この宿屋を開いた最初のお客は、一人の行商人でした。主人は、このお客を、それはそれは親切にもてなしました。主人は何よりも大事な店の評判をよくしたかったからです。
お客はあたたかいお酒をいただき、おいしい御馳走を腹いっぱいに食べました。そうして大満足で、柔らかいふっくらとした布団の中へはいって疲れた手足をのばしました。
お酒を飲み、御馳走をたくさん食べたあとでは、だれでもすぐにぐっすりと寝込むものです。ことに外は寒く、寝床の中だけぽかぽかとあたたかい時はなおさらのことです。ところがこのお客ははじめほんのちょっとの間眠ったと思うと、すぐに人の話し声で目をさまされてしまいました。話し声は子供の声でした。よく聞いてみると、それは二人の子供で、同じことをお互いにきき合っているのでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
はじめお客は、どこかの子供たちが暗闇に戸惑いして、この部屋へまぎれ込んだのかも知れないと思いました。それで、
「そこで話をしているのはだれですか?」となるべくやさしい声できいてみました。すると、ちょっとの間しんとしました。が、また少したつと、前と同じ子供の声が耳の近くでするのでした。一つの声が、
「お前、寒いだろう。」といたわるように言うと、
もう一つの声が細い弱々しい声で、
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」というのです。
お客は布団をはねのけ、行灯に灯をともして、部屋の中をぐるりと見回しました。しかしだれもいません。障子も元のままぴったりとしまっています。もしやと思って、押し入れの戸を開けて見ましたが、そこにも何も変わったことはありませんでした。で、お客は少し不気味に思いながら、行灯の灯をともしたままで、また床の中にもぐり込みました。と、しばらくするとまたさっきと同じ声がするのです。それもすぐ枕元で、
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
お客は急に体中がぞくぞくとして来ました。もうじっとして寝ていられないような気持ちになりました。でも、しばらくじっと我慢していますと、また同じ子供の声がするのです。
お客はがたがたふるえながら、なおも、聞き耳を立てていますと、また同じ声がします。しかも、その声は、自分のかけている布団の中から出て来るではありませんか。――掛け布団が物を言っているのです。
お客は、いきなり飛び起きると、あわてて着物を引っかけ、荷物をかき集めてはしご段を駆け下りました。そうして、寝ている主人を揺り起こして、これこれこうだと、今あったことを息もつかずに話しました。
しかしあんまり不思議な話なので、主人はそれをどうしても信じることが出来ませんでした。商人はあくまでほんとうだと言い張ります。商人と主人とは、互いに押し問答をしていましたが、とうとうしまいに主人は腹を立てて、
「馬鹿なことをおっしゃるな。初めての大切なお客さまを、わざわざ困らせるようなことをいたすわけがありません。あなたはお酒に酔っておやすみになったので、おおかた、そういう夢でもごらんになったのでしょう。」
と、大きな声で言い返しました。けれどもお客は、いつまでもそんなことを言い合ってはいられないほど、おじ気がついていたので、お金を払うと、とっとと、その宿を出て行ってしまいました。
あくる日の晩、また一人のお客が、この宿に泊まりました。このお客も前夜のお客と同じように親切にもてなされて、いい気持ちで寝床につきました。
その夜が更けると、宿の主人はまたもそのお客に起こされました。お客の言うことは、前夜のお客の言ったことと同じでした。このお客は、ゆうべの人のようにお酒を飲んではいませんでしたから、宿の主人も酒のせいにすることは出来ませんでした。で主人は、このお客はきっと、自分の稼業の邪魔しようとしてこんなことを言うのだろうと思いました。で、やっぱり前夜と同じように腹を立てて、大きな声で言い返しました。
「大事なお客様です、喜んでいただこうと思いまして、何から何まで手落ちのないようにいたしました。それだのに縁起でもないことをおっしゃる。そんな評判が立ちましたら私どもの店は立ち行きません。まぁよく考えてからものをおっしゃって下さい。」
そう言われると、お客もたいへん機嫌を悪くして、
「わしはほんとうのことを言っているのです。余計なことを言う前に、自身で調べてみなさるがいい。」と言って、これもお金を払うとすぐに、宿を出て行ってしまいました。
お客が行ってしまってからも、主人は一人でぷりぷり怒っていましたが、とにかく一度その布団を調べてみようと思い、二階のお客の部屋へ上って行きました。
布団のそばにすわってじっと様子をうかがっていると、やがて子供の声がしてきました。それはたしかに一枚の掛け布団からするのでした。あとの布団はみんな黙っています。そこで主人は、これは不思議だと、二人のお客にまでつけつけと言ったことを後悔しながら、その掛け布団だけを自分の部屋へ持って来て、そしてそれを掛けて寝てみました。子供の声はたしかにその掛け布団からするのでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
主人は一晩中眠ることが出来ませんでした。
夜の明けるのを待って、主人はその布団を買った古着屋へ行き、その話をくわしくしました。古着屋の主人は、そんな布団のいわれは知らないが、その布団は、出入りの古着商から買ったというのです。そこで宿の主人はその出入りの古着商をたずねて行きますと、その人は、あの布団は、町の場末にあるひどく貧乏な商人から買ったのだと言うのでした。で、宿の主人は布団のいわれを探し出すために、根気よくそれからそれへとたずねて行きました。
やがてとうとう、その布団はもと、ある貧しい家のもので、その家族が住んでいた家の家主の手から、買い取ったものだということがわかりました。そこで宿の主人は、次のような布団の身の上話をきくことが出来ました。
その布団の持ち主の住んでいた家の家賃は、その頃ただの六十銭でした。それだけでもどんなにみすぼらしい家かはおわかりでしょう。しかしそれほどの家賃の支払いにも困るほどこの家族は貧乏なのでした。というのも、母親は病気で長い間床についたきりでしたし、そのうえにまだ働くことの出来ない二人の子供――六つの女の子と八つになる男の子があり、父親は体が弱くて思うように働くことが出来なかったからです。またこの家族は、頼るべき親戚や知り合いが鳥取の町中に一人もありませんでした。
ある冬の日のこと、父親は仕事から帰って来て、気分が悪いと言って床についたなり、病は急に重くなって、それきり頭が上がらなくなりました。そして一週間ほど薬ものめずにわずらってとうとう死んでしまいました。二人の子供を残された母親は床の中で毎日泣いていましたが、間もなく病が重くなり、母親もついに亡くなってしまったのです。二人の子供は抱き合って泣いているより外はありませんでした。どちらへ行っても知らぬ他人ばかりで、助けてくれるような人は一人もありません。雪に埋もれた町の中で、子供たちは、働こうにも、何一つ仕事がないのでした。子供たちは、家の中の品物を一つずつ売って暮らしていくより外はなかったのです。
売る物と言っても、もとからの貧乏暮らしですから、そうたくさんあろうはずはありません。死んだ父親と母親の着物、自分たちの着物、布団四、五枚、それから粗末な二つ三つの家具、そういう物を二人は順々に売って、とうとう一枚の掛け布団しか残らないようになってしまいました。そうしてついに何も食べるものがない日が来ました。言うまでもなく、家賃などを支払っているどころではありません。
それは冬でも大寒といういちばん寒い季節でした。この季節になると、この地方は、大人の丈ほどの雪が積もり、それが春の四月頃までとけずにいるのです。二人の子供の食べるものがなくなったその日も朝から雪で、午後からは、ひどい吹雪になりました。二人の子供は外へ出ることも出来ません。空いたお腹を抱えながら二人はたった一枚の布団にくるまって、部屋の隅にちぢこまっていました。あばら家のことですからどこも隙間だらけです。その隙間から吹雪は遠慮なく吹き込んで来ます。二人はぶるぶるふるえながら、しっかりと抱き合って、子供らしい言葉で互いに慰め合うよりしかたがありませんでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
二人はそれを互いにくり返して、言い合っていました。
そこへ、家主がやって来たのです。無慈悲な家主は怖い顔をして、荒々しく怒って家賃の催促をしました。二人の子供は驚きと悲しみのあまりものを言うことも出来ませんでした。首をすくめ、目をしばたたいているばかりでした。家主は、家の中を、じろじろ見回していましたが、金目の品物は何一つないのを知ると、らんぼうにも、子供たちがくるまっていた一枚の布団をひったくってしまいました。そのうえ子供たちを家の外へ追い出して、家の戸には錠を下ろしてしまったのです。
追い出された二人の兄妹はもとより行く所はありません。少し離れたお寺の庫裡の窓から暖かそうな灯の光が洩れて見えましたが、雪が子供たちの胸ほども積もっていましたので、そこまでも行くことも出来ません。それに子供たちは一枚の着物しか着ていませんので、体中がこごえてしまって、もう一足も動けそうもありませんでした。
そこで二人は、怖い家主が立ち去ったのを見ると、またもとの家の軒下へこっそりとしのび寄りました。
そうしているうちに二人は、だんだんと眠くなって来ました。長い間あんまりひどい寒さにあっていると、だれでも眠くなるものなのです。兄妹は少しでも暖まろうと、互いにぎっしりと抱き合っていました。そしてそのまま静かな眠りに落ちて行きました。こうして兄妹が眠っている間に、神様は新しい布団――真っ白い、それはそれは美しい、やわらかい布団を、抱き合った兄妹の上にそっと掛けて下さいました。兄妹はもう寒さを感じませんでした。そしてそれから幾日も幾日もそのままで安らかに眠りつづけました。
やがてある雪のやんだ日、近所の人が、雪の中に冷たくなっている二人の兄妹の体を見つけ出しました。兄妹はそうして冷たい体になっても互いにしっかと抱き合っていました。
宿屋の主人はこの話を聞いてしまうと、しばらくの間だまって目をつぶって、神様に祈るような風をしていました。それから家へ帰って、ものを言う不思議な布団を持ち出して、二人の兄妹の家の近くのお寺へ行って納めました。そして、そこのお坊さんに頼んで、小さい美しい二人の霊のために、ねんごろにお経をあげてもらいました。
それからその布団は、ものを言うことを止めました。そして宿屋もたいへんに繁昌したということであります。
底本:「あたまでっかち――下村千秋童話選集――」茨城県稲敷郡阿見町教育委員会
1997(平成9)年1月31日初版発行
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
1925(大正14)年4月
※表題は底本では、「神様の布団(ふとん)」となっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年2月2日作成
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