れぬと呟いたのを聴いた時には、有無なく私はゾツとして這々の態で逃げ出したことがあるのだ。一体お蕗の灸なるものは特に神経系統に効目が露はであるとかで、相当の重患者でもない限りは施療を乞はなかつたが、私は幼時にたつた一度、私の先々代が荒療治を施された光景を印象強く覚えてゐるのだ。祖父は鬼柳村の村役場に奉職してゐたが(それは勿論、極度の神経衰弱症に他ならぬのであらうが、誰もそんな病名を患者の上に冠せもしなかつた。)その途すがら、屡々狐に化されて、あられもない悲惨と滑稽とを演ずるといふところから、思ひあまつてお蕗の灸を決心した。
 お蕗の灸はおそらくありふれた豆粒大のそれとは趣きを異にして銅貨大の艾を急所に貼り重ねて、火を点じながら団扇をもつてほいほいと煽ぎたてるといふ凄まじさだつた。
 双肌脱ぎになつた祖父の胸は――さうだ、思ひ合せて見ると、あの先々代の痩せ細つて渋団扇のやうな胸板は、その中に包まれた風鈴の如く臆病な小胆と共に、そのまゝ私に遺伝されてゐる――肋骨が数へられて、腹部はげつそりと匙型に凹んでゐた。お蕗が徐ろに仕度にとりかゝる段になると、その匙型は最早恐怖におびやかされて激しく脹れ、次第に勢急な風琴のやうに伸縮した。彼はやをら馬のかたちで窓枠に獅噛みつくと、まはりの者が、未だ/\火も点けられてはゐないのに――と憐れむ声も聞えず、すつかりともう唐獅子の面に、その表情は凝固して、凝つと天を睨み、バツタのやうに細長い脛が膝の関節でがく/\と震へてゐた。――私は畏敬すべき長老が、そのやうに浅猿しい姿で恐怖に戦いてゐる有様を見るに見兼ねて、慌てゝ其場を脱したので見事彼はその療治に堪え忍んだか何うかは見極めもしなかつたが、その時の、その祖父の表情は何十年後の現在でも私の印象には、あまりに鮮やかな唐獅子の仮面のまゝ手にとる如くのこされてゐるのだ。以来私は、灸といふ一言を耳にしても思はず、この顔面もあのやうに切ない仮面に変りさうだつた。母は、その時祖父が、ホツホツホツ! といふ声をたてゝ泣き、あはや艾の火が皮膚にまで達しようとした刹耶には、ドラ猫のやうな悲鳴を挙げて飛びあがり、火の玉も何もふるひ落して窓枠を飛び越えたと伝へたが、私はそれが当然だ! と同情した。
「うちのお父さんなんかは……」
 と母は実家の父親を自慢した。「あのお灸を三つもいちどきに火を点けても、平気で莨を喫してゐたよ。」
「それあ背中の皮が……」
「馬鹿なことをお云ひでないツ!」
 と母は非常に気嫌を損じた。そして私の先々代が、餠を搗くことも得意だといふほどのお蕗の腕力にねぢ伏せられて、否応なく灸を据えられて、漸く病ひを治したといふことであつたが、三七、二十一日の間もそれを続けたら(最初の二三回が最も苦痛を強ひられ、回を重ねるに従つて痛痒は減ずる左うだが――)大概の神経などは麻痺するのが道理ではあらう。
「僕のは何も神経病といふわけではないんだから、灸など真つ平だ。」
 私は、柚太の余外な親切でお蕗に早我点でもされたら一大事だ! と案じて、今更と詳さに症状を説明したりするのであつた。
「ともかく婆さんに揉んで貰ふに越したことはなさゝうだな……」
「真平だ。僕は時々気が遠くなつて死ぬのかしら? と思ふやうな時に、鳥の羽根で触つたゞけでも擽つたくて、息を吹き返すほどの始末だから、按摩なんてに掛つたらそれこそ擽り殺されるだらう。おゝ、厭だ!」
 はつきり云ひ含めておかねばならぬと私は思つて、灸とか按摩とかゞ如何に嫌ひであるかといふことを執拗に述べ立てた。柚太は何気なく呟いたことに私がいちいち驚いたり、身震ひをしたりするので、
「厄介な病気だな!」
 と憤つたかのやうだつた。然し、その右側の眼を見ると、それが苦笑を浮べてゐるのが解つて私は吻ツとした。柚太は、他人ひとの厭がることを無理にでもすゝめたがるといふ風な傾向があつたので、憤らせでもしたら始末が悪いと私は懸念するのだつた。
 柄にもない母の夢から、お蕗のことなどを持ち出して、余外なわるびれを強ひられた私は、
「遠いな……」
 と唸つた。母をおもひ出す自分の心ほど、浅猿しい混濁に病はされるものはなかつた。子が親を慕ふ心が自然であればあるほど、私は二重の埒外で汚れの泥を浴びるのであつた。私は母の生活を目許することが敵はぬながらに、母にかるゝ子の感情を持ち扱ふのみだつた。法要も何もあつたものではない――と、私は偽善者流の母の言葉と、偽悪者流の自分の余憤とを戦はせるのだが、人倫の仮面の善悪を見棄て、たゞに人間としての親と子の間に介在する絶対の因果は、怕ろしく、嘆かはしく、たゞ簡明であつて、道徳や潔癖のまゝに何も彼も振り棄てる道はなかつた。
「お蕗のはなしは止めようよ。――俺は、ともかく歩いて行かなければならないんだ。」
「それなら駕籠を用意しようか。」
 柚太は納屋の天井裏の山駕籠を指さしたりしたが、唱はかねがね私の母へ寄する感情を堕落と見て、
「Zにでも振り落されるが好いさ――」
 などゝほき出した。唱は私のおもひを、たゞ私が財物を目あてに貪婪の未練をもつてゐる者でもあるかのやうに誤解してゐたが、私は説明の仕様もなかつた。私は彼女が、私の母を罵る言葉がひたすらに怖ろしかつた。
 唱は秣草切りの腕を、口笛に合せて、私にとり合はぬ気色であつた。私は、刻まれる藁の音を聴きのこしながら、鉈を執つて、山越えに使ふべき息杖を探すために川向ふの竹籔へ赴いた。

 私達の村は寄生木ヤドリギ村字鬼涙キナダと称ばれた。鬼涙沼の痕跡は今では水が乾いて、蓬々と葦の生えた湿気地だつた。途中まで私を送らうといふ唱は、柚太の鉄砲を借り、野良犬から狎し込んだロクを伴ひ、柚太はZの轡を執り、私は不安な上眼づかひで猫柳の杖を突き――一行は暁の星が輝いてゐる時刻に沼の縁を出発した。こんな早朝に鬼涙を立つても、バスの終点を見出す音無宿へ達するには健全な歩行者の歩みをもつてさへ黄昏時になるのが通例だつた。
「午までにヤグラ沢に着くには、やはり時々Zに乗つて貰はなければなるまいが……」
 柚太は私の歩き振りが、出発早々から吐息の気味ばかりが物々しいのを懸念して、口はしつかりと結び、鼻腔だけで呼吸しながら、胸を前のめりにせぬやうになどゝ注意した。あまり重たげな杖を切るのも鬱陶し過ぎたので、柳の技としやれたのは好かつたが、それも相当太目ではあつたのに、ついつい私の背骨の方が柳のやうにふらついて、とても頼りない息杖だつた。
「僕はとてもZには乗る気がしないから、唱が疲れたら借してやつて呉れよ。」
 私は、ロクを先へ立てゝ脇道へ反れながら林をくゞつてゆく唱を案じたが、彼女は疲れも知らずに鳥を追ひかけてゐた。
 唱は竜巻山の中腹で山鳥を打ち落した。
「獲物は俺が帰るまで、とつておいて呉れないか……」
「鵞鳥はすつかり治つて、歩き出してゐるのを知つてゐる? 打ち落した鳥なら平気で進呈するけれど、未だ息がある鵞鳥をもう剥製にでも仕様としてゐるのにはあきれたな――兎も角、慾深だよ。」
 唱は獲物をZの鞍に結びつけて、また間道を先へ立つて行つた。
「ヤグラ沢までは無理だらう。狐塚あたりで午飯だらう。」
 水仕事などをしてゐる唱のあとを喉を鳴して追ひかけてゐる鵞鳥を私は思ひ出し、あの時の負傷が医えた鳥だつたのか? と気づかせられた。鼬にかゝつてはひとたまりもあるまいと思つたので、早速標本にしてしまはうと乗り出したのであつたが、手当次第に依つてはあんなにも楽々と回復するものか、して見ると自分の部屋に並んでゐる鳥共の中には、未だ/″\標本にされないでも命のつながれたであらうものが在つたに相違ない――私はそんなことを考へながら、Zのうしろになつて径を急いでゐた。
「ひよつとするとお蕗婆さんは狐塚に来てゐるかも知んねえよ。この頃ぢや按摩稼業が廃つて、寒餠搗きの手伝ひの方が忙しいつてことだよ。」
 狐塚の茶屋には柚太の情婦がゐた。柚太はもう四十歳を越えてゐたが、眠る時にも決して閉ぢられないといふ片目を恥ぢて未だに未婚であつた。彼はそこの情婦の傍らでも眠ることを怕れて、真夜中でも一飛びに山を越えて鬼涙へ引き返した。柚太にとつては狐塚までの径は全く苦もないところを、こんな脚弱と伴れ立つて余程退屈さうだつた。
「あの齢で餠搗きが出来るなんて!」
 と私は老婆の大力を感嘆した。稍ともすると、もう私の声は柚太へはとゞかなかつた。櫟林の奥から折々銃声が響き渡つた。沢を降つてゐるので、その反響が私達の頭上に幾つにも折り重なつて稲妻のやうに鳴り響いた。その度に私の先へ立つてゐるZの尻は軽く飛びあがり、また石ころの目立つ凹凸の勾配で、無精気な蹄は躓きがちだつた。そして空身の鞍が音をたてゝ弾みあがつた。
「何うあつても、あれには乗れぬ。」
 あまり後れると袖太がその鞍へ私を乗せたがるので、私はせめて言葉のとゞく位ひの間隔は保つてゐたいと努めながら、後を追つてゐるのだが、時には小走りにならないと、Zの影を見失つた。怪し気な脚どりでよた/\とついてゆく自分の姿が、あの漸く負傷から医えたばかりの鵞鳥に違ひない――などゝ私は悲しんだ。吐き出す息づかひが荒々しくなるばかりで私は沁々とこの行軍の早計だつたのを悔ひはぢめてゐた。
 今から斯んな調子では夕暮までに鬼柳へも到着出来さうもない危惧に襲はれた。竜巻山、雉子ヶ淵、怒田ぬだ、ヤグラ沢、狐塚、吹雪川、そして漸くにして鬼柳の森を見出す次第だが、私はもうそんな名前をかぞへるだけで地面が波にでも見えるかのやうな眩惑を覚えた。それにしてもこのあたりの宿々の名前は何うして斯んな風に奇怪な文字ばかりなのか――などゝあらぬことまで想ひを走らせると、それらが恰でお伽噺の武者修業者の行手に折り重つた悪魔の住む村々であるかのやうに見えたりした。
 達者な時ならば鬼柳の宿場で一息衝くと、手綱を引き絞めて一気に鼬谷へと降り、羅漢ノ森を寄切り、仁王門から川縁を伝つて音無宿までの三里の堤を口笛を吹いて飛ばしたのだが、あれとこれとを比ぶればまことに兎と亀ほどの相違ではないか。まはり道を選んでも成るべく急な坂は避け、休んでは水を飲み、胸を撫で降ろしながらの蹣跚たる中風患者の有様では、もうこれから雉子ヶ淵へ降つて怒田へ登るのさへ危ぶまれて、私は幾度唱や柚太を呼び返さうと決心したかわからなかつたが、つい先の者の姿も見えなくなつたにひかされ、また孤独の影の夢魔に悸されて、ぜいぜいと脚を運んでゐる始末なのだつた。
 道端の石塔の傍らで煙管を叩きながら私の追ひつくのを待つてゐた柚太は、その息切れの模様を沁々と眺めて同情した。
「やはり駕籠でなければ無理かな。狐塚まで辛へて貰はう。あそこまで行けば引き返すにしても駕籠が仕立てられるから……」
 これらの径々では馬の背も借りられぬ病人のためには今だに昔ながらの山駕籠が唯一のものだつた。祖父が通ひ慣れた径の姿とおそらくは今もそのまゝ変らぬ自然の風景のみだつた。凡そあたりには著名なる処とてもなく全く発展の余地もない辺鄙な一劃で電灯の光りでさへもが音無宿まで赴かぬと拝まれもせぬ草深さだつた。ヤグラ峠の唐松の下で私の祖父は頻りと狐に化されて幾多の滑稽や悲惨なる挿話を今も尚ほ人々の口に残してゐたが、恰度私達の行手には例の唐松が踊りあがつたやうな枝を空へ張り、飄々と風を呼んでゐる風情は、まさしく神経病患者の独り路であるならば容易く山霊の催眠術を吹き込むにふさはしかつた。星は移つても、ものゝすがたの変り模様とても知らぬ唐松の根元に立つた私とその先々代の間に挟まれた時の流れなどは、私自身にしてさへも気づきもされぬ昔ながらの山径だつた。
 それは左うと、よしやこの日のうちに狐塚の山駕籠を借りて鬼柳までは達したとしても、母のゐる町へ降るとなれば翌日は早朝に起き出でゝ、音無宿へ向ひ始めてバスの通ふ道を見出すのだが、これがまた健康者であつても危うく胸を踊らせられるので寧ろ徒歩を選ぶ者の方が多いといふ渓谷に添つた桟道であるから、勿論私は駕籠のまゝで半日あまりの遠乗りをつゞけた後に、漸く汽笛の音が聞える山北駅へ辿るより他はあるまい。鬼涙沼や狐塚の界隈であればこそあんな山駕籠も不思議とされぬが、自動車や機関車が文明の煙りを挙げて往き交ふてゐる繁華な駅路へ向つて、ほい/\/\! などゝいふ掛け声が如何ほど颯爽たる趣きであらうとも、所詮私には風を切つて乗り込む勇気は持てぬのだ。今時、何と恥かしさの極みではないか。
 ともあれ私は幾日を費しても、山北駅まで杖をついて乗り出すより他はないのだ。
 それにしても一歩一歩と爪先が、行手へ向つて進路をとつてゐるのを見るにつけ、それに反比例して私の心は鬼涙の薄暗い屋根裏から呼び戻す木兎やカケスの声を聴くかのやうであつた。祖先の霊の祭りのために帰る身であるにも係はらず、現実に近づかうとする母の幻が次第に輪廓を描き出して来ると、あれこれとかたちをとつて盛りあがつてゐた映像が忽ちオシキリで裁断される藁のやうに粉々になつて烈風の空へ吹き飛んでゆくのであつた。
 唱は山鳥の他に鵯を三羽も打ち落して、土産ものにしたら好からうとすゝめながら、
「さあ、もう愚図/\しては居られないから、お前はZの先へ立つて貰はう。」
 と銃を肩につけて鞍の上に乗つた。
「この分ぢや日のあるうちに狐塚までが、やつとだらう。」
 あまり私の歩き振りが鈍間なので、こつちは歩きながら居眠りを覚えた! と柚太は云ひかけたが、直ぐに、居眠りをする場合の義眼の有様を想像されることを怕れて、細い方の眼を激しく眼ばたきながら弁当の仕度にとりかゝつた。
 Zは馬の癖にたつたこれだけの行程で、まるで私のやうに沮喪の気色を露はにしてゐたが(大体彼のそれは横着な誇張癖なのだ!)唱に手綱を執られると凡そ私の場合には示しもしない好意に溢れて頭をあげた。私は憎悪に炎えた横目をもつて奴の目玉をジロリと睨みながら立ち上らうとすると、Zは恰も、
「さつさつと歩きやがれ、煩いぞツ!」と虻でも追ひ払ふやうに鼻面を振つて私の肩先を小突きさうにしたので、私は吃驚りして先へ飛び出た。身を翻して奴の頤の下をすり抜ける瞬間に、余つ程頬げたのあたりへ素早い平手打でも喰はせてやりたかつたが、奴の口のまはりには涎の泡がべとべとしてゐるので薄汚くて手も出せなかつたのだ。
 怒田ぬだからヤグラ峠へ向ふ日蔭の山径は、わけても嶮しく、帯のやうに細い黄土の坂径が深い枯草の中に埋れてゐた。
「御覧な、斯うして歩けば仲々達者ぢやないの、大事を執り過ぎるのが返つていけないんだよ。」
 唱は私の背後から嘲りを含めて声援した。
「この分なら三日がかりにでもしたら山北までも歩けるかも知れないな。」
「歩けるともさ。三日でも四日でも好いから一層そのまゝ小田原まで……」
 小田原といふのが目的の地だつた。
 径は次第に極まつて、既に遠方の山脈は夕映えに色彩られてゐた。私はもう完全な沈黙を保つて登攀に専念したが、吐き出す息のみが目醒しくて刻々と蝸牛のはかどりに陥入つてゐた。稲妻型の山径の隅々に達する毎に深い息を容れて、水筒を傾けた。だがためらふ間もなく腥※(「月+操のつくり」、第3水準1-90-53)の風に富んだZの生暖い鼻息が濛つと首筋に突つかゝつて来るのに仰天して、私は蛙のやうに逼ひ出さずには居られなかつた。畜生も最早可成りに困憊の泡を吹いてゐると見えて、突つかゝつて来る鼻息は、狐の尾尻にも似た物体的の触感で、その度毎に私の全身は鳥膚に化した。私は総身を震はせて、傷ついた蟷螂のやうに首ばかりを前へ前へと伸すのだが、稍ともすれば草鞋は霜柱に埋つて吸ひつき、他合もなく腰がふらつくのみだつた。まご/\してゐると忽ちZの鼻面は、私の肩の先へ乗り出して、二つの鼻腔から壮烈な蒸汽を迸らせるかと見る間もなく、それは爪先あがりの凍てついた地面に衝突して、壁にあたつたポンプの水のやうに私の面上へハネ返つた。私は惨澹たる目潰しを喰つて、窒息しかゝるのだ。
「そらそら、Zの腹に圧し潰されるよ。もつと速く歩かないと――」
 唱は私やZの惨状を見ぬ振りで、切りと伸びあがつて、もう柚太は唐松の下に到着して枯枝を焚きながら酒を暖めてゐる! などと先ばかりを急がせるのであつた。
 これさへ登つてしまへば今日の難関も最後だ! と私は歯ぎしりして、辛うじてZの顎の下から逼ひ出して蒸汽の目潰しから逃れたかとおもふと、やがて奴の鼻息は三尺も五尺も伸びて私の首筋に襲ひかゝつた。私は思はず亀の子のやうに首を縮めて、何うかして不気味な鼻息の埒外まで脚を伸さうと悶掻くのだが、脚はやがて鉄の棒で容易には持ちあがらうともしないのであつた。
 もう引き返さう/\と投げ出しながらも、わずかに畜生の追撃によつてこゝまで達したのであるが、もう絶体絶命でうか/\すればZの脚の先で蹴り飛ばされるより他はない急坂なのだから、私はもう夢中になつて枯草の茎に獅噛みつき、此処を先途と吐息のピストンを凄まじく必死のピツチに没頭するのであつた。
 登るに随つて、益々径はせばまり、両脇の崖から覆ひ被さつた枯薄の穂がZの横腹を左右から撫でた。Zは私がいたづらに鳥の羽根で鼻腔を突いてやつた時と同様のワラヒ声に似た嘶きを挙げて、連続的に屁を放つた。私は、思はず、ウツ! と息詰ると同時に両掌を重ねて鼻と口を力一杯に圧えた。
「シツ、シツシツ!」
 さすがに唱も此上もなくうろたへて、一気にZの腹を蹴つた。
 峠に近づくに伴れて陽あたりが現れ、あの蒸汽が私の脇下の地面にあたると、霜柱の中には恰度私の草鞋が陥入る程の穴があいた。Zの苦悶も凄惨を極めて、交互に空と地へ向けて吐き出す息の音が、機関車の煙突のやうに騒々しかつた。
 地肌は肉色のアカ土で、穴にかゝつた私の草鞋は霜の地面に実にも筆力雄渾な滝の画を描いた。私は、アツ! といふ間にZの鼻の下に四肢を伸して了つたのである。
 後から唱に聞くところに依ると、先の物体に蹴躓づくまいとあせつて、その動作を見守りながら苛々としてゐた馬の姿の方がはるかに哀れであつたさうだが、その時の奴の意気沮喪の吐息は、私の首根に垂れた鼻腔口腔から止め度もなく生腥い風をもつて、板のやうに私を圧えつけてゐるうちに、終ひには涎の飴がだらだらと私の首筋へ流れ落ちて来たではないか。私は体ぢうを狐の尻尾よりも気味悪いムカデの触手をもつて擽られるおもひであつた。生腥いツララは徐ろに私の背中から腋の下を撫で抜け、胸へと回り、下腹を目がけて触手を伸すのであつた。この拷問こそ私にとつては真に致命的だつた。
 真実私は、あの時の不気味さと息苦しさを回想するなれば、如何程誇大無稽な形容詞をおもひうかべても未だ/\足りぬ煉獄の責苦であつた。あの汚ならしい馬の涎がぢりぢりと身内に流れ込んで来た時のことを思ひ出すと、百万遍でも私は竦つとして、忽ちのうちに轆轤首にでも化けて仕舞ひさうなのである。
 蛙のやうにへたばつた私は、それでも再び起きあがらうとして、霜の上に夥しい勢ひの滝の画を交互の草鞋をもつて二条三条と描くうちに、とうとうZの蹄は私の大腿骨を力任せに踏み潰してしまつた。
 二時間あまりの絶命の後に私は、深い夕靄の中に怪火の如く炎えてゐた焚火の傍らで蘇生した。――昔、私の祖父が山霊の妖気に魂を奪はれて、屡々とその根元で哀れな遊楽の妄想にうつゝを抜かしたと云はるゝ大唐松が独り禿山の頂きに逞ましい腕を張つて巨人の踊りを、髣髴させてゐた。大樹の幹は、東方ひがしかたの平野から吹きあげる千年の風に靡いて、恰も大空の星の壮麗に仰天のあまり、これは/\とばかりに胸をのけ反らせ腕を拡げて呆気にでもとられてゐる姿であつた。私は、蘇生した瞬間、これは未だ見ぬ死の世界の一隅ではないか、何とまあ素晴しい巨人が俺の傍らに立つて、何を驚いてゐるのか? といふやうな心地で同じ彼方の空をうつとりと見あげてゐた。東の空には魚座の星が微かに光つてゐた。行手の町は遥か東の方の未だ見えぬ海のほとりだつた。
 柚太は私を背中につけて、峠を降つた。
「痛いよう/\!」
 私はあらん限りの悲鳴を挙げて「お蕗の骨なほしは御免だよう……」と叫んだ。
「お蕗婆さんでなければ手に負へんわい。否応なく体ぢうを揉ませて、灸を据えたら文句はないんだ。」
 柚太は一散に駆け降るのであつた。
「狐塚が近づいたら泣き声だけは辛棒しておくれ。」
 唱はZの鞍の上から囁くと、颯つと私達を追ひ越して夕靄を衝いて行つた。
「厭だ/\! 按摩は御免だ!」
 私は尚も夢中でさからつたが、柚太の脚どりは切りと宙を飛んで、馬にも負けなかつた。涙に星の光りが砕け、薄あかりの中を駈けてゆくZの後姿が嬉々として踊つてゐるかのやうに私の眼に映つた。自分は一体、成人おとななのか、赤児なのか、それとも、もう人間ではなくなつてゐるのかといふやうな全く得体の知れぬ狂ほしさと悲しさで、精一杯に泣き叫び、私は柚太の横腹を蹴つた。

          *

 あのまゝ死にもしないで息づいてゐる私については、こゝで小説らしく擱筆するまでもなく一言の附記を要するだらう。私は未だに鬼涙の水車小屋で剥製の鳥の中に坐つてゐるだけだつた。それにしてもあの長い冬から、今はもうあたりは夏の景色となつて蛍が飛んでゐるといふのに、たゞ思ひ浮べるのはあれらの嶮しい山径が今も越え難い雪解の深さに遥かである思ひだけで、人間らしい悩みさへも忘却したかのやうである。時々暮しに就いての不平を洩しに現れる柚太の片目が、ぎろりと光つて、私の胸も冷えようとするのだがそれも義眼と気づくと物怯ぢもなく、薄暗がりである故に気づかれもしまいと落ちついて、昼寝の夢に耽る彼のおもてを――ぴかりと視開かれたまなこの光りを、つくりかけの鳥を見るやうに眺めるだけだつた。唱は蛍をあつめて東京の友達へ贈らうとしてゐたが、その間にも鼬を射止めるべく銃を抱へて、まことに殺伐な蛍狩りともつかぬ異様ないでたちだつた。未だ動物は手がけたことはないが、鼬が首尾よく斃されたら、それを手はぢめに動物標本にすゝまうかなどゝ私は期待して窓下の流れの“chatter, chatter”に耳を傾けるだけだつた。片脚は未だに不自由で、稍遠路をとる場合には松葉杖が必要である。もう一羽がそろへば一対になる筈で、あのまゝ居据りを直してない片われの雄の鵞鳥は、相変らず水車が回り出すと直ぐに転げた。そして生き返つてゐる雌鳥は卵を生みはぢめてゐた。

底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
   2002(平成14)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「鬼涙村」芝書店
   1936(昭和11)年2月25日発行
初出:「文藝春秋 第十二巻第八号」文藝春秋社
   1934(昭和9)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年10月4日作成
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