雲は海をあっし海は雲をける。ぼうぼうたる南太平洋の大海原に、もう月もなければ星もない。たけりくるう嵐にもまれて黒暗々たる波濤のなかを、さながら木の葉のごとくはしりゆく小船がある。時は三月の初旬、日本はまだ寒いが、南半球は九月のごとくあたたかい。
船は一上一下、奈落の底にしずむかと思えばまた九天にゆりあげられる、嵐はますますふきつのり、雷鳴すさまじくとどろいていなづまは雲をつんざくごとに毒蛇の舌のごとくひらめく。この一閃々々の光の下に、必死となってかじをとりつつある、四人の少年の顔が見える。
みよしに近く立っているのは、日本の少年大和富士男である。そのつぎにあるは英国少年ゴルドンで、そのつぎは米国少年ドノバンで、最後に帆綱をにぎっているのは、黒人モコウである。
富士男は十五歳、ゴルドンは十六歳、ドノバンは十五歳、モコウは十四歳である。
とつぜん大きな波は、黒雲をかすめて百千の猛獣の群れのごとく、おしよせてきた。
「きたぞ、気をつけい」
富士男はさけんだ。
「さあこい、なんでもこい」
とゴルドンは身がまえた。同時に百トンの二本マストのヨットは、さかしまにあおりたてられた。
「だいじょうぶか、ドノバン」
富士男は暗のなかをすかして見ながらいった。
「だいじょうぶだ」
ドノバンの声である。
「モコウ! どうした」
「だいじょうぶですぼっちゃん」
モコウは帆綱にぶらさがりながらいった。
「もうすこしだ、がまんしろ」
富士男はこういった、だがかれは、じっさいどれだけがまんすれば、この嵐がやむのかが、わからなかった。わからなくても戦わねばならぬ、自分ひとりではない、ここに三人がいる、船底にはさらに十一人の少年がいる、同士のためにはけっして心配そうな顔を見せてはならぬのだ。
かれは大きな責任を感ずるとともに、勇気がますます加わった。
このとき、船室に通ずる階段口のふたがぱっとあいて、二人の少年の顔があらわれた。同時に一頭のいぬがまっさきにとびだしてきた。
「どうしてきた」と富士男は声をかけた。
「富士男君、船がしずむんじゃない?」
十一、二歳の支那少年善金はおずおずしながらいった。
「だいじょうぶだ、安心して船室にねていたまえ」
「でもなんだかこわい」
といまひとりの支那少年伊孫がいった。
「だまって眼をつぶってねていたまえ、なんでもないんだから」
このときモコウはさけんだ。
「やあ、大きなやつがきましたぜ」
というまもなく、船より数十倍もある大きな波が、とものほうをゆすぶってすぎた。ふたりの支那少年は声をたててさけんだ。
「だから船室へかえれというに、きかないのか」
富士男はしかるようにいった、善金と伊孫はふたたび階段のふたの下へひっこんだ、とすぐまたひとりの少年があらわれた。
「富士男君、ぼくにもすこしてつだわしてくれ」
「おうバクスター、心配することはないよ、ここはぼくら四人で十分だから、きみは幼年たちを看護してくれたまえ」
仏国少年バクスターはだまって階段をおりた。嵐は刻一刻にその勢いをたくましゅうした。船の名はサクラ号である。ちょうどさくらの花びらのように船はいま波のしぶきにきえなんとしている。とものマストは二日まえに吹き折られて、その根元だけが四尺ばかり、甲板にのこっている、たのむはただ前方のマストだけである、しかもこのマストの運命は眼前にせまっている。
海がしずかなときには、ガラスのようにたいらな波上を、いっぱいに帆を張って走るほど、愉快なものはない。だがへいそに船をたすける帆は、あらしのときにはこれほど有害なものはない、帆にうける風のために船がくつがえるのである。
だが、十六歳を頭にした十五人の少年の力では、帆をまきおろすことはとうていできない。見る見るマストは満帆の風に吹きたわめられて、その根元は右に動き左に動き、ギイギイとものすごい音をたてる。もしマストが折れたら船には一本のマストもなくなる、このまま手をむなしくして、波濤の底にしずむのをまつよりほかはないのだ。
「もう夜が明けないかなあ」
ドノバンがいった。
「いや、まだです」
と黒人のモコウがいった。そうして四人は前方を見やった。海はいぜんとしてうるしのごときやみである。
とつぜんおそろしいひびきがおこった。
「たおれたッ」とドノバンがさけんだ。
「マストか?」
「いや、帆が破れたんだ」
とゴルドンがいった。
「それじゃ帆をそっくり切りとらなきゃいかん、ゴルドン、きみはドノバンといっしょに、ここでハンドルをとってくれたまえ、ぼくは帆を切るから……モコウ! ぼくといっしょにこいよ」
富士男は、こういって決然と立った。かれはおさないときから父にしたがって、いくたびか、シドニーとニュージーランドのあいだを航海した。そのごうまいな日本魂と、強烈な研究心は、かれに航海上の大胆と知識をあたえた。十四人の少年が、かれをこのサクラ号の指揮者となしたのも、これがためである。モコウはおさないときに船のボーイであったので、これも船のことにはなれている。
ふたりは前檣の下へきて、その破損の個所をあらためてみると、帆は上方のなわが断れているが、下のほうだけがさいわいに、帆桁にむすびついてあった。ふたりは一生けんめいに、上辺のなわを切りはなした。帆は風にまかせて半空にひるがえった。ふたりはようやくそれをつかんで、下から四、五尺までの高さに帆桁をおろし、帆の上端を甲板にむすびつけた。これで船は風に対する抵抗力が減じ、動揺もいくぶんか減ずるようになった。
ふたりがこの仕事をおわるあいだ、ずいぶん長い時間を要した。大きな波は、いくどもいくどもふたりをおそうた。ふたりは帆綱をしっかりとにぎりながら、危難をさけた。
仕事がおわってふたりはハンドルのところへ帰ると、階段の口があいて、そこからまっ黒な髪をして、まるまるとふとった少年の顔があらわれた。それは富士男の弟次郎である。
「次郎、どうしてきた」
と兄はとがめるようにいった。
「たいへんだたいへんだ、兄さん、水が船室にはいったよ」
「ほんとうか」
富士男はおどろいて階段をおりた。もし浸水がほんとうなら、この船の運命は五分間でおわるのである。
船室のまんなかの柱には、ランプが一つかかってある。そのおぼつかないうすい光の下に、十人の少年のすがたをかすかに見ることができる。ひとりは長いすに、ひとりは寝台に、九歳や十歳になる幼年たちは、ただ恐怖のあまりに、たがいにだきあってふるえている。富士男はそれを見ていっそう勇気を感じた。
「このおさない人たちをどうしても救わなきゃならない」
かれはこう思って、わざと微笑していった。
「心配することはないよ、もうじき陸だから」
かれはろうそくをともして室内のすみずみをあらためた、いかにも室内にすこしばかりの水たまりができている、船の動揺につれて水は右にかたむき左にかたむく。だが、それはどこからはいってきたのかは、いっこうにわからない。
「はてな」
かれは頭をかしげて考えた。するとかれはこのとき、海水にぬれた壁のあとをおうて眼をだんだんに上へうつしたとき、水は階段の上の口、すなわち甲板への出入り口から下へ落ちてきたのだとわかった。
「なんでもないよ」
富士男は一同に浸水のゆらいを語って安心をあたえ、それからふたたび甲板へ出た。夜はもう一時ごろである。天はますます黒く、風はますますはげしい。波濤の音、船の動く音、そのあいだにきこえるのは海つばめの鳴き声である。
海つばめの声がきこえたからといって、陸が近いと思うてはならぬ、海つばめはおりおりずいぶん遠くまで遠征することがあるものだ。
と、またもやごうぜんたる音がして、全船が震動した、同時に船は、木の葉のごとく巨濤の穂にのせられて、中天にあおられた。たのみになした前檣が二つに折れたのである。帆はずたずたにさけ、落花のごとく雲をかすめてちった。
「だめだ」とドノバンはさけんだ。「もうだめだ」
「なあにだいじょうぶだ、帆がなくてもあっても同じことだ、元気で乗りきろう」
と富士男はいった。
「いいあんばいに追風になりました。一直線にゆくことができます」とモコウはいった。
「だが、気をつけろよ、船より波のほうが早いから、うしろからかぶさってくる波にからだをさらわれないように、帆綱にからだをゆわえつけろよ」
富士男のことばがおわるかおわらないうちに、大山のごとき怒濤が、もくもくとおしよせたかと見るまに、どしんと甲板の上に落ちかかった。同時にライフ・ボート三せき、ボート二せきと羅針盤をあらいさり、あまる力で船べりをうちくだいた。
「ドノバン、だいじょうぶか?」
富士男はころびながら友を案じていった。
「ああだいじょうぶだ。ゴルドン!」
「ここにいるよ、モコウは?」
モコウの声はない。
「おやッ、モコウは?」
富士男は立ちなおってさけんだ。
「モコウ! モコウ! モコウ!」
よべどさけべど、こたうるものは、狂瀾怒濤のみである。
「波にさらわれた!」
ゴルドンはふなばたから下を見おろしていった。
「なんにも見えない」
「救わなきゃならない、浮き袋と縄を投げこめよ」と富士男はいった、そうしてまたさけんだ。
「モコウ! モコウ!」
どこからとなくうなり声がきこえた。
「た、た、助けて!」
「おうモコウ!」
声はみよしのほうである、みよしは波にへりをくだかれてから、だれもゆくことができなくなった。
「みよしだ、ぼくはゆかなきゃならん」
富士男はいった。
「あぶないよ」
とドノバンがいった。
「あぶなくてもゆかなきゃならん」
モコウは富士男の家につかわれている小僧で、昔ふうにいえば、主従の関係である、だが富士男は、モコウをけっして奴隷的に見なしたことはない。かれは白皙人も黄色人も黒人も、人間はすべて同一の自由と権利をもち、おたがいにそれを尊敬せねばならぬと信じている。世界の人種は平等である、人種によって待遇を別にしてはならぬ。これはかれが平素その父から教えられたところである。かれはモコウに対しても、いつも親友の愛情をそそいでいる。
友を救うためには、自己の危難をかえりみるべきでない、義侠の血をうけた富士男の意気は、りんぜんとして五体にみちた。かれは面もふらずまっすぐに、甲板の上をつたいつたい船首のほうへ走った。
「モコウ! モコウ!」
返事がない。
「モコウ! モコウ!」
声はしだいに涙をおびた。とかすかなうなり声がふたたびきこえた。
「モコウ!」
富士男は声をたよりに巻きろくろとみよしのあいだにあゆみよった。
「モコウ!」
一度きこえたうなり声はふたたびきこえなくなった。
「モコウ!」
声のかぎりさけびつづけてみよしへ進まんとした一せつな、かれはなにものかにつまずいて、あやうくふみとどまった。
「ううううう」
つまずかれたのは、モコウのからだであった。
「モコウ! どうした」
富士男は喜びのあまりだきついた。モコウは巨濤にうちたおされたひょうしに、帆綱[#ルビの「ほづな」は底本では「ほずな」]にのどをしめられたのであった、かれはそれをはずそうともがくたびに、船の動揺につれて、綱がますますきつくひきしまるので、いまはまったく呼吸もたえだえになっていた。
「待て待て」
富士男はナイフを出して帆綱を切った。
「ああ、ありがとう」
モコウは富士男の手をかたくにぎったが、あとは感謝の涙にむせんだ。
ふたりはハンドルの下に帰った、だが嵐はいつやむであろうか。
南半球の三月は北半球の九月である。夜が明けるのは五時ごろになる。
「夜が明けたらなんとかなるだろう」
少年たちの希望はただこれである、荒れに荒れくるう黒暗々の東のほうに、やがて一曳の微明がただよいだした。
「おう、夜が明けた」
一同が歓喜の声をあげた。あかつきの色はしだいに青白くなり、ばら色になり、雲のすきますきまが明るくなると、はやてに吹きとばされるちぎれ雲は、矢よりもはやく見える。
だが第二の失望がきた。夜は明けたが濃霧が煙幕のごとくとざして、一寸先も見えない、むろん陸地の影など、見分くべくもない。しかもいぜんとして風はやまぬ。
四人の少年はぼうぜんとして甲板に立った。かれらはいよいよ絶望の期がせまったと自覚した。
そのときモコウは大きな声でさけんだ。
「陸だ! 陸だ!」
「何をいうかモコウ」とドノバンは笑った。じっさい、べきべきたる濃霧の白一白よりほかは、なにものも見えないのである。
「モコウ、きみの気のせいだよ」
「いやいや」
とモコウは頭をふって、東のほうを指さした。
「陸です、たしかに」
「君の眼はどうかしてるよ」
「いや、ドノバン、霧が風に吹かれてすこしうすくなったとき、みよしのすこし左のほうをごらんなさい」
このとき煙霧は風につれて、しだいしだいに動きだした。綿のごとくやわらかにふわふわしたもの、ひとかたまりになって地図のごとくのびてゆくもの、こきものは淡墨となり、うすきものは白絹となり、疾きものはせつなの光となり、ゆるきものは雲の尾にまぎれる、巻々舒々、あるいは合し、あるいははなれ、呼吸がつまりそうな霧のしぶきとなり、白紗のとばりに夢のなかをゆく夢のまた夢のような気持ちになる。
霧が雨になり、雨が霧になり、雨と霧が交互にたわむれて半天にかけまわれば、その下におどる白泡の狂瀾がしだいしだいに青みにかえって、船は白と青とのあいだを一直線にすすむ。
「おう、陸だ」
富士男はさけんだ。見よ、煙霧の尾が海をはなるる切れ目の一せつなに、東の光をうけてこうごうしくかがやける水平線上の陸影! 長さ約八キロもあろう。
「陸だ! 陸だ!」
声は全船にあふれた。
「ラスト・ヘビーだ!」
船はまっすぐに陸をのぞんで走った。
近づくままに熟視すると、岸には百丈の岩壁そばだち、その前面には黄色な砂地がそうて右方に彎曲している、そこには樹木がこんもりとしげって、暴風雨のあとの快晴の光をあびている。富士男は甲板の上からしさいに観察して、いかりをおろすべきところがあるやいなやを考えた。だが岸には港湾らしきものはない、なおその上に砂地の付近には、のこぎりの歯のような岩礁がところどころに崛起して、おしよせる波にものすごい泡をとばしている。
富士男はそこで、船室にひそんでいた十一人の少年たちを、甲板に集めることにした。
「おい、みんなこいよ」
少年たちはおどりあがって喜んだ。まっさきにのぼってきたのは猟犬フハンである。そのつぎには富士男の弟次郎、それから支那少年善金と伊孫、イタリア少年ドールとコスターの十歳組、そのつぎにはフランス少年ガーネットとサービス、そのつぎにはドイツ少年ウエップとイルコック、おわりに米国少年グロースがのぼってきた。かれらはいちように手をあげて万歳をとなえた。
午前六時、船はしずかに岸辺についた。
「気をつけろよ、岩が多いから乗りあげるかもしらん、そのときにあわてないように、浮き袋をしっかりとからだにつけていたまえ」
富士男は人々に注意した。するすると船は進んだ、とつぜんかすかな音を船底に感じた。
「しまった!」
船ははたして暗礁に乗り上げたのであった。
「モコウ、どうした」
「乗りあげましたが、たいしたことはありません」
じっさいそれは不幸中のさいわいであった、船は暗礁の上にすわったので、外部には少しぐらいの損傷があったが、浸水するほどの損害はなかった、だが動かなくなった船をどうするか。
船はなぎさまではまだ三百二、三十メートルほどもある、ボートはすべて波にさらわれてしまったので、岸へわたるには、ただ泳いでゆくよりほかに方法がない、このうち二、三人は泳げるとしても、十歳や十一歳の幼年をどうするか。
富士男はとほうにくれて、甲板をゆきつもどりつ思案にふけっていた。とこのときかれはドノバンが大きな声で何かののしっているのをきいた。なにごとだろうと富士男はそのほうにあゆみよると、ドノバンはまっかな顔をしてどなっていた。
「船をもっと出そうじゃないか」
「乗りあげたのだから出ません」
とモコウはいった。
「みんなで出るようにしようじゃないか」
「それはだめです」
「それじゃここから泳いでゆくことにしよう」
「賛成賛成」
他の二、三人が賛成した。もう海上を長いあいだ漂流し、暴風雨と戦って根気もつきはてた少年どもは、いま眼前に陸地を見ると、もういても立ってもいられない。
「泳いでゆこう」
とドイツのイルコックがいった。
「ゆこうゆこう」
「待ってくれたまえ」と富士男は、少年どもの中へわってはいった。
「そんな無謀なことをしてもしものことがあったらどうするか」
「だいじょうぶだ、ぼくは三キロぐらいは平気だから」とドノバンがいった。
「きみはだいじょうぶでも、ほかの人たちはそうはいかんよ、君にしたところでたいせつなからだだ、つまらない冒険はおたがいにつつしもうじゃないか」
「だが、向こうへ泳ぐくらいは冒険じゃないよ」
「ドノバン! きみにはご両親がある、祖国がある、自重してくれたまえ」
「だがこのままにしたところで、船はだんだんかたむくばかりじゃないか、だまって沈没を待つのか」
「そうじゃないよ、いますこしたてば干潮になる、潮が引けばあるいはこのへんが浅くなり、徒歩で岸までゆけるかもしらん、それまで待つことにしようじゃないか」
「潮が引かなかったらどうするか」
「そのときには別に考えることにしよう」
「そんな気の長い話はいやだ」
ドノバンはおそろしいけんまくで、富士男の説に反対した。がんらいドノバンはいかなるばあいにおいても、自分が第一人者になろうという、アメリカ人特有のごうまんな気性がある。かれはこのために、これまで富士男と衝突したのは、一、二度でなかった、そのたびごとにドノバンのしりおしをするのは、イルコック、ウエップのふたりのドイツ少年と、米国少年グロースであった。
かれらは航海のことについては、富士男やゴルドンほどの知識がなかった。だから海上に漂流しているあいだは、なにごとも富士男の意見にしたがってきたが、いま陸地を見ると、そろそろ性来のわがままが頭をもたげてきたのである。
かれら四人は、ふんぜんと群れをはなれて甲板の片すみに立ち、反抗の気勢を示そうとした。
「待ってくれたまえドノバン」
と富士男はげんしゅくな声でいった。
「ねえドノバン! きみはぼくを誤解してるんじゃないか、ぼくらは休暇を利用して近海航行を計画したときに、たがいにちかった第一条は、友愛を主として緩急相救い、死生をともにしようというのであった、もしわれわれのなかでひとりで単独行為にいずるがごとき人があったら、それはその人の不幸ばかりでなく、わが少年連盟の不幸だ、いまの時代は自己一点張りでは生きてゆけない、少年はたがいにひじをとり、かたをならべて、共同戦線に立たねばならぬのだ、ひとりの滅亡は万人の滅亡だ、ひとりの損害は万人の損害だ、われわれ連盟は日本英国米国ドイツイタリアフランス支那インド、八ヵ国の少年をもって組織された世界少年の連盟だ、われわれはけっして私情をはさんではいけない、もしぼくが私情がましき行為があったら、どうか断乎として、僕を責めてくれたまえ、ねえドノバン」
「わかったよ、だがきみは、なにもぼくらの自由を束縛するような、法律をつくる権利がないじゃないか?」
ドノバンはいまいましそうにいった。
「権利とか義務とかいうのじゃないよ、ただぼくは、共同の安全のためには、おたがいに分離せぬように心を一にする必要があるというだけだ」
「そうだ、富士男の説は正しい」
と、へいそ温厚な英国少年ゴルドンがいった。
「そうだそうだ」
幼年どもはいっせいにゴルドンに賛成した。
「ねえきみ、気持ちを悪くしてくれるなよ」
富士男はドノバンにいった、ドノバンは、それに答えなかった。
そもそもこの陸は大陸のつづきであるか、ただしは島であるか、第一に考えなければならないのは、この問題である。富士男は北に高い丘をひかえ、岩壁の下に半月形にひらけた砂原を見やっていった。
「陸には一すじの煙も見えない、ここには人が住んでないと見える」
「人が住まないところに、舟が一そうだってあるものか」
とドノバンは冷笑した。
「いやそうとはいえまい」とゴルドンは思案顔に「昨夜の嵐におそれて舟が出ないのかもしらんよ」
三人が議論をしているあいだに、他の少年たちはもう上陸の準備にとりかかった。固パン、ビスケット、ほしぶどう、かんづめ、塩や砂糖、ほし肉、バタの類はそれぞれしばったり、つつんだり、袋にいれたり、早く潮がひけよとばかり待っていた。七時になった。だがいっこう潮が引かない、そのうえに船はますます左にかたむいて、左舷はがっくりと水に頭をひたした。
「だめだ」
黒少年モコウはあわただしくさけんだ。それと同時に船首のほうに立った仏国少年バクスターの口から、大きなさけびがおこった。
「しめたッ」
だめという声と、しめたという声! 人々はなんのことだかわからなかった。
「ボートがあるよ」
バクスターはふたたびさけんだ。
「ボート?」
少年たちの眼は急にいきかえった。かれらは一度に船首に走った。
「あれ! あれだ」
いかにもバクスターのいうごとく、海水にあらいさられたと思った一せきのボートは、みよしのささえ柱のあいだにやっとはさまってぶらさがっていた。
「もうしめたぞ」
いままで沈黙していたドノバンは、まっさきにボートのほうへ走った。イルコック、ウエップ、グロースの三人はそれにつづいた。四人はえいえい声をあわしてボートを海上におろそうとした。
「それをどうするつもりか」
と富士男は声をかけた。
「何をしたっていいじゃないか」
とドノバンはふたたびけんかごしにいった。
「きみらはボートをおろすつもりなのか」
「そうだ、だがそれをとめる権利はきみにないはずだ」
「とめやしないが、ボートをおろすのはかってだが、きみらだけ上陸して、ほかの少年をすてる気ではあるまいね」
「むろんすてやしないよ、ぼくらが上陸してからだれかひとり、ボートをここへこぎもどして、つぎの人を運ぶつもりだ」
「それならまず第一に、いちばん年の少ない人たちから上陸さしてくれたまえ」
「それまでは干渉されたくないよ、小さい人たちを上陸さしたのでは役にたたない、まずぼくが先にいって陸地を探検する」
「それはあまりに利己主義だ、おさない人たちを先に救うのは、人道じゃないか」
「人道とはなんだ」
ドノバンはかっとなってつめよった。へいそなにごともドノバンにゆずっている富士男も、ドノバンの幼年者に対する無慈悲な挙動を見ると、心の底から憤怒のほのおがもえあがった。
「きみはぼくのいうところがわからんのか」
富士男はしっかりと腰をすえて、ドノバンが手を出すが最後、電光石火に、甲板の上にたたきのめしてやろうと身がまえた。
「待ってくれ待ってくれ、ドノバン、きみは悪いぞ、ボートは幼年者のものだ、年長者はいかなるばあいにも、年少者のぎせいにならねばならぬとは、昔からの紳士道じゃないか」
ゴルドンはこういって、ドノバンを制した。そうして富士男を片すみにひいてゆきながらささやいた。
「きみ、ボートは危険だ、あれを見たまえ、潮はひいたが暗礁だらけだ、あれにかかるとボートはこなみじんになってしまうぞ」
「そうだ」
富士男はがっかりしていった。
「このうえはただ一つの策があるばかりだ」
「どうすればいいか」
ゴルドンは心配そうに富士男の顔をみつめた。
「だれかひとり、綱を持ってむこうの岸へ泳ぎつき、船と岸の岩に綱を張り渡すんだ、それから、年長者は一人ずつ幼年者をだいて、片手に綱をたどりながら岸へ泳ぎつくんだ」
「なるほど、それよりほかに方法がないね」
「では、そういうことにきめるか」
「だが、だれが第一番に綱を持って、むこうへ泳ぎつくか」
「むろんぼくだ」
富士男は快然として自分の胸をたたいた。
「きみが?」
ゴルドンの眼はきらきらとかがやいたが、やがて熱い涙がぼとぼととこぼれた。
「ドノバンは幼年者からボートを取ろうという、きみは幼年者のためにいちばんむずかしい役をひきうけようという、ぼくははじめて日本少年の偉大さを知ったよ」
「このくらいのことは、ぼくの国の少年は、ふつうになっているんだ、そんなことはとにかくとして、綱の用意をしてくれたまえ」
富士男は上着をするするとぬいだ。
探検
いまこの南太平洋を漂流しつつある少年たちをもっとくわしく読者に紹介したいと思う。
諸君は世界の地図をひらくと、ずっと下のほうに、胃袋のような形をした、大きな島を見ることであろう、これはオーストラリアである。この島から右方のすこし下のほうに、ちょうど日本の形ににた島を見るであろう、これはニュージーランド島である。この島から西方に、無数の小さな島がまめのごとくちらばっている、この群島は、南緯三十四度から、四十五度のあいだにあるもので、北半球でいえば、ちょうど、日本やフランスと同じていどの位置である。
少年連盟が風雨と戦いつつあるところは、すなわちこの群島の圏内である。このへんの正月は日本の七月ごろに相当する、かれらはことごとくニュージーランドに住む商人や官吏の子である。ニュージーランドの首府オークランド市に、チェイマン学校という学校がある。この学校は寄宿制度であって、幼年から少年までを収容して、健全剛毅なる教育をほどこすのである。
されば全校の気風は勇気にとみ、また慈愛と友情にあつく、年長者は年少者を、弟のごとく保護し、年少者はまた、年長者を兄のごとく尊敬する。
がんらいこの一帯は英国の領地であるが、群島のうちには、仏領もあり米領もある。日本はこのうちの一島をも有せぬ、しかし進取の気にとむ日本人は、けっしてこの島をみのがすようなことはなかった。商人はどしどし貿易の途をひらく、学者工業家漁業家も、日本からゆくものしだいに増加しつつある。
大和富士男と次郎の父は、日本から招聘せられた工学者で、この島へきてからもはや、二十年の月日はすぎた、かれは温厚のひとでかつ義侠心が強いところから、日本を代表する名誉の紳士として、一般の尊敬をうけている。その子の富士男はことし十五歳、学校はいつも優等であるうえに、活発で明るく、年少者に対してはとくに慈愛が深いところから、全校生徒が心服している。弟の次郎はやっと十歳で、こっけいなことといたずらがすきであるが、船が本土をはなれてから急にだまりこんで、ちがった人のようになった。
このふたりの兄弟を主人として、忠実につかえているのは、モコウという黒人の子である。モコウは両親もなき孤児で船のコックになったり、労役の奴隷になったりしていたが、富士男の父に救われてから幸福な月日をおくっている。
ところが人心はその面のごとし、十人よれば十人ともその心が同一でない、同じ友だちのドノバンは、なにからなにまで、富士男に反対であった。日本のことばにアマノジャクというのがある、他人が白といえば黒といったり、他人が右へいこうというと、イヤぼくは左へゆくといったり、いつも他人に反対して、自分のわがままをつらぬこうとする。ドノバンはいわゆるアマノジャクで、そのごうまんな米国ふうの気質から、いつも富士男を圧迫して自分が連盟の大将になろうとするくせがある。富士男が一同に尊敬せらるるのを見ると、かれは嫉妬にたえられぬのであった。
このいとうべき性癖があるドノバンに、なにからなにまで敬服しているのは、そのいとこのグロースであった。グロースはなんでも他人に感服するくせがある。かれには自分の考えというものはなく、ただドノバンのいうがままにしたがうのである。
この三人は同年で十五歳だが、いま一人、十六歳の少年ゴルドンがある、かれは英国人の子で、幼にして両親にわかれ、いまでは他人の手にそだてられているが、天稟の正直と温和で謙遜で冷静な点において、なんぴとからも尊敬せられ、とくに富士男とは親しいあいだがらである。
その他の少年をいちいち紹介するために、国籍と年齢を左に略記する。
日本 大和富士男(一五) 同弟次郎(一〇)
アメリカ ドノバン(一五) グロース(一五)
イギリス ゴルドン(一六)
フランス ガーネット(一四) サービス(一四) バクスター(一四)
ドイツ ウエップ(一四) イルコック(一五)
イタリア ドール(一〇) コスター(一〇)
シナ 善金(一一) 伊孫(一一)
インド モコウ(一四)
猟犬 フハン
船の名はサクラ号である。それは、富士男の父の所有する、スクーナーと称する帆船で、この団体は夏期休暇を利用して、近海航行についたのが暴風雨になやまされて、東へ東へと流されたのであった。アメリカ ドノバン(一五) グロース(一五)
イギリス ゴルドン(一六)
フランス ガーネット(一四) サービス(一四) バクスター(一四)
ドイツ ウエップ(一四) イルコック(一五)
イタリア ドール(一〇) コスター(一〇)
シナ 善金(一一) 伊孫(一一)
インド モコウ(一四)
猟犬 フハン
サクラ号がゆくえ知れなくなったとき、一行の父兄たちは、死に物ぐるいになって捜索をはじめたが、なんの手がかりもえなかった。一ヵ月後にサクラ号としるした船尾の板が、ある海岸に漂着したので、父兄たちはもう捜索の絶望を感じた。
市の人々は、涙ながらに少年たちの追善をやっているとき、富士男はサクラ号のふなばたに立って、きっと泡だつ怒濤をみつめていた。
平和な海面なら、綱を持って対岸まで泳ぎつくことは、至難でない、だが嵐のあとの海は、まだ獰悪である。幾千とも知れぬ大岩小岩につきあたる波は、十丈の高さまでおどりあがっては、瀑のごとく落下し、すさまじい白い泡と音響をたてて、くだけてはちり、ちってはよせる。
おそろしい怒濤の力! もしそれにひかれて岩角にたたきつけられたら、富士男のからだはこっぱみじんになる。
「兄さん、いっちゃいけない」
と次郎は兄のそばへ走ってさけんだ。
「いいよ、心配すな、次郎!」
富士男はわざと微笑をむけて、弟の頭をなでた。
「だいじょうぶかえ」
とゴルドンはいった。
「やるよりしようがない、これが最善の道だと考えた以上は、死んでもやらなきゃならない」
「しかし……」
「ゴルドン、安心してくれたまえ、ぼくは父からきいたが、日本のことわざに、『義を見てなさざるは勇なきなり』というのがあるそうだ」
富士男は綱をくるくるとからだにまきつけた。
「よしッ、いってくれ」
とゴルドンはいった、その声がおわらぬうちに、富士男はざんぶと水におどりこんだ。
「やった!」
一同はふなばたに立って、富士男のすがたをみつめた、富士男はみごとに抜き手をきって泳ぎだした。
「だいじょうぶ? ゴルドン?」
と次郎はまっさおになってきいた。
「ああたぶん……」
ゴルドンは富士男のすがたからすこしも眼をはなさずにいった。そうして綱をするすると送りだした。だがかれはこのとき思わず「あっ」と声をあげた。
いましも富士男の行く手に、むくむくとふくれあがった、巨大な波が見えた、風は引き潮とあいうって、巨大な波のうしろに、より巨大な波がおそいかけている。しかもそれは、岩と岩のあいだを通ってくるはげしき波とつきあたるが最期、そこに大きな波のくぼみができるにそういない、それにひきこまれたら、鉄のからだでもたまったものでない。
「気をつけい!」
ゴルドンは声をかぎりにさけんだ、だがその声は、すぐおどろきの叫喚にかわった。
「やられたッ」
いかにも富士男のからだは、まったく白泡のなかに、のまれてしまったのである。
「ひけッひけッひけッ!」
モコウはまっさきにとんできて、綱をひいた、ゴルドン、サービス、ガーネット、いずれも死に物ぐるいになって綱をひいた。
やがてふなばた近く、富士男のからだがあらわれた。
「残念だッ」
かれは波にぬれた頭をふっていった。
「しかたがないよ」
「うん」
富士男は船にあがるやいなや、ばったりたおれたまま、ものもいえなかった。
陸との交通は、まったく絶望におわった。しかも正午すぎになると、潮は見る見るさしはじめて、波はますますあらくなった。このままにうちすてておくと、満潮にさらわれて、船が他の岩角にたたきつけられるのは、わかりきったことである。一同は不安の胸をとどろかしながら、だまって甲板に立ったまま、ただ天にいのるよりほかはなかった。
「ちいさい人たちだけは助けたいものだなあ」
富士男はやっとつかれから回復していった。
「ぼくらが助からないのに、ちいさいやつらが助かるかい」
とドノバンはいった。
このとき異様な震動とともに、幼年者たちの泣き声がきこえた。
「巨波がきた! 巨波がきた!」
幼年者はたがいに、しっかりとだきあった。
「死ぬならいっしょだ」
とゴルドンがさけんだ。船はギイギイと二度ばかり音をたてた、岩礁の上は、まったく雪のごとき噴沫におおわれた、ゴウッというけたたましいひびきとともに、船はふわふわと半天にゆりあげられる。と思うまもなく、モコウのさけび声がきこえた。
「しめたッ」
もう死なばもろともと、眼をつぶっていた少年たちは、一度にたちあがった。
「浜へきた!」
悲しみの声は、一度に笑いの声となった。
「やあふしぎだ」
「波があの大きな岩をこえて、船を砂浜へ運んでくれたのだ」
「バンザアイ」
一同は思わずさけんだ。
「まったく天佑だ」
富士男はこういってゴルドンにむかい、
「だが船は、ふたたび波にさらわれるかもしれない、とにかく、さしむき、ちいさい人たちの住まいを、きめなきゃならんね、きみとふたりで探検しようじゃないか」
「うん、ぼくもそう思ってたところだ」
ふたりは甲板をおりて、森のほうをさして歩きだした。
森のかなたには小さな川がある。もしこの地に人が住んでいるなら、川口に舟の一そうや二そうは見えべきはずだが、いっこうそれらしきものも見えない。ふたりがだんだん森をわけてゆくと、樹木は太古のかげこまやかに、落ち葉は高くつみかさなったまま、ふたりのひざを没するばかりにくさっている。右を見ても左を見ても、人かげがない、寂々寥々、まれに飛びすぐるは、名もなき小鳥だけである。
森をいでて川にそうてゆくと、びょうびょうたる平原である、これではまったく無人島にちがいない、むろん住むべき家があるべきはずがない。
「やっぱり船にとまることにしよう」
ふたりは船へ帰って、一同にこのことをかたり、それから急に、修繕にとりかかった。船はキールをくだかれ、そのうえに船体ががっくりと傾斜したものの、しかし風雨をふせぐには十分であった。まず縄梯子を右のふなばたにかけたので、幼年組は先をあらそうて梯子をおり、ひさしぶりで、陸地をふむうれしさに、貝を拾ったり、海草を集めたりして、のどかな唄とともに、活気が急に全員の顔によみがえった。
モコウはさっそく、サービスの手を借りて、じまんの料理をつくった。富士男、ゴルドン、ドノバンの三人は、もしも猛獣や蕃人などが襲来しはせぬかと、かわるがわる甲板に、見張りをすることにきめた。
翌日富士男は、おもむろに持久の策をこうじた、まず第一に必要なのは、食料品である。船の所蔵品をしらべると、ビスケット、ハム、腸づめ、コーンビーフ、魚のかんづめ、野菜等、倹約すれば二ヵ月分はある。だがそのあいだに、銃猟や魚つりでもっておぎないをせねばならぬ、かれは幼年組につり道具をやって、モコウとともに魚つりにだしてやった。
それからかれは、他の物品を点検した。
大小の帆布、縄類、鉄くさり、いかり一式、投網、つり糸、漁具一式、スナイドル銃八ちょう、ピストル一ダース、火薬二はこ、鉛類若干。
信号用ののろし具一式、船上の大砲の火薬および弾丸。
食器類一式。
毛布、綿、フランネル、大小ふとん、まくら。
晴雨計二、寒暖計一、時計二、メガホン三、コンパス十二、暴風雨計一、日本国旗と各国旗若干、信号旗一式、大工道具、はり、いと、マッチ、ひうち石、ボタン。
ニュージーランド沿岸の地図、世界地図、インキ、ペン、鉛筆、紙、ぶどう酒。
英貨若干。
正午ごろにモコウは、幼年組をつれて、たくさんの貝を拾って帰ってきた、モコウの話によると、岩壁のところに、数千のはとが遊んでいるというので、猟じまんのドノバンは、あす猟にゆくことにきめた。
この夜は、バクスターとイルコックが、甲板に見張りした。
そもそもこの地は、はなれ島であるか、大陸つづきであるか、それをきわめることがもっともたいせつである。富士男は毎日その研究に没頭していたが、ある日ゴルドン、ドノバンのふたりにこういった。
「どう考えてもここは熱帯地でないように思う」
「ぼくは熱帯だと思うが、きみはなんの理由でそんなことをいうか」
と例のドノバンは、まず反対的態度でいった。富士男は微笑しながら、
「ここには、かしわ、かば、まつ、ひのき、ぶなの木などが非常に多い、これらの樹木は太平洋中の赤道国には、ぜったい見ることができない樹木だ」
「それじゃどこだというのか」
「まつ、ひのきのほかの木がみな、落葉したり、紅葉したりしてるところを見ると、ニュージーランドよりも、もっと南のほうの高緯度だろうと思う」
「もしそうだとすると」とゴルドンは、双方の争いをなだめながら、
「冬になるとひじょうに寒くなるだろう、いまは三月中旬だから、四月の下旬までは好天気がつづくだろうが、五月(北半球の十一月)以後になると、どんなに気候が変わるかもしらん。そうすると、とてもぐずぐずしていられない、おそくとも六週間以内にはこの地を去るとか、ただしは冬ごもりをするかを、きめなければならん」
いかにもゴルドンの心配は、むりからぬことである。さすがのドノバンも、だまってしまった。
いまは、一日のゆうよすべきばあいでない、富士男は毎日、丘にのぼって、四方を展望した。ある日かれは、森のかなたに、ほのめく一条のうす青い影を発見した。夕日はかたむくにつれて、影がしだいにはっきりして、ぬぐうがごとき一天の色と、わずかに一すじの線をひくのみである。
「海だ!」
かれは思わずさけんだ。
「海だ!」
もし海とすると、この地は大陸つづきでなく、四方海をめぐらす、はなれ小島であると、思わざるをえない。
かれは丘をおりてサクラ号に帰り、一同にこのことを語ると、一同はあっといったきり、ものもいえなかった。
無人島! 家もなく人もない、いよいよ救わるべき見こみはなくなった。
「そんなことはない」
とドノバンはいった。
「いやたしかに海だ」
「よし、それじゃいけるところまでいって、その実否をたしかめることにしよう」
「よし、いこう」
遠征委員には、富士男とドノバンのほかに、ドイツ少年のイルコックと、仏国少年のサービスが、ついてゆくことにきめた。ゴルドンもゆきたかったが、かれはるすの少年を保護せねばならぬので、富士男を小陰によんで、ひそやかにいった。
「どうか、ドノバンとけんかしないようにしてくれたまえね」
「むろんだ、ドノバンはただいばりたいのが病で、性質は善良なんだから、ぼくはなんとも思っていないよ」
「それでぼくも安心したが、少年連盟はぼくら三人が年長者だからね、きみとドノバンと仲が悪くなると、まったくみんなが心細がるよ」
「連盟のためには、どんなことでも、しのばなきゃならんよ」
「それで安心した」
じっさいもう一と月のうちに、一同の住居する土地をきめねばならぬ、サクラ号の損所はだんだんはげしくなる、このぶんでは、一と月ももたぬかもしれぬのだ。
四人は四日分の食料を準備した、めいめい一ちょうの旋条銃と、短銃をたずさえ、ほかに斧、磁石、望遠鏡、毛布などを持ってゆくことにした。
いよいよあすは出発という日の夕方、一同はこわれた甲板に食卓をならべて、しばらくの別れをおしんだ。旅程は四日だが、名も知らぬ土地である。河また河、谷また谷、ぼうぼうたる草は身を没して怪禽昼も鳴く、そのあいだ猛獣毒蛇のおそれがある、蕃人襲来のおそれもある。
しばしの別れだが、使命は重かつ大、どこでどんな災殃にあうかもしれぬのだ。ゆくものも暗然たり、とどまるものも暗然たり、天には一点の雲もなく、南半球の群星はまめをまいたように、さんぜんとかがやいている。そのなかにとくに目をひくは、南半球においてのみあおぎみることのできる、南十字星である。
「どうかぶじに帰ってくれ」
「おみやげたのむぞ」
一同は十字星の前にひざまずいて、勇士の好運をいのった。
翌朝七時、富士男、ドノバン、イルコック、サービスの四人は、ゴルドンのすすめによって、猟犬フハンをしたがえて出発した。
浜にそうて岩壁をよじ、川をさかのぼりて森にいる。ひいらぎバーベリ等の極寒地方に生ずる灌木は、いやがうえに密生して、荊棘路をふさいでは、うさぎの足もいれまじく、腐草山をなしては、しかのすねも没すべく思われた。
どうかすると少年らは、高草のためにまったくすがたを見失うことがあるので、たがいに声をかけあうことにした。七時になるともう日はしずんで、前進することができない。四人は森のなかに一泊することにした。
翌日四人はふたたび前進をつづけた、四人の目的は、この地が、島か大陸かを見さだめることと、いま一つは、冬ごもりをする洞穴を、さがしあてることである。四人は大きな湖水のへんを歩きつづけた、だがこの日もまた、一頭の猛獣にもあわず、一点の人の足あとも発見しなかった。ただ二、三度、なんとも知れぬ大きな鳥が、森のなかを歩いているのを見た。
「あれはだちょうだ」
とサービスはいった。
「もしだちょうとすればもっとも小さいだちょうだ」
とドノバンは笑った。
「しかしだちょうだとすると、ここはアメリカかもしれんよ、アメリカはだちょうが多い」
四人はこの夜、小さな川のほとりに野営した。
第三日の朝四人は、川の右岸にそうて、流れをおうてゆくと右に一帯の岩壁を見た。
「やあ、サクラ湾の岩壁のつづきじゃないか」
とサービスがいった。サクラ湾とは、少年連盟のサクラ号が漂着した湾に少年たちが名づけた名称である。
「あれはなんだろう」
イルコックがとつぜん右のほうを指さしてさけんだ。そこには大きな石が、石垣のごとく積まれて、しかもそのなかばはくずれていた。
「この石垣は、人手でもって積んだものにちがいない、して見ると、ここに人が住んでいたと思わなきゃならん」
「それはそうだ、たしかに舟をつないだところだ」
反対ずきのドノバンも賛成した。そうして草のあいだにちらばっている、木ぎれを指さした。一つの木ぎれは、たぶん、舟のキールであったものだろう、そのはしに、一つの鉄のくさりがついていた。
「だれかがここへきたことがある」
四人は思わず顔を見あわした、このぼうぼうたる無人の境に、住まったものははたしてだれか。四人はいまにも、ぼうぼうたる乱髪のやせさらばえた男が、草のあいだから顔を出すような気がして、あたりを見まわした。
ひとりとしてものもいうものはない、四人はだまって想像にふけった。木ぎれは蘚苔にくさって、鉄環は赤くさびている、風雨幾星霜、この舟に乗った人は、いまいずこにあるか、かれはどんな生活をして、どんなおわりをとげたか。
草をわけ枝をむすんで、長いあいだここにくらしていたが、救いの舟もきたらず、ついにこのさびしい石垣のなかにたおれて、骨を雨ざらしにしたのか。それは人の身の上、いまや自分たちもまた、それと同じき運命にとらえられているのだ。
ちょうぜんとして感慨にふけっていると、とつぜん猟犬フハンは二つの耳をきっと立てて尾をまたにはさみながら、地面の上をかぎまわった。かれは右にゆき、左にゆき、またなにかためらうように見えたが、たちまち一方の木立ちをさしてまっすぐに走った。
「なんだろう」
一同はフハンのあとについていった、フハンは、ちくちくとおいしげる木立のなかに突進したが、なにを思うたか、一本のぶなの木の下に立ちどまって、高く声をあげた。一同はぶなの木を見ると、その幹の皮をはぎとったところに、なにやら文字がきざみつけてあった。
S. Y.
1807
一同がそれを読んでるうちに、フハンはふたたび疾風のごとく岩壁をかけのぼって、とうとうすがたが見えなくなった。1807
とやがて、ただならぬフハンのほゆる声がおこった。
「ゆこう、なにかあるんだろう」
富士男がまっさきに走った。
「気をつけろよ、短銃をポケットから出しておくれ」
一同は岩壁をまわってゆくと、ドノバンはそこで一個のすきを拾った。
「やあ、ふしぎだなあ」
あたりを見まわすと、そのへんに耕作のあとがある、いもは野生に変じて、一面に地の上をはうている。
「野菜をつくって生きていたのだ」
こう思うまもなく、フハンはまたしても二つ三つさけび声をあげた。一同はフハンのあとについてゆくと、荊棘路をふさぎ、野草が一面においしげて、なにものも見ることができない。富士男は草をはらいはらいして、なかをのぞいてみると、そこにうす暗い洞穴の入り口を見た。
「待てよ」
富士男は勇み立つ三人をとめて、かれ草をあつめてそれに火をともし、洞穴へさしいれた、そうして空気に異状がないのを見て、一同は洞穴のなかへはいった。洞穴の口は高さ五尺、はば二尺にすぎないが、はいってみると、かつぜんと内部は広くなり、二十尺四方の広間となり、地上にはかわいた砂をしきつめてあった。
室の右方に一きゃくのテーブルがあり、テーブルの上に土製の水さしや、大きな貝がらがあった、貝がらはさらに用いられたものらしい、赤くさびたナイフ、つり針、すずのコップもある。壁ぎわの木箱には、衣服の布がぼろぼろになってすこしばかりのこり、奥のほうの寝台にはわらがしいてあり、木製のろうそく立てもある。
富士男は寝台の上の古毛布をつえの先でおこしてみたが、そこにはなにもなかった。
四人は洞穴を検査して外へ出ると、フハンはまたもや狂気のごとく走った、それについて川をくだると、大きなぶなの木の下に、一堆の白骨があった。これこそ洞穴の主人の遺骸であろう。
四人はだまって白骨をみつめた。ああ白骨! これはなんぴとの果てであるか?
破船の水夫が、この地に漂着して救いを待つうちに、病死したのであろうか、かれが洞中にたくわえた器具は、木船から持ってきたのであろうか、ただしは、自分がつくったのであろうか、それはともかくとして、もしこの地が大陸につづいているなら、かれはここに長くとどまらずに、もっともっと内地のほうへ進んでゆきそうなものだ、それもせずにここで死んだのは、この地がはなれ島であるしょうこでなかろうか。
この人さえも救いをえずに、ここで死んだとすれば、ぼくらもとうてい救われる道はあるまい。
四人はふたたび洞穴へかえって、いま一度、内部をくわしく検査することにした。洞穴の四方の壁は花崗岩で、すこしの湿気もなく、また海からの潮風もふせぐことができる、内部は畳数二十三枚だけの広さだから、十五人の連盟少年を、いれることができる。
一同はそれから、すみずみからいろいろな器具を発見した、そのうちにドノバンが夜具をうちかえすと、一さつの手帳があらわれた。
「やあ、これはなんだろう」
サービスは顔をよせて、手帳をのぞいた。
「なんだかわからない字だ」
「エジプトの字だよ」
「支那の字だ」
三人がののしりさわぐのをきいて、富士男もそばによった。
「なんだろう、これは」
「どれどれ」
富士男は手帳をちらと見た。
「やあ日本の文字だ」
一同はおどろいて富士男の顔を見やった。
「ぼくの国の文字だ、ぼくはニュージーランドで生まれたけれども、父と母に日本の字を習ったからよく読める、だがこれは紙が古くなり字が消えてるから、読みようがない、しかし……」
かれはしずかにページをくって、おわりのほうを読んだ、それはとくに大きく書いてあったので、やっと読むことができた。
「山田左門」
「山田?」
「山田!」
声々がいった。
「さっきのぶなの木にきざんだS・Yは、やっぱりそれだった」
と富士男は説明した。
「そうか日本人か」
人々はますますおどろいた。万里の異域に同胞の白骨を見ようとは、富士男にとってあまりに奇異であり感慨深きことがらであった。
と、ドノバンは手帳のあいだから一枚の紙をみつけた。
「地図だ」
「おう」
破らぬようにしずかにひらくと、疑いもなく地図である、それは山田がとくに念入りに書いたものらしい。四人はひと目それを見るやいなや、一度に声をあげた。
「やっぱり島だ」
「うん、島だ」
「四方が海だ」
「島だからゆきどころがなくなって死んだのだ」
「ぼくらもだめかなあ」
ぼうぜんと立ちつくす三人をはげまして、富士男は洞穴を出て、もとのぶなの木の下にきて地をほり、ていねいに白骨を埋葬した。
「ねえきみ」
と富士男は感激の眼に涙をたたえて、三人にいった。
「日本は世界じゅうでもっとも小さな国だが、日本人の度量は、太平洋よりも広いんだ、昔から日本人は海外発展に志して、落々たる雄図をいだいたものは、すこぶる多かったのだ、この山田という人は通商のためか、学術研究のためか、あるいは宗教のためか、どっちか知らないが、図南の鵬翼を太平洋の風に張った勇士にちがいない、それが海難にあって、無人境の白骨となったとすれば、あまりに悲惨な話じゃないか、だがけっして犬死にでなかった、山田は数十年ののちに、その書きのこした手帳が、なんぴとかの手にはいるとは、予期しなかったろうと思う、絶海の孤島だ、だれがちょうぜんとして夕陽の下に、その白骨をとむらうと想像しえよう、それでもかれは、地図をかいた、その地図は、いまぼくらの唯一の案内者となり、その洞穴は、いまぼくらの唯一の住宅となった。ぼくははじめて知った、人間はかならずのちの人のために足跡をのこす、いやのこさなければならんものだ、それが人間の義務だ、だからぼくらものちの人のために、りっぱな仕事をして、りっぱな行ないをつまなければならん、人間はけっして、ひとりでは生きてゆけない、死んだ人でも、のちの人を益するんだからね、ぼくはいまそれがわかった、きみらはどう思うかね」
「むろん賛成だ」
とサービスがいった。
「みなでこの恩人に感謝しようじゃないか」
四人は一抔の土にむかって合掌した。
協力
殉難の先人山田左門の白骨をぶなの木の下にほうむった四人は、山田ののこした地図をたよりに洞外に流るる河にそうて北西をさしてまっすぐにくだった。ゆくときの困難にひきかえて、帰りは一歩も迷うところなく、わずか六時間でサクラ湾の波の音をきくことができた。もう日はまったく暮れたが、船中でるすをしていたゴルドンは、たえず船の上からのろしをあげていたので、四人はそれを目あてにぶじサクラ号に帰ることができた。
その翌日、一同は甲板に集まって、遠征隊四人の報告をきき、いよいよ冬ごもりの準備にとりかかることにきめた。
山田の地図によると、この島は東西十里(四十キロメートル)南北二十里(八十キロメートル)であるが、山田がこの島で一生をおわったところをもってみると、訪う人もなき絶海の孤島にちがいない。しかも秋はすでに去らんとして冬は眼前にせまっている、烈風ひとたびおそいきたらばサクラ号はまたたくまに波にのまれてしまうだろう。
「だからいまのうちに山田の洞にひっこさなければならん」
とゴルドンはいった。
「ひっこすといっても、船の諸道具や食料などを運ぶには、少なくとも一月はかかるだろう。そのあいだ、みなはどこに宿るか」
とドノバンはいった。
「河のほとりにテントを張ることにしよう」
「それにしても、この船をといて洞まで持ってゆくのは、なかなかよういなことではないよ」
なにかにつけて他人の意見に反対したがるドノバンはいった。
「きみのように反対ばかりしては、仕事がはかどらないよ。人の意見に反対するなら、まずきみの意見をいってくれたまえ」
と富士男はいった。
「ぼくは洞穴にひっこんで冬ごしをするよりも、このまま船のなかにいるほうがいいと思う。船におればここを通る船に救われまいものでもない」
「それにはぼくは賛成ができない。このばあい、ほかから助けを待つべきでない。ぼくら自身の力で、ぼくらの生命をまもる決心をしなければならん」
「それでは永久に洞穴のなかにいて餓死するつもりか」
「餓死するつもりではない、ただぼくらはいかなるばあいにも、他人の助けをあてにせず、自分で働きたいと思うだけだ」
ドノバンと富士男はまたしても衝突した。
「ドノバン君、ぼくらのサクラ号はもう半分以上こわれかけてるんだ、船にとどまるといってもとどまれないのだ。だからぼくらは洞穴のなかで冬をこして、その間にここへ旗を立てておけば、通航の船が見つけて助けてくれるかもしれんじゃないか」
ゴルドンは両者のあいだにはいってなだめるようにいった。ドノバンはしいて反対をしてみたものの、心のなかではそれよりほかに策がないことを知っていたので、沈黙してしまった。
衆議一決のうえはいよいよ貨物運搬にとりかからざるをえない。富士男の推薦でいっさいの工事は仏国少年バクスターに一任し、一同はその指揮にしたがうことにした。バクスターはへいそあまりものをいわないが、勤勉にして思慮深く、生まれながらにして、建築の才能があった。富士男がかれを推薦して工事の部長としたのはむりでない。
ものの順序としてバクスターはまず川の右岸にテント小屋を建てることにした。川のほとりに繁茂するぶなの木の枝と枝のあいだに、長い木材をわたして屋根の骨をつくり、それにテントを張り、そこに火器弾薬その他いっさいの食料を運んだ。そのつぎにはいよいよ船体の外皮をとかねばならぬ。船の外皮は銅板で、これは後日なにかの役にたつからていねいにはぎとった。しかしそのつぎには鉄骨があり、船板があり、柱がある。それらをとくのはなかなかよういなことでない。
しかしさいわいなるかな、四月二十五日の夜、とつぜん大風吹きつのって、天地もためにくつがえるかと思われたが、夜が明けてから浜辺へいってみると、サクラ号はめちゃめちゃに破壊されて、大小数限りもない木片は、落花のごとく砂上にちっていた。一同はなんの労するところなくして、船をといたようなものだ。
その日から一同は毎日毎日木片を拾いあつめては、エッサモッサ肩にになって天幕に運んだ。読者よ、いかに勇気あるものといえども、かれらの年長は十六が頭で、年少は十歳である。かれらの困苦はどんなであったかを想像してくれたまえ。
かれらはいずれも凛々たる勇気をもって、年長者は幼年者をいたわり、幼年者は年長者の命令に服し、たがいに心をあわせて日の暮るるも知らずに働いた。ある者は長い木材をてこにして重いものをおこすと、ある者は丸い木材をコロにして重いものをころがしてゆく、肩にかつぐもの、背にになうもの、走るもの、ころぶもの、うたうもの、笑うもの、そのなかにはだれひとり不平をいうものはない。
だれよりもまっさきに働くのは富士男とゴルドンで、ふたりはいちばんむつかしい仕事を喜んでひきうけた、ふたりはサクラ号のキールをきって二つになしたるものや、前檣後檣の残部などのもっとも重いものを、エイエイかけ声をして運んだ。それに負けじとドノバンもグロースも帆桁を運んだ。バクスターはそれらのなかから、長い木材をえらんで川のなかにいれ、それをたてになし、短い木材を横に組んでたて十メートル、はば四メートルのいかだの骨をつくり、その上にサクラ号の甲板や、他の板ぎれをくぎづけにして、りっぱないかだを完成した。
この工事がおわったのは五月二日である。翌三日からいよいよテントの貨物をいかだにつみはじめた。善金、伊孫、ドール、コスター、次郎の幼年組は軽いものを運び、重いものは年長組にまかせた。
協力一致! 世界少年連盟は、ほんのわずかの日数のあいだに、おとなの二倍以上の仕事を完成した。五月五日一同はいかだの上に集まった、ゴルドンは悵然として、もはや残骸のみのサクラ号をかえりみていった。
「船はなくなった、ぼくらはぼくらの運命を大自然に一任するよりほかはない、しかしぼくらはできるだけの手段をとらねばならぬ、それには万一ここを通航する船に、ぼくらの存在を知らしむるために、岩壁の上に一本の信号旗を立てておきたいと思うがどうだろう」
「賛成賛成」
一同はただちに旗を立てた、それらのことがおわってから一同は、ふたたびいかだに集まった、潮はまだ早い、満潮は八時半である、それまで待たねばならなかった。
「きょうは何日だ」
と富士男はいった。
「五月五日」
とだれやらが答えた。
「そうだ、五月五日、南半球の五月は北半球の十一月にあたる、それだけの差はあるが、しかし五月五日は非常にさいさきのよい日なのだ」
「どういうわけか」
とゴルドンはにこにこしていった。
「ぼくの故郷のじまんと誤解してくれたもうな、五月五日は日本においては少年の最大祝日なのだ。それはちょうど、欧米におけるクリスマスににたものだ、日本全国津々浦々にいたるまで、いやしくも男の子のある家では、屋根よりも高く鯉幟を立てる、室内には男性的な人形をかざる。鐘馗という悪魔降伏の神力ある英雄の像をまつる、桃太郎という冒険者の像と、金太郎という動物と同棲していた自然児の裸像もまつる、この祀りを五月の節句と称するんだ、五月節句は男子の祝日なのだ、だからぼくは五月節句をもって、世界少年連盟が共同の力でもっていかだをつくり、相和し相親しんで人生のかどでにつくことを、じつに愉快に思うのだ、諸君もどうかこの意義ある五月五日を忘れずにいてくれたまえ」
「賛成賛成」
一同はかっさいした。
「だが君、その鐘馗や桃太郎の話をもっとくわしく話してくれたまえ」
とゴルドンがいった。
「よしッ、話そう、だが潮がそろそろやってきたようだ、まず、とも綱をとこうじゃないか」
「よしきたッ」
バクスターはしずかにとも綱をといた。いかだは潮におされて動きはじめた。いかだのしりにひかれて、サクラ号の小さなボートは気軽そうに頭をふりふりついてきた。
「バンザアイ!」
一同は声をあげてさけんだ。
「ぼくらのつくったいかだだ」
とドノバンがいった。
「そうだ、ぼくら少年はいかだをつくった、さらに少年の連盟団をつくるんだ」とゴルドンがいった。
「少年連盟バンザアイ」
いかだは川の右岸にそうてなめらかにすすんだ。だが潮にまかせて遡行するいかだのことであるから、速力はいたってにぶかった。その日は中途で一泊し、一同は富士男の桃太郎物語などをきいて愉快にねむりについた。
翌日いかだが進行するにつれて、寒気がだんだんはげしくなった。もとより急ぐ旅でもなし、むりなことをして一同をつからすのは本意でないから、この日もまた一泊した。その翌日の午後になると、はるかに笑うがごとき、湖の青黛をみることができた。午後三時! 日本人山田の洞ちかき川の右岸である。
善金、伊孫、ドール、コスターの幼年組は早くも岸にのぼって、とんだりはねたりうたったりした、いかだの上からその光景をながめていた富士男は、弟の次郎にいった。
「おまえも行って、みんなといっしょに遊ばないか」
「ぼくはいやだ」
と次郎はいった。
「なぜだ、おまえはとうから、なんとなくふさぎこんでるが、病気なのか」
「いやなんでもない」
富士男はふしんそうに頭をかしげたが、いまここでかれこれいうべきでないと思いかえして、一同とともにいかだを出た。
もういかだの荷物は運ばれた。山田の洞は前日とすこしもかわらなかった、一同はまず寝具を運んで洞のなかにあんばいし、サクラ号食堂の大テーブルを洞の中央にすえこんだ。このまに仏国少年ガーネットは幼年組をさしずして、なべかま食器類を洞内に運ばした。一方には黒人モコウが早くも洞の外がわの岩壁の下に石をつんでかまどをつくり、スープのなべをかけ、小鳥のくしをやいたりした。小鳥はとちゅうでドノバンらが岸にのぼって猟獲したもので、伊孫とドールは小鳥やきの用をおおせつかったが、やけしだいにちょいちょい失敬するので、なかなかはかどらない。
七時には一同洞内の大テーブルをかこんだ。テーブルの上には湯気が立つスープ、コーンビーフ、小鳥やき、チーズ、ゼリー、水をわったぶどう酒などがある。一同は腹がはちきれるまで食べたり飲んだりした。なかには動けなくなってコクリコクリ居ねむりをはじめたものもあった。「だが諸君」とゴルドンはいった。「ぼくらは今後この洞穴のなかで生命をつながなければならん、それはひっきょう山田先生のおかげである、ぼくらは礼として、まず山田先生の墓に、おじぎをするのが至当じゃなかろうか」
「それはそうだ」
ドノバンも富士男も賛成した。一同はうちつれて山田左門の墓にもうで、ゴルドンの慷慨淋漓たる弔詞のもとに礼拝をおわった。
九時になった、ドノバンとイルコックが見張り番をすることになって、一同は前後も知らずにねむった。
翌日から一同はいかだの貨物運搬をつづけた。それからいかだをといて、その木材を岩壁の下につみあげた。
工学博士バクスターは、洞の壁がさまでかたくないのを見て、そこをうちぬいてかまどの上に煙突をつけたので、モコウは非常に喜んだ。
ドノバン(米)サービス(仏)ウエップ(独)グロース(米)の四人は毎日銃をかたにして、森や沼をさがしまわっては、必ず多少の小鳥をうって帰った。ある日かれらは、湖畔にそうて一キロメートルばかり北の森のなかにはいってゆくと、そこに人の手をもってほったとおぼしき深い穴がいくつもあるのを見た。穴の上にはちょうどおとし穴のように、表面だけ木の枝や草などを縦横にかけわたしてある、そのなかの一つの底には、動物の骨のようなものがちらばってある。
「なんだろう」
とサービスがいった。
「たぶん山田先生がけものをとるためにほったおとし穴だろう」
「そうかね」
サービスは腕をくんでしばらく考えてからいった。
「それじゃ、この穴をかくしておこうじゃないか、ひょっとしたらなにか大きなけものがひっかかるかもしれないよ」
「そんなことがあるもんか、ぼくらがこうして毎日鉄砲をうつから、けものは遠くへ逃げてしまったよ」
「だが、どうかしてくるかもしらない」
サービスは三人の笑いをよそにして、一生けんめいに木の枝を運んで穴をかくした。
天気は日ましに寒いが、湖や川が結氷するほどではなかった。幼年組は毎日水辺へいって魚をつった。そのためにモコウの台所には魚のない日はなかった。
だがここにこまったのは物置きのないことであった。どこか岩壁のあいだに適当な物置き庫がなかろうかと富士男は四、五人とともに、北方の森のなかをさがしまわった、するととつぜん異様のさけびがいんいんたる木の間にきこえた。
「なんだろう」
一同はすぐ銃口をむけて身がまえた、そのなかに富士男とドノバンはまっすぐに声のほうをさして進んだ。と見ると、そこはかつてサービスが木の枝をむすんでかくしておいた、穴のほとりであった。
声はまさしく穴の底である。縦横にわたした枝はくずれおちて、なんとも知らぬ動物が、おそろしい音を立ててくるいまわっている。
「なんだろう」
ドノバンがいうまもなく、富士男は声高くよんだ。
「フハン、フハン、ここへこい」
主人の声をきいたフハンは、矢のごとく走ってきた、かれは主人の顔をちょっとながめて、すぐ穴のはしから底を見おろした、とたんに電光のごとく穴のなかへおどりこんだ。
「みんなこいよ」
と富士男はうしろの少年たちにいった、少年たちは先をあらそうて走ってきた。
「なんだろう」
「ひょうか」
とウエップがいった。
「クーガル(ひょうの一種)かもしれない」
とグロースがいった。
「いや二足動物、だちょうだ」
とドノバンがいった。じっさいそれは、アメリカだちょうと、称せらるるものであった。全身は灰色で、その肉は佳味をもって賞せらる。
「生けどりにしなくちゃ」
とサービスがいった。
「うん、きみが一生けんめいに穴をかくしたかいがあったね」
とドノバンが笑った。
「だが生けどりはむつかしいよ、あの大きなくちばしでつっつかれたらたまらない」
「なあにだいじょうぶだ」
サービスは身をおどらして、穴のなかへとびこんだ、穴のなかでは猟犬フハンと、だちょうが必死になって戦っていた。だちょうは穴がせまいために、つばさを開いて飛ぶことができなかったが、いま最後の力をこめて、フハンの眼玉をつこうとした。そのせつなにサービスはだちょうのながいくびにぶらりとさがった。だちょうは驚いてサービスの頭を、その怪奇なくちばしで二つ三つつついた。
「なにをちくしょう!」
つかれたサービスはものともせずに、だちょうののどをしめつけしめつけした。
「なにか縄をくれ」
「よしきた」
一同は縄やバンドをつなぎあわせて、穴のなかへおろした。
「ひいてくれ」
一同が縄をひくと! 見よ! たくたくたる丈余の灰色の巨鳥! 足はかたくしばられ、恐怖と疲労のために気息えんえんとしている。
「やあ大きなものだなあ」
一同があきれて見まもっていると、サービスとフハンが穴から出てきた。
「うまいぞうまいぞ、当分ごちそうができるぞ」
とモコウはおどりあがって喜んだ。
「じょうだんじゃない、これを食われてたまるもんか」
とサービスはいった。
「食わずにどうするつもりだ」
「後生だから命だけは助けてくれよ、いまにこれをかいならして乗馬にするんだから」
「だがわれわれの食料の倹約しなければならないのに、この鳥をかう食料はどうするつもりか」
とゴルドンがいった。
「それは心配するなよ、鳥は木の葉や草を食って生きるものだ、われわれの食料とは無関係だ」
「なるほど」
だちょうはサービスに一任することにきめた。この日はとうとう物置きに適当な洞を発見することができなかった。そこでバクスターの考案で、洞の内部の壁のやわらかいところをほって、室をひろげることにした。壁のやわらかいところには、木材の支柱をほどこして崩壊をふせぎ、年長者はつるはしをふるい、年少者は岩くずや石きれを運んでは、洞の外にすてた。
三十日の午後には、五、六尺のトンネルができた、と、とつぜんふしぎな事件が出来した。
富士男はトンネルの奥で、しきりに壁をほっていると、どこやらに奇妙なうなり声をきいた。
「なんだろう!」
ゴルドンもバクスターも、同時にその声をきいた、三人はすぐドノバン、イルコック、ウエップ、ガーネットの年長連をよんで相談した。
「なんでもないよ、洞のなかだからなにかの反響にちがいない」
とドノバンはいった。一同はふたたびつるはしをふるってほりつづけた。と夕方になると、さっきよりもっと近くに、なにものかほゆる声がきこえた。
「いよいよ変だぞ」
声がおわらぬうちに、フハンはあわただしく洞のなかをかぎまわったが、とつぜん疾風のごとく洞の外へ走り去った。一日の労役をおわって一同は晩餐のテーブルについたが、フハンは帰ってこない。
「フハン、フハン」
みんながよんでも、やっぱりフハンのすがたは見えない。ドノバンは湖辺へゆき、イルコックは川の岸にのぼり、一同は手をわけてフハンをさがした。
九時はすぎた、森は暗い、一同はたがいに黙然として洞へ帰った。
「どこへいったろう」
「猛獣にでも殺されたのかもしらん」
人々が語っていると、とつぜんフハンのほえる声がした。
「ああトンネルのなかだ」
富士男はまっさきにトンネルにとびこんだ、年長者は手に手に武器をとって立ちあがった、年少者はいずれも毛布を頭からかぶって、うつぶせになった、すると富士男はふたたびトンネルから出てきた。
「この壁のうしろに、もう一つの洞があるにちがいない」
「そうかもしれないよ、そこにいろいろな動物がすんでいるんだと思う」
このときまたもや、おそろしい咆哮の声がきこえた。
「ああ、フハンが猛獣と戦ってるんじゃなかろうか」
「だが洞の入り口がわからないから、助けにゆけないね」
とイルコックがいった。
富士男はもう一度壁に耳をつけたが、その後せきばくとしてなんの音もない。
不安な一夜をすごして、翌朝ドノバンらは湖のほとりに、フハンをさがしにいった。富士男とバクスターは例のごとくトンネルをほりつづけた。午後の二時ごろ! 富士男はつるはしをとめてとつぜんさけんだ。
「どうもへんだぜ」
「なにが?」
とバクスターはいった。
「このトンネルがほかの洞穴へつきぬけそうな気がする、なにがとびだすかもしれないから、みんな注意してくれたまえ」
ドノバン、イルコック、ウエップらは、手に手に武器をとって身がまえた。年少者はことごとく洞の外へ避難せしめた。
「やあ、これだ」
富士男のうちだすつるはしとともに、ぞろぞろと大きな岩がくずれて、そこに洞然たる一道の穴があらわれた。
「やあ」
声とともにがらがらと地ひびきをさせて驀然おどりだしたる一個の怪物が、富士男の顔をめがけてとびついた。
それはフハンであった。
「やあ、フハン!」
一同のおどろきは喜びの声とかわった。フハンは主人のほおをひとなめしてから、身を転じてバケツの水をしたたかに飲み、それから主人をさそうもののごとく、顔を見あげた。
「だいじょうぶか」
と富士男は笑いながらフハンにいった。フハンはもう一度主人のひざに、頭をすりつけた。
「だいじょうぶらしいよ、諸君、ちょうちんを持ってくれたまえ」
ゴルドン、ドノバン、イルコック、バクスター、モコウらは、ちょうちんをともしてトンネルに進んだ。そうしてくずれた穴をくぐって、つぎの洞へはいると、そこは山田の洞と同じ高さで、二十畳敷きばかりの広さである。だがこの洞の入り口はどこにあるだろう、イルコックは壁のすみずみをみまわしたとたんに、なにものかにつまずいて、たおれそうになった。
「なんだ」
ちょうちんに照らしてみると、まぎれもなきジャッカル(やまいぬの属)の屍体であった。
「ああジャッカルだ」
「フハンがかみ殺したんだ」
「すてきすてき、こんどこそごちそうだ」
とモコウはいった。そうしてサービスにむかい、
「それともきみは、このジャッカルを乗馬にしますかね」
「いくらなんでも死んだものには乗れないよ」
とサービスはまじめな顔でいった。一同は笑った。
だがえものはこれだけでなかった、富士男はこの壁のすみに、洞の入り口があることを発見した、この入り口から外へ出ると、ちょうど湖のほとりになっていた。
翌日からバクスターの設計で、この新しい洞と、古い洞との連絡をひろげ、入り口にはサクラ号からとってきたとびらをとりつけた。
バクスターはさらに思いをこらして、旧洞はもっぱら台所、食堂および物置きにあて、新洞は寝室および読書室となした。
毎日毎日寒い風が吹きつづいていたので、洞外の工事ができなくなった、だが二週間ののちにはいっさいの設備が完了した。だが一同が救いの船を得るのはいつのときか、あらかじめはかりがたい。それまでむなしく遊び暮らすはもったいない話だと、ゴルドンがいいだした。そこで一定の時間をきめて、課程を学習することとなり、年長者はそれぞれ年少者に教えるべく、分担をきめた。
六月十日の夕、晩餐後の雑談はことにうれしかった。年少者のドールはとつぜんこういった。
「ぼくらが住んでるこの島にも、いろいろ名があるの?」
「無人島だから名はないかもしらん」
とゴルドンは答えた。
「でも、名がないとこまるじゃないの? ぼくらのこの家だって、なんという町かわからない」
「それはもっともだ、諸君、今夜みんなで相談して、名をつけようじゃないか」
「賛成賛成」
「モコウ! 命名式だからコーヒーをごちそうしてくれたまえ」
モコウがつくってくれたコーヒーに舌つづみをうって、一同はストーブをかこんだ。
「まず順序からいうが、ぼくらが第一番に漂着した港は、船の名にちなんで、サクラ湾としたいと思うがどうだ」
とドノバンはいった。
「賛成賛成」
「ぼくらがこの洞を発見したのは、山田左門先生のおかげだから、左門洞とつけたいね」
と富士男はいった。
「賛成賛成」
「サクラ湾にそそぐ川は?」
「ニュージーランド川としよう」
「湖は?」
「平和湖」
「海が見える岡は?」
「希望が岡」
「だちょうを捕った森は?」
「だちょうの森としてくれたまえ」
とサービスがいったのでみんなが大笑いした。
北の岬を北岬という、南の岬を南岬という、犬の歯のように出入しているいくたの岬は、みんな本国を記念に、日本岬、アメリカ岬、フランス岬、ドイツ岬、イタリア岬、支那岬、インド岬と名づけた。
「ですが、この島全体の名をなんとつけるんですか」
と善金がいった。
「そうだ、それがいちばんたいせつな命名だ。諸君知恵をしぼってくれたまえ」
とゴルドンがいった。声に応じて、少年島、親愛島、理想島等の名が出た。
「そうだ、もっといい名がありそうなものだね」
「ぼくは!」
と年少のコスターは、学校におけるがごとく手をあげていった。
「少年連盟島とつけたいのです」
「賛成賛成」
声は一度におこった。
「少年連盟島! じつにいい名だ、コスター君、今夜の命名式はきみが殊勲者だよ」
富士男にほめられて、コスターはさっと顔をあからめながら、しかも得意そうに鼻穴をふくらました。
「そうなると」とモコウはまっくろな顔をつきだしていった。「連盟があるからには大統領がなければなりません」
「賛成賛成」
声々がおこった。
「大統領なんて不必要だ」
とドノバンはいった。
「しかし衆議がまちまちになってきまらないばあいに、それを裁決する人がなければ、連盟の方針が立たない」
と富士男はモコウの説に賛成した。
「賛成賛成」
一同はしだいに熱した。
「諸君がそうしたいなら、僕も異存はないが、しかし選挙をするのかね」
「選挙だ選挙だ」
一同の眼は富士男のほうを見たので、ドノバンは早くも例の嫉妬の念が、むらむらともえだした。
「選挙ならそれもよかろう、しかし任期は六ヵ月ぐらいに限りたいね」
「六ヵ月と限るもいい、そのかわりに、再選もさしつかえないということにして」
とバクスターがいった。
「賛成賛成」
なにかにつけて苦情をいいたがるドノバンも、道理の前には口をつぐむよりほかはなかった。
「そこでぼくは諸君に一言したい」
と富士男は謹厳なる口調でいった。
「われわれ十五人の少年連盟の首領として、われわれが選挙する人物は、われわれのうちでもっとも徳望あり、賢明であり、公平であるところのゴルドン君でなければならん」
「いやいや」
とゴルドンは手をふって、「才知と胆力と正義は、富士男君を第一におすべきだ」
「いやいやそうじゃない、諸君、ゴルドン君を選挙してくれたまえ」
「いや、諸君、富士男君を選挙してくれたまえ」
ふたりはひたいに玉のごとき汗を流して、ゆずりあった。
「どっちでも早くきめてくれ」
とドノバンは不平そうにいった。
「ねえ、ゴルドン君、おたがいにゆずりあってもはてしがない、連盟の第一義は協力一致だ、平和だ、親愛だ、その志について考えてくれたまえ」
富士男はその眼に熱火のほのおをかがやかして、哀訴するようにいった。
「うん」
「大統領という名目は、けっして階級的の意味じゃない」
「うん」
ゴルドンはちらと富士男の顔を見やったときに、ドノバンのねたみのほのおが、わが眼をいるような気がした。彼は急に考えを変えた。
「そうだ、富士男君を大統領にすると、仲の悪いドノバンがなにをするかわからない、連盟の平和のために、自分が甘諾するのは、さしむき取るべき道ではなかろうか」
かれがこう思っているうちに、富士男は一同にいった。
「ゴルドン君の万歳をとなえようじゃないか」
「ゴルドン君万歳!」
一同はさけんだ。
「少年連盟万歳」
冬ごもり
島の各所の命名はおわった。少年連盟の盟主はゴルドンにきまった。ある日富士男はゴルドンにこういった。
「きみに相談したいことがある」
「なんだ」
「われわれの冬ごもりのことだ、もしぼくらが想像するごとくこの島が、ニュージーランドよりずっと南のほうにあるものとすれば、これから五ヵ月のあいだ――十月までは雪のために外へ出ることはできまいと思う。そのあいだわれわれは、なんにもせずに春を待っているのは、きわめておろかな話だと思う。われわれは少年だからいかなるばあいにも学問をやめてはならん」
「むろんそうだ」
「そこでわれわれはこの冬ごもりのあいだに、日課を定めて勉強したいと思うがどうだろう」
「賛成賛成、ぼくもそれを考えていたところだよ、すぐに実行しよう、それにはなにか方法があるかね」
富士男は一枚の原稿を、ゴルドンの前においた。それには十五少年の学級と、受け持ち教導者などがしるされてあった。
十歳組――第一級
次郎(日)
ドール(伊)
コスター(伊)
十一歳組――第二級
善金(支)
伊孫(支)
十四歳組――第三級
ウエップ(独)
ガーネット(仏)
サービス(仏)
バクスター(仏)
モコウ(印)
十五歳――第四級
イルコック(独)
ドノバン(米)
グロース(米)
富士男(日)
以上十四名とし、第四級員は第三級に教え、第三級員は第二級に教え、第二級員は第一級に教え、順次に下級の教導を受け持つこと。次郎(日)
ドール(伊)
コスター(伊)
十一歳組――第二級
善金(支)
伊孫(支)
十四歳組――第三級
ウエップ(独)
ガーネット(仏)
サービス(仏)
バクスター(仏)
モコウ(印)
十五歳――第四級
イルコック(独)
ドノバン(米)
グロース(米)
富士男(日)
ゴルドンはつくづくとこの原稿をひらき見て、首をかしげていたがやがてこういった。
「これにはぼくの役割がないが、ぼくはどうなるのか」
「きみは首領だから学級の総監督をすればいいのだ」
「それはいかん、ぼくもみなと同じく学生だ。首領だからといって、学問をやめることはできない。人間は死ぬまで学生だと昔の人がいった。ぼくも仲間にいれてくれたまえ」
「なるほど、それではきみひとりが第五級だ」
「なぜだ」
「きみは十六歳で最年長者だから」
「そうか」
けんそんなゴルドンも年齢を減らすことができないので、第五級の生徒となることにきまった。
ゴルドンはこのことを一同に相談すると、だれしも異議のあるべきはずがない。一同は喜びにあふれて、その他のいろいろな規律をきめた。毎週二度、木曜と日曜には討論会を開いて、歴史や科学および修身の題目をとらえて議論をたたかわすこと、風なき日には湖畔を散歩し、あるいはランニングの競争をやること、などもきめた。
かかる孤島にあってもっともたいせつなことは、時間の精確である。そこで、イルコックとバクスターは時計係となり、ウエップは寒暖計晴雨計の主任となり、一同の身神をなぐさむるためにガーネットは音楽の主任となって、ハーモニカを鳴らすこととなった。
こういう余興係には、いたずらずきの次郎がまっさきにひきうけねばならぬはずだが、次郎はなぜかいぜんとして沈欝な顔をしているので、他の人々もしいてすすめなかった。
六月の下旬になると寒暖計はしだいにくだって、零点以下十度ないし十二度のあいだを上下するようになったが、しかし洞内にはまきの貯蓄が十分であったから、さまでの苦しみもなかった。
が、ここに一つの難事が出来した、それは雪が深くなるにつれて、年少組は川へ水をくみにゆくことができなくなったことである。ゴルドンは思案にあまって、まず第一に工学博士に相談をした。少年たちはたわむれにバクスターに、工学博士の称をたてまつったのである。
「よしよし考えてみよう」
バクスターは研究に研究をかさねた結果、地中に管をうずめて、川から水をひくことにした。かれはサクラ号の浴室にそなえてあった、鉛管を利用した。
つぎにモコウは、一生けんめいに動物やさかなの料理をするたびに、その脂肪を貯蓄したので、燈火の油に不足の心配はなくなった。
しかしただ心配なのは食料の欠乏である、雪が吹きすさんで猟に出ることもできないので、用意の食料は日に日にへる一方である。モコウが倹約に倹約をかさねてたくわえたかも、しちめんちょうの肉、塩づけのさかな、サクラ号から持ってきたかんづめ類も、今後どれだけのあいだつづくか、はかることができない。のみならず、十歳から十六歳までの少年である、胃袋はおとなよりもすこやかに、食うことにかけてはことごとく豪傑ぞろいだからたまらない。
なおそのうえにやっかいなのは、サービスが生けどっただちょうである。だちょうの大食は少年にまさること数等である、かれのために少年たちは、毎日その食料たる木の根や、生草を、雪深くほらねばならなかった。これには一同へいこうしてサービスにいった。
「おい、いいかげんにして、だちょうをしめて食おうじゃないか」
「じょうだんじゃない、そればかりはかんにんしてくれ」
サービスはとうとう、だちょうの食料はいっさい他の人の手を借らずに、自分ひとりでほりあつめることにした。かれは寒い風に吹かれて、ほおをむらさきにしながら毎日毎日雪をほり、木の根をほった。年少組がそれを見て笑うと、かれは傲然としていう。
「いまに見ろよ、このだちょうは天下の名馬になるから」
七月九日には洞外の温度は零点以下十七度にくだった。だがこのときまきがすでにつきたので、一同は例のだちょうの森にはいって、まきをとることにきめた。それには例の工学博士バクスターの案で、食堂の大テーブルをさかさまに倒し、それを橇となしたので運搬はきわめて便利であった。
協同一致の冬ごもりは、かくして安らかにうちすぎた。八月の末から九月になると、日に日に温度がのぼりゆき、平和湖の水面に春らしい風が吹けば、木々の芽もなんとなく活気づいて見える。
「もう少しあたたかくなったら、遠征にでかけようじゃないか」
一同は毎日こう語りあった。日本人山田左門先生の地図は、かなりゆきとどいたものであるが、しかしそれはおもに西方の地図で、北南東はどうなっているか、肉眼で見た山田先生の地図以外に、望遠鏡で新たな発見があるまいものでもない。
「もういっぺんくわしく調べよう」
九月の中旬からおそろしい風が吹いた。風は一週間もつづいたが、それがやむと天地にわかになごやかになり、春の光はききとしてかがやき、碧瑠璃の空はすみわたって、万物新たに歓喜の光に微笑した。
長い半年の冬ごもりであった! 少年らは解放された小鳥のように勇みたって、あるいはまきをとり、あるいはさかなをつり、あるいは鳥をかりまわった。ゴルドンは火薬を倹約して猟はおもにおとし穴、かけなわ、網などを使用せしめたから、大きなえものはなかったが、小鳥や野うさぎの類を多くとることができた。
ところがここに、一椿事がしゅったいした。ある日サービスは、例のだちょうに餌をやっていると、モコウがそばへよっていった。
「サービス君、この鳥はもう食べてもいいでしょう、またのところがなかなかうまそうだ」
「じょうだんじゃない」とサービスはあわてていった。「これは天下の名馬になるんだ」
「そんなものは役にたちません、食べてしまうほうがいい」
サービスとモコウがあらそっているのを見て、ほかの少年たちはサービスをからかった。
「サービス君、きみはこのだちょうを名馬になるなるというが、いっこうに名馬にならないじゃないか」
「あわれなる友よ」とサービスは妙な声でいった。「千里の馬ありといえども、伯楽なきをいかにせん、千里のだちょうありといえども、きみらには価値がわからない」
「文句をいわずに乗って見せたまえ」
「しからば乗って見せてやろうか、だちょうの快足とぼくの馬術を見て、びっくりしてこしを抜かすなよ」
サービスはこういって、だちょうの首をしずかになでた。
「おい、しっかり走れよ」
かれはまず、その首に手綱をつけた、それから両眼に目かくしをかけ、バクスターとガーネットにひかせて、しずしずと広場の中央にあゆみよった。
一同はかっさいした。サービスは得意満面、やっと声をかけて、だちょうの背に乗らんとしたが、だちょうがおどろいてからだをゆすったので、つるつるとすべって、草の上にどしんと落ちた。
「やあ、どうした、天下の大騎手」
少年らはうちはやした。
「だまって見ておれ」
サービスはかくかくとのぼせあがってどなりながら、五、六回転落ののち、やっとだちょうの背中に乗った。
「どうだい」
とかれは一同を見おろして微笑した。
「いよう、うまいうまい」
「これから走るところを見せてやるぞ、びっくりしてこしをぬかすなよ」
「見せてくれ」
「ようし」
サービスは手綱をとって、だちょうの目かくしをはずした。その一せつな! だちょうはかなたの森をさしてまっしぐらに走りだした。脚は長し、食には飽きたり、自由を得ただちょうの胸には、春風吹きわたり、ひづめの下には春の雲がわく。
「やあやあ、天下の名馬!」
少年たちはあっけにとられてかっさいした。と同時に、サービスの声がはるかにきこえた。
「助けてくれい」
一同はわれさきにと走った。サービスは林のなかに投げだされて、だちょうは影も形もない。
「おい、どうした」
とガーネットがいった。
「うん」
「天下の名馬はどうした」
とゴルドンがいった。
「うん」
「どうしたんだ」
「こしがぬけた」
一同は笑いながらサービスをたすけおこした。サービスのからだには、なんの異状もなかった。
「だから早く食えばよかった」
とモコウがいった。
いよいよ第二の探検を挙行することになった、第一のときには主として富士男が指揮者となったが、こんどは富士男がるす役をして、ゴルドン、ドノバン、バクスター、イルコック、ウエップ、グロース、サービスの七人がゆくことにきめた。
十一月の五日、めいめいこしに短銃をさげ、ゴルドン、ドノバン、イルコックの三人は、さらに鳥打ち銃をかたにかけた。一同は火薬を倹約するために、山田先生の遺物たる飛び弾を、おもに用うることにした、飛び弾というのは、一すじの縄に二つの石をしばりつけ、これを走獣に投げつけて、からだや足にからみつける猟具である。
時は春である、草は緑に、林のなかには名も知らぬ花が咲きみだれている。一同は富士男らの見送りをうけてだちょうの森を左にして、湖にそうて北へ北へとすすみ、その日は左門洞をさる十二マイルの河畔で一泊した。一同はこの河を一泊河と名づけた。
翌朝もぶじにすぎて、砂丘の下で一泊した、三日目の朝に、一同はこれより北は砂漠であることをたしかめたので、ふたたび一泊河へひきかえし、南の岸にわたった、そこでドノバンは重さ三貫五六百匁の野がんをとった。サービスがこれを料理したが、七人では食いきれないので、残りをフハンにやった。
一同はそこから西へ西へとすすんだ。このへんの森はだちょうの森のように稠密ではないが、そのかわりに見るかぎり野草がはえしげって、日の光がまともに照りつけ、毛氈のように美しいしばの上に長さ三四尺もあるゆりの花が幾百幾千となくならんで、風にそよいでいる、ゴルドンはここですこぶる有用な植物を発見した。一本の木がある、葉が小さくて全身にとげがあり、まめほどの大きさの赤い実をもっている。それはトラルカというもので、黒人はこの木の実から、一種の酒を醸造するのである。
もう一つの木は、南米およびその付近の島だけに生ずる、アルガロッペと称するもので、これも酒をつくることができる、一同はゴルドンの指揮に従って、この二種の木の実を採集した。
いまもう一つの木は茶の木で、これもまた十分に採集した。
午後五時ごろ、一同は岩壁の南のほう、一マイルのところまでくると、そこに一条の細い滝が、岩のあいだから落ちているのを見た。疑いもなくこれは、海にそそぐ川の源流である、日はだんだんかたむきかけたので、一同はここに一泊することにきめた。
ゴルドンはバクスターとともに、めずらしい植え木の採集をしていると、とつぜん一方の木のあいだからふしぎな動物が、一隊をなしてぞろぞろと出てくるのを見た。
「なんだろう、あれは? やぎか」
とバクスターがいった。
「なるほど、やぎににた動物だな、とにかくつかまえようじゃないか」
「よしッ」
バクスターは例の飛び弾をくるくるとまわして、風をきって群らがる動物のまっただなかへ投げた。動物の群れはぱっとちったが、そのなかの一頭はたおれておきあがり、おきあがってはまた倒れつしている。ふたりは走りよった。
「三ついるよ」
バクスターはさけんだ。じっさいそれは三頭であった。一頭は母で他の二頭は仔である。
「これはヴィクンヤだ」
とゴルドンがいった。
「ヴィクンヤに乳汁があるだろうか」
「あるとも」
「よし、乳汁が飲めるな、ヴィクンヤ万歳!」
ヴィクンヤは形はやぎににて足は少し長く、毛はやぎより短く頭に角がない。ゴルドンはヴィクンヤをひき、バクスターは二つの仔をだいてテントへ帰ると、一同は喜び勇んで万歳をとなえた。生の牛乳にうえきったかれらとしては、さもあるべきことである。
ヴィクンヤの乳汁を夢みてこころよくねむった一同の夢は、ドノバンの声に破られた。夜明けに近い三時ごろである。
「気をつけイ」
「ど、ど、どうした」
一同はあわてて起きてドノバンにきいた。
「あの声をきけよ、ぼくらのテントをねらって、野獣がやってくるようだ」
「うん、ジャガー(アメリカとら)か、クウガル(ひょうの属)だろう、どっちにしたところがたいしておそるるにおよばない、さかんにたき火をたけよ、かれらはけっしてたき火をこえて突入することはないから」
ものすごい咆哮は、かなたの森のやみの底からひろがってくる、猟犬フハンはむっくとおきて憤怒のきばをならし、とびさろうとするのをゴルドンはやっとおさえつけた。
「きたぞきたぞ」
とバクスターはやみをすかして見ていった。いかにもそのとおりである、ちょうど十間ばかり前に、血にうえた幾点点の眼の光! ただそれだけがたき火にうつって、しだいに近づくのが見える。
「だいじょうぶだ」
声とともに一発の銃声が夜陰の空気をふるわした。
「手ごたえがあったぞ」
とドノバンがいった。バクスターは燃えしきるかれ枝を手に取って動物の群れに投げこみ、その光で周囲をじっと見つめた。
「逃げたらしいぞ」
「一頭だけたおれてる」
「またやってきやしまいか」
「だいじょうぶだ」
だが一同はもうねむることをやめた。ここは左門洞から九マイルのところであった。一同は六時にそこを出発した。家を出てから四日目である、早くるすいの友の顔を見たい、帰心矢のごとく、午後の三時ごろにはもう家をさること一マイルのところへやってきた。ヴィクンヤは一同がかわるがわる二つの仔をだいてやったので、柔順についてきた。
このときドノバン、ウエップ、グロースの三人は、他の四人より一町ばかり前方を歩いていたが、とつぜん後隊をふりむいてさけんだ。
「気をつけイ」
ゴルドン、イルコック、バクスター、サービスはすぐに武器をとりだして身がまえた。とたんに、かれらは前面の森から殺奔しくる、一個の巨獣を見た。
「なんだろう」
「なんだろう」
みながひとみを定めようとするまもあらせず、サービスは風をきってヒュウとばかりに飛び弾を投げた。ねらいをあやまたず、縄は怪獣の足にからみついた。からまれながら怪獣は、死に物ぐるいの力を出して、縄のはしを持っているサービスをひきずりひきずり、森のほうへ逃げこもうとあせった。それはじつにおそろしい力である。サービスはさけんだ。
「みんなきてくれ」
ゴルドン、イルコック、バクスターの三人は走りよってサービスに力をそえ、縄のはしを大木の幹にしばりつけた。怪獣は眼をいからし、きばを鳴らしてくるいまわるたびに、大木はゆさりゆさりと動いて、こずえは嵐のごとく一左一右した。
怪獣はラマという動物でらくだの属であるが、らくだほど大きくない。これを飼養してならせばうまの代用になる。
「ラマだよ」
とドノバンは笑ってサービスにいった。
「きみの乗馬にしたらどうだ」
「乗馬はもうこりごりだ」
とサービスはいった。一同は笑ってラマをひきたてた。
一同の遠征はけっしてむだでなかった、かれらは酒の原料や、茶の木を発見し、ヴィクンヤおよびラマを生けどり、飛び弾の使用法に熟達した。一同が帰ったとき、洞の外にひとり遊んでいたコスターはそれを見て、すぐ家の中へ走りいって富士男に知らしたので、富士男はるすいの一同をつれて洞外へむかえでた。たがいに相抱擁して万歳の声はしばらくやまなかった。
ちょうどゴルドン一行が不在のあいだに、富士男はかねがね心にかかることがあるので、弟の次郎をひそかによんできいた。
「次郎君、きみはニュージーランドを出てからいつもふさぎこんでるが、なにか気になることがあるのかえ」
「なんでもありませんよ兄さん」
「なにか心配があるなら、ぼくにだけ話してくれないか」
「なんにもありません」
「いや、そんなことはない、みながそれで心配してるんだ、ぼくにうちあけてくれ」
「ぼくはね、兄さん」次郎はなにかいわんとしてくちびるを動かしかけたが、すぐ両眼にいっぱいの涙をたたえ、「ごめんなさい兄さん、ぼくが悪いんです。ぼくが悪いんです」
「なにが悪いのだ」
次郎はわっと泣きだした、それから富士男がなにをきいても答えなかった。
一同がいろいろ苦心するにかかわらず、やっぱり食料は日一日とへっていった。このうえは大規模をもって食料貯蓄の方法をとらねばならぬと、富士男は決心した。かれはゴルドンとはかって、湖畔や沼沢や、森のなかに、ベッカリーやヴィクンヤ等の、大きなけものをとらうるにたるほどの、大じかけなおとし穴をつくることにした。
年長組がこの大きなおとし穴をつくりつつあるあいだに、年少組はバクスターを首領にして、ヴィクンヤなどを入れておく小舎を建てることにむちゅうになった、小舎はサクラ号から持ってきた板をもってつくり、屋根は松やにを塗った油布をもっておおい、小舎の周囲には森からきりだした棒杭をうちこんで柵とした。
小舎のなかにはゴルドンらがとらえてきたもののほか、新たにおとし穴でとらえたラマ一頭と、バクスターがイルコックとともに飛び弾で生けどった牝牡二頭のヴィクンヤがいた。
ゴルドンは一同に飛び弾の練習をさせたが、バクスターとイルコックがもっともじょうずになった。
その他、別に養禽場一棟を建てた。そこにはしちめんちょう、野がん、ほろほろちょう、きじの類をとらえしだいにはなちがいにした。このほうの係は善金と伊孫その他最年少組で、かれらは喜んでこれをひきうけた。
ところがひとりこまったのは、モコウである、まず生の乳汁が飲めるようになり、家禽が毎日卵を生む、これほどけっこうなことはないのだが、さて一得あれば一失ありで、乳汁や卵ができると急に砂糖の需要がはげしくなる、貯蓄の砂糖が見る見るへってゆくのを見ると、モコウはたまらなく心細くなる、さればとてみなにうまいものを食べさせて、その喜ぶ顔を見るのが、モコウの第一の楽しみなのである。
ところが、この心配もモコウの頭からきえるときがきた。ゴルドンはある日、だちょうの森を散歩したとき、一むらの木のその葉、うすむらさきの色をなせるのを見ておどりあがって喜んだ。それは砂糖の木であった。一同はこの木の幹をきって、そのきり目からふきだすところの液をあつめて、それを煮つめると、なべの底に砂糖のかたまりがのこった。その味は甘蔗からとったものにはおとるが、料理に使うには十分である。
砂糖がどんどんできる、酒もできる、ただたりないのは野菜だけである。
だがそのかわりに肉類は十分になった、富士男ドノバンらは三日のうちに、森のなかで、五十余頭のきつねをとったので、りっぱなきつねの毛皮は冬の外套用としてたくわえられた。それからまもなく少年連盟は総動員をもって海ひょう狩りの遠征を挙行した。
海ひょう狩りの目的は、サクラ湾に群棲する海ひょうをとって、その油をとることにあった。じっさい洞窟内のもっともなやみとするところは、夜間の燈火が不十分なことである。
全員十五名、場所はすでにいくどもゆきなれた、サクラ湾である、路程は遠からず、危険のおそれがないので、年少組までのこらずつれてゆくことにした。ひさしぶりの遠征に、年少連は夜が明けるのも待ちかねて、小いぬのようにとんだり、走ったり、海ひょう狩りの壮快な気分にようていた。
夜はほのぼのと明けて、太陽の光が東の天に金蛇を走らしたころに、一同は身軽に旅装をととのえた。バクスターが苦心してつくった車に、ガーネットとサービスが、かいならした二頭のラマをつけ、車の上には硝薬、食料、鉄の大なべ、数個のあきだるをのせ、勇みに勇んで左門洞を出た。
風あたたかに空は晴れて、洋々たる春の平野を少年連盟はしゅくしゅくとしてねってゆく。とちゅうでドールとコスターはつかれて歩けなくなったので、富士男はゴルドンに相談して、ふたりを車の上に乗せた。一行が沼のほとりをたどってゆくと、とつぜん一個の巨獣が、がさがさと音をたてて、灌木林のなかへ身をひそめた。
「なんだろう」
一同は立ちどまった。
「かばだ」
とゴルドンがいった。
「昼寝をじゃましてすまなかった」
と富士男はいった。
サクラ湾についたのは十時ごろである。河畔の木陰にテントを張ってはるかに浜辺をみわたせば、水波びょうびょうとして天に接し、眼界の及ぶかぎり一片の帆影も見えぬ、遠い波は青螺のごとくおだやかに、近い波はしずかな風におくられて、ところどころに突出した岩礁におどりあがりまいあがり、さらさらとひいてはまたぞろぞろとたわむれている。
その岩礁の上に! 見よ! 幾百とも知れぬ海ひょうが、うららかな春の日に腹をほして、あおむけに寝ころんだり、たがいにだきあってはころげおちたり、追いかけごっこをしてはかみあったり、なにかにおどろいたように首をあげては走って、波にとびこんだりしている。
一同はかれらをおどろかさぬように、木陰にかくれて昼飯をすまし、それから思い思いの身支度にとりかかった。
年少組の善金、伊孫、次郎、ドール、コスターは、モコウとともに、テントのなかにとどめおくことにした。その他はめいめい猟銃をさげて、堤のかげをつとうて河口へおり、浜辺の岩のあいだを腹ばいになってすすんだ。
生まれて一度も人間のすがたを見たこともなく、よしんば人間を見ても、いまだ一度も他から危害をくわえられたことのない海ひょうどもは、かかるべしとは夢にも知らず、いぜんとしてばらばら、ぞろぞろ、組んずほぐれつ遊びたわむれている。
一同はしあわせよしと喜びながら、たがいに十間くらいずつの間隔をとって、一列にならび、海ひょうの群れを陸のほうに見て、海のほうへ一文字に横陣をすえて海ひょうの逃げ路をふさいだ。
「用意!」とゴルドンは手をもってあいずをした。
「うて!」
九ちょうの猟銃は一度に鳴った。距離は近し、まとは大きい、一つとしてむだの弾はなかった。ぼッぼッぼッと白い煙がたって風に流れた。海ひょうはびっくりぎょうてんして上を下へとろうばいした、ただ見る一塊のまどいがばらばらととけて四方にちり、あるものは海へとびこみ、あるものは岩にかくれ、あるものは逃げ場を失って、岩の上をくるくるまいまわった。
煙がぼッぼッぼッととぶ、銃声は青天にひびいて海波にこだまする。
もうもうたる白煙のもと! 泡だつ波のあいだに見る見る海ひょうしのしかばねが横たわった。
「そらゆけ!」
一同は思い思いに海ひょうをとらえた。
「ステキに大きなやつがいる」
とひとりは脚をとってさかさにつるして見せる。
「いや、それよりも大きなのがここにもある」
とひとりがいう。
歓喜の声! 三十余頭の海ひょうを、九人の少年がえいえい声をあわして運んで来たとき、年少組はおどりあがってかっさいした。
「毛皮の外套が着られるね」
とコスターはいった。
「ぼくは帽子にする」
とドールがいった。
「ぼくはさるまたにする」
と善金がいう。
「毛皮のさるまたをしてるものは雷さまだけだよ」
と伊孫がいう。
「雷さまのさるまたはとらの皮だ」
「海ひょうのさるまたはモダーンの雷だ」
一同は腹をかかえて笑った。このあいだにモコウは、二つの大きな石をならべてかまどをつくり、それに大なべをかけて湯をわかすと、ゴルドンらは海ひょうの皮をはいでその肉を六七百匁ほどの大きさに切り、どしどしなべにほうりこんだ。
「やあやあ、くさいくさい」
年少組は鼻をつまんで逃げだした。
「しんぼうしたまえよ」
やがてあわだつ湯玉の表面に、ギラギラと油が浮いてきた。
「さあさあくみだせくみだせ」
一同は肉をなべにほうりこんでは、ひしゃくをもって油をたるにくみだした。それは一分一秒も休息するまがないほどの、いそがしさであった。三十頭の海ひょうを煮て、数百ガロンの油をとりおわったときに、春の日もようやく西にかたむいて、天には朱のごとき夕焼けの色がひろがりだした。それはあすの快晴を予報するものであった。
徳と才
千八百六十一年の新年がきた。南方の一月は夏のさなかである。指おり数うれば少年らが国を去ってからはや十ヵ月がすぎた。故郷へ帰りたさは胸いっぱいであるが、救いの船が来なければ帰るべきすべもない。
またしても第二の冬ごもりの準備をせねばならなくなった、だがかれらはもう十分に経験をなめたので、すべての仕事はぬけめなく運んだ。まず家畜小舎を洞の近くへうつす計画をたて、バクスター、富士男、サービス、モコウがその工事をひきうけた。一方において、ドノバンとその一党たるイルコック、ウエップ、グロースの三人は、毎日猟銃をかついでは外へ出て、小鳥をとって帰った。
ある日富士男はゴルドンとともに森のなかを散歩した。小高き丘にのぼると自分らの洞窟が一目に見える。岩と岩のあいだ、こんもりとしげった林、川の方へひろがる青草の路、そのあいだに点々としてあるいは魚を網し、あるいは草をかり、あるいは家畜にえをやり、あるいは木材を運ぶ同士のすがたが画のごとく展開する。
「ああかわいそうだなあ」
富士男の眼には涙がかがやいていた。
「なにが?」
「ぼくらは年長者だから自分の運命に対してあきらめもつく、また気長く救いを待つ忍耐力もある、だがあのちいさい子たちは、家にいると両親のひざにもたれる年ごろだ。この絶海の孤島に絶望の十ヵ月をけみして、しかもただの一度も悲しそうな顔もせず、一生けんめいに心をあわして働いてくれる。それはぼくらを信ずればこそだ。かれらは一身をぼくらの手にまかしているのだ。それにぼくらはかれらを救う道具を見いだしえない。じつに情けないことだ。ぼくらは自分の責任に対してまったくすまないと思う」
「いかにもそうだ」とゴルドンも嘆息して、「しかしそれはぼくらの力でどうすることもできないことだ、しずかに運命を待とうじゃないか、きみの憂欝な顔をかれらに見せてくれるなよ、かれらはきみをなにより信頼してるんだから」
「それについてぼくはきみに相談がある。ぼくらはこの土地を絶海の孤島と認定してしまったが、まだぼくらの探検しつくさない方面がある、それは東の方だ、ぼくは念のために東方を探検したいと思うがどうだろう、あるいは東のほうに陸地の影を見いだすかもしれぬからな」
「きみがそういうならぼくも異議はないよ。五、六人の探検隊を組織していってくれたまえ」
「いや、五、六人は多すぎる。ぼくはボートでもって平和湖を横ぎろうと思うのだ、ボートはふたりでたくさんだ、おおぜいでゆくとボートがせますぎるから」
「それは妙案だ、きみはだれをつれてゆくつもりか」
「モコウだ、かれはボートをこぐことが名人だ、地図で見ると六、七マイルのむこうに一条の川がある。この川は東の海にそそぐことになっている」
「よし、それじゃそうしたまえ、だがふたりきりでは不便だからいまひとりぐらい増したらどうか」
「けっこう、じゃぼくの弟次郎をつれてゆきたい」
「次郎君か? あんまりちいさいから、かえってじゃまになりゃせんか」
「いや、ぼくには別に考えがある。次郎は国を出てから急に沈鬱になって、しじゅうなにか考えこんでいるのはどうもへんだと思う、このばあいぼくはかれにそのことをたずねてみたいと思う」
「次郎君のことはぼくも気にかかっていた、きみがそうしてくれれば非常につごうがよい」
その日の夕飯時に、ゴルドンは富士男、モコウ、次郎を遠征に派遣するむねを一同に語った。一同はことごとく賛成したが、ひとりドノバンは不服をいいだした。
「それではこの遠征は、少年連盟の公用のためでなく、富士男君の私用のためなのかね」
「そんな誤解をしちゃいかんよ、たった三人で遠征にでかけるのは、ひっきょう一同のために東方に陸地があるやいなやを探検のためじゃないか、きみは富士男君に対してそんな誤解をするのは紳士としてはずべきことだよ」
ゴルドンはすこしくことばをあらげてドノバンを責めた。ドノバンはだまって室を出ていった。
翌日富士男はモコウと次郎をつれてボートに乗り、一同にしばしの別れを告げた。
いま富士男がしるした日記の一節を左に紹介する。
二月四日 朝八時ぼくは次郎とモコウをしたがえて一同に別れを告げた。ニュージーランド川より平和湖へこぎだすに、この日天気晴朗、南西の風そよそよと吹いてボートの走ること矢のごとし。
ふりかえって見ると湖のほとりに立っている諸友の影はだんだん小さくなり、棒の先に帽子をのせてふっているのはゴルドンらしい、大きな声でさけんでいるのはサービスだろうか。それすらもう水煙微茫の間に見えなくなって、オークランド岡のいただきも地平線の下にしずんでしまった。
十時前後から風ようやく小やみになって、正午には風まったくなくなった。帆をおろして三人は昼食を食べた。それからモコウとぼくがオールをとり、次郎にかじをとらして、さらに北東にこいでゆくと、四時になってはじめて東岸の森が低く水上に浮かびでるのを見た。
湖の面はガラスのごとくたいらかで、水はなんともいえぬほどすんでいる。十五、六尺下にしげっている水底の植物と、これらの植物のあいだを群れゆく無数の魚は手にとるごとく見える。
午後六時にボートは東岸の丘についた、そこはちょうど川口になっているので、山田先生の地図にある川はこれだとわかった。ぼくはこれに名をつけた。
「東川」
この夜はボートを岸につないで三人は露宿した。
五日 朝六時に起きふたたびボートにあがりただちに川にこぎいれた。ちょうど退き潮のときだからボートはおもしろいように流れをくだって、モコウがひとりオールをもって両岸の岩につきあたらないようにするだけであった。
ぼくはともにすわって両岸をながめゆくに、つつみの上には一面に樹木が密生し、そのなかにまつとかしわがもっとも多かった。これらの樹木のなかにその枝あたかもかさのごとく四方にひろがり、ていていとしてひいでたる樹を発見した。その枝には長さ四、五寸の円すい形の実がぶらりぶらりたれてある。ぼくはゴルドンのように植物学にくわしくないが、これは博物館で見たことのあるストーンパインであるとわかった。ストーンパインの実のなかには楕円形のかたい実があって生のまま食うとかんばしい、またこれから油をとることもできる。
樹間にはだちょう、のうさぎの類がいかにも愉快げに遊んでいる、二頭のラマが木蔭に休んでるのも見た。
十一時ごろから川の行く手に一道のうっすりとした青い色が、しだいしだいに地平線上にあらわれた、それは海であった。
この湾はサクラ湾とはまったくおもむきを異にし、サクラ湾のように一帯の砂地ではなく、無数の奇岩怪石があるいは巨人のごとくあるいはびょうぶのごとくそこここに屹立している、しかもこの岩と岩のあいだには冬ごもりに適当な洞穴がいくつもいくつもあった、もしぼくらが最初にここに漂着したなら、このところを住まいとなしたであろう。
ぼくはこんなことを考えながら望遠鏡をとって東のほうを熱心にながめた、双眸のふるかぎりはただ茫々寂々たる無辺の大洋である。
そのあいだに一点の帆影も見えない、一寸の陸影も見えない。
「やはり海ですね」
とモコウはがっかりしていった。
「たぶんそうだろうとは思ったが……いよいよぼくらは絶海の孤島に漂着したことがたしかになった」
とぼくはいった。そうしてぼくはこの湾に命名した。
「失望湾」
このときモコウは、あわただしくぼくの腕をとらえてさけんだ。
「あれはなんでしょう」
モコウの指さすほうを望み見ると、水天髣髴のあいだに一点の小さな白点がある。ぼくは雲のひときれだろうと思った、だがじっとそれを見ているが白点は少しも動かぬ、大きくもならなければ小さくもならぬ。
「山だ、だが山はあんなに白く見えるはずがない」
ぼくらはなおもかわるがわる望遠鏡をとってながめたが、もう太陽は西にかたむいて海波に金蛇がおどれば、蒼茫たるかなたの雲のあいだに例の白点が消えてしまった。
「波が太陽の光線を反射したのでしょう」
とモコウがいった。
「そうだそうだ」
と次郎もいった。だが僕にはどうしても単に光線の反射とのみは思えなかった。
富士男の日記はこのページから厳封されて読むことができないから、著者からさらにその夜のできごとを報道することにしよう。
河口にボートをつないで、三人は、とちゅうで撃ったしゃこを焼いて晩飯をすました、六時は過ぎたが進潮まではまだ三時間もあるから、モコウはストーンパインを採集して諸友へのおみやげにしようと森のなかへはいった。
背中に重さを感ずるほどストーンパインをおうてボートへ帰ると、富士男と次郎のすがたが見えない。
「はてな、めずらしい草でも採集してるのだろうか」
モコウがこう思いながら深い草を分けてゆくと、とつぜん大きな木の下から次郎の泣き声がきこえた。
おや! と思うまもなく富士男のしかる声、
「なんということをしたのだ、それでおまえは良心にはじるから、ふさぎこんでいたのだね」
「ごめんなさい、兄さん、ぼくが悪かったのです」
「悪かったというだけではすまないじゃないか、みんながこんなに難儀するようになったのも、おまえが悪かったからだ、こんなはなれ島にみんなを……」
「ごめんなさい、だからぼくはみんなのためにはいつでも命をすてます」
「そうだ、おまえはおまえの罪をあがなわなきゃならんぞ」
モコウはがくぜんとしてそこを去ろうとした、がそれはすでにおそかった。次郎がおかした罪のしさいを、すでに、ことごとく聞いてしまったのだ。兄弟の永久の秘密を!
人の秘密を立ち聞きするほど卑劣な行為はない、しかも主人兄弟の秘密である。さりとて聞いてしまったうえは、もはやとりかえしがつかぬ。モコウは足をしのばしてボートへ帰り、ひとり出発の準備をしていると、やがて富士男がひとりもの思わしげに帰ってきた。
「次郎さんは?」
とモコウがきいた。
「次郎はいまうさぎを撃っている」
富士男はこういってボートにはいった。
「富士男さん!」
モコウはとつぜん富士男の前にひざまずいた。
「ぼくはひじょうに悪いことをしました」
「なんだきみは?」
富士男はおどろいてモコウの顔を見た。
「ぼくはいま木の陰へゆきましたら、聞くともなしに次郎さんの告白を聞きました」
「聞いたか?」
富士男の顔は、さっと青白くなった。
「聞きました、聞くつもりでなかったけれども聞きました。ですが富士男さん、どうか次郎さんの罪をゆるしてあげてください」
「ぼくは兄弟だからゆるしてやりたいが、しかしみんなはけっしてゆるさないだろうと思う」
「むろんゆるしはしますまいが、それをいま荒らだてて言ったところで、しようのないことです、いずれ次郎さんにはそれをつぐなうだけの手柄はさせますから、それまではどうか秘密にしてあげてください」
「きみがそういうなら、ぼくもいましいて弟の罪はあばきたくないよ」
「ありがとうございます」
「いや、お礼はぼくがきみにいわなきゃならんのだ」
やがて次郎がうさぎをさげて帰ってきた。十時になって潮がさし始めた。三人はボートをこぎだした。ちょうどその夜は満月であった、清光昼のごとく、平和湖に出たのはもう夜半であった。その夜はそこに一泊し、翌日の午後六時ごろぶじ左門洞につくことができた。
そのとき湖畔につり糸をたれていたガーネットが三人のボートを見るやいなや、さおをすてて洞穴へ走り、三人の帰着をしらせたので、連盟少年はゴルドンをはじめとし一同でむかえて万歳をとなえた。
この夜富士男は一同をあつめて遠征の結果を報告し、北東のほうに見えたあやしき白点のことなどをつまびらかに語った。いろいろな議論が出た。
「鳥か雲かをたしかめるために船をつくって遠征しよう」
「いや、そんなことに骨を折るよりもこの島に安住するほうがよい」
議論の結果はやはりむだな冒険をせずに冬ごもりの準備をするほうがかしこきしかただと決定した。
この月の中旬イルコックはニュージーランド川に一隊のさけがくだりゆくのを発見したので、毎日あみをおろしてさかんにさけを捕獲した。ところがさけが多くとれればそれをたくわえる方法を考えなければならぬ。そこでひじょうにたくさんの塩が必要になった。一同はサクラ湾に製塩場をつくった。もとより完全なものではないが、浜辺に四角の大きな水ぶねをおいて、それに潮水をくみいれ、太陽の熱でもってその水気を蒸発させ、その底にのこった塩をかきあつめるようにしたのである。
これはじつにはかばかしからぬ計画である、だが少年の共同一致の誠の力は十分に塩を製しうることができた。
三月になってドノバンはウエップとイルコックのふたりとともに毎日小鳥がりをつづけた。
ゴルドンはみずから主となってだちょうの森へいってまきを採伐し、二頭のラマをつかって運搬をしたので、六ヵ月分以上のまきの貯蓄ができた。
このあいだにもゴルドンは例の日課の勉強だけは一度も休まなかった、一週に二度の討論会もつづけた。討論会ではいつもドノバンが能弁をふるって一同をけむにまいた。
ある日、四月二十五日の午後、少年連盟の上にとりかえしのつかぬ不詳の事件がおこった。それはほんのささいな輪投げの遊戯からの衝突である。
輪投げというのは平地の上に二本の棒を立て、一定の距離をとってこの棒にはまるように木製の輪を投げるのである。
リーグ戦の一方は富士男、バクスター、サービス、ガーネットの一隊で、一方はドノバン、ウエップ、イルコック、グロースの四人である。
最初は合計七点で富士男組が勝った、つぎは六点でドノバン組が勝った。最後の決勝! それこそきょうの晴れの勝負である。幼年組が熱中するにつれて年長組もだんだん昂奮してきた。一点また一点、双方が五点ずつとなった、しかも残ったのは両軍ともひとりずつすなわちドノバンと富士男の一騎打ちである。
「ドノバン、しっかりたのむよ、負けたらたいへんだ、どうだね」
ウエップはむちゅうにさけんだ。
「だいじょうぶだよ、ぼくの手並みを見ておれ」
ドノバンはどんな小さなことでも他人に負けるのがきらいであった。それだけかれは不屈不撓の気魄をもっているのだが、ときとして負けるのがいやさにずいぶん卑劣な手段を用うることがある。
かれは輪に手を持ったまま、きっとくちびるをむすんで鉄の棒をにらんだ。もしかれが勝負を度外においてただ遊戯本位に考えをまとめ、負けてもきれいに負けようという気になって胸をしずめたなら、十分に成功したかもしれないのであった。負けたくない負けたくないといういらいらした気分が頭にせりあがるために、かれの神経はつりあいを失いねらいを正確に定めることができなかった。
かれは矢声をはなって輪を投げた、輪はくるくると旋回して棒の頭にはまらんとしてかすかにさすったまま地上に落ちた。
「しまった」
とグロースがいった。
「いやいや敵もまたしくじるから同点になるよ、見ていたまえ」
とイルコックがいった。
最後に富士男の番になった。
「富士男君たのむぜ」
とサービスがいった。
「あてにするなよ、ぼくはへただから」
と富士男は微笑した。そうしてはるかの棒を見やった。かれはもとより勝敗に興味をもたなかった、負けたところでさまでの恥でもないし、勝ったところでほこるにたらず、こう思っている。
かれは棒と自分の距離をはかり、それから手に持った輪の重さと旋回の力を考え、つぎに自分のからだの位置とコントロールを考えてるうちに、それを考えることの興味のほうが勝敗の興味よりもずっと深くなってきた。それだけかれは冷静であった。
かれはねらいを定めて輪を投げた、輪はうなりを生じて鉄棒を中心にくるくるくるとからまわりをしながら棒の根元にはまった。
「二点! 万歳! 総計七点! 万歳!」
サービスはおどりあがってさけんだ。
「万歳! 勝った」
とバクスターもガーネットもおどった。
「異議がある」
とドノバンはさけんだ。
「なんだ」
とサービスがいった。
「富士男君はカンニングをやった」
「そんなことはない」
「いやカンニングだ」
ドノバンはまっかになってサービスをどなった。
「どうしてカンニングというか」
「富士男君はラインの外に足をふみだした」
「それはきみの見あやまりだ、富士男君は一歩も足をふみださない」
「いやふみだした」
ふたりの争いがあまりにはげしくなるのを見て富士男は前へすすみでた。
「ドノバン君、こんなことは遊戯だからどうでもいいけれども、しかしカンニングで勝ったと思われては人格上の問題になるから、それだけは弁明しておくよ、僕はけっしてラインをわらなかったよ」
「いやわった」
「ではくつのあとと白墨の線とを見てくれたまえ」
「そんなものは見んでもわかってる、きみは卑劣だよ」
「卑劣? そんなことばがきみの口から出るとは思わなかったね」
「卑劣だ、いったいジャップは卑劣だ、なんだ有色人種のくせに」
ドノバンはペッと大地につばをはいた。富士男の顔はさっとあからむとともに、そのいきいきとした大和民族特有のまっ黒なひとみからつるぎのごとき光がほとばしりだした。
「もういっぺんいってみろ」
「ジャップは卑劣だ、有色人種は卑劣だ」
「こらッ」
富士男はドノバンの腕をぐっとつかむやいなや、右にひきよせて岩石がえしに大地にたたきつけた。それはじつに間髪をいれざる一せつなの早わざである。他の少年たちはただあっけにとられて眼をぱちくりさせた。
「もういっぺんいう勇気があるか」
富士男はぐっとそののどもとをおさえていった。がこのときゴルドンが急をきいてかけつけてきた。
「どうしたんだ、まあよせよ」
かれは富士男をひいて立たしめ、それから赤鬼のごとく歯がみをして立ちあがったドノバンの腕をしっかりとつかんだ。
「どうしたんだ、きみらにはにあわんことをするじゃないか」
「ぼくは卑怯者を卑怯だといったのに富士男は乱暴をした」
とドノバンはいった。
「それはいかん、きみが富士男君を卑怯者だといったのが悪い」
「しかしかれは腕力に……」
「侮辱的のことばは腕力よりも悪いよ」
「そんなことはない」
「きみはだまっていたまえ」
ゴルドンはこういって富士男にむかい、
「どうしてこんなことになったのだ」
「ドノバン君がぼくを卑劣だといっただけなら、ぼくはききながしておくつもりだったのだ、だがかれは遊戯に負けたくやしさのやり場がないところから、ぼくをカンニングだの卑劣だのといったうえに、ジャップは卑劣だ、有色人種は卑劣だといったから、ぼくはちょっとジャップの腕前はどんなものかを見せてやっただけだ」
「ほんとうか」
ゴルドンは顔色をかえてドノバンにいった。
「ほんとうとも、ぼくの本国では日本人と犬入るべからずと書いた紙札を畠に立ててあるんだ」
「きみは……けしからんことをいう」
とゴルドンはどなった。
「このとおりだ」と富士男は笑って「アメリカ人が犬であるか、日本人が犬であるか、いまぼくがいうまでもなく諸君がわかったろう。諸君、ぼくは高慢なアメリカ人、伝統のないアメリカ人、礼儀も知らず道義も知らず物質万能のアメリカ人、とこういったなら米国人はどんな気持ちがするだろう。おたがいにその国をののしったり、種族をののしったりすることはつつましまなければならん。他をののしることはやがてみずからをののしることなのだ、がんらい少年連盟は八ヵ国の少年をもって組織された世界の王国なのだ。もし人がぼくにむかってきみはどの国民かときいたなら、ぼくはいまたちどころに答えるであろう、僕は少年連盟国の人民ですと。この島にあるかぎりはぼくは連盟をもって僕の国籍とする、それでなければ長い長いあいだの洞窟生活ができべきはずがない。じっさいぼくは連盟国のひとりとして世界に立ちたい、もしさいわいにぶじにニュージーランドへ帰ることができれば、ぼくはさらに連盟を拡大して世界の少年とともに、健全な王国を組織したいと思っているのだ。ドノバンはなんのためにその頑冥なほこりと愚劣な人種差別とをすてることができないのだろう。なぜその偏狭な胸をおしひらいて心の底からぼくらと兄弟になることができないのだろう。日本のことわざに交わりは淡として水のごとしというのがある、日本人は水のごとしだ、清浄だ、淡白だ、どんな人とでも胸をひらいて交わることができる。しかるに米国人たるドノバンはいつもにごっている。ぼくは日本をほこるのじゃない、米国をののしるのじゃない、しかしきょうこんなさわぎになったのをみて諸君の公平な眼で見た裁判に一任する。ぼくが正しいか、ドノバンが正しいか、ジャップたるぼくが正しいとすれば、ヤンキーたるドノバンはのろわれねばならん、そうしてその国の名誉もけがされねばならん」
「そのとおりだ」
とゴルドンはげんぜんとしていった。
「ドノバン君、あやまりたまえ」
「いやだ」とドノバンはいった。「きみはいつでも富士男君のかたをもつんだね」
「富士男君は正しいからだ、ぼくは連盟の総裁として正しきにくみするだけだ、どう考えてもきみは悪い」
「悪くないよ」
「まあ待てよ、きみはいま昂奮してるから、とにかく森のほうへでも行って熱気をさましてきたまえ、富士男君もそれまであまり追究せずにいてくれたまえ」
「ぼくはいつでもドノバン君と握手したいと思っているよ」
と富士男はいった。
五月になるとそろそろ寒さがきびしくなってきた。森の小鳥は遠く海をこえてあたたかな地方へうつった。一同は毎日多くのつばめをつかまえてはそのくびに一同が漂着のことを書いた布をむすびつけて、はなしやった。
六月になると大統領の改選期である。ドノバンはこんどこそは自分が大統領に選挙されるだろうと、例のもちまえのうぬぼれからそのときがくるのを待っていた。ところがじっさいにおいてはかれを好くものはイルコック、ウエップ、グロースの三人だけで、その他の少年はドノバンをこのまなかった。それはドノバンがその才知にまかせて弁舌をふるい、他の少年を眼下に見くだすためと、いま一つは富士男のために投げとばされてさんざん説教された醜態を演じたためである。
だが少年の心は単調を喜ばぬ、かれらはそろそろゴルドンがいやになってきた。温厚なゴルドン、常識にとんだゴルドン、しかも少年たちにはきびしく毎日の学課を責めて、すこしもかしゃくしないゴルドン。どこが悪いというでもないが、なんとなくこんどの大統領はゴルドンでなく別の人であってほしいような気がした。
六月十日の午後、選挙会が開かれた。めいめいは紙片に候補者の名をしるして箱に投ずることとなった。ゴルドンは英国人特有のげんしゅくな態度で選挙長のいすについた。
選挙の結果は左のごとくであった。
富士男――九点。ドノバン――三点。ゴルドン――一点。
富士男は最大多数であった。ゴルドンとドノバンは選挙権をすて富士男はゴルドンに投票し、ウエップ、グロース、イルコックはドノバンに投票したのであった。
票数がよみあげられ、大統領は富士男と決定した、ドノバンは絶望のあまり面色を土のごとくになしてくちびるをかんでいた。富士男はひじょうにおどろいて百方辞退したが規律なればいたしかたがなかった。
「ぼくはとてもその任ではないと思うけれども、ゴルドン君に助けてもらったらあやまちなくやってゆけるだろうと思う」
かれはこういってようやく就任した。万歳の声が森にひびき雪の野をわたって平和湖までとどろいた。
この夜富士男はひそかに弟の次郎をよんだ。
「次郎君、ぼくが大統領になったのをきみはどう思うか」
「ぼくはひじょうにうれしいよ、兄さん」
「どうして?」
「兄さんが大統領になったから、どんな用事でもだれにでもいいつけられるだろう、そうすると兄さん……これからいちばんむずかしい仕事があったらぼくにいいつけてください、ぼくは命をすててもかまわないから」
富士男はにっこり笑っていった。
「よくいってくれたね次郎君、じつはぼくもそう思っているのだ」
サクラ湾頭に立てた旗がさんざんに破れたので、蘆をとって大きな球をつくりそれをさおの先につけることにした。八月といえば北半球の二月である。寒暖計の水銀は零点下三十度にくだる日が少なくなかった。少年らは終日室内から一歩も出ることはできない。かれらは喜んで富士男の指揮にしたがった。一同がもっとも感激したのはゴルドンの態度であった、かれは大統領の任を富士男にわたすとともに率先して他の少年とともに富士男の号令に服従して、もっとも美しき例をしめした。
が、人心はその面のごとく異なる。少年連盟におそるべき事件が勃発した。
分裂
暖気がにわかにまわって湖水の氷が一時にとけはじめた。島に二年目の春がおとずれたのだ。天は浅黄色に晴れて綿雲が夢のように浮かぶ。忍苦の冬にたえてきた木々がいっせいに緑の芽をふきだす。土をわって草がかれんな花をつけた。金粉の日をあびて小鳥が飛びかい、樹上に胸をふくらまして千囀百囀する。万物がみないきいきとよみがえったのだ。それにもまして喜んだのは長い冬ごもりに、自由をうばわれていた少年連盟である。幼年組も年長組も一団となって洞穴をぬけだし、春光まばゆい広場で思う存分にはねまわった。
ワッという笑い声が広場の一角にわいた、走りはばとびのスタートをきったモコウが、コースのとちゅうでつまずいて、まりのようにころんだのだった。かれはすばやく起きあがると頭をかきかき新しくスタートをきりなおした。急霰のような拍手が島をゆるがす、小鳥がおどろいて一時にパッと飛びたった。一同はまるでなつかしい校庭で遊びたわむれているときのように競技にむちゅうである。洞門の前の小岩にこしをかけて、一同の嬉々とするさまを見まもっていたゴルドンは、ニッコリして富士男にいった。
「あの元気いっぱいさはどうだ、みんなうれしそうだね」
「だが、ドノバンらがいないのはどうしたんだろう?」
富士男はさっきからさがしているのだったが、ドノバン、グロース、ウエップ、イルコックの四人のすがたはどこにも見あたらなかった。
「みなが楽しそうに遊んでいるのに、四人をのけものにしては悪い、よんでこよう」
と富士男が立ちあがった。
「ぼくもゆこう」
ふたりは洞穴のなかにはいった。室のすみに頭をあつめて、なにごとか相談にふけっていた四人は、ふたりの足音におどろいて話をやめた。
「ドノバン君! 室のなかにいないで、外へ出て遊ぼうじゃないか」と富士男がいった。
「いやだ!」
とドノバンがいった。
「なぜだい」
とゴルドンがいった。
「なぜでもいいよ。ぼくらはここにいたほうがおもしろいんだ。ね、諸君」
こういって、ドノバンは三人と顔をあわしてニヤリと笑った。
「そうか」
とふたりは室を出た。
輪投げの事件があってから、ドノバンの富士男に対する態度は目だって変わってきた。富士男は日本人の気性としてあっさりと水に流したのだったが、倣岸のドノバンは、心をひらこうとはしない。そして大統領の選挙にもれてからは、ことごとに富士男にたてをつくようになった。ゴルドンはふたりのあいだにおって百方力をつくして、ふたりの交情をやわらげようとつとめたが、それはなんの効果もあたえなかった。ついにドノバンは、グロース、ウエップ、イルコックの三人と党を組んで、食事のときのほかは一同と顔をあわすこともほとんどまれとなり、多くは洞穴の一隅にひとかたまりとなって首をあつめなにごとかひそひそと語りあうのであった。
「ねえ、ゴルドン君、ぼくはこのごろかれらの態度が不安でたまらない」
「どうして」
「人を疑うことは日本人のもっとも忌むところだ。だが、ぼくはドノバン君の態度を見るに、なにごとかひそかにたくらんでいるように疑えてならないんだ」
「ハハハ、きみにもにあわない、いやに神経過敏だね」
こういってゴルドンは笑った。
「たといかれらがなにごとかひそかにはかることがあろうとも、それはきみに対する謀反ではないさ、連盟員一同がきみを捨てて、ドノバンにくみしはしないことぐらい、いくらうぬぼれの強いドノバンでも、知ってるだろうからね……」
「いやかれらはぼくらを捨てて、この左門洞を去ろうとしている」
「ハハハ、ますます過敏症になるね。こりゃなにか、おまじないをして、早くなおさなけりゃ一同が心配するよ」
「ゴルドン君!」
富士男はキッとなっていった。
「じょうだんごとではないのだ、ぼくはたしかな証拠をにぎったのだ」
「証拠?」
とゴルドンは富士男のしんけんさに、真顔になった。
「ゆうべぼくはなぜか寝苦しくってしかたがなかった、ぼくは千を数えた、だがまだねむれない。ぼくはとうとう寝ることを断念した、外の夜気にでもあたってみようと、そっと寝床をぬけだした。ぼくはついでだと思ったから、みんなの寝すがたを見てまわった。ところが、ぼくは室の一隅にポツンとあかりのさしているのに気がついた、ぼくはそっと近づいた、見ればイルコックが左門先生の地図を写しとっているのだ」
「…………」
「ね、ゴルドン君、きみも知ってるように、ドノバン一派は、ぼくが命令するといつもいやな顔をする。思うにかれらの不満は、ぼくの一身にこころよからざるところから発するのだ。ぼくは大統領の職を辞そうと思うよ、ぼくが現職にあるために連盟の平和をみだすようになっては心苦しい。きみかあるいはドノバンにゆずったら、不和の根が絶えて、連盟はもとの平和にかえると思うんだ……」
「いや!」とゴルドンはカッと目をみひらいていった。「富士男君、それはきみの平生ににざる言だ、もしそのようになったら、きみはきみを選挙した一同の信頼を、なんによってつぐなうのだ。なんによって一同に対する義務をつくそうというのか」
ゴルドンの言は富士男の胸を強くうった。
「そうだ、ぼくは自分の重大な責任をのがれようとした、信頼されたら水火をも辞せないのが、日本人の気性だ、困難がかさなればかさなるほど、それにたえて打ち破ってゆかなければならないのだ」
こう思うとかれは胸が軽くなるのをおぼえた。
「ゴルドン君、ありがとう、ぼくは全力をつくしてあたるよ」
「たのむ。ぼくもできるだけ協力しよう」
ゴルドンは富士男の手をとってかたくにぎった。ふたりの目には感激の涙が光った。
人生はつねに寸善尺魔である。富士男とゴルドンが、ドノバン一派に対する善後策を考えだすひまもなく、不幸な分裂が思いがけなく、その晩におこった。
モコウが、晩餐のあとのコーヒーをくばってまわった。かおり高いコーヒーをうまそうにすすりながら、一同は昼の競技の話でむちゅうだった。とテーブルの一隅でひたいをあつめてなにごとか話しあっていたドノバンが、とつぜん立ちあがった。
「諸君!」
かれは一座を見まわした。一同はびっくりしてドノバンを見あげた。
「ぼくら四人は考えるところがあり、左門洞に別れをつげたく思います」
ゴルドンの顔はサッと青ざめた。
「きみらはぼくらをすてる気か?」
「いや誤解してくれてはこまる。ぼくらはただしばらく諸君と別居したく思うのだ」
「それはいったいどういうわけなのか」
沈黙家のバクスターがいった。
「ぼくらはただ、自由かってな生活がしたいのだ。だが、それは理由のおもなるものではない。淡白に直言すれば、ぼくらは富士男君の治下に立つことが不満でならないのだ」
三人が待ちかまえていたように拍手をした。重苦しい空気が室にみなぎった。黙然と腕をくんできいていた富士男はこのとき、しずかに立ちあがった。
「四君がぼくに対して不満であるのはどんな理由からだろう」
「なんの理由もない、ただ、きみには連盟の首領たるべき権利がないと思うのだ。ぼくらはみんな白色人種である。連盟は白色人種が多数だ。それなのに、有色人種が大統領になって采配をふる、次回にはモコウ、すなわち黒人の大統領ができるだろう」
「そうだ、ぼくらは野蛮人の命令に服することは恥辱だ」
グロースがドノバンに加勢した。
この暴言は温厚のゴルドンをいからした。
「ドノバン、きみはまじめにいってるのか」
「もちろん、ぼくはまじめだ。真実のことをいってるのだ、ぼくら四人は黄色人種の治下に甘んじて忍従することはできないのだ」
けわしい空気が室に充満した。とモコウはふんぜんと、ドノバンにとびかかった。
「きたない! のけ! 黒ん坊!」
ドノバンはみをかわしてどなった。
「待て! モコウ」
富士男はいきりたつモコウをおさえた。
「ドノバン君! 暴言はつつしみたまえ。少年連盟は、人種を超越した集団なのだ。きみはちかったことを忘れたのか、あやまりたまえ!」
「いやだ!」
「アメリカのやつはさぎ師だ。富士男さま、とめないでください、わたしはやつらをなぐり殺してやる」
とモコウは白い歯をむきたてて憤怒した。
「ドノバン君! きみが悪い。いまの暴言をあやまりたまえ!」
とゴルドンがいった。
「ぼくはなにもあやまる必要をみとめない」
「あやまらないのか」
と富士男が目をいからした。
「いやだ」
「よろしい、きみらがそんな差別観念にとらわれて、それをすてようともしないのなら、ぼくらはおたがいにいさぎよく別れよう。きみらはつごうのいいときに去ってくれたまえ」
一同はこの分裂の不幸に、愁然として首をたれた。
「ドノバン君、ぼくらはきみらが他日、きょうの決意を悔恨する日のきたらんことをいのるよ」
ゴルドンはこういって室を去った。
重苦しい一夜が明けた。
乳色の朝霧が平和湖をこめていた。日は森を出はなれてばら色の光を投げている。それはきのうと変わらぬ上天気を約束するかのようである。けれど、太陽のほがらかさにひきかえて、一同の心は、やみのように暗かった。支度もかいがいしく四人は、旋条銃二個、短銃四個、おの二個、硝薬若干、懐中磁石一個、毛布数枚、ゴム製の舟、そして二日分の食物を携帯して、一同の見送りをうけた。しわぶきひとつするものもない、みなは悲しみに心をつつまれているのだ。
四人は牢固たる決意にもかかわらず、一同の悄然とした顔を見ると、さすがに、心のうちしおるるのをおぼえた。だが、しいてさあらぬさまをつくった。
「ではさようなら」
「さようなら」
と一同がいった。
「ドノバン君!」と富士男はいった。「きみは三人の生命をあずかっているのだ。危険のないようにたのむよ」
「心配ご無用」
ドノバンはこうぜんと身をそらした。まもなく一行のすがたが森陰にかくれた。
「とうとう去ってしまった」
と富士男がかなしそうにいった。
「去る者をして去らしめよだ」
それまで沈黙をまもっていたゴルドンが、はじめて口をきった。
「さあ、みんな元気に、ぼくらはぼくらの仕事をはじめよう」
一同はうながさるるように、洞穴のなかにはいった。
さてドノバンの計画というのはこうである。数ヵ月前、富士男が失望湾の浜辺で発見したという岩窟に居をかまえ、ニュージーランド川の森で猟をして食糧にあてれば、眠食ともに不自由なく、気ままの生活ができる、というのである。失望湾は左門洞から約二十キロメートルの距離にある、これは万一のばあい、左門洞の一同と消息を通ずるにしごく容易である。
まもなく一行はニュージーランド河畔に到着した。
川のほとりにモコウが、ボートを艤して一行を待ちうけていた。これは四人がボートをあやつる知識と、熟練に欠けてるのを知っている富士男が、モコウにむこう川岸まで送りとどけるように命じたのだった。この命令をうけたとき、モコウは首を横にふった。
「ご主人、こればっかりはおことわりします。ほかの人にやらせてください」
「なぜだ?」
「黒ん坊のボートで川を渡ったとなればかれらの恥でしょうし、あんなにご主人を侮辱したやつには、力をかしてやる理由がありません」
「モコウ、きみは私事と公事とを混用している、たとえかれらがぼくを侮辱したところが、それは小さな私事なのだ。私事のためにかれらに難儀をかけることは恥ずべきことだ、ぼくは連盟の大統領の職責から命じるのだ」
「わかりました。ですがご主人、わたしはかれらと一言もことばをかわしたくないと思いますが、これだけはゆるしてください」
「ハハハ、そりゃきみの自由だ」
大統領の命令ならそむくわけにはゆかない。彼はいさぎよく渡川の任務をひきうけたのだった。
ボートは川岸をはなれた。川霧はまったく晴れてオールに破れた川面が、小波をたてて、日にキラキラと光った。モコウは黙々としてオールをあやつり、黙々として四人を川岸にあげ、そして黙々としてこぎ帰った。
一行四人のその後の行動は、ドノバンの日記によって知ることにしよう。
十月十日、ぼくらはとうとう独立した。独立の第一歩において、モコウのボートにうつらなければならなかったことは大言のてまえすこし遺憾だった。だが、これはだれもがボートをあやつる知識と熟練にかけているのでしかたのないことだ。うららかな春光をあびてぼくらは湖の南端をさしてすすんだ。ゆくこと八キロメートルあまりにして湖の南端に達した。日はまだ高かったが、いそぎ旅でもなし、ここで一泊することにきめた。とちゅう大がもを射とめたことはなんとなくさいさきがよい。晩飯はこの大がもですました。
十月十一日、未明に出発、湖畔にそってすすむ。たちまち一個の砂丘に達した。丘上に立って左右をながめると、一方は湖が鏡のごとくひらき、他方には無数の砂丘が起伏連綿とつづいている。
「こんな砂丘ばかりだったらたいへんだぞ、食糧を求めるに困難する」
と兵糧係のグロースが心配そうにいった。
「なにだいじょうぶだ」
とぼくはとにかくすすむことに決心した。一方は湖だし、いまさらひきかえすことも残念だ。ゆくにしたがっていよいよ丘陵が多くなった。一登一降、骨の折れることおびただしい。どうやら地面の光景は一変した。十一時に湖のひょうたん形に入りこんだ小さな湾に達した。ゆうべの大がものあまりをひらいて昼食にした。とにかくもういっぺん地形を正確に知る必要がある。湾の上はうっそうたる森のはしで、これからすすもうとする東北二方は、まったくこの大森林におおわれている。ぼくはグロースのかたをたたいていった。
「おい、天は兵糧係グロース君に無限の宝庫をあたえた」
一同は勇気百倍した。案のごとく林中には、だちょう、ラマ、ベッカリー、および、しゃこ、その他の禽獣が無数にすんでいる。グロースは晩餐をにぎわすといって、さかんに鉄砲をうった。とうとうえものをひとりでは持ちきれなくなって各自が分担した。この宝庫は本島内の他の諸林にゆずらないと思う。六時ごろ、一すじの川のほとりに出た。いよいよ露営だ。と、テント係のイルコックが、とんきょうな声をはなった。
「ヤアヤアだれかここに宿ったやつがあるぞ」
見れば大樹の下にたき火のあとが、黒々とのこって、燃えさしの枝が散乱している。
「何者だろう」
一同は不安に顔を見あわした。ふいに何者かの襲撃を受けないともかぎらないので、ふたりずつ交替に休むことにした。
× × ×
八ヵ月以前富士男が次郎とモコウをしたがえて、失望湾をくだらんとする前夜、露営した同じ樹下に、八ヵ月後分離した四人が、別に新たに居を定めようとは、だれが予想しえよう。
同じく、グロース、ウエップ、イルコックの三名も、いまとおく左門洞の楽園をはなれて、ひとりせきばくたる、この樹下に横臥するとき、さきにこの樹下にねむりし人をおもい、左門洞のことを思えば、その心の奥に一まつのくゆるがごとき、うらむがごとき、一種の念のきざすのを禁じることができようか。
× × ×
十月十二日、僕は一同にはじめの計画を変更することをはかった。それはまずこの川をわたって左岸にそい、失望湾まで下降することである。
「川を渡ってくだるのも、川にそってくだってからわたるのも同じじゃないか」
とグロースが、抗議を申しこんだ。
「そうだ。帰するところは同じだが、このまえ、富士男が探検した話をきみは忘れはしまい。富士男の一行は左岸の林中に、ストーンパインを発見したというではないか、そうすればぼくらは、ゆくゆく果実を採集する便宜がある。一挙両得じゃないか」
「なるほど、わかった」
「たよりない、食糧係だなあ」
ぼくがこういうとみなは笑った。衆議は一決した。ぼくらは浅瀬をさがして容易にわたることができた、だが、この行路は思ったよりなかなかの困難だった、下草はこしを没し、すねにまといつく。少しゆくと沼沢にであい道がとだえる、密林を用意したおので切りひらく、なかなかはかどらない。ようやく林をぬけだしたのはもう日は没して、闇がたれこめる七時ごろであった。海が近いので濤声が気にかかって、容易に寝つかれない。
十月十三日、朝起きるとさっそくまず浜辺に出てみた。東方の地平線上を展望するに、そこはいぜん無辺の海波びょうびょうとして天をひたしている、一望目をさえぎるなにものもない、ぼくは胸底深くひめていた計画をはじめて発表した。
「諸君! ぼくはやはり、この島がアメリカ大陸に、近いと信ずる、チリー、もしくはペリコウにおもむかんとして、ホルン岬をすぐるところの汽船はきっと、航路をこの島の東方にとって、この沖をすぎなければならないと思うのだ。ぼくが諸君とともに、ここに居を定めんと決心したのは、一つはここで、これらの汽船を見張るためだったのだ、富士男は失望のあまりに、ここを失望湾と名づけた。けれどぼくはこの湾は長くぼくらを失望させないだろうと信ずる。むしろ希望の湾ではなかろうか。早晩、きっとぼくらは帆影を沖に発見することができると信ずる」
ぼくの演説は三人を歓喜さした。
「さすがにドノバン君だ! えらい!」
とイルコックがいった。
「そんな深い計画だとは思わなかった」
とウエップがいった。
「そうだ、ぼくらは偉大な首領をいただいて幸福だ、ぼくはいまドノバン君を大統領に推薦したいと思う」
とグロースがいった。
「もちろん異議なし」
「賛成だ」
ぼくはとうとう大統領に推薦された。大統領! それはどんなに望んでいたことだろう。三人の手下では少々さびしい気もするが、やはりうれしい。将来の住宅である洞もきまった。つぎは、左門洞にのこしてきたぼくらの財産を、一日も早く運搬しなければならない。晩餐後、僕は一同にはかった。
「ぼくらの財産はどうして運ぶことにするか」
「そりゃもちろん、ボートで運ぶのがいちばんいい」
とグロースがいった。これはぼくの考えと一致する、陸路をとることは、来るときの道を思えば、とうていぼくらの手にあまる難事だ。
「だがいったい、だれがボートをこぐのか」
「黒ん坊にたのむさ」
「モコウにはたのみたくない」
「なぜだ」
「ぼくらは独立の第一歩において、かれのやっかいになった、そしていままたかれの力をたのむために、頭をさげなければならないとなると、大なる恥辱だ」
「ハハハ、遠慮にはおよばないさ。黒ん坊は働くために生まれてきたのだから、使ってやれば喜んでいる」
とグロースがこともなげにいった。
「そうだそうだ。ぼくらはかれを働かしてやるのだから、感謝されこそすれ、こちらから頭をさげることはいらない」
とウエップがいった。
ぼくはあまり感心しなかったが、衆議にしたがうことにした。
「では第二案として、左門洞に帰るまえに、ぼくらは浜辺にそって、島の北部を探征することを提議する。たとえ荷物をとりに帰るとしても、ぼくらはなにか一つてがらをたてておきたいからだ、諸君はどう思う」
「そりゃすばらしい計画だ」
「左門洞の一同の鼻をあかすに、絶好の計画だ」
衆議は一決した。いよいよ探検するとなれば、往復に少なくとも三日の日数をついやさねばならない、十分なる睡眠と、英気を養うために、早目に寝につく。
十月十四日、未明の空にはなごりの星があわく光っていた、太陽はまだあがらない。黄卵色の雲が東の空に浮いていた。清涼な風が身をひきしめてすがすがしい。ぼくらは第二の探検地、北方をさしてすすんだ。およそ四キロメートルばかりのあいだは、浜辺一帯の岩つづきで、ただ左手の林ぎわのほうに、はば三十メートルばかりのひとすじの砂道がのこっている。岩のつきるところで、道は小さな流れに遮断された。
「ああ、川だ!」
僕は立ちどまった。川底の小石がすきとおって見える、小魚が銀鱗の背を光らして横ぎる。
「これはきっと、平和湖から流れて海にそそぐのだ」
「ぼくらが発見した川だ、名前をつけよう」
とグロースがいった。
「大統領に一任しよう」
「賛成!」
「では北方川と命名しよう」
一同はこれに賛成した。グロースが、川べりにおりて顔をあらった。
「つめたいいい水だ!」
兵糧係のかれはぬけめなく、水筒にいっぱいつめこんだ。ぼくらも思い思いに顔をあらった。
川をわたると、おおいしげった密林のなかに出た。木の間をもれる日が、斑のように下草にうつっていた。
しばらくゆくと先頭のグロースがとつぜん立ちどまった。
「あっ! ドノバン、あれはなんだろう」
指さすかなたを注視すれば、おいしげる灌木林をおしわけて、一個のぞうのような巨獣がすすんでくる。
「あッ! こっちへくるぞ」
ウエップが叫んだ。
「イルコックとウエップは、この大木の陰にかくれてくれたまえ。ぼくはグロースとふたりでうちとってくる」
ぼくは銃をとってしらべた。ふたりは足音をしのばして巨獣に近づいた。あいへだたること三十六メートルばかり!
「だいじょうぶか」
「よし!」
ねらいはきまった、ぼくらは同時に発砲した。巨獣は鋼鉄の皮でできているのかもしれない。いっこうに銃丸のとおったようすもない。ただ異様なたけりをあげると、巨大なからだをひとゆすりして、密林のなかへすがたをけした。銃声をききつけて、ウエップとイルコックがとんできた。
「どうだった」
「逃げたよ」
「弾丸があたらなかったのか」
「あたったけどはねかえった」
二人は目を丸くした。ぼくはふと巨獣によくにたものを学校で習ったことを思い出した。
「わかったよ諸君! これは南アメリカの河畔に見るばくの一種だ」
「害を加えるのか」
「いやばくはけっして害を加えない、だが、用にもたたない」
「南アメリカにすむばくの一種だとすれば、この島はあるいは大陸の一部かもしれないね」
「そうだ、島にあんな巨獣がすむわけはない」
「ぼくもいまそう考えたところだ、とにかく、もう少し探検しよう」
一同は急に元気百倍した。その夜ぼくらは、探征の第一夜をぶなの林で明かした。あと十五キロメートルばかりで、目的地の北浜に達するのだ。あすの希望をひめて一同早く寝につく。
× × ×
ドノバンの日記はここでおわって、あとは空白である。それは一行が大暴風雨にみまわれたため、日記帳もなにもいっさいずぶぬれになったためである。そこで筆者は四人のその後の行動を報道しよう。
朝からおだやかならぬ雲行きを見せていた空は、午ごろから、いまにも泣きだしそうになった。
「いよいよくるな!」
と空を見あげてグロースがいった。
「ひきかえそうよ」
「そりゃだめだ。いまからひきかえしてもとちゅうでどんな目にあうかもしれない。どこかかっこうの場所をさがしたほうが安全だ」
とドノバンがはげますようにいった。四人は足を早めた。風は刻一刻はげしく吹き加わり、横なぐりの大粒の雨がほおをうった、とはげしい電光が頭上にきらめいた。
「あぶない! 地に伏せ」
ドノバンがさけぶと同時に、耳をつんざくごうぜんたる霹靂! 数間先のぶなの大木がなまなましくさかれて風におののいている。
「助かった」
と一同はホッとして顔を見あわせた。
「早くこの林をぬけださねばあぶないぞ」
雨と風にさいなまれながらも、屈せずたゆまず、あえぎあえぎ道をいそいだ。あらしの中に日が暮れた。四人はめくらめっぽうにすすんだ。と風のなかに遠くほえるようないんいんたる別様のひびきが耳をうつ。それは森をへだてておこるようだ。
「待て!」
と、ドノバンが立ちどまった。
「きこえるか」
「波の音のようだ」
「そうだ、ぼくらはとうとう目的地へついたのだ」
「万歳!」
かれらは急に元気をとりかえした。
森をぬけると視野はかつぜんと開けて、砂浜の先に、たけりくるった黒い海が、白いきばをむきたてて、なぎさをかんでいる。黒闇々のなかに白く光る波がものすごい。
「あっ! ボートだ!」
とイルコックがさけんだ。
指さす左のほうに、右舷を砂浜に膠着さして、一せきのボートがうちあげられているのが、かすかにそれと見える。
「あっ人間だ」
ウエップがさけんだ。
ボートから十メートルほど左の、引き潮がのこした海草の上に、二個の死体が、一つはあおむけに、一つはうつぶせに横たわっている。
あまりのおどろきに、一同はしばし声もえたてず、石像のごとく立っていた。
「何者だろう」
とドノバンが小声でいった。
一同は顔を見あわした。恐怖と好奇の無言のうちに、四人は死体のほうへすすんだ。死体は十数メートル先にほの白く光っていた。みだれた髪が白蝋の顔にへびのようにくっついている。ぞっと戦慄が身内を走った。「ワッ!」と悲鳴をあげたウエップが、とつぜんかけだした。浮き足だった三人もつづいてかけだした。ぶなの林のなかに逃げこんで、一同はホッと息をついた。嵐はいつやむ気配もない。夜のやみにゴウゴウと林の鳴る音がものすごい、烈風にまきあおられた砂が、小石を混じてつぶてのように顔をうつ。一同は生きた心地もない。
「みんな手をにぎろう」
とドノバンがいった。一同はかたく手と手をにぎりあった。
雨がようやく小降りになった。東の空にあかつきの色が動きそめた。恐怖の夜が、明けようとしている。
「助かったぞ」
とドノバンが立ちあがった。一同は未明の微光のなかに思わず顔を見あわせた。
「だがぼくらは人間の務めをおこたった」
ドノバンがかなしそうにいった。
「ぼくらは自分のことばかり考えた、ぼくらは助かることができたが、あの死体はどうなったろうか」
一同は頭をたれた。はたしてあの死体はこときれていたのだろうか、あるいはなお一るの気息が通っていたのではなかろうか、自分らはそれをたしかめもせず、ただおそろしさのために、人間の本分をおこたった、慚愧の念が心をかんだ。
「そうだ。ぼくらは卑怯だった」
「はずかしい行為をした」
断雲は低くたれて、奔馬のごとくとびきたり、とびさる、まだ勢いのおとろえない風のなかを、四人はたがいに腕をくんで浜辺に出た。
ボートのありかはすぐに見つかった。だが、二個の死体はどこにも見あたらなかった。
「潮に流されたのだ」
ドノバンが悲しそうにいった。
「かわいそうに……ぼくらが卑怯だったために、ふたりを見殺しにしたのだ」
イルコックが鼻をつまらした。
「だが、ぼくは夜中にあらしのなかに、人の声をきいた」
とウエップがいった。
「ぼくもきいた」
とグロースがいった。
「さがしてみよう」
とドノバンが岩の上にのぼった。だが、ただ一様にほうはいたる巨浪が、無辺に起伏するのを見るばかりで、何者の影も見あたらなかった。
「だめだ」
ドノバンはがっかりしておりてきた。
ボートは長さ四メートルばかりの伝馬船で、帆柱は根元から折れ、右舷はひどく破れていた。きれぎれの帆と、帆綱の断片がちらばっているばかりで、船中にはなにもなかった。
「なにか文字があるぞ」
船尾をしらべていたグロースがさけんだ。一同は走りよった。なるほど、そこにはうすくきえかかった数個の文字があった、ドノバンが読みあげた。
セルベン号・サンフランシスコ
「あっぼくの国の船だ!」
難また難
ドノバンの一行を送りだしたあとの左門洞はあたかも火がきえたようにさびしくなった。ことごとに党規をみだそうとした四人ではあったが、さて分離してすがたを見せないと、完全した歯が一朝にしてぬけおちたようで、なにかたよりない、しっくりと気持ちのあわない空気を感じる。
春色は日ましにこくなるに、一同は毎日うつうつとして楽しむふうもない。富士男はこれを見るのがなによりもつらかった。
「もっとほかにいい方法がなかったろうか、もっと考慮すべきではなかったろうか」
こう思うと、一時の激情にかられて、四人を除名したことが、深くくいられてならなかった。日ごとの煩悶はかれの血色のいい頬をあおくした。いつも清くすんだ眼は悲しみにくもった。
「おい、富士男君! なにをぼんやりしているんだい、こんなすてきなニュースがあるのに……」
と、ゴルドンがニコニコして、富士男のかた先を軽くたたいた。かれは富士男の苦悩は十分に推察した、けれど、責任者の地位にあるふたりが、しずんだ顔色を一同に見せては、連盟の士気がいよいよ沮喪してしまう。その結果は重大である。こう思ったかれはむりにもはればれと元気を出した。
「モコウのやつがとてもこっけいなんだよ」
「どうして?」
と富士男がしずんだ声でいった。
「鼻の頭にまっかなおできができたんだ。まるで噴火山のようにみごとなんだ、みんながはやしたてるんで、鼻をかくして台所へ逃げていって、出てこないんだよ。ハハハハ」
「……」
「善金のやつは大ねずみに鼻をかじられたよ」
「どうして?」
と富士男はまえよりもやや明るい声でいった。
「それがおもしろいんだ、寝しなにこっそり砂糖をなめたらしいんだ、夜中に口のあたりをペロペロとなめるやつがある。びっくりして眼をさますと、大きなねずみが何匹も何匹も顔をなめている、かれがおっぱらうと、一匹が鼻の頭をかじって逃げたんだ。善金は大憤慨さ。なにか支那の格言のようなことをいった。エーと、身体は両親のもの……それからなんだったかな」
とゴルドンが頭をひねった。
「身体髪膚これを父母にうく、あえて毀傷せざるは孝のはじめなりさ」
「そうだそうだ、ねずみふぜいに鼻をかじられては両親にすまないってんだね」
「からだをたいせつにして勉強するのが、孝行の第一歩だということなんだよ」
「そうか。どうりでカンカンおこって、だちょうの森へ山ねこをさがしにいったんだね」
「山ねこ」
と富士男がふしぎそうにいった。
「ハハハハ、山ねこをとってきて、ねずみ征伐をやろうって寸法なんだ」
「ハハハハ、支那人らしいのんきな計画だね、ハハハハ」
富士男はゴルドンの話じょうずにひきこまれて笑った。
「ハハハハ、愉快! 愉快! 君はとうとう笑ったね、もうだいじょうぶだ、ありがとう」
とゴルドンが、いかにもうれしそうにニコニコした。と急にまじめになって、
「富士男君! ぼくはきみがこれまでのように快活であってほしいのだ。ぼくはきみの苦しい立場は十分に同情する、けれど一考してくれたまえ。いま大統領の重位にあるきみが、元気のない顔を見せると、一同はよけいに落胆してしまう。兄とも父とも信頼している幼年組は、だいじな支柱を失ってしまって、なにをたよりとしていいかわからなくなる。その結果は連盟はバラバラになって、収拾できない混乱におちいってしまう、それはおそろしいことだ。ね、つらいだろうがここはひとふンばりして、もとどおり陽気に元気にいきいきとやってくれたまえ、たのむ」
連盟の危機をうれい、富士男を鼓舞するゴルドンの言々句々は、せつせつとして胸にせまる、富士男は感激にぬれた眼をあげた。
「ありがとう、ゴルドン君! ぼくははずかしい、ぼくは重大な責務を忘れていた、ゆるしてくれたまえ」
キラキラと光るものが、紅潮したほおに、銀線をひいて流れた。
「いや、ぼくこそみんなにかわってお礼をいうよ」
とゴルドンのほおも涙にぬれた。
「きみはあまりに心労しすぎるよ、ドノバンがいかに剛腹でも、この冬までにはかならず帰ってくるよ。四人がいかに力をあわしても、きびしい冬とたたかうことはむずかしい。心配はいらないよ、春に浮かれて飛びだした思慮のたりない小鳥だと思えばいいさ。きっと冬になったら、もとの巣がこいしくなって帰ってくるよ、そのときぼくらはあたたかい心をもってむかえてやればいい」
「そうだ、ぼくはあまりに考えすぎていた」
「ハハハ、これでどうやら過敏症も全快らしいね、おめでとう」
とゴルドンがほがらかに笑った。
「元気にやろうよ」
「快活にやるよ」
「じゃその第一歩に元気に笑おう」
「よし!」
と富士男が力強く応じた。
「一、二、三、ハハハハ」
「ハハハハ」
春の日は西にうすずいて、最後の残光を林に投げ、ふたりのほがらかな笑い顔に送った。
「やあやあここでしたか」
とモコウがとんできた。
「食事ですよ」
かれはひさしぶりの富士男の笑い顔を見て、目を白黒さした、事件以来あおざめてゆく主人のようすに、やきもきと心配していたのだった。
「モコウ、鼻のおできはもうなおったのか?」
富士男はゴルドンのさっきのことばを思いだした。
「おでき?」
とモコウがふしぎそうに鼻をつまんだ。
「そんなもの、できやしませんよ」
「ハハハハ、昔々、モコウ君の鼻にまっかなおできがふきでました。それがとつぜん噴火したので、あとがまッ黒にこげてしまいました。ハハハハ」
こういってゴルドンが笑った。
「そうか、そうだったのか」
富士男はいまゴルドンが自分を快活にみちびこうとして、笑話をつくったのだとはじめてわかった。
「ひどいな、ゴルドンさん」
とモコウがもう一度、鼻をつまんで鳴らした。
「ハハハハ」
「ハハハハ」
晩餐が和気あいあいのうちにおわった。モコウが気をきかして食前にくばったぶどう酒の一杯が、一同のほおをあかくそめた。心はうきうきと楽しい。と沈黙家で少年工学博士バクスターがとつぜん立ちあがった。
「諸君、ぼくはぼくらが一日も早く助かるために一つの発明をした」
パチパチと拍手がとんだ。
「拍手なんかしちゃ、あとの話ができないよ」
とバクスターが、あかくなった。
「どんな発明だい」
「早く発表してくれたまえ」
一同は好奇の眼をみはってうながした。
「それはほかでもない。あの希望が岡の信号球は、海面を抜くことわずかに六十メートルにすぎない、これは連盟島のきわめて近距離のあいだを航海する船だけにしかみることができない。いまもしぼくらが水平線上に船隻を発見したとしても、拱手して見送るよりほかはない。さいわいぼくらは多くの帆布やリンネルをもっている、これを有効に用いて、ここに一個の大だこをつくり、もって空中にあげればゆうに三百メートルくらいの高さにあげることができる。これなれば遠距離の人の眼にも容易に発見され、ぼくらが救助さるる機会が多くなると思うが、どうだろう」
バクスターは眼をかがやかして、一同を見まわした。
「すばらしい計画だ」
と幼年組がいっせいに拍手を送った。
「バクスター君の計画はすてきだ、だがぼくはもう一歩、その発明を有効にしたい」
と茶目のサービスが青い目玉をくるくるさしていった。
「その大だこの線をもっと長く強くして、ニュージーランドのぼくらの学校までとどかせ、できればぼくらのひとりを乗せて、救助をたのむんだ」
「そうだ、その乗り手にはぼくが志願する」
と次郎が昂奮してさけんだ。
「ぼくがなるよ」
とコスターがさけんだ。
「サービス君、あまり空想的な話はよしてくれたまえ、幼年組が本気になって昂奮するじゃないか」
とゴルドンがおだやかにいった。
「失敬、失敬、フランス人の頭は、なかなか小説的にできてるんでね、ハハハ」
とサービスが頭をかいた。
「ぼくだってフランス人だよ、だがこの計画は、けっして小説的じゃないよ」
とバクスターが抗議した。
「富士男君、きみはどう考える?」
とゴルドンが、みなの気焔をニコニコしてきいている富士男にいった。
「バクスター君の計画はぼくも賛成だ、ぼくもそれを考えたことがあるよ、さいわいこの島は無風の日がきわめて少ない、機にのぞんで無用のものを有用に転ずることは、人間にあたえられた大いなる宝だ、ぼくらはさっそく利用しよう」
富士男の言は力づよくひびいた、一同はとみに意気のあがるのをおぼえた。
「たこの製作はバクスター君に一任しよう」
「賛成!」
「よう工学博士!」
「救いの神さま!」
いろいろな声がとんだ。
翌朝から一同は製作主任のバクスターのさいはいのもとに、リンネルや帆布を切ったり、ぬいあわせたり、骨をけずったり、嬉々として仕事をはげんだ。二日二晩の協力はみごとな大だこを完成した。それはドノバン一行が、左門洞をたちのいてから四日目、すなわち十月十五日の晩であった。
「大きいな! 万歳!」
幼年組が歓声をあげた。
「十分にぼくらのひとりをせおうことができるね」
「ぼくがいったとおりだろう」
とサービスが鼻あなをふくらました。
「いったいどうしてあげるの」
と善金が不安そうにいった。大だこはとうてい連盟員の力ではおぼつかない。
「岩にくくりつけるんだよ」
と伊孫がすましていった。
「心配ご無用さ、ちゃんと巻きろくろの用意があるよ。これで線は伸縮自在になる」
と主任がいった。
「じゃあすを楽しみに幼年組はおやすみ、ぼくらが残りの準備をしておくから……」
と富士男がいった。幼年組はなごりおしそうに、ベッドへいそいだ。
翌日は幼年組は暗いうちからはしゃぎまわった。だが朝来の天候は不穏をつげ、黒雲が矢のようにとび、旋風が林をたわめてものすごいうなりを伝える。と見るまに大粒の雨が落ちてきた。
「あっ! 雨だ!」
天候を気づかって、洞を出たりはいったりしていた、善金がさけんだ。
「だめか、残念だなあ!」
一同は走りでて、うらめしそうに嘆息した。
「つまらないなあ」
と幼年組の失望は大きかった。
「あすになればなんでもない」
とゴルドンがいたわるようにいった。
「そうだ、きょうにかぎったことはない、ゆっくり腕を休めよう、さあみんななかへおはいり」
と富士男がいった。
天候はいよいよ険悪を加え、正午ごろからがぜん大あらしに一変した。雨と風と海のものすごいひびきが、一団となって洞穴をおそう。それは夜にはいっていっそうはげしくなった。
あらしは翌日も勢いはおとろえない。一同は脾肉の嘆を発して腕をさすった。
十七日の明け方からさしもの豪雨もようやく小降りになり、風速もしだいにおとろえはじめた。
「風がなくなったら、たこあげができない」
と善金が心配そうにいった。
「だいじょうぶだよ」
とバクスターが、まじめな顔をしてうけあった。一同は笑った。
正午ごろには断雲を破ってまばゆい日が、ひとすじの金箭を投げた。
「万歳!」
待ちに待った幼年組は、日をつかむように両手をかざして、とびまわった。
大だこはさっそく洞外へ運びだされた。巻きろくろは、洞前の岩の根元にすえつけられた。
「ゴルドン君、サービス君、きみらふたりは幼年組といっしょに、たこを岡のほうへ運んでくれたまえ。ぼくとバクスター、ガーネット君三人で、ろくろのほうを守るから」
と富士男がいった。
「オーライ」
準備はまったくできた。とフハンがなにを発見したのか、二声三声けたたましくほえると、たちまち身をおどらして、だちょうの森を目がけてばく進した。一同はびっくりして手を休めた。
「どうしたんだろう」
と富士男がいった。
「なにかえもののにおいをかぎだしたんだよ、かまわずにぼくらは仕事をつづけよう」
とサービスがいった。
「待ってくれたまえ、フハンのほえ声が、いつもとちがう」
と富士男がいった。
「ようすを見たらどうだ」
とゴルドンがいった。
ものがなしいほえ声がつづく、それは人を求める声だ。
「だれか早く武器を!」
と富士男がさけんだ。
言下に次郎とサービスが洞にとびいって、各一個の装薬した銃をとってきた。
「弾がはいってるね!」
「いまつめてきたんだよ、兄さん」
と次郎がいった。
「いこう」
「ぼくもいこう」
とゴルドンがいった。
四人はかけ足で、フハンが突入した、だちょうの森へわけいった。しきりに人をよぶフハンのほえ声は、樹間にこだまして悽愴にひびく。
「南のほうだよ」
とゴルドンがいった。
声をたよりにゆくこと半町ばかり、フハンが大きな松の木の下に、地をかき、尾をまたのあいだにはさんで、ほえつづけている。
「あっ! 人間だよ!」と次郎がさけんだ。
なるほど人間らしい形が、松の根もとに横たわっている。四人は足音をしのばせて近づいた、フハンが喜びの声をあげてとんできた。
それはまさしくひとりの婦人であった。雨にぬれた粗布の服をきて、茶色の肩かけをまとった、年のころ四十二、三の女である。髪は乱れてあお白くしょうすいした顔にへばりつき、死人のように呼吸も絶え絶えに昏倒している。
四人はしばしばものもえいわず、ぼうぜんと立ちつくした。むりもない、この島に漂着してからここに二年、そのあいだ一行がほかの人間を見るのは、いまがはじめてである。
「まだいきがある」
とゴルドンが沈黙を破った。
「餓うえつかれているのだ」
と富士男がいった。と次郎がとつぜん身をひるがえして、洞さして走った。まもなくかれは手に若干の乾し餅と、少量のブランデーを持ってきた。
「ありがとう」
とゴルドンが、次郎の機敏の処置を感謝した。
富士男は婦人に近づいて口をひらき、数滴のブランデーをそそいだ。一同は緊張してじっとみつめた。ムクムクとからだが動いた、と目をひらいてぼうぜんと四人の顔を見まわした。
「やあ、気がついた」
「おあがんなさい」
と次郎が乾し餅をさしだした。婦人は目に喜びの色を見せて、せわしくとるかと見れば口に運び、一気にのみこんでしまった。
「ありがとう」
となかば身をおこしていったかと思うと、気がゆるんだのか、ぱったりとたおれた。
「死んだ」
とサービスがいった。
「安心したのだよ」
とゴルドンがいった。
急製のたんかで婦人はまもなく、一同の手によって、左門洞へ運ばれた。
ベッドの上に安臥させられた婦人は、一時間ばかりしてぱっちりと目をさました。かの女はふしぎそうにあたりを見まわした。
「ああ、わたしはたすかった」
「お気がつきましたか」
とゴルドンがいった。
「もうだいじょうぶだ」
と富士男がいった。
一同はほっと安心の吐息をついた。
「みなさんはどうして、こんなところへ住んでいらっしゃるの?」
と婦人が、自分をとりまいている一団の少年の生活を、あやしむようにいった。
富士男がかんたんにいちぶしじゅうを語った。
「まあ! なんという健気な子どもたちでしょう」
と婦人は自分の遭難はわすれて、一同の忍耐と勇気とに、涙を流して感嘆した。
「おばさんはどうしてこんなところへこられたのですか」
とゴルドンがきいた。
「ええ、お話ししましょう」
一同は好奇の目をみはって、婦人のそばちかくよった。かれらは婦人の一語一句に身をふるわせ、手に汗をにぎってききいった。
婦人の話はこうである。
かの女はアメリカ人で、レーデー・カゼラインとよんだ。だがかの女らの友だちは、ケートと愛称した。ケートは二十年ちかくもニューヨークの富豪、ベンフヒールド氏の家に奉公して女執事をつとめた。ちょうどいまから一ヵ月まえ、ベン氏夫妻はチリーの親族から招待をうけて、南米漫遊を思いたった。せっかちの夫妻は、足もとから鳥がたつようにいそいで旅装をととのえ、ケートをしたがえてサンフランシスコへきた。だが定期船は出帆したあとだった。たまたま貨物船セルベン号がチリーのバルパライソにむかって航海するうわさを耳にした夫妻は、手をうって喜んだ、さっそくケートが走って船長に便船かたをたのんだ。それはすぐにゆるされた。
セルベン号は、船長とふたりの運転手と、八人の水夫からなる、旧式の船だった。船はその晩サンフランシスコを抜錨した。
水また水の無為な海上生活が、十日ばかりつづいた。それは月のない晩であった。
水夫等は甲板にあつまって酒宴をひらいた。片目で右眼が二倍の働きをするようにギロギロ光る水夫長のワルストンが、酒によっぱらって日ごろの不平をならべたてた。かれは海蛇のあだ名があった。それは右手のくるぶしに、海蛇の入れ墨をしているからである。
「ね、おい、水夫だってうまいもん食いてえや、船長たちゃ、いつもビフステーキやチキンの煮ころばしを食いやがって、ちくしょう!」
「おれたちにゃくさったキャベツと、ぶたのしっぽとくらあ!」
とひたいに刀きずの水夫がいった。
「まっかなトマトが食いてえ!」
とひとりがいう。
「フカフカのパンが食いてえ!」
とひとりがいった。
「上等のブランデーが飲みてえ、あいつらは、たらふく飲んでやがる」
と右の拇指のない水夫がいった。かれは喧嘩が自慢で、もし喧嘩に負けたら、指を一本ずつきりおとすんだと広言した。ところがある日、海蛇と大げんかをやって負けた。かれはみなの前で拇指を落とした。以来かれは四本指の兄貴とあだ名された。
「おれが談判してやろう」
と海蛇がフラフラとたちあがった。
「うまくやってくれよ親分」
と四本指がニヤリと笑ってたちあがった。
海蛇を先頭に水夫らは、船長室をおそった。
船長は一言のもとにはねつけた。これはかれらが望むところであった。サンフランシスコを出帆してからかれらは、密々悪い計画をこらした。それはこの船を占領して、南アメリカおよびアフリカ諸国に往来して、いまだに秘密に行なわれている奴隷売買をいとなんで、一攫千金をえようとしたのだ。いまその喧嘩の口実ができた。
「どうしてもきかねえのか」
と海蛇が、酒でにごった眼をギラギラと光らした。
「あたりまえだ」
と船長があおくなっていった。
「おれたちにうまいものを食わせろ」
とひとりがさけんだ。
「うるさい! でてゆけ!」
と船長がさけんだ。
「どうしてもか?」
「親分めんどうくせえ、やっつけろよ」
と四本指がそそのかした。
「よし」
と海蛇がポケットをさぐって、ピストルを出すと、船長をめがけて一発をはなった。
「アッ」と悲鳴とともに、船長があけにそまって倒れた。
「野郎ども! ぬかりなくやれよ」
と海蛇がどなった。血を見て凶暴になったかれらは、かねての計画を実行に移した、まもなくベン夫妻と、一等運転手がたおされた。悪漢どもは完全にセルベン号を占領した。
ケートはあやうくのがれて、運転手室にかけこんだ、そこにはスペイン人のイバンスが、当直の勤務をしていた、かれは三十前後の温良な人物である。
「助けて!」
「どうしたんです」
とイバンスがびっくりしていった。
「船長さんが、ご主人夫妻が……殺されたのです」
こういったとき、どやどやと悪漢どもが、足音あらくふみこんだ。海蛇を先頭に七人が目をギラギラ光らして、ピストルと刀を持って威嚇した。
「殺すのか」
とイバンスが、ケートをかばった。
「いや、運転手さん。おまえは助けてあげるよ、だが、おれたちの命令にそむきゃ、ようしゃはしねえ」
と海蛇がいった。じっさいいまイバンスを殺しては、船の運転がとまってしまう。
「親分、あの女はどうしよう」
と四本指がいった。
「ついでに助けてやれ」
かくてイバンスとケートは、運転手室にとじこめられて、厳重な監視をうけた。不安のうちに三日すぎた。と、どうしたことか四日目の晩、船はにわかに火を発して見る見る火焔につつまれてしまった。
悪漢どもはあわてふためいて、伝馬船をおろした。若干の食物と数丁の武器と弾薬がかろうじてとりだすことができた。
「まぬけめ! おちついてやれ」
と海蛇がどなった。ひとりの水夫はあわてすぎて足をすべらし、海中にきえた。ケートとイバンスはそのすきに、伝馬船へ乗り移った。
明けがたから風が変わって、黒雲が大海をあっした。天候は大あらしに急変した、激浪と突風にもまれて、帆柱は吹き折れ、かじは流され、船はまったく自由を失った。みなは船底にかじりついて生きた心持ちもない。船は激浪にもてあそばれつつ、連盟島の北浜に乗りあげた。ケートは安心とともに気を失った。
フト眼をさますと、がやがや話し声がきこえる。きき覚えのある海蛇のだみ声である、ケートは耳をすました。
「おい抽き出しの銃はだいじょうぶか」
「ちっともぬれてません」
「ありがてえ、弾薬は?」
「これもだいじょうぶのこんりんざいです」
「じゃ、とにかく、東のほうへいってようすをさぐろう」
「親分、運転手の野郎はどうしましょう」
それは四本指の声である。
「そうだ。おまえとロックが監視しろ」
「女のほうは」
「ありゃ、浪にさらわれていまごろはおだぶつさ、もし生きてりゃ、おれたちの秘密を知ってるから、殺してやる」
悪漢どもの足音は東のほうへ遠ざかった。ケートはがばと起きた。そしてよろめく足をふみしめて、すばやく森のなかへ逃げた。悪漢どもに発見されれば命がない、こう思うと足のつづくかぎり、息のつづくかぎり歩いた。空腹と疲労でもう一歩も歩けなくなった。彼女は昏倒した。
奇々怪々のケートの物語はおわった。一同は驚愕と危懼の念にあおくなった。七人の凶暴無慚の悪漢が、いまこの島を徘徊している。かれらは人を殺すことは草をきるよりもよういに思う者どもである。もしこの左門洞を知ったら、かならずこれを占領し、奴隷のようにこき使い、命令にそむけば銃殺するであろう。こう思うと、生きた心地もない。わけて富士男が心配したのは、ドノバン一行の四人の運命である。
「ドノバンらがあぶない! 早くこの洞にむかえねば心配だ」
と富士男がいった。
かれらは悪漢どもの上陸を知らないであろう。発見されたら地獄の患苦が、口をひらいて待っている。
「そうだ、早く知らせねばならない」
とゴルドンがいった。
「ドノバンとは?」
とケートがいった。
「ぼくらの友だちです」
とゴルドンがいった。
「ああかわいそうに、悪漢どもにみつかったらどうしましょう」
とケートは胸に手をおいた。
「ぼくがいこう」
と富士男がいった。
「方法は?」
とゴルドンがいった。
「ぼくはモコウとふたりでボートをあやつって、平和湖を横ぎり、東川をくだってかれらの住まいをたずねよう」
「いつ出発するの」
とサービスがいった。
「一刻も時をあらそう危急のばあいだ。暗くなったらすぐ出発しよう」
「兄さん、ぼくもつれていってください」
と次郎がギラギラ目を光らしていった。
「だめだよ次郎、ボートは六人以上は乗れない、ぼくらは帰りには四人を乗せねばならない」
「兄さん、ぼくは小さいです。はしのほうに乗ります、兄さん、ぼくは危険な仕事をしたいのです」
次郎は一同を不幸にした罪のつぐないをしようとしている。こう思うと富士男は、次郎がいとしかった。
「次郎! おまえの気持ちはよくわかる。兄さんはうれしい、だがいまはその時機ではないよ」
「そうか、だめか!」
と次郎はがっくり首をたれた。
午後八時、ボートの用意はできた。富士男とモコウはおのおの一個の銃と、ひとふりの腰刀をおびて、一同に送られた。
「用心してくれたまえ」
「ああ、だいじょうぶだよ」
天はおぼろにかすんで星の光があわい。黒々ともりあがった林を二つにわって、白銀の川が二勇士をむかえた。風は順風、舵手は名手、帆は風をはらんでボートは矢のようにすすんだ。またたくまに平和湖に到着した。このとき、風はまったく死にたえて、帆の力をかりることができない。
「風がなくなった」
とモコウが落胆した。
「ふたりでこげばだいじょうぶだ」
と富士男がいった。
湖岸にそってふたりは、力かぎりこぎすすんだ。寂然とした湖、林には鳥の声もきかず、ただ、烈々たる友情を乗せて水をかくかいの音が、さびしくひびくばかりである。
ボートは東川の口についた。これからは流れにまかせればいいのだ。
「モコウ、たのむよ」
と、富士男が小声でいった。モコウはうなずいてさおをあやつった。数町ばかりくだったころ、へさきに立ったモコウが、ころぶようにともの富士男の手をとった。
「富士男さま、火が、火が、……」
右岸の十メートルくらいむこうに、ホラホラと燃ゆるたき火の光が、木の間をうがって赤く見える。
「舟をつけよ」
「危険ですよご主人! 悪漢かもしれません」
「ドノバンかもしれない」
「わたしもいっしょにつれていってください」
「いや、ぼくがひとりでゆく、きみはボートをまもってくれたまえ」
「そうですか」
とモコウは鼻を鳴らした。
身軽くボートをとびおりた富士男は、腰刀を右手にぬき、左手に銃をにぎって、火光をたよりに灌木林をわけすすんだ。
火を受けた一団の大きな黒い影が、うごめいている。とその一つが、ほえ声とともに身をおどらしてとびかかった。
「あっ! ジャガー(アメリカとら)だ!」富士男はがくぜんとした。
「助けて、助けて!」と絹をさく悲鳴!
「あっ! ドノバンの声だ!」
富士男はまりのように火光めがけてとんだ。見ればまさしくドノバンが地上に倒れ、赤手をふるって格闘している。左のほうの木陰に寄ってイルコックが、銃をかまえてねらいをつけている。
「イルコック! 銃をはなってはいけない」
と富士男がさけんだ。
「ああ、富士男君!」
とイルコックがさけんだ。
富士男はそれに答えず、とらのうしろにまわってとびかかりざま、ひとつき刺した。新たな敵を見てとったとらは、らんらんたる目をいからし、大口あけてふりむきざまに富士男をめがけて、ひと撃ちとばかりつかみかかった。ドノバンはそのすきにのがれた。すばやく身をひるがえした富士男は、身をしずめて一刀をつかをも通れと、とらの腹部をつきさした。ものすごいうなりをあげてとらは、どっと地ひびきたててたおれた。
富士男はホッと息をついた。とらのためにひっかかれたと見え、左かたの服はずたずたにさけて、鮮血がこんこんと流れだしている。
「富士男君! これを!」
とドノバンがシャツの袖をちぎって、くるくるとゆわえた。見る見る鮮血は仮ほうたいをまっかに染めた。ドノバンはじっとそれをみつめた。
つねに命令にそむき、侮辱し、反対の行動をとった自分である。それをいま、富士男は一身の危険をおかして一命を救ってくれた。こう思うとドノバンは、心の奥底からつきあげてくる悔恨の情にせめられた。
「富士男君! ぼくをゆるしてくれたまえ、ぼくはなんといって感謝していいかわからない!」
ドノバンはボロボロと涙をこぼした。
「なんでもないよ、ドノバン君、きみだってぼくの地位に立ったら、ぼくを救ってくれたにちがいない、そんなことはどうでもいいじゃないか、おたがいのことだよ、それよりぼくらは、早くここを去らねばならない」
「どうして?」
とイルコックがいった。
「道々、話すよ、さあゆこう」
と富士男が四人をせきたてた。
かれはことば短かに、海蛇らの凶悪無慚を語った。
「セルベン号! それはぼくらも知ってる」
と四人が同時にさけんだ。
「そのためにぼくらを救いにきてくれたのだね」
とドノバンが感きわまっていった。
「いま、ぼくらは一致協力して大敵にあたらねばならないのだ」
と富士男がいった。
「ではぼくの発砲をとめたのもそのためだね」
とイルコックがいった。
「そうだ、万一悪漢どもにきこえたらたいへんだからね」
「ああぼくははずかしい、きみはぼくよりも、百段もすぐれた人だ、富士男君! なんでも命令してくれたまえ、ぼくはきみの命令ならなんでも服従する」
とさすが倣岸のドノバンも、富士男の勇気と思慮と大きな愛の前に頭をたれた。かれはかたく富士男の手をにぎった。
「日本人はえらい!」
とイルコックがさけんだ。
「これが、ほんとの大和魂っていうんだ」
とウエップがいった。
「そんなにほめてくれてぼくこそはずかしい」
と富士男がほおを赤くした。
「ぼくはただ当然のことをしたまでだよ」
富士男の冒険
星の光がうすれて、黒々ともりあがった森のかなたの空が、ポッとほの黄色くあかつきの色を点じた。
「夜が明けたぞ」
とサービスがいった。声は寒さにふるえている、春とはいえ未明の河畔の空気はつめたい。悪漢どもの目につくことをおそれて火気は禁じられているのだ、寒いが、危険をおかして捜索に出た友の身の上を思えばなんでもない、各自はかたくくちびるをかんで一行の帰りを待った。
じょじょに東の天は紅みをましてゆく。草むらが動いて、目ざめた鳥があかつきの空をさして飛んだ。モヤモヤと川霧が立ちのぼって河が乳白色にぼかされてゆく。かいの音はまだきこえない。
「遅いな」
とガーネットがいった。
「なにかまちがいがあったのじゃなかろうか」
とサービスが不安そうにいう。
「ぼくは兄さんを信ずる、だいじょうぶだ」
と次郎がフハンの鼻をなでながら力強くいった。フハンは次郎のひざにうずくまって眼を細めていた。
富士男とモコウが出発したのち、万一をおもんばかったゴルドンは、年長組のガーネット、サービス、バクスターとはかって、河を見張りすることにした、意見は一致した。
「だが、バクスター君だけは、幼年組の保護のために残ってくれたまえ、でないと幼年組が心細がるだろうから」
「そのかわりにぼくがゆきます」
と次郎がいった。
「いや、幼年組はとどまってもらう、夜気にあたって病気になったらたいへんだからね」
とゴルドンがやさしくいった。
「いや、ぼくの身になってください、ぼくはじっとしていられないんです、兄さんにだけ危険をおしつけて、弟がどうして安閑とできましょう。ぼくは病気にならないように、フハンをつれてゆきます、寒くなったらきゃつをだっこします、ぼくの心を知ってくれるなら、フハンはぼくをあたためてくれるでしょう」
「おうなんとけなげな子でしょう」
と寝台のケートがおきあがっていった。
「ゴルドンさん、つれていってやってくださいよ、神さまはいつでも正義の士の味方です」
「ぼくもそう信じます、次郎君、いこう」
「ありがとう」
と次郎が眼をかがやかして勇んだ。
太陽の第一箭が雲間を破って空を走った。このとき、次郎の愛撫に身をまかせていたフハンが、両耳をキッと立てて鼻を鳴らすと、河岸を上手へ走った。
「なんだろう?」
とサービスが緊張していった。
「かいの音がするぞ」
とゴルドンが、川上をすかすようにしていった。
かすかに水をかく音がする、とフハンが一声長く尾をひいてほえた、それは親しいものによびかける歓喜をあらわすほえ声だ。
「帰ってきたぞ」
一同は目をかがやかし、川霧のこめた川上をじっとみつめた。
フハンのほえ声はだんだん近くになる、ボートと平行してくだってくるのだ、一同は緊張した。
ポカリと川霧を破ってボートがあらわれた。
「万歳!」
と川岸の四人がさけんだ。
モコウのたくみな操縦でボートが岸についた。
「お帰り!」
とゴルドンが富士男の手をにぎった。
「兄さん、ああ肩に血が?」
と次郎がさけんだ。
「ああ、なんでもないよ」
「次郎君、その傷は僕の一命を救ってくれた尊い血なんだ、ぼくはみなに心配をかけた、すまない、ゆるしてくれたまえ」
とドノバンが頭をたれた。
「ぼくらをゆるしてくれたまえ」
とグロース、ウエップ、イルコックが同時にさけんだ。
わずか数日のあいだの分離に、かれらの顔はいたましくやつれ、衣服は破れよごれている、雨に打たれ、風にさいなまれ、恐怖と不安の艱苦をなめたのだ。こう思うとゴルドンは四人がいとしかった。
「ゆるすもゆるさんもないよ、ぼくらがあまり仲がいいので、悪魔がちょっといたずらをしたのだ、ぼくらはいま完全に一致した、以前に倍した和合協力をもって敵にあたろう」
とゴルドンの手をとった。
新しい感激の涙が、四人のほおを伝わった。太陽が森のはしにあがった、光の箭が少年連盟を祝福するかのように、河畔の少年を照らした。
フハンが先頭になって走った。ケートをとりまいて洞穴の年少組が、ハンケチや帽子をふってむかえた。
「みなさんおなかがすいたでしょう、さあ早くいらっしゃい」
とケートがいった。
食堂はきれいにかたづいて、食卓にはごちそうがつまれ、うまそうなにおいがたちこめていた、みなはクンクン鼻を鳴らした。
「やあやあ、ぼくの料理よりはずっとうまい」
とモコウがいった。
「そりゃおばさんは女だから、料理は専門さ」
とゴルドンがいった。
「でも、モコウ君の料理もなかなかおいしい」
とドノバンがいった。
「いや、それほどでもありませんや」
とモコウが頭をかいた。
「これからはケートおばさんと、モコウ君と、腕のじょうずがそろったから、ぼくらは胃をこわさないように気をつけねばならない」
と富士男がいった。一同は笑った。
ドノバンの性格は一変した。かれは富士男の命令は忠実にまもった、雨が降って地が固まるように、少年連盟は以前に倍した一致協力ですすんだ、四五日がすぎた、だが海蛇などの悪漢の消息はようとしてわからない、黒雲が頭をおしつけるように、一同は不安と恐怖のあいだに、心がおちつかない。
「ゴルドン君、ぼくはひとりで、ドノバン君が発見したというセルベン号のある海岸へいってみようと思う。いつまでも不安な状態であるより、なにかしっかりした消息をつかまえたいんだ」
と富士男が真剣な顔をしていった。
「ぼくもいこう」
とドノバンがいった。
「ぼくらもいこう」
とイルコックと、バクスターがいった。
「そりゃ無謀だ。みずから危険のふちにのぞむことは、賛成できない」
とゴルドンがいった。
「富士男さん、わたしお願いがあるのよ」
とそばで一同の議論をきいていた、ケートが口をきった。
「どんなことです、おばさん」
「わたしを一日か二日、自由の身にしていただきたいのです」
「それはいったいどういうわけですか」
とゴルドンがいった。
「この洞穴がいやになったのですか」
とドノバンがいった。
「いいえ、そうじゃないのです、わたしはみなさんが毎日不安な顔をしているのが、気のどくでたまらないのです、わたしがいって舟があるかないか、調べてきたいのです、それがわたしの責任です」
「それはいまぼくらが決心しかねているのです」
とドノバンがいった。
「そうです、ですがあなたたち少年連盟は、まだ悪漢が知りません、さいわいわたしは海蛇といっしょにおったものです、あなたたちがゆくよりも危険が少ないと思います」
「それは無謀です。悪漢どもはおばさんが生きていることを知ったら、殺してしまいます」
と富士男が色をかえてとめた。
「いいえ、ゆかしてください、わたしは一度かれらの毒手からのがれることができました、これは神さまが味方してくださったからです、わたしは信じます、そして、あの温良なイバンス運転手をさそってくることができたら、くっきょうな味方になるでしょう」
「でもイバンス運転手は、海蛇の悪事を知っています、悪漢どもにすきがあったら、逃走しているにちがいありませんよ」
とゴルドンがいった。
「いや、逃亡をこころみて、悪漢どもの毒手にたおれたのかもしれんよ」
とドノバンがいった。
「そうだ、そしていまケートおばさんがとらえられたようになったら……」
と富士男がいうのを、おしとめるようにしてケートがさけんだ。
「わたしは息のつづくかぎり、けっして悪漢どものとりこにはなりません」
「おばさんがぼくらのことを思ってくださるのは、ありがたいです、ですがいま、みすみすおばさんを悪漢どもの手にまかせることはできない、ね、ゴルドン君、ぼくはおばさんに、この冒険は思いとまってもらいたいと思うが……」
「そうだ、おばさんは、ぼくらのお母さんの役目をまもっていただきたいと思います」
とゴルドンがいった。
「あせることはないんだ他に方法はいくらでもある」
と富士男は考え深そうにいった。
不安のうちにも平和な日はつづいた。だが少年の心は変化を喜ぶ、むやみに広場で遊ぶことを禁じられ、唯一の楽しみである鉄砲で鳥をいることも禁じられている、それは一つの発砲で、悪漢どもに知られたくないからだ、春の日がかがやくのに、くる日もくる日も洞穴のなかで暮らさなければならない。ただときおり、だちょうの森にかけたなわに、えものがかかるのが楽しみの一つであった、一同はたいくつを感じた。
富士男もゴルドンも一同が無聊に苦しむのを見て、いろいろきもをくだいた、だがうっかりしたことをして、悪漢どもが知ったら、たいへんな目にあわねばならない、こう考えると手がでない。
ある日、富士男はフト一計を案じた。だがそれはあまりに、とっぴにすぎる計画である、はじめかれは空想だと思ってしりぞけた、けれどそれは、しつこくかれの脳心にこびりついてはなれない、かれは日夜、計画を反覆した。
「これよりほかに方法はない」
かれはとうとうかたく決心した。
かおり高いコーヒーが晩餐のあとののどをうるおす、雑談にふけったり、本を開いたり、一同は思い思いのすがたで食卓をかこんでいる、富士男がコトコトと食卓をたたいてたちあがった。一同はかれをあおいだ。
「諸君! ぼくは一つの計画を相談したい」
と富士男が一同を見まわした。
「ほかでもありません、ぼくらはかつてたこをつくってこれを島にあげて、無人島から救助されることを望んだ、そのとき、サービス君がいったことばを、みなは忘れないでしょう、すなわち、たこに乗って、ニュージーランドの家に、ぼくらの窮状を知らせようというのです、ぼくは、一婦人がたこに乗って、空中に飛揚することをこころみて、成功したことを、ある本で読んだことを記憶します、いまこれにならってたこを利用し、空中にのぼり、全島のもようを見たら、ぼくらが一日も安心のできない悪漢どものありさまを知ることができると思う」
富士男の大胆な計画に、一同は眼をみはった。
「しかし、たこははたして、ぼくらのひとりをもちあげる力があるだろうか」
とドノバンがいった。
「それは物置きにあるたこでは不十分だ、だがさらに大なる、さらに堅固なものに改造したら、だいじょうぶだと思う」
「たこは一度あがったら、いつまでもそのままでいることができるだろうか」
「それはだいじょうぶだ」
と工学博士のバクスターが、沈黙を破ってうなずいた。
「工学博士の保証があるならだいじょうぶだ、ぼくの小説的空想は、いま実をむすんだ」
とサービスが鼻孔をふくらました。
一同は笑った。
「富士男君、いったいどのくらいの高さまであげようというのだい」
とバクスターがいった。
「そうだ、二百メートルぐらいの高さにまで達したいと思うんだ、そうすれば島のもようを見おろすことができる」
「さっそく、ぼくらは実行にうつろう、ぼくらはもうたいくつでたいくつでならないんだからね」
とサービスが腕をなでた。一同はこの新たなる計画に、眼をギラギラと光らして賛成した。
「製作主任はやっぱりバクスター君にまかせよう」
「それがいい」
「万歳!」
一同の意気はとみにあがった、だがただひとり、ゴルドンはしじゅう黙然と腕を組んで一言も発しなかった。思慮深いかれはこの冒険をあやぶんだ。一同が食堂を去ったのち、かれは富士男に近づいた。
「富士男君、きみはほんとうにこの計画を実行しようというのか」
「そうだ、ぼくはぜひやりたい」
「だがそりゃあまりに危険な計画だ」
「ぼくもそう思う」
「そしてだれがみずから一命をかけて、この冒険をやるのだ、まちがえば尊い人命をなくすのだ」
「ゴルドン君、心配しないでくれたまえ、ぼくには信ずるところがあるのだ」
「まさかきみは、くじでいけにえをきめようというのではなかろうね」
「そんなことはしないよ、ぼくを信じてくれたまえ」
「そうか、ぼくは余り感心しないよ」
とゴルドンは、富士男がとうてい意志をひるがえすことがないのを知って、室を去った。
翌日主任バクスターの指揮のもとに、一同はたこの改造に着手した、だが、バクスターがいかに工学的の知識があるといっても、まだ子どものことである。人間ひとりをもちあげる重量や、たこの面積や、重力の中心、およびこれにたえるべき糸の太さなど、精確に比較考査する十分な知識はない、ただ従来のたこの飛揚力を試験して、さらにこれを拡張するほかにしかたがない、すなわち、約六十キログラムぐらいの重量をのせてとべるほどの大きなものと見当をつけた、この重量は、連盟員中の最重量者の目方である。二日の苦心さんたんの改造は、直径四メートル半、毎辺の長さ一メートル二十、面積およそ五十平方メートルの、八角形の大だこをつくりあげた。たこの尾には、一つのかごがとりつけられた、これはサクラ号の甲板にあったもので、このなかにひとりがはいってあがるのである。
「ゆれて落ちるようなことはないだろうか」
とひとりが心配そうにいった。
「それは実験すればわけはない」
とサービスがいって、素早くかごのなかにはいった。それはすわって乳のあたりまでかくれた。
「ほれ、だいじょうぶだ」
とサービスが得意げにさけんだ。
「でも空にあがっても、おりたくなったときはどうするんだい」
と善金がいった。
「それは、かごのふちに一条の糸をつけておく、糸には一個の鉄環をとおしておいて、糸のはしは地上のひとりが持つんだ、おりたくなったら、上から鉄環をはなてば、それがあいずになる」
とバクスターが、ポケットから一個の鉄環を出して一同にみせた。
「じゃすぐあげてください」
と幼年組ははしゃいでさけんだ。
「いや、それは晩まで待ってくれたまえ、まっ昼間にあげては、悪漢どもにわざわざぼくらの居所を知らせるようなものだ」
と富士男が一同のはやる心をおさえた。
夜がきた、南西の風が吹いて、たこをあげるにはかっこうである、月は午前の二時にならなければ出ない、星の数もまばらである、広場には絞車盤がすえられ、サクラ号が船脚をはかるために用いた測量索をまいて、たこの糸とした、たこにつるさがったかごには、重さ六十キログラムの土をもった袋をつみこんだ、そしてそのふちには、鉄環をつらぬいた糸がゆわえられた、それはちょうど人がのるときと同じである、準備はなった。
ドノバン、バクスター、イルコック、ウエップの四人は、たこをかかえて九十メートルばかり向こうに去った。富士男、ゴルドン、サービス、グロース、ガーネット、モコウ、と幼年組は絞車盤をまもった。
「よいか」
と富士男がさけんだ。
「おう」
とドノバンの答え。
「ソレ!」
というかけ声とともに、直径四メートル半の大だこは、しずしずと、やみ夜の空にのぼりはじめた。
「万歳!」
と幼年組が一時にさけんだ。
「大きな声を出しちゃいかんよ」
とゴルドンがたしなめた。
またたくまにたこは、暗のなかにすがたを没した。糸をひく力はますます強くなる、それは一直線にのびて、少しも張ったりゆるんだりしない、これは上方の風勢がさかんで、たこが傾斜せず、頭をふらず、つねに平衡をたもっているからである、糸は最後のひとまき三百六十メートルがのびた、地面をぬくことまさに二百数十メートルの高さである、試験の成績はこれで十分である。
「成功、成功だ、もうだいじょうぶ! おろしてもいいぞ」
と富士男がうれしそうにさけんだ。
絞車盤は逆転された、だがのぼるときのわずかの時間にくらべて、おろすとなるとなかなかたいへんであった。一同はひたいに汗して一生けんめいにまいた。一時間ののち、大だこは巨体を地上につけた。
「万歳!」
またしても喝采賛嘆の声が、一同の口をついた。
「じゃ、このままにしておいて休もう」
とゴルドンが一同をうながした。一同は去りかけた。と富士男がゴルドンの手をとった。
「ゴルドン君、待ってくれたまえ、ドノバン君、ぼくは相談がある」
「なんだ」
とドノバンがたちどまった。
「ぼくらの試験はみごとに成功した、これは風勢が強からず弱からず、つねに一定の方向に吹いているからなんだ、ぼくはこんな絶好の機会が、しばしばあるとは思われない、あすも今晩と同じような天候と風勢があるかないかは、知ることができない、成功をいそぐように思うかもしれんが、ぼくはこの絶好の機会をのがしたくないんだ、だんぜん、決行したほうが得策のように思えるんだ」
決意が眉宇にあらわれて、目がギラギラと光った。富士男のことばはしごく道理である、だがだれも口を開こうとするものがない。
たこに乗って空中にのぼることは、いうにはやすく行なうにかたい。まかりちがえば、一命をすてねばならない。底深い沈黙がつづいた。
「ゴルドン君、きみがだれか指名してくれたまえ」
と富士男が沈黙を破った。
「いやぼくにはできない」
とゴルドンが悲しそうにいった。
「ぼくがゆきます」
と次郎はさけんだ、と、これにしげきされたように
「いや、ぼくを、ぼくを!」
とドノバン、イルコック、グロース、バクスター、サービスが同時にさけんだ。
「いいえ、兄さん、ぼくです、この大任はぼくがやるのが当然です、兄さん、ぼくにやらしてください」
「次郎君、きみは小さいんだ、それは年長組のひとりのぼくがあたるのが当然だ」
とドノバンがいった。
「そうだ、ぼくがあたろう」
とバクスターがいった。
「いいえ、諸君、この大任はぼくにあたえられるべきです、それが義務です」
「なぜだ! 次郎君! きみにだけどうしてその義務があるというのか」
とゴルドンがやさしくいった。
「ぼくは、ぼくはみなを救わねばならない義務があるのです」
ゴルドンは、次郎の日ごろと異なる真剣な態度を見て、いぶかしく思った。
「次郎君はあまり昂奮している、いたわってやってくれたまえ」
とゴルドンは富士男の手をとった。と富士男の全身がわなわなとふるえている。
「きみ、寒気でもするんじゃないか」
「いや」
と富士男がうめくようにいった、かれの面はあおざめ、ひたいには玉のような汗が浮いている、だが、星影くらくだれも知るよしもない。次郎はさらに決然といった。
「ね、兄さん、ぼくに義務があるでしょう、ぼくをやらしてください」
「富士男君、これはなにかわけがあるんだろう、なにも次郎君ひとりがこの大任にあたる義務があるとは思えない、ね諸君!」
「そうだ」
「ドノバン君、ぼくはいっさいをざんげしよう」
と次郎が声をふるわしていった。
「次郎! 待て次郎!」
と富士男がさえぎった。
「いいえ、兄さん、ぼくはもうひみつにしておくことが苦しいんです、いっさいをざんげして、みなの制裁を受けたいんです、ゴルドン君、ドノバン君、みんなきいてください、諸君を父母の手からうばい、この無人島の二年の苦しみをなめさせたのは、みな、僕のいたらぬしわざからです、サクラ号が海に流れでたのは、ぼくが諸君をたわむれにおどろかそうとして、ともづなをといたからです、船がしだいしだいに沖へ流れだしたとき、ぼくはあわててとめようとしました、だがそれはむだでした、諸君、ぼくの大罪をゆるしてください、そしてつぐないのためにぼくにこの大任を命令してください」
こういうと次郎は、ワッと地面に泣きふした。
「次郎、よくざんげしてくれた、おまえはいま一命をすてるときだぞ、罪のつぐないをすべきだ」
と富士男が涙声でいった。
意外な次郎のざんげは、一同の心を強くうった、動揺がさざなみのように胸から胸へつたわった、快活だった次郎が、急に陰気な子になったことも、いつも困難な仕事はまっさきにひきうけたことも、みずから一身をなげうつ冒険にのりだしたことも、おかした罪の万分の一でも、つぐなおうとしたのだ、こう思うと一同は次郎の心根がいじらしくもあり、かわいらしくもある。
「次郎君は二年間の良心のかしゃくで、すでにその罪はつぐなわれている、そればかりではない、次郎君は危険な仕事があるたびに、みずから喜んであたってくれた、富士男君、ぼくはいまはじめてきみの高潔な心を知った、きみがつねに冒険をひきうけたのは、弟をかばうあたたかい心からだったのだ」
「そうだ、ぼくらは次郎君を罰することはできない」
一同がさけんだ。
「次郎君! 元気を出したまえ」
とドノバンが次郎の手をとった、一同は次郎を助けおこそうとしたが、次郎は両手で顔をおおってはなそうとしない。
「みなさん、ぼくにこの大任をあたえてください」
こういうとかれはすばやく身をみるがえして、かごのそばへ走った、そして土袋をとりだすと、なかへ身をおどらした。
「次郎、待て、ぼくが乗る」
と富士男が走った、一同もかごのそばによった。
「なぜだい兄さん、ぼくだ」
「いや、弟の罪は兄の罪だ、ぼくがはじめこの計画をたてたとき、ぼくはすでに、覚悟していたのだ」
「うそだ、兄さん、ぼくにやらして」
「おまえはまだ小さい、空にあがるだけではなにもならないのだ、敵状を視察することができないと、なにもならない」
「そのくらいのこと、ぼくだってわかってるよ」
と次郎が抗弁した。
弟をかばい、兄をかばう、兄弟の美しい愛情を見て、ドノバンはたまらなくなっていった。
「争っていては時間がたつ。この大任はぼくにあたえてくれたまえ」
「いや、ドノバン君、それはいけない、ぼくは決心しているのだ」
富士男はこういうと、次郎をおろして自分がかわった。
「そうだ、これは富士男君の緻密な頭脳と、勇気に信頼したほうがいい」
とゴルドンがいった。
「みな、まえのように受け持ちの位置についてくれたまえ」
ゴルドンの一言が厳粛に響いた、一同は位置についた。
絞車盤が糸をのばしはじめた、富士男を乗せたたこは、じょじょにのぼってゆく、一同はただ黙然とあおいで、そのゆくえを見まもった、せき一つするものもない。
すーとかごが地をはなれたとき、富士男はめまいを感じた、かれはウンと腹に力を入れて息をすった、さいわい、たこはかたむきもせず頭もふらず、きわめて動揺が少ない、かれはかごの四方をつった縄をしっかとにぎった、と、ブルンとたこがうなって、ひとゆれがきた、からだが一しゅんブルブルとふるえた、それはおそろしいような、こそばゆいような、名状のできない感じであった。十分間ばかりしたころ、たちまち物につきあたったようなひびきがあって、かごがゆらゆらとゆれた、富士男は時間からおして、たこの糸がのびをはったのだと知った。
片手で縄をにぎり、片手で望遠鏡をとって、四方を見おろした、湖水も、林も、岩壁も、すべては墨汁をまいたようで、眼にはいるものはない、ただそれと知れるのは、島をかこむ海水と平和湖の水色ばかりである、北南西の三方はみな重々たる密雲でとざされ、東の一角だけが、断雲のあいだに、三五の星がさんぜんとかがやいているばかりである。
「ああー 火だ」
と富士男は思わずさけんだ。東の一角に低く地上に横たわった雲が、赤く染めだされている、巨大な火に、雲があぶられてできたのだ、だがそれは島をはなれること幾十キロメートルの外である。
「連盟島をさる幾十キロメートルのかなたに、一帯の陸地があって、そこに噴火山があるのだ、その火光にちがいない」
こう思うと富士男は、先の日失望湾で見た、水天髪髴のあいだに、一点の小さな白点を思いおこした。
「あれはやっぱり島だったのだ」
と、またかれは一道の火光を発見した、それは目下の、わずかに八キロメートルぐらいはなれたところにあった。
「失望湾の浜辺のあたりだ、いや敵は、浜辺と平和湖のあいだの、茂林なのかもしれない、そうすればこれはまさしく悪漢海蛇の一行が、暖をとるたき火にちがいない」
かれはあいずの鉄環を落とした。鉄環はいくばくもなく、地上のガーネットの手に落ちた。
「あいずがあったぞ」
富士男の消息を、おそしと待ちかねていた一同は、極度に緊張した。
絞車盤は逆転を開始した、このとき、風勢はしだいに吹き加わって、そのもうれつさははじめの比ではない、おまけに風位が変わって、たこは一左一右、絞車盤の回転は思うように運ばない、糸が一張一弛するたびに、みなはハッときもをひやした。
「全速力だ」
とゴルドンが叱した。
一同は必死の力をふるって、回転をつづけた。
「アッ! 見えたぞ」
と善金がさけんだ。
たこは地面を去ること四十メートルばかりの上にきた。
「いま一息だ!」
とゴルドンがはげました。
と一陣の強風が吹きすぎたと思うとともに、絞車盤をとっていた、ドノバン、バクスター、イルコック、グロース、サービス、ウエップの六名は、ほんぜんと地上に投げたおされた。
「糸が切れた」
とゴルドンがさけんだ。
たこは富士男をのせたまま、黒暗のなかをどこともなく飛び去った。
「ああ! 兄さん!」
と次郎が悲痛な声でさけんだ。
危機
旋風にあおられたたこは、つりかごを前後左右にかたむけゆりあげて、黒闇々のなかを飛んでゆく。はげしい動揺のために富士男は眼のくらむのをおぼえた。かれは必死の思いで綱をしっかりとにぎった。
「あわててはいけない」
気をしずめるために深くひといきすって、腹にぐんと力をいれた。どうやら心がおちつきをとりもどした。
たこは一上一下して、しだいに地上に落ちてゆくように思えた。
「しめた!」
地上五、六メートルの上からなら、飛びおりても死ぬようなことはない、こう思うとホッと、不安のうちにも助かる希望がわいた。かれは眼を皿のようにして飛びおりる場所を発見しようとあせった。だが、星影まばらな光の下では、かっこうの場所はさがしうべくもない。
「だめかな」
一しゅんにして希望の岡から、失望の底につきおとさるる。ゴルドンの穏和な顔、モコウの白い歯、次郎の悲嘆にくるる顔、そしてなつかしい父母の顔、いろいろの顔が走馬燈のように明滅する。かすかに富士男を求めよぶおおぜいの声が、風に送られてきこえる。
「みんなは、悪漢どもが島に滞在していることを知らないのだ。凶悪無残な海蛇ら! かれらはどんな惨虐な行為を一同の上に加えるだろう、早く告げなければならない、どうあっても死なれない。おれは重大な責任をせおってるのだ」
こう思うと富士男は、心の底からぼつぜんとつきあげてくる力を感じた。
と、ただ一色の墨にぬりつぶされたような下界が切れて、ぽっかり一面に白いものがひろがった。
「ああ、水だ、助かるのはいまだ!」
水の深さも、岸への距離も、なにも考えるひまもなく、富士男はつりかごをけって身をおどらした。水煙がとびちって、富士男のからだは底深くしずんだ。湖はなにもなかったようにもとのしずかさにかえった、大きな波紋がゆっくりゆっくり、輪をひろげてゆくばかりである。身軽になったのを喜ぶように、たこはふたたび空高くまいあがり、北東のやみにとびさった。
まもなく富士男の頭が、水面に浮かんだ。かれは立ち泳ぎをしながら、のみこんだ水をはきだすと、頭をめぐらして方角を見さだめた。目測で岸までは、約百メートルの見当だ。
「案外、近いぞ」
富士男はゆっくりと、得意の平泳ぎをはじめた。
一方、広場の一同は、意外のできごとにぼうぜん自失した。
「たこを追っかけろ、見失ってはたいへんだ」
とゴルドンがさけぶと、まっさきにかけだした。
「兄さん」
と次郎がつづいた。一同はバネじかけの人形のように走りだした。
「富士男君」「富士男さん」
先頭のゴルドンが、とつぜん足をとめてつったった。ドノバンがさけんだ。
「休んじゃいけない」
「いや、ドノバン、これから先は走れない」
「どうして?」
おいついたドノバンが前方をすかして「あっ!」とさけんだ。
「湖だね」
ふたりはまたしてもぼうぜんと腕を組んで、やみにほの白く光る湖をにらんだ。まもなくかけつけた一同も、ふたりの黙然たるすがたと、ほの白く光る水面を見くらべて太いといきをもらした。
「だめだ」
「チェッ! おれはなぜここに、ボートの用意をしておかなかったのだろう」
モコウが白い歯をがりがりかんでくやしがった。
「諸君!」
と水面をはってよぶ声がする。一同はびっくりして耳をすました。
「諸君!」
「アッ! 兄さんの声だ、兄さん!」
と次郎が狂気のようにさけんだ。
「諸君! 海蛇らはまだ島にいるぞ」
こういうと富士男はあざやかな抜き手を切って、もうぜんと泳ぎだした。
岸にあがった富士男は胴ぶるいをすると大きなくしゃみをした。
「やあやあかっぱの胴ぶるいに河童のくしゃみだ」
とモコウが水玉をかけられていった。ホッとした安堵とともに一同ははじめて笑った。
「これを着たまえ」
とドノバンが上衣をぬいだ。
「これを」
と一同はシャツやズボンをぬいだ。
「そんなに着られやしないや、だるまさんじゃあるまいし」
と富士男がいった。
「かっぱ変じてだるまとなるでさあ」
とモコウがてつだいながら、鼻をヒョコつかせた。
「違うよ、あれは桑田変じて滄海となるだよ」
と善金がまじめな顔でいった。一同が笑った。
洞に帰ったかれらは、つかれを休むひまもなく、悪漢どもに対する緊急会議を開いた。まず富士男が口をきった。
「かつてケートおばさんが話されたように、悪漢どもの船は航海にたえないほど、大破損はしていない、それなのにかれらはいまだに立ち去るようすもなく島をうろついている。これはなにか理由がなければならない。船を修復する器具がないことも理由の一つかもしれないが、もっと重大な理由がひそんでいるように思われる。ぼくは空中から連盟島の東のほう、島からあまり離れていないところに、一大陸地のあることを知った、連盟島はまったくの孤島でなく、東方の大陸かあるいは群島を有する一無人島なんだ、悪漢どもはそれを知っているのだ、これがかれらを島におちつかせている大きな理由だと思う」
「じゃ、失望湾で見た沖の白点はやっぱり島だったのですか?」
とモコウがいった。
「そうだ、あるいは大陸かもしれない」
「ぼくらはまた救われる希望があたえられた」
とサービスが目をかがやかしていった。
「ぼくは探検にでかけよう!」
とドノバンがいった。
一同は悪漢のことも忘れて、新しい発見に昂奮した。
「諸君! それは第二の問題だ、ぼくらは目前にせまった敵に、いかなる方法で戦うかを、考えなければならぬのだ」
とゴルドンが冷静にいった。
「そうだ、悪漢どもが、なぜ二週間ちかくもこの島にとどまってるかは、かれらが島の近くに陸地のあることを知ってるからだ、かれらは気長くここにとどまって、時機の熟するのを待っている、かれらは早晩自分らの住まいを求めるだろう、いまは東方川の口に宿っているが、一歩転ずれば平和湖を発見するだろう、湖畔にそってさまよううちには、この左門洞のほとりに出るかもしれない。ぼくらは早く防備をめぐらさねばならぬ」
凶悪な海蛇がギロギロ目を光らして、洞前に立ちふさがってでもいるような恐怖が、一同の胸をしめつけた。
「洞門に防壁をつくって戦おう」
「広場におとし穴をいくつもいくつも、つくったらいい」
いろいろな声がとんだ。
「なによりまずぼくらは、敵に発見されないことが肝要だ」
とバクスターがいった。
「そのためには洞の表と裏の入り口を、まつ、すぎ、灌木の枝でおおい、ちょうど、茂林か樹叢のようにみせかけて、悪漢の目をくらますのがいいと思う」
「名案だ!」一同は賛成した。
翌日、だちょうの森では、とうとうとおのの響きがこだまし、松、杉の枝が、そうぞうしい音をたてて落ちた。年長組の一隊が、枝のきりだしに従事したのだ。
落ちた枝をひきずって、エッサラモッサラと、幼年組が運搬する。運ばれた枝はゴルドンの指揮で、厩舎、養禽小舎、洞門にうちかけられ、即成の茂林となった
「ヤアヤア、山賊のかくれ家だな」
「いや、もぐらの巣だ」
と幼年組がはしゃいだ。
「さあ、早くなかへはいってくれたまえ、どこで悪漢が目を光らしてるかもしれない」
とゴルドンがいった。いままでの快活さを失って幼年組は、あわてて洞のなかへかけこんだ。
この日からみだりに戸外へ出ることは禁じられ、ことに湖畔の広場へは、絶対に禁足が守られた。それはまるで冬ごもりのときのように、洞穴深くかくれて、不安の日を送りむかえるのだった。
かてて加えて、一同のまゆをひそめさせたのは、幼年組のコスターが、熱病におかされたことであった。熱に浮かされて故郷の夢を見るのか、ひからびた口を開いては、父母の名をよび、一同はかなしく首をたれた。
「このまま死なしては、ぼくは、どんな顔をしてかれの父母にまみゆることができよう」
次郎はかたときも枕頭をはなれず、コスターの看病に寝食を忘れた。ゴルドンはサクラ号にそなえてあった薬を、あれこれと調剤した、だが医学の知識が十分でないかれは、病名のわからない熱病に対して、ききめのある薬を調合することができない。心ははやるけれど、手はその十分の一も動かない。ただ、苦しむ病人をぼうぜんと見まもるばかりで、手のほどこしようもない。
「けっして心配はいりません、わたくしがどんなことがあっても、なおしてみせます」
ケートは医薬のたりないところを、愛情と親切をもって、まるで自分の子どもであるように、昼夜をわかたず看病した、このゆきとどいた慈母の愛は、かれんな病人にとっては、医薬よりもなによりもまさるものであった。ケートの愛情はコスターを危篤のふちから救った。一同はようやくまゆを開いた。
「ケートおばさんはぼくの母さんだ、そしてみんなのお母さんだ、ぼくらはこれからお母さんとよぼう」
とコスターが目をうるましていった。
「みんなわんぱく小僧ばかりで、お母さんもたいへんだよ」
とゴルドンがいった。
「ぼくは服をよごさないようにする」
「ぼくは服を破らないようにする」
幼年組がケートにとりすがっていった。
「ええ、ええ、わたくしは喜んで十五人のお母さんになりますわ、わたくしはいい子をえて幸福です」
ケートがニッコリしていった。
やさしいお母さんの愛情をえて、一同は不安のなかにも幸福な日々を送った。
ある日、ドノバンはつりざおをもって、コッソリ洞をぬけでて、ニュージーランド河畔の樹陰にこしをおろして糸をたれた。だが、どうしたのかいっこうにつれない、一時間ばかりたっても、一尾の小魚さえかからない。ドノバンは断念してさおをあげた。と、川岸でえさをあさっていた鳥がなにを発見したのか、ギャアギャアと鳴きたてて、羽音高く一時にとびたった。鳴きかい相よび、友をよび集めて対岸の灌木林の上をまるく広く輪をえがき、しだいに輪をちぢめると、一団の黒塊となって、灌木林のなかにすがたをけした。
「なにかの屍体を発見したのだ。けものか? あるいは仲間割れした悪漢どものひとりが、殺害されたのかもしれない」
こう思うとドノバンは、たしかめずにはいられない。
「一つさぐってみよう」
かれはとぶように洞に帰り、銃をかくしもって、モコウをよんだ。
「なんです、目の色をかえて?」
とモコウがいった。
「きみの力を借りたいんだ、いっしょにきてくれたまえ」
ドノバンはしぶるモコウの腕をとって、川岸にいそいだ。
「ボートをたのむよ」
「どこへゆくんですか」
「いいからぼくにまかしておいてくれたまえ」
ボートはまもなく、川を横ぎって、対岸についた。
「いっしょにきたまえ!」
岸にとびあがるとドノバンは、灌木林をめがけてつきすすんだ、丈を没する草むらをはらいのけてすすむこと数十歩! ドノバンはたちどまった。
「やあ、ラマの屍体だ!」
目前数歩のところに鮮血がこんこんと流れ、下草をくれないにそめて、ラマの巨体が横たわっている、鳥は足音におどろいて羽音高くまいあがった。
「かすかにあたたかみがありますよ」
屍体に手をおいてモコウがいった。あたたかみが残っているとすれば、殺されてまだ時間がたたないのだ。
「この傷は鉄砲だね」
傷口をしらべてドノバンがいった。
「わたくしもそう思ったところです」
モコウがたずさえた小刀をとって、創口をえぐった。
「やっぱりそうだ、ほれ」
とモコウが血にねばった銃丸を示した。
連盟員は発砲を禁じられている、それなのにラマは銃丸でたおれている。海蛇らのしわざにちがいない! 敵はもうこの付近をさまよっているのだ。こう思うとドノバンはがくぜんとした。
「モコウ君、ぼくらは早くこのことを一同に報告しなければならない」
ふたりは、ラマの屍体は鳥どものむさぼりくらうにまかして、いそぎ洞へ帰った。
洞の前でふたりは、ゴルドンと富士男にであった。
「どこにいってた」
とゴルドンがとがめるようにいった。
「みだりに出歩いてはこまるじゃないか」
「重大事件だよ」
とドノバンが、せかせかといっさいを報告した。
「そうか! 敵はもうこのへんをうろついているのか」
とゴルドンが沈痛な顔をしてつぶやいた。
「だが、ぼくは銃声をきかなかった」
とドノバンがいった。
「それはぼくらもきかない、だからといって安心はできない、重傷のラマが、遠いところからにげてきたとは思えないからね」
と富士男がいった。
「この事件は、ぼくら四人の胸にひめておこう、ほかの者にいらぬ心配をさせるのは苦痛だから……」
とゴルドンがいった。
それから三日目、またまたかれらは、事態のますます切迫したのを知る一新事件にであった。
この朝、ゴルドンと富士男は、ニュージーランド川をわたって視察にいった。川岸から南のほうの沼にいたるあいだの細道に、防壁をきずいて、ここにドノバンらの鉄砲の名手を伏兵させ、悪漢どもがこの方面からくるのを、ふせごうと思ったからである。
二人は地形をしらべながら、茂林のなかをすすんだ、鳥がくらいつくしたのか、けものの骨や貝がらが散乱していた。
「鳥のやつも大食家だね」
と富士男がいって、その一個を軽く足げにした、と、ゴルドンは、とんだ骨を走って拾った。
「そんな骨をどうするんだい、パイプにでもするのか?」
「富士男君、これをよく見てくれたまえ、陶製のパイプだよ、ぼくらのなかにはたばこをすうものがない、これはきっと悪漢どもがおとしたのだよ」
とゴルドンが声をふるわした。
「左門先生らがおとしたのかもしれないさ」
「いや、かいでみたまえ、たばこのにおいが、まだ新しくのこっている、きんきん一、二日前か、あるいは一、二時間前にここにおとしたものだ」
はたして、ゴルドンの推察があたっているとすれば、海蛇らの魔手はすでに、洞の目前にまで伸ばされているのだ。
「きみのいうとおりだ」
パイプをかいでいた富士男が、うわずった声をあげた。
「ゴルドン君、早くひきかえそう、ぼくらは防備の用意をしなければならない」
ふたりは倉皇として引きかえした。
悲愴な決意が洞のなかにながれた、洞内の戸には堅牢なかんぬきがはめられて、戸の内がわには大石が運ばれ、スワといえば、これを積みあげて胸壁に使用する、戸のわきには窓があけられ、サクラ号から持ってきた、二門の大砲がすえられて、一つは表の川に面する口をまもり、一つは湖畔に面する口をまもる。一同には旋条銃、連発銃、腰刀がわたされ、各自は分担された守備位置についた。
洞の上の岩壁には、見張りが立ち、八方に注視した、洞の表と裏には、各ふたりずつの見張りがおかれた。
一同の悲愴な決意を見るにつけ、ケートは心のなかで泣いた、少年らがいかに胆力があり、知恵があるとしても、悪漢どものすぐれた体格や、悪にかけては底の知れない悪知恵をもったかれらとくらべれば、とうていおよびもつかない差がある。
「こんなとき、イバンスがいてくれたら、どんなに力強いことだろう」
十一月二十七日は、朝からむしむしと暑苦しい日であった。空は重々たる密雲におおわれて、遠くで雷鳴がいんいんとひびき、なんとなく大あらしの前兆をつげる空もようである。夜の九時ごろ、あかりもきゆるかと思われるものすごい電光が流れたかと思うと、天地もさける一大霹靂が耳をつんざいた。これをきっかけに、電光は青赤色のほのおをはいてたえまなく光り、岩上に落花するごう然たる落雷のひびき! 天地もために顛倒するかと思われるばかりである。守備をかためた年長組は思わず耳をおおい、地にふし、幼年組は寝台にとびこんで、毛布のなかに頭をつきこんだ。
戸がわをかためた富士男、ドノバン、バクスターの三人はかわりがわり洞外のようすを知ろうとするのだが、戸をなかば開かないうちに、するどい電光が矢のように流れ、眼をいすくめる、天は一面赤火光にもえ、湖水は天の色を反射して、ただ一円のほのおのように見える、十二時ごろ、さすがの電光も雷鳴もようやくおとろえはじめた。
雷鳴がおさまるとともに風がおこり、しだいに猛威を加え、あまつさえ盆をくつがえす豪雨となった。だが、車軸を流すような豪雨も、小石を吹きとばす強風も、洞のなかではさほどおそろしいことではない。
「雷が洞をこわしはしないかと、ぼくはずいぶん心配したよ」
と善金が毛布から頭を出していった。
「ああやっと助かった」
幼年組がコソコソ寝台からぬけだした。
「まさかこのあらしをおかして、悪漢どもが攻めてくるようなことはあるまい、富士男君、見張りはいらないよ、ぼくらはあすのために英気を養おう」
とゴルドンがいった。
「ウン、そうしよう」
一同は寝台にいそいだ。富士男はなお、用心のために、戸の内がわに、大石を積みあげた。といままで、寝台の下におとなしくうずくまっていたフハンが、音高く鼻を鳴らすと、耳をピンと立て、目をいからして戸の外をにらみ、ひとほえすると、歯をむき立ててもうぜんとかけだした。かれは前脚で戸板をがりがりとひっかき、低くうなりつづけた。
「戸の外になにか異状があるのだ」
とドノバンがさけんだ。
「ケートおばさんを発見したときと同じだ、悪漢どもが攻めてきたのだ」
とサービスが悲鳴をあげた。
「武器を持て!」
とゴルドンがさけんだ。
各自は武器をつかみ、防戦の身がまえをした、不安と恐怖が洞内を圧した。
モコウがすばやく戸口にかけて耳をあてた。なんの物音もしない。
「なんだ、なんでもありゃしない」
だが、フハンはいっそうはげしく戸をひっかき、はてはまりのように四肢をぶっつけて、ほえたてた。とごう然たる一発の銃声がひびいた。それは、洞から百メートルとは離れないところではなたれたものだ。
「アッ!」
一同はがくぜんと顔を見あわした。ドノバン、バクスター、イルコック、グロースらの名射手は、表裏の口をまもった。目をギラギラ光らして、一発のもとにいころそうと身がまえた。戸ぎわに大石が運ばれ、胸壁がつくられた。
「助けて、助けて!」
悲鳴が戸の外でした。
ドノバン、バクスターは引き金に指をかけた。
「助けて」
と戸がガタガタと鳴った。
「バクスター、ぬかるな!」
とドノバンがいった。
「ドノバン! 待ってちょうだい! あの声は聞きおぼえがあります」
とケートが、ドノバンの引き金にかかった手をとった。
「だれです?」
と富士男が緊張していった。
「早く! 戸をあけて……早く!」
ケートはこういうと、みずから戸に手をかけた。
「あけちゃあぶない!」
とひとりがさけんだ。
「いいえ、心配はいりません、早くいれてやらねばなりません」
なかば開いた戸から、鉄砲玉のようにとびこんできた壮漢! 雨にうたれた伸びほうだいの髪は、ものすごく顔にへばりつき、ひげは草むらのように乱生し、水玉がたれている、かたはば広く丈高い偉丈夫! かれはギロギロとするどい眼光で一同を見まわすと、すばやく身をひるがえして戸を閉じ、耳をあてた。追跡する足音はきこえない。
「だいじょうぶだ」
と彼はひとりごちて、ずかずか一同の前に近づいた。
「なるほど、みんな子どもばかりだな」
かれはつぶやくようにいって、ジロジロ洞中を見まわした。
「イバンス!」
とケートがさけんだ。
おのれの名をよばれて壮漢は、ギクリとしてふりかえった。
「やあケートさん」
「あなたは少年らに救われました、わたくしも救われたのですよ、これはみんな神さまのひきあわせです、イバンスさん、あなたもどうか子どもらの力になってやってください」
ケートはかれの手をにぎった。イバンスはふたたび一同を見まわした。
「十五人か、しかもみずからふせぐことのできるのは、五、六人しかない」
「いま、悪漢どもが襲撃してくるのですか」
と富士男がいった。
「いや、いまということはないだろう、だが……」
「ね、イバンスさん、子どもらがかわいそうです、救ってやってください」
とケートがいった。
「もちろん! ぼくは悪漢どもをやっつけますよ、けれど今晩はもうだいじょうぶです。このあらしでは、まさか川もわたれますまいからな」
くまのように魁偉な男ではあるが、どことなくものやさしい、目は正直そうな光をおびている、一同はかれの態度になにかしら心強さを感じた。
「おう寒い!」
とかれはからだをふるわした。
「これを着かえなさい」
とケートがありあわせの服を持ってきた。
「ありがとう、ついでになにか食べ物がいただけませんか、きのうからなにも食べないのです」
モコウが走って、食堂からやき肉、固パン、茶、および一杯のブランデーを持ってきた。
「やあ、ブランデーか! ぼくはもう二ヵ月も飲まない」
とかれは目を細めてコップをとると、ごくりと一息にあけた。
「うまいな! やき肉に固パンか、なかなかのごちそうだな」
こういうとかれは、目にもとまらない早さでペロリとたいらげた、一同はかれのすばやい食べ方に目を見張った。
「やっと人間らしくなった」
「もっと食べますか?」
とモコウがいった。
「ハハハ、もういいんです、これから食べはじめたら、底なしですよ、諸君の食べ物がなくなってしまうよ、ハハハ」
「おじさんはまるでくまのようだ」
と幼年組がいった。一同は笑った。
「ぼくらは早く海蛇らの動静が知りたいのです、そして今後の方針を定めなければならない、おじさん、左門洞にのがれるまでの話をしてください」
とゴルドンがいった。これは一同が早く聞きたいところである。
「早く聞かしてください!」
と一同がさけんだ。
「よろしい、話そう、だが左門洞とはいったいなんです?」
「ぼくらが命名したこの洞の名ですよ、前の川が、ニュージーランド川です」
「ホウ! それぞれ名まえがついてるんですね、それは改めてひまのあるとき聞くとして」
イバンスは茶をひとすすりして語りだした。
「ぼくらは数日間は、伝馬船の修復に手をつくした、だが、なにぶん修繕に必要な道具が不足である、そのうち、食物がなくなってくる、水が飲めない、ぼくらは修繕するのをよして、船は雨風のあたらない場所にかくし、食糧を求めるために浜辺にそって南下した、行くこと十九キロばかりで一条の小川の口に達した、ぼくらはむさぼるように水を飲んだ、水はとてもおいしかったよ」
「その川は東方川というんです、そして川のそそぐところを失望湾というんです」
とサービスがいった。
「清い水は飲みほうだい、ぴちぴちした魚はたくさんとれる、ぼくらはここに住まいを定めることにした、伝馬船は浜辺づたいにひいてきて、川口につないだ。
ぼくらは船をたいせつにした、ただ一つの修繕道具があれば、船はよういに手入れができ、いつでも島を去ることができるのだからね、船は命の親だからね」
「洞には修繕に必要な道具が揃っています」
とドノバンがさけんだ。
「そうだろう、海蛇らはちゃんとにらんでる」
「でもおかしいな、海蛇はぼくらのことはなにも知らないと思うが?」
とゴルドンがふしぎそうにいった。
「おどかしちゃいやだよ」
とひとりがいった。
「それがゆだん大敵さ、ぼくはなにもおどかしなんかはしない、これはほんとうだからね、敵がどこにひそんでるかは神さましか知らない。ぼくはどうかして海蛇の毒手からのがれようと胆をくだいた、が、かれらはなかなか厳重に警戒して目をはなさない、時機を待つよりしかたがない、ぼくは遁走をあきらめてかれらの命令どおりにした、数日前、ぼくらは堤をさかのぼって茂林のなかに進んだ、とぼくらは、枝にひっかかったえたいの知れない油布でつくったらしい、巨大なたこのようなものを発見した」
「ああそれはぼくらがつくったたこです」
とドノバンがさけんだ。
「海蛇はためつすかしつして見ていたが、思わず大声でさけんだ。『これは人間がつくったものだ、この島にはおれたちのほかに、いく人かの人間が住んでる、おれたちは早くさがしださねばならないぞ』
ぼくはこれを聞いて心のなかにさけんだ、しめた! のがれる日が近づいたのだ、悪人どものすきをうかがってのがれよう、そして島の人たちに救ってもらおう、たとえそれが蛮人であってもいい、極悪の人殺しの悪漢どもといっしょにいるよりか、どれだけ幸福かしれやしない、だが、海蛇のやつもなかなかぬけめがない、その日から看視は前にまして厳重を加えた、海蛇どもは急に元気おうせいになって足を早めた、湖の東岸をそって南へ南へと歩いた、だがいってもいっても人の住まいはおろか、踪跡らしいものにもあわない、一つの煙、一発の銃声もきかない」
「それはぼくらがあいいましめて、洞穴にかくれていたからです」
と富士男がいった。
「だが海蛇どもは失望せずに進んだ、そしてとうとうきみらを発見した」
「どこで?」
と一同が昂奮してさけんだ。
「二十二日の夜だった、鉄砲玉のロックと四本指の兄貴のパイクのふたりが、海蛇の命令で斥候に出た、そしてきみらの洞穴を発見したのだ、洞からはチラチラと火がもれ、戸をあけしめするすがたを見たので、ふたりの報告を受けとった海蛇は、つぎの日単身で川ぶちの茂林にひそんで、きみらの動静をさぐった」
「やっぱりそうだったか」
と富士男がいった。
「ぼくらも悪漢どもがこのあたりをうろついているのを知ったのです」
とゴルドンがいった。
「きみらが知ってた?」
とイバンスが小首をかたむけた。
「そうです、ぼくらはたばこのにおいのまだ新しいパイプを発見したのです」
「そうか、どうりで海蛇が、たいせつなものをなくしたと手下どもをどなっていた、ハハハハ」
とイバンスが腹の底から笑った、だがすぐまじめになって、
「海蛇どもは洞のなかのものが、みな年のゆかない子どもばかりの集まりだと知ったのだ、きみらは不用意にも川のふちに出たり、洞の前に立ったりしたからね、悪漢どもは襲撃の方法をあれこれと相談した」
「悪魔! 人でなし! かれらはこのかれんな子どもたちをどうしようとするのだろう、助けてやろうとは思わないのでしょうか?」
とケートがさけんだ。
「そうです、セルベン号の船長や、あなたのご主人たちに対して行なったように、皆殺しにしようというのです、やつらに慈悲心を求めるのは愚の骨頂です!」
とイバンスがいった。
一同は肌にあわつぶの生ずる恐怖におそわれた、たがいに手と手をつないで、かたくにぎった。
「なにか物音がしなかった?」
とイバンスが戸のほうを見た。
「いいえ、なにも、だいじょうぶです」
と戸をまもるモコウがいった。
雨はいぜんとして降りしきり、強風はものすごい音をたててふきすさぶ、あかりがチロチロとまたたく、夜はふけた、イバンスの奇々怪々な物語はいつはてるともしれない。
敵襲
イバンスがしずかにブランデーのコップをとりあげて、長物語にかわいたくちびるをぬらしている口元を見つめていた富士男は、
「しかし、どうして海蛇たちの毒手をのがれたのです」
ときいた。
「そこだ、けさ海蛇たちはホーベスと、鉄砲玉のロックにぼくの番を命じて、諸君らの動静をさぐりに出てしまった。ぼくは逃走の好機到来と心中で計企するところがあったが、ふたりはなかなかゆだんしないのだ。午前十時ごろ一頭のラマがぼくらの前にすがたをあらわした。ロックはこれを見るとさっそく銃をとって一発やった。そのすきにとつぜん身をひるがえして、森林のなかに逃げこんだ」
「銃声は聞かなかったが、ラマの死体は川むこうで見ました」
とドノバンが口を入れた。
イバンスはことばに力を入れて、
「ぼくはそれから十四時間ほど、ふたりの追跡者の手をのがれるために走りつづけた、こんなに走ったのは生まれてきょうがはじめてだ、おそらく五十キロは走ったと思う。海蛇たちの話で、諸君の洞は、湖の南西岸にある川の西がわだということを知っていたので、右に左に逃げまわりながらも、諸君の洞をめあてに走った。かれらが銃を持っていなかったら、苦労はなかったが、しばしば追いうちをせめられるので、弾をさけるのはひじょうな苦労だった。いま一つぼくの逃走を妨害したのは電光だ、夜になれば逃走は安全だと思っていたのに、電光はやみを破ってぼくのすがたを照らし、追跡者に発砲の機会をあたえたのだ。とこうして川岸に出たが、そのとき一道の電光とともに、背後に銃声がひびいた」
「その銃声はわたしたちもききました」
とひざをすすめてドノバンはさけんだ。
「しかし同時にぼくは、水中にとびこんだ。二、三度抜き手をきって、こっちの岸に泳ぎついたので、くさむらにかくれた。川岸まできた追跡者は、たしかに命中したから、水のなかにしずんだのだろうと語りながら去ってしまった。ぼくは堤にあがって地上に立ったが、そのとき、いぬのほえる声をきいたので、それをたよりにここへきた。諸君はつかれはてているぼくに、喜んで戸をひらいてくれた。諸君、ぼくらは一団となって力をあわせ、悪漢どもをこの島よりのぞくようにつとめねばならん」
イバンスのことばをきいた少年たちの心臓は躍動した。
少年たちはかわるがわる漂流のてんまつをイバンスに語ってきかせた。
「諸君がここへ漂着して二十ヵ月のあいだ、一せきの船も沖に見えなかったか」
「小船一せきも見えません、信号もかかげてありましたが、ケート小母さんに海蛇らの話をきいたので、六週間以前におろしてしまいました」
と富士男はいった。
「諸君の用心はよかったが、かれらに諸君の居所を知られた以上、日夜警戒してかれらの襲撃をふせぐのが上策であるが、かれらは凶悪無慚な無頼漢七人で、諸君は数こそ多いが、少年である以上、苦戦は覚悟せねばならぬ」
とイバンスがいった。
「いいえ、皆さまが少年連盟を組織した団結心と正義をもって悪漢と戦えば、神さまはきっと皆さまをまもってくださいます。現にイバンスをわたしたちのところへ送ってくださったではありませんか」
とケートはさけんだ。
「イバンス万歳」「少年連盟万歳」の声々が少年たちの口をついて出た。
最前より黙々として、話をきいていたゴルドンは、このときはじめて口を開いた。
「しかし、海蛇らがおとなしくこの島を去ると約束すれば、ぼくらはかれらの必要な船の修繕器具を貸してもいいと思うが」
というと、他の少年たちも、なるほどというような顔をした。
「諸君はかれらの凶悪さを知らないのだ、もし諸君がかれらに修繕器具を貸してやれば、かれらはそのつぎに諸君の食料を要求するだろう」
イバンスのこのことばをきいて、
「パン粉をとられるとこまるなア」
「あすどこかへかくしておこう」
幼年組の連中がささやいたので、一同苦笑した。
イバンスはなおも語をついだ。
「そればかりでない、かれらは諸君がサクラ号のおかねを、かくしていると思っているから、修繕器具を貸してやっても、恩義に感ぜずに、貨幣掠奪の計画をするにちがいない。また硝薬の少ないかれらは硝薬も要求するだろう、諸君はかれらのこの要求が入れられるか」
「いや」
とゴルドンは強くいいきった。
「諸君がかれらの要求をきかなければ、かれらは諸君を子どもとあなどって、腕づくでもかすめるにちがいない。そのときには、戦いあるのみだ、戦いをまぬがれえないと知ったら、はじめから計画をきめて戦うのが有利である。それにかれらの伝馬船がなかったらわれわれはどうして島をのがれるつもりか」
イバンスの最後の一語をきいた少年たちは、疑惑を感じた。
「かの小船で、洋々たる大洋を、横断するのですか」
「大洋を横断する? いやわれわれは、まず南米に近い港にわたって、便船を求めるつもりである」
イバンスのこのことばは、少年たちをますます混乱させた。
「しかしあんな小船で、数百キロの波濤を、越えることができますか」
とバクスターは質問した。
「数百キロ? いや港までは、きんきん五十キロを出ない航程です」
「ではこの島は、大洋中の孤島ではないのですか」
「島の西方は大洋であるが、東南北は大洋ではありません。諸君はこの島を、大洋中の孤島だと思ったのですか」
少年たちは目を見張って、イバンスのことばを待っている。
「島は島であるが、孤島ではない。南アメリカのチリー国の西岸に点在する群島中の一つです。あした地図にてらして、本島の所在および方位について、くわしく説明しましょう」
とイバンスは語りおわった。
いままで大洋中の一孤島とのみ思っていた少年たちは、イバンスのことばをきいて、ひじょうに喜んだ。この喜びに幼年組は海蛇の恐怖をわすれて安眠した。
ゴルドンとモコウは、武器をとって戸口をまもったが、一夜はことなく明けた。
諸君が世界地図をひらくと、三角定規の最長の一辺を左にしておいたような形の大陸が、右下にあるのに気がつくと思うが、これが南アメリカである。
この西がわの最長の一辺にそうて、アンデス山脈が走っている。このアンデス山脈が南下している南端を、一つの海峡が横断している。この海峡こそ千五百二十年に、大西洋より太平洋に航海する航路をつくった、マゼランによって発見された、マゼラン海峡である。
この海峡の北方は、アルゼンチンおよびチリー国で、南方はアンデス山脈の南下によってつくられた、フエゴ諸島である。
海峡の東口は、びょうびょうたる大洋であるが、西口は小島嶼が錯雑紛糾して、アンデス山脈と平行に北方にのぼり、チロエ島にいたって、まったく影を没している。
イバンスは翌朝朝食後、少年たちにかこまれて、南米の地図を指説していたが、さらに語をついで、
「このマゼラン海峡の西口からチリー国の沿岸を北行している島嶼のうち、南方にケンブリジ島をひかえ、北方にマドル島およびチャタム島をのぞんで、南緯五十一度、西経七十四度三十分のところに一島あるが、これはハノーバル島といわれている。これこそ諸君が、二十ヵ月の月日をおくった、少年連盟島である」
この説明をきいたゴルドンは、
「それではわたしたちは、チリー国と一葦帯水の島にいたことになりますね」
といった。
「そうです。しかし、諸君が大陸に渡航しなかったのは、かえって諸君にさいわいでした。よし大陸に渡航したとしても、アルゼンチン共和国の町、あるいはチリー国の町に出るまでには、種々の困難がある。たとえば、海抜千メートル以上のアンデス山脈をこえ、昼なお暗い深林を通り、パタゴニアの荒漠たる草原を横断せねばならない。そのうえに、パタゴニアの蛮人どもは、諸君を歓迎はしまい」
とイバンスはいった。
ハノーバル島、すなわち少年連盟島をかこむ海峡は、二十四キロメートルないし三十二キロメートルぐらいであるが、不幸にしてかれら少年たちは、つねに諸島よりはなれること、もっとも遠い位置に立って探望したために、一島をも見ることができなかったのである。ただ最初に富士男が、モコウとともに平和湖を横ぎって探検したさい、サクラ湾で見た一小白点は、雪をいただくアンデス山中の一高峰であったことは疑いない。またたこに乗って空中から見た火光は、同じ山脈中の一火山である。
「わたしたちが伝馬船を手に入れてこの島を出るとしても、どの方向にすすみますか」
とゴルドンは問うた。
「チリー国の沿岸は、曲折出入が多くてはなはだ危険であるが、ここより一直線に南航してチリー国の港に入港すれば、チリー国の住民はみな親切であるから、便船を求める便宜はえられると思う」
とイバンスは答えた。
「チリー国の南端に港がありますか」
「チリー国の南端にタマル港があるが、もし荒廃していれば、さらに南に航路をとって、マゼラン海峡に出れば、ガーラント港があります。ここへゆけば、かならず豪州行きの便船はあるはずです」
じじつマゼラン海峡に出れば、各国の船が通過している、イバンスの説明はますます少年を歓喜せしめた。
しかしかれらが帰国の便宜をうるためには、まず海蛇らの持っている、伝馬船をうばわねばならぬ、それには一戦はまぬがれないのである。
敵は七人であるとはいえ、くっきょうのおとなどもで、食人鬼のごとくどうもうなる暴漢である、味方は数こそ多いが、筋骨いまだ固まらざる十六歳に満つや満たずの少年たちである、これを思うと、だれもみな一まつの不安を感ぜずにはおられなかった。
イバンスは、敵襲のばあいの防備をするために、洞の内外を巡覧した。洞はニュージーランド川に面し、平和湖の浜を左にひかえている。窓は矢間の用をなし、ここには二個の大砲と、八個の旋条銃が用意されているほかに、なお多くの武器がある。
武器、弾薬、食料の豊富、それだけをたのみに、死守するよりほかに道がない。
しかしかれら七名は、全部凶悪なものばかりだろうか。
「かれらのなかでホーベスは、良心を持っていると思いますが」
とケートはイバンスにいった。
「いやホーベスは最初は善心であったが、いまでは良心がなくなっています。現にぼくが逃走のとき、かれは追跡発砲しているのです」
とイバンスはケートのことばを一蹴した。
少年たちはじゅうぶん用意をととのえて、敵のくるのを待ちうけた。幼年組はほとんど川辺にさえ出ないで、左門洞で息ぐるしい日をくらした。
数日は経過したが、海蛇たちは、ひとりとしてすがたをあらわさなかった。
イバンスはじめ少年たちは、これをふしぎに思っていたが、ある日、イバンスはこつねんとしてゴルドン、富士男、ドノバンをまねいて語った。
「かれらがすがたをあらわさないのは、かれらの作戦である。かれら一味は、ケートさんやぼくが、きみらといっしょにいると思わないから、諸君がかれらの漂着したのをまだ知らないつもりでいる。そのうちかれらのひとりが漂流者のごとくよそおって左門洞にきたり、助けをもとめて洞のなかにはいり、すきをうかがって戸を内からひらいて一味をみちびき、労せずしてこの洞を占領するつもりであると思う」
「そのときにはどうするか?」
「そのときには間者をみちびきいれて逆襲しよう」
と少年たちは作戦した。
翌日もことなくすぎて夕方になった。このとき、岩壁の上に見張っていたウエップとグロースは、息をきらせて帰ってきた。ふたりの敵が川むこうにあらわれ、しだいに左門洞に近よりつつありと報告した。イバンスとケートが矢間からこれを見ると、鉄砲玉のロックとホーベスのふたりである。イバンスはゴルドン、富士男、ドノバン、バクスターの四名に一策をあたえて、ただちに物置きのなかにかくれた。
しばらくしてゴルドン、富士男、ドノバン、バクスターの四名は、なにげなきていに河岸を散歩していた、するとホーベスとロックはしだいに近よってきた。かれらは非常におどろいた表情をしたので、四人もおどろいた表情をした、と、ふたりはやがてあえぎあえぎ川をわたった。やっと岸へついたかと思うと、同時にばったり草の上にたおれた。
「きみたちは何者だ」
「けさ南方で破船した遭難水夫です」
「他の乗り組みの者は?」
「みな溺死しました。しかし諸君は何者です」
「ぼくらはこの島の植民者です」
「ではわたしたちに食物と水をください、じつはけさから水一てきも口にしないのです、助けてください」
「よろしい、破船水夫は救助をもとめる権利がありますから、こっちへきなさい」
四名はふたりをともなって洞に帰った。猛虎をひつじの家にみちびくようなものだった。
ロックはひたいにむこう傷があり、一見してそのどうもうさの知れる相である。ホーベスはこれと反対に、どことなく人間らしいところがある。
ふたりはしじゅうきわめてたくみに、遭難者になりすましている。少年たちの問いにきゅうすると、苦しそうに休息をもとめるが、その目はたえず周囲を見まわしている。かれらが洞にはいって、防備の厳重なのを見て、おどろきの色をあらわしたのを、慧眼なゴルドンと、富士男は見のがさなかった。
少年たちはふたりを物置きの洞にみちびいて、その片すみに寝さした。ふたりは極度に疲労した人のように、鼾声をあげて早くも熟睡した。
九時ごろにモコウは、ふたりの寝ている洞の片すみに、床をのべてねむりについたが、最前からたぬき寝入りのふたりはモコウに対しては、いっこうむとんちゃくであった。むろん腕力じまんのかれらには、モコウをひねりつぶすくらいは朝飯まえのことである。モコウばかりでない、他のものとても、ことごとく少年ばかりだ、かれらにとっては、おそろしいものがあるべきはずがない。
三時間は過ぎた。ちょうど十二時になったとき、ふたりはじょじょに身をおこし、抜き足しながら戸口に進んだ、天井からつりさがっているともしびが、かれらの行動をあきらかに照らしている。
川に面した物置きの戸は、かんぬきをかたくさしたうえに戸が外からあかないように、大石を積みかさねてある。ふたりはしずかに大石をとりのぞいて、まさにかんぬきに手をかけようとしたとき、一個の腕がしっかりとロックの手をとらえた。
ロックはおどろいて首をまわすと、死んだはずの運転士イバンスが立っている。
「ああイバンス」
「諸君きたまえ」
イバンスの声をきいて、ただちに出てきた富士男、ドノバン、バクスター、グロースの四人はホーベスをとらえて動かない。
ロックは力かぎりイバンスとあらそっていたが、その手をふりほどくと、戸をおしひらくやいなや、洞外のやみに走り去った。
イバンスは銃をとってごうぜん一発うったが、弾はむなしく音を立てて闇中をとび、手ごたえはさらになかった。
「逃がした、しかしここに一味のひとりがいる」
イバンスはこしの一刀をひらりと抜いて、ひとふりふってホーベスの首根をしっかりとおさえ、ふたたび一気にうちおろそうとした。
「待ってください」
ケートはホーベスのからだの上に身を投げかけていった。
「ホーベスをゆるしてやってください、洞の中で血を流さないでください」
イバンスはしずかにふりあげた刀をおろした。
「捕虜にしておけ!」
少年たちはホーベスを戸だなに入れた。戸口はまたもとのように大石を積みかさねた。そのあとは、なんの変化もなく夜は明けた。
翌朝イバンスは、富士男、ドノバン、ゴルドンの三人をともなって、敵の動静をさぐりに洞外に出た。
洞の外には多くの人のくつあとが、朝露にぬれて縦横に点々と印せられている、あきらかに海蛇たちが昨夜、洞外を偵察したときのくつあとである。
海蛇たちは遠く去ったらしい、洞の付近には人影もなく、厩舎も養禽場も、なんらの異状がない、湖のほとり、川辺のだちょうの森も、かくらんされたあとは見られなかった。
かれらはどこに去ったか、いつまた、襲来するか、これを知るには、捕虜とせるホーベスに聞くよりほかないと、四名は洞にひきあげた。
ホーベスは、広間の中央にひきだされた。
イバンスはげんぜんとしてかれに問うた。
「ホーベス! 海蛇たちの昨夜の作戦は破れたが、この後かれらはいかなる作戦をとるか、知っているかぎり白状しろ」
ホーベスは黙然として、ただ頭をたれている。かれはさすがに、ケートや少年たちと面をあわすのが、はずかしいとみえる。
「ホーベスさん、あなたは海蛇たちのなかでも良心を持っている、ただひとりの善人だと思いますが、かの凶悪な海蛇たちの手から、このかわいらしい十五人の少年を、救ってやる気はありませんか」
ケートのことばをきいたホーベスは、はじめて頭をあげた。
「わたしにどうしろというのです」
イバンスは一歩かれに近よった。
「きみはかれらの作戦を知らせてくれればいい。まずきみたちは、昨夜少年たちをあざむいて、皆殺しにするつもりだったのか」
「そうです」
ホーベスは頭をますます低くたれた。少年たちはかれの答えをきいてりつぜんとした。
「きみはかれらの今後の計画を知っているか」
「…………」
ホーベスはかすかに頭を横にふった。
「かれらはふたたび洞に襲撃するか」
「するはずだ」
イバンスはいろいろ問いただしてみたが、ホーベスは十分に答えることができなかった。
ホーベスはふたたび、戸だなのなかに禁錮された。モコウは昼すぎに二、三品、食物を運んでやったが、かれはほとんど一口もふれず、ただ頭をたれてなにごとか深く沈吟思考している。
少年たちにとって、目下の急務である第一問題は、海蛇らがどこへ去ったか、そのありかを知ることである。イバンスは昼食後、少年を集めてそのことをはかった、少年たちは即時、偵察に出発することに賛成した。
ケート、モコウ、次郎、バクスターは、他の四人の幼年組と洞に残り、他の八名はイバンスとともに偵察にむかうことになった。
敵は七名のうち一名をうしない、六名である。偵察隊は敵の一倍半であり、なお長銃短銃等をたずさえて武器は十分である。敵は六名中五名が銃を持っているが、弾薬がほとんど欠乏していることは、ホーベスのことばによって明らかである。
偵察隊は午後二時に洞を出発した。洞の戸は急に偵察隊が洞内にひきあげるときに便利なように、かんぬきをしたままで、大石は積まずにおいた。
偵察隊は、まず左門の遺骸をほうむったぶなの木のほとりからだちょうの森に進んだ。フハンはうれしそうに先導していたが、たちまち耳は張り、地に鼻をつけて、異常なにおいをかぎだした。と、そこより数歩進んだとき、先頭のドノバンが、
「アアたき火のあとだ」
とさけんだ。
まきの折れや、煙のまだのこっている燃えさしが、散在している。
「昨夜海蛇らがここで過ごしたことは、明らかである、この状態で判断すると、二三時間まえにかれらは、ここを去ったものであろう」
イバンスのこのことばがおわらないうちに、一発の銃声がかれらの右の林におこった。これとほとんど同時に、かれらの耳もとでごうぜんたる銃声がひびいた。ついで、かれらの十八メートルほどはなれた林の中に「アッ」というさけびと、ザラザラと雑草の動く音とがきこえた。
第二の銃声は、ドノバンが第一の銃声のほうにむかってはなったひびきである。ドノバンは一発すると同時に、フハンとともにまっしぐらに後方の林に走った。
「進め! ドノバンをかれらに殺さすな」
イバンスは、ドノバンのあとを追ってさけんだ。他の少年たちも、ただちにこれにつづいた。
ドノバンが大木の下にきてみると、地上に銃をいだいた一個の人間が、息たえだえにたおれている、ドノバンのはなった弾はあやまたず、凶漢の胸板をつらぬいている。
ドノバンに追いついたイバンスは、
「これはパイクだ、きみの力によって世界からひとりの悪人をのぞくことができた」
といった。
しかし他の凶漢たちは、どこにすがたをかくしているのだろう。
「諸君、こしを低くして頭をさげろ」
イバンスのさけびがおわらないうちに、一丸がきたって、ひざまずかんとして少しおくれた、サービスのひたいをかすめた。
「傷は?」
一同はサービスのそばによった。
「なにこれくらいの傷はだいじょうぶだ」
サービスのひたいににじむ血を、ハンケチでふいた、サービスの血は少年たちを昂奮させた。
「富士男君はどこへいった」
富士男はどこへいったのか、すがたが見えない。このとき、フハンは左の方へ一直線に走った。ドノバンは力づよく、
「富士男君、富士男君」
とさけびながら、フハンのあとをおって走った。
グロースは、たちまち身を地上にふせてさけんだ。
「気をつけろ」
一同は頭をさげた、このときおそし、一丸はイバンスの頭の上をかすめて去った。
かれらが頭をあげると、ひとりの敵が、林の奥へ逃げ去っている、ゆうべ逃がしたロックである。イバンスは、これにむかって一発した、鉄砲玉のロックはこつねんとしてすがたをけした。
「残念だ、また逃がした」
このあいだはわずかに五、六秒である。
フハンはしきりに高くほえている、イバンスら一同は走った。
このときドノバンの声がした。
「富士男君手をゆるめるな」
一同はこの声のするほうに走った。
富士男はいま一味のコーブと戦っている。あざらしのコーブはかれら仲間でも名だたるけんかじょうずだ。富士男のような少年が、どうしてかれに対抗できよう! 富士男はしっかりとかれに組みふせられた。組みしかれながらも富士男は、少しもあわてない、父から教えられた日本固有の柔道の奥の手、けさがためののがれがきまって、大兵のコーブをみごとにはねかえした、かえされたコーブもさるもの、地力をたのみにもうぜんと襲来した、その右手には、こうこうたる懐剣が光って、じりじりとつめよる足元は、大地の底にめりこむかのよう!
富士男は少しもちゅうちょしない、かれはコーブの剣をみると、勇気がますます加わった。
「さあこい」
手並みを知ったコーブは、組み打ちではあぶないと思った、かれは一気に、富士男をつき殺す作戦をとった。かれは両手を高くあげて、おどりかかった。富士男は右にかわし、左にかわし、敵のすきをみて組みつこうと逃げまわった、いいかげんにじらされたコーブは、おそろしい声を出してほえた。同時にしゃにむに、富士男にとびかかった。
「よしッ、こい」
富士男はこしをきめて、敵の右手をとろうとした一せつな、残念! かれは木の根につまずいて、ばったりたおれた。
「しめたッ」
コーブは折りかさなって富士男を膝下にしき、懐剣をいなづまのごとくふりかぶった。瞬間! ドノバンは石のつぶてのごとく、からだをもってコーブのからだにころげこんだ。ドノバンのからだに押されて手がゆるんだ、すきをえた富士男は、すばやく立ち上がった、だがこのとき、ドノバンは一声アッとさけんだ。コーブはドノバンの胸を、一突き突いたのであった。
それも一しゅん、これも一しゅんである、フハンはもうぜんとおどりあがって、コーブの手にかみついた。
「ちくしょう! ちくしょう!」
かれは一生けんめいにふりはらった、そうしてあとをも見ずに逃げ去った。
イルコック、ウエップらは、凶漢のあとを追うて発砲した。一、二発は手ごたえがあったが、すがたは緑雲たなびく林のなかにきえてしまった。
「ドノバン! ドノバン!」
富士男はたおれたドノバンを、しっかりとだきしめてさけんだ。
「しっかりしてくれ、ドノバン!」
よべど答えず、答うるものは、森のこだまのみである。
さきにドノバンがひょうにおそわれたとき、富士男は身をていしてドノバンを救うた、いまドノバンは、みずから傷ついて富士男を救うた。
「ドノバン!」
富士男の声はだんだん泣き声になった。
「ぼくのために死んでくれたのだね。ドノバン!」
かすかに答える声が、くちびるからもれた。イバンスはすぐにドノバンの傷口を検査すると、傷は第四肋骨のへんで心臓をそれていた。
「だいじょうぶだ、助かる」
とイバンスはいった。
ドノバンの呼吸は微弱である、もし肺に影響するとだいじになる。
「とにかく、左門洞へひきあげよう」
とゴルドンはいった。
イバンスは、海蛇とブラントおよびブルークの三人が、最初からすがたを見せなかったのを非常に怪しんだが、重傷のドノバンを捨てて、かれらをさがすべきでないから、ゴルドンのことばに賛成して、左門洞にひきあげることにした。
木の枝をきりとってたんかを製作し、これにドノバンをしずかに臥床さした。
富士男ゴルドンら四名がこれをかつぎ、他のものはこれを護衛して、左門洞にひきあげた、しかし道は平坦ではない、たんかは動揺した、そのたびに架上のドノバンは、悲痛な呻吟をもらした、このうめきをきく富士男の心は、ドノバン以上の疼痛をおぼえた。
ようようにしてかれらは、左門洞百五十メートルくらいの地点にきた、しかし左門洞には、まだ突出した岩壁をまわらねばならないのである。
このとき左門洞のほうにあたって、ケートのさけび声とともに、少年たちのさけぶ声がきこえた。
フハンはまっしぐらに声のほうへ走った、偵察隊一同はハッとして立ちどまった。
イバンスの脳裏には、なにかひらめくものがあった、凶漢三人は路を迂回して、ニュージーランド川のほとりから、左門洞を攻撃しているのではあるまいか?
歓迎
凶漢どもを撃退し、負傷せるドノバンをたんかにのせて、左門洞へひきあげんとした富士男の一行が、いま左門洞のほとりに少年たちとケートのさけび声をきいたのでがくぜんとした。
「すきをつかれた」
と富士男はさけんだ。
じっさいそのとおりである。ロック、コーブ、パイクの三人がだちょうの森で富士男の一隊をおそい、主力を牽制しているあいだに、海蛇、ブラント、ブルークの三人は、浅瀬づたいに川をわたって岩壁によじのぼり、川に面せる物置きの洞口の下におりてとつぜん洞を襲撃したのであった。
「グロース、ウエップ、ガーネットの三君は、ドノバン君を看護して、ここにかくれていたまえ。わたしは富士男、ゴルドン、サービス、イルコックの四君とともに敵を撃退しよう」
イバンスは憤怒の朱を満面にそそいでいった。
「ゆこう」
五人はまっすぐに近路から走った、だがそれはすでにおそかった。海蛇は次郎を小わきにかかえて洞のなかから走りでた。それを、とりかえそうとケートは悲鳴をあげて海蛇にとりすがる。えいうるさいとばかりに海蛇はケートをはたとける、けられてもケートは一生けんめい、わが身の危険を忘れて右に倒れ、左にころびながら、その手をはなさない。それと同時にいまひとりのブランドは、コスターを小わきにかかえて洞から出た。それをやらじとバクスターが狂気のごとくブランドにからみついている。
この悽惨たる危機にたいし、モコウと他の少年たちのすがたが見えぬのはふしぎである。あるいはみな殺されて、洞内に倒れているのではあるまいか。
海蛇とブランドは、ケートとバクスターをけとばして、もう川のほとりに出た。川にはブルークがすでに洞内からボートをぬすみだして、ふたりのくるのを待っている。もしかれらがふたりを人質にとれば、あとはゆうゆう無理難題をしかけて十五少年を苦しめることになるだろう。
「ちくしょうめちくしょうめ」
イバンスは歯をくいしばった。だが発砲すると次郎とコスターにあたるかもしれない。心は矢竹にはやれども、いまやどうすることもできない。
「さあこい、わしにつづけ」
イバンスは疾風のごとく走った。海蛇とブランドははや川の岸にあがった。いま一足が舟のなかである。
「ああまにあわん」
イバンスがこういった、その一せつなである。先頭に立った富士男の愛犬フハンは、もうぜん足を早めて、ブランドののどをめがけてとびかかった。ブランドは驚いてコスターをだいた手をはなし、フハンの両耳をつかんで一生けんめいに戦った。人と犬! 押しつ押されつ汗みずくになってもみあった。
海蛇は次郎をかかえたまま、岸のほうへ走った。このとき、とつじょとして洞内からおどりでた、一壮漢がある。その顔はあしゅらのごとく、眼は厳下の電のごとくかがやいている。
「海蛇待てッ」
声をきいて海蛇は立ちどまってふりかえった。
「やあ、ホーベス、いいところへきた、早く舟に乗れ」
ホーベスは、だまって海蛇に近づいた。と見るまもなく、かれのがんがんたるげんこつは、宙をとんで海蛇の眼と鼻のあいだに落ちた。あっという声とともに海蛇は次郎をはなした。同時にかれの手は早くもポケットの懐剣にかかるやいなや、怪光一せん、するどくホーベスの横腹をさした。ホーベスは、びょうぶをたおしたように、ばったり地上にたおれた。
海蛇はもう死に物ぐるいである。かれはブランドが、コスターをのがしたのを見て、せめて次郎だけはとりもどそうと考えた。かれはおそろしい速力をもって、次郎をおいかけた。次郎は右に逃げ、左に逃げたが、とうてい海蛇の足にはかなわない、海蛇の手は、むずと次郎のえりもとにかかった。この一しゅんかん、次郎はふりむきざまにポケットのピストルをとりだして、ごうぜん一発うちはなした。ねらいたがわず弾丸は海蛇の胸にあたった。海蛇はよろよろとよろめきながら、舟のなかへころげこんだ。これより先に舟に逃げこんだブランドとブルークは、海蛇を舟に入れるやいなや、むこう岸をさしてこぎだした。
とつぜん、天地もさくるばかりのごうぜんたる音がおこって、洞の口に煙がぱっととんだかと思うと、三悪漢をのせたボートは、木の葉のごとくひるがえって矢をいるごとき早瀬に波がぱっとおどるとともに、三人のすがたは一起一伏、やがてようようたる水の面、ニュージーランド川は、邪悪のむしろをしずかにのんでしまった。
物置きの洞にすえつけた大砲をうったのは、モコウであった。それもこれも一しゅん時のできごとである。息きれぎれに走り集まった一同は、ただぼうぜんと気抜けがして、たがいにことばもなかった。
「これで悪漢全滅だ」
と富士男はいった。
「いや、全滅じゃない。だちょうの森でとり逃がしたロックとコーブがのこっている」
とイバンスがいった。
「ともかくぼくらはドノバンを迎えにゆかなきゃならん」
富士男はこういって足をかえした。一同はそれにしたがってもとの路へ帰り、ドノバンのたんかをになって洞へ帰ると、残りの少年たちはホーベスを洞へ入れて、ドノバンと同じく床の上に安臥せしめた。
この夜は終夜まくらもとにつきそうて看護した。ドノバンはやっぱり昏睡状態である。ケートはニュージーランド河畔にしげっているはんのきの葉をつんで、それをついてこう薬をつくり、二人の創に塗りつけた。これは痛みをとるに特効があった。だがホーベスの負傷は、急所の痛手なので、この妙薬も効験はなかった。かれは自分でとうてい助からないと知り、眼をかすかに開いて、ケートの顔をしみじみとながめていった。
「いろいろお世話になりました、だがぼくはもうだめです。どうか少年たちにお礼をいってください。ぼくは死んでも少年たちをまもって、ぶじ本国に帰るようにします」
「そんな心細いことをいわずに、元気をお出しなさい。あなたはかならず全快なさいます」
とケートはいった。
「いやいや」とホーベスは眼をしばたたいて「ぼくはずいぶん悪いことをしたから、このくらいの天罰は当然です。だが、死ぬまえにほんのわずかのあいだでも、善心にたちかえることができたのはぼくの一生のうちの幸福です」
その後かれはなにもいわなかった。しだいしだいに呼吸がおとろえて、あけがた、うすあかりが東にほのめくころ、この改悟の義人は、十五少年とケートとインバスにまもられて、その光ある最後の息をひきとった。
一同はホーベスの遺骸を、左門の墓の隣にあつくほうむった。
しかしロックとコーブが生きているあいだは、一同安眠することができぬ。そこでイバンスは、富士男、ゴルドン、バクスター、イルコックの四人とともに、フハンをつれて探索にでかけた。するとかれらは、だちょうの森のなかにふたりの屍体を発見した。コーブははじめ弾丸にあたったところから百メートルばかりをへだてた雑草のなかにたおれており、ロックは、かつてイルコックが、またまたおおくのだちょうをいけどろうとほっておいたおとし穴のなかにひっかかっていた。
「見よ、悪業の天罰を」
と富士男はいった。一同はいまさらながら、天網恢々疎にして漏らさずという古言を味わった。
これで悪漢は全部ほろんだので、一同は安堵の思いをなした。しかし安堵ならぬは、ドノバンの容態である。彼はいぜん、こんこんとして、半死半生の境にあるのだ。
翌日イバンスは、富士男、バクスターとともにボートに乗って、平和湖をわたり、東方川をくだった。この地の十一月は、日本の春である。緑の草は岸をおおうて毛氈のごとく、やなぎは翠眉をあつめて深くたれ、名も知らぬ小鳥は、枝から枝へ飛びかわしてさえずっている。
「やあここにすてきなものがある」
とイバンスはさけんだ。巨熊岩の下、砂場の上に、セルベン号の伝馬船がひきあげてある。これはいうまでもなく、海蛇らの船である。三人は船を検査するに、修繕を加えれば、十分用にたえうるものであった。三人はすぐそれをボートのうしろにつけてひきながらふたたび川をわたり、湖をすぎてその夜ぶじに、ニュージーランド川についた。洞に帰れば一同は欣々として出むかえた。
「なにかうれしいことがあるかね」
と富士男がきいた。
「ドノバンを見てくれたまえ」
とゴルドンがいった。病室へいってみると、まだものはいえぬが、ドノバンのあおざめた顔はかすかにあからみ、その呼吸は正しく長くつづくようになっていた。これはかれがへいそスポーツでからだをきたえあげていたのと、はんのきの葉の効力であった。
つぎの日から一同は、伝馬船の修繕に着手した。船は長さ十メートル、それとつりあうように船幅も十分である。十五少年と、イバンスと、ケートの二人をのせて、航海することはけっして難事でない。イバンスは総指揮となって工事を監督し、例の工学博士バクスターは副監督となった。富士男、ゴルドンら一同は、いっさいその命令に服して、ひとりとして不服をいうものはない。堅板、横板、平板、支柱、帆類すべての材料は、サクラ号からとっておいたものだけで十分であった。船の修繕には約三十日をついやしたが、そのあいだにドノバンは、しだいに健康を回復して、つえにすがりながら一同の工事を見まわるようになった。
クリスマスもすぎ、正月もすぎた。一同は出発の準備にいそがしい。第一に金貨をつみいれ、つぎに十七人の一ヵ月分の食料、つぎに武器、弾薬、被服、書籍、炊事器具と食器、望遠鏡と風雨計、ゴム類、つり道具、それだけで船はいっぱいであった。ドノバンはまったく快癒した。
二月九日にいっさいの準備をおわり、二月十一日、大日本帝国の紀元節の日に出発することとなった。その朝は、一天ぬぐうがごとく晴れわたり、さわやかな風はしずかな波にたわむれて、船出を祝うがごとくに見えた。富士男は厩舎の戸を開いて諸動物に別れをつげた。
「ゆけ、おまえたちはおまえたちの巣に帰って自由に幸福であれ。ぼくらもまたいまぼくらの故郷へ帰るのだ」
さっとひらく戸とともに、たくさんの鳥はいっせいに美しいつばさを朝日にかがやかして、まっしぐらに天高く飛んだかと思うと、やがてまた一同の頭の上ちかく三回ほどまわって、やがてふたたびかなたの森をさして飛び去った。ラマとだちょうはしばらくもじもじしていたが、自分が開放されたと気づくやいなや、うしろも見ずに長い脛をひるがえして走り去った。
ドノバンは艫のイバンスのかたわらにすわった。富士男はモコウとへさきのほうにすわって帆を監視した。船が動くとともに一同は左門洞にむかって三拝した。
「さようなら左門先生! あなたののこした足跡によって、少年連盟は、二年の露命をつなぐことができました」
富士男は感慨深い顔をして、また、一同にむかっていった。
「諸君! もしこの世に、先輩というものがあって後進の路をひらいてくれなかったら、人生はいかに暗黒なものとなるであろう。それと同時に、ぼくらもやがて先輩となるときがくる。ぼくらはあとにくるもののために、もっとも正しき人となり、もっともよき人となるべく努力しなければならん。左門先生の遺徳を思うとともに、ぼくらもまた、第二の左門先生となりたいものだ」
「賛成賛成」
少年の声は一度におこった。船はしずかにニュージーランド川をくだる。
オークランド岡が森の陰にきえたとき、一同の顔にさびしい色がうかんだ。明け暮れここで死活をともにした十五少年の二ヵ年、斯山斯水、なじみの深いこの陸地と、いま永久に別れるのだ。人々の眼に涙がうかんだ。
その夜はサクラ湾に一泊して、翌朝船尾帆と船首の三角帆を張っていかりをぬいた。船はしだいしだいに南方にむかい、八時間ののちには、南の岬をめぐって、チェイアマン島を北方地平線に見送った。
二月のなかばにはすでにスミス海峡をすぎて、マゼラン海峡の入り口にきた。右方にはセントアーン山高くそびえ、左方にはボウフナルト湾のきわまるところに、参差として白雪が隠見している。これはかつて富士男が希望湾から望み見た、白点であった。
イバンスの目算は、フロワード岬をすぎて、パンタレーナまでゆくつもりであったが、だが二十日の朝、みさきにあったサービスがとつぜんさけんだ。
「煙だ煙だ」
「漁船の火だろう」とゴルドンがいった。富士男はするすると帆柱にのぼってさけんだ。
「汽船だ!」
いかにもそれは汽船であった。船は八、九百トン、まさに一時間十一、二浬を走っている。少年らは手に手に銃をとって連発しては、また歓呼の声をあげた。汽船は銃声をきいてわが船に気がついたか、しずかに方向を転じてこちらに近づいた。
十分間ののちには少年らのボートは、勇ましく汽船の下につながれた。汽船の名はグラフトン号で、豪州航行の中途であった。船長ロングは、さっそく一同を本船にむかえいれ、その遭難のてんまつをきいた。
「おうそれじゃ、一昨年ゆくえ知れずになったので、新聞をにぎわしたサクラ号の少年諸君が、ぶじであったのか」
船長はおどろいていった。
「そうです、それはぼくらです」
「よし、それでは諸君のために、航路を変じてオークランドに直航し、諸君を本国へ送ることにしよう」
情けある船長のとりはからいにて、これから一路平坦砥のごとき海上を談笑指呼のあいだにゆくことになった。
三月三日! 汽船はぶじオークランド湾についた。かえりみれば一昨年二月十四日の夜、ここを流れでてから満二ヵ年あまりになった。
「サクラ号の少年たちがぶじ帰国したぞッ」
この声がニュージーランドのすみからすみにつたわった。少年たちの父母は死んだ子が再生したとばかり、取るものも取りあえずはせあつまっては、抱きしめだきしめ接吻の雨を降らした。
新聞社は特大の活字もて、このめずらしき冒険少年の記事をかかげた号外を発行した。ニュージーランドの市街は、少年連盟のために熱狂した。
富士男は毎日毎夜、諸学校、諸倶楽部等の依頼に応じて、遭難てんまつの講演にいそがしかった。その会場はいつも満員で、市民はせめてその顔なりと一目見ようと、門外にたたずむもの何千人をもってかぞえられた。富士男が克明にしるした遭難日記が出版された。それは見る見る売り切れとなって、全国の少年はこの日記を読まないことを恥とした。日記は仏、独、英、日、の各国語に訳された。
オークランドの市民は、イバンスのために義捐金を集めて一せきのりっぱな商船を買い、これにチェイアマン号と名をつけておくった。
ケートは富士男、ガーネット、イルコックらの父母から、しきりに永久客分として招聘せられたが、かの女はいずれにも応じなかった。そこで十五少年の父母は醵金をしてケートのために閑雅な幼稚園を建て、その園長に推薦した。
まもなく市民は大会を開いて、十五少年推奨の盛宴を張った。そのとき市長ウィルソン氏の演説大要は左のごとくであった。
「いま十五少年諸君の行動を検するに、難に処して屈せず、事に臨んであわてず、われわれおとなといえども及びがたきものがすこぶる多い。そもそも富士男君の寛仁大度、ゴルドン君の慎重熟慮、ドノバン君の勇邁不屈、その他諸君の沈毅にして明知なる、じつに前代未聞の俊髦であります。とくに歓喜にたえざるは、十五少年諸君が心を一にして一糸みだれず、すべて連盟の規約を遵守したる一点であります。日英米仏伊印独支、八ヵ国の少年は、おのおのその国を異にし、人種を異にしておりますが、その共同精神、すなわち国籍や人種を超越した、世界人類という大きな気持ちの上に一致したということは、やがてわれわれおとなどもが、国際的の小さな感情をすてて、全世界の幸福のために一致共同しうべきことを、われわれに教えたものであります。われわれが実行せんとしてあたわざりしものを、十五少年諸君がまず実行された、これじつにおどろくべきことではありませんか。共同一致の力は、二年間の風雨と戦って、全勝を占めました。われわれは少年諸君にあたえられた、この教訓を閑却してはなりません、わたくしはいま世界平和の天使として、少年連盟を礼賛したいと思います」
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付記 名犬フハンは、いたるところ市民のごちそうを受け、そのために一時は腸をわずらいしが、ほどなく全快、いまは数十頭の子を生んで、しごく強健に暮らしている。