またその後に至って、右の木型の形を縮めて、床置き位な小さい鋳物が四つか五つ出来ました(住友家の依頼であった)。これは山田鬼斎氏が大作に依って小型を彫りましたのです。その小型が今日美術学校の文庫に保存されてあります。これを元の原型と間違えている人もあるから、これもついでに間違わないように断わって置きます。事実を確かにして置きませんと、現にまだその製作主任をした私が生きている間に、早くもその作者の名さえも間違うようなわけでありますから、確実なことを記録に止めて置くは必要の事と思います。
楠公像の馬場先門外に建ったのは、ずっと後のことで、その建設の場所なども、最初は学校の方で選定することになっておって、二重橋寄りで、直ぐ門に接した処にしたいという考えであったが、それは宮内省の方で、練兵の都合などあって御許しがなく、現在の位置に立つこととなりましたが、かえって今日ではこの方がよろしかったかと思われます。
また台石の方は多分宮内省の方で作ったことと思います。この台石製作の任に当った人は、研究調査のため洋行をしたとか聞きました。
何しろ、その当時のことで、銅像は東京市中に珍しく、九段の大村さんの銅像以来のことで、世の注目を惹きました。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年4月9日作成
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