北海道の○○大学は、うしろに農園があって、側面が運動場になっているが、その運動場のはずれから農園にかけて草のどてが続き、そして堤の外は墓場になっていた。
 年代は不明であるが、その大学に、ぼうと云う学生がいた。色の蒼い脊のひょろ長い陰気な青年であった。その学生は何時いつも一人で、校舎や運動場の隅で瞑想にでもけっているようにぽつねんとしていたので、何人たれもその存在を認める者はなかったが、ただ一人Mと云う学生だけがそれを知っていた。と云うのは、Mと其の学生は寄宿舎の寝室が一所であるうえに、寝台が並んでいたがためであった。一行の寝室は二階の奥の部屋であって、そこには六つの寝台が置いてあった。
 そんなことでMは其の学生を知っていたが、ただ朝晩の挨拶をかわすくらいのことで、無論郷里などは知らなかった。知ろうと思ったこともあったが、対手あいてがひどく嫌うようにするから訊いてもみなかった。
 それは霧の深い夜であった。その夜は何故か寝ぐるしかった。そして、やっと眠りかけたところで、微かな物の気配がしたので、Mはそっと眼をその方へやった。室は外の白い霧のために微かに明るかった。そこには学生が皆の寝息を窺いながら、寝台からおりて服をけているところであった。
 Mはどこへ往くつもりだろうと思った。Mはそれに興味を覚えてその後をつけようと思いだした。一方学生は四辺あたりに気を配りながらそっと扉を開けて廊下へ出た。
 それと見てMも上衣うわぎを引っかけて廊下へ出た。学生はうしろを気にするように、時おりり返りながら廊下の行詰ゆきづまりへ往って、それから階段をおりて往った。Mも蝙蝠こうもりのように体を壁へくっつけくっつけして学生を追って往った。階段を降りた処に運動場うんどうばへ出る扉があって、それには錠をおろしてあった。学生はそれには見向きもしないで、扉の端にある下駄箱の上へよじのぼった。下駄箱の上にはあかりとりの横窓があった。そこで学生はまた四辺に注意しておいて、その横窓の硝子扉ガラスどを開けて猫のように這って外へ出たが、それは馴れた身のこなしであった。
 階段の上からそれを見ていたMも、すぐその真似をして外へ出た。外は運動場であった。みると学生は白い霧の中へ黒い影を落しながらどんどん向うの方へ往っていた。そうなるとMも小走に走らなくてはならなかった。そして、どてまで往ったところで学生の姿が見えなくなった。
 堤の向うは墓場であった。Mはそこで奴め墓場で何人たれかと媾曳あいびきでもするのかと思った。Mはますます面白くなったので、堤を越えて墓場へおりた。
 墓場には学生の姿は見えなかった。しかし、墓場以外に往ったと思われないので、Mは石碑と石碑の間を探して歩いたが、どうしても見つからなかった。三十分近くも彼方此方あちこちしてへとへとになったので、一つの大きな石碑の傍へ立って足を休めながら、見るともなしにひょいと前の方を見た。と一けんくらいの処に地を掘りかえしたような処が見えた。Mはそこでこれは葬式をするために掘りかえしたものか、それとも掘ったあとかと思った。その瞬間掘りかえした土の盛りあがりの傍にうずくまっている怪しい物を見つけた。怪しいものは学生であった。学生は微明うすあかるい霧の中に顔を見せた。其の学生の口の周囲には、微赤いどろどろした物が附いていて、それがために口が耳の根まで裂けているように見えた。
「わ」
 Mは夢中になって走った。石碑につまずき石碑を倒した。そして、やっと寄宿舎へ帰って、寄宿舎の扉にぶっつかりながら、
「開けてくれ、開けてくれ」
 と大声で喚きたてたので、寄宿生たちが驚いで[#「驚いで」はママ]起きて来た。Mは舌がこわばって事情を話すこともできないので、そのままじぶんの部屋へ往って寝たが、ねむれるはずがない。Mはやや静まりかけた頭で学生の怪しい行動を考えていたところで、蒲団の端をさっとくられた。そこには学生の蒼褪あおざめきつった顔があった。
「見た、貴様見たのだな」
 Mは気絶してしまった。そして、同室の者に介抱せられて気が注いた時には、もうの学生はいなかった。
 Mは後になって、彼の学生は癩病の系統のあるもので、それには死体が薬になると云う迷信から、そんなことをしていたと云うような噂を耳にした。

底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
   2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社
   1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
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