明年度より秋田図書館においては巡回文庫を開始し、大館(既設)及び能代、大曲、横手(未設)の四郡立図書館に各弐百円を県税より補助せらるることとなりたれば、秋田図書館は、巡回文庫の駐在所を得べく、郡立図書館は、巡回文庫によりて図書の供給を得べく、彼此相待て地方の知識開発上、その益少からざるべし。殊に巡回文庫は、未だ本邦に例なきが故に、今、当事者の調査したる米国巡回文庫中の一節を抄録して、本誌に収めて読者の参考に供す

 一、米国において図書館令を発布したるは、ニユーヨーク州をもって始めとす。千八百三十五年、同州の発布したる同令中には、各小学区は、文庫購入のため、初年度において二十ドル以内、及び、その書函に要する相当の経費を、また次年度よりは、年額十ドル以内を支出することを得る旨の一項あり。千八百七十二年には、更に、市税または町税をもって、無料図書館を設くることを得と規定し、その後州立図書館と市町村立(以下公立と称す)図書館との間に連絡を通し、千八百九十二年以来、学校補助費三万ドルに対し、公立図書館には、毎館二百ドルの割合をもって、年額二万五千ドル(五万円)を補助することとなれり。その補助条件の大要は左のごとし。
一、補助を受けんとする図書館は、州の監督の下に認可図書館として登記を受くべし。
二、図書は、館内において閲覧する場合にも、館外携出の場合にも、公衆に対し、一切無料たるべし。
三、所在地人口の割合に応じ、開館日時数を規定すべし。
四、補助金は、各図書館とも一年二百ドルとす。
五、所在市町村においては、補助金と同額を負担すべく、参考図書館の場合には、倍額を負担すべし。
六、前記金額は、専ら州の認定を経たる図書の購入に充つべし。
 かくのごとくにして、従来の公立図書館は、俄かにその面目を一新し州立図書館よりは請求に応じ、巡回文庫によりて、たえず、有益なる図書を供給し、公立図書館自体もまた、年々四百ドル(参考図書館の場合には六百ドル)の新著を購入し得て、公衆の読書興味を喚起したれば、更に町村いたるところに、公立図書館の新設を促し、ここに州立図書館は、大学拡張(ユニヴアーシテイ、エキステンシヨン)と相待て、学校外教育の至要機関となり、町村における新知識の源泉となれり。
二、米国文庫が、公立図書館と相待て発達し、相待てその用を完くしつつあること、前項既述のごとし。斯道の先達たるニユーヨーク州立図書館長メルヴイル・デユーイ氏いわく、不動公立図書館を各町村に普及せしむるは、固より望ましき限りなれども、選択、その宜しきを得たる巡回文庫により、地方在住者をして最良の図書より得らるべき娯楽と利益とのいかに多大なるかを了解せしめ、これによりてまず図書館に興味を喚起し、図書館の必要を感ぜしむるにしくはなし。
 今、巡回文庫の起源を案するに、千八百八十五年、英国「オツクスフオード」大学において、同大学より派遣せる地方講演に出席すべき学生をして、無料閲覧せしめんがため、有益なる図書、約四十冊を選択して一文庫となし、これを責任ある地方委員の手に附せり。これを英国における大学拡張巡回文庫の由来とす。この英国式巡回文庫の思想は、大学拡張に伴随して、忽ち米国に伝播し、ニユーヨーク州においては、千八百八十九年、三名の委員を挙げてこれを調査せしめ、越えて千八百九十一年、州の事業としてこれを採用するに決し、翌九十二年より着々これを実行し、今や同州大学、学校外教育部には(一)拡張教授(二)研究倶楽部(三)交換(四)巡回文庫(五)公立図書館(六)図書館学校の六部を置き、各種の学校と相並びて、頻に公立図書館を一般公衆に接近せしむるの方法を講じ、専ら巡回文庫をもってこれが媒介となし、これが普及を奨励しつつあり。
 三、巡回文庫は、州立図書館の管理に属す。登記を受けたる州の認定図書館は、その委員の請求により、六ヶ月を限り巡回文庫を設くることを得べく、いまだ公立図書館の設立なき地にありては納税者二十五名の申出により、これを借受けて公立図書館創立の準備に充つることを得べく、学校及研究倶楽部もまたこれを借受くることを得べく、その他、図書を必要とする団体にも、またこれが使用を特許することあり。しかしてその期限は、学校にありては当該学年間、その他の研究会講習会の類にありては、その会期間とし、いづれも、毎二十五冊に対し、手数料として一ドル(弐円)を徴す。目下、ニューヨークにある巡回文庫は、普通専門各種のものを合算するときは、その数五百以上に達すといえり。
 多方面の嗜好に応ずべき各種の図書を借受けんとする者には、同時一文庫以上を使用することを得しめ、かくして将来公立図書館設置の地を作り、歴史、地理、文学、技術、実業等、各種専門に渉る地方団体または研究倶楽部の類には、各その専科に属する文庫を貸付し、もってその発達研究を幇助す。目下、ニューヨークにある研究倶楽部にして、州立図書館より、絶えず、この種の供給を受くるもの三百以上に達せりという。想うに、巡回文庫と研究倶楽部とは、互に相待て今日のごとく発達せること疑うべからず。
 四、以上は、ニューヨーク州における巡回文庫の成績及び現況の一班なり。その他の各州は、いづれも、同州を模範としたるものなれば、概して大同小異なれども、試に一二州の成績を例示せん。「ウイスコンシン」州においても、またニューヨーク州の先例にならい、州の無料図書館会議を組織し、巡回文庫事業を補助することとせり。毎函三十冊をもって[#「もって」は底本では「もつて」]一文庫となし、一文庫ごとに、目録、規則書、貸付帳等を納め、一ヶ年一ドルの手数料を徴し、中央部より地方借受組合に送致す。各組合には、駐在所ステーシヨンを設け、中央部との交渉通信のために書記一名と、文庫の保管並出納のために司書一名とを置くの仕組なり。
 五、同州中にて、無料巡回文庫の貸付を受くる某郡は、人口約二万五千を有すれども、多くは三四百の小部落に散在す。郡中「メノモニー」と称す、人口八千を有する一邑あり。同邑には、既に善美なる一紀念図書館の設置ありて、上院議員スタウト氏もまた現に同館委員の一人なり。然るに氏は遠隔なる村民には同図書館も、絶えて、その要なきを認め、州立無料巡回文庫会議に謀り、自資を抛て「スタウト無料巡回文庫」を組織し、郡内各村を通して巡回せしむるの方法を設けたり。
 六、同州には、目下、百有余の巡回文庫あり。今、同州無料図書館会議の成績報告につき、その利益として列挙せる要点を概括すれば左のごとし。
一、寒村僻邑をして、善良なる図書に接し易からしむ。
二、図書の選択管理を専問家の手に委するが故に安全なり。
三、家屋借料、給料、燃料、燈火に関する経費を要せざるが故に、経済なり。
四、各町村を通して、絶えず、巡回せしむるが故に、公衆の読書趣味を喚起す。
五、巡回文庫駐在所は、知識の新中心なり。
(以下略)
 右の如く列挙したる後、同報告者は更に概括していわく、
要するに巡回文庫は、僻遠の町村住民をして些少し経費にて有益健全なる多数の図書に接することを得しめ、単に、この種の図書に対する興味を喚起するのみならず、その興味の馴致せらるるまで、読書の範囲を制限するの便利あり。……
巡回文庫は日曜、夏期、冬期等の休業なく、昼夜間断なき無月謝の学校にして、老幼男女に鼓吹と教訓と娯楽とを与えしかもその課程は、庖厨にある妻君にも、田圃にある農夫にも、工場にある職工にも、学校にある教師にも、病室にある患者にも、運動場にある児童にも、市町村の[#「市町村の」は底本では「市村町の」]教職にある公民にも、洽く通せさる所なし。……
一般人民のために、至大の便益を与うるものは、要するに、少数の大図書館にあらずして、小規模なる数多の巡回文庫なり。……
 七、「ニユー、ジエルシー」巡回文庫は、きわめて近年の創立に係り、却て参考に供すべきがごとし。千八百九十九年創立当時の計画にては、まず五十冊よりなれる文庫二十函を購入することとし、州立図書館長これが管理の任に当り、町村の申出によりこれが貸出に応ずることとし、これが貸付を得たる地方委員と地方図書館員とをして、文庫に対する一切の責に任せしめ、借受後、六ヶ月を経れば、これを返納して他の引換を求むる仕組なり。しかして州においては、文庫使用の利益を受くる町村より、毎年五ドルを徴収して、文庫維持の経費に充て、しかして文庫を借受けたる町村においては、その図書を個人に貸付するには、その返納期日を誤りたる者に対し、一般の規程に依り、過料を徴収するの他、全て無料なるべく、しかして、此巡回文庫は、古今の小説、伝記、歴史、紀行、と理学及び文学とよりなれりという。
 八、要するに、巡回文庫はニユーヨークを中心として創設せられ、漸次「マッサチューセッツ」、「ウイスコンシン」、「ミシガン」、「ペンシルヴェニヤ」、「メリーランド」、「オハヨー」、諸州に普及して、既に争うべからざる成績を得たり。今、ニユーヨーク巡回文庫その他の組織中、共通または著しく近似せる点を挙くれば左のごとし。
一、選択せる二十五、三十、五十または百冊をもって一文庫と称し、これを堅牢にして運搬に耐うべく、兼ねて駐在所において、そのまま、使用するに耐うべきよう装置すること。
二、巡回文庫は、主として、州立図書館の管理に属すること。
三、巡回文庫を使用し得べきものは、(一)公立図書館、(二)公立図書館の設置なき町村にありては納税者若干名の連署申出により、(三)学校、(四)研究会、講習会等なること。
四、使用期限は場合により、三ヶ月または六ヶ月とし、その期に至れば、これを返納して、更に他の文庫と交換すること。
五、借り受けたる文庫に対しては、公立図書館、学校、町村、その他の団体にて、特に委員を設け、またはその管理者をして、一切の責に任せしむること。
六、巡回文庫の購入は、全て、州費支弁にして、これを受けたる図書館または町村より、これを個人に貸付するには、全て無料なれども、往復その他の諸経費に充つるため、借受町村また図書館より、毎文庫若干の手数料を徴するあり、あるいは、州税を課するあり。
七、図書館または町村等において、巡回文庫を個人に貸付ける期限は、文庫駐在期日の長短と駐在地人口の多寡とにより一定せざれども、その返納期日を誤りたる場合には、過料の制裁あり。

底本:「個人別図書館論選集 佐野友三郎」日本図書館協会
   1981(昭和56)年9月7日第1刷発行
初出:「秋田県教育会雑誌 第一一五号」
   1902(明治35)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:小林繁雄
2007年12月1日作成
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