「とんまの六兵衛さん、川へ鰹節をつりに行かねえか。」
「お前とお父さんは、どっちがさきに生まれたんだい。」
こんなことを言われても、六兵衛は怒りもせず、にやにや笑っているばかりでした。それを見ている重吉はつくづく六兵衛がかわいそうになりました。そしてどうしたら六兵衛を利口にして、金持ちにすることが出来るかと、そればかりを考えていました。それで、
「六さんは金持ちになりたくないかい?」と尋ねると、六さんは、
「うん、なりてえよ。」と答えます。
「利口になりたくないかい?」と尋ねると、
「うん、なりてえよ。」と言って、いつものようににやにや笑っています。
ある日のこと、重吉はなにを思ったか、お父さんが大切にしまって置いた掛け物を、そっと取り出して、台所の片隅にかくしてしまいました。するとお正月が来て、お父さんがその掛け物を床の間へかけようとすると、いつもしまってある場所に見当たりません。お父さんはびっくりして、家中を探し回りましたが、どうしても見つかりません。お父さんは弱ってしまいました。これを見すまして重吉はお父さんの前に行って、
「お父さん、私の友達の六さんはうらないがうまいよ。だから掛け物のある場所をうらなわせてみてごらんよ。」と言いました。
すると、お父さんは笑いながら、
「なに、とんまの六兵衛がうらなうって? これほどさがしても見つからぬものを、あんな馬鹿にどうしてわかるものかえ。」と言って、まるで取り合ってくれません。
「お父さん違うよ。お父さんはまだ六兵衛さんのえらいことを知らないんだ。六兵衛さんはうらないにかけては日本一なんだよ。」
あまり重吉がまじめに言い張るので、お父さんもついその気になって、
「じゃ一つうらなわせてみようか。」と言いましたので、とんまの六兵衛は、いよいよお父さんの掛け物のありかをうらなうことになりました。
「あのとんまの六兵衛のうらないが当たったら、あしたからおてんとう様が西から出らあ。」と、村の人々は笑いました。
使いのものにつれられて六兵衛は、重吉の家にやって来ました。そして座敷のまん中に落ちつきはらって座り、勿体ぶって考えていましたが、やがてぽんとひざを叩いて、とんまに似合わないおごそかな声で言いました。
「皆さん、掛け物のありかはわかりました。こちらです。」と言って台所の方をゆびさしました。そこで重吉のお父さんは、その台所のあたりを探しますと、果たして掛け物が出て来ました。六兵衛は、もとより重吉から掛け物のありかを教えられていたのですから、こんなことはわけもないことだったのです。でも重吉のお父さん始め家の人々は、そんなことは知りませんから、六兵衛のうらないにびっくりしてしまいました。そして、
「六兵衛は、すばらしいうらないの名人だ。」ということがやがて家から村へ、村から城下へとひろがって、六兵衛は重吉のちょっとしたいたずら半分のはかりごとのために、うらないの大先生になってしまったのです。
ちょうどその頃、その国の殿様のお屋敷につたわっている家宝の名刀が、だれかのために盗まれました。これはまったくの一大事ですから、殿様は国中に命令を下して、盗人を探させましたが、どうしても見つけることが出来ませんでした。
その頃またちょうど、六兵衛先生の名が殿様のお耳に達しました。そこで殿様は早速、六兵衛先生をむかえて、名刀のありかをうらなわせることになりました。
さすがの六兵衛もこれには驚きました。あんまり重吉のいたずらがすぎたために、とんだことになったと、内心びくびくしていますと、やがて殿様から使いがやって来て、六兵衛ははるばると殿様のお城につれられて来ました。六兵衛は心配でたまりませんでした。どうしてうらなったらいいのかまるで見当もつきません。
さて、いよいよ明日は登城して、殿様の御前でうらないをするという晩です。六兵衛はまんじりともせず考えこんでいましたが、なんにもいい考えは浮かんで来ません。そのうちに頭がぼんやりして来たので、六兵衛は頭をひやすつもりで庭の方に出て行きました。と、その時、一匹の虫が六兵衛の大きな鼻の穴へとびこんだのです。そこで六兵衛は、持ちまえの大声をはり上げて、
「ハックショ、ハックショ。」とくさめをしました。ところがだしぬけに、縁の下で何か言うものがありました。六兵衛は、
「だれだっ。」と言おうとしましたが、鼻の中がくすぐったいので、また大きなくさめをしました。と、こんどは、縁の下からおろおろ声で、
「ハイ、白状いたします。実は私が殿様の名刀を盗んだものでございます。名高いうらないの先生がうらなうということをきいて、どんなものかと思って、今までここにしのんでいたのでございます。ところが、あなた様は私がここにしのんでいることまでうらない当てて、ただいま『白状、白状』と申されました。名刀は、お城の裏のいちばん大きな松の根元にうずめてありますから、どうぞ命だけはお助け下さいまし。」
六兵衛はこりゃすてきなことをきいたと思い、大喜びで盗人はそのまま逃がしてやりました。
次の日六兵衛は、生まれてから一度も手を通したことのない礼服をきせられ、お城に参上しました。百畳敷もある大広間には、たくさんの家来がきら星のようにずらりと居流れています。六兵衛はとんまですからあまり驚きませんでしたが、それでもおどおどしながら殿様の御前に平伏しました。
「六兵衛とはその方か。御苦労、御苦労。」と殿様は声をかけました。
「さて、余の家に伝わる名刀のありかについて、そのうらないをその方に申しつける。正しく名刀のありかを判じ当てるならば、ぞんぶんの褒美を取らすぞ。」
六兵衛はこれをきくと、頭をあげてピョッコリとあいさつをして、
「はい、はい、ありがとうございます。」と答え、それから勿体ぶって考えこみました。ずらりとならんでいる家来たちは、せきばらい一つせず、六兵衛の振舞を見ています。すると、やがて六兵衛はひざをぽんと叩いて、
「殿様、わかりました。お家の名刀はたしかに、お城のうらのいちばん大きな松の根元にうずめてございます。」と申し上げました。
そこで、家来たちがさっそくその松の根元を掘って見ますと、果たして宝物の名刀が出て来ました。
ところが殿様は、大喜びと思いのほか、ことのほかの御立腹でありました。
「さてはその方、あらかじめ自分で盗み、松の根元にかくし置いたものにちがいあるまい。不届きもの奴!」
こう言うや、殿様はそばの刀を取って引き抜こうとしました。とんまの六兵衛も、これには驚き、がたがたふるえ出しました。
すると、かたわらに座っていた家来の一人が、
「恐れながら申し上げます。当人はあだ名をとんまの六兵衛とか申し、生まれつきの馬鹿者のゆえ、かかるものを切っては殿の刀のけがれ、いかがなものでしょうか、もう一度外のことをうらなわせて、それで当たらずば殿の前にて拙者が真っ二つにいたしましては。」
殿様も、これにも一理があると思いましたのか、さっそく六兵衛を次のうらないに取りかからせました。
殿様はこんどは、手のひらに何やら字を書きました。そしてその手のひらをかたくにぎって、言いました。
「こりゃ六兵衛、汝が盗人でない証拠を見せるために、余の手のひらに書いた文字を当ててみよ。うまく判じ当てたならば、のぞみ通りの褒美をとらせよう。判じそこねた時は、汝の首は汝の胴にはつけて置かぬぞ。」
さあこんどこそ、六兵衛も死にものぐるいです。どうかして考え出そうとしましたが、もとよりのろまでとんまなのですから、とうてい考え出せません。のろまのとんまでなくとも、これを判じ当てることはちょっと出来ないことでしょう。六兵衛は急に悲しくなりました。このまま自分は殿様に殺されるのかと思うと、涙が出て来ました。
「コラ! 早く判じ当てんか。」と殿様は催促しました。
いよいよ絶体絶命です。これももとはといえば重吉のいたずらから出たことです。思えば重吉がうらめしくなりました。で、とうとう六兵衛はおろおろ声で、
「重吉さんがうらめしい。」と言おうとしましたが、涙が、こみ上げて来て、
「重……重……」とどもってしまいました。
「なに、十だと。六兵衛、でかしたでかした。」
殿様はさっと手をひろげて、そう叫びました。
どうでしょう。殿様の手のひらには、たしかに十という字が書いてあったのです。六兵衛はびっくりするやら、ホッとするやら、夢のような気がしてぼんやりしてしまいました。が、やがてたくさんの御褒美をいただいて、喜び勇んで村へ帰って来ました。
それからはだれも、六兵衛をとんまの六兵衛と呼ぶものはありませんでした。
底本:「あたまでっかち――下村千秋童話選集――」茨城県稲敷郡阿見町教育委員会
1997(平成9)年1月31日初版発行
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
1925(大正14)年7月
※表題は底本では、「とんまの六兵衛(ろくべえ)」となっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年2月2日作成
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