心して我文学史を読む者、必らず徳川氏文学中になる者の勢力おろそかならざりしを見む。巣林子以前に多く此語を見ず、其尤も盛なるは八文字屋以後にありと云ふべし。彼の所謂いはゆる洒落本しやれほんこんにやく本及び草紙類の作家が惟一ゆゐいつの理想とし、武道の士の八幡摩利支天まりしてんに於けるが如く此粋様を仰ぎ尊みたるの跡、滅す可からず。
 粋様の系統をたづぬれば、平安朝の風雅之れが遠祖なり。語を換へて言へば、日本固有の美術心より自然的屈曲を経てこゝに至りしなり、しかして其尤も近きしんは、戯曲と遊廓とにてありしなり。戯曲の事は他日論ず可ければ此にはきつ。遊廓と粋様の関係に就きては一言するも無益ならざるべし。抑も当時武門の権勢漸く内に衰へて、華美を競ひ遊惰を事とするに及びて、風教を依持す可き者とてはわづかに朱子学を宗とする儒教ありしのみ。而して儒教の風教を支配する事能はざるは、往時以太利イタリー羅馬ローマ教の勢力地に堕ちて、教会は唯だ集会所たるが如き観ありしと同様の事実なり。然るに各藩の執政者にして杞憂きいうある者は法を厳にし、戒をきて、以て風俗の狂瀾をさへぎり止めんと試みけれども、遂に如何いかんともする能はず。外には厳格を装ひたる武士道の勇者も、内は言ひ甲斐なき遊冶郎いうやらうにてありし。泰平と安逸とは人心を駆つて遊蕩に導くは古今歴史上の通弊なり。徳川氏三百年の治世の下に遊廓の勢力甚だ蔓延したりしも、亦たやむを得ざる事実なり。
 勇武の士気漸く衰へ、儒道は僅に一流の人心を抑へ、滔々たる遊蕩の気風世に流るゝに当つて、粋様なる文学上の理想世に出でたり、而して光明を遊廓内に放てり、武士も紳士も此粋様を仰ぎ尊みたり、遊冶社界の本尊仏として、色道修行者の最後の勝利として、此粋様に帰依する者甚だ多かりき。然れども粋様と相照応して共に威光を輝かしたる者こそあれ、そを何と言ふに其頃盛なりし侠客道なり。けだし粋は愛情の公然ならぬより其障子外に発生せしもの、侠は武士道の軟弱になりしより其屏風外に発達せしもの、此二者物異なれども其原因は同様にして、姉と弟との関係あり。然るが故に粋は侠を待つて益※(二の字点、1-2-22)粋に、侠は粋を頼みてます/\侠に、この二者、隠然、宗教及び道教以外に一教門を形成したるが如し。
 粋と侠とは遊蕩の敗風より生じ、遊廓を以てテンプルとなしたる事前に言へるが如し。然れども当時の文学中の最大部分たる洒落本、戯作の類の大に之にあづかりて力ありし事を思はざる可からず。当時の作家はおほむね遊廓内の理想家にして、且つ遊廓塲裡の写実家なりしなり。愛情を高潔なる自然の意義より解釈せず、遊廓内の腐敗せる血涙中より之を面白気に画き出でたる者にて、遊廓内の理想を世に紹介し、世に教導したる者、実に彼等の罪なり。
 粋と侠とは遊廓内に生長したり、而して作家は之を世に教へたり。西鶴其磧きせきよりくだつて近世の春水谷峨の一流に至るまで、多くは全心を注いで此粋と侠とを写さんことをつとめたり。そもそも粋は人の好むところ、侠も人の愛するところ、然れども粋をして必らずしも身を食ふ虫とならしめ、侠をして必らずしも身をそこなふものとならしめしは、先代の作家大に其罪を負はざる可からず。
 りながら、余は粋と侠とを我が文学史よりき去らん事を願ふ者にあらず。先にも言へる如く厳格なる封建制度の下にありて、婬靡を制するちからとては儒教の外になく、宗教の勢力は全く此点に及ぼすところなく、唯だ覚束おぼつかなき礼教の以て万法自然なる恋愛を制抑しつゝありしのみなる世に、かる変体の仏出現ましまして、以て恋愛の衆生を済度したるは、自然の勢なるべし。粋様と侠様とが相聯あひつらなつて、当時の文士の理想となりしも、怪む可き事にはあらず。
 紅葉は当今の欧化主義にさからつて起りし文人なり。純粋の日本思想を以て文壇に重きを持する者なり。われ之を彼が従来の著書に徴して知り、而して「伽羅枕きやらまくら」に対して初めて其説を堅うするを得たり。粋と侠とは従来の諸文士の理想なりしに、今日の紅葉にして鞭を挙げて此問題に進まんとは余の期せざりしところなり。さはれ紅葉は徳川時代の所謂好色文士とは品かはれり、一篇の想膸、好色を画くよりもむしろ粋と侠とを狭き意味の理想にらし出でたりと見るは非か。既に紅葉は廓内の理想家にあらず、而して粋と侠とを写す、必らずしも之を崇拝しての著述にあらずとするも、まさしく粋と侠とを以て主眼となしたるは疑ふ可からざるが如し。余は此書の価直かちを論ずるよりも寧ろ此著の精神をうかゞふを主とするなり。即ち紅葉が粋と侠とを集めて一美人を作り、其一代記をものしたる中に、如何なるがあるを探らんとするなり。
 われかつて粋と恋愛との関係を想ひて惑ひし事あり。そは旧作家の画き出せる粋なる者、真の恋愛とは異なる節多ければなり。粋と恋愛とは何処どこかの点に於て相撞着どうちやくするかに思はるゝは非か。試に少しく之を言はむ。
 恋愛の性は元と白昼の如くなり得る者にあらず。し恋愛の性をして白昼の如くならしめば、古来大作名篇なる者、得難かるべし。恋愛が盲目なればこそ痛苦もあり、悲哀もあるなれ、また非常の歓楽、希望、想像等もあるなれ。「恋と哀は種一つ」と巣林子が歌ひけるも、恋愛が白昼の如くならざるよりの事なり。故に恋愛が人を盲目にし、人を癡愚ちぐにし、人を燥狂にし、人を迷乱さすればこそ、古今の名作あるなれ、而して古今の名作はこゝを以て造化自然のしんに貫ぬくを得て、名作たるを得る所以なり。然るに彼の粋なる者は幾分か是の理にそむきて、白昼の如くなるを旨とするに似たり。盲目ならざるを尊ぶに似たり。恋愛に溺れ惑ふ者を見て、粋は之を笑ふ、総じて迷はざるを以て粋の本旨となすが如し。粋は智に近し、即ち迷道に智を用ゆる者。粋は徳に近し、即ち不道に道を立つる者。粋は仁にちかし、即ち魔境に他をいつくしむ者。粋は義に近し、粋は信に邇し、仮偽界に信義を守る者。すなはち迷へる内に迷はぬを重んじ、不徳界に君子たる可きことを以て粋道の極意とはするならし。之れ即ち恋愛の本性と相背反する第一点なり、すべて恋愛はかくの如き者ならず、粋道は恋愛道に対する躓石しせきならんかし。近く人口に鱠炙くわいしやする文里のはなしの如き、尤も此説を固からしむるに足る可し。
 次に粋道と恋愛と相撞着すべき点は、粋の双愛的ならざる事なり。抑も粋は迷はずして恋するを旨とする者なり、故に他を迷はすとも自らは迷はぬを法となすやに覚ゆ。若し自ら迷はゞ粋の価直既に一歩を退しりぞくやの感あり。迷へば癡なるべし、癡なれば如何にして粋を立抜たてぬく事を得べき。粋の智は迷によりてすでに失ひ去られ、不粋の恋愛につるをこそ粋の落第と言はめ。故にいやしくも粋を立抜かんとせば、文里がなびかぬ者を遂に靡かす迄に心をひそかに用ひて、而して靡きたる後に身を引くを以て最好の粋想とすべし。我も迷はず彼も迷はざる恋も粋なり、彼迷ひ我迷はざる間も或は粋なり、然れども我も迷ひ彼も迷ふ時、既に真の粋にあらず。
 今「伽羅枕」を読むに粋の粋を写さんとせし跡、歴々として見受けらる。佐太夫なる一美形の生涯に想像したるところをこと/″\く此粋に帰す可きにはあらねど、其境界より見れば、即ち世の俗粋をたらかし尽し、世の金銀を砂礫と見做みなし、世の栄華を色道の中に収め尽さんとせし心意気を見れば、彼れの出家前の日々の生涯の半ばは粋道の極意を貫ぬくにありし事知る可し。読者若しつまびらかに「伽羅枕」の後半部を読まば、彼の義気、彼の侠気、彼の毒気とを兼ね合せて、一条の粋抜く可からざるあるを見む。其の田島に対するを見よ、其幼児に対するを見よ、其幸助に嫁して後に、正助のたのみに応じて富四郎を難なく説き伏せたる後、又た正助にも股を喰はせし粋気を見よ。而して最後に猛然悔悟して、横死わうしせしめし三十有余の癡漢の冥福を祈るに至りしを見よ。之れ即ち粋の本性にはあらずや。
 佐太夫始めより真の恋を味はゝざるに似たり。対手とするところ多くは霜頭の老爺にして、自らを盲目とすべきものに会はざりし。な会はざるにあらざるべし、作者の彼を写して粋癖をあらはすや、すでに恋愛と呼べる不粋者を度外視してかゝれるを知らざる可からず。粋癖なる者の、堅固なる恋愛の敵にして、凡てのフレールチーと相伴はざるを表はすを知らざる可からず。粋の凝りたる者には、如何なる者も矢を向くる事能はざるを示せし著者の粋道の理想、高しと言はざる可からず。「義理となさけにはもろくして人一倍の泣虫」(八十五頁)と佐太夫には言はせたれど、この義理と情にも我が粋癖はうち勝つ者なる事は、読者のみ取る余情に任せたり。「佐太夫居常つねに寛濶を好み云々」(八十一頁)と著者は言ひたれども、其寛濶も、粋癖と相戦ひて恐ろしき毒気を吐くことあるをも、読者の見るまゝに任せたり。人生栄枯の大理も読むまゝに読ませたり。好色本として粋を画かず、粋の理想を元として粋を画きたるところ、余が此篇に向つて感ずるところなり。余は此著の価直を論ぜんと試みしにあらず、此著を読み去る間に余が念頭に浮びたる丈の粋の理を摘んで、斯くは筆になしたるのみ、若し粋の本体に至りては他日更に詳論するところあるべし。
(明治二十五年二月)

底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「透谷全集」博文館
   1902(明治35)年10月1日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2006年4月28日作成
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