高橋君は人手に渡ったものか、それとも焼けたものか、人手に渡っていてくれるなら、元へ返らないものでもないが、焼けただれてはどうにもならないと、時おり思いだしては惜しがっていた。ところで翌年の九月になって生面の人が尋ねて来て、彼の千匹猿の鍔を出すとともに、その鍔にからまる因縁話をして、名も告げずに帰って往った。高橋君はその因縁話を次の様に話した。
「不思議な男は青い顔をしながらこう云うのです。私の友人が震災の翌日、丸の内の路傍でこれを拾ったが、あまり珍らしいので持っていると、それからと云うものは、毎晩のように、幾百とも知れぬ猿が枕頭へ来て、きゃっきゃっと鳴いて立ち騒ぐ夢を見るので、ついに神経衰弱になり、私に預かってくれと云うので、何気なく預かりますと、今度は私が、毎晩猿の夢を見てうなされますので、これはてっきり、鍔の祟りだろうから、早速持主に返そうと云うことになり、共箱の蓋によって貴下の名を手がかりに、人に聞きあわしてお届けにあがりましたと云って、名も告げないで、消えるように往ってしまったよ」
底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
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